はてなキーワード: 祖父母とは
私の両親は放任主義であったので、私は色んな物語の背中を追って成長した。家にある本を対象年齢などお構いなしに片っ端から読んでいたので早いうちからどうやら人間は必ず死ぬらしいということを知った。事故、病、それらに気をつけたところで寿命というので死ぬらしい。幼い私の狭い世界の中では老人といえば父方の祖母と母方の祖父母であった。当時の私は血縁関係など知らず、やたら会う回数が多くて、やたら親しげに話しかけてくる親ではない人間、その程度の認識だったが、それでもこの人たちはもう間もなく死ぬのだと思うと堪らなく悲しくて、祖父母宅に泊まり眠る時の「おやすみ」や、帰宅する際の「さよなら」で別れを強く意識してしまい泣くことがよくあった。
しかしその三名の間というのは私が思ったよりも用意されており、私が初めに対面した死は保育園の友人のものだった。友人と言っても同い年ではなく、私がそう認識しているだけだった給食調理員の女性で、友人と思っていたために意識していなかったが彼女も今考えれば当時の祖母たちとそう変わらない年齢だったように思う。
礼儀作法を知らないので何度も何度も棺の中を覗きに行っては泣いた。いくら泣いたところで目を閉じた彼女が横たわっているだけで何も変わらなかった。
二度目は小学校の2〜3年生の頃、またもや勝手に友人扱いしていた女性の教頭先生だった。
学校の体育館で行われたお別れの会で大きな額縁に入った彼女の写真を見た。遺体があるわけではないので前のように泣きはしなかった。ただ、急だなと思った。
三度目は飼っていた猫だった。私が生まれるより前から家にいた猫の女の子ししまる。
母が譲り受けて、初めは家の中で放し飼いされていたらしいが兄が生まれた時にケージに入れられるようになり、それからは基本ケージの中がししまるの全てになった。
私は私たちのせいで自由を奪われることになったししまるへの罪悪感からあまり積極的に関わろうとはしなかった。
高校の帰り道、同級生数人の本当に心底どうでもいい話に付き合っている最中に母からメールでししまるの危篤が知らされた。どうしてか、私はどうでも良い話を切り上げず最後まで聞いて家に帰った。ししまるは冷たくなっていた。21〜2歳だったと思う。
なぜすぐに帰るという選択をしなかったのか、あんな会話よりもずっと大切な存在だったのに。
私よりも悲しんでいるに違いない母の前で泣くのは躊躇われて、やり場のない怒りと悲しみを階段に座ってやり過ごした。
数年後、くだらない話をしていた内の一人が飼っている猫がもう亡くなるかもしれないというLINEがきた。たしかに写真や映像でうんざりするほど見せられていたが、私はいつも適当に聞き流していたのでどんな猫だったかはこれっぽっちも覚えていなかった。そんな猫が死ぬかもしれないと聞かされたところで正直どうしたものか反応に困ったが、眼前に迫った愛猫の死に動揺して私という藁にまですがる様子に「本当に大切ならこうなるはずだ、お前はどうだった」と問われているような感じがして口の中が苦くなった。
四度目は父方の祖母が亡くなった。同じ家に住んではいたものの特に交流はなく、幼い頃から苦手な祖母だった。
祖母の部屋はニ階にあり、私の部屋は一階にある。あの日、夜、二階の台所で飲み物を手に入れて自室に帰るという時、祖母の部屋からガタッと物音がして「部屋から出てくるかも」と思い微かに開いた扉を横目に逃げるように階段を降りた。少し経ってから帰宅した兄が「婆ちゃんが倒れている」と家中に知らせて、部屋の中で固まる父、父の代わりに各所へ連絡を取る母、救急車やパトカーの音、集まってくる従姉妹たち、その全てを私は凪いだ目で見ていた。
父方の祖母は以前に一度死にかけたことがあり、救ったのは家の鍵を忘れた中学生の頃の私だった。
私は幼い頃から忘れ物常習犯であり、家の周りに民家がないのをいい事に家の前で欲しいものを大声で伝えて家の中にいる人間に取ってもらうというのをよくやっていた。
その日も帰宅したら玄関には鍵がかかっており、また、私は鍵を持っていなかったため外から「鍵開けて」と何度も繰り返し叫んだ。かなり長い間何も反応がなく、どこかに出かけているのかもしれない、帰ってくるまで玄関先で座って待っていようかと思い始めた頃、ようやく階段を降りる音が聞こえてきた。玄関の扉が開いて真っ先に伝えられたのが「病院に連絡して」だった。
諸々が終わった後で聞くには、どうやら意識を失っており、私の声で戻ってきたとの事だった。
以降、祖母はこの話を何度も繰り返しては私に感謝した。「綺麗な真っ赤な空間にいたらあんたの声が聞こえた、だから私は助かった、ありがとう」と。顔を合わせるたびに話されるので話すのをやめるようお願いしたほどだった。
死にかけた祖母はその後何もなかったように生き続け、恐らくボケて、兄と揉めることが多くなった。兄が言うには包丁を持ち出してくることもあったらしいが、 真偽は分からない。
