はてなキーワード: ゾーンとは
俺は女でも男でも30才で年収600万稼ぐのは容易だと思っているんだけどね。
公務員(準公務員含む)だと500万くらいだから、500万に下げてたほうが話が通じやすいかな。
公務員だと育児休暇とか至れり尽くせりだから問題にはならないだろう。
理系だったらその時点で30才で500万は確定
IT屋で30才で500万いかないようじゃ雑魚の部類だし、フリーランスの仕事も簡単
なんでもいいから士業(税理士でも薬剤師でもまじめに勉強すれば誰でも受かる)の資格を取れば500万はすぐだし、復職も容易
選択肢がこんなにいっぱいあるのに、なんで環境のせいにして言い訳するのにばっかり脳みそ使うの?
年収400万辺りのゾーンが一番差別も多いわ。男女問わずそもそも理不尽な環境にいると思うのだけど
なんで頭一つ出ようと思わないの?
あんまり気にしなくて大丈夫。
(韓)>でも敬虔なクリスチャンには、「イスラーム(?)が汚れの象徴の豚をキリストの聖女(主人公はジャンヌの生まれ変わり)に食わせようとしている」と映る。
手元にある「豚料理大全」にはフレンチの技法もイッパイ、なぜだろうねw
フランス人はレビ記や申命記の戒律(コシェルってヤツね)を嫌い、
以下、聖書はJSS版からの引用。新共同訳は探すのが面倒でね、すまん。
(旧約聖書)>
Gen 1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
Gen 1:28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
(韓)>ほかにもサブタイトルにいくつか性やら麻薬を連想させるものがあってアウト。
いやいや、そもそも聖書の記述が「性的恥辱を感じました」そのものだから。
(旧約聖書)>
Gen 3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
Gen 3:7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
(韓)>イブ=ジャンヌ=まろん(主人公)という設定も完全にレッドゾーンらしい。
(韓)>仏教の考えである輪廻転生がなぜか使われていたりする。
(韓)>「これはクリスチャンぶち切れるよ」とのこと。
まあ確かに魂の継承や輪廻という概念はキリスト教からみれば「異端」だけど
(少なくともプロテスタント、カトリック、ロシア正教、ギリシャ正教はそうだろう)、
reincarnation や karma という言葉が一般的なくらいに神秘思想も知られているよ?
そもそも輪廻は仏教思想じゃなく、元はヴェーダから来たヒンドゥー思想。
(韓)>たぶんイブは誘惑に負けてリンゴを食べた者なのに…。ってことかな?
イブが食したのが「リンゴ」であるという記述は聖書のどこにも書いてないw
確かにヨーロッパで「知恵の樹の実」は伝統的にリンゴだとされているけど、
創世記の最初の舞台メソポタミア周辺の気候はリンゴ栽培にあんまり向いてないんだもの。
(旧約聖書JSS)>
Gen 3:1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
Gen 3:2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
Gen 3:3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」
Gen 3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
Gen 3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
蛇の言ったことの方が事実だったんだから。
神が自分を「われわれ」と呼んでいることにも注目!
これは多神教時代の名残の消しそこないで、「唯一神」の自己否定(w)が旧約聖書に載っている。
神の呼称のひとつ「エル」に複数形「エロヒム」が存在する理由でもあるw
(旧約聖書JSS)>
Gen 3:22 神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」
Gen 3:23 そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。
Gen 3:24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。
(韓)>ほかにも、(まあこれはこじつけ見たいにも思えるんだけど。)ロザリオの形がハーケンクロイツに見えるコマがあったり、
うん、こじつけ。
スワスティカは「調和」「秩序」のシンボルとして十字架よりはるかに長い歴史を持つ。
キリスト教自身でスワスティカを変形十字架として使ってた例がある(コレ重要w)。
ここ数十年の反ナチという刷り込み、思想制御、言論統制の方が私には恐いね。
(韓)>それと韓国人が「子供の頃フランス人の女の子にジャンヌダルクってあだ名を付けてからかったら、
(韓)>その女の子の父親がマジ切れして殺されかけた」ってゆってた。
日本人が韓国に行って、韓国人に「ヒデヨシ」と呼ばれ続けたら俺も怒るw
