2011年3月12日3時5分-官邸は1号炉の格納容器の破裂を避けるためにベントの意思決定を発表し、ただちに東京電力に指示を行った。しかし(操作マニュアルが電源喪失を想定しておらず、現場が混乱して[159])ベント操作がただちに行われなかったため、同日7時11分‐状況把握のため菅首相が事故現場に到着して直接ベントを指示した。ベント操作の開始は同日の9時04分に始まった[160]。
とあるが、実際にはこうか。
3月12日未明にはすでに吉田昌郎・福島第一原発所長から官邸に提案されていたドライベントを、同日1時30分に官邸が了承していた。
ただ「午前3時に行う経産相の記者発表までは待機しろ」との指示があったため、『3時に官邸がベントを指示した』ということにした。
で、逃げ遅れた住民の避難を進めていると、しびれを切らせたバ管が突然ヘリでやってきて大騒ぎ。それを適当にあしらいつつ、9時にようやくベントを開始できた。
午前1時半には所長提案を官邸が了解してるんだから、一部の民主信者が主張してるような「廃炉を惜しんで行動を渋る東電だったが、勇敢なる我らが管首相は原発に直接乗り込んで指揮を行い、ようやくベントは達成されたのだ! ああ民主ハレルヤ!」なーんてストーリーは、初めからどこにも無かったっつーことだろね。