2013年10月28日の日記

2013-10-28

仕事辞めたい

吐きそう

もうやだ

人と会話したくない

http://anond.hatelabo.jp/20131027124112

主です。ご教授ありがとうございます。私もそれなりに色々見聞きしたり調べたりしたのですが、出自以外の広まりについては結局のところ「よくわからない」が結論となっていますヨーロッパでもやったりやらなかったり、アメリカのものだという認識だったりで、それがプロテスタントカトリックの違いなのでしょうか、とにかくアングロサクソン社会でもまちまちという感じのようです。しか日本おいてはヨーロッパアフリカインドネシアからの影響では無くほぼアメリカからであると思っています

ただ、私の主張したいのはそこではなく、だったら日本人にはもっと関係の無い行事だろう、という事。もちろん日本人にもキリスト教信者はおられますが、本当のキリスト者にしてみたら寛容に見ても目にあまる光景ではないでしょうか。いい大人が奇異な格好やもはやハロウィン関係の無い格好、更には裸同然の格好で電車に乗って騒ぐ。クリスマスでも同じく何かと託つけて騒いでますが、もうウンザリです。無宗教から楽しければいい、モノが売れればいい、そんな空気に耐えられません。

地元での行事が廃れた、とのことですが、それならそれでいいじゃないのでしょうか。自然淘汰されたということです。しかしだからと言ってその換わりにそれこそ「縁もゆかりも無い」ハロウィンでなんとかしよう、という発想になるのだけは避けたいと思いませんか。やる意味がありませんよ。やがて新たに地元根付いたお祭りが作るか、何もしない。それでいいじゃないですか。それでその地元が生きるか死ぬかは地域に住むその人たち次第です。

http://anond.hatelabo.jp/20131024141108

かわいそうに、本当に美味しい和菓子を食べたことがないんだな。

http://anond.hatelabo.jp/20131027195653

というか男女間に限らず同性間でも、いい大人が友達友達言い出したのなんてここ15年くらいなんだよな。その芽は30年くらい前からだけど。それ以前のまっとうな大人は、友達友達言ってなかった。彼らのいう友達小学校からせいぜい中学校くらいの同級生や近所の子を指していた。高校大学同級生さえ友達とは言わないことがほとんどだった。そして大人になるとほとんど場合生活することに追われ、同僚や近所の人、親戚以外とは没交渉になっていった。それがまっとうな大人だと思われていた。

友情なんて言葉少年ジャンプの中(それも80年代になってからある種の違和感とともに迎えられたが)のものだった。それか国語教科書の中で、20%の感動と80%の笑いで迎えられた「走れメロス」の中のものだった(もちろん、太宰治がちっとも「まっとうな大人」ではなく、ここにある「友情」もそういう(まっとうでない)ものであることは常識的に知られていた)。

そういう意味でも「いいとも」(あるいは大橋巨泉一味)の功罪は大きい。それでもいいとも初期は、「いい年した大人が『友達』なるものを紹介する」という状況に違和感を持つ人は少なくなかったのだ。

http://anond.hatelabo.jp/20131027234519

遠回しに目障りって言われてることに気付こうね。

http://anond.hatelabo.jp/20131027230650

エリートって発言に反応しただけでしたか

俺のエリート発言は最初の一回だけ。それは、元増田無能から自分より無能にあう機会がなかったという発言に対して、

しろ逆じゃないかという趣旨で発言した。釣りでもなんでもない。

そっからのやり取りは俺じゃないよん。読解力が少なからずある人は、俺の言わんとすることはわかってたみたいだけど、エリートって単語に反応しちゃった君だけはなんか的外れレスを繰り返してたね。

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