これはジャンヌうんぬんが問題なわけじゃないぞ。
頭の中がアレな事で有名な我らがサッカー協会会長様から、先日このような提案がなされた。
すでに地方協会訪問の際に、「10-15歳の育成世代でバックパスをさせてはいけない」と地方協会幹部たちへ指導方針の通達を始めている犬飼会長。ドイツのような“ルール化”まで視野に入れる。育成世代の試合でバックパスを出した場合は警告を出したり、プレーをその場で止めるなどの特別規則が導入される可能性まである。
http://www.sanspo.com/soccer/news/081108/scg0811080504000-n2.htm
なにをもって『バックパス』と見なすのか定かでないが、仮に記事後段にあるようにラグビーの逆、「後方へのパス一切禁止」という事であるのならば、これはもはや別の競技である。
よって、このルールの元で行われる競技をア式蹴球ならぬ犬式蹴球と定義し、そこでの戦術を考察したい。
犬式蹴球においては、縦方向のパスコースが切られるのは鉄板である。さらに横パスのインターセプトも常に狙われる。そこがアタッキングゾーンならばドリブル突破を狙うべきではあるが、そうではない低い位置ならばどうか。横方向へドリブルしつつ縦を空け、前方へのパスの相手を探るのが正解となるだろう。守備者の圧力を受ける為、実質は斜め後方へのドリブルとなる。
この、「進行方向に対して斜め後方を見ながらのドリブル」というのは基礎練習に組み込むべき基本動作と言っていい。
マイナス方向へのクロスが入れられない為、コーナー付近やゴールライン近くは完全なデッドゾーンとなる。えぐればえぐるほどパスコースがなくなってしまうのだ。
サイドでボールを受けた選手は、早いタイミングでアーリークロスを入れるか、中へドリブルで切り込んでいくしかない。
上記デッドゾーンに追い込まれない為に必要となるのがこの「逆ウェーブ」だ。
本来のサッカーにおける「ウェーブ」とは、ボールホルダーの後方内側にいる選手が、ボールホルダーの後ろを通り外へ回り込んでいく動きを言う。これによってサイドの数的有利とマークのずれを生じさせる戦術である。しかしながら、犬式蹴球においてはむしろデッドゾーンへ誘い込まれる危険性が増すため有効とは言いがたい。
有効なのは全く逆の動き。ボールホルダーの前方外側にいる選手が後ろから内側へ回り込んでいく。この動きで横パスを受ければ前を向いてボールを持てる可能性が増える。
トップの選手へのパスはスルーパスでなくてはならない。マークに付かれている状態で足元へ入れてしまうと次の手がなくなる。『落とす』ことが出来ないのだから。(よって、3人目の選手が飛び出すという動きも無意味である。)トップの選手はむりやり振り向き突破を狙う他ない状態となり、これはかなり困難を伴う。
それでは、犬式蹴球においてポストプレイヤー・ターゲットマンが不要であるか、というとそうでもない。相手最終ラインの選手は自分の後方へボールを落とされる事を嫌う。キーパーに返せないのだから、後ろ向きでボールを追う形となればタッチかコーナーに逃げるしかない。よってフィードボールは無理にでも跳ね返さざるを得ず、そのセカンドボールを狙う戦術が有効となるだろう。深い位置からボールを繋ぎ組み立てていくのはあまりにリスクが大きいというのもある。極論すれば、相手センターバックにわざとボールを渡し、そこを奪いに行くほうが効率的なくらいだ。
深い位置でスローインを得た場合、近くの選手に入れてしまうと手詰まりとなる。よって、直接フィニッシュが狙える位置まで投げ入れられる選手が、チームに最低1人は必要。
上記した通り、ゴールキーパーとの間にボールを落とされるのは避けたい。また、ワンタッチで入れ替わられるのを防ぐ為にも、ある程度距離を取っておく事が必要だろう。最終ラインの選手は無理にインターセプトを狙わず、いったん楔を受けさせ、その後詰めて振り向かせない形が有効か。
犬式蹴球の守備は基本的に縦方向のパスを警戒する形となるが、サイドだけは例外となる。ある程度の深さからは縦へ縦へ繋がせ(あるいはドリブルさせ)、デッドゾーンへ追い込むべし。
ドリブルが大きくなった相手に対し、ボールと相手の間に体を入れる。これは決して良い奪い方とはいえない。プレッシャーがかかった状態で後ろ向きにボールを持つ事となり、手詰まりとなる。
これはむしろ守備というより攻撃か。上記のように最終ラインの選手が後ろ向きでボールを持たされた場合、バックパスができないのだから、ゴールキーパーはエリアを大きく離れて(少なくとも横並びの高さまで)ヘルプに向かう必要がある。
犬式蹴球は放り込みやパワープレイ、力任せのドリブルをベースとした大味な競技となる事が予想される。また、その特殊性により、場合によってはサッカーと正反対の戦術的セオリーを持つ事となる。
よって、犬式蹴球の習熟は、少なくとも「サッカーの強化」には不適であると考える。ゴールキーパーの足元の技術に関してのみ効果があるかもしれない。
まあ、彼が言ってるのは「後方へのパス一切禁止」という事ではないのだろうさ。「前へ仕掛けるべき状況で仕掛けなかった選手にペナルティを」って事なんでしょうよ。でもね、そんなのを『ルール』として明文化できると思う?主審が一定の基準でジャッジできると思う?若年層指導者は『消極的プレー』に対して今まで全く指導をしてこなかったと思ってる?
