社会人生活も浅からぬ年数が経つのに、彼は未だに馬鹿をやっていた学生時代の思考が抜け切れていないようで話が合わなくなってきている。
酒を記憶を無くすまで呑んで周囲に迷惑をかけたり、往来や店の中でヤれるヤレないなどの下品な話ばかりでうんざりしている。
思春期の頃はこういった話題になっても全然おかしくなかったけど、社会人として責任ある立場にあったり、同年代で結婚、子供を授かっている友達もいるのに未だに下品な話ばかりで、一緒にいるだけで恥ずかしく感じるようになってしまった。
別に酒を飲むことも下品な話をするなというわけではない。独身男同士なんだから猥談に花が咲くことがあってもいいと思っている。
でも散々言っても全く改善が見られず、小さな子供を連れた家族が隣にいる席で酒の勢いで大声で下ネタを自慢気に喋り始めた時に、心の中でもうダメだなと見切りをつけた。
他の友だちは彼をどう思っているかは分からないけど、なんとなくそんな雰囲気を感じている。
もちろん確信があるはずもなく、デリケートな話題なので他の友達にも相談出来ず、ここに乱筆乱文を書いてモヤモヤしている。
何故こういうふうに考えるようになったのかを考えてみた。
就職したばかりの頃は僕は少し特殊な事情で、同期の皆よりはるかに仕事が出来ない状態だった。
最初はその特殊な事情のせいにして愚痴ばかりだったが、自分が変わらなければやっていけないと思うようになった。
ある程度は独学でなんとかなったが、それでも平均的な仕事を平均的にこなすレベルまで至らず、出来る人に教えを請うことにした。
出来る人達は、常に現状に満足せず、課題を発見、解決し続けることに喜びを感じており、会社の中でトップを走り続ける集団だった。
最初は「僕みたいな仕事が出来ない人が、この人達に混ざっても実力が伴っておらず異分子でしかない」と感じていたけど、出来る人達は教えることにも喜びを感じる人達だったので、人見知りながらも勇気を出して教えを請うと歓迎された。
最初はいわゆる教師と生徒のような関係だったが、だんだんこの人達のようになりたい、もっとこの人達と同じレベルで話したい、と思うようになった。
結果、今では仕事も好きになれたし、実力と自信もついて、責任ある立場にも抜擢された。出来る人達の仲間になれたと確信出来た。
その過程で強く思ったのは、自分を変えるには環境を変えること。とりわけ、付き合う人達を変えることが大きく影響する、ということだった。
どこかでまさしく同じ事を言っている記事を何個も見たが、まさにその通りである。
なりたい自分になるには、そのなりたい要素を持っている人と付き合い、刺激を受け続けるべきだと感じた。
ただ、今回言いたいのは、こういったよくある体験談からの自己啓発ではない。
めでたく僕は変わった。
変わった結果、プライベートの友達に嫌気を感じるようになってしまったのが問題なのだ。
僕の中での友達の基準が「気が合う」から、「尊敬できる点を持つ」にシフトし、ハードルが上がってしまった。
無意識にそういう基準で友達付き合いをしていたのか、改めて友達の尊敬できる点を考えてみると、皆心から尊敬できる点を持っていた。彼以外は。
一度否定的な感情を持ってしまうと、どうしても彼の尊敬できる点が見つからず、嫌悪感も拭えないままだった。
では、少しづつ疎遠になっていけばいい、となれば解決だが、僕の友達の少なさから中々そう上手くいかなかった。
彼は僕の交友関係のハブ的な存在のため、誰かと遊ぼうにも必ず彼がセットで付いてくるのである。
正直彼だけと交友を断ちたいと考えているが、それは極端な話、他の皆との交友も断つことに直結するかもしれない。
また、彼との交友を断ったところで、皆と今まで通りの関係でいられるはずもなく、手詰まりなのである。
なら、彼と距離を置きつつ新しい交友関係を開拓しよう、と考えているものの、社会人になってからは中々そういうチャンスも時間もなく、モヤモヤした日々を過ごしている。
でも変わったことに後悔は一切ない。