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はてなキーワード: 南京事件とは

2009-06-10

はてな左翼さんたちって結局無能だよな。

最近南京事件の一連記事を見ているとよくもまああんな愚痴記事を垂れ流す気になれるもんだな。

俺様天才。ばかばかばーか。って言いたいだけの記事をよくもまああんなに量産できるもんだ。

自分の文章が伝わらないから馬鹿がのさばってるとはどうにも思えないらしく。

ああいった自称物知りさんって、聴いてるだけで疲れる割に全くためになる情報が流れてこないんだよなあ。

人に教えるつもりがないのなら高説たれなきゃ目立たないで良いんだけどなあ。

人に教えたつもりで馬鹿馬鹿馬鹿言ってるだけなのはなあ。ほんと役に立たないなあ。

2009-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20090608160232

たとえば「リアルのゆくえ」p273。東氏の言いたいことは以下です。

東氏にとって、Apemanさんのやられていることは、お宅がガンダム一年戦争について語ることと同じなのです。

「かって公共性を担うと思われていた話題も、いまやオタクネタと代わらないわけです。ネットというインフラは、ガンダムについて熱く語っている人と、南京大虐殺について語っている人を等価に見せてしまう。実際若い嫌韓厨にとっては、第二次世界大戦宇宙世紀と同じくらいフィクションでしょう。そのどちらのフィールドにおいても、彼らはすごく議論するし、ぶつかりあう。だからそれがすべて公共圏の萌芽だっていうなら、すごくハッピーな議論になるんですが、実際にはそうじゃない」

P232

「たいていの人にとっては国家なんてどうでもよくて、100人や1000人規模のコミュニティのなかで生き生きと生きていれば、それでいいんじゃないか」

つまり、こうやって、歴史修正主義について議論するのは、歴史歴史性とは?またそれを語るとは?歴史学における事実とは?とかの問題ではなく、価値中立な工学的に設計されたネットインフラのなかの「南京大虐殺コミュでの、コミュニケーションネタにしか東氏にはみえないのです。そしてそれでいいじゃないか.それで幸せならば、と言っているのです。

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20081215/p1#c1229325550

 普通に考えれば、歴史学的に証明されている南京事件という史実と、歴史学では相手にされていないその否定論というトンデモを並べてフラットに「コミュニケーションネタ」として扱うことは問題があるといえます。しかし、彼らはそうは考えません。だってポストモダニズムリベラルの時代だから。ポストモダニズムリベラルの時代には、史実もウソも、フラット情報としてしか扱われない。だからぼくは南京事件があったかなかったかは関心がないんだよ!と公言できるわけです。

 だから、彼らに対して彼らが「無知」である(あり続ける)ことをもって糾弾するのは、確かにあまり意味がないのかもしれません。自分無知であり続けながらひたすらコミュニケーションのあり方のみを問題化していくという態度そのものが、彼らにとってはステータスなのかもしれないからです。

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090603/p1

2009-06-05

はてな南京事件の議論で思うんだけど

南京事件否定派、少数説派がウヨクだという意見に疑問があるね

おれは自称ウヨクで細かい思想は分からないから、これ読んだ人が勝手に決めてくれて結構なんだけど

俺は1万人だろうが、30万人だろうが、2000万人だろうが数字にこだわりはないんだ

俺は数字の真相よりも、ああ日本軍強いじゃんwって思うことが重要

強いからOKって訳じゃないのよ

国のために頑張った軍人がいるって事がいいの

じゃあ民間人犠牲者出したことはいいのかって批判がされるんだろうけど

戦争だからしょうがないじゃんって思うタイプ

しょうがないでOk

戦争なんてそんなものだよ

え?2000万人?マジで日本軍超強くない?

って感じですよ

むしろそっち希望みたいな

これが俺の正しいウヨクだと思うのよ


まぁ日本擁護の形の違いと言えるのかも知れないけど

ウヨクなおれは国防が凄い重要だと思っている

俺ははてなやりとりされている南京事件ウヨクたちの意見サヨクに見えるんだよね

彼らは無防備宣言みたいな平和ぼけ推奨でもしてるんでしょうかね

おれはこれがサヨクに見えますよ

民間人守るのが軍だよ?やられたのは中国軍が糞だから

あいつらへたれ過ぎだからだよ。逃げてばかりで守らないから

自業自得

だから中国責任だとおもうね


映画なんかで勇敢に戦った日本軍の描写ができることはありがたいこと。

中国チキン過ぎて逃げてばかりだからそんな事描けませんw

中国ウヨク歯ぎしりしていることでしょう

俺が指導者なら、むしろここを歴史捏造して中国軍は勇敢に戦いましたって映画作るだろうね。

被害者多くして、自分へたれアピールしてることに笑いが出てきますよ。


2009-06-04

南京大虐殺30万人説」の否定にこだわる理由

http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20090528/p1

http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20090603/p1

このあたりのエントリーで「南京大虐殺」を否定する人たちが批判されている。この前者のような資料の紹介と要約は非常に有意義なことなので大いにやってもらいたいと思うのだが、どうにも気になるのが、30万人説を否定しただけの議論を「語るに落ちる」とまで表現してしまう後者のような人の論調だ。


「30万人説否定」が便利な場合

30万人説の否定というのは、個人的には結構よく使っている。なぜかと言えば、「日本人南京で30万人を虐殺しただろう」って言われるからだよ。中国人に。ちなみに、中国人でなくても、中華系の東南アジア人からも30万人って話が出てきたことがあるので、30万人説は結構幅広く流布している説のような気がする。そう言われたら、とりあえず「1週間で30万人はねぇんじゃねぇの」、って話になるさ。彼の地で日本軍が大勢の中国人を殺したのは事実だし、それを否定するつもりも必要もない。でも、あんま現実的じゃない数字を勝手に持ち込まれて、「近代戦で特筆すべき残虐行為」みたいなことを言われたら、そこは反論したくもなるだろう。

だから、「別に日本軍が多数の中国人を殺したことを否定するつもりはないけど、30万人はないんじゃないの?」という反論になる。今までの経験から言って、無関係の第三者(欧米人など)が一緒にいる場合は、大体同意してもらえる。で、後は「まぁ日中戦争全体で見ればもっと沢山殺してるんだけどね(笑)」「まぁ俺たちも随分殺してるしな(笑)」(←アメリカ人)みたいな流れになって、その話題は和やかに終了するわけだ。

ちなみに、中立的な第三者がいない+相手の中国人韓国人)が年上、という悪条件が重なると、高確率で泥沼にはまるので、そう言う場合は全力で逃げることを勧める。


「30万人説否定」にこだわる理由

だから、なぜ「30万人説にだけ興味が集まるか」という元エントリーにお答えすると、「その説が一番メジャーだから」だよ。日本でもそうじゃないの?で、その一方で、日本人の大多数はそんな歴史の話には大して興味がない。だから、「昔当たり前だと思ってたけど、あれって実は間違いらしいよ」という、分かり易い知的快感を伴う文脈でのみ興味を持つわけだ。だから、ネットの向こう側で正義感の篤い人々が悲憤慷慨していても、「通説が本当にひっくり返されたのかどうか」だけが興味の対象であって、「5万人か10万人か」「何人殺したら大虐殺か」みたいな、素人目にも水掛け論必至な議論には何の興味もないんだよ。

だから、上のエントリーみたいに「30万人説否定は反中だ!歴史修正主義だ!」とか怒っても、自分を含む(おそらくは)多数の人間はしらけるだけになる。だって、そこまでの興味はないもの。(その意味で、ネタのひとつだ、という捉え方はある程度正しいのではないだろうか。)


みんな興味がないんだよ。

>「30万人説を否定しただけ」という発言ははっきり言って語るに落ちていると思う。「南京事件」という日本の加害問題を、中国批判の道具としてしか興味がないと主張するに等しい行いだからだ。

こういう文章を書いてしまえる人には、多分私がここで書いた話というのは受け入れられないかもしれない。加害者である限りは「真っ当な」興味を持つのは義務だと言うことなのだろうか?それとも、中途半端な興味しか持たない人間にはコメントを許さないと言いたいのだろうか?では、私のように忘れた頃に30万人説を突きつけられる人間はどうしたらよい?言うまでもなく、「本を読んで勉強しろ」というのは却下だ。自分はこの件についてそこまでの興味はないし、興味を持つことを強制される謂われもない。そんな本を読むくらいなら別の本を買って読む。そう言う人間が「30万人はいくら何でもないんじゃないの」とコメントすることは、許されないことなのだろうか?

