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はてなキーワード: ごろごろとは

2007-04-04

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http://anond.hatelabo.jp/20070529105309#

2ちゃんねる松岡農相自殺2日前に事件を予見していた書き込みが

http://anond.hatelabo.jp/20070702220146#

■やっぱりさ、温情なんかやめて

悪は徹底的に叩くべきだ。中途半端な叩きかたするから癌細胞みたいに悪は増殖するんじゃん。遠慮もなにもしないで断固粉砕でいいじゃん。

「善も悪もそんなのは主観なんだからそんなのはない」っていう人は自らが悪に荷担している事を知れ。こういう偽善者こそ大嫌いだ。分かったフりなんてするんじゃねーよ。

悪も善もないというなら国会責任追及なんて必要ないし、警察裁判もいらないよね。

http://anond.hatelabo.jp/20070719111334#

転売がイケナイのって

今回のアニヤのバッグの場合、全然欲しくない人が転売の為にアニヤのバッグを買い占めて、他の欲しい人が買えなくなる事例が出ているのだけど。

その欲しくない人が転売の為に買って、高く売りつける行為は経済的な付加価値を生み出さないからイケナイんじゃないの?

けーざいがく的に転売がイケナイのってそういうことじゃないの?

http://anond.hatelabo.jp/20070731115229#

更生の見込みがあれば更生プログラムスタート

更生できなかったら無期懲役

更生の見込みがなければ無期懲役

そこらへんの見極めは検察官やら裁判官やらの判断すること。

本当に更生できるかは刑務所の中の人の頑張り次第。

人のやることに完璧はない、という問題であって、

金がもったいないから死刑にする、という問題とはまた別。

http://anond.hatelabo.jp/20070724093345#

http://anond.hatelabo.jp/20070723224418#

技術革新ユーザーに驚きをもたらさなくなった、ある一定以上の複雑さはユーザー限界を超えた、ある一定以上の高画質はモニターと動体視力の限界を超えた。

この頃のユーザーは0から共に育ったユーザーとは打って変わってもう大分進んだ先からゲームに触れた世代だというのもある、もともと高画質の世界を見てきた世代だ、いまさらMOVEの華麗さに声を上げることは無い。

360PS3HD対応のTVモニタに繋いでプレイしてみろ。

その後同じTVモニタPS2繋いでやってみろ。

戻れないだろ…。

http://anond.hatelabo.jp/20070811131813#

■癌を消す機械が既に存在するのに

表に出てきていない。

実際に、この機械を使って初期癌を消した人もおり

末期癌患者はこの機械を使っているときに痛みが取れる、と話していた。

機械の原理は雷の電気を応用したというプラズマ機。

機械を当てて、体内の活性酸素を燃やす装置。

九州内にある、某病院でも医師の指示の元に使われていた代物。

何故その機械を知っているのかというと、私もその機械を実際に使ったことも、治療に当たったことのある人間の一人だからだ。

特許も取れているし、量産して全国配備すればどれだけの人が救えるのだろうか。

7並べのカードのように、出さずに手元に持っている人たちが居るという事態が、私は許せない。

自己利益を求めるのではなく、多くの人が救われるようになってもらいたいと心から望む。

http://anond.hatelabo.jp/20070814113827#

■「どんだけー」を使う人間はIQ80以下、SS40以下と言う定説

http://anond.hatelabo.jp/20070814102023#

ひたすら勉強だ。

学生時代もそうだが、大人も勉強しなくてものらりくらり適当生きることは出来る。お前みたいに。だけど少しでもよりよい生活を、よりよい仕事をしようと思ったら、ひたすら勉強学生時代と違って、受動的な勉強じゃなく能動的な勉強をしなければいけないから、出来ない奴は落ちこぼれる。

http://anond.hatelabo.jp/20070820171302#

http://anond.hatelabo.jp/20070820161916#

サラリーマン」って、給与所得者が自分の処遇を愚痴ときに使われる決り文句のような気がする。

夕刊フジや夕刊ゲンダイの記事に、いかにもありそうなんだけど、

とか。

http://anond.hatelabo.jp/20070822082933#

アルコール抜き

昨日はアルコールなし

一昨日は氷結350ml

だんだん普通の生活?にもっていけるのかな

http://anond.hatelabo.jp/20070822003934#

http://anond.hatelabo.jp/20070821215228#

ホイールがカチカチ止まらずにヌルヌル動くから、ミドルクリックで新しいタブにページを表示しようとすると

目標リンクの一個下のを開いてしまうじゃないか!!

http://anond.hatelabo.jp/20070823005253#

■職種と生産性

今日の朝、乗り継ぎ電車を待ち合わせている間に考えたこと。

職種と生産性に関する素朴な考え。

最初に自分の考えを言うと、現在社会では、作業量に応じて線型に利益が上がる職種、作業量に応じてステップ関数的に利益が上がる職種、作業量に応じて指数関数的に利益が上がる職種の3種類があると思う。

作業量に応じて線型に利益が上がる職種としては、美容師料理人介護士、小売店員、工員、医師等がある。

これらは、人間の命に関わる職種(医師)意外は、人材が買い叩かれる傾向がある。平均レベルの従事者では他の人と取替え可能であり、それゆえ低い給料に甘んじることになる。しかし、取替え不可能な非常に高度な人材、つまり高級料理料理人、有名建築家、有名華道家などは概して高給である。

作業量に応じてステップ関数的に利益が上がる職種としては、メーカー技術職、システムエンジニア、営業職等がある。これらの職種の多くは、大卒を最低保証とする程度の一定の知的技能を必要とするが、特定の組織の中での部分的な利益を出し合うにすぎず、利益の幅は限定的である。

最後に、作業量に応じて指数関数的に利益が上がる職種として、金融、マーケティング広告商社コンサル経営者等がある。これらの職種は個人の決定が他業界にも波及し、結果的に指数関数的な影響を与えうる。たとえば、金融はグローバル化が進み、非常に流動的である。トレーディングを最適化すれば(実際には不可能だが)、作業にかかった時間の何乗ものレートで利益が生まれることになる。また、商社日本を中心とした二国間での物の流れ決定する。その決定はさらに、最終製品から原料にいたるまでの複数の国間の物や金の流れにも影響し、それがさらに日本にも波及することになる。したがって、周辺ノード(国)への波及という点で指数関数的な利益を生み出す構図がある。

