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2008-11-15

http://anond.hatelabo.jp/20081115143655

でも女性達に言わせると「彼のことを分かっているのは自分だけ」という気持ちらしい。

いわゆる「いい人」ってのは、どんな女性にも同じ接し方、同じ話、同じ優しさを振りまいて、

「彼の事を分かっている女はたくさんいる」「別に私と付き合わなくてもいいじゃん?」という気持ちにさせているんだろうな。

http://anond.hatelabo.jp/20081115143655

>>でも女性達に言わせると「彼のことを分かっているのは自分だけ」という気持ちらしい。<<

これはだめ男専の女が言う典型的セリフですよ…

友情資源愛情資源の違い

友情資源無限

愛情恋愛資源は有限。

実際のところはどうだか分からないけど、世間じゃそうなってるらしい。

だってさ、友達100人いるって言えば交友関係が広いってなるけど、恋人100人いるってそりゃただの浮気者でしょ。

だからさ「いい人」の問題点って、つまりは(悪い意味で)モテ過ぎるところにあると見た。

有限資源である愛情をみんなに振りまいているから、結局一人辺りの資源量(=魅力)が目減りしてしまうんだな。

そして愛情資源の使い方がうまい「非いい人」に、おいしいところを持ってかれてしまう。

実際のところ、女性に不自由しない男性って、男からみたら「一体どこがいいの?」って思うことが多い。

でも女性達に言わせると「彼のことを分かっているのは自分だけ」という気持ちらしい。

実際には多くの女性が同じことを思っているにも関わらず、ね。

2008-11-12

じぐざぐディグダグ

近いうちに人と談笑するかもしれない。しないかもしれない。

基本的に家族以外と話さない生活をしている。もし談笑するとしたらそれは約一年ぶりになる。

普段は無理に他人と話さなくてもよい現状がとても幸せだと思っているけど、それはそれとして人と話す催しを楽しみに感じるし、話せるなら嬉しい。

ただ、その催しを開くかどうかの意思決定に、自分は関われない。厳密に言うと、第三者から見た場合にはこちらが決定したように見えるように振舞わなければならない可能性もあるから関わってはいるけれども、相手側の都合や気分に干渉できるような力は持っていない。

談笑できるなら最上の喜びを以て歓迎するけど、棚の上のぼたもちを見つめ続けてもやきもきするだけなので、あまり期待はせずに過ごしている。

今までその手の催しがある度、そういうニュートラルな心持ちを心がけていて、そして毎度うまいこと功を奏していたんだけど、先日うっかりネット上でその一部を漏らしてしまって、大失敗した気配が濃厚になっている。

漏らしてしまったのは、「あまり期待はせずに過ごしている」の部分。さらに関係者の人にこの言を拡大解釈されて、こちらは「来ようが来まいがこちらの心情としては大差ない」と思っている、ということにされてしまった感がある。誤解を解こうにも、その誤解と同時に送られてきたメッセージには、「以降しばらく返信を控えていただけると助かります」という旨もあったので、誤解ですというメッセージを送るのもためらわれる状態。

ためらう理由はそれだけじゃない。もしこちら側が心待ちにしていると明言すれば、人のいい相手側に圧力をかけてしまうことになる。干渉できるような力を持っていないというより、干渉しても許されるような立場ではない。

現在ネット越しに見る限りでは、あちこち引っ張りだこでスケジュールがぎちぎちらしい。だから余計に気を使わせたくない。

そもそも相手側には大したメリットもない催しなので、催されない方がむしろ自然だったりする。積極的に自然の流れに逆らうのは、何だか忍びない。というかみっともない。

関係者の人が相手側に前述の誤解を吹き込む可能性は実のとこそんなに高くもないと思うから、現状維持でウキウキさらりと、あくまで待たずに過ごそうと思ってる。もし吹き込まれたらおそらく相手側は「僕の影響力ってそんなもんだったんだ…」って相当がっかりして、ご縁自体切れそうだけど、トータルで考えるとその方が良いのかもしれない。年にいっぺん程度しか他人と談笑しないような人間との縁なぞあったところでめんどいだけだろうしなあ。枯れ木も山の賑わい、数としてカウントされて、その人の人脈アピールに貢献できればいいやと昔は思ってたんだけど、今はもう数に関しては十分足りてるみたいだし。

でも話せたら嬉しい。増田に穴掘って王様の耳は話せたら嬉しいってシャウトしてそのまま寝る。

2008-11-05

日本は侵略国家であったのか」を読む 補遺

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 その後、台湾外交部からも抗議声明が出されたようです。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081102-OYT1T00492.htm

