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2021-07-22

批判をただ受け入れる」という選択肢が、もう残っていない

五輪開会式と、『ルックバック』についてをむりやり結び付けた話です


サイモン・ウィーゼンタール・センター」(SWC)の副代表コメント朝日新聞に出ており、とても驚いた。

東京五輪で開閉会式ディレクターを務める小林賢太郎氏(48)が解任されたことを受け、米国の有力ユダヤ人人権団体サイモン・ウィーゼンタール・センター」のエイブラハム・クーパー副代表は22日夜(日本時間23日午後)、朝日新聞電話取材に応じ、「適切な動きだ」と語った。

問題動画は、小林氏がお笑い芸人だった1998年に発売されたビデオに収録された。20年以上経って問題視されたことに対し、クーパー氏は「それでも責めて、責任を取らせるべきか。イエスだ」と語る。

 その理由については「彼には自分の行いについて自省する時間があった。だが、不適切だったと認める声明はこれまで出てこなかった。3、4カ月前でも『私は若かった、考えが浅かった』と言えばよかった。それこそが彼の問題だ」と説明する。

ユダヤ人団体幹部「適切な動き」 小林氏の解任を巡り - 東京オリンピック朝日新聞デジタル

https://www.asahi.com/articles/ASP7Q4WNKP7QUHBI00J.html




自分が驚いたのは、同副代表が、2017年、欅坂46の「ナチス衣装問題」でこのような発言をしていたから。

ソニーは適切に対応した。すぐに人を(SWC本部がある)ロサンゼルス派遣し、私は東京に来た。こういったことも踏まえて、その数か月後にまた東京に来た。我々の本当の関心事は、不幸な事案を学びの機会にすることだからだ。」

欅坂46の「ナチス風」衣装問題 ユダヤ系人権団体幹部が会見 - ライブドアニュース

https://news.livedoor.com/article/detail/14060432/


「我々の本当の関心事は、不幸な事案を学びの機会にすることだからだ。」

今回の小林賢太郎氏への声明においても、SWCは決して解任を求めているのではなく、あくま謝罪教育が求められているのだと思っていた。

昨今の「キャンセルカルチャー」とは一線を画すものだと思っていた。

この数年で、趨勢が変わったのだろうか。




ここで『ルックバック』の話になる。

ルックバックの犯人像が統合失調症に対する偏見であるという批判、それに対する反応。

自分は、そういう意見はまあ出るは出るだろうと思っている。

そして、不当だと突っぱねるでもなく、謝罪して引き下げるでもなく、

ただ意見として受け入れればいいのでは、そう思っていた。

しかし、このように今「批判・抗議」がただちに辞任や解任、引き下げに直結している現状があるために、

正当であるかどうか強く判断され、単に受け入れることができない、といったことが起きていやしないか



「何も要求しない、ただ批判であるだけの純粋批判」があると思う。

これが昨今難しくなっている。

表現規制問題について、「お気持ち」と呼ばれ始めたそれについての話が特にそうだ。

ただちに規制に繋がらない限りは、不快感の表明は当然あるはずのものではないか

お気持ち」は、単に「お気持ちである以上は、完全に正当なものではなかったか

個人感情から一足飛びに規制論へ飛ぶからこそ、「それは単なるあなたお気持ちだ」、という批判ではなかったか

それが今では、単に何も要求しないものについても、「お気持ち」という言葉が飛び交っているのを見ている。

どうしてこうなった


現状では問題とはされていない、かくれた課題というのは無数にあるのだと思う。

それに光をあてていくには、まず知ってください、認識してください、と主張していくことが必要と思っている。

しかし、すぐに押すか引くかの対立構造に巻き取られてしまい、

主張は不当と突っぱねられてしまう。

対立構造として争えば、当然そうなる。

「現状では問題とはされていない、かくれた課題」だからだ。

これが、もし将来、そのような表現問題だよねとなったとき

急に反転し、槍玉に挙げられて規制されるようになるのか?

それまで完全に突っぱねてきたものが、急に変わるのか?

まり馬鹿らしくないか

ただ意見として聞いてもらって、少しずつ変わっていくことはもうできないのか?





小山田氏が辞任した際に、「謝っても許されないのなら、みんな謝らないで無視することになる」というような意見複数あった。

「許さない人がいるのは当然だろう、何言ってるんだ」、最初そう思った。

個人感情として、許す、許さないがあるのは当然のことと思うから

しかし、この押すか引くかの対立構造において、

「許す」、「許さない」はそのまま「突っぱねるか」、「降りるか」の対立構造に限りなく近づいてしまっている。

自分は「謝っても許されないのなら」を、100%否定できなくなってしまっている

自分は、小山田氏は続ければいいと思っていた。

矢面にたって集中砲火を食らえばいいと思っていた。

「ただ批判を受け入れる」ことは、場合によっては、降ろされるよりも厳しい場面があるのではと思う。

批判はいくらでもあったが、決して降りろとは思っていなかった。

批判」の声が「降りろ」を内包してしまっているのなら、声を上げることが困難になってしまったと、そう思う。

SWC声明翻訳

自分なりに翻訳した(原文付き)。

The Simon Wiesenthal Center condemns past anti-Semitic jokes as well as reported bullying of disabled individuals, made by Japanese comedian Kentaro Kobayashi, who is the show director of the opening ceremony of the Tokyo Olympics.

サイモン・ウィーゼンタール・センターは、すでに報じられている障害者に対するイジメに対してと同様に、日本人コメディアン小林賢太郎(東京五輪開会式ディレクター)が過去に行った反ユダヤジョーク発言に対して非難します。

According to Japanese media reports, Kobayashi utilized the mass murder of six million Jews by the Nazis in a script for his comedy act in 1998. In his act, he made malicious and anti-Semitic jokes including “Let’s play Holocaust.” Kobayashi is reported to have made distasteful jokes about disabled individuals.

日本語メディア報道によれば、小林は、ナチスによる600万人のユダヤ人の大量虐殺を、1998年に彼が行ったコメディ公演の台本の中で用いました。この公演で、彼は"ホロコーストごっこをしよう。"と云う内容を含む、悪意のある反ユダヤジョーク発言しました。小林は、障害者に関する不愉快ジョーク発言を行っていたと報じられています

Any person, no matter how creative, does not have the right to mock the victims of the Nazi genocide. The Nazi regime also gassed Germans with disabilities. Any association of this person to the Tokyo Olympics would insult the memory of six million Jews and make a cruel mockery of the Paralympics,” stated SWC Associate Dean and Global Social Action Director, Rabbi Abraham Cooper.

"どのような人間であれ、どんなにクリエイティブ人間であろうと、ナチスによる虐殺被害者嘲笑する権利はありません。ナチス政権は、障害を持つドイツ人もガスによって殺害しました。どのような形であれ、この人物東京五輪に関与することは、600万人のユダヤ人についての記憶に対する侮辱であり、パラリンピックに対して残酷嘲笑することです。"と、ラビ=エイブラハム・クーパー(SWC Associate Dean and Global Social Action Director)は声明を出しました。

 
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