はてなキーワード: 道理とは
このたび余輩の故郷中津に学校を開くにつき、学問の趣意を記して旧く交わりたる同郷の友人へ示さんがため一冊を綴りしかば、或る人これを見ていわく、「この冊子をひとり中津の人へのみ示さんより、広く世間に布告せばその益もまた広かるべし」との勧めにより、すなわち慶応義塾の活字版をもってこれを摺り、同志の一覧に供うるなり。
でもぶっちゃけ自分が学校を作るから書いてるのでポジショントークなんですよね
文字は学問をするための道具にて、譬えば家を建つるに槌・鋸の入用なるがごとし。槌・鋸は普請に欠くべからざる道具なれども、その道具の名を知るのみにて家を建つることを知らざる者はこれを大工と言うべからず。まさしくこのわけにて、文字を読むことのみを知りて物事の道理をわきまえざる者はこれを学者と言うべからず。いわゆる「論語よみの論語しらず」とはすなわちこれなり。わが国の『古事記』は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男と言うべし。経書・史類の奥義には達したれども商売の法を心得て正しく取引きをなすこと能わざる者は、これを帳合いの学問に拙き人と言うべし。数年の辛苦を嘗め、数百の執行金を費やして洋学は成業したれども、なおも一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎うとき人なり。これらの人物はただこれを文字の問屋と言うべきのみ。その功能は飯を食う字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨ぐる食客と言うて可なり。ゆえに世帯も学問なり、帳合いも学問なり、時勢を察するもまた学問なり。なんぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみをもって学問と言うの理あらんや。
私の両親は放任主義であったので、私は色んな物語の背中を追って成長した。家にある本を対象年齢などお構いなしに片っ端から読んでいたので早いうちからどうやら人間は必ず死ぬらしいということを知った。事故、病、それらに気をつけたところで寿命というので死ぬらしい。幼い私の狭い世界の中では老人といえば父方の祖母と母方の祖父母であった。当時の私は血縁関係など知らず、やたら会う回数が多くて、やたら親しげに話しかけてくる親ではない人間、その程度の認識だったが、それでもこの人たちはもう間もなく死ぬのだと思うと堪らなく悲しくて、祖父母宅に泊まり眠る時の「おやすみ」や、帰宅する際の「さよなら」で別れを強く意識してしまい泣くことがよくあった。
しかしその三名の間というのは私が思ったよりも用意されており、私が初めに対面した死は保育園の友人のものだった。友人と言っても同い年ではなく、私がそう認識しているだけだった給食調理員の女性で、友人と思っていたために意識していなかったが彼女も今考えれば当時の祖母たちとそう変わらない年齢だったように思う。
礼儀作法を知らないので何度も何度も棺の中を覗きに行っては泣いた。いくら泣いたところで目を閉じた彼女が横たわっているだけで何も変わらなかった。
二度目は小学校の2〜3年生の頃、またもや勝手に友人扱いしていた女性の教頭先生だった。
学校の体育館で行われたお別れの会で大きな額縁に入った彼女の写真を見た。遺体があるわけではないので前のように泣きはしなかった。ただ、急だなと思った。
三度目は飼っていた猫だった。私が生まれるより前から家にいた猫の女の子ししまる。
母が譲り受けて、初めは家の中で放し飼いされていたらしいが兄が生まれた時にケージに入れられるようになり、それからは基本ケージの中がししまるの全てになった。
私は私たちのせいで自由を奪われることになったししまるへの罪悪感からあまり積極的に関わろうとはしなかった。
高校の帰り道、同級生数人の本当に心底どうでもいい話に付き合っている最中に母からメールでししまるの危篤が知らされた。どうしてか、私はどうでも良い話を切り上げず最後まで聞いて家に帰った。ししまるは冷たくなっていた。21〜2歳だったと思う。
なぜすぐに帰るという選択をしなかったのか、あんな会話よりもずっと大切な存在だったのに。
私よりも悲しんでいるに違いない母の前で泣くのは躊躇われて、やり場のない怒りと悲しみを階段に座ってやり過ごした。