 しかし、田母神氏ご本人は、「誤っているとは思わない」「(論文の内容について)今でも間違っていない」、

http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY200811030159.html

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081103-OYT1T00526.htm

とおっしゃっておられるようであり、

近現代史の一面的な見方を見直そうという動きが各方面から起きていたが、その象徴的論文

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081103/plc0811031834005-n1.htm

という新聞もあるので、ネット上にある反論ソースをあげておくのも意味ないことではないと思い、対中外交について落ち穂拾いをしてみます。今回もネット上にあるものだけを参照しており、私はこの時代の一次史料を読んでいませんので、「ちらしのうら」であることに変わりはないですが、根拠を何も示さない所論よりはましだと思っています。

日本は・・・(中略)・・・相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」のか

見出し引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

それでは、公開されている次の論文を紹介する形で反論します。

古屋哲夫「対中国政策の構造をめぐって」『近代日本における東アジア問題』古屋哲夫山室信一編、吉川弘文館2001年、をPDFHTML化したもの(単行本にはあたっていないことをおことわりしておきます)。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/pdf/75.PDF

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 まず、日露戦争後の日本中国権益についてみてみましょう。そもそも初期条件は清の関与できない日露両国の話し合いで設定されました。

日露講和条約によって日本が獲得した在満権益とは、ロシア権益の残りの期間を、「清国政府ノ承諾」を条件として、譲り受けたものであり、具体的には 1923年大正12)に満期となる(露清原条約の期限が25年)遼東半島租借権と、運転開始から36年後の1939年昭和14)年に中国側に買戻権が生ずる南満洲鉄道経営権を中心とするものであった。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 清の事後的同意が必要とされたこと、租借権と経営権には期限が設けられていたことは留意されるべきでしょう。

 後の関東軍へとつながる駐兵権の話も、この段階で出てきます。

それは清国の了解なしに、その主権を侵害する鉄道守備兵駐兵権を設定したものであった。それは現に軍隊存在しているという既成事実を権益に転化させようとするものであり、日露両国は清国の主権侵害の共犯者となったことを意味し、また、以後の満洲支配についての日露共同行動の可能性をしめしたものでもあった。ところで講和条約ロシアから日本への権益の移転譲渡は、「清国政府ノ承諾」を条件とするとしており、それにもとづいて、1905年11??12月にそのための北京交渉が開かれたが、そこで清国側がもっとも強い反発をしめしたのは、この鉄道守備隊の問題であった。・・・(中略)・・・結局この問題は日本側が、ロシアが撤兵を承諾したときには、日本も同様に撤兵するという条件を付けただけで押し切ってしまうが、小村寿太郎全権は、ロシアの撤兵など起こりえず、したがって日本の撤兵もありえないものと考えていた(5)。この鉄道守備兵が、租借地守備兵とともに、後の関東軍を構成することとなる。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 先に既成事実があって後に法的に問題を確定させようとしていることは留意されるべきでしょう。

このようなやり方が、相手側に不満を生じさせ、後の紛争の種となるのも当然でしょう。

日露講和後の清国に対する交渉において、もっとも紛糾したのは、前述の駐兵権問題についで鉄道権益をめぐる問題であった。・・・(中略)・・・その結果、1905年12月に調印された、「満洲ニ関スル日清条約」(実質的内容は附属協定)では、吉長線も新奉線も協定附属の取極に譲らざるをえず、前者は清国の自主建設により、資金の不足分を日本からの借款による、後者日本から清国に売渡し、その改築のための費用を日本より借り入れる、という譲歩をよぎなくされている。結局協定本文には、安奉線が残されただけとなったが、これも軍用軽便鉄道商工業用に改良することは認めるが、18年後には清国に売り渡すべきことが規定されていた。それは安奉線についての日本の権利が、長春旅順間の鉄道とは全く異なるものとして協定されたことを意味していたが、日本側、とくに現地の実権を握る陸軍は、条約には目もくれず、安奉線を駐兵権や附属地を持つ満鉄の支線とすることを 実力で押し切ろうとしていた。

