はてなキーワード: 生活維持省とは
自殺島は、国が死ねとランダムに選んだ人を医者が薬で眠らせて無人島に運びあとは海保が逃げ出さないよう島の周囲を監視する
イキガミは、国が死ねとランダムに選んだ人のところに市役所の人みたいな公務員が一人でやって来てその人の命が終わるところをその役人が一人で管理する
物語の内容が生活維持省同様にその役人自身と彼に直接的に関わる人間の話だけに終始するところが類似性なのか
もっとえらい立場の政策決定した人の半生やイキガミがある世界でイキガミに選ばれない大多数の第三者の人生を描いていたら
と、予防線を張った上で。
両方とも読んでいない俺のようなぬるい奴にも分かるように理屈立ててくれないと、
広まりつつある「トンデモ」を止めることはできないんじゃないかな。
それはナデガタ先生も望むところではないでしょ?
リンク先のページを見たら「あ、これはパクリじゃないな」と理解できたさ。
でも、ナデガタ先生は「アホ」とか「トンデモ」とか、印象操作してるだけにしか思えないんですよ。
これまでのナデガタ先生を見る限りでは義憤しているのは俺から見れば分かるんだけどさ、
俺じゃない何も知らない人間が今のナデガタ先生見ても、ただ憤慨してるようにしか見えないわけ。
そんなんでこの「トンデモ」を止められるの? それとも半径ワンクリックだけに伝わればいいのかな?
後者なら俺はもう何も言わないよ。でもナデガタ先生ならそうじゃないと信じてる。
ナデガタ先生がイキガミの事例を引いたってことは、この「疾風迅雷」の設定が、
両作品ではそれぞれ異なって生きてくる、って言いたいんだよね?
そこを、どちらの回も読んだことがない人間にも分かるように説明してくれないとさ。
俺のことを「まずは今回の両話読めヴォケ」って言い捨てるのはいいけど、
横増田
その作品の中で何を表現しようとしたか、それがどの程度表現されているかを評価する…
ってのはそうなのだけれど、
パクリかどうかはひとまず置いておいて
とまではいかないな。表現の評価に、作者の言葉か、どれくらいオリジナルの表現か、と言うのも加わると思うから。借り物の言葉では響かないというところか。
逆に言えば、オリジナルの部分の評価が主で、そうでない部分はあまり評価できない。
結構古いんだね。驚いた。
生活維持省は、件のサイトで初めて読んだのだけれど、あれってアンチディストピアかな、と思う。ディストピアはディストピアで悪くないんじゃないの?と投げかけられた気がした。
あの頃にそれを、ああいう方法で投げかけるのはさすがだなと思う。
確かに似たような話は結構あるよね。
そもそも、問題になっている「全体の利益のために誰かを殺す制度」が、星さん独自の発想なのかも微妙。『生活維持省』の数年前に海外のSFで既出とかいう話もあるみたいだ。国内にも類似した設定の作品は多い。
海外SFだと、ル・グウィンの「オメラスから歩み去る人々」がそういう設定を使っているらしい(フォーカスを当てる部分はまた少し違うのだけど)。「生活維持省」とこちらで、初出がどちらが先かまでは自分にはちょっとわからないのだけど、きっともっと昔にも同種の設定を使った作品というのはあったんだろうな。創作を評価するときは、パクリかどうかはひとまず置いておいて、その作品の中で何を表現しようとしたか、それがどの程度表現されているかを評価する…という方が健全なような気はする。
イキガミは未読なので何とも言えないけどさ。
追記:もう少し調べたところ、生活維持省は1960年で、オメラスは初出が1973年らしいので、一応星新一の方が古い、ということが判明。
生活維持省は価値観の転換が主眼に置かれてるけど、イキガミは、試し読みしたかぎりでは、余命宣告をされた人間が残りの時間をどう生きるかを描いた作品っぽい。
星さんはエッセイで『いまタイムマシンものが書けるのは、ウェルズの「タイムマシン」の二番煎じをした人がいたおかげだ』(出典は覚えてない)とか
