2020-09-14

京大院生エレジー

 2週間前、東京就職した友人が戻ってくるので、研究室仲間で先輩後輩みなで集まって飲んだ。久しぶりに揃う顔を見て楽しかった。

 その中で、ひとり喧しく飲むヤツがいた。少々奇抜な格好をして自分なりの美学を通す彼は、もう30才。別の帝大卒で院から京都に来た彼は、修士博士と順調に進み、いまや文系満期退学だ。来年3月だったか来年だったか博論を出さねばならないが、あまり書けていないらしい。

 大きな声で話しながら、飲むだけ飲んで、一軒目も二軒目も払わずに帰っていった。きっと金がないんだろう。以前は、よく飲み歩いて、酒場盛り場の世情を語り、抱いた女の数について自慢していた。それでも一桁だったと思う。

 東京就職した仲間は、激務ながら圧倒的な能力仕事をこなし、すでに昇進したらしい。大変だろうが頑張ってほしいと思う。

 一方、その喧しく飲む仲間は、いまだ何をやっているのか、何をしたいのか、よく分からない。Twitterでは数千人のフォロワーがいるらしい。ただ無意味なボヤキの垂れ流しなので、もう長いこと見ていない。

 本人は一端の文化人評論家思想家のつもりらしい。しかし、誰でも分かると思うが、本当に才能のある人物は、だいたい20代業界トップ集団に手が届く位置にいる。その意味で、彼は、ごくごく普通の人、ただの一般人なのだ

 久しぶりに会った友人らは、会計を払いたくないために先に帰った彼の背中をみて、誰となくぼやいた。「心配だけど、救い難いな…」と。

 単著もなければ、メディアでの露出もない。論文の数も多くはない。Twitteryoutubeワイドショー芸人と同じように振る舞って、身内からの僅かな称賛と日銭を得て、貧しく楽しく暮らす。

 別に本人の意志から構わないが、もう顔を見なくてもいいかな…と思った。そりゃぁ、芸人よりは知的だろう。しかし、博士を持っていなければ学者ではないし、単著がなければ作家でもない。トップクリエーターでもなければ、仕事に着いてもいないので職業人でもない。

 つまり彼は何でもないのだ。友人らと共通した彼への見解は「博論のためにも、とりあえず定期的に働いたらいんじゃないか」というものだ。本当はサラリーマンになるのが一番よいだろう。

 左京区に長くいると、何かしらの文化に触れて、自分も何者かになれるのでは…?と勘違いしてしまう。しかし、一般人がそう思う頃には、才気煥発の本物はすでに「何者かになっている」し「名を上げている」。

 以上、友人が勘違いしたまま30代になった話。森見登美彦四畳半神話大系」の中盤ループに出てくる先輩化した友人をみて、悲惨だな…、これこそ京大院生エレジーだな…と思った。友よ、働いてくれ。

 

 

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