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はてなキーワード: 祖父とは

2024-05-17

anond:20240517192722

かっこいい

そういや家も祖父の代までミカン育ててたけど農地は野山になっとるわ

でも上手いこと観光農園でもやらんと難しいやろな

誰にも言えない

ある古典芸能の家。

家元とか名家やない、言うたら町のお師匠さん。

明治維新でお抱えから放り出され、おじいさん(祖父)の時代には戦争芸事が一旦わやくちゃになって、おじいさんの一人娘(母)の婿(父)は、芸を継ぐ婿と違て、ふつう会社員やった。

当時は女がする芸事やなかったから、娘に継がすことはできひんし、ちゃんと定期収入がある婿はありがたかったんやろな。

まあ、たいそうな歴史のある家でもないからね。

おじいさんは孫の自分から見たらツルっ禿げの爺やったけど、家の外に恋人がいはった。

相手は娘(母)が小学生とき担任えぐい話。おばあちゃんも、おじいさんの前でよそのお師匠さんを褒めて空気を冷やすような人やったから、おじいさんの気持ちが外に向いたのも仕方ないかもしれん。

お父さんは堅い会社の真面目なサラリーマン

自分は遅く生まれた子で、そんな父親よりもおじいさんの方を尊敬して、芸の道に入った。おじいさんの弟子になった。

孫が継いでくれるのは、おじいさんも嬉しかったと思う。おじいさんとおばあちゃんのゴタゴタも、ちょっとはマシになったような気がする。

自分は「ええ子」にしてるのが上手かったしな。

けど、お母はんは苦労しはったやろな。おじいさんが死んだ後も、おばあちゃんと入婿のお父さんの間で板挟みになったはった。

そして自分も、家の外に恋人がいる。

まあ、そんだけの話。

2024-05-16

祖父の畑仕事手伝ったら「〇〇こやんかったら倒れてたわ」とお礼のようなものをいただいたのでとりあえず喜んでおく

2024-05-15

私の両親は放任主義であったので、私は色んな物語背中を追って成長した。家にある本を対象年齢などお構いなしに片っ端から読んでいたので早いうちからどうやら人間は必ず死ぬらしいということを知った。事故、病、それらに気をつけたところで寿命というので死ぬらしい。幼い私の狭い世界の中では老人といえば父方の祖母と母方の祖父母であった。当時の私は血縁関係など知らず、やたら会う回数が多くて、やたら親しげに話しかけてくる親ではない人間、その程度の認識だったが、それでもこの人たちはもう間もなく死ぬのだと思うと堪らなく悲しくて、祖父母宅に泊まり眠る時の「おやすみ」や、帰宅する際の「さよなら」で別れを強く意識してしまい泣くことがよくあった。

しかしその三名の間というのは私が思ったよりも用意されており、私が初めに対面した死は保育園の友人のものだった。友人と言っても同い年ではなく、私がそう認識しているだけだった給食調理員の女性で、友人と思っていたために意識していなかったが彼女も今考えれば当時の祖母たちとそう変わらない年齢だったように思う。

礼儀作法を知らないので何度も何度も棺の中を覗きに行っては泣いた。いくら泣いたところで目を閉じた彼女が横たわっているだけで何も変わらなかった。

二度目は小学校の2〜3年生の頃、またもや勝手に友人扱いしていた女性教頭先生だった。

学校体育館で行われたお別れの会で大きな額縁に入った彼女写真を見た。遺体があるわけではないので前のように泣きはしなかった。ただ、急だなと思った。

三度目は飼っていた猫だった。私が生まれるより前から家にいた猫の女の子しまる。

母が譲り受けて、初めは家の中で放し飼いされていたらしいが兄が生まれた時にケージに入れられるようになり、それからは基本ケージの中がししまるの全てになった。

私は私たちのせいで自由を奪われることになったししまるへの罪悪感からまり積極的に関わろうとはしなかった。

高校の帰り道、同級生数人の本当に心底どうでもいい話に付き合っている最中に母からメールでししまるの危篤が知らされた。どうしてか、私はどうでも良い話を切り上げず最後まで聞いて家に帰った。ししまるは冷たくなっていた。21〜2歳だったと思う。

なぜすぐに帰るという選択をしなかったのか、あんな会話よりもずっと大切な存在だったのに。

私よりも悲しんでいるに違いない母の前で泣くのは躊躇われて、やり場のない怒りと悲しみを階段に座ってやり過ごした。

数年後、くだらない話をしていた内の一人が飼っている猫がもう亡くなるかもしれないというLINEがきた。たしか写真映像うんざりするほど見せられていたが、私はいつも適当に聞き流していたのでどんな猫だったかはこれっぽっちも覚えていなかった。そんな猫が死ぬかもしれないと聞かされたところで正直どうしたものか反応に困ったが、眼前に迫った愛猫の死に動揺して私という藁にまですがる様子に「本当に大切ならこうなるはずだ、お前はどうだった」と問われているような感じがして口の中が苦くなった。

四度目は父方の祖母が亡くなった。同じ家に住んではいもの特に交流はなく、幼い頃から苦手な祖母だった。

祖母の部屋はニ階にあり、私の部屋は一階にある。あの日、夜、二階の台所飲み物を手に入れて自室に帰るという時、祖母の部屋からガタッと物音がして「部屋から出てくるかも」と思い微かに開いた扉を横目に逃げるように階段を降りた。少し経ってから帰宅した兄が「婆ちゃんが倒れている」と家中に知らせて、部屋の中で固まる父、父の代わりに各所へ連絡を取る母、救急車パトカーの音、集まってくる従姉妹たち、その全てを私は凪いだ目で見ていた。

父方の祖母は以前に一度死にかけたことがあり、救ったのは家の鍵を忘れた中学生の頃の私だった。

私は幼い頃から忘れ物常習犯であり、家の周りに民家がないのをいい事に家の前で欲しいものを大声で伝えて家の中にいる人間に取ってもらうというのをよくやっていた。

その日も帰宅したら玄関には鍵がかかっており、また、私は鍵を持っていなかったため外から「鍵開けて」と何度も繰り返し叫んだ。かなり長い間何も反応がなく、どこかに出かけているのかもしれない、帰ってくるま玄関先で座って待っていようかと思い始めた頃、ようやく階段を降りる音が聞こえてきた。玄関の扉が開いて真っ先に伝えられたのが「病院に連絡して」だった。

