はてなキーワード: 復職とは
昨年育休より復帰
が、いざ復職するも具体的な分担の話はできないまま
私がほぼリモートの一方で夫は地方の役所づとめで毎日遠距離通勤(片道1.5時間、平日朝は6時には出て帰りは20時近く)もあり、復職前と変わらず平日ほぼワンオペ状態が半年以上続いてました
仕事で色々あったこともあり、育児家事分担が妻である私に偏ってると感じ分担の見直しの相談を持ちかけました
ここでよくなかったと反省はあるのですが、前段で他の家庭での話を出してしまいました
うちの会社の同世代以下の男性陣がかなり育児に協力的な人が多く、奥さんが専業でも平日終業後は育児家事専念してる、などの話を聞いた直後でしたので、その話を夫にもした後に分担の話を切り出しました
今思うと、比較され気分も悪かったかとも思いますが、こちらもいらつくことに、返答として「人は望めば望むほど更に望む」といった主旨の話を夫が切り出しました
(イラつきマックスで詳細忘れましたが、当時よく読んでいた仏教関連の話から引用したそうです)
更に「具体的に何すればいいの?」と聞かれたので、保育園の準備や朝ごはんの用意など、いまの通勤形態でもできる内容を挙げました
ここでまた、聞き方が人を馬鹿にしているとしか思えないもので、私が「保育園の準備」などと言うと「あとは?」と、こちらが分担したい家事育児を挙げるのに対して、ただ一言「あとは?」を繰り返すのみです
今思えば仏教の話にある、望めば望むほど、を繰り返しの問で気づかせようとでも思っていたのかとも思いますが、私としては話し合いする気もないとしか受け取れないし、真剣に相談したかったのに対してバカにされているとしか感じられませんでした
その場は私が呆れ返ってしまいそれ以上の話ができずだんまりモードで話し合い(?)も打ち切りとなりました
それ以降、望めば望むほど、と返され傷つくのが嫌で愚痴も相談もできなくなりました
今度話しをするとしたら、離婚を切り出すときくらいかなと思います
本人も言ってましたが、家事など「やれるところはやっている」※ので、ゴミ出しや洗濯干しなどやってもらっているところも確かにはあるので、その多少の支援と一緒の空間にいることの辛さとの天秤がいずれ崩れたときが決断のときかなと思います
(※夫が「やれないところ」は否が応でも私が対応してる点を言った上で上記の流れになった点もあったのを書いてて思い出しまたイラつきが再発してきました、、)
いないと思って全部自分でやるほうが精神的には楽なのではという割合が最近増えてきました
直近だと飲み会に関しても思うところがあったものの、仏教の話切り出されるのが怖くて思うことを言えませんでした
子供2人目も考えたかったですが、現段階では産後の負担を考えて(かつ生理的にも)到底無理そうです
年齢的にも難しい齢に踏み込んできているところだったので、もともと考えどころではあったものの、こういった事情で諦めざるを得ない状況になってしまっているのは自分としても結婚当初は想像もつかず大変残念なところではありますが、そういった相手であることを分かりきれずに選んでしまった自分の落ち度でもあるかなと思い、自分自身を無理やり納得させている状況です
吐き出しどころもなくモヤモヤしてましたが、せめてもの決断のときの証跡にでもどこかに残しておきたかったのでここに投稿させていただきます
なんで新入社員時点で嫁がいる前提なんだよwwww
たとえば機械系を専攻して世界一の自動車技術を開発したい人にとって、世界一魅力的な街は東京じゃなくて豊田市なんだよ