そのコメントがいわゆる「トンデモ」に該当するレベルのものであれば、非難もされるし馬鹿にもされるだろう。だが、「30万人説否定」はそれよりも遥かに蓋然性の高い議論であることは上のブログ主も認めている。ならば、「30万人説否定は反中ムードの表れだ」などと関連づけて「語るに落ちている」などと批判するのは間違っている。反中ムードが嫌いならその点を直接批判すべきだろう。

君が興味を持っている「南京大虐殺」という問題は、大多数の日本人にとってはどうでも良い問題だ。そして、興味を持つことを強制される謂われは全くない。まずはそのことを理解してほしい。もしその無関心自体を変えたいと思うのならば、無関心な人を非難するのではなく、興味を引くネタを用意すべきだ。まず「30万人はあり得ない」というコメントを肯定してみせてから、でもね、という議論を展開しても良いし、逆に、「実は50万人殺してたんだよ!」と客を釣っても良い。プレゼンの基本スキルだろう。そういう努力もしないで、「自分の言ってることは正しいんだ!聞けよ!」って独りよがりなことを言っているから、「うんざりする程同じことの繰り返し」にしかならないんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20090604004930

つまり南京事件日本兵達は民間人の体を台か何かに固定してから切っていた、と。何十人も、何日もかけて。

死ぬほど間違ってる気がするが

はてなぶっくマークを見ていたら南京事件がどうのという記事がよく出てる。

おおざっぱにいうと右翼の人たちは虐殺を否定したい。

右翼の攻撃性のある人たちは虐殺なんぼのもんじゃい、にはならないの?劣等民族中国人なんかバルサんで皆殺しじゃー!ではダメなのか。

虐殺って事になったら金を払わなきゃいかんから、ってのなら分かる。でもそんなもの突っぱねればいいじゃない。

なんだか中に病みたいで悪いけど、人殺しにきれいも汚いもないじゃない、って思うのよ。

人数の問題もよく分からんわ。劣等民族いっぱい殺した方がえらいのと違うの?

2009-06-03

南京事件とかもう決着付いたわけだろ?

いつまでグダグダ言ってるんだ。

日本からの謝罪や賠償は済んだのに何をやってんだ。

決着が付いてないならしかるべきところでやれよ。

南京事件の議論に決着をつける方法

南京事件による被害者の総数f(x)は下記の確率密度関数によってあらわされる。

f(x) = x^(k-1)・e^(-x/θ) / Λ(k)θ^k

<img src="http://d.hatena.ne.jp/cgi-bin/mimetex.cgi?F(x)~=~\int_0^x~f(u)\,du~=~\frac{\gamma(k,~x/\theta)}{\Gamma(k)}" class="tex" alt="F(x) = \int_0^x f(u)\,du = \frac{\gamma(k, x/\theta)}{\Gamma(k)}"&gt;

2009-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20090601190424

id:D_Amonやid:Apeman、id:Dr-Setonが、紛れ込んだ一部の極右ごと普通の人を叩きまくる構図が反感を生んでいる事こそが、はてなでの南京事件問題なんだ。

2009-06-01

南京事件否定論はなぜ相手にされないのか(初心者むけ)

http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20090528/p1

http://d.hatena.ne.jp/a-kubota/20090530/1243663042

に便乗してみる。

分かりやすく今までのことを要約すると、

はてサid:D_Amon氏、「南京事件否定論を真に受けるのは無知だ!きちんと歴史勉強しろ!」と自分歴史学の初歩とやらのエントリーを書いてそこらじゅうに爆撃する。(正直いやがらせかと思う)

自称中立id:a-kubota氏、「中立の俺が肯定派も否定派も分かりやすく説明してやるぜ!」とかいいつつwikipediaを信用して(笑)肯定論と否定論の要約をする

はてサ諸氏、「歴史学の結果である肯定論とトンデモでしかない否定論をいっしょくたに扱うとはなにごと!ムキー!!」

ってのが今の状態。

それで中立のid:a-kubota氏が否定派と肯定派の両方を紹介してくれたので、なぜはてサ諸氏が否定論をまともに取り扱わないのか、

なぜ南京事件否定論をまともな論のように紹介したa-kubota氏がキレられているのか、説明したいと思います。

理想としては新書を一冊でいいから肯定派の本を読んで

まず「南京事件肯定派ってどんなことを肯定しているのか、そもそも肯定派の言ってる南京事件って何か」を知って、

それから有名どころの南京事件否定派の本を読んで否定論者の言ってることって根拠があるのか調べてみるってのが、理想なんだと思う。

けれども、a-kubota氏のエントリを見て満足しちゃうような人って、絶対にそんな面倒くさいことしないのね。

id:D_Amon氏が「じゃあもっと要約してみた。これを読め!!」って言ってみても、それすら読めない。

なぜかと言えば、id:D_Amon氏が信用できるか分からないので、読んでみて結局無意味だったら嫌だし。

と言うわけで、中立のid:a-kubota氏が紹介した否定論と肯定論のうちなぜ否定論がトンデモなのかを短く、めんどくさくなく説明しようと思います。

と言ってもどう短くしても内容に立ち入ると面倒なので、内容には立ち入りません。

たぶん短い。


否定論者に歴史学者がいない

藤原彰・笠原十九司・秦郁彦歴史学者ですが、東中野修道歴史学者ではありません。(政治学思想学の人)

他にも渡部昇一とか小林よしのりとか田母神さんとか否定論を唱える人はいますが、歴史学者は一人もいません。


裁判で負け続けてる

否定派VS肯定派の順で紹介していきます。

秀英裁判

松村俊夫(否定論者)VS李秀英南京事件証人

秀英の勝利。松村俊夫は「李秀英の言うことはこれこれこういう部分でおかしい。嘘っぱちだ」と言ったが、

裁判では「松村さん、あなたの言ってるこれこれこういう部分っていいがかりですよ」となって敗訴。

百人切り裁判

稲田朋美国会議員)VS本多勝一朝日新聞

稲田裁判長にほとんど相手にされずに本多勝一の勝利。本多勝一と言えば、初心者でも「胡散臭い人物」ってことは知ってると思う。

うん、そうなんだ。胡散臭い人物にも惨敗するのが否定論者なんだ。

夏淑琴裁判

東中野修道写真で有名?)VS夏淑琴南京事件証人

夏淑琴の勝利。東中野修道は「夏淑琴の言うことはこれこれこういう部分でおかしい。嘘っぱちだ」と言ったが、

裁判では「お前別に問題のない証言をわざと英語を訳し間違えて辻褄合わなくしてるだけだろ」ってなって敗訴。

東史郎南京事件で嘘の証言をしたってことで敗訴した。日本司法が嘘の証言に甘いってわけじゃない。

証言者では敗訴した人間はいるけど、敗訴するような人の証言は学者はやっぱり重く扱わないし、肯定論の学者が敗訴したことはない。

日本政府自体は肯定派

http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/area/taisen/qa/08.html

日本政府南京大虐殺定義は「日本軍南京入城後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったこと」でこれは事実としてる。