今後、経済はよりグローバル化し、市場におけるひとつひとつの判断が大きな影響を及ぼすことになる。このような中で、定型仕事や、組織の中での限定的な影響しか持たない仕事ではなく、不確実性に対処し指数関数的な利益を生み出す代えのきかない人材が求められることになると思う。

http://anond.hatelabo.jp/20070823233243#

■何でも楽しいという友人

受験勉強楽しいという友人がいた。

数学現代文パズルだし、物理化学生物地学なんてさ、物体や宇宙や、物体の動きとか、そんな宇宙根本的なところの話で普通に知ることが楽しいし、倫理なんかも人間根本的なことだから楽しいし役立つし、しかも過去の超天才、超有名人たちのエッセンスだけピックアップして体系化して知れるんだから倫理なんてマジで超お得じゃん!現代社会とか政経なんて普通新聞読む時とか実生活に即役立つし、歴史なんて、俺らと同じ人間の今までのビッグニュースを集めたもんだし、しかもなんせ歴史はマジで起こった事なんだぜ、楽しいよ。理科も、架空の事じゃなくてマジで今のここにある物体の仕組みの事で、リアルありまくり。全部即役に立つじゃん。楽しいじゃん。古文も、日本に文字とか文章とかの文化が生まれてから今までの超有名作がピックアップされててマジ便利。楽しい漢文もそうだよ。だから勉強って超楽しいよ。ついつい夜までやっちゃうんだ。やめようと思ってもなかなか「あとちょっと」とかいってやめらんなくてさー」

大体奴はそんなようなことを言っていて、周りの皆は「理解できねえ」と苦笑いしていた。俺も含めてだ。

そして奴は、東大へ行った。

知ることが楽しいのだという。

他人の、自分の知らない趣味の話なんかされても、たいていの人は「へー」「ふーん」で流すばかり、気付けば一人で盛り上がってて周りは苦笑、てなのが常だが、奴はどんなことでも目を輝かせて聞く。

たくさん聞きまくるから、話してるほうは愉快で、もっと話す。奴はもっと聞く。困った事がただ一つだけある。奴がその後、その分野について、初めに話した奴より詳しくなってしまうことだ。そうなると相手はちょっと、面白くないようだ。

「どんな事でも楽しいよ。そりゃ最初から全部楽しいわけじゃないけど、どんな事でも、世界に一人はそれを楽しいと感じてる人がいるわけじゃん。どんなマイナースポーツでも、どんなマイナー趣味でもさ。それだったら俺も楽しめるなって思うんだよ。楽しんでるその人がどういうところで楽しんでるのかって思いながら楽しいんだって軽く思いこみながらやってるとそのうちマジで楽しくなってくるし、楽しさがわかってくる。どういう所を楽しいと感じているのかってのが。基礎知識をある程度詰め込めば、それなりになんでも楽しくなるよ」

「でもその基礎知識を詰め込む時点では面白くないわけだろ?」

「まぁ、その時点ではその事に対して面白くて仕方がないってわけじゃないよ。でも、未知のものを知っていくっていうのは、楽しいことだよ。例えばサッカーを全然知らなくて、サッカーについて知ろうとしてるとき、そのときサッカー自体について楽しくて仕方がないってわけじゃないけど、全然知らなかった未知のものについて、おおまかでも概要を掴むっていう動作が楽しいんだよ」

「それ楽しいか?」

楽しいよ。概要を掴むとか、体系化するとか、そういうことが俺大好きなんだよ。段々世界を把握できていく気がして、すっきりする。怖いのは、そういう事をしていって、ついに知ることがなくなったらどうしようって事だけど、でも今の時代そんな怖さは全くないから。無限にある。いつまでもある」

「そういうもんかなあ」

「うん。そんで、大体概要が分かると、細かい事も知りたくなってくるんだよ。あと、日常でも、今まで見えなかったことが見えてくる。これは比喩じゃなくて、さっきのサッカーのことでいえば、今まではネットサッカー関連のニュースがあっても、たとえ目がそこに向いても実質見えていない状態だったりするわけなんだけど、それが、目に付くようになる。「あれ?サッカーの事ってこんなにやってたっけ?」って気付き始める。そうすると、また知るだろ。そんで、知ると、また知りたくなる」

言うまでも無く奴は非常に博識である。

だが奴自身はそんな風には思っていないようだ。

小学校の時、嫌な場所の掃除当番になったときも、奴は面白がっていた。

「どうとでも楽しみ方はあるよ」

「どこがだよ。つまんねーよこんなん」

「めっちゃがんばって綺麗にすれば、楽しいじゃん。今まで汚かったのに、俺らがめっちゃ綺麗にできたら、楽しいし、すごいじゃん。先生も褒めてくれるし、優等生気分じゃん」

「うーん」

「それか、時間でもいい。めっちゃ綺麗にしなくても、いかに早く、大体を終わらせるかってのを目標にしてもいい。早くする方法を考えるの、楽しいだろ?それに、早く終わると、楽しい

「まあそれはそうだけど」

「一番楽しくないのは、楽しくないって思って、ダラダラやることだよ。それは全然面白くなんない。つまんないとか嫌なことは、つまんないとか嫌だって思って嫌そうにやると嫌なままだけど、開き直って、おっしゃ、やってやるって目標立ててやると、結構面白いよ」

俺らはかつてないほどその場所を掃除した。ただし時間内には必ず終わるように。だからすっげー必死になってやんないと終わらないから、チャイムがなったら急いでその場所にいって、嫌だとか考える暇もなく、ただおりゃーって頑張ってやってた。手が汚れるから嫌だとか前は考えてたけど、やるって決めてからはんなこと考える暇もなくてただやりまくってた。そして気付いた。手が汚れたら洗えばいいんだと。めっちゃ綺麗になって、俺らは先生から帰りの会で褒められた。

http://anond.hatelabo.jp/20070824125319#

http://anond.hatelabo.jp/20070823233243#

知的好奇心つながりで一つ自分の話を。

自分は東京の街並を眺めるのが好きです。

特に新宿高層ビル群とか、東京タワーとかレインボーブリッジとかの巨大な建造物が。

例えば、高層ビル群とその周りにある道路を眺める。

ちょっと近づいて地上数十メートルの巨大な建造物、

さらに近づいてビルを構成するコンクリートや鉄筋やガラス

エレベーターといった大型の機械

その機械を構成するモーターやらの部品

その部品に使われる小さなネジ・・・

と、だんだん小さな部分に注意を向けていきます。

で、はたと気がつく。

今、自分の視界に入っている、凄く巨大なものから凄く小さなものまで、すべてどこかの誰かが作ったものなんですよ!

普通に考えると当たり前の事なんだけど、よくよく考えるとこれってもの凄い事だと思いません?

