6歳の時、父親がいなくなった。
7歳の時、母方の姓に苗字が変わった。
離婚が何であるか、当時の自分にはわかるはずもなく、ただ、それまでの自分が無くなったような、理不尽に奪われたような感じだけは、はっきりと覚えている。
それから、かどうかはわからないけど、母親と姉が手を繋いで、自分のもとから去っていく夢を何度も見た。繰り返し繰り返し、何度も。
24年も経ったのに、その状況すら頭に浮かぶし、言葉にもできるし、(下手な)絵でも表現できるほどに、はっきりと覚えている。
「失うこと」がトラウマになった。
失わないためには、最初から得なければいい、という考え方に至った。
自分が元気な限り失わないであろう、知識(と手段である勉強)に固執するようになった。
あと、一人でも生きられるよう、誰かに養ってもらう必要がないように、高校までは親だろうが利用して、生きていく力を養おうと決めた。
高校卒業で就職するつもりが、成績が認められ、周りから大学行きを勧められ、母子家庭でお金もないのに、大学に進学した。
姉の進学費用は母が出したのだろうが、自分の進学費用が捻出できるはずもなく。おそらく、亡くなった祖母の遺産を使ってくれたのだと思う。
とはいえ、このときは親を利用してでも、大学に行きたいとは思っていた。
当然、仕送りなんか無理で、奨学金とバイト給料で生き抜く必要があった。
大学の授業は余裕だったけど、勉強は思ったように進まず、苦しんでいた。
好きな人ができた。
その人と一緒にいたい、と思った。そしてトラウマが発動して壊れた。
物理的な胸の苦しみに耐えられなくなる。現実から逃げたくて逃げたくて、混乱する。
自分から離れる勇気が無いから、相手に離れてもらうよう仕向ける。そしてますます壊れていく。
そして失って、こんなの自分は望んでいない、とまた苦しむ。
この出来事から、部分的にトラウマと向き合い、勉強へ固執する自分は解かした。
離婚した母と父を恨んでいたけど、それも許せた。
でも、無意識にか、恋人ができるようなことは避けた。自分を磨かない、ずぼらな生活をする、そして勉強は続ける。勉強自体は良い習慣。
働き始めて10年目。また好きな人ができた。
今は特に資格を目指したりしていない。前と状況は違って、社会人で余裕もあるのに、全く同じ苦しみが襲ってきた。
好きな人と話して一人になった後、襲ってくる猛烈な疲労。そして胸の支えと吐き気。
これまで、この苦しみは単に「好きな人ができて、好きだから苦しんでいる。あの時が特殊な状況だから苦しんだ」と思っていた。
でも違う。相手が違っても、状況が違っても、また発動した。
自分を見つめなおした。
ほぼ日の「「わたし」を肯定する研究」を読んで、自分に襲い掛かっているのが相手が好きという気持ちではなく、猛烈なストレスなんだと自覚した。
そして、上に書いたトラウマを思い出し、苦しんでいるんだと、わかった。
そのこと単体で考えただけで、ひどい吐き気に襲われる。トラウマを無視していたら、また壊れるという予感はある。すでに一度壊れかけた。酒で何とか戻した。
ちゃんと、トラウマと向き合って、好きな人と一緒にいたいと、今はそう願っている。
幸い、仲は良いと思っている。一緒にいるとすごく楽しい。力になりたいとも思っている。
相手も、どう思っているかは分からないけど、よく話してくれる。
でも思いと向き合うと、本当に、胸が張り裂けそうで、ひどい吐き気がして、せき込んでうえってなる。
それでも、なんとか乗り越えたい。
失うのを恐れて、中途半端で苦しんだら、本当に失うよ?と。
🐯🐴
はークッソ長え自己憐憫だなあ で、うまいこと付き合えて、お前がそいつに冷めたら、またそいつが悪い悪いと恨みがましい長文を垂れ流すわけ? もうちょっと気楽にやれよ
今日も女のクソ長文読んじまった
結局、相手を信じられないっていうだけじゃん。