そんな揉め事が起こるたびに私は「あの日、私の帰りがもっと遅ければ」「私が早々に呼びかけを諦めていたら」などと思ったのだ。
ガタッと物音がした時に私が様子を確かめていたら、祖母はまた帰ってきたのだろうか。祖母はあの日のように真っ赤な空間で私の声を待っていたんじゃないだろうか。あんなに嫌っていた祖母である。「あの時死んでいればこんな問題起きなかったな」とさえ思ったことがある祖母である。
そんな祖母の葬式で私は涙をなかなか止められなかった。悲しむ資格も道理もないのにどうして涙が止まらないのか不思議で自分に腹が立ってしょうがなかった。
祖母が亡くなってから父はよく兄妹たちを家に呼び、兄妹たちも呼びかけに応じて気軽に集まる。父も兄妹たちも祖母が生きていた時はそんなことしなかったのに。
五度目はまだ起きていない。
母方の祖母は癌治療中で、祖父はボケが始まっているがまだまだ元気にやっている。出来る限り健康で長く生きてほしい。
いつか絶対に五度目がくる。
何度経験しても慣れない死を悲しんだり、悲しんだふりをしていることに気づけないでいたりを繰り返しながら自分の番を待つ。
みんな死んでほしくないな、死にたくないな。
5chとか、増田とか、30過ぎた人間が匿名で便所の落書きとして冗談で書いてる分にはいいんだが、
その言葉自体が、若者の間で〇〇だから仕方ない、という免罪符になっていることが恐ろしい
ADHDでも、HSPでも、これまでだって一定数はいて、その人達なりに折り合いを付けてうまく付き合って生きてきた人がいる中で
それを免罪符に、頑張らなくていいよね、まともじゃなくてもいいよね、人とずれていてもいいよね、
ハードは変えられないにしろ、親ガチャとかいって騒いでいる奴らの妬み、僻みの対象となっていることなんてソフトでどうとでもなるだろ
ただ、一点現代の若者がかわいそうなのは、それを教えてくれるのが両親しかいなくなってしまったこと。
核家族化が進み、祖父母や兄弟姉妹、従兄妹との付き合いも薄くなり、
地域社会も義務教育も、ホワイト化した中で通り一遍でうわべだけの責任感のない教育に留まる。
そうなると、両親がまともでないのなら、自分で自分をきつく律して、自学自習し続けるしか無い。
けれど、それに気づく頃、二十代の中頃には、肉体的、知能的には人間の成長は止まる。
もちろん、そこから色々な出会いで精神的にアップデートされることはあるものの、それこそ運でしかない。
お前を救えるのはお前だけだ。
高校生ごろだったと思う。実家の両親祖父母はよくコーヒーを飲んでいたので、つられて自分も毎朝コーヒーを飲むようになった。ほとんどインスタントコーヒーだった。月一ぐらいでレギュラーコーヒーを淹れてくれるときもあった。その頃はインスタントコーヒーの味がコーヒーであり、レギュラーコーヒーはまた別物というような認識だった。
大人になり、一人暮らしを始めて、ふとコーヒーを自分で淹れたいと思い立った。まずはドリッパーを買った。1000円ぐらいの円錐ドリッパーだ。安かったのがたまたま目について、特に何も考えずに買った。初めて淹れた時の気持ちはもう覚えてないが、ドリッパーでコーヒーを淹れている時に良い香りが立ち、とても幸せな気分になる。これはいつもそう思う。
コーヒーを自分で淹れると、コーヒー豆の種類を選んだり、淹れ方や分量の違いで毎日違った味を楽しむことができる。酸味、苦み、フルーティさ、など日によって豆の種類を変えたりした。とはいえ、淹れ方の違いでどう味が変わるかは、正直違いがわからない。最初は蒸らすとか、一度にどれぐらいの量を注ぐかといった情報を目にするが、それよりも、ドリッパーをそのままコーヒーに放置していると渋みがでて不味くなる、ということだけは自分の経験から気をつけている。
一度レギュラーコーヒーを飲みだすと、インスタントコーヒーが飲めなくなってしまった。ドリンクバーなど外出先のコーヒーサーバーでインスタントコーヒーがでてきた日にはとてもがっかりする。飲んだ瞬間に明らかに違いがわかる。同じコーヒーだけど、全く違う飲みもののようだ。
やがてドリッパーで毎日淹れるのが面倒になってきた。1万円もしないコーヒーメーカーを買った。1日5杯ぐらい飲むようになった。コーヒーメーカーは楽だけど、ドリッパーで淹れた方が美味しいと思う。もっと言うと、自分ではなく誰かに淹れてもらったコーヒーが美味しい。『かもめ食堂』だったか、映画でもそういうセリフがある。
夏は水出しでアイスコーヒーを作るようになった。水出しにすると優しい味になる。粉の処理がちょっと面倒だけど、すぐに冷たいコーヒーが飲めるのが嬉しい。