数年後、くだらない話をしていた内の一人が飼っている猫がもう亡くなるかもしれないというLINEがきた。たしかに写真や映像でうんざりするほど見せられていたが、私はいつも適当に聞き流していたのでどんな猫だったかはこれっぽっちも覚えていなかった。そんな猫が死ぬかもしれないと聞かされたところで正直どうしたものか反応に困ったが、眼前に迫った愛猫の死に動揺して私という藁にまですがる様子に「本当に大切ならこうなるはずだ、お前はどうだった」と問われているような感じがして口の中が苦くなった。
四度目は父方の祖母が亡くなった。同じ家に住んではいたものの特に交流はなく、幼い頃から苦手な祖母だった。
祖母の部屋はニ階にあり、私の部屋は一階にある。あの日、夜、二階の台所で飲み物を手に入れて自室に帰るという時、祖母の部屋からガタッと物音がして「部屋から出てくるかも」と思い微かに開いた扉を横目に逃げるように階段を降りた。少し経ってから帰宅した兄が「婆ちゃんが倒れている」と家中に知らせて、部屋の中で固まる父、父の代わりに各所へ連絡を取る母、救急車やパトカーの音、集まってくる従姉妹たち、その全てを私は凪いだ目で見ていた。
父方の祖母は以前に一度死にかけたことがあり、救ったのは家の鍵を忘れた中学生の頃の私だった。
私は幼い頃から忘れ物常習犯であり、家の周りに民家がないのをいい事に家の前で欲しいものを大声で伝えて家の中にいる人間に取ってもらうというのをよくやっていた。
その日も帰宅したら玄関には鍵がかかっており、また、私は鍵を持っていなかったため外から「鍵開けて」と何度も繰り返し叫んだ。かなり長い間何も反応がなく、どこかに出かけているのかもしれない、帰ってくるまで玄関先で座って待っていようかと思い始めた頃、ようやく階段を降りる音が聞こえてきた。玄関の扉が開いて真っ先に伝えられたのが「病院に連絡して」だった。
諸々が終わった後で聞くには、どうやら意識を失っており、私の声で戻ってきたとの事だった。
以降、祖母はこの話を何度も繰り返しては私に感謝した。「綺麗な真っ赤な空間にいたらあんたの声が聞こえた、だから私は助かった、ありがとう」と。顔を合わせるたびに話されるので話すのをやめるようお願いしたほどだった。
死にかけた祖母はその後何もなかったように生き続け、恐らくボケて、兄と揉めることが多くなった。兄が言うには包丁を持ち出してくることもあったらしいが、 真偽は分からない。
そんな揉め事が起こるたびに私は「あの日、私の帰りがもっと遅ければ」「私が早々に呼びかけを諦めていたら」などと思ったのだ。
ガタッと物音がした時に私が様子を確かめていたら、祖母はまた帰ってきたのだろうか。祖母はあの日のように真っ赤な空間で私の声を待っていたんじゃないだろうか。あんなに嫌っていた祖母である。「あの時死んでいればこんな問題起きなかったな」とさえ思ったことがある祖母である。
そんな祖母の葬式で私は涙をなかなか止められなかった。悲しむ資格も道理もないのにどうして涙が止まらないのか不思議で自分に腹が立ってしょうがなかった。
祖母が亡くなってから父はよく兄妹たちを家に呼び、兄妹たちも呼びかけに応じて気軽に集まる。父も兄妹たちも祖母が生きていた時はそんなことしなかったのに。
五度目はまだ起きていない。
母方の祖母は癌治療中で、祖父はボケが始まっているがまだまだ元気にやっている。出来る限り健康で長く生きてほしい。
いつか絶対に五度目がくる。
何度経験しても慣れない死を悲しんだり、悲しんだふりをしていることに気づけないでいたりを繰り返しながら自分の番を待つ。
みんな死んでほしくないな、死にたくないな。
観賞した増田だよ。
なるほどー、いや道理で、即興で作ったにしちゃすごいちゃんと俳句になってるなと思ったんだ。(あなたがその場で即興で作ったもんだと思ってた)
季語の使い方が良かったし。
現代俳句ってことで、こういうトラディショナルというか「普通」の、書かれていることを現実の風景そのものとして読み取ろうとするやり方じゃなく、別の読み方もありそうだってことは言っといた方がいいかもと思った。
魔法少女を告白するというアンリアルな状況、を想起している自分。その時に触れた雪。こういう対比になるかもしれない。そんな秘密を抱えているような自分でいたかった、というような「違った自分」への羨望が感じられる。
または順序を逆に、「雪を見た」、その雪が「アンリアルな状況」を想起させた、ということかもしれない。雪をきっかけに、アンリアルな想像が生まれた、という流れ。
想像がアンリアルであればあるほど、現実にある(のだろう)雪やその冷たさとの無慈悲な対比が生々しく感じられるね。