他にも文部科学省が「南京事件あったかどうかわかんないよ」って書いたつくる会教科書に検定意見つけて「南京事件あったよ」って書きなおさせたこともあったでしょ。



肯定論者はイデオロギーに幅広い

例えば東中野に賠償命令判決だした三代川三千代裁判官は、保守的判決出すのに有名な人だし、秦郁彦に至っては右翼、「つくる会」の会員だったこともあるくらいだから「極右」って言ってもいいかも知んない。

肯定論者は左から保守から右からいろんな人いるけど、否定論者って極右かいないよね。

どっちがイデオロギーより事実を優先しててどっちが事実よりイデオロギーを優先してるか明らかだよね。



否定論って互いに矛盾しあう

例えば、否定論の論法の一つに、

1947年東京裁判で出てくるまで、南京で虐殺が起きてるなんて話はどこにも無かった!東京裁判でいきなり話がつくられた証拠だ!だから南京大虐殺は嘘だ!」

ってのがある。さらに、

1938年に、蒋介石が『南京日本が残虐行為をしてる!』って宣伝するための証拠を捏造する部隊を作った証拠をつかんだ!だから南京大虐殺は嘘だ!」

ってのもある。ひどい時には同じ人が言ってる。

でもさ、1938年にしきりに南京大虐殺宣伝してるんなら、1946年には広く知られてるはずだよね。同じように「南京事件を起こしたのは朝鮮人だった説」とか「便衣兵の処刑を大げさに言った説」とか互いに矛盾しあう説がいろいろあるって言うか、

南京大虐殺」を捏造した勢力も捏造した理由も違いまくるのに、なぜか喧嘩せずにお互いに褒めあってるよね。

おかしくね?

 対して肯定論者って、細かいことでも主張が違うと議論しまくる。

有名な例でいくと笠原VS秦とか。

お互いに「南京事件あった」って言ってることは同じで、南京事件の中身でも幕府山で起こったこと、下関で起こったこと、安全区内で起こったこと、新口路で起こったこと、大まかには同じこと言ってるのに、それでも例えば幕府山事件の詳細で細かい違いがあっただけでも喧嘩しまくる。

なぜかと言えば真理を求めてるからに他ならないと思うわけ。

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最後の方は「初心者へ」って感じじゃなくなっちゃったかも知れないけど、「大まかに信じれることを知りたい」って人には参考になったと思う。

これを見ても、

日本以外のすべての国と日本政府日本司法自民党の大半と民主党のほとんどと公明党共産党社民党全員とマスコミが間違っている!俺が正しい!」

って言う人もいるだろうけど、そういう人は「初心者」では絶対にありえないからいいや。

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後日追加。

おまけとして、これを紹介しておこう。

否定派のサイトだけど、第一話を読めば南京事件が大体どういうものか分かるんじゃないかと思う。

id:D_Amon氏のやつは文章がいっぱいで読めないって人向け。

http://beauty.geocities.jp/nankingharuhi/

はてサネトウヨの泥かけ試合が見苦しい;南京事件について

Wikipediaに~」「歴史学辞典には~」「学者の○○が~」

ただ単に人の記述を持ってくるのは、議論とは言わない。ただ単に、相手方のイデオロギー人格を、双方罵倒したいだけだろう。

2009-05-31

南京事件って

右翼的には日本軍の強さを証明できて俺は良いと思うけどね。

プギャー中国弱すぎwwww

っていつもおもうよ

あれを事件とすることに違和感がるのは確かだけど

それはまた別の話

サヨクみたいに無防備宣言じゃないんだから

闘わない間抜けで臆病な中国人兵士が死んだだけ

当然っちゃ当然だよね

南京事件

否定するやつはウヨクだ!

っていうのは

肯定するやつはサヨクだ!

同じですよ

あやしいところは調べ、嘘は嘘と認めるのが、しゃっきりしたウヨクに対する態度じゃないのかな。

2009-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20090530133047

南京事件はあったろうけど30万人は嘘だろ」派が、サイレントマジョリティだと思っているわけだが。

どーにも、南京事件犠牲者30万人、yes/no?な二者択一的な考えは嫌いだなぁ。

2009-03-30

文体の問題らしいから

http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090330/1238349203id:tari-Gが答えないのは単に読み難い文体の問題だということだから、本人に代わって文体を書き換えてみるよ。

これで逃げ場がなくなったね。

知的誠実を他者に要求するtari-Gクンへ

さーて、書かなければならないことはあるけれど、それはそれとしてまず売られた喧嘩を買っておきますか。

前回のエントリにつけられたブクマコメントより。

id:tari-G なにこれ, これはひどい, ご都合主義

にゃー語は脳が受け付けないので斜め読みだが、多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で駄文を書くのはいいんだ。こういうのは「先人の業績」や「被害者」「死者」等への冒涜にならんらしい…ケッ 2009/03/27

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090326/1238051100

このtari-Gクンは、永訣の朝、公開オナニーダンス・ダンス・ダンス - 地下生活者の手遊びで遊ばせてもらった、negative_dialektikクン(以下、否定弁証法クン)を擁護していたお方です。

で、このtari-Gクンに、ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去コメント欄で2009/03/26 10:31に、idコールまでして答えたくないと思われる論点を挑発的に問うてみたら、そちらには答えがなく、上記のブクマコメがかえってきたということです。

hokusyuのところのコメ欄でのtari-Gの発言などを考慮すると、実にカロリーの高いエサなので、おいしくいただくといたしますか。

では、エサをいただくにあたっては、いつものように逐語的にお料理させていただきます

tari-Gクンは猫かぶり文体を読んでいたはずだけど

「にゃー語は脳が受け付けないので」

ほうほう、僕の猫かぶり文体が読めないと。まあ、それ自体は珍しくないよな。

ただ、はてなブックマーク - tari-G のブックマークを開いて、tikani_nemuru_M で検索してみると、現時点で14件ヒットします。そのうち6〜7件のブクマについては、否定弁証法クンの騒ぎが持ち上がる以前にブクマされたものだね。

特に、舌打ちにのたうつ40♂ - 地下生活者の手遊びにつけていただいたtari-Gのブクマには「うんうんそうそう」というタグがつけられていますにゃ。少なくとも、このブクマをつけた1月17日時点では、「ない語は脳が受け付けない」ということではなかったみたいだね。

ま、そういうこともあるだろ。

急所をつかれると、突然に気にならなかったものが気になるようになることは、よくあることですからね。いままでも、猫かぶり文体を理由にして逃げ回る恥知らずは数えきれないほどいたし、卑劣弱者に逃げ場をつくってあげるために、このような文体を使っているというところもありますしね。

だから、hokusyuのブログエントリコメント欄で、僕からの質問に応えなかったのもそういうものだと思って見逃してあげるつもりでいたのにね。

わざわざ自分でクチバシ突っ込んできやがりましたので、何の遠慮もいらないだろう。

しかも、

「にゃー語は脳が受け付けないので斜め読みだが」

などと言い訳を前面におしだしてやがりますね、みっともねええええ(げらげら

hokusyuのブログコメント欄では、こちらからの質問に逃げておいて、僕のエントリブクマコメで文句だけはつけたいのかー。しかも、「ない語は脳が受け付けないので斜め読みだが」と言い訳全開にしてだと?