彼が言ってる他の寝言、秋春制だとか『最強チーム』だとか含め、彼は自分が銀の弾丸を撃てると思い込んでるんだろうな。自分の一言で状況が劇的に改善される、と。他の奴らは何もしてこなかったし何も考えてない、と。
ゴールデンオーガだとAゾーンのラストで出現してきた時なんか恥ずかしいww
男にはせめてシルバーホークに乗って欲しい・・・
駅とかで迎えにこられたら・・・・もう最悪ww
せめて普通にネオンライトイリュージョンやファッティグラトンぐらいは乗って欲しい。
常識的に考えて欲しいだけなんです!
ゴールデンオーガで迎えにこられた時の恥ずかしさとか分かる?
あのね?たとえば週末10機か20機ぐらいでZ'ゾーンとか行くでしょ?
それぞれグレートシングに蹴散らされるわけじゃない?
みんな普通にブラックホールボンバーやウェーブ白玉で撃ち込むわけでしょ?
Real Money Tradeの略称。ネットゲームなどで、ゲーム内で得られた架空財産を現金で売り買いする行為。サイトを立ち上げて取引しているプレイヤーもいるが、この行為を公式に認めているゲームはほとんど無い。UOのように黙認状態のサービスにおいても、公式HPに自己責任でおこなう様にとの一文がある。
テレビなどでなんとなく耳にしてはいたんだが、RMTで検索していろいろ調べていると、その市場が膨らんでいる事に気づき驚いた…。
94、95年あたりにインターネットを初めて、まず友達に薦められたのがディアブロだった。
懐かしいが、その時、今のネット世界を予想できたか?と思えば、できてなかったなぁ。
すごいなと改めて思った。以下はメモ。調べれば調べるほど複雑な気持ちになれる。
しかし、俺なんかはゲームを辞める時の清算として、今までの努力のようなものを売れるとありがたいかも(ファミコンのカセットを中古で売るような感じで。)。
飽きたらそれまでっていうのもあるしなぁ
http://jp.youtube.com/watch?v=ketOtwjAdO4
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%bb%a5%ab%a5%f3%a5%c9%a5%e9%a5%a4%a5%d5
http://d.hatena.ne.jp/napsucks/20081025/1224963645
セカンドライフは一時騒がれていたが、今はどうなってるんだろ。
Massively(またはMassive)Multiplayer Online Role Playing Game(マッシブリー マルチプレイヤー オンライン ロール プレイング ゲーム)。
数百人〜数千人が同時に参加できるオンラインロールプレイングゲームの事。この他に数人で一つの世界を占有するタイプのオンラインロールプレイングゲームもあり、こちらはMORPGと呼ぶ。特に参加者を募る場所(ロビー)がMMOスタイルになっているMOを、ゾーンインターフェイスMOと呼ぶ。MMOとMOを規模の違いと勘違いされやすいがそうではなく、ゲームスタイルの違いである。
Massively Multiplayer Online Role-Playing Game (マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム、MMORPG) は、「多人数同時参加型オンラインRPG」などと訳され、オンラインゲームの一種でコンピューターRPGをモチーフとしたものを指す。MORPGとの違いは同項目を参照。
「ゲームで資金洗浄可能」・・・になってない読売の記事 - ぽてのっき
中国で仮想アイテム売買(RMT)への課税を検討 - |x・)つ[あれげ日記]
RMTとはなにか - フォーカスして空想する、世界を変えるには
http://anond.hatelabo.jp/20080226133616
http://d.hatena.ne.jp/potez/20081106
ただなぁ 非スイーツ的 な女性って、そこが原因で、ファッション面とか、化粧方向とか弱かったりしない?
なんといっても、スイーツ系って、モテ女さんとゾーンがかぶる気がするよ?