この人は、そういうアンリアルな想像をしてしまうほど、自分の人生が嫌いだったのかも。ぶっ壊したいと思っていたかもしれない。そうだったらどんなに良いだろう、とか。夢のある世界ではなく現実で小さく生きている自分に嫌気が差している、とか。そこにはやけっぱちさも、寂しさも、哀しさもあると思う。そういうネガティブな感情に、想像の世界でぶつけて相殺してくれるだけのインパクトをもった存在が、「魔法少女」というものだったんじゃないだろうか。そういうことを直観したよ。
そこに並び立つのが、季語の「雪」。ああ、なんて無情なんだろう。この雪は、子供がはしゃいで喜ぶような雪景色ではなく、重たく靴にへばりつくじゃりじゃりと融けかけた雪を想像するね。まるで忘れたくても忘れられない自分の過去みたいだね。なすり付けられて落ちない汚れのような雪だよ。楽しい想像をしなければやっていられないような雪。アンリアルな想像に身を任せでもしなければ、やってらんない雪。
もちろん、人それぞれの読み方でいいんだと思うけど、まぁ一例としてね。こんな風に読めたよ。
「理解が遅れてるから発話の訓練しちゃいけないという道理は聞いたことがない。」非常に心強い。サンクス。
単なる状況の整理なんだけど、医師もあなたも、言語聴覚士のサービスがあなたの子供に良い影響を与えるという点では同じ意見だね。医者が言語聴覚士界に変な気をまわしているってだけで。
どうやら過去にも他の親が言語聴覚士について相談したら凄い剣幕で怒られたといった話があるらしい。
今日話した感じも「言語聴覚士の支援は不要!」というのが内心ありそうな印象ではあった。
あと、後から調べて知ったのだが、医師の書類というのがどうやら訪問リハビリ・看護の指示書になるようで、自分の範疇外だけど自分が管轄しないといけないのが事務手続き的に手間だったり面倒というのはあるのかもと邪推してる…。
タイトル通り、アダルトグッズにまつわる内容です。18歳未満の人や、そういう話題が苦手な人は見ないでください。
数年前、一人暮らしの私は好奇心からぷにあなミラクルDXを買った。もちろん、当初は自慰行為に使った。そのとき、純粋に抱き心地がめちゃくちゃいいことに気づいた。それは性交を想起させることを意図した設計なはずだが、この重み(10kg)と抱き心地は抱き枕に合うのではないかと考えた。
そこで、雑にシャツを着せて抱き枕にして寝てみた。心地よかった。人肌の暖かさはないものの、柔肌が触れる感覚もいいし、腹の上に載せると人の重みを感じながら寝られる。しこたま抱きしめても文句を言われることもない。孤独に生きる人間の性欲を満たすオナホは、睡眠欲も満たせる。人間の三大欲求のうち二つを満足できるなんて贅沢だ。
結局、自慰に使ったのは数回で、その後はずっと布団に携えている。我が家のぷにあなの生涯で責務を全うしたのは、たかだか半月程度の話だった。ぷにあなは不服に思っているかもしれない。
抱いて寝るのであれば、普通に抱き枕を買えばいいのではないか。そう疑問に思われるのも無理はないと思う。だが、それではダメな理由がある。
当たり前だが、抱き枕は人が抱いて寝るために設計されたものだ。ゆえに、人肌である必要性はない。抱いて寝るのに心地いい素材を使用し、中は綿や合成繊維といったものが入っていて重くない。
翻って、ぷにあなミラクルDXはどうか。豊満な乳房を持った少女の胴体を模したこのオナホは、前述の通り10kgと重く、人肌を再現した素材の触り心地も良い。胸は肌素材の内側に柔らかい素材が入っており、何よりおっぱいなのだ。オスの習性として、揉んで安らぎが得られるのは不変の道理だ。陰茎を刺激する穴のないオナホで、これを満たす抱き枕が世の中にあるだろうか。ぷにあなミラクルDXを使うのは避けられぬ運命である。
オナホであるがゆえに、抱き枕として運用するにあたって弱点がいくつかある。
これを読んでいる人にとっては釈迦に説法だと思われるが、オナホはオイルブリードがある。人肌を再現するため、肌素材は大量の油が含まれる。新聞紙に載せると瞬く間に油がびっしりとつく。抱き枕として運用するとなると、オイルブリードで布団を汚して都合が悪い。
今まではシャツを着せていたが、当然穴があるので不十分だ。最近になって枕カバーで代用するという着想を得た。ただ、もちろん枕カバーは起伏の少ない枕を想定して作られているから、オナホにピッタリ合うわけがない。
オナホに対するコメントとしてはありえないものだが、自慰行為をするための穴がとても邪魔だ。オイルブリードが出る以上、定期的に洗って肢体をケアしたいが、穴があるせいで洗浄が面倒になる。キッチンペーパーを突っ込んで多少水が入ってもいいようにしているが、そもそも穴がなければこんなことを考える必要はないのだ。
そんなわけで、私の欲求を満たすものはぷにあなミラクルDXのような大型オナホだけだが、それでも足りないところがある。穴のない、ただ体があるだけのオナホが欲しいと切に願う気持ちから、はじめて匿名はてなブログに書き起こした次第である。