諸々が終わった後で聞くには、どうやら意識を失っており、私の声で戻ってきたとの事だった。

以降、祖母はこの話を何度も繰り返しては私に感謝した。「綺麗な真っ赤な空間にいたらあんたの声が聞こえた、だから私は助かった、ありがとう」と。顔を合わせるたびに話されるので話すのをやめるようお願いしたほどだった。

死にかけた祖母はその後何もなかったように生き続け、恐らくボケて、兄と揉めることが多くなった。兄が言うには包丁を持ち出してくることもあったらしいが、 真偽は分からない。

そんな揉め事が起こるたびに私は「あの日、私の帰りがもっと遅ければ」「私が早々に呼びかけを諦めていたら」などと思ったのだ。

ガタッと物音がした時に私が様子を確かめていたら、祖母はまた帰ってきたのだろうか。祖母あの日のように真っ赤な空間で私の声を待っていたんじゃないだろうか。あんなに嫌っていた祖母である。「あの時死んでいればこんな問題起きなかったな」とさえ思ったことがある祖母である

そんな祖母葬式で私は涙をなかなか止められなかった。悲しむ資格道理もないのにどうして涙が止まらないのか不思議自分に腹が立ってしょうがなかった。

祖母が亡くなってから父はよく兄妹たちを家に呼び、兄妹たちも呼びかけに応じて気軽に集まる。父も兄妹たちも祖母が生きていた時はそんなことしなかったのに。

五度目はまだ起きていない。

母方の祖母癌治療中で、祖父ボケが始まっているがまだまだ元気にやっている。出来る限り健康で長く生きてほしい。

いつか絶対に五度目がくる。

何度経験しても慣れない死を悲しんだり、悲しんだふりをしていることに気づけないでいたりを繰り返しながら自分の番を待つ。

みんな死んでほしくないな、死にたくないな。

2024-05-14

anond:20240514120011

元増田の母でございます

このたびは、息子が糞増田投稿してしまい、皆様には大変ご迷惑をおかけしております

深くお詫び申し上げます

息子は幼い頃に父親を亡くし、そのショックで内気な子供になってしまいました。

そのせいか小学校中学校、そして高校いじめにあっていたのです。

朝、学校へ行くと下駄箱にあるはずの自分上履きを隠され、昼食となると お弁当トイレへ投げ込まれ休み時間にはプロレスと称して息子だけが一方的に殴打されるような日々が10年以上も続いておりました。

度重なるいじめに耐えきれず、息子はとうとう志半ばで高校中退し、大学進学の夢も諦めねばなりませんでした。

失意のゆえでしょうか、家庭での息子はいじめの反動のせいでしょう、ことあるごとにわたくしに乱暴を振るうようになっていきました。

度重なる暴力のせいでますます息子は部屋に引き篭もり、自分だけの世界に 閉じこもるようになってしまいました。

そんな折り、祖父気分転換にと、息子へパソコンを購入してくれたのです。

息子はこの歳になるまで、恋人はおろか友達さえもいないようでわたくしも大変心配しておりましたが、この増田を知って以来、息子も少し明るくなったようです。

どうぞ皆様、息子を暖かく迎えてやってくださいまし。

本当は良い子なんです。

願わくば息子の増田ブクマトラバをつけて相手をしていただけますと幸いです。

よろしくお願い申し上げます

元増田の母より





追伸

息子は本当に頑張っています

ただただ再投稿を繰り返すのではなく文言を毎回工夫しバズろうと頑張っています

本当に良い子なんです。

どうか、どうか、よろしくお願い申し上げます

anond:20240514092004

うちの場合、母はずっと正社員で働いてたけど子供2人はネグレクト状態だった。

親1人でフルタイムで働いて家事やって子供2人の面倒も見るとか最初から無理がある。

近所にサポートしてくれる祖父祖母みたいな存在がいる家庭ならともかく。

2024-05-13

anond:20240513173213

元増田の母でございます

このたびは、息子が糞増田投稿してしまい、皆様には大変ご迷惑をおかけしております

深くお詫び申し上げます

息子は幼い頃に父親を亡くし、そのショックで内気な子供になってしまいました。

そのせいか小学校中学校、そして高校いじめにあっていたのです。

朝、学校へ行くと下駄箱にあるはずの自分上履きを隠され、昼食となると お弁当トイレへ投げ込まれ休み時間にはプロレスと称して息子だけが一方的に殴打されるような日々が10年以上も続いておりました。

度重なるいじめに耐えきれず、息子はとうとう志半ばで高校中退し、大学進学の夢も諦めねばなりませんでした。

失意のゆえでしょうか、家庭での息子はいじめの反動のせいでしょう、ことあるごとにわたくしに乱暴を振るうようになっていきました。

度重なる暴力のせいでますます息子は部屋に引き篭もり、自分だけの世界に 閉じこもるようになってしまいました。

そんな折り、祖父気分転換にと、息子へパソコンを購入してくれたのです。

息子はこの歳になるまで、恋人はおろか友達さえもいないようでわたくしも大変心配しておりましたが、この増田を知って以来、息子も少し明るくなったようです。

どうぞ皆様、息子を暖かく迎えてやってくださいまし。

本当は良い子なんです。

願わくば息子の増田ブクマトラバをつけて相手をしていただけますと幸いです。

よろしくお願い申し上げます

元増田の母より

ゲゲゲの謎アマプラで見た。

なんかアマプラカテゴリー注意喚起?に性的描写がない!って怒ってるツイートを見た記憶があるんだけど、性的描写アニメでの性的描写ってキスや体に触れるなどだと思うんだけど違う?)っぽいものはなかった。

ただ口頭で孫娘が祖父に抱かれてたってにおわせがあったぐらい?

あ~あと叔父がさよに迫ったぐらい?