素材が良くても、ファッションと化粧がわるいと、なんとも男子から人気無くなっていく。
そうして、モテ男とモテ女さんのスパイラルは続いていくと思う。
そうじゃない層も沢山いるけど、世界に露出しているのはやっぱり。
女を紙くずのように捨てられる外見だけのモテ男君と それに群がるモテ女さんたち。
繰り返しになるけど違うのもいっぱいいる!。でも、こういうのって目に付きやすいから、世界がこういうものだと勘違いしやすい。という話し。
分かりやすくするためにたとえ
たとえば、剣士(侍)が 毎朝毎晩、朝早くから夜遅くまで素振りをしている。
俺は強くなりたいんだ。
これわかりやすいでしょ?
たとえば、プログラマ が 毎朝毎晩、朝早くから夜遅くまでプログラムを作っている。
俺は優れた作品を作れる腕が欲しいんだ。
こうしたら比較でわかりやすくならない?
これと
たとえば、プログラマ が 毎朝毎晩、朝早くから夜遅くまでプログラムを作っている。
俺は腕がないから、すぐれた作品を作るために時間をつぎ込むしかないんだ!
たとえば、プログラマ が 毎朝毎晩、朝早くから夜遅くまでプログラムを作っている。
俺は残業代が欲しいんだ!
なんか、同じ事をしているのにやっぱり姿勢が違うよね?
とくに、外野は一番下だと思いがちかもしれないけれど、
あのひと優秀なのに遅くまで残っているよねというのはたいてい一番上のパターン。
結局、武道にしろ職人技にしろ。腕を磨くという概念がある分野に関しては
とにかく、数を作って腕を磨いていくしかないというゾーンが存在している。
どれだけ、練習したか?で決まるのさ。
だから、あれは、残業してるんじゃないんだよ。素振りしてるんだよ。
この2つのパターンの小さくても大きな差が、重要なのかと最近は思ってる。
商売人には この 腕を磨くという概念が希薄なので、なかなか理解されずらいギャップであるし、
逆に利用されやすい部分ではあると思う。
オカルト:そもそも科学を名乗っていない。心霊ですとか自ら名乗っているのでわかりやすい。
偽科学:科学的な実験をしていますよと歌って何かを販売する物のうち。査読が十分ではなく、査読した場合、論拠不十分として一般的に追試を要求されるたぐいの物。
科学(論文以前):偽科学ときわめて近い内容だが、査読などが通らず世に出ていない状態で何かを販売したりはしていない。
科学:科学的な実験を行い、十分な査読・追実験が行われ 複数の研究から問題ないとされている物。
というのでどうでしょうか?実際 公に発表されていないクラス、販売されていないクラスの科学論文は偽科学と呼ばれる物と大差ないと思います。なので、偽科学は、そうとわかっていながら、科学的と称して商業活動をしている物を指している気がします。
また、一般的に商業展開してる物で科学的な物は複数の査読者によりOKがでており、十分な実証実験が行われている物。という認識だと思います。
ただ、この商業展開というのも黙認ゾーンが多くて、たとえば冬場よく使うヒーターなどの売り文句で『遠赤外線』という単語がありますが、単語自体は科学ですが、商業的な利用方法としては偽科学の分野にはいるという説があって、なんとも難しい物があります。一般的に遠赤外線として売られている物は、科学的には遠というには、波長が赤外線に近すぎる。という指摘があって、商業分野的には、まぁ、このぐらいが遠なんだよ。中赤外線だと売れないんだよ!とか まぁ、その程度は科学だよね。みたいな。暗黙のゾーンもあるので偽科学の定義はかなり難しい物だと思います。
じゃあレスする。
俺は完膚なきほどの負け組だが、あなたの言う「負け組:精神的に不満足な者。人に対して僻みや劣等感を常に持つ。」は当たっている。今の俺がそうだからだ。周囲に劣等感ばかり感じているし、まさに「貧すれば鈍する」だ。
一方で、「人は人、自分は自分」という考え方もできている。人に流されてばかりではいけないと考えている。人からの意見を求めたい。今まで意見されたことすらないから。今度からは様々な会社を受けるつもり。何がやりたい、とかわがままを言っているゾーンでもないので。
勝ち組的要素よりも負け組的要素が本人の中で勝っていた場合、それは負け組的思考に繋がって負け組スパイラルになるんじゃないかな。何か勢いだけで書きなぐったから意味不明だったらごめん。
追記:
結局、プラスマイナスでマイナスが多いと負け組思考、プラスが多ければ勝ち組思考で、お互い少ない部分を意識しないってことだと思う。
あるからこそ「合コン」という特別化した名称で呼ばれるのでは。
単純に「元増田の話とはまた別として、特殊なルールがあるかと言われれば当然あるんだよ」ってこと? それとも、「帰れコールは一般的にはナシでも合コン的にはアリ」、って流れなんかな?