ある日、お腹の調子が悪くなるようになった。1kgぐらいの粉コーヒーを購入していたので古くなってしまった豆で飲んだいたのが悪かったようだ。劣化を防ぐには豆で買って飲む前にミルで挽くのが良いとのことで、ミルを買った。何を思ったか最初は手回しのミルを買ったが、やってられないので電動ミルを買った。それからは粉ではなく豆で買うようになった。安売りしているコーヒー豆は古いものなのでかなり危険だということが分かった。
コーヒーの種類としては、自分は酸味よりも苦みのあるコーヒーの方が好きなようだ。キリマンジャロ、モカは避けて、ブラジルやマンデリンを選ぶ。苦みこそ全てと思い込み、苦いものばかり選んできた。しかしある時、喫茶店で飲んだコーヒーが自分の淹れたコーヒーとは別次元に美味しかった。この圧倒的バランス感。酸味と苦みのバランスが大事なようだ。それからはスーパーの激安コーヒーにキリマンジャロをちょっと混ぜたりして酸味も加えて楽しんでいる。
コーヒーが好きになると、エスプレッソも気になる。エスプレッソマシンは高価で場所を取るので庶民に用意は難しい。手軽にエスプレッソを入れる器具でマキネッタというものがあることを知る。コンロでエスプレッソが抽出できる。抽出される様子が見ている面白い。エスプレッソは牛乳やお湯で割ったりして飲んでいる。しっかりした味で美味しい。マキネッタで入れると微細な粉が口に入り込み、これもお腹を下す原因になるんじゃないかという気がして、ペーパーフィルターを一度通している。
最近のサイクルはこんな感じ。
・仕事中はコーヒーメーカーで4杯分を作って飲む。5杯飲むとカフェインの取りすぎで調子が悪くなる。
・どうしてもそれ以上に飲みたい時はカフェインレスにする。たまに飲むのでなるべく劣化しないドリップバッグが良い。
コーヒーは毎日の楽しみのひとつだ。淹れた時、飲んだ時のホッとする瞬間が好き。
コーヒーの生産者を始め、焙煎者、流通関係者、コーヒー器具メーカー、そしてコーヒーの知識を提供してくれたネットの皆様に感謝!
ワイ、27歳都内の社会人。年収は600くらいあるから、親孝行したい。でもなぜか毎月の請求が30万ぐらいだからまともに貯金ない😇。40万くらい。ちなみにほぼNISAに突っ込んでるので、まともに使える金がないので毎月困ってる。
飛行機で帰らないと帰れないくらいの距離に実家がある。GW、特に何もない、彼女もいないから実家に帰った。じいちゃんばあちゃん、80も超えてるのにワードとか使えるけど、5,6年もセレロンのクソみたいなノート使ってた。NECかなんかの国産メーカーだからやたらウィジェットとこでてて動作も重いし大変そうだった。あまりに調子が悪くて、二月くらいに頭のいい医者のいとこが直そうとしたら、初期化してぶっ壊してしまった😇。可哀想
その後なんか母親がじいちゃんばあちゃんにとりあえず僕が昔使っててとりあえず実家に置いてたMacBookをあげたみたい。80超えたじいちゃんばあちゃんが使えるものじゃないだろ。案の定使えなくて、困ってたみたい。
だからワイは帰省する前、ミニPCを買った。N95のやつ。8GB256GBのやつ。あとマウスキーボードのセット。
そして今日交換したんだよね。でもモニタとかスピーカーとかなかった。だから買った。PC工房は田舎でも安い。LGの27インチIPS駅舎が15000くらいだった。
お金は貰わないつもりだったのに、いろいろとなんかよくわからないけど60000貰った。このお金を使ってソープに行った。祖父母不幸でごめん。
なんかよくわからないけど、実家に帰ると風俗にいきたくなる。実家が狭くて、まともにシコるスペースがないから、性欲がたまるからなのかなあ。でもなんか実家で非日常感を味わいたいのかも。ちなみに彼女いるときとかも風俗に行ってた。
風俗の良さは店の雰囲気と、普段合わないような女の子と、なぜか裸で抱き合ってることだとおもう。
ソープランドはすごい。部屋の中に風呂があって、女の子はかわいい服を着ている。そして恋人繋ぎとかしてくれるしおっぱい舐めさせてくれるし、チンコ舐めてくれるし、入れさせてくれる。気持ちいい。素人はこんなことしないよ。フェラが上手いと思ったのでもなぜかいけないよ。でも前の彼女が今日の精子おいしいとか言ってた。すごいな。
自分はソープランドとかヘルスとかではなんでか早漏だ。普段カッコつけてるから、普通の子とやると遅漏なんだけどね。自分のメンタルの変化が不安になる。と思いきやフェラのせい。
まあ気持ちよかったなあ。今回の子はやばかった。おっぱいめちゃくちゃ大きいのにくびれある。可愛かった。あと肌が綺麗だった。女の子と抱き合うと気持ちいいんだよなあ。落ち着く、知らない子なのに。
でもやっぱなあ、一般の子と普通に出会う方がいいんだよなあ。お互い互いにいいなと気分が高め合ってるから、キスとかよくわからない感じで長いし、フェラは気持ちいいけど、やられると逝きそうになるし。あとこれからがある。ああ彼女ほしいなあ。
でも風俗もいいよなあ。
ぐちゃぐちゃな文だけど、そんな感じでした。
↓本文ここから↓