因習村だ!おぞましい近親相姦だ!って沸いてる人がいたかちょっと覚悟して見たんだけど正直拍子抜けだった。

anond:20240513080228

元増田の母でございます

このたびは、息子が糞増田投稿してしまい、皆様には大変ご迷惑をおかけしております

深くお詫び申し上げます

息子は幼い頃に父親を亡くし、そのショックで内気な子供になってしまいました。

そのせいか小学校中学校、そして高校いじめにあっていたのです。

朝、学校へ行くと下駄箱にあるはずの自分上履きを隠され、昼食となると お弁当トイレへ投げ込まれ休み時間にはプロレスと称して息子だけが一方的に殴打されるような日々が10年以上も続いておりました。

度重なるいじめに耐えきれず、息子はとうとう志半ばで高校中退し、大学進学の夢も諦めねばなりませんでした。

失意のゆえでしょうか、家庭での息子はいじめの反動のせいでしょう、ことあるごとにわたくしに乱暴を振るうようになっていきました。

度重なる暴力のせいでますます息子は部屋に引き篭もり、自分だけの世界に 閉じこもるようになってしまいました。

そんな折り、祖父気分転換にと、息子へパソコンを購入してくれたのです。

息子はこの歳になるまで、恋人はおろか友達さえもいないようでわたくしも大変心配しておりましたが、この増田を知って以来、息子も少し明るくなったようです。

どうぞ皆様、息子を暖かく迎えてやってくださいまし。

本当は良い子なんです。

願わくば息子の増田ブクマトラバをつけて相手をしていただけますと幸いです。

よろしくお願い申し上げます

元増田の母より





追伸

息子は本当に頑張っています

ただただ繰り返すのではなく文言を毎回工夫しバズろうと頑張っています

本当に良い子なんです。

どうか、どうか、よろしくお願い申し上げます

2024-05-12

anond:20230423104346

その話してんのカッペだけだからよく飽きないなって思ってる

まぁ24/365で男女厨論やってるやつとおなじだと同じだと思いますけどね

地方である自分が如何に恵まれいるか自覚がないのかなぁ・・・

 

東京育ち上級国民、もしくは祖父祖母世代から家持ちで家賃ゼロ団地住みで家賃格安とかでない限り、カッペよりも物知らずなこと多いぞ

家賃がクソ高いから生きるだけで必死から

 

あとカッペはとんでもなく勘違いしてるけど都内通勤圏の千葉埼玉神奈川だってファミリータイプはクソ高いやで

例:

※ 条件は徒歩10分内で築10年内

※ 例は、地価を表すものではなく、単純に今ネット検索したら出てくる空いてる物件家賃。なお、ファミリータイプはすぐ埋まるので、千葉船橋とか築15年↑ でも、30万、16万とかある

※ 築30年↑ でも良ければ、近隣に3DK(55平米くらい)のRC10万以下も有り

 

散歩中に出会った女児のこと


当方40代男性である

一応就職はしてるけど、障がい者枠で民間企業で働いてる。

子どもの頃から手のかかるヤツだったのは間違いない。でも、ここまでは来れた。一応は一人で生きている。

本筋だけど、昨日の土曜日出来事で、ちょっと思ったことがある。昨日、とある増田日記を読んで、自分も書いてみようと思った。

今朝起こったことなんだが、その時は自宅の山の近くを散歩してた。田舎道路だ。

うちは田舎なのだが、近年、イオン系列スーパーマーケットとか分譲地とかニュータウンみたいなやつが進出してきてる。

その分譲地の前を通った時だ。当方と同じ、40代半ばの男が道路を歩いていた。焼酎学校同級生だった。高校も一緒だった。黒いジャージ姿だったかな。

顔はまあまあで、中肉中背だけど精悍な感じがする。性格とかキャラはよく覚えてない。どっちかと言うと自信家だった。昔から雰囲気は変わってない。

祖父時代から地元の名士である先祖大体、この市町で公務員勤めをしている。もちろんアイツも地方公務員高校を出る時に公務員試験に合格して、クラスメイトからは「あいコネじゃね?」とか言われてたけど、自分は違うと思った。確かに苗字は相当珍しいけど、でもあいつが性根が腐ってるとか、そういうやつじゃないのは知ってる。

それでさ、自分がいつもそのニュータウンの前を通る時、幼稚園くらいの女の子が兄妹とかと遊んでる。3人くらいで。その時も、いた。やはり姉妹3人で水遊びとかしてた。

の子達は、月に何度か散歩中に見かける。姉妹仲よさそうに遊んでる。お互いに存在認識してる……くらいかな。いや、やはり向こうは俺を認識すらしてないと思う。子どもだし。

さっきの道路の場面に戻るけど。その同級生がさ、その女児が遊んでる分譲地の、住宅の端っこあたりを通ったのだ。俺もすぐ近くにいる。すると、その女児がさ、「こんにちはー!」って大きい声でその同級生挨拶をしてた。

駆け寄り気味な感じだった。同級生も、「こんちは~」って感じで挨拶を返してた。よくない癖だとは思ったけど、その女児の顔を見た。そしたら、満面の笑みだった。俺は、女の子でも女性でも熟女でも、こんな眩しい笑顔を向けられたことはない。

あんな5才くらいの幼い子でもさ、「アルファオス」というと悪い言い方になるけど、そういうのがわかるんだよな。いい男性区別がつくのだ。この年代でも。増田で言うところの、『強者男性』というやつだ。

あー、ちょっと気が滅入ったわ。5才ほどの子にすらモテるってことは、きっと若い子にもモテるんだろ? あいつは。正直、羨ましいわ。自分も、一度でいいか女の子モテてみたい。

こんなこと思ってもしょうがないけど、男だったらやっぱり、女の子モテたいって思うじゃん。俺も、仕事でいい成果とか出せたら、女性が寄ってきたりするのかな。だったら、頑張りたいな。

俺のところにも、メフィストフェレスが来てほしい。

ファウスト』っていう作品があるんだが、ドイツファウストっていう黒魔術の怪しいおっさんが住んでいて……悪魔メフィスト出会って、死後の魂の服従を交換条件として、現世で人生のあらゆる快楽や悲哀を体験させるという契約を交わすのだ。