だから就活時点で第一志望にとおったら自分はこの先ずっと豊田市に住むことがわかってるんだよ
そんで、もともとの話は機械系専攻の女性の大学生がどういう道を選ぶかって話じゃん
男だろうが女だろうが、技術職が仕事で一番しあわせを実感できるのは、自分の技術を世界のトップレベルで生かせることで
自分の技術を生かせるかどうかで、就職先も住む場所も職場環境も決めるべきなんだよ
そういう職場であれば、もとの増田に書かれている悩みなんて、経験済み・解決済みの先輩女性社員も多い
結婚・出産するんでも、そういう技術者の街で技術職同士結婚して育休とって復職する事例がまわりにゴロゴロいるので参考になる
東工大やら京大、軒並み女子枠の設置が相次いでいる。Twitterではもっぱら「バカな女に下駄をはかせるな」と盛り上がってるが、自分は別の視点から女子枠に大反対。女子枠なんてクソくらえ。
争点は大学入試ではなくその後のキャリア。いわゆるメーカーにいくか、どうするか、大変なやんでいる。
自分:地方公立進学校→旧帝工学部機械系B4。INTJ。つきあって3年の彼氏がいる。(ここではとりあえずこの人と結婚する前提で話がすすんでます)
弊専攻機械には大量の推薦もあり、多くの人が推薦を使ってトヨタやダイキンやパナに就職。けど、女子でメーカー技術職?それが幸せとは到底思えない。
子供をもうけるとなった場合、産休育休は必須。妊娠したら、大切なプロジェクトや重要なポジションには就かせてもらえないだろうね、男は産休取らないから、そっちに任せるのが合理的。育休からかえってきたら、後輩が上司になっていたりして。復職後も保育園からの呼び出し、小学校の参観などで有給をすり減らせて育児。上司は全員おじさん、同期もほぼ男。みんな子供の世話は奥さんがやってくれるもんね、迎えにいかなくていいんだ。それを60歳まで?いくら安定性のあるメーカー勤務でも幸せとは思えない。
男は10頑張ればよいところを、女は20頑張らなければ同じ土俵に立てない。メーカーに就職することは、その壁を確認しにいく作業にすぎない。
就活の早期化で、就活は3回生の春からが基本になってきてる。院生が修士で修了する場合、修士1年で就活開始。正気か?同研究室の1つ上の先輩を見ている限りは到底無理。大学院の大量の講義を受けながら実験・成果報告。仕送りだけではまったく暮らせないのでアルバイトも必須。その時間で大量のESやWebテストを受けてインターンに行き、私立文系の学生と対等に戦えるのか。いずれにしてもいばらの道である。
(3)キャリアをあきらめ、子供を産むと同時に退職、専業主婦orパート
中高6年を学業に費やし、大学6年間のレポート・実験・卒論を乗り越えて、主婦?努力をみずから無碍にするようなまねはしたくない。
いまの彼氏と結婚した場合、旦那はメーカー、自分はパート。同じ大学を出て、同じように勉強して、旦那は年収1000万、自分はレジ打ちで100万。うつ病になりそうだ
(1)~(3)のいずれも、「頑張ればいいじゃないか」といえばその通りだ。男に負けないよう2倍がんばれば済むし、私立文系と対等に戦うために睡眠時間を削ってESをかけばいい。自分の気持ちに蓋をしてレジ打ちもできる。ただ、男はそこの心配がいらないじゃないか。自分が男だったら、迷わず大学推薦で就活してメーカーに就職する。心底うらやましい。
勉強して高学歴になったのが間違いだったのか。がんばって勉強して、がんばって就職しても、旦那の海外駐在がきまったらどうなる?地方転勤には帯同するのか?生まれた子供に身体障害があったら?小学生で不登校になったらどうする?
