生きる虚しさに苦しんでいる人へ
言いたいことがある。
風呂上りだから言いたい。風呂上りは血行がよくて脳にも血が巡り、冴えている。今言わなかったらもう忘れてしまう。
だから今言う。
あなたたち、わたしを含め、
何よりも正しい
と。
鬱や、無気力感や、理不尽なこと、理不尽な社会、どう考えても納得できる落としどころを見いだせない世界のありさまに、それをどうしようもなく素面で見て、見てしまったがゆえに、心の平衡を保つことが危うくなっている全ての人は、完全に正しい。その目で見た虚しさは、なによりも真実のあるがままだ。
うつ病の苦しさは、病気じゃない。ただ、醒めに醒めきっている、ただそれだけのことだ。異常じゃない。今の世界の測り方での「健康」のほうが、異常なんだ。見て見ぬふりをしているだけだ。やがて死ぬことを。どんなに文明を発達させようが、スポーツを究めようが、結婚しようが子供を産もうが、なにをしようが、やがてその人は死に、その人を記憶している人も死に、人類もいなくなり、生命もいなくなり、地球もなくなり、太陽系もなくなり、銀河もその中心にある超巨大ブラックホールに呑み込まれ、完璧に確実に無くなる。
人類とか宇宙とかはちょっと大げさすぎるかもしれない。が、個人の死は、今自殺しようが、数十年生きて老衰しようが、長いか遅いかの違いしかない。人生に意味はなく、意味があるだの生きがいだの言っているのは、このどうしようもない虚しさの前では、酒に逃げてやらなきゃいけない仕事をほっぽってるようなもんだ。
「そんなこと考えてもしょうがない」や、「どうせ死ぬんならやりたいことやったらええやん」や、「今日のことだけ考えて一生懸命生きる」や、そういった台詞は、この意味不明な現実から目をそらすだけでしかない。不真面目極まりない。欺瞞。別にだめなことではない。ただ、真摯ではない。
正しく、そしてまっすぐに、このグロテスクすぎる現実に、ギリギリ正気で、ブルブル震えながら、何にも逃避せず、することができず、直視しているのが、生きることが虚しくてしかたがない人だと思う。
そして、生きることが虚しくて仕方がない人が、常々死にたくて、消えたくて、実際に死んでしまったりするのは、まさに、見ているものの理解不能さ、感じているものの逃げたくなる衝撃的なほどの気持ち悪さと苦しさゆえにだ。人間ではたちうちできないものに、人間のままの理性で臨んでいるので、はなから無理だ。酒に逃げるように他のことで頭を一杯にするか、自己洗脳するか、または狂うか、または理性をもったままなら、自らスイッチを止めるしかない。
わたしが毎日飲んでいる精神科で処方される薬も、「正常」とか「健康」になるために飲むのではない。
現実のこの悲惨極まる戦場で、一時的に戦争を忘れるためなのだ。現実は戦場なのだ。無限に広がる荒野だ。
苦しんでいる人は、もう、しょうがない。苦しいものなんだから。正気でいたら、素面でいたら、苦しすぎるから。
もう、その「正しさ」、「真摯さ」、「正直さ」、を誇りにしていくしかない。そんなものほとんども価値ないけれど。
私は、それを胸に大事に持って、「正気」のままで行けるところまでいこうと思う。
私たちはなにもおかしくない。わたしたちの感覚は間違ってない。なによりも正確に捉え、正確な反応をしているだけだ。苦しいのはしょうがない。消えたいのも死にたいのも当然だ。ごく自然だ。
そして、その状況に、わけもわからない恐怖に、虚しさに、たった一人で耐えているあなたは、ほんとうに、ほんとうにほんとうによく耐えてきた。ほんとうに今まで、よくぞ、耐えてきた。誰にも理解されず、表面上の慰め・励ましだけかけられ、孤独で、毎日毎日、地獄の中を、ギリギリで。よく頑張った。どんなことよりも私はすごいと思うし、清廉だと思う。立派だと思う。