『フィクションには発想の新鮮な意外さが要求されるが、さらに重要なのはストーリーのまとめ方。うまくストーリーが組みあわさると、強烈な現実感のある、なまなましい余韻を持った作品ができることがある。たとえばジェイコブスの「猿の手」など、三つの願いというアイデアはありふれているが、そこからの展開と結末はまったく異色。』という主旨(『きまぐれ暦』の『SFと寓話』から)のことを述べてたから、もし設定を借りていたとしても十分な独創性があれば焼き直しにはあたらない、と言っていいんじゃないかな。俺は生活維持省のほうが好きだけど。
そもそも、問題になっている「全体の利益のために誰かを殺す制度」が、星さん独自の発想なのかも微妙。『生活維持省』の数年前に海外のSFで既出とかいう話もあるみたいだ。国内にも類似した設定の作品は多い。
上司である課長に死亡予定者が書かれたカードを渡される所まで、同じ。
一定の確率で理不尽な死を与えられるという、最も根幹にあたる設定も同じ。
確かに似過ぎている。
重要な相違点は、イキガミには宣告から死までの間に24時間の猶予があるという事で、イキガミではそれこそがドラマの基本になっている。
だから、ドラマの仕立て方は全く異なる。
生活維持省はあっという間に終わってしまい、イキガミではドロドロしたドラマが繰り広げられる。
主人公の心情もそれに応じて決定的に異なる。イキガミの主人公の作中における役割も、これからさらに変わってくるのではないだろうか。
生活維持省の主人公と同じ道を辿る事は、無い筈。これは完全に別のドラマだ。
ただ、設定に一点、気になる部分がある。
間引きの「目的」だ。
生活維持省における目的は、タイトル(役所名)でも明らかで、人工を抑制して健全な生活を維持する事。それ自体は古来からある発想であり、ストレートで分かりやすい。
イキガミは、死への危機感によって生命の価値を認識させるという物で、自分には正直ピンと来ない。そんなまだるっこしい事の為に1000分の1の死、というのでは余りに理不尽に思える。本当にそれで「国家繁栄維持」が出来るのか?
敢えてストレートでない、捻った設定を作る理由。自分には、その理由は一つしか思い当たらない。
まぁ、軽いジャブだ
パクリがらみの翻案は「江差追分事件」でほぼ決着が付いているから
単に政府のランダム決定で死ぬ人がいるというだけの共通点しかない
イキガミが生活維持省の翻案と認められる可能性は限りなく小さい
ルイズもどきとタバサもどきには寛容なのになw
生活維持省が全文公開されてた。素直に弁護士に相談すれば「いやーこういう着想レベルの一致で著作権侵害でどうこういうのはほとんど無理でしょうね」って言ってくれたろうに。
あと俺は現実的にこのレベルの類似性で訴訟を起こそうと弁護士に相談しても、多くの弁護士が「たとえ勝てたとしても得られるものは少ないからやめとけ」ってアドバイスされるだろうって話を書いてるだけで「こんなアイディアレベルの類似性は保護されない」なんてどこにも書いてねえだろアホ。
侵害でどうこういうのはほとんど無理 と たとえ勝てたとしても得られるものは少ないからやめとけ が同義なのか。日本語って難しいな。
…なので、ネットであらすじ読んだ程度だけど
こりゃ星新一「生活維持省」のパクリって言われてもしゃーないわ。
アイデアだけならパクリじゃないって言うのも、ここまで被ってると言い訳に使えない。
…が
星新一自体も、膨大な作品の中で「アイデア」を様々な表現で試行錯誤して楽しんでいるように、「生活維持省」も、あの展開であり、あのオチであり、
そもそもがショート・ショートだからこその価値があるんじゃなかろうか。
「イキガミ」は、そこまで練られていない・昇華されていないんじゃないか?
「イキガミ」が「生活維持省」をアイデア呼ばわりしたのは、逃げ口実云々よりも、その辺りにあるような気がする。
どうせならフレデリック・フォーサイスが「ジャッカル」を拒否したように、星新一ファンとしてはイキガミを拒否してほしい。
あんなん、「アイデアパクった」だけで無関係ダロ?別モンじゃん、と。
世の中には玉と石が入り混じったような作品の中の「ひとつの台詞」が「似通っている」っちゅーだけで相手を訴える器がミニマムサイズな人間もいるが、そんな安っぽいモンじゃないと思うんだよね。
ファンの欲目かもしれないけど