はじめに。
おそらく俺は早晩自殺に追い込まれるし、恐らくその頃には俺もそれを望んでいるだろう。
それゆえ、まだ自身の心身が比較的マシである時にこれを記そうと思った。
身内の元からは文字通りいつのまにか消えている形式を取りたいと考えている。
しかし遺書というものは読まれるために存在しなければ成立しない。
とりとめなく書いていく。
俺は世間様からは職人だかクリエイターだかデザイナーだか、そう言われるような仕事をしている。
しているというか、仕事の体をなしたのは最近の事で、少し後に大き目の仕事を営業をかけて取ったが収益の予測はまるで立っていない。
規模と利益率としてはせいぜいひと月寿命が延びるかといったところだろうとは予想している。
そこから続く仕事はあるだろうか。というか、それは仕事なのだろうか。
そういった状況であるからこそ、こういった文章を仕上げるのは今のうちしかないと思った。
次の失敗に気力は耐えられないだろう。せめてただ息をして生きていくにも何らかのモチベーションは要るということを分かってほしかった。
残念だ。
前のようには創作というものをやっていけない。数年前の失敗が気持ちも熱意も何もかも持っていってしまった。
だいたい、上手く行かない就活の最中にある日いきなり芸術だとか言い出した人間に本当の感情なんて存在しない。
手を動かすのも実際のところ苦痛を感じるようになった。暇さえあれば紙に何か書いていたり手を動かせる人間の気持ちがついに理解できない。
時間を忘れるという感覚も、行為そのものをずっと続けていたいという欲求の感じ方ももう思い出せない。
やったところで碌な反響も無い行為を続けていくには精神が老けすぎたのだろう。
結論から言えば、俺はこうなって戦って死ぬために独立したのだと思うし、間違いなくこれ以外に方法は無かった。
専門教育さえ受けていない若くも無いクリエイターもどきに与えられる仕事など存在していないし、同い年くらいで一線に居る人間の仕事を見ればなお理解できた。
俺には才能がなく。運よく生き延びても、30や40になってもあるのは経験にも実績にも金にもならない仕事を「ギョーカイ」の隅でつつき回る未来だけだろう。
俺は就活に失敗して戦う前に舞台から降ろされたが、屈辱を漱ぐ機会をこうして得ることができた。
自分が作品という形で生み出したものにも本懐を遂げさせてやることができるだろうと思う、
こぼれ落ちていく人間関係を維持する事も、新しく作って育てていく事ももはや困難だ。
自分では上手くやっていたはずの相手が突然無関心になるのも、人気者の気を引くのに腐心するのにもうんざりした。
周りと遊んでいたと思ったら一斉に走り去られるような人間関係しか築けない自分にも。
あの頃の経験で、人の顔色を伺うのだけは上手くなったのではなかったのか。
一留したらアメリカでバブルが弾けていた。運が悪かったとも思うし、大量絶滅を生き残れない遺伝子であったのだ。
どうやら世間では普通は潰れる環境で潰れない人間が一流になっていくらしい。
俺は独立資金を稼いでいたはずの非正規の仕事でさえ体を壊し、肉体労働すら難しくなった。
馬鹿げた妄想を持ってからしばらくした時期に世話になった人がいる。
俺は出来る人間だと思い込んで些細な事から喧嘩別れか、それ以下のような別れ方になってしまったが、
今でも厳しい環境の中でどんどん成長して一流になろうとしているらしい。
願わくば、あの人が本気で創った作品をもう一度見たいと思う。
そして、そこに行きたいと願ったほどの鮮やかな世界を俺も見てみたかったとも思う。
これらが全て終わったら自分の行くところはあそこではないのかと、誰にも言ってはいないが内心では考えている。
覚悟という言葉を使った以上はケジメを果たさねばならない。逃げて生き延びるる事では救われない。
就活だとか労働市場だとか、あるいは政府だとかが歪んでいるのか正常なのかは俺には語りようもないけれど、
少なくとも俺の世界はことごとく歪んでいたのだろう。
残念だ。
自分にとっての最後の戦いが終わってもまだしばらく生きていられたなら、
生きているうちにお世話になったあの人に心から謝罪して、一度だけ何かに誘ってみようと思う。
誰も悪くは無かった。