2020-07-15

「32歳腐女子」は呪い

最初に。

この文章特定の誰か(特に『32歳〜』の作者やそれ関連の増田を書いた人)への敵意で書かれているものでは無く、むしろそれを読んだ32歳より若い自分にとって同年代や下のオタク特に女性にとってひとつこういう文章があればと思って書いたものだ。


題名で強い言葉を使ってしまったのも少しでも多めの人達に開いてもらえればと浅知恵をはたらかせたもので、もし不快になった方がいれば本当に申し訳ないと思っている。



その上で。



自分学生で、腐女子だ。具体的には中学で黒バス流行り、高校に行くか行かないかの所から松が流行り始めた。18↑ではあるがまだ言ってしまえば「幼い」部類に入るだろう。腐女子としても、人間としても。


若い人間は、社会がどうなっているか知らない。何をすれば死なずに済むのかと漠然とした社会への恐怖をうっすら持ちながら、それでも目の前のことに夢中なままだ。


数日前。同期と繋がっているTLは、「32歳腐女子〜」がバズり、C陰謀説百合カプでふざけるツイートが大半を占めていた。

しかし、ごく少数。「メイクしっかりした方がいいのかな」「洋服変じゃないかな」という不安も流れていた。


友人たちは今モラトリアムの中にいる。

好きな服を着れるようになった。それを考え無しに買えてしまうほどには幼い。

しかし、何が正しくて何が間違っているのか自分で決めてしまえるだけの強さも無い。


自分も勿論幼い。自分タンスには何着かしまむらがあるし、バンTにインターネットで買ったシルバーを巻いて足元は厚底スニーカーだ。頭髪に至っては自然界に無い色彩で、馬鹿学生丸出し、むしろイキった高校生にすら見えるだろう。


だが、自分は32歳になったらこの格好はしないだろう。


だってバイトを入れば髪色は暗くし、初対面の人であればプライベートでも大学生社会一年目くらいのミドルブランドを入れつつなんとか見えるようにやっている。

オタクの言いそうな事だが、本職の「女子大生」に適わないまでもそれなりに見れる格好になっている(と信じたい)。


好きでしている格好なのに何故か?

自分が強くないからだ。

例えバイト規定指定がなくとも、このドンキの前に屯ってそうな格好でいれば周囲の奇異の目だけでなく、「こんな格好で行ったらどう思われるか」「面接で落とされないか」「常識が無いと思われないか」、と家を出る前から起こってもいない不安で仕方なくなる。


精神が擦り切れないための予防、自分社会的で無害ですよというアピール




きっと、気を遣いがちで空気を読むことに長けるような人、少し悪くいえば人の顔色を伺う心の弱さとも言えてしまうような人ほどこのファンを顕著に感じ、実行している。

そしてTPOを弁えたファッションが出来るようになる。


「32歳腐女子の友人」にあたる人達は、多くはこれを意識的にでも無意識的にでも行い、実行しているはずだ(周りを何も見ていない、気にしていないのなら極論裸でもいい。それをしないどころか『お洒落なのは、とてもリーディングスキルに長けているからだ)。



では逆の、「32歳腐女子」の層はどうだろうか。

おそらく彼女らも服飾に興味はそこそこある。

しかし「幼さ」からは抜けないままだ。

では我を通すだけの強さがあるというよりは、精神の幼さ故の客観性の欠如、といった方が正しい。

服飾のセンスだけでなく客観性に欠けると、周りの価値観に合わせることも出来ないことが多いだろう。

女性の多くが人生の変革期を迎えがちな30代に価値観がこれの人間は友人として面倒すぎるだろうとも予想できる。



それでも自分は、32歳になって、友人がバカみたいな幼くいても、友人のままでありたい。



これこそ幼すぎる考えかもしれない。そして、この文章八つ当たりになってしまうかもしれない。ただただ「32歳〜」がバズらなければ良かったとしか言えない。その上で正直まだ幼い人間にとって、「10歳上」の言葉は、絶対に感じてしまうのだ。



人間関係にとやかく言う気は無いし、異物の排除人類が身につけてきた集団を維持するための知恵で、合理的だ。

ももし、1人でも「32歳〜」とその関連を読んで「自分も変わらなければならないのだろうか?」と不安になっている人が居たら言いたい。



そのままでもいい。

75になってアクシーズファムを着ていてもいい。

ソシャゲ天井つぎ込んでもいい。

子供を持たなくてもいい。

恋人は一生2次元でも2.5次元でもいいし、どこにも居なくてもいい。勿論3次元に居てもいいし、人間じゃなくてもいい。



もし友人や親友だと思っていた人に陰口を言われたり、忠告されたりしたらその時考えればいい。

縁を切るか、友人に合わせるかすればいい。

友人の方が好きだったら言われた通りにすれば良いし、友人より大切だったら切ればいい。

友人が他に欲しければインターネットが今はある。

全てが嫌になったら別に死んだっていい。



こんな単純な話では無いのはわかっている。「ダサい」人の多くはこんな増田で擦り切れるほど繊細でないし、「お洒落な」人にとっては苦にもならない日常だろう。



しかし、もしこの文章を読んでいる人が、もし少しでも擦り切れていたら。

この文章が傘になればなと思わずはいられない。


あなた服装が、言動が、内面がどうであろうと自分はそれを肯定する。そしてこの世のどこか、近くか遠くかできっとあなたの居場所が必ずある。


そう32になっても言える人間に、なりたいとだけ願う。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん