ずいぶん長いこと労働組合の会社内での委員をしている。(ところどころフェイクを入れるけど気にしないでね)
わたしは政治的にも左派なのでわりと真面目に社内の労働環境の改善を目指して活動をしている。でも、労働組合にできることは限られているのも事実ではあり、社内の一般の人にはその活動の意義を評価されない、というか、むしろdisられることも多い。
「労働組合なんて労働者の足を引っぱってるだけでしょ?」「今までまともな成果出したことある?」「しょせん経営側のガス抜きでしょ?」「もっと仕事のほうを頑張ったら」
みたいなことを社内の人間(非労働組合員)に言われることも多い。
正直なところ残念ではあるが、とはいえそれでその人に対して怒ったり集団で攻撃したりはしない。そもそも社内の労働者は「護るべき対象」であるので、自身の存在意義を否定されたとはいっても、労働組合がその「護るべき対象」を攻撃することは本末転倒のように思う。(怒るべき対象はあくまでたとえば竹中平蔵である)
また、そもそも人が"労働組合の意義"に目覚めるのにはそれぞれのタイミングというものがあって、そのタイミングを待つことが大事である。たとえば昔は労組をdisっていた人でも職場でのトラブルを契機に労働組合に参加することもあるし、そのような内的な動機をもって参加してくれた人は後々に大きな戦力となることも多い。もし最初にdisられたときにこちらから強い反撃をしていたら、そのタイミングを待たずに労組という存在そのものが「敵認定」されてしまっていただろう。
フェミニズムの正義に与しない女性に対して、フェミニストは強い反撃をしすぎではないだろうか?SNS等で、リベラルな(少なくとも全く非自民党的な)考えをもっている女性アーティストがちょっとフェミニズムをdisっただけでフェミニストたちに袋叩きにされているのを見ると、非常にモヤモヤした気持ちになる。
それらの女性アーティストたちは(少なくとも潜在的には)「フェミニストの保護対象範囲内の存在」に見えるのだけれども、潜在的に保護対象範囲内の存在をフェミニストが集団的に叩くことに本来的な意味はあるのだろうか? 彼女たちは機が熟せばフェミニズムを牽引する同志にもなりうるように思うのであるが、彼女たちが彼女たちそれぞれの内発的な動機で「フェミニズムに目覚めるタイミング」を待ってあげることはできないのだろうか?
現在の日本においては、女性の権利向上も労働者の権利向上のどちらにも確固たる大義がある。確固たる大義があるのだから、(今はdisってくるかもしれないが)潜在的な同志に対してはもう少し鷹揚に構えても良いように思う。
フェミニズムとか関係なくネットでは昔から「気に入らない奴にガツンと言ってスカッとする」系の話がやたらと受けが良くて全年齢ポルノとして流通してる。たぶんその説話構造がミ...