こういう視点で街やいろんなものを見てると、素直に「人間て凄いなぁ??」と感動してしまいます。

こんな風に街を見てる人って少ないのかなぁ。

http://anond.hatelabo.jp/20070829100649#

■格差と想像

こういうことを書くと「偉そうに」と怒られるのかもしれないけど、ある意味TB先と同じ話だと思うので書いてみる。

 http://anond.hatelabo.jp/20070826235204#

私は親には相当程度恵まれていたクチで、別に裕福ではなかったけれども教育費に事欠くようなことはなかったし、親の勧めで進学校に進み、世間的には一流と呼ばれる大学に進んだ。自分自身その当時の境遇には満足していたし、親も喜んでくれたし、ささやかな優越感を楽しむことも出来た。

大学は楽しかったが、私は特に大学の成績には興味が無かった。先輩の話を聞いていても、大学の成績が良かったからといって、それこそ総代にでもならない限りは大したメリットは無さそうだったし、なにより自分が興味をもてない科目をちゃんと勉強するほどの忍耐力は子供の頃から全く無い。自分の好きな科目だけはすべて優でそろえてそれで満足していた。

卒業して就職し、何年か経つと、周囲の友人たちの一部が留学を始めた。それまで自分が海外で暮らすとか、海外勉強するなどということは想像の遥か外側にあったので、そういうことが可能なのかということ自体に結構驚いた。その当時はそれ以上考えが進むことは無かったのだが、仕事をしていくとその分野で日本が決定的に立ち遅れていることが見えてくる。これはちゃんと勉強しておかないと10年後に必ず行き詰るなと思ってアメリカ留学の準備を始めたのだが、ここで壁にぶち当たった。

アメリカ大学院はどこも学部時代の(場合によっては高校も含めて)成績を重視する。GPAで3.3(優と良が半々で少し良が多いくらい)は足切ラインであって、それ以下だと申込書を送ることすら出来ない場合もある。もちろん、実際に一流校で合格を決めるにはそれよりも遥かに高い、例えば3.9(ほとんど全部優)とかが求められる。GPAなんてものは存在も知らなかった私の成績は3.3を割り込んでいた。

もうひとつ重要なのが推薦状。アメリカ大学博士号を取り、出来れば本人も世界的な業績をあげている人に推薦状を書いてもらうことが望ましい。残念ながらそんな人はほとんどうちの大学にはいなかった。というか、そういう先生ごろごろしているのは東大他数えるほどしかない。しかも推薦状は3通必要。私は推薦状のネームバリューを考えるどころか、3人の推薦人を揃えるだけでも精一杯だった。

それでもなんとかアプリケーションを書き上げ、会社に隠れてTOEFL勉強をし(この時期の平均睡眠時間はちょっとやばいことになっていた)、会社に迷惑はかけられないので合否の結果が出る前に辞める宣言をして代わりの人材を自力で調達し、やることはやって合否の結果を待った。結果はほぼ全滅に近かった。中堅大にぎりぎり引っかかっていたのは運が良かったとしか言いようが無いが、その当時はその幸運に感謝する気にはなれなかった。

その後アメリカに行ってから、自分がアプリケーションを出した大学のうち結構な数が「世間的には難易度がそこまで高くないと思われているが、募集人数が少なかったりして実は非常に入りにくい大学」であったことを知った。比較的まともな大学日本人を積極的に受け入れるところがあったこともその後知った。東大からハーバードみたいなところに進む連中は、学部生のうちから留学準備をしている先輩を毎年見ているわけで、この辺りの情報常識であったらしい。まぁ、ハーバードMITだのに進む学生はそもそも私などとは比べ物にならないほど優秀だったので、特に腹も立たなかったのだが。それでも、うちの大学でもGPA3.8位あれば学部によっては超一流大を狙えた事を知ったときは少し堪えた。

中堅大のハンディキャップ就職活動に現れる。ハーバードMITスタンフォードイェール、そしてプリンストン(分野によってトップ5の大学は変わってくるが)。これらの大学にやってくる求人広告とうちの大学に来るそれとはかなり明確に差が出てくる。イェールの友人にそれを愚痴ったら、「ハーバードMITは特別扱いなんだ」と愚痴られた。

もし日本大学に入った直後にこの辺りの事情を知っていたら、そして自分にもそういった「とんでもなくエリートっぽい」キャリアパスがあり得るのだと想像できていたら、自分の人生はもう少し楽になっていたと思う。情報なら幾らでもあった。世の中には留学ガイドがあふれていたし、掲示板にだって色々なことが書いてあった(その頃はまだインターネットは無かったわけだが)。本屋でちょっと手に取っていれば必要な情報の半分くらいは入手できただろう。でもそうしなかった。そんなこと想像も出来なかったのだからしょうがない。親も友人も、海外にまで出て行く人間などいなかった。就職先で留学する人間に出会わなければ、今でも想像できないだろう。

結局、人間社会に縛られる。それはしょうがない。誰かが悪意を持って情報を隠しているわけでもない。多分こちらから聞きに行けば喜んで教えてくれただろう。でも私はそうしなかった。想像力が足りなかった。想像力が足りない自分が「悪い」わけじゃない。ただ運が悪かっただけだ。それでも、そういう運の良し悪しも含めて自分の人生なわけで、それを嘆いても始まらない。架空の「すべてをコントロールするエリート」をでっち上げて彼らのせいにしたって虚しいだけだ。

結局私は海外就職して必死に働いている。多分また無意識のうちに別の「社会」に縛られているのだと思う。もう少し世の中が見える人からは遠回りしているように見えるのかもしれない。でも自分に出来るのは手持ちの知識と能力と時間のなかでベストな選択をすることだけ。今の自分に満足できないからって「格差社会が悪い」と大上段の議論をするより、自分の手持ちの駒の使い方を考えたほうがいい。

http://anond.hatelabo.jp/20070904222327#

http://anond.hatelabo.jp/20070904214759#

増田とか2chとかうろうろしてるとやたらにクズな奴の話とかが出てきて、ついこの世はクズばかりかと錯覚してしまうのだが、これと同じで、単に「普通の人」とか「いい人」の話はあんまり皆書き込まないだけなんだよな。「え?なんでこの人たちこんなに類稀なクズばかりが周りにいんの?有り得ないだろ。ネタ?」(実際ネタもあるんだろーが)とか思っちゃうんだけど、そういう類稀なクズに出会ったからこそ書いてるわけで。リアルにいるときはそんな事忘れてるんだけど、ネット上ではついそうやって勘違いしてしまう。こんなクズたちに会ったことのない自分はめっちゃ幸せもんなのか?とか思ったりするけどそうじゃないんだよな。

http://anond.hatelabo.jp/20070904225227#

■そうね

クズに会う確率は誰でもそんなに変わらなくて、

書き込もうと思うかどうかのほうが人による気がする。

俺もうちの社長のこと何回書き込もうと思ったことか。

http://anond.hatelabo.jp/20070905094121#

http://anond.hatelabo.jp/20070905015711#

自分、5桁代前半(1xxxx)だけど、その頃の事を言いたかった。当時は知らない人の所見て回って、ついた足跡から仲良しになるなんて日常茶飯事だった。

そんな雰囲気の事を言いたかったんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20070906151611#