それで、ファウストはグレートヒェンという町娘と恋をして、子供を身籠らせて、それで……なんかもういろいろあって、スゲー紆余曲折体験して、最後は満足して逝くのだ(「時よとまれ お前は美しい」)。

魂は悪魔に引き渡される約束だったけど……以下ネタバレなので省略する。

日曜日に、こんなぼやきをしたくなる程度には、衝撃的な出来事だった。

子どもだって自分にとっていいモノもいいヒトもわかるんだよなって感じて、思うところがあった。

お目汚しをすまない。ちょっと思ってみただけだ。

2024-05-11

anond:20240511214035

日本人が今の中国人みたいな下品なことをワイらの祖父祖母時代にさんざんやってた歴史ネットに出てこないんだよなあ

2024-05-10

死ぬかと思うほど子供が可愛かった瞬間

子供死ぬほど可愛くて、その時の光景脳裏に焼き付いて、反芻しては悶えているので聞いてくれ。

 

俺は祖父で、先日3歳の孫を公園で遊ばせてたんだ。

なんかハエが飛んでるなと思いながら。

そして孫がシーソーにまたがり反対側に誰か乗ってくれないかなーと、ボーっと待ってたんだ。

で、ハエだと思ってたのがじつはハチだと俺は気がついたんだ。

 

俺は俺の周りを飛んでるハチを手で追い払った。そしたらなんとハチが俺に向かってブンブン威嚇しながら向かってくるんだ。

で俺は少しひるんでその場から少し離れた。孫がまたがってるシーソーから距離を置く感じになった。

そうするとハチシーソーの方に飛んでいった。

なんか変だなと思ったら今度は孫の周辺をハチが飛び回ってる。

孫はハチだとまだ気が付いてない。近くにいた他の子が「ハチが居るよ」と言って初めて動揺し始める俺の孫。

 

そこで俺は見た。なんか孫のまたがってるシーソーの下に黒い影がある事に。

そしてそこにハチは吸い込まれるように消えていった。

孫は「ハチ、こあい」と呟いた。

 

萌えた。死ぬほど萌えた。なんというか今俺はこの子生殺与奪を握ってるというか、ハチの巣が自分のまたがってるシーソーの下にあって、非常に危険な足長バチが少し怒った状態でそこにウジャウジャ居る事とかを全く理解してないが、なんとなく怖い事は理解してる感じとかに萌えた。

 

もちろん俺もぼーっと見てたわけではなくて、すぐに孫を抱きかかえてシーソーから距離を置いたが、数瞬の間があったことは否めない。

あの非常に危険ヤバい状況なのにそれを理解できておらず無力で何もできず何もわからず何かにおびえ心配そうに俺を見るあの目に死ぬほど萌えた。

それが脳裏に焼き付いて離れない。

anond:20240509224436

Aは二十歳ごろに髪をピンクに染め自転車でその辺を走っていたという目撃情報祖父から聞いた

こういう消費の仕方するクズ内面を話そうとは思わんわな

2024-05-09

友人ってなんだろうなって思った話

自分にはかつて仲のいい友人が2人(AとB)いた。

田舎なので幼稚園から中学卒業まで同じ学び舎だし上も下も顔見知りみたいな地域だった。

中学では部活強制入部だった。文系部活はなく帰宅部は学外でクラブチームに入ってる子だけで、運動部しか選択肢はなかった。

自分は2人を誘い同じ部に入部した。ずぶの素人自分たち3人だけで、他の1年生たちは経験者で先輩たちとは既に小学生ときから仲が良かったらしい。

私たち3人は浮いていたし、当然ながら私たちは下手で、先輩たちとすぐに仲良くなれるわけもなかった。

でも私にはAとBがいるし、別に他の部員だって意地悪をしてくるような人たちではなかったのでこれから頑張っていこうと4月の時点では思っていた覚えがある。

5月になったこからAが部活に来なくなった。理由はわからないがそのうちに学校にも来なくなり不登校となってしまった。最終的には保健室登校みたいな形で来るようにはなっていた。

休み時間にAに会いに行けばいつもと様子は変わらなかったし、おしゃべりするのは楽しかたから「気が向いたら教室にもおいでよ」みたいなことも言ったような気がするが1度も教室に現れることはなかった。

夏ごろにはBも部活には来なくなった。顧問からは「人間関係は難しいからね」みたいなことを言われた。おそらく他の部員や先輩とそりが合わなかったのだろう。

だって他の部員たちとそりは合わなかったがAとBがいるか楽しいし続けていけると考えていたのに2人はそうではなかったようだ。

半年の間に素人は私だけになってしまったが、別におしゃべりする相手がいないだけで、イジメがあったわけでもなくきちんと指導してもらえたし部活をやめる選択肢はなかった。

この時点で自分には友人と思っていたのに、何も言わずにいなくなってしまったAとBに対して不信感があったのだと思う。

一緒に遊ぶ分には今までと変わりがなかったので、そのままの付き合いを続けていた。

そのまま私たちは3年生となった自分たちには高校受験話題でいっぱいだった。

Bに「私は○○高校を受けるけどBはどこを受けるの?」と聞いたがBはただ「あーうん…」と苦笑するだけで教えてくれなかった。

友達なのになにも教えてもらえないんだなと冷めていくのを感じた。

のちにクラスみんなの前で面接の見本として前に立った受験の際に面接のある生徒たちの中にいたBの受け答えではじめてどこを受験するのか知ることになったが、そうなんだ、以外の気持ちは湧かなかった。