こんなヘタレが、「ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去コメ欄で、「知的誠実」だのといっちゃってるわけですにゃ。

tari-Gくんは文献を示す義務がある

「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で駄文を書くのはいいんだ。」

なるほど、僕の前回エントリは[なにこれ], [これはひどい], [ご都合主義]とタグ付けされたうえに、「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で」書かれた駄文というわけだな。うむうむ。

まず、僕自身はシロウトであるし、この問題について包括的に書くつもりもないということは前回エントリでも最初にことわっていますよね。

もちろん、シロウトであるからといって、研究が積み重ねられているものを無視するどころか否定するようなことを書いてよいということにはなりませんね。無知を盾にとって、ホロコースト否定論とか南京事件まぼろし論にくみする言論を垂れ流すのは確かに無恥だな。ホロコースト南京事件については、その規模や細部についてはともかく、そうした事実があった、ということについては学問的にも確定しているわけだしね。

ところで、前回の僕のエントリ駄文と評するのは問題ないし、包括的に文献を読んだつもりもまったくないのだが、「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化」と断言するのであれば、当然のことながらどのような文献のどのような論点を未消化なのか指摘できるよね?

いやね、フツーならばブクマコメのこの程度の指摘に対して、いちいち「ソースだせや」なんて言うつもりはないんだけどさ、tari-Gクンってば、↓のようなことをいっていますよね。

海外の著作に言及する場合、自分が依拠しているのが、原著を参照せずに翻訳書だけなのか、それとも両方参照しているのか。依拠している文章が、翻訳書なのか原著なのか。引用訳文が翻訳書からなのか独自訳なのか。そういった極めて基本的なことを明確にしたら?。

あと、hokusyuさんは、「通説である」とか「多くの研究者に支持されている」を極めて多用するけど、そういう場合は、必ずちゃんとその根拠を明示しなよ。少なくとも、それを裏付ける著作名と研究者名ぐらい列挙しなさいよ。

学問的手法に忠実云々ということをあれだけ強調していながら、実際には、そういう最も基本的な事からして全然できてないのは、ホント困るわ。

学問というのは、自律世界なんだから、まず自分に厳しくしないとダメだよ。

出典の紹介等について、私が「一番」「甘い」というのも全く根拠不明で意味不明だが、誰に言われようが、自分言葉の典拠や論拠を明確にするのは当然でしょ?世界のどの研究者もしている当たり前の学問的手続きを、自分の言説にまず適用するのは当然じゃないの?誰に言われようが関係ないじゃん。情けねー。

一般読者達向けに、惜しみなく情報を提供しようとは思わないの?そもそもそこがよく分からないな。なんで知識を出し惜しみするの?

てか、はっきり言って、議論の質を本気でよくしたいなら、他の選択肢はないよ?

hokusyuが見てて不快なのは、学問的誠実さが本当にないところ。自分が得た情報をできるかぎり共有して判断して貰うという、最も基本的姿勢がない。結局、客観性へのこだわりがないんだよね。「信じればいい」という主観だけ。

ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去より、tari-Gのコメントの高カロリーなところを抜粋

と、議論相手にここまでソースを出すことを要求するtari-Gクンが、「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で駄文を書く」と断言している以上、僕の前回のエントリが、多分野に渡り山のようにある文献のなかで、特に必須なものをどう未消化なのか、具体的に言えないはずもないだろう。「てか、はっきり言って、議論の質を本気でよくしたいなら、他の選択肢はないよ?」

僕が誰を冒涜できるのだろう?

「こういうのは「先人の業績」や「被害者」「死者」等への冒涜にならんらしい…」

何をいっているのかぜんぜんわかんないのだが。

ホロコーストがあった、ということは歴史学的にもまともな学者には完全に合意され決着がついていることがらなので、ホロコースト否定論が「先人の業績」にまるで敬意をはらってないということになるのは当然だな。

ところで

人工妊娠中絶について、生命倫理学的に決着がついていたっけ? で、僕がそれに反するようなことを書いていたかにゃ? 僕が「先人の業績」を冒涜しているというのなら、ちゃんと根拠をだして説明してくんないかな。

それに

被害者」「死者」等への冒涜 って何のことかにゃ? 僕のエントリが、どのような理路で、「被害者」「死者」等への冒涜 になるのか説明してくんないか?

tari-Gクン、チミな、他人に対して知的誠実だの学問的誠実だの、根拠をだせだのとさんざんいったのだから、求められたことを説明するのは当然だろ?

以前は猫かぶり文体も読めていたようだし、猫かぶり文体で書かれた文を、頼みもされないのにわざわざDISりにきたんだからさ、説明の責務があるのはアッタリマエだろ?

ここで僕の予想を書いておくと、tari-Gクンはまともに応えることはできないと思う。他者に要求するものが自分に向けられることを想定すらしてないだろう。

そして、他者に要求することを自分はまるでできないということと、否定弁証法クンのような歴史修正主義にくみする者を擁護することと、多分つながるところがあるのだね。

もちろん

自らがhokusyuに要求しているようなことをtari-Gクンができた場合、僕は鼻水を垂らしながら全力で謝罪するつもりです。

再掲

それと、ついでといってはなんだけど、hokusyuのところのコメ欄に書いたものを再掲しておくので、こちらにも応えるように。>知的学問的誠実を他者に求めるtari-Gくん

id:tari-G

歴史問題は、政治問題化してしまうのです。ホロコースト歴史的実態について再検討する必要がある、と口にしただけで、反ユダヤ主義者のレッテルを貼られてしまいます。南京での中国人被害者の数も、中国共産党政府の主張する30万人とか40万人とかいう数字をそのまま受け入れなければ、大日本帝国軍国主義復活を目論む右翼分子レッテルを貼られそうな勢いです。冷静に、歴史的に、事実を確定しようという学問的姿勢や努力は、政治的に圧殺されてしまいます。」否定弁証法3/17

と、上記の主張は端的にデタラメだよね。「冷静に、歴史的に、事実を確定しようという学問的姿勢や努力は、政治的に圧殺」ってのは事実と異なる主張だよね。

で、歴史に関する記述政治的に歪められているという上記断定は、歴史修正主義が大喜びする「どっちもどっち」という判断を直接的に導くよね。tari-Gも、「どっちもどっち」は歴史修正主義の手口だと認識してるだろ?

さて

3/17の否定弁証法クンの主張は明らかに歴史修正主義にとって都合の良いデタラメの垂れ流しであるがゆえに、これを厳しく批判する論調がでてきたわけですね。

しかも、直後の否定弁証法クンの反応は、具体的な反論に対して「史上最大のタブー」「「信者」と議論するのは、ご遠慮しておきます」と、明らかに陰謀論採用して議論を拒絶していたわけですね。ここも批判されて当然だろ。

でな、今回は否定弁証法クンがデタラメを垂れ流したので叩かれた、というだけの話だぜ。しかもそのデタラメ歴史修正主義を利する典型的デタラメだね。

こうした批判に対して

>これはhokushyさんのような圧殺的行動への批判であって、具体的な修正主義的主張とは全く意味が違うのは明白です。tari-G

って意味がわかんないんだが。

いいか? 先にデタラメ垂れ流したのは否定弁証法クンだぞ。それを批判すると、後付けで「圧殺的行動への批判」となるわけ? 時間前後無茶苦茶

しかも、デタラメを批判すると圧殺的行動になるってのも支離滅裂。デタラメを批判したらいかんの?

おまけに、「具体的な修正主義的主張とは全く意味が違うのは明白」って、どこに根拠があんの? チミの脳内で明白なだけだろ?

