http://president.jp/articles/-/21969?page=1
『ラ・ラ・ランド』のように、もっと日本映画が世界でヒットするには
読んでみた感想→内容ないまま終わった。。
茂木健一郎がララランドを見た後に、監督がセッションと同じだと気づき、セッションとララランドの違いを説いている。
茂木氏いわく、
物語の目標も高く、はじめから世界を対象にし、成功を収めている。
ララランドを見ながら、世界という大きなテーマの話なので、世界でもヒットしている。日本もそうするべきでは?と述べているのだが、つかみに入る文章がなく、具体性のないまま話が終わってしまっていた。
茂木さんが過去どういう話を読んで微妙だと思い、日本が世界に出ないことでどういう欠点が生まれ、その結果今回の文章を書くに至ったという経緯がまるで書かれていないので、なんだか不完全燃焼である。
個人的な考えだが、
アニメーションはどちらかといえば世界向きだが、日本という土壌の居心地のよさが、日本で成功したい!という気持ちを強くし、製作段階で世界まで至らない場を考えない環境をつくりだしている気がする。(ただの私の主観だけなら申し訳ない)
ガンダムから始まるロボット文化とか、マンガ文化とかのサブカルチャー文化が深く根付いていて、日本の歴史的作品との対抗、あるいはオマージュという形で話を作り上げているように感じられるのだ。
あともう一つ、言葉の問題もあると思う。日本語は英語などと違い、「俺」「私」「僕」のように一人称が多数存在することは知られている。表現とは気持ちを伝えることだ。日本人が気持ちを表現するときに、小さなニュアンスや感情を正確に伝えるのに、そのベースは日本語でしか詳細を語ることができず、であれば、自分の気持ちを寸分なくくみ取ることができるのは日本人だけなので、日本というフィールドがベースになるということではないのだろうか。
最後この文章では日本ではなく、世界という広い視野でモノを見る必要、またその一環としての英語の重要さに触れている。