■1000から2000字ていどの文章書いてと言われたら

俺がいつも念頭に置いている基本形(だが変形することの方が多い)

http://anond.hatelabo.jp/20070906150600#

  1. 思いつくネタを箇条書きにする→マインドマップでもよい
  2. オーソドックスな三段構成(はじめ・なか・おわり)で配列してみる→おそよの筋を見つける
  3. 筋に必要な話題を追加し、入れると構成が取りにくい話題を削除
  4. 箇条書きのネタを膨らませていく→実際の文章を書く
  5. 構成の再整理

追記:

もっと長い文章を書く場合、小見出しをつける癖をつけると良い。構成のとき、最初からおおざっぱな小見出しを書いていくというのも変形の一つ。話題のグルーピングがしやすい。

http://anond.hatelabo.jp/20070906153931#

■Re: 1000から2000字ていどの文章書いてと言われたら

http://anond.hatelabo.jp/20070906151611#

私が苦手なのは接続詞。「しかし」「したがって」「そして」「さらに」などなど。

これらがワンパターンになりがちで困る。気が付くと、重ねて使ってることが多々。そして、どうつなげるのか悩む。

なので、最近は、まず接続詞はなしで書く。どんどん切る。その後、つなげていく。すると、そもそも書くべき順番を間違えていることに気が付く。

でも、やっぱり苦手。

2007-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20070328125904

 なんだっけかなー、ハルキ文庫版の『神狩り』あとがきだったと思うけど、山田正紀がちょうどあなたと同じくらいの年頃のことを回想してた。デビューしたもののそれだけで食うことはできず、アルバイトをしながら次回作を書きためてたっていう話で、彼は繁華街サンドイッチマンバイトをしながら、作品の構想を練ってたんだそうだ。朝から夜までずーっと立ちっぱなしで、誰ともしゃべらず、ただただ次作の構想を練り、帰宅したらすぐにそれを原稿用紙にぶつける。それがすごく楽しくて、毎日充実してた、って書いてたのが印象的だった。

 あと、奥泉光エッセイ集『虚構まみれ』にも、同じくらいの年頃の生活のことがいくつか書かれていた。基本的に貧乏で、まだ作家デビューもしてなかったんだけど、毎日家にこもって自分が思いつく限りの実験的手法を使った小説を書いていたっていう話。奥泉も、この頃の生活のことを、とても豊かで充実した日々で、「作家」になるためにはこういった「逼塞」の時期が必要なのだ、できれば若いうちに、と書いていたのが印象に残っている。

 僕は作家ではないので、あなたが今直面しているような、長期に渡るライターズ・ブロックの経験はない。でも文筆業者の端くれではあるので、「文章を書く」という行為が苦痛に思えてしかたなかったり、まったく興味を持てなくなったりすることの苦しさ、恐怖はわかる(なにしろそれで食っていかなければならないので、書けないということは容易に生活の破綻へと繋がるわけだし)。「創作」という要素が加わった場合、その苦痛はさらに大きなものとなるだろうことも、なんとなく想像はできる。あくまで想像でしかないけど。

 だからまあ、これは半分アドバイス(同じ文筆業者として)、半分無責任な言いっぱなし(作家ではない職業人間幻想)として聞いてもらいたい。あなたは今、貯金もそこそこあることなんだし、これから一年半くらいはなにもしなくても暮らしていけるはずだ。だからこれからの一年半くらいの時期を、二十代最後の、たぶん今後二度と訪れないであろう「逼塞」の時期として過ごしてみるというのはどうだろう。これは若い頃じゃなきゃできないし、作家以外の職業人間にはなかなかできないことだ。孤独かもしれないし、何もしない日々が続くだけかもしれないけれど、それはとても豊かな営みじゃあないだろうか。高等遊民としてこれからの一年半を過ごすのだ。

 確かに400万という金は、他の人が書いていたように、一生を託す金額としては「鼻クソ」かもしれない。だけど、独り身で一年ちょっと暮らすには十分だ。恐れることはない。余裕をもって、何もしない日々を優雅に過ごせばいいじゃないか。僕は作家ではないので、具体的に何をすれば「創作」の意欲が沸いてくるのかについては何も答えられない。しかし、「今日も何も書けなかった」と何かに追われるような日々を悶々と過ごすよりは、これから先、一年ちょっとの余裕があるのだと考えて日々を生きるほうが、まだ何かが沸いてくる可能性があるんじゃないか、とは思うよ。金が尽きたときのことはまったく考える必要はないよ。金が尽きたら働くか、あるいは野垂れ死にすればいいだけなのだから、悩むほどのことは何一つない。二択だ。シンプルだ。自由だ。

 あとはやっぱり、他の人も書いてたけど、体を動かすと楽しいよ。特に働く必要がないなら、一人でできるスポーツをするといいと思う。体を鍛える系じゃなく、なるべく遊戯的なものをね。バッティングセンターとか、ゴルフの打ちっ放しとか。あと水泳楽しい自転車なんかもお勧め

 いやほんと、体を動かしてると、机の前に座っているときとはまったく違う言葉が見えてくる。あるいは言葉がぜんぜん考えられなくなることもあるけど、そういうときは疲れて休憩してるときに反動でぶわーっと言葉が沸いてくるんだなこれが。面白い。世の中には我々が想像だにしない面白いことや楽しいことがごく身近に、簡単にアクセスできるところにごろごろ転がっているんだけど、そういうのは時間に余裕があるときじゃないとぜんぜん気づけない。だから今あなたのように時間に余裕がある人がほんとうに羨ましい。

 なんだかとっちらかった文章になっちゃったけど、これから、いつか、あなたが書く新作が、多くの読者に喜ばれ、受け入れられることをお祈りしています。

2007-03-12

格差の話で思い出した人の話の周辺についカッとなった

格差の話で思い出したんだけど

以下から始まる当記事ですが、どうやら注目されているようだ(?)。せっかくなので、話の流れが読みやすいように言及記事を要約しておく。元の記事の作成者さま、著作権などで問題があったら何かしらの方法でお伝えいただきたい。

格差や下流というものの実感がない。年収200万以下と聞いて理由がわからない。

普通の家に生まれ、公立の小中学校に通い、高校受験は公立に落ちて私立の男子校に行き、大学受験も落ち、浪人した。ゲーセンばかり行き、週に授業を4時間(コマ)しか受けない生活をしていたら、センター試験で酷い点を取り、それから1日に18時間ぐらい勉強してMARCH(明治 青山 立教 中央 法政)の下位に合格

インターネット流行り、毎日チャットネットゲームをして夜型の生活をし、毎日バイトして、パチンコしていた挙句留年。3年の年明けぐらいに就職を意識して危機感を感じ、就職対策の勉強を必死でやり、大学主催就職セミナーや体験面接に全部出て研究し、早期に面接を実施する企業を練習台にするような就活結果、社員6000人くらいの大きな会社就職