というわけで、僕はこの1点でチミのお相手をさせていただく。

どうする? 逃げるかい?>無茶苦茶で支離滅裂で根拠のないid:tari-G

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090324/p1 より

2009-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20090302104410

そういえば、はてサって同じ理屈南京事件はやたら持ち出しては

日本人は酷い、おかしい」と散々ほざくのに、

竹島の話を持ち出して韓国人を叩くことは絶対にしないよね。

日本人なのに、同じ日本人を叩くことには一所懸命なのに、

ひるがえって日本不利益になることには目を瞑るとか、

やっぱり、頭がどうにかしているんだろうな。

2009-02-22

南京大虐殺」論争を理解するためのたった一つの真実



いわゆる南京大虐殺とか、南京事件とか言われるものについて。

世の中には、1930年から1945年までの日本を悪く言える可能性のある噂話があったら、本当の真実がどうであろうと

最大限にその噂話を肯定する勢力がいる。

そのとき実際に起きた事実なんて全く興味ない。

とにかく自分の耳に都合のいい事実は全肯定する。

その人たちはいわゆる左翼と呼ばれることが多いけど、本来の意味とは違う気がするのだがこの際あんまり気にしないことにする。

世の中には、1930年から1945年までの日本を良く言える可能性のある噂話があったら、本当の真実がどうであろうと

最大限にその噂話を肯定する勢力がいる。

そのとき実際に起きた事実なんて全く興味ない。

とにかく自分の耳に都合のいい事実は全肯定する。

その人たちはいわゆる右翼と呼ばれることが多いけど、本来の意味とは違う気がするのだがこの際あんまり気にしないことにする。




さて、ここに「南京大虐殺」という話がある。

上の人たちはどう反応するか。


左翼と呼ばれる人たちはもちろん「事実だ」という。

なぜから、事実である方が自分の思い込みに合致するから。

だけどもそんな理由では皆が納得しないから根拠をでっちあげる。

アイリス・チャン本多勝一が調べた」って。


右翼と呼ばれる人たちはもちろん「事実でない」という。

なぜから、事実でない方が自分の思い込みに合致するから。

だけどもそんな理由では皆が納得しないから根拠をでっちあげる。

田中正明や東中野修道が調べた」って。




それで、南京大虐殺の場合は、左翼側が正しい。

まともな歴史学者なら全員南京大虐殺事実を認めている。

だけど、だからと言って左翼の主張の根拠が正しいわけではない。

彼らは、南京大虐殺があってもなくても「南京大虐殺はあった」と言うから。

自分の信じる結論が欲しいだけだから。


右翼側は正しくない。

けれども、右翼側はこれからも支持を減らすことはないだろう。

田中正明が松井石根日記を改竄して恥をさらしたり、東中野修道が資料を捏造して裁判フルボッコにされても、

右翼は彼らを支持し続ける。

彼らには、南京大虐殺を否定する根拠なんてもとから関係がないのだから。

その根拠がいくら崩されようと彼らには興味がない。

自分の信じる結論が欲しいだけだから。

2009-01-03

その対策

さの対策。

平穏なブログ運営。だから増田で。気づかれても目をそらさず否定できる。

<中立ごっこ、未熟者と失笑されようが、物言えば唇寒しの状況は気持ちが悪い>意欲は買うが、長年の南京論争を眺めてきた増田には、新参者が手首足首を縛り氷河に飛び込む軽業師に見える。酷な言い方だが、あがいて浮上を繰り返しても、ガスが腹の中で膨らんでいるとしか思えない。如才ない奇術師パンツに剃刀を縫いこんでいる。南京論争には初心者が陥りやすいトラップがあり、反論もルーチンワークの仕掛けになっている。情熱も知識もない増田だから助言。長文も対応策のひとつ。ひるまないでいただきたい。

三項目の問題点、最後に可能性を探る。

(1)数字

<それでおたくは何人と考えてる訳?>南京事件に触れ、まず数を考える者は多いらしく、頭に浮かんだ疑問をそのまま論争に持ち込む初学が後を絶たない。四万に留意する事。四万以下の数字を主張するのは、はてサに<虐殺三十万人説を証明しろ>と迫るのと変わらない。一蹴されるのが落ちだ。数字は慰安婦強制性では虚偽説の代表的論客である秦郁彦が、廃棄処分を免れた現存する日本側文書を軸にし、明らかに不当な、不法なケースを取り上げて最低限の数を順次加算したもの。覆すには秦の著書を購入し、関連書を参照しなければならない。本末転倒で、不本意な作業を強いられる。四万以上の数を扱う場合は当然資料も増え、最終的に中国側の農村部での人口推移の調査報告まで視野に入れなければならなくなる。

<証明できるのか? 二十、二百かも知れないではないか>見出しの百の文字に惑わされてはならない。元中尉の名誉回復裁判は人数が焦点ではない(数にこだわるなら政治屋弁護士心中する覚悟がいる)。増田の知る中ではてサに「百人も殺したのだから処刑されて当然」と主張する論者はなかった。「国を挙げての士気高揚、その象徴的人物が戦後に個人の責任を問われた」事件と認識され、同情的な見方もある。産経の「捏造」、「真っ赤な嘘」が指すのは、言論統制検閲を断行した政府、それに唯々諾々と従った当時の報道人と国民に対する侮蔑だと把握しておけば足元をすくわれない。

(2)検証

テンプレネット上に大量に転がり、手軽さも手伝うのか、初心者がもっともはまりやすく、もっとも論立てが煩雑なのが細部の検証だ。手軽な詰問に対しては反論も数通りのテンプレが用意されている事に気づかないといけない。相手は気分に応じて資料を選ぶ。複数あるのは遺物の集積と相互依存で史実が成り立っているからだ。独自の疑問点を設定するには書籍の購入が必要であり、新書一冊ではまかなえない。たとえば(1)の不当、不法に言及する場合は法学踏み込むことになる。質問者をよそおって相手の出方を研究する手口も使えない。また万一資料に不信を植えつける事に成功しても、一人の証言者、一枚の写真疑問符を付けただけで終わってしまう。労多く功無し。

(ただし「功無し」は学術上に限って。目ざましい功労者ポストを提示する教育機関が現れても増田は驚かない)

(3)政治

<謝罪を繰り返させられ、外交で押し切られる隙を残すのは国益を損なう。否定派には存在意義があるのではないか>メタ視線は悪くないが、楽な筋道ではないのは胆に銘じる。最初に日中間に「南京問題」は存在しない事を確認してほしい。政府は「肯定派」であり、中国は賠償も新たな謝罪も要求していない(調査のために遺骨を発掘しろと主張する者がいたが、ビルや田畑を取り壊す政治力や膨大な費用を日本政府が負う事はない。有志による個人負担となる訳だ)。決議に反した閣僚の発言が、政治問題化しないための「強い遺憾」と「村山談話」の応酬が謝罪の内実。また外交問題ではなく国内問題とする誘導に抵抗するのは並大抵でない。はてサに<中国が怒ってる、問題だ>と、一時期の朝日の影を思い描くのは悪手だ。富田メモによって、靖国親拝中断が中国の干渉によるものとしてきた右派は、靖国国内問題に渡らせないために「天皇」と靖国の距離を広げざるをえなくなった。辞任問題に踏み込めば、閣僚らの特権的地位について逆に問い返される覚悟が必要。初歩の問答を想定しよう。

 「旧軍バターン半島捕虜らに最大限配慮した。非難は不当」が持論の司令が、「A区調整、全住民を安全に配慮しつつ速やかにB区へ避難させよ」と命じられたら?

 「日本資産を持ち出してまで朝鮮に富をもたらした。利他的で手本となる施策であった」と講演する政治家が、経済相か雇用対策の特命相に任命されたら?

 不用意に無償の政治カード世界に乱発する人物が、通商代表として使節団を率いるとしたら?

バターンに関してはネット情報カバーできる。植民地事情に関しては英国植民地印度の貿易収支が英側の赤字であった事、双子の赤字を抱えた米国が二つの戦争を始めるほど好景気だった事、当時の日本政府国民が、兵士の生命財産を供出しても特アの隆盛を切望したと夢想するだけで間に合うだろう)

(4)トウハセイ

<嘲笑と罵倒では相手は聞く耳を持たない。壁に大声でがなりたて、言い返してこないとふんぞり返るようなものだ>読者を無視さえすれば、論争で宗旨替えした否定派が皆無という事実がこの主張の説得力を後押しする。ここで唯一のトラップは、はてサの多くが自身の党派性を否定していない現実だ。質問に質問を重ねるのを逃亡とみては失敗する。彼らは論争に通じ、経験から言質を取られ議論が拡散する事を嫌う(「黙らせるための問答で満足している」と左派から非難された左の論客もいたが)。<イデオロギーで記事を選る、コメ欄同調者が群れる>といった非難は想定内なので、泥仕合に持ち込むつもりがなければ控える(泥試合が有効な左派存在するが、医療疑似科学テーマ)。党派性で彼らの選択ではなく論理が歪んでいると考えるならば、事の検証が欠かせず、(2)へと戻る。膨大な過去ログを読む必要も。しかし、増田が提案できるのはこの(4)だけ。遠回りで時間は取られるが、非専門家でも順次対応可能で、一点突破も目指せる。

  1. 知識不足から生じる間違いに寛容な態度を貫く。ギークでは不用意な発言、勘違いが長々と槍玉にあげられる。また造語を連発する社会学者とくらべると哲学日常言語を当てるケースがあり、定義の混乱も多い。モヒカン問題とも呼ばれるが、コメントを控え、周辺に近づかなければダブスタを指摘される心配は消える。
  2. はてサを巡回し、論争に参加する。ハンドルは名無しがよい(理由は色々あるが、名無しで)。対話により未熟な否定派に(1)か(2)を認めさせる、または論理破綻を自省させる事に成功したら、巣窟と呼ばれる右派サイトに出向き実績を積み上げてゆく。

成果を胸元に突きつけられるのははてサだけではない。それは東浩紀宮台真司藤原帰一への揺るがない反証となる。

2008-12-09

[]はてなサヨクのドン、Apeman氏轟沈。最強の敵現る

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20081207/1228655595#c1228774814

それから、その土地の気候とか大事です。空気乾燥具合とか、気温とか。あと飛んでる虫とか、鳥とか、それらの声とか。

わあ、なんて素敵な。乙女ちっく。女性らしい感性豊かで、女教師にはもってこいってな感じだね。

これはもう驚き。寝ようと思ってたもんだから、破壊力高すぎ。5分ぐらい笑っちゃったよ。もしくは寝る前、見たから愉快なんであって、寝起きにみれば不愉快かもね。どっちにしろ大した違いはないか!

これはもう、どう返したらいいもんか、Apemanさんも困るだろう。『そ、そうですか』ぐらいなもんか。まともに怒ったら女の子は泣いちゃうぞ!

あっさり消されちゃったよ。この次のコメントも爆笑もんだったのにな。

ワイマール共和国の人たちにだって不況という社会的状況があったわけで、何も考えずにホイホイ、ヒトラーに先導されたわけじゃないでしょう。もしくは、大日本帝国天皇に扇動されていってしまった哀れな大衆だらけだったの?

私(たち)以外はみんな馬鹿、だなんて、それこそ下らないポストダニズムの弊害みたいなもんでしょう。大学人に導かれる哀れな子羊とは人をあんまりにも馬鹿にした話だ。

あのね、これだけ南京事件に誠実に向き合った人がどうして貴方南京事件を無化できる言論に理解できるのか、と聞いているわけだから、それに答えてください。どうして、貴方自分の興味のあることしかしゃべれないの?それともこれが、「言葉は届いても、声は届かない」ってやつの実例なわけ?

確か、ぼくが貴方のなんだったかよくも思い出せないことに、サブカル言論が大学人よりマーケティングに成功しているといっても、それが一般的に成功したってことじゃないだろ、って今のコメントと同じくらいに粗暴な感じのエントリを書いたことが貴方と僕との唯一のコミュニケーションだったと記憶しているけれど、東の話だってやっぱり人口に膾炙したとは言えないよね。それで聞きたいのだけれども、貴方はどれくらい「コスト」を払えば認めてくれるわけ?図書館でとても帰るはずないし、万に一つ買ってもアパートの床は確実に抜ける南京戦史を読み漁ってる学生一年間がっしりバイトして南京市に行くまで認めないとか?ああ、それともパパお金でひとっとびでもいいのかな?バカンスはどこへでも世界中をひとっとび、ときたもんだ。あ、それともそれとも、歴史学者の(細い細い)道をスパッと諦めて公務員試験を受けてエリート官僚になってゆくゆくは国家ぐるみ思想教育をやるまでにならないと認めない、とか?

お嬢ちゃんがどんな実存的で高尚でぼくら愚民には見当もつかない深いふか??いご賢察があるのか知りませんけどね、どんなことにも(特に歴史の話なら)フワッとした素敵なことを言って片付くような問題はないってこと知りなさい。それなら4年以上も大学なんていって全部無駄だったのかよ。偏見丸出しの馬鹿に、これだから『女の子』はw、なんて言われて、『女の子』って言わないで!、って言えば片付くようなもんなのか、おねえちゃんのやった学問ってやつはよぉ。

[]匿名ダイアリー、字小さくて書きにくい

http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20081208/1228726052

普通に、知らんやつに、「お前」とか命令形で言われるのは儀礼的におかしいと思うのだが、それでも「無限の応答責任」が生じるのが「知識人」というやつか。それこそもう一度問うが「そもそも、なんでネット馬鹿どもとコミュニケーションなんかしなきゃいけないんだ。 」

http://twitter.com/naoya_fujita/status/1042662107

 なるほど、なぜだろうか。言葉遣いの悪い「言論的な野蛮人」をコミュニケーションの外に排除してはいけないのは。では、どっちもどっちで片付ける「論理的な野蛮人」をコミュニケーションの外に排除してはいけない理由はなんだろうか。

そもそも「ツイッター」というつぶやきサービスミクシィは公共的なのか。私的/公的という範疇が融解しているから、なんでもかんでも「公的」にすんなよ、別けろよ、という僕の思想というか主張があるのだが、君たちは「藤田直哉」の思想について不勉強無知馬鹿だ。

http://twitter.com/naoya_fujita/status/1042663811

 たぶんこれはメディア論(かっこわらい)の人たちが「じゃあなんで『私的』なことなら大学ノートに書かず『知らんやつ』が読めるところに書いてんだよ」っていうのにうまく答えられなかった程度の話でしょう。無論そんなこと、君の思想を逐一知ってる義務はないということ程度に、知ってる必要ないことだけどね。

 逐一、発言を拾っていくつもりだったけど、めんどくさいから止める。

 まずあの、

基本的な立場として僕は「南京はあったし数は30万は行き過ぎだけどそこそこはあっただろう」ということをまぁ認めるよ、という立場です。

 「30万は行きすぎだけど」ってところだけれども、君にそれを判断できるほどの情報があるわけ?((ぼくにはないよ))南京事件以前の南京城内外の人口がどれくらいで、南京事件以後の非難区、非難区以外の城内外がどれくらい、とかそういうことを踏まえたうえで言っているわけ?『南京戦史』であるとか、南京事件資料集((その手のはわりと多いので、どれと具体名を挙げるのは遠慮させていただく))であるとかを熟読してそういっているわけ?

