2022-08-26

これは自分の心境の整理のために書くものであって、誰かに読ませるためのものではないことをあらかじめ記載しておく。

物心ついた頃からわたし」という一人称違和感があった。

末尾に「子」がついた名前も、スカートも嫌いだった。

男の子の遊びが好きで、運動が嫌いだから外遊びこそしなかったけれど休み時間女子よりは男子とつるんでいた。

家族から女の子なんだから」「いつか将来彼氏ができたとき」「その服かわいいね」と言われるたび違和感があった。

それで、「性同一性障害」と――少なくとも当時はそう教えられた――呼ばれる概念を知ったのが小学校5年生の秋頃。性同一性障害という単語を知って数日後に、突然自分がそれに当てはまることに気が付いた。

気付いたときは混乱した。今まで自分は女として分類されていたし、身体が女なんだからそれを疑いようがなかった。だから赤いランドセル大事にしていたし、シナモロールの筆箱を黙って使っていたし、将来の夢は幼稚園先生だった。体育の着替えも使用するトイレも、女子たちと一緒でも何も思わなかった。

今なら自分の持ち物は親が買ってきたものなんだから選択の自由なんてはなから無かったと言えるし、小学生の言う将来の夢なんて知っている職業から無理やり捻りだしているに過ぎないとわかるし、身体が女なら周囲の人間自分自身の安全のために女子更衣室や女子トイレを利用するほかないことぐらいは当然理解できるのだが、小学生自分は「男か、女か」という固定概念に囚われ、自分の在り方が大いに矛盾したもののように感じられた。

その日学校から自宅に帰ってきて、初めてうちの母に「俺」という一人称を使ってみたいと言った。母は怒り狂った。そんなはしたない言動をしていいわけがないだろう、痛々しい。女の子なんだから俺なんて言葉を使っちゃいけません。テンプレみたいな行動だった。

母はパソコンで「俺っていう一人称使う女イタいよね」みたいなスレのまとめまで引っ張り出してきて、「ね?みんな気持ち悪がってるからやめなさい」と言い出した。「中二病乙って感じ」「マジで気持ち悪い」「(暗黒微笑)とか使ってそう」みたいなレスならまだよかったが、中には「僕っ娘かわいい彼女にしたい」とか「ぶち犯して女であることを理解させたい」のような性的な物まで混ざっていた。多分母も頭に血が昇っていて内容まで細かく精査する余裕はなかったのだろうが、だとしても小学生に読ませる内容ではない。まして自分性別違和感気づき勇気を出して親に打ち明けた小学生に読ませる内容では絶対にない。……と今なら反論できるだろう。繰り返すようだが当時小学生である心理的に非常にショックを受けたが、それを言語化できない。

母も修羅場だったんだろうなと思う。私が早めの中二病発症して、このまま矯正しなければどんどん品性の無い振る舞いを覚えるようになるのではと危惧したのだろう。こちらの心理勝手に決めつけて行動さえしなければ正しい教育方針だったんじゃないだろうか。結果的大惨事が起きてるけど。この出来事は親への信頼を損なった思い出として大いに心に残り、このことを父親に言えたのは今年の7月に入ってからだ。

それから中学校高校と、友人の前では男として行動し、先生家族の前では女として行動する生活が続いた。当然友達はいなかったが、そもそも友達と一緒に遊ぶよりは一人で過ごす方が好きだったので大した問題は無かった。精々中学校で変わった奴認定されてひそひそ陰口を叩かれたぐらいだ。それなりの偏差値高校に行けば止まった。

今通っている大学では、自分の身に降りかかるありとあらゆる出来事にある程度妥協ができるようになったつもりなので女として過ごしている。就職したら準備が整い次第すぐ母親から離れて、私生活では男として過ごすつもりだ(就職活動を女としてやってしまったので就職先ではどうなるかわからないが……)。

まあ妥協できたつもりになっているのはあくまで「つもり」でしかないので、未だに自分性別がどちらかわからなくなるし、女として振る舞いたくなる時も稀にある。だけど基本的に私の性別は男で、身体性別重要になる場面以外では男として扱われたい。いちいち説明するのもめんどくさいので、身なりを変えられるようになるまでは女として過ごしているだけだ。

結局何が言いたいのかわからなくなってしまった。誰かに読ませるための文章でないことは冒頭に記述した通りだが、こんな怪文書最後まで読んでくれた根気のある人に強いて何か伝えるとするなら、何も言わず普通に接すること以上の配慮はないということだ。個人的意見だが、性的マイノリティに対して特別配慮必要なわけではないのだ。ただ、こっちがどんな一人称を使っても、どんな服を着ていても、突っ込まず昨日までと同じように普通に話してほしいだけ。内心でどう思っていようが、面と向かって馬鹿にされない限りはこちらも気にしない。「その服おかしくね?」とか「何その喋り方」なんていう問いは、自分自分自身に向けて散々発しているのだ。今更他人に問われたくない。

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