 実際に、満洲よりの日露両軍の撤兵期限である1907年明治40)4月になると、遂に、安奉線上の本渓湖の市街に新たに日本軍が進出し、同時に日本警察官出張所が設置されたとして、清国側からの抗議が提出された。これは前年8月陸軍が主導して在満権益を管轄するために設立された関東都督府(都督は陸軍大将または中将、初代は 大島義昌大将)が、既成事実を作り出しはじめたことを意味した。そして外務当局もこれを追認する態度を示している。日本側のやり方を条約違反とする清国の抗議に対して、同年5月18日林董外相は、安奉線は満鉄の支線であり、守備隊の駐屯や警察官派遣の権利も満鉄と同様だとの態度をとるよう奉天総領事に指示している(7)。それは条約よりも既成事実押し通せ、ということであり、対満洲政策の一つの性格が早くも形作られつつあったことを示している。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 上記のような「条約よりも既成事実押し通せ」という態度は、国際法にのっとった正当なものと言えるでしょうか。

軍と外務当局との関係については、一致することも異なることもあったでしょうが、ここでは両者ともに既成事実化をはかっています。

軍だけに責任を負わせることはできません。

安奉線が朝鮮半島満洲を直結するものとして重視されたことはいうまでもないが、日本側は他面では、韓国北東部に隣接し多数の韓国人が居住する間島地方に、領事館及分館を設立して、韓国人に対する領事裁判権を行使することで、日本の勢力を浸透させることを企図していた。そして清国側が容易に実行しないことを予期しながらも、日本希望を記録しておく意味で、前記「間島ニ関スル協約」に、清国が吉林から間島を経て韓国北部の会寧に達する鉄道建設する際には、吉長線と同一の弁法によることという一項を押し込んでいる。しかし中国側は辛亥革命後も、一貫してこの吉会線構想を拒否しており、満洲事変以前には交渉が成立する見込みさえも立たなかった。

 つまり、日露戦後の対中国政策は、その基礎に、「交渉」によっては解決しえない部分を抱えこむ形で出発しているのであり、この時点においてすでに、中国との平穏な交渉によって、利権拡張を図ることは不可能になっていたと言える。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここまであげてきた行為から、相手国の了承などどこ吹く風といった態度があったことは明らかではないでしょうか。

 つづいて、中華民国期に入ります。

ところで日本が主導しえなかったこうした〔引用者注辛亥革命以後の〕経過の中でも、日本の対中国政策のなかに、様々な特徴が蓄積されてくる点に注目しておかなくてはならない。その第一は、中国全体の情勢を制しえないならば、むしろ分裂を促進して日本が操作しうる地域を造りだそうという発想が生まれてきたという点である。たとえば、在清国公使伊集院彦吉は、1911年10月18日の時点で、清朝にもはや中国全土を統治する力はないとして、「中清ト南清ニ尠クトモ独立ノ二ケ国ヲ起シ、而シテ北清ハ現朝廷ヲ以テ之カ統治ヲ継続セシムヘシ」「何レノ途北清ノー角二清朝ヲ存シ、永ク漢人ト対峙セシムルハ帝国ノ為得策ナリト思考ス(10)」 との意見外相におくり、さらに11月19日になると、清朝の情勢がより困難となりこの三分案の見込みもうすれたとし、第二案として清朝をして「十八省以外満蒙等ノ地域」に国を保持させる、それも駄目で清朝滅亡の際には第三策として新共和国首都を武昌など中国中央に置かしめ「満蒙ノ地域ヲ遠ク辺外二置キ漸ク閑却セシムル(11)」との意見を具申している。それは親日地域の確保のための中国分割という発想に行き着くことになろう。さらに翌12年2月になると、いわゆる大陸浪人川島浪速らが、参謀本部関東都督府と連絡しつつ、北京より脱出させた清朝親王を擁し、蒙古の王公らをも参加させて、満蒙独立国を造り出そうとする画策が実際に行われるに至っている。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

ここでは、一外交官、一大陸浪人の例しかあげられていませんが、後にみるように、国の分裂を促進させようというのは国の政策となっていくのであり、その萌芽がみられることは留意しておくべきでしょう。また、ここでも軍のかかわりがみられるようです。もちろん、他国を分裂させようというのは、相手の了承を得た、国家間の条約を尊重する態度とは言えないでしょう。

この間〔引用者注革命後、1910年代前半の中国情勢の混乱〕に付加された対中国政策における第二の特徴として、中国現地において日本軍人が侮辱されたと日本側が解釈した場合には、「原因の如何にかかわらず」、中国側に責任者の処罰と謝罪を行わせて、日本軍威信を守るという方式が打ち出されてきたことに注目しておかなくてはならない。いわゆる第二革命の 時期に、日本人が被害を受けたとする、漢口・エン州・南京の三事件がおこっている・・・(後略)・・・