いま、自分は地方メーカーで工場に勤めているが、ここで恋人を作るのは至難の業。
うちの会社の女は倍率100倍の日大と、と会社の誰かが言っていた。言い得て妙だな、と思う。
社内を見渡してみると、街コンやらマッチングアプリに一生懸命取り組んでいる人がちらほら。
色々とやることが多い20代後半~40歳前後になって、嫁探しに精を出す。馬鹿にする訳ではないが、非常に勿体ないと感じる。
学生時代に恋愛し、社会人になってから結婚するのは受験でいうところの推薦みたいなもの。ゴールが一緒なら苦労は少ない方が良い。
打算の気持ちよりもお互いの好きという感情で付き合い、そのまま結婚する。今振り返って思うと、幸せなことなんじゃないかと思う。
個人的に最も大きな人生の転機だったと思う。現役でギリギリ入れなかった大学をもう一度受けなおし、何とか合格することができた。
Fラン私大と国立大学の差は歴然だ。置かれた環境、周囲の自分に対するイメージ、学費、そして友達の質。
自分という人間であることに何も変わりは無いのにラベルだけが一新されることに最初はとても戸惑った。
だが、一生懸命ついていこうと努力するうちに、自分に貼りついたラベルだけでなく自分自身も変わっていく。
彼女もここでようやく手に入れた。
変わるだけの土壌が国立大にはあった。Fランには無かった。無いわけではなかったかもしれないが、自分には見つけられなかった。
ゴミのような大学に入ってしまった君は一年無駄にしてでも仮面浪人することを強くお勧めする。
修羅の道だが、受からなかったとしても今までと同じ大学生活が続いていくだけ。失うものは無いのでぜひチャレンジして欲しい。
国立大学への進学を機に母親と離れた。それ以来、必要なときだけ友好的にコミュニケーションをとるようにして今に至る。
俺の母親はいわるゆ毒親だった。俺や俺の姉、父、祖父母に対して常に攻撃をしていた。
母は世間知らずだ。農家の長女として育てられ、仕事などほとんど経験しないまま、父と見合いで結婚。
今ならわかるが、母は親としても妻としても無能だった。それが影響してだと思う。自分が小学校に上がるタイミングで家族まるごと祖父母の家で暮らすことになった。
俺は毎日祖母の飯を食べ、祖母の掃除した家で過ごした。今でも祖母は自分のことを可愛がってくれる。自分にとってのおふくろの味は祖母だ。
祖母がパートや家事、農作業を行うなか、母が何をしていたのか、まったく記憶に無い。毎日GYAOで韓国ドラマを寝ながら見ていたような気がする。
たまにアルバイトを始めたと思ったら、半年も経たずに辞めていく。そんなことを繰り返していた。
後は祖母を執拗に苛めていた。そんな母親が俺は大嫌いだった。が、嫌いという感情を出すことすら憚られる何か圧力のようなものを感じてもいた。
母は高卒だった。大学に行けるだけでもありがたいのに、Fランの私立に行くなんてありえない。そんなことを毎日言われた。
そんな折、気づいたら何故か父が家を追い出された。子供がある程度育ち、父が限界を迎えて自分から出て行ったのかも、と今にして思う。
こうして振り返ると母は悪魔のような人だったのだが、今では物理的にも精神的にも距離を置くことができ、心から安堵している。
たとえ血を分けた肉親だろうとクズはクズ。逃げることは何も間違っちゃいないのだと今にして思う。
ちなみに姉は母と一緒に今も住んでいるが、ときどき病んだような連絡が届く。心配だが、今の幸せを壊されたくないので接触は最小限に控えている。
・就職活動に本気で取り組んだ
国立大学とはいえ自分は理学の専攻だったため、就職はそれなりに苦労した。
今までやってきた研究と就職してから行う仕事のマッチング率が低く、ESや面接に落ちることもしばしば。
同期の大半が諦めて適当な地元企業に応募したり、急に公務員に舵を切り出していった。
そんな中、自分はメーカーを中心に滑り止め、中堅、大手と手広く応募し、最終的には第三志望くらいの企業に見事合格した。
就活に理解のある研究室ではなかったため、教授からの目線は冷たかった。
が、研究と並行しながら早め早めにインターンシップやアルバイト、面接対策に精を出し、最後に結果を出した。
いま、自分は30歳くらい。福利厚生、仲間の質、そして年収。大学の同期と比べてもたぶん上位2割には入っている自信がある。
もちろん年収、能力に関しては上を見ればキリがない。自分自身、今の仕事についていけなくなる可能性もある。
でも、いまのうちから貯金や資格取得、勉強など自己啓発は積極的に行っている。年収が下がることになってもたぶん俺は生きていけると思う。
それにしても。
日本だけなのかわからないが、受験にしろ就活にしろ、局所的な努力に対するリスクとリターンが大きすぎる。
今の日本の制度に異を唱えて貴重な時間を無駄にしたり努力を放棄するのではなく、 「やるべきときにやるべきことをやる」というのを念頭に、人生を歩んで欲しい。