個人的には「さして親しくもない人間に対して帰れコールとかオトナ的に大NGだろ」だと思うんだけど、それがなんとなく許容される文化がある、のか。そこが合コンという特殊な場における普通の感覚なのか、合コンは特殊だけど今回の話は珍しい話だね、って話なんだろうか。
合コンって一口に言っても、地域とか年代によって「こういうのが合コンだ」って違うような気がする。俺も彼女も未体験ゾーン。これから体験するにしてもなんだか気恥ずかしいし、その機会はあまりなさそうな世界だ。増田によっても一人一人ニュアンスが異なっているのだろーなー。
ああ、ごめん。単に合コンに対する興味の話になってしまった。
>実際は、レベル高女の子が入ると、どうせっしていいか、わからないよ。
>きっと、あれは別格だよ。僕らが手を出しちゃ行けないゾーンなんだよ。
そうそう、わかるわ。
これは自分の話でもあるんだけど、なんで?って思うくらい自分に自信が無いんだよなあ。
元から綺麗な人はもちろん、きちんとメイクして「ちゃんと女性をしてる人」(わかりにくいけど…)は、人間としてのランクが自分より上過ぎて接するのが怖い。
「分類がちがう」とかそういうことじゃなく、もうハッキリと「ランクが違う」。上下関係。
感覚としては、巨大カルトのヒラ狂信者が教祖にプロポーズされた時のような恐怖。
魂のステージが違う!と感じてしまうというか。
まあ言っちゃえばそういう男は自分への自身の無さが邪魔してちゃんと女性を見られてないだけだから、元増田は上手なメイクを頑張ってくれ。
ただ一応付け足せば、普通の男でもやっぱり好みとしてイモい子が好きって人はもちろんいるし、また別の心理からのすっぴん好きとかはそれなりの割合で存在する。
そういうのはまた話が別よね。
表だっては言えないが、確かに、メイドなんとかでは、
8等身のいわゆる美人よりイモイのがウケルと思う。
なにせ、2次元萌え??な俺らだぜ? 3次元の流行とは次元が違うんだよ。
といいたいが。
実際は、レベル高女の子が入ると、どうせっしていいか、わからないよ。
きっと、あれは別格だよ。僕らが手を出しちゃ行けないゾーンなんだよ。
と、神々しさがバリアーになってるのかと思われ。
とりあえず、正直なところは、いまのままでいいとおもうよ。
すこしすれば、お互い慣れるよ。
ただ、オタは、心にキズを持った子もおおいから・・・
あんまり、モテとかに巻き込まないでやってくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
まあ、どのくらいの数のルポオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、 その上で全く知らないジャーナリズムの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持って る」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、日本のノンフィクションのこと
を紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にルポルタージュを布教する
のではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、財布的に過大な負担を伴う単行本で2000円超えるようなのは避け
たい。
できれば文庫、単行本でもブックオフでよく見かける程度にとどめたい。
あと、いくらジャーナリズム的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
社会派映画好きが「『市民ケーン』は外せない」「『アラバマ物語』ぐらい見とけ」と言っ
ても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
報道知識はいわゆる「噂の真相」的なものを除けば、毎週週刊文春程度は見ている サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「立花隆以前」を濃縮しきっていて、「立花隆以
後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。児玉隆也は手に入らないし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要
最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」
アレって典型的な「記者が考える一般人に受け入れられそうな事件(そうオッサンが思い込
んでいるだけ。実際は著者が暴走しすぎ)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ジャナオタとしてはこの二つは“妄想”として片付けていいと思うんだけど、率直に言っ
てどう?」って。
まあ佐野さんは『巨怪伝─正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文春文庫)『カリスマ─中
内功とダイエーの「戦後」』(新潮文庫)が格段に出来がいいのだが、長すぎるんで。
ある種のウヨが持ってる犯人山口二矢への憧憬と、「あーだこーだ言っても要するにロマン
は欠かせないのよ」的なナンバーをはじめとする文春ノンフィクションを彼女に紹介すると
いう意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも沢木耕太郎な
「愚直なヒーロー」を体現する山口二矢 「庶民的なオヤジ」を体現する浅沼稲次郎
の二人をはじめとして、著者好みのキャラを世界にちりばめてしまっているのが、紹介して
みたい理由。
たぶんこれを読んだ彼女は「魚住昭だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いと