相変わらず保健室登校のAには聞いてはいけないような気がして受験の話も卒業後の話もしなかった。いつもゲーム漫画の話をするだけだった。

卒業後の2人のことはほぼ知らない。

成人式にもAとBはいなかった。

他の友人たちも2人が今なにをしているのか知っている人はいなかった。

Aは二十歳ごろに髪をピンクに染め自転車でその辺を走っていたという目撃情報祖父から聞いた。

Bは中学卒業後に1度年賀状が来てそれきりになった。

子供の頃はほぼ毎日遊んでいて、親から特に仲のいい子たちを認識されていたのに、今ではどこにいるのかもわからない2人に対して興味も湧かない自分を薄情だと思う。

でも、もし2人に会えてもきっと何も教えてもらえないだろうなとも思う。

なぜ2人はなにも私に言ってくれなかったのだろうと、時々思い出しては気分が落ち込んでしまうし

すべて話すのが正しいとは思わないが、なんとなく今仲がいい人たちのこともなんとなく信用できないままでいる。

中学生のとき私はどうすればよかったのだろう。もし過去に戻れるならそこからやり直したいと思うぐらい今でも心に引っかかっている。

2024-05-08

ライバル扱いされてるキャラ、大体最初はアレじゃないか

例えばヒーロー学校の爆炎使い

初期は主人公をしつこくいじめ自殺教唆すらしていた

他には遊戯の王に出てくる若き社長

主人公祖父の大切なカード(超貴重品)を奪おうとしたり破り捨てたり、挙げ句VR装置で仮死状態したことがある

幽霊になった不良の仲間の三つ目の魔族

仲間を人質にとりゲラゲラ笑いながら殺そうとしていた

龍の玉を巡る武闘漫画の異星の王子

なんかもう重ねてる罪だらけ


こうして見ると、アレ?こいつ外道だな?いつ許されたんだ?ってなるのが多かったりする

2024-05-05

anond:20230510234216

富山じゃない北陸だけど、写実的な絵を描くのが趣味祖父母親の裸を想像して描いてるのがバレて修羅場になったことあって本当最悪な子供時代だった

2024-05-04

祖父の死から考えたこ

私の祖父は昨年の夏に90歳で亡くなった。田舎農家長男に産まれ兄弟は皆就職結婚を機に家を出るも、長男なので家に残り、生まれた家から一度も引っ越すことはなかった。遂には生家で急に倒れてそのまま亡くなった。

祖父典型的田舎の爺さんだった。一家の長である自分が一番風呂でないと気が済まないし、台所には絶対立たない。祖母家事を全てしていた。祖母入院したときは、娘(私の母)が料理を作り置きしたり、レトルト食品なんかを用意したりしていた。

そんな祖父だが、娘三人は大学短大まで出していた。田舎なので地元大学はなく、娘三人にはそれぞれ一人暮らしをさせた。頭の古い祖父ことなので、「女に学問はいらん」などと言いそうなものだが、そんなことはなかった。

おそらく、祖父子どもの頃に進学したくても進学できなかった悔しさがあったのだと思う。祖父高卒で就農し、しばらくしてから地元町役場に勤めたが、通信制慶応義塾フリースクール(?)のようなものに通っていたらしい。大卒資格はもらえないが、科目履修のようなものだろうか。

祖父から慶応フリースクールに通っていたことを何度も聞かせられた。民法が難しかったと言っていた気がする。特に私が法学部に進学してからは、その話をよくしていた。同じ法学徒同士で嬉しかったのだろうか。

私は特に祖父には可愛がってもらった。私は初めての孫で、しかも男。祖父感覚からしたら嫡孫だろうか。前述の通り、祖父には娘しかいなかったので、長女の夫(私の父)を養子に迎えて家を継がせている。家にこだわる祖父は念願の男児誕生にとても喜んでいたらしい。

私は結婚しているが、現在子どもはいない。妻が子を望んでいないし、私もそこまで子どもに興味が無いからだ。妻が望むなら子作りをしてもいいが、望まないのなら無理にする必要は無いかなくらいに考えている。祖父は毎回会うたびに、子どもを作るなら早い方がいいぞ、と言っていた。私はそのつど適当な返事をしていた。祖父は生きているうちにひ孫が見たかったのだろう。

祖父が亡くなった日、子どもを作らなかったことを初めて猛烈に後悔した。生きてるうちにひ孫の顔を見せてやればよかったと、何度も悔いた。

しかし、祖父四十九日が終わる頃にはその後悔はどこへやら。無理して子どもを作る必要はないか、と元の考えに戻ってしまった。

おそらく私の代でわが家は途絶えるだろう。祖父があれほど大切にしていた家を途絶えさせてしまうのは忍びないが、子どもを作る気が湧かないのだ。

子無しの我々夫婦がどういう老後を迎えるのか、私にはまだ想像がつかない。妻に先立たれたら、私は天涯孤独になるのだろうか。その孤独に私は耐えられるのだろうか。

だが、子どもがいても面倒を見てくれるとも限らない。ましてや、障害を持った子が産まれ場合子ども社会適応出来なかった場合は、私が一生子どもの面倒を見なければいけない。

おそらく、子を持つべきかどうかに正解はないのだろう。だからどういう選択をしても良い。まぁ、だからこそ、一生悩む羽目になるのだが。

anond:20240504131910

反共思想のもとに統一教会日本に誘致したのが安倍晋三祖父で、自宅の隣の土地無償提供までした

安倍晋三歴代最長首相になれたし三代の中では最も成功できた者で、その理論での三代目故のデメリット特に感じない

祖父の代から負の遺産を受け継いだために殺害されたが

世襲3代目に関して

安倍三代」をゆっくりと読み進めているのだけど、安倍家の世襲に対する考え方が興味深いのでメモ

安倍晋三の祖父は戦中も反戦を貫いた信念のある人間で、翼賛会に属さず、戦後第一回の総選挙後に無念の死を遂げた人物である安倍晋三の父晋太郎は、父が亡くなった際は若かったので、間に後援会が推す人物を挟んでから山口の同じ選挙区を引き継ぎ、首相への道半ばにして病死。。安倍晋三は言わずもがな人物である

安倍晋三の祖父地元学校校長村長から成り上がった叩き上げ人物である政治家になろうと自身で決めた人物であり、そのバックグラウンドには地元への愛と問題意識とがある。安倍太郎地元学校で他の子供にまじって育ちながら父のそうした姿を横目で見、おそらくは政治家として立ち上がる際の困窮も経験しながら成長していった人物である安倍晋三に関しては、物心ついた時点で父は有望な政治家であり、東京私立学校で良家の子弟に混じって成長してきた人物である

