2022-04-18

現実逃避

色々なストレスが重なってyoutubeBTSを見ながら現実逃避し始めて数日。

BTSは紛うことなく素晴らしいアーティストなので彼らの動画漁りをやめられないことを否定する気はないが、休みの日に一歩も外に出ず必要な買い物もすべて夫に頼み料理もしない後片付けも放置している自分現実逃避気味なことは間違いないのでそこから脱する方法がとにかく知りたくて書き始めた。

自分がやらなければいけないことではなくてやりたいことがしたかった。それすらもうわからなくてしばらくスマホを置いてぼんやりしてみた。

思いついたのは、1020代の頃友人と会って安い店でごはんを食べてそのあと飲み屋ではなく喫茶店に行ってとにかくひたすらしゃべり続けたこと。いったいなにをそんなにしゃべることがあったんだろうと思うくらいただただしゃべっていた。

私は基本的に、永遠に社会にはなじめないタイプ人間だった。中学不登校大学中退仕事20代の頃は2年続けばいいほうで最近になってようやくもう少し長く働けるようになった。とりあえず生きられればいいか、くらいの感覚仕事を選んでいるので人間関係やらなにやらですぐに嫌になってしまい辞めていた。そのことが問題だとも特に思っていなかった。夢とか目標という言葉が昔から、正確には中学生くらいのころから嫌悪感対象しかならなくなっていた。やりたいこともなかったし、むしろそういうもの幻想だと思っていた。この世界意味はないと思っていたし当然自分自身に価値があるとも感じなかった。よくある中二病だよね、と今思えたらならよかったんだけど残念ながら30代後半になった現在も私はその考え方を変えてない。いや、表向きは変えたように振舞えているかもしれない。奇跡しか言いようがないがパートナーにも出会えた。でも一度自分の中に植え付けてしまった不信感の根は簡単には取り除けない。致命的なのは世界意味自分価値裏付けるための絶対的根拠がこの世に存在しないことだ。

1020代の頃しゃべり続けていた友人たちは、そういう感覚を分かち合える数少ない相手だった。普段仕事日常で接する人には理解され辛い、社会の息苦しさ、理不尽さ、そもそもこの世界意味とはなんぞや、といったことについてよく話していた。そういった感覚を共有できるのは自分にとっては貴重だった。彼らは決して中二病とか、「社会とはそういうものから仕方ない」とは言わなかった。私は当時から死にたいしょっちゅう思っていたし、彼らに自分本質的な苦しみをすべて話していたわけではなかった。それでも間違いなくあのおしゃべりには心底救われていた。

年月が経ってそのうちの一人とは疎遠になり、一人とはまだ時々会うけれど住んでいる場所が離れているので頻繁には会えなくなった。自分に他に友人がいないというわけではないけれど、昨今の情勢も重なって気軽にごはん行こうとも言えないし、ましてや「この世界意味自分存在理不尽さについてしゃべりまくろう」なんて言える相手はいない。

だが今の私に必要なのはまさにあのおしゃべりなのだ

  • 住んでいる場所が離れているだけなら通話でダラダラしゃべればいいじゃん

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