いえば狙い。
この系譜の作品が何故か読売批判に繋がったこと、これが何故か日本推理作家協会賞を受賞
したこと、本当ならデヴィ夫人批判に繋がって、さっさと退場してもいいのに日本国内でそういった動
きがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりスピリチュアルとか怪しいよね」という話になったときに、そこで選ぶのは『カ
ルト資本主義』(斎藤貴男:文春文庫)でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、
この作品における福本さんのスタンスが好きだから。
怪しいところに自ら入り込んでそれで結局ばっさり斬る、っていう行為が、どうしても俺の
心をつかんでしまうのは、その「人を信じる」ということへの諦めきれなさがいかにもこの
人だなあと思えてしまうから。
精神世界や自己啓発批判についての第一人者だしだからこそこの本に信憑性があるとは思う
けれど、一方でこれが斎藤さんなら罵詈雑言ばかりで題材にする量も半端じゃなくなるし、
『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う』(朝日出版社)の森達也さん
だったらきっちり40分のドキュメンタリーにしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて一冊の単行本を作ってしまう、というあたり、どうして
も「「人を信じる」ということを諦めきれない一個人」としては、たとえ福本さんがそうい
うキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。
作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で『のだめ』を見たことのない人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹
介してみたい。
音楽という身近でありながら遠く感じてしまう題材をどうやって料理するか。その一つの解
答が本書だと思う。主張に一貫性がないとかエピソードの取捨選択を誤っているなどの批判
も多いのだが、分かっているようで分からない主題にどうやって近づいていくか、そのアプ
ローチの仕方は単純にすごいと思うし、そこらへんを彼女に感じてもらいたくはある。
在日外国人としての「目」あるいはレヴィ・ストロース的な「世界観」をオタとして教えた
い、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない日常を疑ってみる」的な感覚がジャーナリズムには共通してあるのかなという
ことを感じていて、だからこそ在日というか朝鮮半島の問題が竹島をはじめとして今でも話
題に上るのだろうと思う。
「世界の中の日本人」という感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「気分」の源
は在日問題にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に読ん
でもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう現在進行形の重大事件を当事者との近距離にいるというかたちでノンフィクション
化して、それが常識として受け入れられるか、気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみ
たい。
9本まで決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に奥崎を選んだ。
立花隆から始まって原一男で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、映像ドキュメント時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
ちなみに、あえて当事者による実録ノンフィクションははずした。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
http://anond.hatelabo.jp/20080726155322からの流れに、乗り遅れつつも乗っておこう。
書いてる内容はちょっとズレてるかもしれない。
話の都合上、色々言い切っちゃってますww
時々、モテゾーンに居る人間からの説教的なエントリを目にしますが、あんなもん完全に眉唾だと思います。
実践したら、世間的に称するところの「彼女」は出来るでしょうが、非モテの人はそんなもん別に求めてないんですよ。
全く必要と思えないことに、力をつぎ込める人間なんて、普通いません。
非モテってのは人の恋愛話どころか、そもそも人間自体に余り興味を抱かない人種なのです。
じゃあ、非モテが欲しいのは何か。
自分の趣味とか価値観をストレートに共有できる人間と楽しくやっていきたいってのが一番重要なのでは、と私は思っています。
それなら、男友達でいいじゃんと言うかもしれませんが、イチャイチャしたり、セクロスしたりはしたいのです。
具体的に言うなれば、おっぱい揉んだりしたいんです。おっぱいを。
それもただ揉むのではなく、何というか、微笑ましく揉みたいわけです。
しかし、どんな女でもいいわけじゃない。
自分と趣味やら価値観が共有できて、好意を持てる女性とイチャイチャしたいわけです。
そのへんの街中歩いてる女の大半など、どーでもいいのですよ。
そして、悲しいかな、現在非モテゾーンに位置してる人は、その趣味や価値観が極めて男性的であることが多い。
上記の条件を満たす異性との接触そのものが無いのです。
そりゃ諦観もしますよ。
我侭言ってんじゃねえ!だって?