政治家世襲ということを問題にする時、わたしはこれまで二代目と三代目とをあまり区別してこなかったが、親と自身ライフサイクルや年齢を考慮すると、「生まれながらの政治家」として育ってきたデメリットが大きく働くのは3代目以降であると言えそうだ。

政治以外の世界でも「3代目の社長会社を潰す」とか、すこし毛色の違う例では「三代続いてから江戸っ子」みたいなのも、同じ話なのかなあと思う。

2024-05-03

anond:20240501142024

小鳥じゃないんだ?まぁワイ自身も親は最近の子に多い名前にしようとしたのが祖父ゴリ押しで地味な名前になったかわからんでもない。

今はさほど気にしてないけど初めてそれを聞かされたときには殺意が湧いたわ

2024-05-01

anond:20240501144048

ロータリーライオンズはメイソン派生らしい


祖父がメイソン、親父がライオンズに入ってたが

メイソンは他の会員を言えない規則があるらしいな

ライオンズ家族会?みたいなのがあって、そのむかし催しに参加してたが

大体地元企業オーナーが多かったと記憶している

今はどうなのだろうか

2024-04-29

anond:20240429141723

北海道に住む弱者男性の俺が思ったこ

自分能力を鼻にかけてるのがよく分かる文章プライドも物凄く高そうで、地方差別露骨だしリベラルフェミニストになるのも納得

なんだけど、もう一つは北海道在住の俺の実家は男側より女側の方が立場強かったな土地柄の違いなんかね

家でなにか決める時も父親意向が反映されることはほぼなく、母が決める

テレビチャンネル権を持つのも母と妹

旅行外食先を決めるのも母と妹だし万事こんな感じ

なので、気分転換したい時は実家に寄り付かないで外で適当時間潰したりするよね

でも祖父は家父長制っぽいけど、陰で大分馬鹿にされてたから威厳もないよね

俺は妹に学生時代3万円盗まれても奴は親に叱られなかったし金も帰ってこなかったし謝罪もなかった

逆だったら俺は家から追い出されて北海道真冬の中で4時間ぐらい彷徨う事になってたな(実際にTシャツジャージの部屋着と裸足のまま外に放り出された事は度々有り、足の指が壊死しかかった)

表に出せない話ではもっと色々あるけど……

でも北海道差別したことないよお前と違ってね

さす九のリアル上京して「お前の地元おかしいよ」と言われるまで〜

「実は、女は台所で美味いものを食べて楽しくやってるんですよ」という話で噴き上がったさす九。

じゃあ、実際はどうだったのか。1人の九州出身者(身体女)の体験談を、列挙していく。

もちろんこれは、単なる個人体験談であり、また実際に以下の事象が起こったという裏付け証拠を出せ!と言われても無理である増田から匿名だし。

ただまぁ、こういうことを経験したと主張する人間が、少なくとも1人存在する。

小学校

テスト

すごく賢い男の子がいた。

私と彼は、競い合っていたわけではないけれど、だいたいテストでいい点を取るのはこの2人だよね、的な空気クラスにはあった。

ある時、別の賢い男の子が転校してきた。

そしてその男の子2人は点数を競うようになっていった。

まり点数を気にしていなかった私も、2人の姿に競争心が刺激されて、点数を稼ぐための勉強をした。

ある時、私が満点で、男の子2人は満点を取れなかったテストがあった。

点数を聞かれて、私は自慢げな気持ちを抑えてテストを見せた。

男の子たちは、私に凄いと褒めてくれた後、とても悔しそうに呟いた。

まさか、女に負けるなんて」

何だか、全部バカバカしくなってしまった。

女の子が産まれたら

私はずっと、父親から「お前が生まれたと聞いた時、駆けつけて『女の子ですよ!』と言われてガクーッと来たんだよなぁ」というのを、ジェスチャー付きで言われつづけてきた。

そして、祖母は「どうして男を産まなかったのか」ということで、ことあるごとに母をネチネチ虐めていた。

そして、従兄弟が産まれたら大騒ぎし、初めての男の子!と色んなプレゼントをし、男の子から!とお金を渡し、やたらに可愛がっていた。

兄弟クズだったしバカだったが、それでも従兄弟の方が可愛がられた。

これで無関心になってくれれば良かったのだが、孫の中で唯一私だけが、ある程度進学校として名の通っている中学校に進んだので、祖母の自慢要員(アクセサリー)兼おさんどん係として、今後も振り回されることになる。ちなみにアクセサリーとして祖母随伴してもお小遣いはもらえない。旨みなどまったくない。

・私の顔

私は、嫌になるほど祖母に似ていた。

外で歩くと、「あら〜増田さん(仮)ちの子でしょ!」と顔を見て言われるほどで、本当に嫌だった。

そして、祖母はおじ(父の兄弟)と似ており、私はおじの子だと間違われることがかなりあった。

私はおじも嫌いだったので、母に「また外で似ていると言われた。そんなに似ているか?」と愚痴った。

「そうねぇ、アンタは産まれた時からおじさんに似てるって言われてたわぁ。○○おばさん(祖母姉妹)なんて、『本当に似てるわねぇ。何でそんなに似てるんだろうねぇ』って言ってきたのよ」

「えっ?それって」

「明らかに、おじさんと不倫したんでしょ、ってニュアンスだったわ」

ギョッとした。それからしばらく、なにも言えなかった。

中学校高校

・寮

田舎小学校あるあるかもしれないが、会話していても本気で話が通じなくて苦痛だった(A=BでB=CならA=Cだろう、という会話で何でなんでそんなのお前の感想じゃんじゃあA=Dじゃん!みたいなことを喚かれる)。