4月から4年目で、今年収が500万ぐらい。

流されて生活してて失敗ばかりしていて、頑張ったのは浪人ラストスパート就職活動のみで、それでこれだけ貰ってるから、自分より収入が低い人がいる理由が理解できない。周りの友達もそんな感じ(要約注:友人たちの年収は、500万円なのか、それより低いのか、どちらなのか読み取れなかった。「そんな」ということは校舎かもしれないが、細かい文法にこだわって書かれた記事でもなさそうだから)。

毎日早くから仕事して家には寝に帰ってるだけくらいの生活で年収200万と聞くと理由がわからない。本当なのか疑ってしまう。

もしかしたらこういう俺みたいな人間が格差を生み出してるのかもしれないなぁ、とちょっと思った。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//anond.hatelabo.jp/20070312004915

まぁ、そういう意味での既得権者ってのは多いんだろう。っつーか、はてな界隈で文章ものして目だってる人の多くにもそういう既得権者のにおいがする人は多い気がするのは、偏見

既得権ってなんだよ?実際にリアルタイム生産行為を「実際に行いながら」生きてるんだよ、「いま社会貢献」してるんだよ。そんな奴と「これから何かやるかどうかわからない奴」に同じ評価がなされるとでも思ってんのか?

MARCHに引っかかってる時点で”上位”に属していることに気づいていないあたり、もちょと想像力働かせようよ

この人は「生まれつき天才でほっといたら勝手大学に受かった」わけじゃないんでしょ?朝青龍じゃないが、「勉強して頭をよくしたら悪いのか?」って感じ。

運と努力タイミングと。。。 この人大学行かなかったらどうなってたんだろ。下つってもMARCHは需要があるし

たらればはマジでどうでもいい。この人は理屈の上で生きてるんじゃないんだ、「実際に勉強」して「実際に大学に入った」んだ。運とタイミングが良い奴は、運とタイミングが悪い奴に対して悪いことをしてるのか?あと蛇足かもしれないが(こういう蛇足は絶好の揚げ足取りポイントだぜ、みんながんばれ)、脳科学心理学で言えば、運やタイミングは、肯定的な思考回路や「実際に行動してみる」みたいなものにくっついてくるんだ。茂木ケンイチローの本にだまされてみればいい。

なんだかんだいっても、ここぞというときに頑張っている人は強いかも。

かも、じゃない。実際に行動してる=強い、なんだ。少なくとも“下流”ではない。“上流”に行くにはもう少し工夫がいるだろうけどな。

浪人留年を親が許してくれるって時点で十分恵まれてるよな。この文章にそれ以上の感情や感慨は何も抱けないけど。

これが一番腹たった。大学生だろ?で多分文系なんだよ。はっきり言って、授業出なくても単位がとれる。ちょっと工夫してバイト選びすれば年間100万円くらい楽に稼げるんだ。大学生にもなって親の許可がないと行動が取れないのは、それはまぁ育ち方だから本人の責任とも言いづらいが、所与の環境言い訳にしてる限り“下流”は抜け出せないだろうよ。これは俺の経験則だから論理的に納得させることはできないけどさ。

  • 13日昼に追記:誤解させてしまった、これは素直に謝る。申し訳ない。引用したこの↑コメントを書いた人のことを“下流”だと思って書いたわけではなく、このときは自分自身のことを“下流”だと思っている人たちにおける一般論のつもりで書いたのだと思う。また、文系大学生というのは言及した記事の書き手のことを指している。私のこの書き方では誤解させて当然だ、ネット上に文章を公開する前には丁寧な推敲をして、誤解させうる要素を可能な限り取り払うべきだった。インターネットでものを書くことにあまり慣れておらず、本当に失礼なことをした。誠に申し訳ない。私の人生でこれ以後同じようなことを二度と繰り返さぬよう努力することをここに誓う。

リアル植木等か。 ま、これはこれで仕方ないと思う。文章から下流を見下す臭いがない分健全かも。 俺は逆に上場企業就職しても薄給の友人が目の前にいるから実感したわけで。

下流を見下してない、これは本当に大切なことだと思う。俺はいまカナリ頭にきてるから文章が荒れてるかもしれないが、人を選ぶときに過去は問わないことを信条にしてる。現在、いま、話をしているその瞬間に「工夫」や「行動」をしているか、体が動いているか、顔の筋肉を使っているか。一時間後に自分の思いをカタチにするための最適な行動を自分の頭で考えて、「めんどくさい」とか「周りから見たら痛いだろうな」とかそういう意識をどうにか振り払って、「実践」をしているだろうか。そればかり考える。評論家ダメだとは言わない、行動を伴う評論家は強い。しかし名が知れている評論家を全て見渡しても、行動を伴わない評論家ほとんど居ないんだ。

…なんか生まれて最大の速度でタイピングしてるかもしれない。日本酒って凄いな。

この人は、自分の世渡りの技術デフォルトだと思っているのかもしれないが、この人の要領や世渡りは結構いいもんだと思う。

また所与か。「生まれつき」とか「育ってくる間に身に着けた」とかか。過去しか見ないのか。あなたに現在未来は無いのか。要領や世渡りを何かしらの方法でいまから身に着けようとは思わないのか。単純にめんどくさいだけなんじゃないの?そんなの言い訳にもならない。言い訳なんて聞かないけど。俺は、今からどうするかしか興味は無い。

こんなもんだろうと思う。私事だけど、学生時代にバイトしてなかったら「大学に行かない世界」は多分未だに理解できなかった。 こういう物がそこかしこにある事、それにより視点は幾らでも変わる事の認識は大事。

俺の受けた印象と近い。視点(価値観)が固定的なものでないと表明していて、その点は特に強く共感する。

よく読むとこの人ポイントを押さえて努力してるし結果もだしてんだよね。だから有能な人なんだと思う。さらに読むと中流以上の家庭なんだなってことが判る。これぞ格差社会

俺の中で「能力」の定義は「現在進行形で成果を出し続けていること」だ。過去タイミングよく努力して成果を出してきた人はこの意味での「能力」を「持っていることが多いという傾向にある」のは事実だと思う。しかし中流かどうかは知らない。嫌な奴だったが、大学の同級に生活保護家庭の奴が居たが、そいつはスロットで稼いで学費を捻出した上に家にカネまで入れていた。親の収入と子の「デキ」に、マクロデータ上で相関があるのは事実だが、それは個人個人を見るときに考慮すべき話ではない。個人の力は凄いんだ。凡人だってちょっと変なことを延々しつづけて生きていれば、それだけで歴史に名を残せるんだ。