 無論、そんなわけないでしょう。この人がそう言っているのは、『バランス感覚』、(別に誰が見るというわけではないだろうけど)誰もが納得してくれる『おとしどころ』としていっているわけでしょう(その『おとしどころ』で不興をかっているわけだけれども)。だいたい、君はその正当性の担保をどこに求めるつもりだろうか。言説に「善」(つまり道理)はないのに「正」(つまり公正さ)があるとでも言うつもりなんだろうか。であるならば、言説の公正さとは何で、誰がそれを決めるんだろうか。それとも、君に対して礼儀正しいか、そうでないかが、公正さの基準なの?

 ある程度の確からしさがあると認めるのであれば、そこにも強度があると考えれないだろうか。つまり、この確からしさは、あの確からしさよりも正しい、と。その『確からしさ』とあの『確からしさ』はどちらも確かではないから、一緒だ、排除してしまえる、とするのは実に非科学的で暴力的な態度でしょう。

 そもそも、こんな風に「公正さや正義を無視するものはコミュニケーションから排除してしまって良い」という風なアメリカ的なポストモダンプラグマティズム((想定するのはローティフィッシュだ))をマルクス主義者を自称するぼくが振りかざして、あらゆるものにコミュニケーションは開かれるべきだ、というような(野蛮なコミュニケーション的理性を基にする)原則論理念ポストモダニストを自称する人たちが振りかざすというのは矛盾した話だと思うけど。

 『デリダ的に言うならば』、こんなふうにテーゼがあってアンチテーゼがあってジンテーゼあるというような弁証法的なものの考え方自体がどうなんだろうか。飲み会(ある種の『問答』だな、無論皮肉で言ってるんだけど)なんかでクダを巻いてそれで『思想』((ゼロアカの、でも、ロストジュネレーションの、でも、好きな接頭句を入れてくれよ))を作り上げてしまう、そんな馬鹿みたいな真似がどうかということだ。

2008-11-02

http://anond.hatelabo.jp/20081102215854

だから実態は宙に上げておいて、中国は30万30万と言い、日本保守派ゼロゼロと言い、

ゼロ」と言ってる保守派って誰かいたっけ?

俺が見知ってる限りでは、南京事件に異を唱えてる連中の主張が統一されているのは「30万はいくらなんでもウソ」というところまでで、「じゃあ実際は何人死んだか?」でいろいろと分かれてる印象なんだが。

2008-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20080811123636

そうだな、「産む機械」発言と同程度には叩けないよ。その話もう終わりな。

お前が逃げただけだろ。「産む機械」発言に倫理的に問題があるとの主張は主観的なものでしかない。これはいい加減に認めろよ。逃げるが勝ちメソッドはやめとけ。

この辺は、緊急性からくる限界なのだが、批判されてるね。

で?トリアージが最適解でないとして、それがこの件と何の関係があるの?

これこそ、江戸の敵を長崎で討つというやつだ。

あれ? 南京関連の「どっちもどっち」派に肩入れするの?

ほら、わけのわからんところから相手にそういうレッテルを貼りに行く。何もないところから勝手南京事件論争を持ち出すな。

お前こそ、相手に「どっちもどっち」というようなレッテルを貼れば勝ちと思っているんだろう。内実を問わないという点で修正主義者と同レベル論理能力しかないんだよ。

はっきり言って俺は「どっちもどっち」だとは思っていない。お前らが一方的に主観押しつけていると思っている。

この文章の揚げ足を取ってみて?

http://anond.hatelabo.jp/20080811123956

そういうのを揚げ足取りって言うんだよ。今回「文章」と言っているのは何かを主張するようなある程度まとまった量の文のことだ。そういう無意味な例外を拾っても何の意味もない。

もっとも、「この文章」というのが何か、というようなところから揚げ足を取る糸口がないわけではない。たとえば、その辺にある電波文を拾って、「この文章」とはその電波文を指しているのだと強弁すればいくらでも罵倒できるよ。が、面白くはないのでやめておこう。

2008-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20080709172449

エースなんかいなさそうだよねぇ。南京事件の議論のgdgdぶりとかを見てると、

右も左も本当にまあ…ヒマだなあと思うよ。

どうも型にはまった議論になるわけよ。

あなたの「エース」という言葉で少し着想できたよ。ありがとう

要するに、歴史修正主義者を叩くことが自分が量産型ではないというアイデンティティの確認に

つながってるから、あんだけ流行ってんのかなって気はしますね。

2008-05-07

エントリフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係

 最近ちょこちょこ見かける「専門家の著書を読み込まないバカは発言するな」という罵倒に呼び起こされた俺の妄想だ。だからもちろんソースは出せない。問い合わせられてもなにも答えられない。

 故小渕氏が半紙を持って記者会見に臨んだ時期の前後数年間、俺はとある非営利法人に勤務していた。まだNPO法人制度が整備される以前のことで、それ自体は自治体の認可と出資を受けた社団法人だ。行政からは初期出資以外の補助金も主に人件費名目でかなり支出されており、俺も名目は非常勤の自治体職員としてその法人に出向していることになっていた(はずだ)。当時は今ほど公務員叩きも行われず、時間外手当こそ出ないものの、業績も成果も無関係にそれなりの月給が社会保障込みで保証され、しかも仕事内容は「バイトでもできる」レベル、有り体に行っておいしい仕事ではあった。(当該自治体今日破綻の危機にあるのが、俺のせいかどうかは知らね。)

 しかしこ社団法人、実態はとある市民団体の外郭団体というか数あるダミーのひとつというか、むしろその市民団体の下僕ってのがもっともふさわしい表現だろう。そんなところへ俺みたいな性格と趣味性向の持ち主がなんで雇われることになったのかについては割愛する。というか迂闊なことを書くと正体を特定されそうだ。

 正体を特定されると何がまずいかって、なにしろその市民団体がこれまでやってきた行いが尋常じゃない。なにしろ彼らの意に染まぬ発言をし謝罪と妥協を拒否したとある御仁にいたっては、自宅の周囲を街宣車で数週間にわたって取り囲まれ大音量で彼らの主張を繰り返され、ご子息は彼らの意を受けた教師らにより学校で吊し上げられたそうだ。家族や近隣住民を巻き込んでの実力行使をしでかす連中相手に立ち向かう根性は俺にはない。

 ちなみに彼らはその行為を現在に至っても反省していない。法廷で有罪を喰らったこと自体は反省してるようだが、「もっと上手くやれば良かった」という戦術級の反省でしかない。そういや部下の発言を根に持っていびり自殺に追い込んだ上司も、一人や二人じゃ済まなかったっけ。

 あと、一番多かったのは、こじつけ組織責任を問うパターンだな。中でも印象に残ってるのは、駅のトイレ落書きを根拠に鉄道会社人権に関する姿勢を糾弾した事件。(そろそろ何という団体か分かってきた人もいると思うが、もちろんこれは俺の妄想だ。)不特定多数の乗客が利用するトイレ落書き鉄道会社責任に帰して、社内研修予算を確保させやがった。もちろん形式的にはそれが直接市民団体に流れるわけじゃないんだが、そこで生きてくるのが俺が勤めてた法人。研修会の主催使用テキストの発行元も派遣する講師の所属もその法人で、研修予算のほとんどが法人に入ってくる。そして法人は毎年上納金を市民団体に納めるってからくりだ。