高卒でこどもを産んで専業主婦をしている地元の友人がうらやましい。高学歴になってみえたのは女の頑張れる限界。妊娠しなくても親になれる性別に囲まれて働くことの難しさ。そんなもの見えないほうがよっぽど幸せである。
高校では男ばかりの物理の授業を受け、男ばかりの入試を受けた自分を、少し誇らしく思っていた時期もある。自分は男勝りだと。物理や数学が好きで、よくできる自分は特異なものだと。なんなら、数3と物理を捨てて看護系に進む同級生を少し下に見ていた。
蓋を開ければ一切その気持ちは払拭された。医療系に進んだ彼女たちが正解で、こっちは不正解。理工系女子が理工系の中で「普通」に入ることは断じてできない。
大学に入学したあと感じたのは、「女」であることは常に異質であり、常に異性としてまなざされることは苦しいということ。高校までは男性を苦手と感じたことなどなく、何なら男のほうが話しやすいと思っていた自分でさえ、教室に入るのが苦しくなり、不登校になりかけた。最低限の授業だけ行き、あとは家で寝ている生活。キャンパスも男ばかりだから、食堂も図書館もいかなくなった。実験で同じ班になった男に、「〇〇さんですよね?昨日△△で見かけました」と声をかけられる。こっちとしてはお前誰?レベルなのに。正直気分が悪い。
これを就職してもずっと続けるのか?40年間?とんでもない。
理工系女子枠?リケジョ優遇?クソくらえ。こんな苦しみを味わう場所に女をふやすべきでない。入試が少しラクになる程度のエサで女を釣るな。高学歴女の最適解は文系進学もしくは医療系。間違っても理工系で男と対等にやれるなんて思ってはいけない。「親」になるために身を捧げる側は、捧げない側に混ざって対等に戦うことはできない。
旦那に専業主夫をしてもらえばいいじゃないかという声も聞こえてきそうだが、そのつもりはさらさらない。自分が苦労して大学に入って勉強したのと同じように、彼氏も努力している。自分が専業主婦になりたくないからこそ、彼氏に専業主夫を求めるのは筋が通らない。
いまのところ自分は理系院卒の肩書を捨てて、関西ローカルの中小の文系企業に就職するか、行政書士などの資格をとることを考えている。
支持がまとまらない元受け、成長する気のないチーム、改修されない運用。
専門学校で曲がりなりにも勉強をして資格を取り調子に乗っていた私はここでは何も成長できないと不満を持っていた。
療養のため半年以上仕事を休んだがその時に怠け癖がついてしまった。
復職後、上司の気遣いでリモートワークが主になったが怠けてしまう。
「今日はやる気がでない」
「本気を出せばこの程度のタスクは数日で終わる」」
そんな思考を繰り返し続けた結果、成果物は上がらず、評価を落とし現場を何度も転々とする負のスパイラルに陥ってしまった。
成長をできないことをストレスに感じていた自分は何処に行ってしまったのか。今は仕事のできないチームのお荷物がここにいる。
GWが明け業務が再開するが休み前に依頼されたタスクは何もできていない。しかしできているテイになっている。
きっとそうではない。
まあ、なんちゃって育休をする奴らがいるのは否めないが、ワイは育児の為にお休みをいただいているのでこれが今は仕事なんだと本気で取り組んでたんだけどさ。
幸いラクテーション協会の息がかかったような連中は実母くらいのもので、あとはそんなの気にしなかったのと、
妻が出産時に出血多量で母乳育児にドクターストップがかかっていたのとで、生まれた時から粉ミルクを使ってたのとで、
沐浴もワイがやってた。
泣けば抱っこしてた。
しんどすぎたときもあったけれど、こうやって毎日世話をすることで子供への愛着がはぐくまれたのは事実なんだよな。
復職してからは深夜の授乳で昼はふらふらしてたけれど、上司も子育て経験者だったので、かなり理解してもらってたと思う。
夫が三歳児神話を理由に保育園にも通わせず妻が軟禁状態にさせられてる相談
第1282回4/21(水)の放送(12:00~12:15頃)より。今回は、0歳児と2歳児の二人のお子さんを子育て中という31歳・女性からの「仕事が大好きで、早く復職したいのですが、夫はいわゆる“三歳児神話”を信じている 人で、半ば強制される形で育休を取っています。でも、いくら子どもが可愛くても、夜まで相手をしていると、イライラし、毎日、奇声を発してしまいます」という相談。