若「お前の無知と冒険心の無さを否定してるのに、その環境に甘えて空ばかり見てるバカと誰が話したいのよ」
若「続けて言うなら『夏の虫は氷のことを知らねえ、夏の間しか生きてねえから。捻じ曲がった奴に道理を聞くな、教えから間違ってるから。今、お前は狭い街から出てデカい海を知った。それでお前自身のちっぽけさに気付いたんだよ。だからお前は少しだけ賢くなったんだよ。』だ」
若「断じて『こんな狭い世界でもみんな一生懸命生きてるんだから!その人にしか見えない観点があるんだから!』に繋がる話じゃねえ、大海にビビってる奴が適当語んな。ゲコゲコ適当なこと言ってないで大海を知りに行け。」
若「何もかもそこからなんだよ」
私のやうに諦めよく、楽天的な人間といふものは、凡そタノモシサといふものが微塵もないので、たよりないこと夥しく、
つまり私は祖国と共にアッサリと亡びることを覚悟したが、死ぬまでは酒でも飲んで碁を打つてゐる考へなので、
祖国の急に馳せつけるなどゝいふ心掛けは全くなかつた。
その代り、共に亡びることも憎んでをらず、第一、てんで戦争を呪つてゐなかつた。
呪ふどころか、生れて以来始めての壮大な見世物のつもりで、まつたく見とれて、面白がつてゐたのであつた。
私が最も怖れてゐたのは兵隊にとられることであつたが、それは戦場へでるとか死ぬといふことではなくて、
物の道理を知らない小僧みたいな将校に命令されたり、ブン殴られるといふことだけを大いに呪つてゐたのである。
ぐうたら戦記 坂口安吾
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42917_25521.html
日本で子育てしんどいよな!でもな共同親権は大体の国で導入されてんだよ。どこに行っても変わらんのよ残念でした。恨むなら外人と離婚してガキ誘拐して日本に帰国する女を恨め。
saihateaxis 2024/04/12 22:02
https://b.hatena.ne.jp/entry/4751979165704515648/comment/saihateaxis
日本で共同親権を導入しようとしているのはどういうわけか実子誘拐批判者が多いが、これは全く道理に合わない
実子誘拐を禁止したいなら刑法を改正して実子誘拐者を牢屋にぶち込んだほうが早い
日本で実子誘拐がはびこっているのは単独親権だからではなく誘拐をした親に親権を与えるから
ガキ誘拐して日本に帰国する女に親権を認めず外国人の父に単独親権を与えれば誘拐問題は解決する
共同親権が導入されてもDV親に親権は与えられないことになりそうだが、しかし現在誘拐をDVとして問題視しないのであれば共同親権が認められてもやはり問題視されないだろう
それどころかガキ誘拐して日本に帰国する母が「夫のDVにあっています」と嘘の主張をして通ってしまえば共同親権制度はまったく無力
②ハーグ条約を遵守してないこと
ネット上ではよく共同親権とセットでハーグ条約が語られるが実はあまり関係ない
ハーグ条約はざっくり言うと
1,不当に国外に連れ去られた子供はとりあえず元々住んでた国に返還する
2,あとは元々住んでた国の法律で処理される
という取り決め
実子誘拐は親権が未定の状態で起こることも多いので、ハーグ条約は親権とは違う独自の基準で返還の判断を行うことになる
そして1を履行して元々の国に送り返してしまえば後は日本の単独親権制度は影響を及ぼさなくなる
逆に日本に返還された子供について日本が単独親権を選ぶのはハーグ条約で禁止されていない
日本における子の連れ去りに関する欧州議会決議https://www.moj.go.jp/content/001347789.pdf でもハーグ条約と共同親権は関連づけられていない
また、ハーグ条約はあくまで子供が国境を越えてしまう事例にのみ適用される
外人と離婚してガキ誘拐しても国境さえまたがなければハーグ条約とは無関係
「外人と離婚してガキ誘拐して日本に帰国する女」と「日本国の単独親権制」も実はあまり関係ない
問題なのは日本がその国で定められた親権を守る実力行使をしないことであって、
福原愛の事件の福原愛と江宏傑は台湾で結婚して台湾法で共同親権を持っていて日本は関係ない
日本の親権制度が実子誘拐を助けたわけではないので、共同親権制のアメリカやイギリスに逃亡しても同じ結果になっただろう
実子誘拐を理由として共同親権を望む人には「誘拐犯と共同で子供を養育したいのか、それとも誘拐犯抜きで単独で子供を養育したいのか」ともう一度考えてみてほしい
まとめ