ネットで○○って言ってるのみたから〜とか、ネットで調べたら○○だったから〜って言って博識ぶった若者が多すぎると思う。
そもそもネットの情報を無根拠に信じている人が多い。その認識はだいたい間違いだぞ。wikiでみた情報を知識と勘違いしてはいけないよ。なぜならあくまでwikiは有志が書いただけの情報、主観が混じっている可能性があるからだよ。
なのでwikiを利用しながらのオススメな知識の習得方法としては、wikiに書かれている内容を仮説として同じ事柄について書いてある文献を読んでみること。これも1冊とかではなくて、できれば複数の出版社の文献を読むこと。そうすると自分なりの知識の道筋というものが見えてくる。忙しいから無理だという人は最短の手段としては、ネットにあるその文献のレビューを読むことかな。でも学術論文なんかはなかなかそれ自体を読まないことにはどうしようもないから、知識を得るのは時間がかかると割り切ったほうがいいかもしれないね。
もう一つ伝えたいのはネットに書かれている人間の感情や価値観が全てと思わないこと。
なぜかというと人間は全ての気持ちを言語化できるわけではないから。世界には言語化されていないけと存在し、そして埋没していく他人の感情がたくさんある。はてブやブログで書かれていることはまぁ一つの考え方として捉えておけばいい。はてブで極論を言う人とでも、直接対面で話す場がもしあったら他の意見も聞けると思うしね。
人間の心はネットに全て遺しておけるほど単純ではないのだと頭の片隅に入れておくだけでもいい。たとえばこれを読んでいるあなたは、あなたの心のうちにある感情を全て把握し、掌握して、言語化できていますか?
多分自分自身でも気づいていない感情があります。かの夏目漱石や太宰治のような文豪ですら「こいつ何言ってんだ」という時があるからね。ショーペンハウアーなんかに至っては難解すぎて笑える時があるけど、彼等の生い立ちなんかを追ってみると「あ、あれってこういう感情だったのかも」と気づくときがある。なので個人的には文学に触れることは人の気持ちに触れることと同義で、ネットだけでは知れない人の気持ちがあると知ることができると思っているんだ。
でも確かにパソコンの使い方や辞書がわりにネットを使ったほうがいいこともあるよね。実務的な情報取得に関してはネットが最強かもしれないね。ただ増田的には最近の人がネットだけみて全てを知った気になっている気がして、もっと物事を時間をかけて検証することと実体験を重ねることに価値を感じてほしいと思っているんだ。
そういう意味では現代は資本主義が極まりすぎているのかもしれないね。増田は資本主義社会でいいのだろうかと疑っている一人だよ。
そしてこの増田の意見も「本当にそうだろうか?」と疑ってほしい。何事も疑ってから信じていけばいいと思うから。だからネットだけで賢くなったと勘違いするなよ。
その文献だって有志が書いただけの情報だが。要するにネットがどうとかじゃなくて単一ソースに頼るなってことだろ。
単一ソースに頼らないのはその通りですよね。 文献を読むことを推奨しているのは、出版社経由であれば仕事として情報提供という責任が多少なりとも発生するから。お金をもらうた...
勘違いするな!