相談者が以前送ったが採用されなかった過去の投稿で「結婚したら夫がモラハラ化してきた」と相談していたのか照会されていて、(採用の商品を送るために)住所や本名必須のラジオは過去の投稿同定されるのか、恥ずかしいな〜た思った記憶
川崎市単体では組合員数が少なく(労使交渉などに常時動いているのは更に少ない2、3人)横浜支部などと合わせてがくろう神奈川の支部として活動している。
この組合は、自分達のイデオロギーに合致すること(例として米軍基地移転・マイナンバー反対)や、労働組合として定例の取り組み(賃上げ要求や雇止め反対等)には取り組むが役員が必要性を認めない、労使関係に影響を及ぼすような(要は及び腰になるような)組合員個別のトラブルや悩みには支援介入しない。最初のうちこそ多少は交渉に動いたものの、後半にはこちらは診断書まで提供して何点もの当局の問題点を追及するよう強く要請したが、組合自らが非難している市教委当局や川教組、政治家よろしく殆どにつき「追及はしない」「検討が必要」との回答に留まり何一つ踏み込んだ行動や私の希望する対応はしてもらえなかった。反対にこちらが問題のある人物かのような態度をされた。結局組合加入中にも拘らず一人で当局と交渉することを余儀なくされた。
特に事実上の組合トップである書記長Iはひどい。加入直後こそ御祝儀期間で多少交渉等に動いたもののその段階から我が強く、交渉の席で任せてと話を遮ったり、組合や自身の考えを展開したり当事者である私の主義主張とずれるところがあった。私が二度目の休職に追い込まれた後には、私が医師の勧奨も無視する不当極まる配転命令に屈することはあり得ない、訴訟も含めあらゆる手で徹底抗戦する、異動を前提にしなければ復職は出来ないと再三面談や資料提供も含め伝えているにもかかわらず、自らの考えで勝手に専門医が休職と言っているのだから休職復帰が最優先で復帰まで支援はしない(即ち人事共に屈し、居るだけで心身悪化する苦痛極まりないパワハラ配属先に年単位で我慢しろ、出来なければ分限免職止むなし)と結論付け、こちらの話を聞かず考えも一切曲げず一方的に支援の打ち切りを通告してきた(この時点で事実上除名のようなもので労組として考えられない対応である。貴方の為などと嫌がらせ人事する連中と大差ない)。
その冬の当局への年一回の異動交渉の場でも、他役員への私の強い申し入れの結果なんとか名前「だけ」は出させたが通勤負担の低い職場という一般論だけで私の詳細な希望は盛り込まれなかった。ついには加入当初は当然になされていた、どこの組合でも組合員の基本的権利である筈の労使交渉の場での発言等の進捗情報の送付共有(私個人のため特別に作成するものではなく普段から全組合員に向け書記長により作成されているもの)さえもしてこなくなり組合仲間から指摘されても改めず、その対応について私が指摘すると自らの過去の発言を翻し「組合員の権利」→「病状を考えて送らない。アンバサダーではない。送付する義務はない」。病状悪化などしないしそんなことは一切こちらから希望してもおらず提供するよう改めて強く求めると後日SNSにて自分が悪いにもかかわらずハラスメント(笑)されただの引用文にかこつけてテメー呼ばわりだの逆切れしている始末であった。よってこれ以上加入を続けてもメリットはゼロどころか話にならず不快極まりないため脱退することにした(なお、上記発言事柄等は全て証拠として残っている)。
SNS等では加入させるために威勢の良いことをごちゃごちゃと並べ立てているが、結局のところ何を言おうが事実として私の抱える労働問題の殆どの力になることは出来ず、それどころか後半は最初の一歩である当局への申入れや交渉さえせず脱退後は他の学校事務職員には送っている情宣誌も私には勿論一切送って来ない。これがコイツ≠組合の本性である。スケールメリットもないこの組合に加入し毎月無駄な組合費を払わされるくらいなら直に弁護士に相談するなり自分で自分のための組合を立ち上げた方が遥かに良い。人数が少ないため自浄作用もなく役員の交代も期待出来ず加入は全くお勧め出来ない。