ビジネス, 人生 ウサギとカメのカメの話。格差の下に沈んでるのは、驚くほど早熟のウサギなんですよ。

早熟?欠陥を持った自意識のことかな?「自分は考えすぎる」と思っている奴ほど、はっきりいって世間知らずで考えたらずだ。同じ方向性でしか思考ができないことは恥ずかしいことなんだが、小学校でヘンテコな定義の「平等」や「個性」といった言葉洗脳されてしまうと結構あぶない。しかし「いま」「実際に」「体を」「動かして」「実践」すれば人生は変わる。生きる方向は自分で考えればいいし、自分らしさとかそーいう言葉に不安を感じるんなら、どっかの偉人の伝記買ってきて、それをそのまんまパクって実践してみればいい。カーネギーの人を動かすでもいい、GTDでもいい、なんでもいいから、自分の外から「具体的な手順」を探してきてそのまんまパクって実践してみればいい。ダメだったら諦めて別のことをやってみればいい。何もしなけりゃ人生が変わる可能性は低い。宝くじに当たるようなこと期待して生きてるんだとしたら、それは「バカ」だって客観的に認識したほうがいい。できることなら主観的にも「これはバカげてるんだ」って感じたほうがいい。

その大企業を辞めて、中小企業就職しなおせばわかると思うけど。

こういうタイプの奴が中小企業就職したらどうなるかわかるかい?周りがしていない努力と工夫を実践することで、すぐアタマひとつ抜けた奴になるのさ。成果が出せていないのは「工夫」と「実践」が足りないだけだ。わかってないのはおまえだ、と言いたいけど別に俺は自分がそこまで言えるような立場にないな。

この感覚はわかる。そういう体感と、情報のギャップに違和感とか覚えず感覚だけ信じていられれば、自分が転落するまでは幸せ人生が送れると思ふ。

転落?なにか失敗したとしても、この人は挫折とは感じないだろう。問題を単純化して、作業をこなすようにそれらを解決していくだろう。体感は固定的なものでもないし、外部的な情報(たぶん社会とか、環境とかのことだろう)は、自分が働きかけていくことで変えていけるもんなんだ。これも経験則に過ぎないけどな。

格差社会 ポイントとして、(1)スタートで恵まれている、(2)それほど有能そうではない(アンテナ想像力)、(3)年収が少ない人にも問題があるのかもしれない、(4)能力的問題はないが家庭事情や運などがある ほか

3だよ。スタートや家庭や運なんて、関係ないとは言わないが、「いま行動を変えれば」近い将来が変わるだろう。

あー。この感覚わかる。この場合でだしの「普通の家」って時点で多分恵まれてるんだよな。

だんだん冷静になってきた。まぁ正直、「自分を変える」タイミングに恵まれているのは親が「有能」な場合が多いだろう。傾向があるにすぎないけどな。

満たされている人は、不幸に対して無知残酷なもの。

無知はオメーだ

その大企業をためしに辞めてみるのがオススメ

過去も実力のうちだろう。就職活動で使った労力によって今の立場があるんだ。そして、今の能力を手にしているんだ。うえで書いたとおり、辞めても彼はニートにはならないだろう。だって彼は、行動しちゃうんだもん。体が動いちゃうの。いままでの経験で培った能力までも含めて「既得権」って言うつもりか?「いま」「体を動かして」「実践」している彼の個性そのものを「既得」だって言うのなら、そりゃあもう、どーしようもないわね。

「機会の格差」ってやつはかくほどに不可視なのか

機会なんて自分からいくらでも得られるだろう。世の中の多くの上級企業は、全ての社会人に開かれたセミナー勉強会なんかを開いている。人脈だって作れる、スキルだって身につく、知識や知恵モチベーションだって得られる。ただし、自分が「実際に」「参加」すればの話。しないんじゃ、仕方ない。言い訳のしようがない。してみればいい。してみればいいじゃん。してみようよ、実践。チャンスはさぁ、タダでごろごろ転がってるじゃん。現実を確かな自分の目で見てみたらいい。

世の中にはびっくりするほど無能な人間が結構いる、ということを分かっていなければならんよ。そういう人間ネットで発言したりしないし、知識人はそこを見ようとしない。格差の問題ではなく無能者の福祉の問題だ。

完全に同意だ。教育で最低限のコミュニケーションの手順ハウツーさえも教えないのは日本の欠陥だろう。しかし国に頼らなくても最近社会企業家くんたちが居たりする。まことに頼もしいものだ。

きっと巧妙に隠されてる、もしくは自分が見ないようにしてる かもです。よく見てみたら、電車に乗っている人たちの中とか、町歩いてる人とかに、いるとおもいますよ。

どこにいるかわからないというのは、元のエントリーを書いた彼の見落としだろう。たとえば場外馬券売り場、パチンコ屋。ただ、家にこもってる奴が目に付かないのは当たり前のこと。

日本経営新卒採用絶対主義なので。新卒時の就活で成功すれば"終わりよければすべて良し"となり、逆に失敗すればそれまでうまくいっていてもすべてご破算

世間知らずだと思いますよ。自分の経験からくる知識が全てだと思わないほうがいい。

就職のときに逆転してるパターン。3年目で年収500は優良企業でしょ。公務員とかでもそうはいかない。/他はおいといても受験就職努力しているのは効率いいな。

受験就職で労力を払うというのは、普通人生から考えて妥当タイミングだろう。妥当タイミング妥当努力をすれば、妥当な生活を得られるのは当たり前のことじゃないか?私の恩師は「必要なときに必要なことをすれば、あなたに必要なものはたぶん得られるんじゃないですかねえ」なんて言っていた。

頑張ったらうまくいったからといって、頑張れば「誰でも」うまくいくとは限らない。椅子とりゲーム状態では全員が同じくらい頑張っても座れない人が出てくる。

がんばらなければ普通はうまくいかない。「頑張る」気力があれば、価値観に重大な欠陥が無い限り“下流”には落ちないだろう。仕事椅子とりゲームではない。椅子を作ろうとする人間はチャンスを自分から作り出せる。これはちょっとした意識の違いにすぎなくて、一冊の本によって変わりうるような部分だ。「マニュアル人間」なんて言葉にだまされて「啓蒙本を読むような人生は嫌だねー、プwww」とか言ってる限り、それは自分に限界を作ってるだけだ。本を一冊読むくらいで完全に崩壊してしまうようなチンケな個性しか持ち合わせていない人間など居ない。ためしにやってみる、これくらいの行動力はちょっとした意識の切り替えによって拾うことができるものだ。

こんなにネチネチと書き綴ったのは人生で初めてだ。他人のことにすぎないけど、でも私はアンタラと同じ社会に住んでる。私が社会貢献すればあなたたちが良い暮らしをできるし、アンタラが社会貢献すれば私の暮らしが良くなる。社会でのポジションを相対的なものだと思わないほうがいい。他者がある地位を得ているから自分がその地位を得られないんじゃない、よそはよそ、うちはうち。

家庭内の家事にでもたとえてみようか。4人家族のひとりが家事万能でぜんぶこなしちゃう家と、1人が家事万能、ほかの3人も向上心を持って家事を担当してる家と。アンタはどっちの構成員になりたいのか。