から脱出先を探し、幸運にも「親の出した条件」をクリアする学校が見つかったのでそこを受験した。

というわけで、若干遠い学校に通うことになった。

一時期、寮に入っていた。

その時、管理人(男/中高年/既婚者)が、授業中に無断で女子生徒の部屋に入っていたことが判明し、問い詰めたことがあった。

下着も干している、プライベート場所だ。なぜ留守中に入る必要がある、今すぐやめてくれ」

私の主張は鼻で笑われた。

「お前達は子供だ、親は部屋に入るだろう。俺は親代わりなんだから部屋に入って当然だ」

私は食い下がった。

「お前は親ではない。というか親だったとしても、親はわたしプライバシー尊重してくれる。留守中に、下着を干している部屋に無断で入ったりしない」

男は心底驚いた顔をした。

「それは、お前の親が、家庭がおかしいんだ。お前の親、おかしいよ」

周りには、部屋に入られた他の寮生もいた。

管理人の異様さのせいか、みんな何も言えなかった。

親がおかしいとまで言われ、私は絶句し、泣いた。

どうして下着を見られたくない、それだけのことなのに親まで詰られなければならないのか。

翌年から私は寮を出た。

私も、周りの子も、親や教師相談をしたと思うのだが、奴が問題になって出ていく、みたいなことはなかった。

お前達は子供からお前らの下着を見ても別に興奮しない、みたいなことずっと言ってたけど、疚しかったんだろうなぁ。キッッッショ(感想

・その他

あとは、その辺で陰茎出してるお兄さんとか本屋で尻触ってくる痴漢かいた。あと、ちょっと気持ち悪すぎてここでは書けない(性被害の度合いとして酷いことをされたというより、なんかもうキショすぎて口に出すのを憚られる。周りからすると笑えることだと思うけど、今でもキッショいなぁ〜恥ずかしいなぁ〜口にできねぇ〜!って思っちゃう)ことがたくさんあった。この辺りは九州特有の、というわけではない気がするので今回は割愛する。

一般の、日本に生きる女子中高生としてよくある性被害を受けていた(これも大概どうかとは思うが)。

大学

このあたりで、うっすらと「フェミニズム」が九州でも認知されてきたように思う。しかしそれは、九州的な「女がすべきこと(雑用)」を完璧にこなして男様を気持ちよくさせた上で男様の2倍の実力を発揮できるようでなければ、自分権利を主張するな、という空気しかなかった。

今も変わらない?そうかな……そうかも……

部活

部活は男女に分かれている一方で、用具の準備やらなんやらの雑用はかなり女子が多くやっていた。

理由は「女の方が弱いのに、同じ体育館を使わせてもらってるんだからその分部活に奉仕しろ」とのこと。

今思うと頭おかしいが、当時はせっせと雑用をしていた。

もちろんマネージャーもいて、お茶の用意などは基本的彼女らが全部やってくれた。だがマネージャーであると同時に友達でもあるので、やっぱり時間があれば手伝うことも多かった。

引退する時、部長(男)が全員を集めてこう言った。

「お前らは知らないだろうが、マネージャーはずっと俺たちにお茶を作ってくれたりと雑用をして支えてくれたんだ。お礼を言おう」

しらねーーーーーのはお前だけだがーー!!?!?!?!(流石にキレる)

感謝気持ちがあるなら毎回手伝えばよかったじゃん!?!?!?!?!?!?手伝ってたのは女子部員だけだし、女子部員は全員毎回誰かしら手伝ってたんだよ!!!!それも見てなかったの!?!?!?!?!?

最後感謝して俺いいこと言ってる✨顔してんの、何なんだよ!?!?!?

葬式

母の父、私から見て祖父が亡くなった。

人が亡くなると、49日までお経あげたりと度々集まるような宗派だったので、私は毎回その集まりに駆り出され、おさんどんをさせられていた。

食事は、「気が詰まるだろうから」という「お気遣い」をいただき台所で食べた。

「そんな扱いされると分かってるなら行くなよ!」とか「拒否れば?」って思う人も多いかもしれないが、こちとら物心ついたときから盆や正月、親戚が集まれば配膳や酒を注ぐやら灰皿変えるやらさせられていた九州の女である。手伝いに行くことに、疑問すら持たなかった。

唯一疑問を持ったのは、祖父の墓に参れなかったこである

お経を上げ、お墓参りに行く時、女衆は座敷のセッティングをして墓参り組を待つのだ。

ただ、みんな車に乗っているので、お酒の準備はないし、料理も既に用意していたりお弁当を並べるだけだったりして、正直女でも2人いればどうにかなる。というか、机動かすのとか男がやれよなって今なら思えるが、当時はそんなことも思い浮かばなかった。

最後の集まりの時、おじから「今までお墓参り行ったことなかったよな。今日は行くか?」と聞かれ、私はもちろんと頷いた。

ここまで、孫なのに墓に参ることもなく、おさんどんだけさせられて帰らされていたというのは(そして男の孫はそんな目には遭っていない)かなりグロい状況なのだが、そんなことには気づいていなかった。そして、初めてお墓見るなぁと、少しワクワクしていた。

お坊さんがお経を上げ終わり、じゃあみんなでお墓参り行こうかという準備をしていた。私は、ギリギリまでおさんどんして、残る人たちの負担が少しでも減るようにしていた。

完全に行くつもりで玄関に立っていた私に、母から

「やっぱり、お墓参りちょっと……今回は、家で待っててもらえる?」

と言いにくそうに言われた。

「今回は」も何も、一度もいけたことはなく、ずっと家で待っていたが?????おん?????????

と思ったが、絶対絶対お墓に行きたーい!みたいな情熱は無かったので、まぁそう言われるなら……と私は了承し、家で待った。

何で「やっぱり、お墓参りちょっと」なのか。

兄弟たちは行けるのに、なぜ私はダメなのか。

そういえば、私以外の女の孫は、みんな来てないなぁなんて思いながら、墓参りに参加するために急いで用意してしまいやることがなくなった台所で、ぼんやりと親戚一同が帰ってくるのを待ったのだった。

・さつまおごじょ

大学は、九州各地から色んな人が来ていた。

そんな中でも、鹿児島の人たちの話は強烈だった。特に女性から聞く話はもう、上記のような経験をしている私からしても「おかしいよ!!」と絶叫するような話ばかりだった。

そのうちの一つが、以下に書くような話だ。

「胸が大きいと、同級生先生からセクハラ行為を働かれる。

というか、胸の大小について、男性から公的場所で、大っぴらに色々と揶揄われる。触られる。性的言葉をかけられる。」

これまで私が受けてきたセクハラは、「性的意図はないから!」みたいな隠れ蓑が必ずあった。建前というか、私は悪いことしてませんよ、と言うために本音を隠す「何か」があった。

