2018-05-14

バトンが折れる話

人生攻略が順調な人にとっては、そこに何ら疑問も浮かばないのだろうけども、順調じゃない人にとっては馬鹿馬鹿しくてバトンをへし折りたいことは多い。

誰かが言ってたけど、俺らの世代って「シーソーを端から端まで歩いていくような人生だよね」って。最初のほうは先が上ってて希望が見えるけど、真ん中らへんで急にバタンってなって未来の先行きが下がったよね。

知り合いの結婚式

 →いや俺は結婚とか無理だから祝儀を受け取る機会が無いし、払うばっかりで損するばかりじゃん。仮に結婚したとしても式とか挙げるカネないし。祝儀だけ集金するの?

子供の日

 →いや俺が末代だし。俺が祝う子とか設けられないし。年金制度崩壊するから、俺が老いぼれたその時代の子から社会的に支えられるとは限らないよね。現代それが重すぎてひどいことになっているのだから、それが是正される未来では、老いぼれの俺が若者から搾取できるリソースは減るだろう。

搾取・カモ・としての目線抜きで、大人社会的子供存在に対し希望が見いだせるかどうか。それが問われている。

父の日

 →感謝できるような父を持つことのできた幸運人生感謝すべきだよね。持てた人は良かったね。

母の日

 →感謝できるような母を持つことのできた幸運人生感謝すべきだよね。持てた人は良かったね。

本質的感謝すべきは父母に対してではなく、幸運に対してだよね。

人生の初回ガチャたまたまSSR親を引き当てたに過ぎない。

敬老の日

 →いや既に現代ですら老害と呼ばれ敬いリティ(リスペクティティ?)がとても低くなってるのに、今後はどんどんそれが低くなっていくわけで、俺が老いぼれたとき敬われないことが確定してるのになんで敬わなきゃならないの?

年功序列概念が反転してマイナスになった感じ。

知り合いの葬式

 →これも結婚式と被るけど、自分は式をやらない、やってくれるような親類もカネもないのに、なんでそんなに包まなきゃならないんだ・・。

ナウなヤングはみんな東京いってそのまま田舎へ戻らないし。お坊さんを呼べば檀家に入るとか墓を守るとかあるけどそんなん無理な人が増えていて、守られなくなる家、墓、檀家、増える一方でしょ。

「墓じまい」が増えて集合墓地が増えてる。ワイのパッパも樹木葬いう集合墓地の枠を確保済み、実家リバースモーゲージやで。

アムロはいいよね、帰れる場所があって。

会社飲み会

 →タバコ臭いか行きたくない・・。メリットが薄い。功労賞でチームに対して出たお金とか、なんで飲み会しか使わないの。高級なオフィスチェアを買うとか、空気清浄機買うとか、ドクターペッパー箱買いして飲み放題にするとか他にもあるでしょ。

年功序列

 →若いころ苦労すればトシとってからラクできる。だから辛酸舐めて生きてきた。年金は払った以上に貰えるし、敬われるし、無能でも出世できる。

そう信じて生きてきて「実際ラクできた」逃げ切り世代はうらやましいよね。

ラクできそう」が揺らいできた、老害扱いされる「逃げ遅れ世代」。

ラクなんてできるはずないじゃん」の「年金崩壊世代


バトンリレーされない。

未来は続かない。

個々人の「俺が末代」意識からくる合理的選択と、その合成の誤謬

持続不可能社会って、こういうことなんだなぁ。

  • 持たざる者が持てる者にお祝いを渡すシステム、いつから始まったんだろ 格差論的には再分配の思想と真っ向から対立するシステムだよな 法律で義務付けられてないだろって言われた...

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