最低限のルールにしたがっていれば、行動をする限り、また100人居る中で最悪くらいのよっぽどの環境に居ない限り、アンタに絶望は無い。

[追記][これはひどい]

風呂はいってあがって読み直したらなんかウソばっか書いてあるな、この記事。啓発本てw読んだことねぇwあったとしてもヤンサンに連載してる山田玲司絶望に効くクスリくらいかw中谷アキヒロとか立ち読みしたことあるけど、うん、あれはキモい。彼の本が啓発本なのかどうか知らんが。

まぁグズグズして何もできないようなひとは、一冊くらい読んでみてもいいかもしれんけどさ。読みすぎて目が据わったような表情になると宗教くさくなって周りからキモがられるから、成功から離れたりしちゃってなw

ただまぁ、いまでも同じ主張をしたいことっつったら、流行りみたいだからどうしようもないのかもしれんが、「痛い」とかいう概念で「いま」の「行動力」を制限しちゃうのは割ともったいないぜー、って部分だな。行動を伴わない思考のみからは何も生まれないってことくらいは理解しとかないと、だまされる。誰かしら尊敬できる有名人とか居るだろうけど、その人のことをよく観察したほうがいい。もしかしたらそいつ、甘美な言葉を発してアンタから好意を受けることで儲けてるのかもしれない。そいつが主張してるようなことを、そいつが実際にやってるか、確認してみたほうがいい。価値観にもリテラシー意識を持たないと、いろいろね。だまされるからね。

あと、なんか上でコメントにいろいろ文句つけてるけど、文脈理解してなかったり前提を誤解してたりするようで申し訳ない。思い込みから生まれる非難はみっともないですね。気をつけます。

[ハテブ]

くれくれ論批判か。たぶんオレの現在いる環境のほうがこの人や元エントリの人より良いわけだが・・。 格差うんぬんについては長くなるので ⇒(リンク先も全部読んでね) http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35314889.html

現在いる環境とかどうでもいいっつってんのに。こいつほんとにいい立場に居るのか?未来志向の人間がこんなこと言うとは思えないな。「リンク先」は人に読ませる気のある文章だと思えない、私流に言い換えれば工夫をしようという意識の感じられない文章だ。10行読んで前提が見えなかったので、申し訳ないが「読んでね」という依頼は丁重にお断りします。ごめんなさい。

日本酒」と書いている時点で「この人は自分の発言責任から逃げているな」と感じました。

発言責任を明確にして恥ずかしくない文章ならば、ハナから実名で世間に公表してます。別に酒飲んでたから書いたわけではありません。一部の考えなしなフレーズはそうかもしれないが、別にコレを書いたのがリアルでの私であると特定されたとしても、私は胸を張って「そうです、書いたのは私です」と認めます。内容が内容だけに、バレたら恥ずかしくはあるが、無責任に基づいてなした記述ではありません。

自分の見た世界が社会の全てだと思い込んでいるのではないかというような反応もあるけれど、そんな思い上がりはしていないつもりだ。「出発点」とか「能無し」とか、そんな概念は取っ払う工夫をしたほうがいい。現時点まででどうかは関係ない。どれだけ経営が苦しい企業でもどんな変わった共同体でも、そこが何かしらの価値をもつ集団である限り、集団に対して「貢献しよう」と「頭を振り絞って考えながら」「思いついた」「行動」を「逐一」「実践しようという姿勢」を「見せている」人間を排除したりはしない。頑張っているのに排除されたとしたら、それはおそらく、あなたの価値観根本的に社会に不適合であるか、その集団がそもそも存在価値が無いかのどちらかだと考えればいいだろう。

どちらにしろ、その時点からの自分がとる行動によって、その時点以後の人生は変わる。そこに気づけるか気づけないかが分かれ目だ、とかじゃない。そんな考え方の人間がいるということを「いま、あなたは目の当たりにしている」のだから、いまこの瞬間のアンタにとって妥当な行動は、「ほんとにそうかな?」と公平な視線で考慮してみることだろう。その上で「こいつが書いてることは宗教的で洗脳行為のようなものだ、絶対に自分は認めない、自分は自分の考えに基づいて生きる」と思うのなら、そうすればいい、そうしてくれれば私は嬉しい。それこそが私の本望だからだ。

[手間を割いてくれた方へ返信]

anond:20070313212237

Road to Suicide

 最近、なんだか生きててもいいことないなぁと思う。自分のやりたいことがやれていないようで凄く後悔することが増えた。つか、ここ数年、ろくな休日の過ごし方してないんじゃないか?たまに友人達と遊ぶことはあれど、自分から何かをしにいくということがめっきり少なくなった。夜まで寝てりゃやることもやれないわけだが、睡眠に何か問題を抱えているのかな?睡眠専用の病院に一度お世話になる必要があるかも知れないなぁ。

 つか、働きたくない心情が抜けないなぁ。ここまで開発から遠いポジションになるとは思わなかった。やっぱ人と話すのは苦手だ・・・かといってプログラマとしての素質が自分にあるというのも甚だ疑問だし。俺には何の才能があって、どうやって金を稼げばいいのだろうか。食うためなら仕事があるだけありがたいのだろうが、やりたくもない仕事を続けてただ生き長らえるくらいならば、さっさと命絶ったほうが楽だよな。

 と言いつつも、どこかに希望というものを捨てきれない自分がいる。妄想している時が楽しいというか。もう現実逃避から逃げられない心になったんだろうか。もとからそうなのかな。普通に夜寝て朝日とともに気持ちのいい目覚めをして、気分良く会社にいって能力発揮して仕事をこなしてアフターをのんびり楽しむという、何気なくとも幸せな日々をなぜ送れないのだろうか。

 そもそも朝起きれないというのが原因だとは思うのだが、なかなか夜寝ようと思わないところにも問題があるなぁ。何かをずるずると引き延ばしている。何か。それはきっと一日を生きたという「感覚」なのかもなぁ。その充実感がないから、一日を終わらせることに苦悩している。ずるずるとおきてネットをして何か自分の身になるものを得ようとする。人生意味とか、新しい職場とか、創作のすすめとか。

 悪いのは、さらに新しいことをしようとして、何もできていないということだな。PHPとかPerlなんてネットコードごろごろ転がっているのに覚えようとしない。きっと言い訳は「本が家にない」なんだろうけど。そして創作ネタはあるはずなのにそれを元に書こうとしない。構想だけは膨らむのに肝心の文書を書かない。俺は中身じゃなくて上辺っ面だけを考えることしか脳が無いのか。自分が嫌になる。なんで何もできない、いや、しようとしないんだ。

 失敗が怖いのか?できないことが怖いのか?できなくたっていいじゃないか。何とかそれでも多くの人間は生きている。親を見ろ。たいした能力も持ち合わせていないのに二人の子供を産み何とか生活してきたではないか。生き抜くためには特殊な能力など必要などない。だが、彼らが幸せだったかと聞かれると答えはノーだ。じゃあ、幸せになるためには?能力?環境?対人?