・車を持たなかった
これは人や住む場所にもよるが、俺は車を持たないことは可処分時間、可処分所得を大幅に上げる大きな財テクだと捉えている。
維持費もかかるが、なにより運転している時間が無駄。その点電車やバスは目と耳を好きに動かせる。この差は大きい。
車での移動がどうしても必要な場合はレンタカーやタクシーで十分。
それでも移動したい場合、俺は原付を使っている。車に比べたらオモチャみたいな値段だが、もう10年以上の付き合いだ。
丁寧にメンテをしてやれば長持ちし、長距離の移動にも耐えられる。
時々会社の人からはバカにされるが、これに関してはバカにされて笑っていられる奴の勝ちだ。
ちなみに俺の実家は一人一台+トラクターやコンバイン、軽トラを所有する田舎の農家。
当たり前のように生活の中に車があった。
学生時代、当然のように車を親にねだったが、父が買ったのは激安の原付。
超重要。これができないと人生のあらゆる面で苦労することになるので必ず身に付けておくようにしたい。
今回、こうして日記に人生でやってきて良かったことなんてのを書いているが、リアルな人間にこんなマウントに近い自慢話をしたことは1ミリもない。
ここは鋼の精神力で自己を抑えなければならないことを頭で理解している。だから言わない。ネットの世界だけにしてる。
年収、恋愛、学歴、貯金どれもかなり人によってセンシティブな話。
多少、会話の際に滲み出るかもしれないが、あくまで事実として淡々と発言すべき。
間違っても他人と比較した際の差に関する発言や、助言的なことは自発的に言うべきではないのだ。
自分も時々不要な一言で場の雰囲気を悪くすることがある。そうして後悔しても後の祭り。その場の雰囲気や持たれた周囲からの印象はそう簡単には変わらない。
自分が100%正しいと感じても、他人の批評はやめた方が良い。うまく言葉で説明できないのだが、批評の気持ちを持つと人間関係にヒビが入りやすい。そんな気がする。
「○○のためにはっきり俺は言ってやるんだ」と言ってキレのある発言をする奴もいる。
確かに言われた○○の人生には多少プラスになることもある。それは事実としてその通り。
だが○○は助言者に感謝などしない。むしろ感情としてはヘイトだけが残る。
それを覚悟の上で助言をするなら問題ないとは思うが、それなら寄付でもした方がよっぽど建設的なんじゃないかと思う。
もしこういう奴が居たら俺はそいつの発言を3割程度に受け止めるようにしている。
大人になると誰もが自分の保身を優先するようになる、だれも悪いふるまいを注意なんてしてくれなくなる。
自分で意識して、変えていかないといけないんだ(耳が痛い・・・。)
以上。長々と書いてきたが、何か心に残るものがあればこれ幸い。
追記:
初年度納入金(入学金+前期授業料+後期授業料)のうち、入学金+前期の学費は親負担、後期授業料は奨学金から。
それ以外、仮面浪人時代の生活費や受験にかかわる模試だとか受験の費用、国立大合格後の引っ越しなんかも奨学金。
それ以降の大学生活とカネの関係については質問があれば特定されない範囲で答える。
・ミニ四駆好き?
なぜなら増田の祖父母、両親、兄弟、友達、付き合う人間みんなが体力おばけだからだ。
増田は子供の頃からとあるコンタクトスポーツを嗜んでおり、一時は結構良い線までいった。
母親は祖父とは違うスポーツだが元国体選手、父親も元日本代表、兄弟や親戚もそんな感じ。
自ずと付き合う友達もそんな感じ。
競技をしている時は早寝早起きだったが、引退してからは毎朝5時に起きて10キロ走って家事してちょっと資格の勉強して出社、ジムに寄って帰宅して料理して食べてから深夜営業の映画館で新作映画観てバーに寄って帰る。みたいな生活をしていた。
30代後半になって、普段とは違うコミュニティで出会った人と同居することになって驚かれた。
増田は同居する前から上記のような生活をしていることは伝えていたのだが、せいぜい週1〜2日なのかと思われていた。
夜は23時には寝て、朝も7時過ぎに起きてくる。
だけど木曜日あたりからだるい、めんどいと言っている。学生がカッコつけて言っている感じではなく、マジのトーンで言っている。
気になって職場の人に聞いてみたが普通だと言う。そして少しぼかしながら自分の生活の話をしたら「たまにだよね?」「そんなこと毎日している人は体力おばけだよ」と言われた。
やっぱり異常らしい。
あまり他人の生活に興味がなく、自分のプライベートについてもコミュニティ外の人に話す機会があまりなかったので分かってなかった。
まじで驚いたので、兄にこの話をしたらやっぱり驚いていた。兄は結婚相手もあるスポーツの実業団の選手だった人なので、一緒に聞いていた彼女も驚いていた。
こういう違いって同じような人と一緒にいると全然気付けないんだなと知った。知ることができて良かった。電車の席はガンガン人に譲ろうと思う。
