書籍化批判とかつまらないとかどんな死に方するのか楽しみだったとかの感想はいいんだ、それはそれで。
そうじゃなくて、何かしら心を動かされた人たちの感想が、誰も彼も、「命って突然終わるんだなあ」「一日一日を大切にしなきゃ」「ワニと一緒に過ごした100日があったから突然の喪失が心に来る」
とかでさ、「怖い」ってのが見当たらない。
私はあの漫画を目にするたびに、いずれ必ず来る自分の死を想像してしまってとても怖くなる。
以前、健康診断で要精密検査になったことがあった。色々調べたら、死亡率が高くて進行の早い病気かもしれないとわかった。その病気の人のブログとか読んだら途中で更新が止まってたり、ご家族の挨拶で終わってたりするものばかりだった。
私は結局、その病気ではなかったのだけど、たくさんの検査の結果が出るまでの半年くらい、怖くて怖くてたまらなかった。本当に死ぬかもしれない、しかももうすぐ。
その病気でないとわかってからも、「いつか死ぬんだな」「事故で明日かもな」「こうやって考えてる意識もなくなるのか」「絶対いつかは死ぬんだな」「現実なんだな」「現実だと認識してる私もなくなるんだな」と、なにかきっかけがあるとグルグル考え始めてしまう。
実はこの状態は初めてではなくて、最初は小学校3年生くらいだった。
「こんな事考えるのは自分だけかも」と思ってたんだけどどうも成長過程で皆がたどる道らしいとわかった。
わかってはいるものの、このグルグル状態は父が亡くなった時や自分の出産の時、「この世界の片隅に」を観た時など、生死を意識する出来事のたびに湧き出して、しばらく頭に張り付いていた。
そして、前記の病気を疑った時以来、死がより現実味を帯びてきていた。
Twitterでワニの話が流れてきて、軽くこのグルグルになって、「え、これ毎日流れてきたらたまらんな…毎日毎日、死ぬの怖いをやってはやり過ごし…を繰り返すのは勘弁してくれ…私は目をそらしていたいんだ」と思って、タイトルをミュートにした。ミュートにしておかないとつい見てしまう、どうしても気になっちゃうとわかっていたから。
2、3日前からワニの話がはてブにも上がるようになった。はてブはミュートワードって設定できるのか知らないし、できてもやり方知らないので「あ〜見ちゃったな…」と思って、また少しグルグル考えてたんだけど、幸いあまり怖い気持ちになる前に家事とかで紛れてた。この増田と似たようなブコメつけたりもした。
今日は100日目なので、たくさんユーザー数付いた記事もあって、「たくさんの人が感想を書いてるんだろうな。私と似た人いるかな?」と思って見てみた。
だけど私と同じ感想の人は見つけられなかった。
みんな、怖くないのかな?怖いけどそんなことは書かないだけかな?怖いけどそんなことは思春期に克服するものなのかな?
死をリアルに想像するからこそ「一日一日を大切に」と思うのかな?私は「大切に」にたどり着く前に怖くて怖くて叫び出したくなっちゃうから、思考を止めるために水飲んだり掃除始めたりするんだけど…。
「考えても仕方ないことは考えない」という人がいるのは知ってる。でも「つい考えちゃう」って人が全くいないとも思えないのだけどな…。私の他に一人くらい、いてもいいような…。
この増田と似た内容で書いたブコメにはいくつか星がついたけど、「自分や家族の死を想像して苦しい」って書いたんだよね。
あれは突き詰めると違う。家族の死を考えないわけじゃないけど、私のグルグルの大部分は「自分の死が怖い」なんだ。星くれた人は「家族の死」に共感してくれたのかもしれない。
誰か俺みたいな中年で死ぬのが怖いって厨ニ野郎、他に、いますかっていねーか、はは
(ってこれ、そんなやつゴマンといるわ!自意識過剰!ってコピペだけど、実際どうなんでしょ?ワニ見て死ぬの怖くなるから見れないって人はいるの?いないの?)
そういう感想が繰り広げられる時と場所を一気に奪っていった手法だから、みんな唖然としてるんじゃ?(感想については同意する部分多いです)
そういう感想が繰り広げられる時と場所を一気に奪っていった手法だから ってどういう意味?
ワニの話に絡めるとそういうのは目につかないだけで、普段の話として死ぬのが怖くて怖くてって奴はそりゃザラに居るわな。 タナトフォビアなんていうしゃらくさい分類もあるくらい...
死なない人間がいるとすれば、そっちの方が怖いよ。
俺も怖かったからブロックしてた。 40過ぎたからもう残りの寿命も知れてる 永遠に生きたいけどこの地球に生物として生まれた以上死なねばならぬ つらい どんな金持ちでもイケメンで...
でも、あなたの中ではそういう妄想が育ってるんだよね。もう一回いうけど、それってもう異常者だよ。