 答えが出ずにもがき苦しみながら、それでも人は生きていくのだろうけど、俺は何だか疲れてしまった。一年くらいぼーっとして生きてみたい。その中から何か答えが出てこなければ、その時が死ぬときかもな。

2007-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20070310020657

怒ったってプログラミングが進まないのは自分が一番良く知ってるじゃん。

SE猛獣使いとかカウボーイみたいなもんだと一回考えてみよう。やたら鞭打ったって物事は解決しないでしょ。

環境を整えて事態を単純化明確化してインセンティブを与えてから合図としての鞭を打たなくちゃ。

そうしてくれりゃあ火の輪だって軽々とくぐっといた上でごろごろ喉を鳴らして見せるぜ。ミルクだってくれてやらあ。でも肉だけはかんべんな!

2007-03-01

もう三月ですってよ奥さん

眠い。腹減った。実は寝ていないのだがさっきDSドラキュラをやったせいで微妙に寝入れそうにない。

いや、そもそも普通にしてても寝入れないからこんな状況になっているのだが。

ああ、もう三月か。なんだか月日が経つのがはやい。クソ大学生の崩れた生活リズム

ああ、本当に腹が減ったよ。コンビに行くか。しかしそのまま出かけてしまうのも手だな。

今日は一日だし映画を見に行ってもいい。いいんだけど、でも今はあんまり映画を見る気分でも無いんだよな。

でも一日家にいるのも嫌だなやっぱり出かけてみようか。

CD買って漫喫ごろごろするのもいい。

それ家にいるのとどう違うの?って聞かれても上手い返しは思いつかないけど。

「出かけた」って事実が僕の気持ちをちょっとでも軽くしてくれるかもしれないから。

さてと。じゃあ昼になったら家を出ようかしら。

2007-02-23

ごろごろ

猫ってさ、撫でられて気持ちいいと喉ごろごろ鳴らすじゃん。

あれってどうやって鳴らしてるのかねぇ?

人間にも出来ないかなーと思ってるんだけど。

練習したら出来るようになるかな?

2007-02-01

いきたくねー

ふと朝起きて研究室いかなきゃと思うんだけど、ベッドの上でごろごろしてるうちにまぁいっかと思ってさぼる日がある。

今日はそんな日。

明日は授業あるから行かないと。

2007-01-16

妹が戦場に行くと言って家を出たのが半年前、僕は近頃、戦争ドットコムで更新され続ける現地の死者のリストを眺め、その中に妹の名前がないかを調べている毎日を送っている。トップページから名前を入力すると、数秒の後に「お探しのお名前はないです」と表示される。機械翻訳なのだろうか、言葉がこなれていない。その表示を見て、僕は紅茶を飮み、少しだけ柔軟体操をして、眠る。最近寒い日が続く。紅茶を飮まないと寝つけない自分は、どういう体をしているのだろうといつも考えながら、いつも答えを見つける前に眠る。

一昨年、高校卒業した妹は、大学に通うでもなく、そもそも受験するでもなく、就職するでもなく、そもそも就職活動をするでもなく、家でごろごろとしていた。僕は妹が高校卒業すると同時に大学卒業し、地元の貿易会社就職した。いかに国に税金を納めないで済むかを考える毎日だった。

妹はカメラが好きで、やはり無類のカメラ好きだった祖父が肺癌で亡くなると、彼女は祖父の遺言で、彼のほぼ全ての財産と言える多数のカメラ相続した。それまでも彼女が撮るものといえば、肉じゃがを煮込んでいる鍋であったり、中身が少なくなっている透明なシャンプーの容器であったり、有象無象にごったがえした冷凍庫の中だったりで、家を出て写真を撮ることはまず無かった。高いカメラを手に入れた後も同じ。彼女はまだ中元ののしがついたままのグラスセット、干された下着、不揃いのコミックが並んだ棚などを撮り続けた。半年前まで。

戦争ドットコムでは、死亡者の名前の一覧が次々と増え続けている。名前を一つ選ぶと、国籍や死因、死亡時刻や死亡場所が表示される。アメリカイスラエルイスラエル。爆発、爆発、発砲事故。より詳細なプロフィールが表示されることもある。ここに載せられた人を知る誰かが、情報を付け加えているのだろう。年齢、卒業した大学、兄弟の有無、あるいはもっと私的な内容。一人の日本人に対して、日本語コメントが載せられていた。「彼は活動に参加するため、一週間前にこちらへ着いたばかりでした。地元では教師をやっていたそうです。このような事態になったことを私達は深刻に受け止めています。そして彼の冥福を祈りたいと思います」。

名前順に並べられたリストの最後には、今日も次々と「不明」という名前の死者が増え続けている。僕はその中に妹が含まれないことを祈り、妹以外の誰かのためにも祈る。今日、侵攻軍は首都平和的に制圧したと宣言、日本政府は「戦争事実上終結した」と発表した。僕は何故か、妹が帰って来ないような気がする。

2006-12-13

こたつみかん

こたつみかん」というのは日本の冬の風物詩、のはずだ。「はずだ」というのも、我が家でその情景は見ることが出来なかったからである。

我が家コタツの上には、パイナップルが乗っている。まるでパイナップル畑かのように、ごろごろと。それを自分で切って、割り箸に刺して食べる。小さな頃から当たり前だったので、友達に聞いたときは驚いた。世間では『こたつにはみかん』らしい。疑問に思って、ある晩父に聞いてみた。

「なんでうちはこたつパイナップルなの?」

「冬は寒いだろ。パイナップルには南国のイメージがあるじゃないか。沖縄の観光地ではこうやって割り箸に刺して食べていそうだろ。毎日がエブリデイじゃないか」

たぶん『ホリデー』のおやじギャグだと思うが、それすら使い方を間違っている。つまり毎日観光気分を味わえるだろ、と言いたいらしい。一理あるような気もしたが、いかんせんパイナップルは歯に挟まる。舌に残る酸っぱさにも嫌気がさしていた。

「そんなくだらない理由なの?うちだって普通のうちと同じようなものを食べたいよ。もうパイナップルうんざりだよ」

友達に聞いたときにちょっとバカにされたこともあって、強く言いすぎてしまった。本当はそんなにパイナップルは嫌ではないのに。刺して食べるのは楽しかったのに。何かを言いかけた父はちょっと悲しそうな顔をして、パイナップルを抱えて部屋から出て行った。

次の日の朝、コタツの上にはオレンジが置いてあった。

2006-12-04

あれ

はセリって匿名になったの?

既にやばそうな画像ごろごろしてるのに、匿名にしちゃさらに無法地帯にならね?

2006-09-26

丸くなる

http://anond.hatelabo.jp/20060925202754

猫は暖かい所まで歩いていって、丸くなりました。

ごろごろ

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