2018-04-02

トラウマ

6歳の時、父親がいなくなった。

7歳の時、母方の姓に苗字が変わった。

苗字が変わったときに、離婚だと告げられた。

離婚が何であるか、当時の自分にはわかるはずもなく、ただ、それまでの自分が無くなったような、理不尽に奪われたような感じだけは、はっきりと覚えている。

それから、かどうかはわからないけど、母親と姉が手を繋いで、自分のもとから去っていく夢を何度も見た。繰り返し繰り返し、何度も。

24年も経ったのに、その状況すら頭に浮かぶし、言葉にもできるし、(下手な)絵でも表現できるほどに、はっきりと覚えている。

「失うこと」がトラウマになった。

失わないためには、最初から得なければいい、という考え方に至った。

自分が元気な限り失わないであろう、知識(と手段である勉強)に固執するようになった。

あと、一人でも生きられるよう、誰かに養ってもらう必要がないように、高校までは親だろうが利用して、生きていく力を養おうと決めた。

高校卒業就職するつもりが、成績が認められ、周りから大学行きを勧められ、母子家庭お金もないのに、大学に進学した。

姉の進学費用は母が出したのだろうが、自分の進学費用が捻出できるはずもなく。おそらく、亡くなった祖母遺産を使ってくれたのだと思う。

はいえ、このときは親を利用してでも、大学に行きたいとは思っていた。

当然、仕送りなんか無理で、奨学金バイト給料で生き抜く必要があった。

そういう状況は分かっていたから、必死勉強しようと決めた。

大学の授業は余裕だったけど、勉強は思ったように進まず、苦しんでいた。

好きな人ができた。

その人と一緒にいたい、と思った。そしてトラウマが発動して壊れた。

自分勉強しなきゃいけない、「それは絶対だ」と。

物理的な胸の苦しみに耐えられなくなる。現実から逃げたくて逃げたくて、混乱する。

自分から離れる勇気が無いから、相手に離れてもらうよう仕向ける。そしてますます壊れていく。

そして失って、こんなの自分は望んでいない、とまた苦しむ。

この出来事から部分的トラウマと向き合い、勉強固執する自分は解かした。

離婚した母と父を恨んでいたけど、それも許せた。

でも、無意識にか、恋人ができるようなことは避けた。自分を磨かない、ずぼらな生活をする、そして勉強は続ける。勉強自体は良い習慣。

働き始めて10年目。また好きな人ができた。

今は特に資格を目指したりしていない。前と状況は違って、社会人で余裕もあるのに、全く同じ苦しみが襲ってきた。

好きな人と話して一人になった後、襲ってくる猛烈な疲労。そして胸の支えと吐き気

これまで、この苦しみは単に「好きな人ができて、好きだから苦しんでいる。あの時が特殊な状況だから苦しんだ」と思っていた。

でも違う。相手が違っても、状況が違っても、また発動した。

自分を見つめなおした。

ほぼ日の「「わたし」を肯定する研究」を読んで、自分に襲い掛かっているのが相手が好きという気持ちではなく、猛烈なストレスなんだと自覚した。

そして、上に書いたトラウマを思い出し、苦しんでいるんだと、わかった。

そのこと単体で考えただけで、ひどい吐き気に襲われる。トラウマ無視していたら、また壊れるという予感はある。すでに一度壊れかけた。酒で何とか戻した。

ちゃんと、トラウマと向き合って、好きな人と一緒にいたいと、今はそう願っている。

幸い、仲は良いと思っている。一緒にいるとすごく楽しい。力になりたいとも思っている。

相手も、どう思っているかは分からないけど、よく話してくれる。

でも思いと向き合うと、本当に、胸が張り裂けそうで、ひどい吐き気がして、せき込んでうえってなる。

それでも、なんとか乗り越えたい。

いつも時間をかけて自分と語る。それを繰り返す。毎日毎日

大丈夫だよ。って、何度も、苦しんでいる自分と話す。

失うのを恐れて、中途半端で苦しんだら、本当に失うよ?と。

でも、焦らない。ゆっくりちょっとずつ、進んでいこう。

  • 🐯🐴

  • はークッソ長え自己憐憫だなあ で、うまいこと付き合えて、お前がそいつに冷めたら、またそいつが悪い悪いと恨みがましい長文を垂れ流すわけ? もうちょっと気楽にやれよ

  • 今日も女のクソ長文読んじまった

  • 結局、相手を信じられないっていうだけじゃん。

記事への反応(ブックマークコメント)

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