今、産休を取る層ってだいたい30歳前後で、下級中間管理職みたいなポジの人が多いよね。だから、抜けた穴は、その下の部下が産休者のポジションに上がる形で埋める。( 同格のマネージャーが兼務したり、上司がカバーするパターンもあるけど)
部下のやってる仕事は比較的代替しやすいし、単純作業を抱えてたりするからそれを切り出して派遣なりなんなりで埋める。産休育休が「若手がポジション不足で昇進できない」って問題の解決策になってる。
昔みたいに女は一般職で昇進なしで一生単純事務処理してるみたいな環境が前提だと一人抜けると困るかもしれないけど、今はそうじゃないから、産休者のシワよせで誰かが激務になるってことはホワイトカラーではあんまりないと思う。
エッセンシャルワーカーは大変みたいだけど、これはもう構造的に人手不足だし病んで休んだり辞める人も多いんだから産休育休だけが悪いわけでもないのでは。
むしろ、休みにはいるタイミングとか復職のタイミングがある程度決まってるだけ準備ができて病休より全然いい。
病休はたいがい急に抜けることになるし、いつ戻れるかわからないことが多いし、戻ってからも腫れ物触るような扱いが必要だから人員計画立てにくくて本当に大変なんだよ。
投稿した内容はインターネット上の多くの人の目に入りコメントを貰うことができ、そこで新たな交流が生まれる。
うつ病で休職中で暇な一日を散歩することでしか消費できない自分にはもってこいの場所だと気がついた。
うつ病で休む前は、なにかしないといけないそんな気持ちに囚われて焦る気持ちが多くありましたが今となっては焦っても仕方ないからゆっくり生活しよう、特にやることがなくても焦らずにゴロゴロしていようという気持ちが出てきていい感じにゴロゴロできています。
最近止めていた趣味に手を付けてみようかなと思うのですがイマイチ面倒くさくて手が伸びません。
手が伸びても集中力が長く続かずに30も持たずに中断してしまいます。
これもうつ病の症状なんでしょうかね。
早く治ると良いな。
うつで病気休暇取って最近だんだん体調が良くなってきてためてたゲームや本読んだりやりたいことしこたまやり尽くした結果、今は逆に何をモチベに人生生きていけばいいかわからなくなった。
主治医から復職がまだでていないのでもう少し休職期間は続くのだけれども、やることがないことに飽きてきている。
健康維持のために毎日2時間ぐらい歩いたり、健康維持のために週2でジムいって終わったらジムのサウナ入るのが日課になってるんだけどそれ以外に特にやりたいことが思い浮かばなくて復職してからもそんな人生続くんだろうなと思うと生きる意味って何?って考えてしまう。
誰か何かアドバイスください。
うつで病気休暇取って最近だんだん体調が良くなってきてためてたゲームや本読んだりやりたいことしこたまやり尽くした結果、今は逆に何をモチベに人生生きていけばいいかわからなくなった。
主治医から復職がまだでていないのでもう少し休職期間は続くのだけれども、やることがないことに飽きてきている。
健康維持のために毎日2時間ぐらい歩いたり、健康維持のために週2でジムいって終わったらジムのサウナ入るのが日課になってるんだけどそれ以外に特にやりたいことが思い浮かばなくて復職してからもそんな人生続くんだろうなと思うと生きる意味って何?って考えてしまう。
誰か何かアドバイスください。
5年くらい前にパワハラで鬱発症してしばらく休職してた。復職していまは元気になったけど、ふとした時の落ち込みがすごい。
クリニックも細々通い続けて少量の薬を続けているおかげか、大体の時間は本当に普通に過ごしてる。
躁鬱でもない。
仕事や私生活になにか不安や原因があるのか?というとそうでもない。まあ普通に仕事はしたくないしプレッシャーもあるけど耐えられる範囲で、人も給料もいい。家族仲も良くて恋人もいる。特別コンプレックスもない。アラサーでちょっと焦燥感があるくらい。
でも本当に突然、希死念慮がやってくる。
2ヶ月か3ヶ月に1回くらい。
些細な原因があるときもあれば、何もないのにもう生きなくていいなーと思う時がある。いまがそれ。
あーあ、もういいやってなっちゃう。
精神疾患がない人は希死念慮ってないの?これが当たり前になってしまった。鬱って寛解するのかな。
こんな時はとにかく薬を飲んで寝るのがいい。