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 漢口事件について、古屋論文に基づき、要約します。

 まず、陸軍少尉中国軍の制止を無視して戒厳地区に進入し、一時抑留されました。

 軍からの報告は、「無抵抗の西村少尉らが、理由もなく暴行を受け、軍服をぬがされるなどの侮辱を受けた」というものでしたが、日本の総領事は「これを信用せず、自ら調査して西村らの横暴と暴行について牧野伸顯外相(第一次山本内閣)に報告」しました。しかし、「陸軍中央部は、現地の調査も行わずに、「日本将校凌辱事件」として」、謝罪と賠償利権を要求し、結果として中国側に処罰・謝罪させたものです。

 古屋論文は、このような事例が満洲では蓄積されていたであろうことを指摘し、「このような先例の蓄積は、「日本軍威信」の確保を第一義とするという条件によって、日本の対中国政策が実質的に拘束されるようになってゆくことを意味していた。そしてその翌年の第一次大戦への参戦は、対中国政策にさらに決定的な影響を及ぼすこととなった」と評価しています。

 交渉ごとにおいて、譲歩できないものを必要以上に多くすることは、カードの手札を事前に少なくしているのと同じではないでしょうか。

 つづいて、第一次大戦下の部分をみていきましょう。

第一次大戦下で目に付くのは、前述した鉄道付属経営権や、軍の威信を確保する事件解決方式など、条約面に現れない既得権の高圧的行使や、軍を背景とし、あるいは軍に依拠した陰謀的行動の横行であった。とくに袁世凱が自派による帝政運動組織し、1916年1月1日帝位について洪憲元年と称したのに対して、反対派が第三革命に立ち上がるという事態に対応して、大隈内閣が反袁運動支援の方針を決定したことは、こうした傾向を著しく促進することになった・・・(中略)・・・この〔引用者注内閣の〕方針は具体的には「適当ナル機会ヲ俟テ南軍ヲ交戦団体ト承認スルコト」などをあげているが、実際には山東に居座った日本軍(侵攻以来ワシントン会議後 まで7年以上駐留)や、満鉄守備隊を含む関東都督府の現地軍が関与あるいは支援したことが、最も重要であったと見られる・・・(中略)・・・大隈内閣の反袁政策は、結局のところ、現地日本軍と其の周辺の日本人の横暴への反感を広めただけに終わったようにおもわれる・・・(中略)・・・第一次大戦下の日本の対中国政策は、侵略性の膨張として特徴づけることができるが、列強のすべてが参戦し、中国に手を出すいとまがないという条件のもとで、初めて実現したものであり、従って戦争の終結とともに転換を迫られることは必至であった・・・(中略)・・・日本軍は、青島を攻撃・占領する以前に、ドイツ兵に守られているわけでもない中独合弁の私立会社経営する山東鉄道を占領(26)しているのであり、日本の参戦がたんにドイツ軍事力の打破のみでなく、新たな権益の獲得を目指していることは明らかと見られた。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここでは、中国の内部分裂を促進させる政策を内閣採用しています。政治が、権謀術数やパワーゲームというのはその通りなのかも知れませんが、これに対する中国の、その民衆の反発は至極まっとうなものでしょう。ベルサイユ講和会議における中国の要求が退けられたことから、五四運動へとつながります(中国ベルサイユ条約への調印を拒否しました)。周りにいくら根回しをしても、当事者同士に納得が得られなければ物事は進みません。

 そして、アジアの国際秩序について話しあわれたワシントン会議では九か国条約が結ばれます。

中国政策全体は、領土保全・門戸開放・機会均等というアメリカの主張を柱とする九か国条約規制されることになり、そこには勢力範囲政策を排除することも明文化されていた。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html


 このような流れのなか、詳細は省きますが、古屋論文では、「国際的に通用しなくなって」きた「特殊権益」、「勢力範囲」にかわり、「満蒙治安維持」という、関東軍の謀略による満洲事変につながっていく「政策理念」が出てくるとされます。

しかしそれ〔引用者注:満蒙治安維持〕は、他国の一部を自国の利益に従属させるという点では、勢力範囲と同じことであり、中国との対等の関係確立するためには、破棄しなければならない要求であった。しかしそのことは、幣原外交においても、ほとんど意識されることはなかったように思われる。

 それは幣原外交もまた、国民の対中国意識のあり方に規制されていたということであろうか。第一次大戦中に強められ広められた中国に対する侮蔑を基礎とする優越感は、大正デモクラシーによっても解体されることはなかったし、さらにその基底では、満蒙を20万の将兵の血と20億の巨費であがなわれた明治天皇の遺産とみる天皇制意識が形成され、大衆呪縛していたことであろう。現地軍における統帥権独立と、国内における大衆中国侮蔑感とは、対中国政策の構造的改造を困難にするものであった。そしてその大衆意識は、満洲事変への共鳴板として鳴りはじめ、状況を一挙に転換させることになるのであった。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここまでみてきたような、日露戦争から満洲事変にいたる流れをおさえてなお、「相手国の了承を得」た、「条約に基づいた」と表現することが妥当なのでしょうか。ご覧の通り、日本大陸政策に対する軍の関与は明白ですが、まさか防衛大を卒業された方がこの程度の知識をご存知ないとは思いませんので、あの「論文」の内容とどのように整合性をとられているのか興味深いところです。

 さて、このように、一つの論文をみて、「論文」の一部の所説を検討するだけでも結構な手間がかかります。歴史勉強はそれほど甘くはありません。粗雑な「論」を示して誤りはないと言われても困ります。また、「事実小説より奇なり」ということもありますし、歴史学においては、「神は細部に宿る」こともあるので、個人の感覚からおかしいと言うだけでは有効な批判にはなりません。また、学問においては、勉強が足りずに事実認識が間違っているのは、明らかに勉強が足りないことに非があります。今は勉強不足で根拠が示せないというのであれば、その主張は根拠がないゆえに認めれらないのです。いつか証明されるのかもしれませんが、そのときが来るまでその主張に強度はありません。

 ところで、古屋論文の最後に、「国内における大衆中国侮蔑感」の問題が出てきました。今もまた、中国に対する偏見百害あって一利なしであり、中国の実態を虚心にみつめ、評価しなければならない、と私は考えています。

 その意味で、中国の民衆運動について、興味深い論文をみつけたので最後に紹介します。

しかし,中国民衆のナショナリズムとは,つねにそうした「暴力」をともなうものとしてしか実現されなかったのであろうか。そこには多くの場合,「暴力」の受け手の側からするバイアスがかかってはいないだろうか。一昨年の,「反日デモ」についての日本マスコミ報道が,デモの「被害」を強調し,一面的な批判に終始したことも想起される。「歴史」と「現在」を同時に射程に入れねばならない現代史研究者にとって,そして,民衆の運動対象であったわれわれ外国研究者にとって,必要なのはこうしたバイアスを克服し,実証的に中国の民衆のナショナリズムの実態を注視することではないか

江田憲治「民衆運動ナショナリズム1925年の五・三〇事件を手がかりとして―」『現代中国研究』21、2007年、27-28ページ。http://modernchina.rwx.jp/magazine/21/eda.pdf

 私はこの問題意識に全面的に賛同し、実証的な近現代史の議論が進められることを希望するものです。

またしても、このような長文をお読みになってくださった方に感謝します。

2008-11-03

日本は侵略国家であったのか」を読む 補足

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。

 増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。

 さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。

 では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。

 しかし人類歴史の中で支配、被支配の関係戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダオーストラリア南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。

 また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構採用していく次のような例もありました。

1920年代より英国ビルマに赴任するICS〔引用者注インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657

それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。

 1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。

 まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠平和確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア民族解放」、「植民地解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。

ビルマ1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。

日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。

「本稿では不十分ながら、日本大東亜共栄圏アジア主義プロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。

 インドネシアフィリピンベトナム抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、

「要するに、東南アジア諸国の反植民地民族独立運動は、太平洋戦争日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争東南アジア民族独立運動」『法政研究九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。

 以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。

 さて、今回のエントリ執筆目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己見解教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文発表できますよね。

 一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会学会書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。

 さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書自虐史観マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民歴史』のように、専門家研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化歴史岩波新書2000年あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史岩波書店、1997-2000年、では、古代中世近世近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。

 私が前回あげた書評にこういう記述があります。

「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間連続性〔引用者注満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的研究であった」(加藤陽子書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。

 最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。

小田中直樹歴史学ってなんだ?』PHP新書2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文DLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)

小田中直樹言語論的転回歴史学」『史学雑誌109(9)、2000年

http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266

歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社1997年

永原慶二『20世紀日本の歴史学』吉川弘文館2003年

 今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。

 また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。

(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。

(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコースト研究の進展について次の文献を参照してください。

健介ホロコーストニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897

2008-10-12

ちゃねらーと言うかVIPPERの何が嫌いか

ニコニコ厨とか。

ずっともやもやとした嫌悪を感じてたんだけどなんだか最近よく分かった。

あいつらヤンキー(不良)によく似てるんだ。

・群れて

スラング大好き

法律ぶっちぎり

・俺ルール

気にくわないサイトに大量に押しかけて、相手に通じるかどうか分からない頭の足りなそうなスラングを喚きちらし

法律違反していることを指摘すれば、自分の都合の良い論理自己正当化して相手が悪いと逆ギレする。

珍走団とかそういうの見てて感じる嫌悪感と同じだったんだなあと何となく思った。

2008-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20081009231948

 横増田だけど、分かる、分かる。煙草の煙って頭が痛くなる。

 近しい人が喫煙者だし、喫煙者自体は嫌いじゃない。煙草を吸うことも、別に悪いとは思わない。だけど、そういう配慮なしにプカプカ歩き煙草する喫煙者を目の当たりにするたび、喫煙者イメージが、相当、悪くなる。

 悪いのは煙草じゃなくて、吸い方、つまりマナーの問題なんだよな。煙草なんて酒やコーヒーと一緒の嗜好品で、取りたければ取ればいい。取りすぎれば毒というだけで、それを承知で摂取するのは本人の勝手だと思う。吸うな、なんていえない。(吸わないでほしいのが本音だけど)

 でも、たとえば日中、町中で歩きながら酒を呷り、他人に絡む酔っぱらいが鬱陶しいように、平気な顔で毒ガスをまきちらして歩く喫煙者も、相当、鬱陶しいものがある。空気中に煙がとけるからいいと思っているのか? 誰にも煙がかからないとでも、思っているのか? 具合が悪いときにたまたまそれを吸い込んで、頭痛ののち、戻してしまう人間がいるとしても?

 歩き煙草をする人間が何を思って平然と、悠然と歩いているのだか分からないけれど、そういうことを知っていて悪意でやっているにしろ、何も考えていないにしろ、やっぱり、イメージは悪くなる。ああ、身勝手で幼い人なんだな、と思ってしまう。

 夜中、人通りの少ない道でそっと吸う煙草とか、屋外の喫煙所なんかで立ち止まって吸うことにまで文句はつけないけれど、どこで吸っても勝手だろとか思うなら、就職試験面接会場で、あるいは、交際相手の両親に結婚の許しを得ようとする席で、吸ってみろよ、といいたい。大切な場所でできないことを、公衆の面前で「関係ないから」「知らない人だから」それで平然とやってのけるのは、恥ずかしいことなんじゃないのか。

2008-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20080713172903

ていうかその男がどんなに自立した立派な立場にいたとしても、専業主婦になる女性に対して「食わせてもらうんだから感謝しろ」って言っちゃダメだろ。もうこれを言う時点でこの男の頭がオカシイとしか思えん。だって他人だぜ?100%大きなお世話としか言いようがないし。自分の奥さんになる人に対してとかだったらまだほんのわずかだけ情状酌量の余地があるけどさ。まあ言った瞬間に破談だろうけどさ。そういうことは仮に本音でも匿名ネットあたりに書きちらしておくのが常識。実際に言うなんて人間関係破壊核爆弾と言ってもいいくらいの破壊力だよ。

2008-03-30

忌憚なき意見をと言われるが

「言わせる以上は、聞き入れる用意もそちらにあるんですよね?」と返すと、なんだかんだとゴニョゴニョと誤魔化される。

アタマにきたもんだから「反映されないのであれば言うだけ無駄ですね。仕事が立て込んでるんで失礼します。」とたたみかけ、1ヶ月後に転職した。俺の後釜には10歳以上年上(キャリアも相応に俺より長い)な人が中途採用されたそうな。手取り20万いってないはずなんだが。妻子持ちらしいんだが。あははのは。

ま、世の中そういうもんだろ。

2008-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20080314180112

増田だけど、キチガイってのはおめーのことだよおめーの。

周りの迷惑考えずにストーカーストーカー言ってわめきちらしてるキチガイのおめーだよ。

2008-03-12

http://anond.hatelabo.jp/20080312111203

そらアンタんとこの老人が良かったケースなだけでしょ。

ボケた老人自分の家で見る辛さもしらんと、よく言うなあ。

ホーム入れること決めた当事者でも、出費決めた当事者でもないでしょうに。

一度ボケるだけボケ健康身体で、

風呂はいりたくないと暴れたり、うんこ部屋の壁にぬりたくったり、糞尿まきちらしたり、

1日5回もいきなり徘徊する老人の面倒みてみりゃいいのに。

2008-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20080117230611

法政でおもいだしたのだけど、

法政荒れてるの?