なぜなら増田の祖父母、両親、兄弟、友達、付き合う人間みんなが体力おばけだからだ。
増田は子供の頃からとあるコンタクトスポーツを嗜んでおり、一時は結構良い線までいった。
母親は祖父とは違うスポーツだが元国体選手、父親も元日本代表、兄弟や親戚もそんな感じ。
自ずと付き合う友達もそんな感じ。
競技をしている時は早寝早起きだったが、引退してからは毎朝5時に起きて10キロ走って家事してちょっと資格の勉強して出社、ジムに寄って帰宅して料理して食べてから深夜営業の映画館で新作映画観てバーに寄って帰る。みたいな生活をしていた。
30代後半になって、普段とは違うコミュニティで出会った人と同居することになって驚かれた。
増田は同居する前から上記のような生活をしていることは伝えていたのだが、せいぜい週1〜2日なのかと思われていた。
夜は23時には寝て、朝も7時過ぎに起きてくる。
だけど木曜日あたりからだるい、めんどいと言っている。学生がカッコつけて言っている感じではなく、マジのトーンで言っている。
気になって職場の人に聞いてみたが普通だと言う。そして少しぼかしながら自分の生活の話をしたら「たまにだよね?」「そんなこと毎日している人は体力おばけだよ」と言われた。
やっぱり異常らしい。
あまり他人の生活に興味がなく、自分のプライベートについてもコミュニティ外の人に話す機会があまりなかったので分かってなかった。
まじで驚いたので、兄にこの話をしたらやっぱり驚いていた。兄は結婚相手もあるスポーツの実業団の選手だった人なので、一緒に聞いていた彼女も驚いていた。
こういう違いって同じような人と一緒にいると全然気付けないんだなと知った。知ることができて良かった。電車の席はガンガン人に譲ろうと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20240425165849
生きづらい哀れなメス、年齢は1つ年上の30歳です。
中高女子校から共学の大学に進んだ時から人生が狂った気がしてる。
ちなみに私は「名だたる大企業に就職して、それなりに稼いでいる」はクリアしたけど一度も結婚してないです。
恋人ができたのも1度だけ。それ以降は本当に、男性から相手にされてない(性欲の解消相手とみなされるは除く)。毎日プレッシャーに押しつぶされそうになりながら、自分のためだけに働いている。
年収と預金残高は増えたけど使い道がなくはっきり言って持て余している。
幼い頃から自分の容姿が悪いことには気づいていた。両親は容姿が良く、姉や兄も美形だ。私だけが、両親や祖父母の顔のパーツで微妙なものだけを最悪の配置で受け継いでしまった(目だけは二重にしたけど浮いてて気持ち悪さが増した気がする)。
ちなみに美肌の家系なのになぜか自分だけ肌も汚い。食生活や化粧品にも気をつけ皮膚科に大金を払っても改善しなかった。
努力は、人並み以上にしてきたと思う。勉強もそうだし、就活、仕事、美容。心理学やコミュニケーション、恋愛に関する本も死ぬほど読んだ。でもモテない。
自分の生きづらさは自信のなさから来てるのは自覚していて、人から愛されたことがないのが根本原因だと思う(家族は除く)。
学歴や仕事の評価を得てプライドばかり高くなり、自己肯定感が育たなかった。
ないものねだりなんだろうけど、オス増田には親友がいていいな、あと一度は誰かの生涯の伴侶に選ばれたことも羨ましく思う。
私は友達はいるけど、親友はいない。複数人の集まりには呼ばれるけど、二人で遊ぶような子はいない。インスタを見てると、みんな結婚してても子供がいてもしょっちゅう会ってるように見える。結婚式に招かれて、ほかの友人が「あのふたりも色々あったけど、乗り越えられてよかったね」なんて泣いてるのを見ると、その「色々」の内容を自分が知らなすぎてさっと冷める。
増田の同僚の酒癖の悪い女の子は、きっとかわいいんだろうね。酔っ払ってたら介抱を口実にいちゃつきたくなるくらいには。
ブスはそんなことできないよ。ブスっておじさんみたいな扱いなんだよ。
おじさんが酔っ払った〜ってゼロ距離まで詰めてきても、苦笑いで逃げるし気持ち悪いし、ワンチャンなんて考えないよね?
学もあって、職もあって、顔の終わってないオス増田が需要ないとは思えない。
周りの友人達を見ていても「男は年収1000万ないと〜」なんて言う子はいないけどな。
マッチングアプリでモテてるっていうのがどういうことなのかわからないけど(モテてたらマッチングアプリやらないのでは?)、若くて「それなりの」女性からいいねをたくさんもらえるってこと?
私は学もある。職もあるし金もあるけど、顔が終わっているので恋愛市場では相手にされないよ。
ただこれは増田にも言えることだけど、お互い「自分にふさわしいと思える異性に」なんだろうね。誰でもいいわけじゃないんだよね?
