というか男女間に限らず同性間でも、いい大人が友達友達言い出したのなんてここ15年くらいなんだよな。その芽は30年くらい前からだけど。それ以前のまっとうな大人は、友達友達言ってなかった。彼らのいう友達は小学校からせいぜい中学校くらいの同級生や近所の子を指していた。高校や大学の同級生さえ友達とは言わないことがほとんどだった。そして大人になるとほとんど場合生活することに追われ、同僚や近所の人、親戚以外とは没交渉になっていった。それがまっとうな大人だと思われていた。
友情なんて言葉は少年ジャンプの中(それも80年代になってからある種の違和感とともに迎えられたが)のものだった。それか国語の教科書の中で、20%の感動と80%の笑いで迎えられた「走れメロス」の中のものだった(もちろん、太宰治がちっとも「まっとうな大人」ではなく、ここにある「友情」もそういう(まっとうでない)ものであることは常識的に知られていた)。
そういう意味でも「いいとも」(あるいは大橋巨泉一味)の功罪は大きい。それでもいいとも初期は、「いい年した大人が『友達』なるものを紹介する」という状況に違和感を持つ人は少なくなかったのだ。