なんか今日駅でちらしを配ってたとかいって見せてもらったんだけど、

学内闘争して29人ぐらい逮捕者がでてるとかなんだとか。

http://hosei29.blog.shinobi.jp/

いや、一昨年の話しらしいんだけど、さっぱりわからんわ。

そもそも何のデモをしようとしたのかとか・・・

これか?

http://www.geocities.co.jp/houdaikyuuenkai/files/060315appeal.htm

さっぱり仔細がわからんので、だれかふぉろーぷりーず。

2007-12-19

749 名前:就職戦線異状名無しさん[sage] 投稿日:2007/12/19(水) 12:34:31

格差の定義だが、本当に貧困層は増えてんの?格差固定はすすんでんの?

まさかNHKワープア観て危機感持ちました!じゃないよな?


俺は大学で、貧困について研究してるけど、明らかな兆候はまだあらわれていないぞ?

ソースはどこなんだよ、教えてくれ


せいぜい、貧困線とジニ係数ぐらいしかないんだろ?

だからって、より高度な格差指標である、タイル尺度やアトキンソン指標を使って分析してみても、たいして格差は進行してないんだが


751 名前:就職戦線異状名無しさん[age] 投稿日:2007/12/19(水) 12:52:45

「格差が広がったかどうか」よりも、「格差が広がったと思う人が増えた」ことの方が問題かと


日本人空気に弱いからなあw

科学的視点なんてなんのその、目の前で苦しむ中年ニートこそが真実ってなwww

せいぜい非効率的な弱者支援で、厚生労働省をズブズブにしてくれよww


将来、馬鹿サヨクがのさばるころには、俺は海外で暮らすからさwww

せいぜい遠くから日本が沈む様子を見せてもらうよ


759 名前:就職戦線異状名無しさん[] 投稿日:2007/12/19(水) 13:23:19

>>758

┐(´ー`)┌


まあ、そういう人間は昔からいるね

人間社会に適合できない、いわば仙人みたいな奴


最近の問題の焦点は、意欲はあるのにそれを生かす機会(と報われる機会)が減ったことなんじゃないのか?

時間が経てば経つほど、その意欲も薄れ、再起不可能になる人が増えそうという危機感が社会に共有されつつあるってことだろ


ただ、個人レベルでは、語学なりIT知識なり金融知識なり職人技術なりで己の価値を高めるぐらいしかないと思うがね


サヨク政府攻撃や大企業批判でガス抜きの場を提供してオルグしようとしているのがキモイ

ブログ2chで、自分のクズぶりから目をそらすために、他人を無気力にするために、社会に悪意をまきちらしているサヨクニートキモい



760 名前:就職戦線異状名無しさん[] 投稿日:2007/12/19(水) 13:37:37

>>732

事実って何?

マスコミ報道統計的資料?ネットカフェに不潔な若者が増えたという「てめえの実感」?


努力って何?

斜め上の努力努力

午前スコップで穴を掘って、午後その穴を埋める作業を毎日する努力は評価されるの?

毎日不味いメシを作っては廃棄してる定食屋努力は評価されるの?


氷河期若者

プロ野球での二軍と一軍の、実力差以上の圧倒的な給料格差の理由は分かる?お前じゃ分かんねえかな?

客は一軍の選手にしか価値を見い出さないんだよ?