わたしもマッチングアプリでは、60代実家ぐらしの男性からいいねが来たけど無理だったもん。不倫なりワンチャン狙いの性欲まるだしの誘いはあっても、私は性欲が強くないしそういう形で身体を利用されるとかえって傷ついてしまうので(オナホ扱いと思う)、オス増田のようにセフレがほしいとも思っていない。ちゃんと理解し合って愛されたいのに、それができない。
お互い結局、自己肯定感が低いのに自己評価が高くて「自分はもっと相手にされるべきなのに、なぜ!?(顔や金しか見ない異性が悪い)」と思っちゃうところが問題っぽいよね。
どうすればいいのかわからないけど、私はオス増田の幸福を祈ってるよ。セフレが本当にオス増田を救えるのかはわからないけど、気持ちが楽になるよう祈ってる。
家庭に問題があった。
父に問題があった。
母は私に言った。
「他人を変えることはできないのだから、自分が変わりなさい」と。
私は自分を殺した。
父の顔色を窺った。
祖父母に都合の良い振舞いをした。
進学をした。就職をした。
私は自分を殺し続けた。
それ以外の処世術を知らなかった。
という意味ではなかった。
という意味だった。
そのことに気付くまでに、三十数年が経った。
父も祖父母も死んだ。
母はこれからの限られた時間の中、自由な生活を謳歌するのだろう。
私の時は戻らない。
歪んで育った私の心も戻らない。
辺りを見渡せば、多くのものを手にしている友人たち。
彼らにも苦労があったのだろう。努力をしてきたのだろう。
それは解るけれど、何も無い私の手には、あまりにも眩しい。
何も無い私は、これからどうして生きていけばいいのだろう。
何を糧に過ごしていけばいいのだろう。
増田の言ってる事はごもっともで、分解して箇条書きに展開すると
と言う所で、これに反対する人はいないんだよな。
これが難しい。
基本的には施策はここをターゲットにするべきで、国立人口問題研究機構などが行っているアンケートでも、実は育てたい人、育てる気概のある人の率は、昭和の時代から大きく低下していない。
では何故ここが問題かと言うと「育てたい人、育てる気概がある人」をターゲットにしていると言っているのに、ターゲットにしてない人から
と言うよくわからない反応が起きること。総論の状態で目標を掲げているうちはそうなのだけど、実際の事業や施策を動かしていくと問題になる。
特に、効果が大きい施策、結婚支援や税制改正、制度改正などで噴き出してくる問題だ。
ただ、こんなことを実際リアルな人間関係の中では言う人は少ないよね。だけど、政治活動の世界では多く発生していると言う不思議がある。
典型的なノイジーマイノリティだと思うんだけど、どうして声が大きく出てしまうのだろうか。
さっきのターゲットの話はノイジーマイノリティ問題だったけど、今度は逆。
子どもをもっと産める状況にするには、増田が言うように経済的な問題が第一だ。金がないのだ。
それに対して、現在行われている「もっと子供を産める状況にする」という方面の対策は、それを助長するような対策ばかりになっている。
これらの施策は子育て支援という名前になってるけど、これは子を産める状況にする、と言う対策では無くて、子育てを行っている層や、その祖父母層に向けた票集めのための施策になっていて、「もっと子供を産める状況にする」の裏返し「子どもを産める状況になっていない」人たちに対する支援になってないんだよね。
例えば、高校の授業料無償化や、小児の医療費の無償化といった施策は行われているが、そう言った施策が広まっていっても子育てにかかる金額ははどめがかかっていない。
これは当然で、子育ては競争という性質が強く、また金があったらいくらでも金をかけてしまうと言う性質を持っているから。
例えば支援無しで100の資金が合った人に、30を援助すると、130の資金にして全部投入されてしまう。
するとどうなるかというと、子育てにかかる金額がどんどん増大して新規参入障壁、つまり新しく子どもをつくりたい、増やしたいという人が増えにくくなっていく。ハードルが上がってしまうのである。
この傾向が最も分かりやすいのが、出産費用と私塾の料金。支援金が増えるとそれと同じだけ価格が上昇してる。
標準的な子育てをシステム化してみなこれをやっておけばよい、と言うメソッドを構築すること。
その代わり。その費用は公的な仕組みで全部出すこと。ちょうど健康保険や介護保険の様な仕組みにする。
例えば、大学学部卒までの学費、食料費など全部含んで自己負担金を、住民税基準のようにゼロからMAX20万円ぐらいまで設定する。
学校はその金額の中で運営し、それ以上は利用者からとってはならないとする。対価がある寄附行為も全部禁止。
また、医療介護の標準のように、標準的に守るべき部分を入れて定期的に監査する仕組みにする。
こうすると、養育費の上限が固定されて、大規模な改変がない限り、大学学部卒業までに、月額いくら払っていけばいいのかが確定する。更にここには保健機能を付加しておいて、何か重大な事故があった場合も保護される。
まぁそうだ。
というか、教育に関しては当時の為政者が住民を都合良く洗脳すると言う過去の経緯があって、政治が絡みすぎている。
例えば大物政治家が不祥事で落選した時、自分と懇意にしている私立の学校法人の教授や理事に収まって政治活動を継続する、と言ったことが凄く多い。
治外法権で聖域化しているし、ここまでの巨大な改革は相当難しいと思うが、そこまでやらないと色々と解決は難しいと思う。
政治に興味を持って投票行動を取る人、と言うのは、結婚したり子どもができたりして意識するようになる人が多いようだ。
一方で独身者の投票率はかなり低い。今となっては、子どもよりも政治的影響力が無い。
そして独身者で投票する・政治活動をする層と言うのは、ノイジーマイノリティ化した層だ。
彼らが意見を代表しているかのように政治に影響を与えてしまう。(統計ベースでは、彼らがノイジーマイノリティであることは明白なのにもかかわらず、だ)
この増区政の人々に味方しても票が増えるわけでは無いのだ。なので、受けない。
地方議会などは、切実にわかっているのでやるのだけれど、より劇場型政治の性質が大きくなっていく国会などではどうやっても優先度が上がらない。
と、思わず読んでいて思いついたので頭を整理する意味でダラダラ書いたんだけど。
どうしたらいいんだろうね。
たまに聞く話だ。
正確には母性神話とは異なる、子ども側の話題だが母性神話の一種と言っていいと思う。
これについて考察したい。
「子どもはパパよりママが好き(になるものだ)」論の理由はどこにあるのだろうか?