それじゃいらねえよ、そんなもん。
その程度のものに一喜一憂するなんて馬鹿みたいじゃん、となるのが非モテです。
非モテとモテの間に存在する価値観の溝は、男女のそれと並ぶほどに深くて大きい。
世界に対する認識というものは、人から何か言われたぐらいで変わるものじゃない。
そして、自分がどういう理由でこういうモノの捕らえ方をするようになったかなんて、自分にも全然わからない。
気がついたら、こういう人間だったんだから、どうしようもないのです。
結局、女性の範囲に対する閾値の低さ+スコープが女性の居る位置からずれてるという理由で、外見だとかコミュ力に関わらず、なる人は非モテになるんです。
最終的にはその小さいスコープに入る女性と知り合えるかどうかという運ですよ、それしかない。
出来る努力なんてのは、知り合うための確率を上げるくらいのものです。
そして、その努力とは女性との出会いを増やすのではなく、自分と趣味が合う人間との出会いを増やすことです。
とりあえず、私は運がよかった。それだけの理由で彼女が出来ました。
非モテのままで。非モテが望む形の彼女を。魔法使いへの内定は取り消しです。
言葉の意味としては矛盾してますが、モテゾーンの人が言う非モテ属性を完璧に備えたままで、という意味で捉えてください。
ここで言う鎧はほぼ着っぱなしだし、ここで言われてることも、一つを除いて全部やったことない。唯一、実践したというか、普段からやってるのが、目を見て話すこと、相手の話を真剣に聞くこと、それだけです。彼女どうこうの前に、人としての礼儀ですよね、これは。
ただ、趣味の合う人間を探して辿っていって、その中で話が合う人がたまたま居て、それがたまたま女性だったという話。
奇跡ですね、正直。
小手先の自己演出よりも人の縁ですよ。
友達が居ることのほうが大事です。
多分、必要なのは目を見て話すこと、そして人間として相手を尊重すること、それだけです。
後は、運。ひたすら運。それ以外、全部眉唾です。
私は、大学で出会う女がもう、端から端まで「はあ?」と言いたくなるぐらいズレた生き物ばっかりだったり、やむを得ず参加した飲み会で、他人のコイバナを肴にしてる集団を見かけては、もうちょっと生産的な話できんのかこの馬鹿どもは、と思ってたり、電車で馬鹿みたいな声で喋ってる女を見かけては、「俺が範馬勇次郎だったら・・・」と思ってるような人間ですが、綺麗な彼女が出来るときは出来るんだなあということがよくわかりました。
真面目に生きてれば、それなりにいいこともあるもんだ。
あえて言おう、俺こそが勝ち組であると!
すいません、調子乗りました。
とりあえず、今は幸せに生きてます。
本当、ありがとう。
出会えたことにありがとう。
私が好きになった君が、私を好きになってくれてありがとう。
多数いる同居人のうち、23歳の同居人の行動パターンが「思春期の中学生」みたいな具合で、たまに耐えられなくなる。
こんなやつ、みんなの周りにいませんか?
国産モバイルノートって16万くらいがボリュームゾーンなんだと思うが、 すぐ20ウン万っていう数字が出てくるのはどういう認識のズレなんだろう。
昨日、タオルの使い方でかあちゃんとケンカになったので、使い方についてまとめてみた。(←↑序文は必要。箇条書きしたときの偉そうな書き方をやわらげる。)
まず、大前提として
1.タオルは無印やフランフランで買ってはいけない。 (←なんで?と思わせる)
柄付きの安物を揃えるべし。その理由は後で。 (←伏線。下まで読ませる)
○○酒店と書かれたハンドタオルこそ、先人の知恵の結晶なのだ。 (←「これ、深い話かも、、」と思わせる)
次に風呂に入ろう。
2.換え下着の上にタオルを置く。
忘れがちだがこれは鉄則。風呂上りにタオルを取るとき下着の下にタオルを置いてしまい、下着を濡らしてしまう事件が近年多発しているのだ。
(↑日本人は「鉄則」に弱い。最近の事件に言及して他人事ではないと危機感を煽る)
さて、風呂からあがったら
3.すぐにタオルを広げてはいけない。
何も考えずにタオルを広げるのは愚の骨頂、ここは一旦手を止めて考えよう。
タオルとは縦1m×横0.5mほどの長方形の布である。
そして吸水性を増すために分厚くなっており、表と裏と両面が使える。 (←事実の確認)
ここで考えるべきなのは、濡れた体に対するタオルのゾーンディフェンスである。(←日本人はカタカナ語に(ry)
