先進国においては、腐敗債券の処理を時間をかけて行う事で、何とかごまかすという方向になった。グローバリゼーションは、帳簿上のお金の問題であり、実体経済における影響は、実際に工場を失った日本以外にはとっては軽微であった事から、時間はかかるし、不景気は続く事になるが、処理そのものは可能となっているという事にしてある。帳簿上の数値なのだから、貨幣価値を暴落させるインフレ政策によって、その被害を押さえ込むという事で、ユーロと米ドルは競って貨幣価値を毀損している真っ最中である。実際に工場を失った日本も、本来ならば貨幣価値が暴落する筈なのだが、帳簿上の負債が余りにも大きすぎる欧米と、実体経済の不調だけが問題な日本とは、インフレのペースに差が出るので、相対的に円高となる。
先進国におけるグローバリゼーションの後始末は、貨幣価値の毀損によるインフレによってごまかすという事になったが、問題は、工場が流入して、分不相応な生活を行うようになった後進国・中進国の後始末である。
一度上がった生活水準は、簡単には引き下げられない。生活を維持するには収入が必要であるが、その収入を維持する手法が、後進国・中進国には、存在しない。自力で経済を成長させられないから後進国・中進国であったわけで、経済成長を維持するには、工場の恒常的な流入がなければならない。しかし、もはや、どこからも工場を持ってこれない。
国内産業を保護するために、関税によって防壁を作るという保護貿易に対し、資本の自由化と称して国内生産化を行う事で、貿易に対する規制は維持したまま、実質的な貿易を実現するという考え方であるが、投資対象国内の需要を満たすだけでなく、そこから、自由貿易が可能な地域への輸出も担えるようにするという、自国への輸入は規制しつつ、輸出は認めるというわがままなプランが、アメリカの民主党の頭がお花畑な連中によってグローバリゼーションとして実現してしまった為に、後進国・中進国に、分不相応な経済成長が発生した。
経済の成長は、人民を豊かにした。この成長は他国の失政の影響であると正直に話してしまっていては、利益を手に入れられないし、利益を手に入れてしまえば、それは、政治の功績であるとして正当化しなければならなくなる。一度正当化してしまえば、経済が成長し続けるのが当然となり、成長が止まれば、失政として批判される事になる。
政治に対する批判は、とりあえずのガス抜きにはなるが、本質的な解決にはならない。政治家が溜め込んでいた私財を吐き出させても、到底、国家の経済を維持するには足りない。生活レベルを落とすか、血のにじむような、それこそ、過労死が働き盛りの労働者の死因の第一位になるような努力を行うかという選択をしなければならなくなるのだが、そんな努力ができるくらいならば、自力で工業立国が出来ていた筈であるから、当然無理となる。
革命を行い、独裁政権を倒して民主化しても経済は回復しないとなれば、その反動は、等しく貧しくなる事を正当化する共産主義革命へと向かうかもしれない。
努力はしたくないが、これ以上貧しくなるのは嫌だという目的において、国家社会主義(Nationalsozialismus)や共産主義という考え方は有効であるし、鎖国も絡めれば、ほぼ万全となる。他国が豊かになる分だけ、相対的には貧しくなるが、そこを、鎖国による情報統制でごまかせば、政治的には安定させられる。情報の自由化が、貧富の格差を認識させ、社会を不安定化させる原因であるというDystopiaを発生させかねない。
情報統制に失敗すると、他国との格差を埋める為に、侵略戦争や民族差別のような、国民の不満を自分以外の存在に向けて失政をごまかすという手法が発生しやすくなるから、そういう人々の国家・集団は、そういうものなのだとして距離を置き、圧倒的な軍事力によって、それぞれの領域内で何をやっても構わないが、外に出てきたら只では置かないという、傍観主義をとるしかなくなる。
善意溢れる思い付きであるグローバリゼーションは、先進国においても、後進国・中進国においても、人民のモラルを壊しただけだったという結論になるであろう。