 それなりの大手の企業/団体の社員/職員研修となると年間数百万なんですぐだし、そういう成果が数百は存在する。もちろん窓口となるダミー団体も複数あって、結局年間数十??数百億が無税で(おっと、テキスト代の消費税は払ってたっけ。)市民団体に流れ込む。

 手口は微妙に異なっても、右翼団体や総会屋のやってることと本質的に大きな違いはない。俺たちノンポリの下っ端は、「えせ○○じゃなく本○○だな、俺たち」とか自嘲してたもんだ。もちろん以下に述べるような構成人員の資質や組織のあり方も、右も左も保守革新反動進歩も、そんなに大きくは変わりはせんだろうと思う。ベクトルの方向は違ってても、その先でやってることは五十歩百歩なんじゃねえの、とは思う。

 さてまぁ脱線した。その市民団体の主たる主張はある種の人権擁護なんだが、他の様々な正義平和と人道を標榜する団体と友好関係にあり、互いにしばしば主催する集会等への動員要請が行われていた。で、そういう要請は基本的には下っ端にしわ寄せが来るようになっている。8月6日ヒロシマを筆頭に、ずいぶんといろんなところの員数合わせに駆り出されたものだ。(従軍慰安婦とか南京事件とか○○の人権を求める市民集会とか××を糾弾する市民の会とか、アベレージで年に5??6件は出席した。もちろん俺の所属する法人orその上部団体が直接主催するもの以外でだ。)業務の一環として出張扱いになった上で交通費も現地行動費も出してくれるんだから、断る理由も特にない。

 もちろんこれをもって「沖縄の11万人」がどうこうとか言い出す気はない。俺という異分子が1人紛れ込んだ集会がかつて存在した、というだけのことでしかない。がまぁ必ずしも俺一人が際だって異質だったってわけでもなかった。ある時は集会で眠気をこらえある時はデモ熱射病に用心してるうちに、似たタイプの人と親しくなったりするんだ。熱意なんぞ欠片もないがしがらみと人間関係とその他もろもろに絡め取られて動員されてる人たちと、同病相憐れみ、互いに愚痴りながら、所属団体に関して話し合ったりもする。

 で、結局愚痴の行き着くところはいつも似たようなもんで、「人だねぇ」。どこでも運動のトップとか指導者は似たタイプだし、運動に理論的正当性を与えてる学者研究者ってのもまたどのジャンルでも似たり寄ったり、もちろん下っ端で熱狂してるのも、はたまた利害づくで参加してる人たちも、これまた似たようなもんだ。利害づくってのは一番分かりやすい。運動から甘い汁(主に行政からの個人給付……おっと。)を吸えるなら参加するし、吸えなくなれば離れる。別に一般の勤め人とメンタリティが異なるわけじゃない。俺たち「最初は純粋だが今は冷めちゃった」連中より多少は熱意のあるふりが上手いだけだ。

 真面目な下っ端ってのはほとんどが主観的に純粋正義への熱意に基づいてるだけで、なんということはない。言ってしまえばカルト信者と異なるところはない。頭を叩きつぶすか、個別に一本釣りして脱洗脳を施すか、運良く何かの偶然組織から離れるか、だ。ちなみに俺は三つ目の「運良く偶然組織を離れ得た」口だが、これまた詳細は秘密

 トップにも二パターンあって、ひとつは純粋な下っ端がそのままのし上がった口。もっともこういうのは大概、「敬して遠ざけられる口」ではある。なにしろ清濁併せ呑むことができないから。で、もちろんそういうのは少数派。残りはもちろん下衆野郎893の頭目やら汚職議員ゾロゾロ。(特に西日本……)

 俺の勤め先だと、理事長前者タイプかな。お飾りでお神輿なとっちゃん坊やにして便利な宣伝灯。一番勢力の大きい部門の部長後者、分かりやすい俗物。昼間は数千人を前に人権尊重を講演し夜はセクハラ大王セクハラパワハラの合わせ技を連発しつつ部下の若い女性を片っ端から喰いまくるエロ親父。で、一番タチが悪いのが事務局長かな。表では大学講師の肩書きを背に正義平和と人道を説きつつ、事務所に戻れば部下を交換可能使い捨て消耗パーツとしていびりぬくことに楽しみを見いだしてるとしか思えん。いやいや、こいつの直属でなかった俺は幸せでしたよ。5年間で3人が潰された。

 さて、また話がそれた。ようやく本題に近づいてきたな。残る学者研究者だが、もちろん運動に正当性やお墨付きを与えてくれる先生方だけが、こういう連中と独立に存在してるわけもない。

 俺は上記のような講演・研修テキストとしての必要もあって、年間二桁単位ISBNナンバー付きの本を作ってきた。もっともほとんどが予算化している企業/団体への割り当てと組織内部の学習用で捌けてしまうんで、一般の書店にはそれほど出回っちゃいなかったが。俺の主たる任務もその一部の校閲編集だった。

 で、そういう出版物の著者が、市民団体と仲の良い学者研究者先生方だ。もちろん彼/彼女らの動機は俺は知らん。崇高な真理への欲求に基づく純粋なものかもしれんし、市民団体に利をもたらしそのおこぼれをもらうためかもしれん。書いて出版される内容は学術的に妥当なのかもしれんしデマゴーグなのかもしれん。読んだらためになるのかもしれんし洗脳されるのかもしれん。

 ただしその校閲編集をわずかなりとも担当した個人の感想として、「こんなもん出版して金取っていいのかよ」といいたくなる代物がそれなりの割合で含まれてたことは確かだ。上記のような市民団体幹部との対談をテープ起こしして「てにおは」を整えただけとか、(整えたのも俺だ。)出典とか引用元とかの調査を全部編集担当の俺に丸投げされて、インターネットの普及してないあの当時に泣きながら縮刷版とか復刻資料集(もちろん、本物の原典にあたるスキル担当者たる俺にはない。そのことは学者先生も承知の上だ。)をひっくり返しまくり、どうしても見つからないものは必死で出典に対するツッコミが入らないように原稿を書き換えたとか。もちろん「こんなんやっちゃっていいんですか」と上司にお伺いをたて、OKをもらった上で印刷所に渡し、ゲラ学者先生のチェックも受けましたがね。

 要は俺の脳内妄想レベル+αの代物が、ISBNナンバーがついて書店でもわずかながら売られて運動内部では「正典」扱いされる「歴史書」になっちまった。しかも対立団体からですら、その団体との分裂の前後以前の記述については特に誤りとまではされてないし、発行側と対立団体側の双方ともに大枠を認めてる代物を批判する学者さんも、少なくとも俺の目には入ったことはなかった。つまり外形的には「専門家間でもほぼコンセンサスのとれてる通説」になっちゃったんだ。

 うっかりそんなものを世に出す手助けをしちまったショックが強すぎてな、今更「正義平和と人道に関する歴史の通説」なんてもんを読む気にゃならんのだわ。いまだに書評やらその団体の内部評価を見ると、俺のでっち上げた代物が参考資料扱いされててな、正直、おぞましくてかなわんのだよ。とまあ、これが「俺はいかにして『まず学者先生の御本を読め』という言説にアレルギーを抱くようになったか」という妄想なわけだ。

2008-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20080308023738

あーなるほど、確かに分裂勘違い君はマミー石田的。

勘違い君のほうは更に洗練されているという感じがあるね。マトリックスオフを仕掛けた広告代理店的な頭の良さは確かにある。

南京事件に手を出して底の浅さが露呈したのが残念だけど

ああ、その辺も本物の官僚ツッコミ入れられて浅い底が見えちゃったマミー石田的だよなあw

http://anond.hatelabo.jp/20080307184043

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