「濡れた体」という「面」で押してくる敵に対し、隙のあるスペースを作ってしまっては失点=拭き残しにつながりかねない。
この戦いの敗残者にはべっとりと張り付く下着が待つのみである。ただしウェット&メッシー好きにとってこの瞬間は歓喜であるが。 (性的マイノリティへの配慮)
ではなにをなすべきか。
初心者は表と裏をそれぞれ2分割したfour Zoning体制が良いだろう。慣れてくれば6分割zoningが使いやすい。(←日本人は横文字に(ry)
ここで1.に戻ると、無印などではカラフルな無地のタオルが揃っている。毎年大勢の上京者がオサレなアーバンライフを夢見て買い揃えてしまい、表裏がわからずに自爆事故を起こしてしまう事件が頻発している。一人暮らしの上京者にとって後述するポイント9.のような事故と自己嫌悪が都会の孤独感を増幅させていると警鐘を鳴らす有識者も多い。(←有識者の言葉の重みを利用、ただし「識が有れば有識者」なので自分が思ってればいい)
5.最初に髪を拭く
髪はタオルの裏の第一ゾーンで拭く。だが、あくまで撫でる程度、水滴が滴らないくらいで良い。なぜ髪からなのかは次に説明する。(←伏線その2)
6.表の第一ゾーンで顔を拭く。
顔はゴシゴシとこすってはいけない。顔に軽く押し付けるようにして拭く。
人間は顔を拭くとき実はかなり強い力をかけてしまっている。意識してみるとちょっとしたダンペルを持ち上げるほどの力をかけているはずだ。これではいくら柔らかいタオルでも医学的に考えると肌への摩擦刺激はかなりのものだ。摩擦刺激が大きいとき、肌は防御のために角化し始め、肌を傷め老化させる結果となる。ここは注意が必要だ。(←「医学的」とか使うと説得力アップ)
また、髪を拭いたゾーンの裏で拭くのが好ましい。ここでポイント5が役に立つ。
人間は顔に落ちた水滴に弱い。これは本能的に不快なもので、古来から拷問にも使われているほどだ。(←とりあえず歴史を語っとけ)
髪から滴る水滴は何度もゴシゴシ拭いてしまう原因となるので先に髪を拭いておくこと、そして髪から取った水分でタオルが柔らかくなっているために肌にも優しいという一石二鳥なのだ。
7.次に背中を拭く
安易な考えの人はそのまま右手に持ったタオルで左の手を拭き始めるだろう。
こういう左手イデオロギーな考えしかできない左翼は死ねばいいのに、と思う。(←とりあえず悪者をつくっとけ)
また、一説によると特定アジアの人の5割はこのような拭き方をするらしい。野蛮すぐる。(←たぶん、誰かが食いつくので適当に装入しとけ)
背中はタオルがくしゃくしゃになる前に表の第二ゾーンで背中をサラッと拭く。これは、背中という場所がなかなか拭きなおせない場所だからである。
8.腕と腹部を拭く
次に背中と同じ面を使って腕と腹部を拭いていく。この部分は意外に面積が小さい上に拭き直しも容易だ。
ただし、髪を拭いた面と同じ所で拭くと、抜け毛が張り付く危険が高い。そして我々は最大の難所へと向かう。
9.股間を拭く
ここが一番のポイントだ。まず注意すべき点として、タオルは裏の第二ゾーンを用いる。
これを間違えてはいけない。ゾーンを間違えて髪の抜け毛が下の毛に絡まったり翌日二度使いしたときに間違えてこの面を顔に押し当ててしまったという事故は日本全国で多発している。都市計画の様に着実に冷静にゾーニングすることが大切だ。
ここは水気の切れ難い場所なので強めにゴシゴシ拭いて構わない。ただし、事前にきちんと下処理をしておかないといけない。詳細は省略。(←妄想を喚起、説明しすぎるのも良くない)
10.最後に足を拭く
この時点でもうタオル使いには慣れていると思うので太腿は普通に拭けばよい。少し問題なのは膝から下だ。特に男性はすね毛の問題がある。
実はすね毛の抜け毛は意外に多い。人の家でシャワーを借りてバスタブで体を拭くと短い毛がパラパラ落ちるので気持ち悪がられないように注意が必要だ。
また、シャワーで洗い忘れやすい足の裏も要注意ポイントだ。タオルのどこを使うか、この問題は世界に誇るタオルの町、愛媛県今治市の長老たちの間でも議論が別れるが、医学的な見地から私は髪を拭いた面を使うことを勧めたい。それは股間と足指に多発する感染症が共通しているからだ。(←意見が別れてると書くと、この記事を起点にして話が回るようになる)