2007-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20071120125652

ですよねー。

でもなぜか、ちらしずしだと、そこがまたいい。

http://anond.hatelabo.jp/20071120122357

「冷たいご飯に魚の切り身を乗せて握ったもの」が寿司だというなら

ちらし寿司や巻き寿司鮒寿司稲荷寿司寿司ではなくなる

2007-11-12

残念ながら編集者が付いてくれない増田たちの不幸

ファ文ぽいエントリの90%がウンコだと思う。

ウンコのまきちらし、よくない。

http://anond.hatelabo.jp/20071112200551

玉石混淆

万の石を磨かずに一の玉が出るはずもなく。

http://anond.hatelabo.jp/20071112193624

最後の1行に同意。

ファ文ぽいエントリの90%がウンコだと思う。

ウンコのまきちらし、よくない。

2007-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20071023205618

納豆卵ウマー。俺も好き。こねぎを軽くちらして、そのうえにご飯をよそって食べるのが好き。

2007-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20071001104959

女なら、おいしいものを食べる、温泉エステカラオケ、買い物、習い事、いくらでも思いつくんだけど。

私(男)もおいしいものを食べる、温泉ドライブカラオケ、買い物、習い事くらいはするなー。

もちろん酒も飲むけど、こちらは暇つぶし程度かな。

あと、最近は畑いじり。これがいいストレス解消になるんだ。

土に触れるのって良いらしいよ。

すぐ切れる=若者とかヒステリー=女とかいうイメージあるけど、実際街中でヒステリー起こしてどなりちらしてるのってたいていいい年したおっさんな気がする。

痴漢はおっさんが多いっていうのも、ストレスが過剰に溜まってるせいじゃないだろうか。

団塊って高度成長を支えたおかげか、いろいろな物が欠如してるからな。

団塊Jr.にも遺伝していて厄介。

男の人はどうやってストレス解消してるんだろう

女なら、おいしいものを食べる、温泉エステカラオケ、買い物、習い事、いくらでも思いつくんだけど。

男はどうなんだろう?酒を飲む?酒飲んで愚痴るってあんまストレス解消にはならない気がする。まぁ酒飲んで地面につばはいたり看板叩き壊したりっていうのは多少のストレス解消にはなってるんだろうか。

風俗は?でもそれは性欲の処理であってストレス解消になるのかな。

スポーツも、誰もがやってるわけじゃないし...。

この前道の真ん中で大喧嘩してたタクシーの運転手を見て、ストレスたまってんだなぁって思った。

すぐ切れる=若者とかヒステリー=女とかいうイメージあるけど、実際街中でヒステリー起こしてどなりちらしてるのってたいていいい年したおっさんな気がする。

痴漢はおっさんが多いっていうのも、ストレスが過剰に溜まってるせいじゃないだろうか。

現実というのはこんなものだけど立ち向かわないといけないのも確かな事

http://anond.hatelabo.jp/20071001005837

いつ頃から圧迫面接って言うのが始まったのか分からないけれど、最低でもバブルが弾けたのが降り掛かり始めてからはあったと思います。

採る側としては「その程度のストレスに耐えられなくては仕事出来る人間にはならない」ってふるいにかけているつもりなんだろうけど、結局は奴隷になれる人となれない人をふるいに掛けちゃってんですよ。

そういう会社の全てがダメだとは思わないけど、圧迫面接やらない代わりに仕事始まったら顔がまったく変わる会社も多いです。

結局は奴隷が欲しいのか真剣勝負出来る人が欲しいのか。で面接仕事やらせてからも違ってくるんでしょうけど、大半の会社はとにかく奴隷が欲しいから。

派遣会社がこれだけ流行っているのも派遣会社通すと、同じ金額を労働者への人件費として使ったとしても、派遣会社を通すことで会社自体がとるべき責任がかなり減るので。

つまりは、奴隷使い捨てにしたいから派遣会社流行るし、派遣会社が営業できる範囲が厳しく規制されていた頃から常時正社員使い捨てにしていて、解雇なのに自己都合退職を強要してくる会社とか沢山あったし、ワンマン社長がそういうことやる会社の時は部下が出来ても育て始められた頃に辞めさせてしまったり他の同僚が退職に追い込んだりって所もあったし。

結局、みんな保身に走るとダメなのよ。何処の経営者もも仕事の中身自体に対する真剣さという意味でのプロ意識なんか欲しがらなくなっている。

それが現実。でも、そこから這い上がることも、自分に志があれば・今なくても仕事していく中で出来てその方向に進めば出来ないわけではない。

何度も泥水すすって来ながら這い上がったり倒れたりを繰り返しているようなわしでもなんとかやれてきているんだから。

前途は暗く見えるだろうけど、暗いならば強引に日をのぼらせるか日の当たる所に着くまで転がるか。

今は昔ほどガチガチ会社社会ではないから、やりようはいくらでもある。

でも、派遣会社無責任な所が多いので避けたほうがいいから。

おっちゃんがちらしの裏に書いてること書いちゃったけど、参考になれば。

2007-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20070917174824

中学まで続いた親父の家族への体罰は、俺が思いっきり反抗して怒鳴りちらしてやったら、なくなった。

親父なんて威厳を保って自分の居場所を確保したいだけのクズ。

母親なんて、その威厳をすり抜けていかに楽な人生を歩むかに必死なだけのクズ。

親孝行したい」とかいう恵まれた家庭の人間をみると反吐が出る。

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