はてなキーワード: 吉田昌郎とは
120 オールトの雲(東京都). 2012/03/21(水) 23:56:06.64 ID:FPukcSzB0
605 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[] 投稿日:2012/03/21(水) 23:28:37.70 ID:b9KCqRjR0 [2/2]
菅直人首相(当時)訓示全文(三月十五日未明に東電本店に乗り込んだ際の訓示)
今回の事の重大性は皆さんが一番分かっていると思う。
政府と東電がリアルタイムで対策を打つ必要がある。私が本部長、海江田大臣と清水社長が副本部長ということになった。
これは2号機だけの話ではない。2号機を放棄すれば、1号機、3号機、4号機から6号機。さらに福島第二のサイト、これらはどうなってしまうのか。
これらを放棄した場合、何ヶ月後かにはすべての原発、核廃棄物が崩壊して、放射能を発することになる。
チェルノブイリの二~三倍のものが十基、二十基と合わさる。日本の国が成立しなくなる。
何としても、命懸けでこの状況を押さえこまない限りは、撤退して黙って見過ごすことはできない。
そんなことをすれば、外国が「自分たちがやる」と言い出しかねない。皆さんが当事者です。命を懸けてください。逃げても逃げ切れない。
情報伝達が遅いし、不正確だ。しかも間違っている。皆さん、萎縮しないでくれ。必要な情報を上げてくれ。
目の前のこととともに、五時間先、十時間先、一日先、一週間先を読み、行動することが大事だ。
金がいくらかかっても構わない。東電がやるしかない。日本がつぶれるかもしれないときに、撤退はありえない。
会長、社長も覚悟を決めてくれ。六十歳以上が現地に行けばよい。自分はその覚悟でやる。撤退はあり得ない。撤退したら東電は必ずつぶれる。
枝野氏(官房長官・当時)によると、清水氏〔清水正孝当時東電社長〕はまず、海江田氏に撤退を申し出たが拒否され、枝野氏に電話したという。
枝野氏らが同原発の吉田昌郎所長や経済産業省原子力安全・保安院など関係機関に見解を求めたところ、吉田氏は「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見方を示した。
菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った。
2011年3月12日3時5分-官邸は1号炉の格納容器の破裂を避けるためにベントの意思決定を発表し、ただちに東京電力に指示を行った。しかし(操作マニュアルが電源喪失を想定しておらず、現場が混乱して[159])ベント操作がただちに行われなかったため、同日7時11分‐状況把握のため菅首相が事故現場に到着して直接ベントを指示した。ベント操作の開始は同日の9時04分に始まった[160]。
とあるが、実際にはこうか。
3月12日未明にはすでに吉田昌郎・福島第一原発所長から官邸に提案されていたドライベントを、同日1時30分に官邸が了承していた。
ただ「午前3時に行う経産相の記者発表までは待機しろ」との指示があったため、『3時に官邸がベントを指示した』ということにした。
で、逃げ遅れた住民の避難を進めていると、しびれを切らせたバ管が突然ヘリでやってきて大騒ぎ。それを適当にあしらいつつ、9時にようやくベントを開始できた。
午前1時半には所長提案を官邸が了解してるんだから、一部の民主信者が主張してるような「廃炉を惜しんで行動を渋る東電だったが、勇敢なる我らが管首相は原発に直接乗り込んで指揮を行い、ようやくベントは達成されたのだ! ああ民主ハレルヤ!」なーんてストーリーは、初めからどこにも無かったっつーことだろね。