でも、鹿児島にはそれがない。女にセクハラしようが何しようが、性的意図で触ることが「悪」ではない。少なくとも、その場で眉をひそめられたり、他人から咎められることではないのだ。

私は中高生時代に、胸が小さいことをさんざん同級生揶揄われたので、スタイルが良くて良いねと心の底から羨ましがったら、「胸が大きくていいことなんかない」と言われ、上記のことを教えられた。その後、鹿児島ってそうなの?と別の子に聞いたら、そうだよーあるあるーみたく言われ、本当にヤバい場所だなと認識した。

から余計に、「鹿児島は本当にやばい、いわゆる男尊女卑とはああいうのを言うんだなぁ。私は普通でよかったなぁ」となった。

普通じゃないことを知ったのは、上京してからのことだ。

大学

祖母ダブルパンチ

大学院に進んだ。

そこそこ名の知れた学校で、進むにあたりかなり頑張ったので、私はかなり鼻高々だった。調子に乗っていた。

父方・母方の祖母2人に、進学を報告した。

一方はかなりボケていたが、どちらも全く同じ事を言った。

「女がそげん勉強して、どがんすっ」

翻訳すると、「女がそんなに勉強して、どうする」という意味である

小さく、私にしか聞こえないように、告げられた。

戦争で進学を諦めた、母方の祖母なら理解してくれると思ったけれど、この地はそんな祖母気持ちすら奪った。恨むべきはこの地なのに、私は祖母が受け入れてくれなかったことを、裏切られたように感じてしまった。

荷物持ち

大学院に進んだ後、同じ研究室の人と軽いパーティをしようという話になった。

買い出しで、私は当然、重たい水の入った袋を持った。だって運動部で、鍛えていて、そのくらい持つ力があったし、「男と同じように扱われたいなら少しでも男に甘えてはいけない、それはダブルスタンダードだ」という考えが、日常から言葉でも言葉になっていなくても、骨の髄まで染み込んでいたからだ。

男性陣はそれに驚いて、「いいよ!増田ちゃんは軽いやつ持ってよ」と言ってきたが、ああそういう『ポーズ』ね、と思い「大丈夫だよ〜わたし力つよいし」とそのまま行こうとすると、

女の子なんだから

と言われた。

雷に打たれたような気持ちだった。

こいつは何を企んでいる?と思った。

どう対応すればいいのかわからなかった。初めての経験だったから。

頭が真っ白になっている間に、男性陣が荷物を持っていってしまった。

女の子から、という理由作業免除されたのって、もしかしてこれが初めてじゃないか?書いていて思った。

感想

さす九の何が嫌かって、「女は3歩後ろをついてこい」「外では俺を立てろ」と要求してくるのに、女を全然守ろうとはしないことなんですよね。女に守ってもらい、女にお世話してもらい、女に気持ちよくしてもらい、というおんぶに抱っこ。少しでも自立しようとすれば「だったらこれもやれ」「俺の世話も手を抜くな」「そこまでやって初めてお前は権利を主張できるんだ」と。

もちろんそうじゃない男性もいるとは思うんですけど、私が20ウン年あの地で生きてきて、荷物持ってもらえただけで衝撃を受けたってのは、やっぱりあの地に残る空気感、仕草、そういったもの日本の他の地とは違っているからだと思います

普通に訪れたり、一人暮らしするだけではわからない、実際にあの共同体に組み込まれて、初めてわかるものがある。

中学生くらいの時から欧米女性自分で何かをやり、自分で自立することをフェミニズムという!お前らは権利を訴えるだけ!見習え!みたいなことを言われたりもして、そうかぁ!そうだよなぁ!!ってしゃかりきになって勉強して自立しましたが、最近になって「欧米女性そもそもお人形さん』『アクセサリー』のように大事に扱われるのがデフォから、そこからの脱却を目指していたんだよ」と聞いてズコーーーっ!!!とずっこけました。

前提が違うじゃん!お前は割烹着きて家事育児して俺のご飯の準備とセックス相手をして少ない給料でやりくりしてから好きなこと言え!働きたいなら最低限そのくらいしないと自立した女じゃない!みたいなのが日本の反フェミっていうかフェミが台頭したいならちゃんしろよ論者が言ってきたことじゃん!?少なくとも1020年前の九州ではそう言われていた。

生きづらくて逃げに逃げて、逃げた先から昔いた場所俯瞰して「やっぱあそこおかしかったんじゃ〜〜ん!?そこから脱出できた私えら〜い!!」って、今は自分を褒め称えようと思います。いやマジで頑張った、ありがとう、本当に今とても楽です。

【おまけ】トランスジェンダーになりたい少女たちについて

上の話を読んでなんとなく察した人もいるかもしれませんが、私は小中学生時代男の子になりたかった。

だって男の子だったら本を読んでいても、勉強していても、不細工でも、問題ない。何も言われない。変だとか、生意気だとか、言われなかった。

男の子がよかったのになぁ」と言われることもなかった。

セクハラされることも、顔や体つきについてとやかく言われることもなかった。

一度、男の子みたいな格好をしてみた。別にそれで何か嬉しかったりとかはしなかった。

ただ、私が男の子だったら、こんな面倒なこと、摩擦が起きなかったのに、という、消極的気持ちで、男の子になりたかった。

あの時、「あなたは本当は男の子なのよ」って言われたら、泣いて喜んでいたと思う。

私は男の子なの、男の子として扱って!となり、治療も受けていたと思う。

けれど、男になった私を、親族は誰も受け入れたりはしなかっただろう。跡取り(そもそもそんな立派な家ではないが)として扱われたりなんかはせず、ずっと後ろ指を刺されていただろう。

今、私は、身体違和を感じていない。

まれながらの心の問題とは別に社会構造として、男に憧れてしまう(少し意地悪な言い方だが)状況がまだまだある以上、そして誰も責任を取らない、取れない治療である以上、成人前の子供に性適合治療をすることは、厳に慎むべきだろう。

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