2016-02-28

一周回って正しい

将棋なんかの定跡では、「この指し方は、別の指し方に取って代わっられたのだけど、最近またこっちの指し方にもどった。」みたいなのが結構多い。

で、ふと思ったんだけど。世の常識ってのもこれあるんじゃないかと。

リア充的な行動が俺は嫌いなんだけど、彼らの行動の一部分は実は一周回って正しいと思うこともある。たとえばリア充の軽薄な歌とかも、実は哲学的現代的な帰結と一致してたりすることもあったり。

  

で、こういうのがナゼ成立するのか。

それは、「完全に否定できるものは、そもそも成立しにくい」からだと思う。

たとえば、物理的な計算の上ではおかし事象でも、実際の現実で成立してしまったら、それは理論のほうがおかしかったりと言うことだ。

  

物理なんかは、定量判断数字の上での説明)と、定性判断(実際上そうなるだろっていう当然性から導く判断)の差に近いかもしれない。

  

リア充とか、なぜ存在するか分からないんだけど。

彼らが正しいみたいな理屈も多分世界にはあるんだと思う。

たとえば、子孫を残すってことを考えるとネガティブ自殺率高そうな奴とかより、多少頭悪くても明るい奴のほうが現実のイザって時に動きやすいとか。あるいは、一定論理厨が増えるとリア充が生まれ遺伝的な配慮がされてるとか。その当たりを女性が敏感に感じ取って、リア充子供を作りたいと思うからリア充的な人間コピーされまくってる現状ああるとか。

なんか、分からないが、理屈があると思う。

  

現実のほうが、理屈より常に正しいってのはある。

人間が作った水槽でサカナが生きられるかどうかは不明だが、自然界をそのまま切り取って水槽に移せばサカナが生きられるのは明白なように。

自然を無理やり理屈解釈するほうがおかしい。

アレだな、自然は屈服することで支配できる、みたいな言葉あったろ確か物理には。

  

リア充にはムカツクんだけど。最近は、そういうムカツキを『諦める』ことがブサメン身長である俺の人生には求められている課題だと思う。

絶対に許せないような屈辱であっても、『自分は死んで生まれ変わったと思うなりして諦められる』ってのが理論厨の課題かなって。

そうやって諦められることによって、世の中丸く収まった分が、『利益』になるんじゃないか。

そういう諦めようとしても絶対諦められないようなことが、なぜか諦められる、その非自然な態度を持つことで初めて理論厨は理論厨たれるんじゃないか。

ギャンブルでアツくならないのは不可能なのに、それを可能にする投資技術理論体系があるからギャンブル勝ち組勝ち組になれてる。その態度は生理的限界を超えているため、根本からメンタルを作らないと勝てるギャンブラーにはなれない。そういうのに似ている。

ギャンブルを楽しんでいては、勝てない。ギャンブル苦痛作業ゲーになるほど技術確立してメンタルフラットにしないと、ギャンブルは勝てない。

俺は、リア充みたいに人生を楽しめないが、楽しめないくらいじゃないと、俺くらいのブサメン身長人生+-0にもならない。

  

リア充からしたら、なんの不満も無いことでも、俺はイラつく。そういう理屈から

でも、一周回ってリア充が正しいかもしれないから、完全に理屈で咎められない内には、俺は諦めるしかない。

諦める能力が無いと、強く生きられない、将棋でいうなら、勝てない。

そこを諦める能力ってのは、人間生理を超えてる。理屈で言えば絶対許せない。

許せないが、そこを諦められる能力が俺には求められてる。

そういう諦めを持てる知識体系や自分社会的立場資産などが俺には求められている。

  

俺の今の課題ってのは、そういう自分になれることだ。

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