誰かに話を聞いて欲しいと思っても誰にも喋れないことがありすぎて困っている。だからここに書き散らす事にする。誰も見てくれないだろうなと思いつつ。
私は発達障害グレーで、双極性障害(のようなもの)を併発している、らしい。ずっと通っていた心療内科では私は何なのかはぐらかされ続け(病名を言わないことはよくあるそうだけど)、結局匙を投げられて大病院に通う事になった。
思えば幼少時から人と違うという徴候はあった。幼稚園ではひとり遊びに没頭し、小学校でも集団行動が苦手だった。「目立とうとしている」といじめられた。ただ友人もいたし、学年が上がるといじめやからかいは収まったので、無事小学校は通過した。
中学校では「目立つ」という理由で先輩に因縁をつけられた。中学校は生徒も多いので馴染むのは余計に大変だった。でもまあこちらもなんとか卒業した。
高校は自由度が高いと聞いていたので大丈夫だろうと思っていたが、結局同じように1年次は周囲に溶け込めず終わった。グループに入れないのだ。基本的に皆グループ行動なので浮いてしまった。部活動だけが救いだった。
高校2年の時に友人のアドバイスもあってなんとかグループに潜り込み孤独を脱した。そこから3年までは軋轢を起こしつつも無事に卒業した。
さすがに大学は...と思っていたがやっぱり自分がちょっと違うようだ、という違和感はあった。ただ大学はそこまで集団行動を要求されないのと、小中高よりは個性の強い人が多かったから、これまたなんとか通過した。
思えば、常に違和感を抱えながらどうにか対処してきた学生時代だったと思う。
とても組織の中で働ける気がせず、就職はしたくなかったが、他に特段の才能もないので就職はした。ちょうどリーマンショックの直前で、若干雇用が回復してきた頃だった。あと私は外面を繕うことに慣れてきていたので、無事に就職は成功した。
就職する頃にはさすがに若干の社会性、というか処世術は身についていたので、転職を含め7年くらいは無事に勤めた。
何が最終的に心を壊すきっかけになったのかは私にも正直よくわからない。それなりに友人もいたし、結婚もしたし、仕事も別にブラックではなかったし、同僚は良い人たちだった。
ただ、コミュニケーションに限界が来ていた。誰かに自分の考えを伝えるのが苦痛だった。それに対する反応に適切に対処できなかった。加えて忖度も苦手だった。人と接したいのか接したくないのか自分でもよく分からなかった。
結局休職して、4ヶ月で復帰したが2ヶ月でまたおかしくなり、6ヶ月の休職期間を使い切って辞めた。その後何度かバイトで社会復帰しようとして失敗した。
失敗の理由は別に周囲にあるわけではない。皆良い人だった。ただやっぱりコミュニケーションの負荷が高過ぎた。仕事する上でコミュニケーションは必須なんだけれど、最近はチャット文化が発達していて、ただでさえ人の感情に疎い私には文字だけのやり取りは辛すぎた。
結局私が今困っているのは、適切なコミュニケーションがどうしても取れなくて社会人として復帰できないことだ。人に話しかけるのが(文字にせよ対面にせよ)苦痛で仕方がない。
何か突出した才能があれば良かったと思う。コミュニケーションなんてぶっちぎれるような。でも残念ながら私には何もない。空っぽだ。
これからどうやって生きていけばいいんだろう。
周囲に明るく取り繕うのも疲れたし、かといって自分をさらけ出す気持ちにもなれない。
正直、疲れてしまった。
長文失礼しました。
7年無事に勤めて結婚もしてってすごいと思う。偉かったね。 増田は今がつらいんだと思うけど、自分は仕事でブラック企業に当たって体を壊したりパワハラで辞めざるを得なくなった...