内心の自由があるからそう思うことは別に咎められるべきことじゃないけれど、公式、または二次創作であるとしてもゾーニングもせずにそれを表現として表に出すのはどうなのだろうか。
私もここに文章として書いてしまっているから人のことは言えないのだけれど。
世界の歴史として戦争があったことは事実だし、今でも空爆は行われているし、何人もの人間が死んでいることは皆知っていると思う。義務教育でも教わる。
例えばドイツの軍服や鉤十字はナチスの行った残虐行為と結びつき、明確な嫌悪の対象になる。
軍服自体そのデザインが生まれた歴史やその軍服を着た人間たちの行為を背負っているようなものである。
だから「軍服格好いい!性癖!これを着たキャラクターが見たい!」みたいな理由で安易にその国の軍服をキャラクターに着せるようなことは、「格好いい」以外のメッセージを含んでしまうことになると思う。
戦争は過去のことだから今を生きる私たちに背負わせないでくれ、という意見もわかる。
でも国際的に戦争の負の遺産や遺恨が残っていることも多いし、被害者が今も生きている場合もある。
だから大正モチーフや実在の軍服デザインの衣装が出た時に燃え盛ることが多いのかなと。
逆に軍服を着たデザインが許されるのはどんな場合かというと、WW1やWW2を舞台とした作品群や、仮想軍服を使った作品群である。
Dies iraeはナチスモチーフだし、HELLSINGだってそうだ。帰ってきたヒトラーやスターリンの葬送狂騒曲だって。
こういった作品は軍服の持つメッセージ性が作品内にしっかりと反映されている。ただ格好良いというだけでデザインを使った作品とは意味合いが違う。
また、仮想軍服を使った作品もとても多い。けれどそれは仮想軍服でその作品世界にしか存在しないので、私たちの住む世界では格好良い以外の意味合いを持たない。
個人的に軍パロはどの国のデザインもモチーフにしていない仮想軍服を使うべきだと思う。そうすれば私たちはただ単に「軍服デザインかっこいい!」と消費できるはずだ。
今の時代、誰だって文章やイラストを描いてそれを表に出すことが簡単になっている。
何かを表現として表に出す時に、格好良い!描こう!ではなくて、一度立ち止まって、その表現は本当に大丈夫なのかということをしっかりと考えてからものをつくることが表現者の倫理なんじゃないのか。
そして自分の表現したいものが何か差別的な意味合いを持ったり、犯罪助長や人権侵害を含む場合、それを愛好する人だけがアクセスできるようにゾーニングすることも同じくらい大事なことなんじゃないか。