休職ってどんな感じ?と聞かれることが多いので備忘も兼ねて。
社員数の多い外資系コンサル日本法人での例なので、会社によって違うところもあるかも。
◾️休職するまで
①診断書の取得
傷病休職をする際に必要なのは医師の診断書。診断書には病名のほか、それによって就労不能である旨とその期間の記載が必要になる。
今まで健康に暮らしてきて心療内科に馴染みのない人も大勢いるだろうけど、突然涙が止まらない、朝起き上がれないといった症状は鬱なのですぐに行って欲しい。
心療内科は当たり外れが結構あって、どう考えても鬱なのに診断書出してくれないところとかあるらしい。逆に全国展開していたりビジネス街にあるところだと簡単に出るとか出ないとか…。
②人事に連絡
休職許可を出すのは最終的に人事なので、まず人事に診断書が出て休職に入りたいことを伝えるのがいいと思う。
もし上司との信頼関係があるなら上司に言えば人事に繋いでくれるはず。
休職に入る前に産業医との面談があり、今の状況やその要因について聞かれる。産業医は会社と契約してるものの外部の医師なので割とフラットになんでも話せるし話してOK。
◾️休職中
一番気になるのはここだと思う。有給ではなく休職に入った場合は傷病手当金が健保から出る。
額はググるとシミュレーションサイトとかあるのでそれで試算して欲しいけど、大体2/3。
ちなみに休職中も社保や税金は会社が立替という形で払っており、自分の場合は毎月その請求書が届く。
控除分は休職前と額が変わらないので、傷病手当金からそれらを払うと結果残るのは手取りの半分以下くらいかな。
ちなみに傷病手当金は同一傷病で1年半までもらえる。その期間を過ぎて同一傷病でまた休職しても貰えないので注意。自分はいま不支給です!
1回目と2回目の病名は微妙に違うんだけど、同じ精神的な病気として同一傷病として判断されてしまった。
あとは通院実績がないともらえなかったりと、不支給ポイントが色々ある
・会社との連絡
これは結構会社によって違いそうだけど、うちの場合は休職してる社員に人事や健康保険組合以外の社員がコンタクトするのはNG。
会社から連絡が来るのは休職期間の延長とか手続き的なことくらい。あと産業医面談かな。会社のことは忘れて休もう
◾️復職
・復職するまで
医師からOKが出て、自分も大丈夫そうと思えたら会社に連絡して復職手続き。精神疾患の場合はここで無理して復帰後またすぐ休職になる人が多いらしい。
大体人事と面談があって、復職後に配慮してもらいたいことを伝えると思う。担当する仕事とか時間とか。
自分の場合はプロジェクト型の仕事で休職前と同じメンバー、同じ仕事っていうのが無いので、復帰後どこに配属?みたいな会話はなかった。
時短勤務もしなかったけどしばらくは残業無しにしてもらってたかな
・復職後の働き方
これも会社によるんだろうけど、うちの会社は休職する人がかなり多いので腫れ物扱いとかはなくて、おかえり!無理しないでね!という雰囲気。
働いていないとかなり体力も落ちるので、無理しないことが大事!
ちなみに休職したら出世ルートから外れる、昇進できないということもない。偉い人で何回も休職してる人もいるし、自分も普通に昇進できた。
思いつくのはこのあたり。
1回目の休職はハラスメントぽい上司に囲まれて鬱っぽくなったから。2回目の今は突然全てが無理になってしまって、医師に休めば?と言われたから。過労とかじゃない。
生検するまで確定しないし、
今の日本は福祉がよいんだよ。とくに健康保険みんな入ってるね。
医者の診断がでたらお金のことはなんとでもなるとおもっていい。
それを「お金がいるから今すぐ復職~」とか「離婚すれば逆に実家のほうが手厚くやってくれるでしょ~」とか完全に逃げてしまうと余計につらくなる。
そしてあとになってあのとき逃げなきゃよかったと、罪悪感で
そうなるともうお金と一緒に寿命も逃げるばかり。底抜けのおとし穴だ。
芸能人でもはまっちゃう人いるけど、日本で標準医療てのは一番効くってことだから。
心穏やかにまって、もし困ったことがあったら市役所とか会社の総務課とかとよく相談してね。
みんないつかは病気になるんだから、特に昭和世代は年金もらいすぎっていわれるくらい援助うけてるんだから