(1) 本能的に子どもは母親を求める(父親や祖父母ではない)
(2) 子どもは乳児期に多くの場合は母親からの授乳を受けるので愛着(アタッチメント)が形成される
(3) 子どもは母親の胎内にいて出産されるので愛着(アタッチメント)が形成される
(1)は論としての体をなしていないと思うので却下。
生物学者の出典も無しに、あれは子どもの本能だと言っても意味がない。
(2)は一見最もに見えるがよく考えると疑問がある。
長い子育ての間で授乳は育児の一要素のはずだがそれが何故巨大な影響を持つのか不明である。
人工ミルクでないならば母乳は母親しかできないが、これは逆に考えると母乳以外は父親でも同じことが同じ質で出来るはずである。
出来ないというのであれば夫婦の子育て時間の違いに起因するものでありただの社会的な影響だろう。
「子どもはママが好き」ではなくて「ママが好きになるような子育てを結果的にしている」と言うべきだ。
(3)も主観的すぎる。
ここの部分はむしろ子ども視点ではなくて大人視点というべきではないだろうか。
母親の胎内にいた事がどう子どもに影響するのか未検証だと思うし、母親が産んでくれたありがたいなんて発想は子どもが大きくなってから感じる事だろう。
特に乳幼児であれば、「母から生まれたから母が好き」は不自然に思う。むしろ大人の発想なのだ。
簡単に言えば「子どもはパパよりママが好き(になるものだ)」というのは科学的根拠が怪しい。
しかし母性神話のように、母子の特別な結びつきを疑問視すると何故か反発してくる人がいる。
科学的に確かであればそれは最もな主張だと思うのだが科学的な出典もなしに母子の結びつきを強調してもそれは母性神話か何かの思想に影響された発言のように思えてしまう。
今後も科学的な研究が待たれる分野ではあるが、母子の繋がりを証明出来てはおらず、今のところ可能性は高くはなさそうと思っておいて良いと思う。
いい大人になってから反抗期が来て、今年の年初から家族(・親戚全員)と一言も話したくないという状態が続いている。
両親は私を育ててくれた。教育にお金をかけてくれた。でも、恨んでいることがいくつかある。まとまりがないが、自分が嫌だったことを書いていく。
東大に入れなくてごめんなさい。実際私は勉強の仕方が適当かもしれない。でも私、東大を目指すなんて1度も言ってない。それに10歳そこそこの子供にそんな呪いをかけないでほしかった。
「親戚の言う通り、東大にはやっぱり入れなかったね。」
お父さん、お母さん、東大に入れなくてごめんなさい。でも、そもそも私は東大を受験すらしていない。それに親戚も両親も誰も東大なんて出ていない。自分が東大に入れていないのに、なぜ子供は東大に入れると思うんだろう。
祖父母には慶應こそが素晴らしい大学だと子供の頃から言われていた。祖父母は慶應卒の芸能人のことはすごく応援している。特に幼稚舎から慶應の人のことは無条件に評価している。
おばあちゃん、慶應に入れなくてごめんなさい。でも、うちには慶應の医学部に行くお金はないよね?
私の両親はいつも学歴の話ばかりする。年がら年中夕飯のときに東大合格者数の話が話題に出る。名門中学の情報にも詳しい。
「あなたの高校、3年前と比べて偏差値が2上がって、○○高校より高くなったわよ。」
両親が顔も見たことのない友達の進学先を何度も何度も聞かれる。「分からない」と言うと「仲いいんだから、分からないなんてことないでしょう。」と言われる。本当に分からないのに。
「○○くんは△△銀行に内定したらしいわ。」「○○ちゃんは××製薬に内定したの?すごいじゃない。」
お父さん、お母さん、ごめんなさい。私はお父さんとお母さんが望むような大学には入れなかった。キラキラした就職をすることもできない。
母に言われた。
「○○ちゃんは地元の公立高校から塾なしで慶応大学らしいわよ。コスパがいい人っているのね・・・。それに引き換え、うちは。これだけお金をかけてMARCHだったら目も当てられない。」
お母さん、コスパの悪い子供でごめんなさい。でも、私は子どもの時気づいたら学習塾に入っていた。中学校のときも、私は数学の塾には行かなくていいと主張していた。私がコストをかけるよう頼んだわけではない。思わず腹が立って言ってしまった。
「お母さん、コスパがいい子供っていうのは遺伝子がいいんだよ。結局遺伝子の差じゃないの?」
私は両親より学歴は劣っていない。コスパは悪いかもしれないけれど、ジェネパはそんなに悪くない。
ようやく歩けるようになった頃から公文式を始めて、毎日プリントを5枚解いた。それでも両親に言われた。
「○○ちゃんは1日10枚プリントを解くらしい。もうXXレベルなんだって。」
公文式に加えて、小学校低学年のときから両親が買ってきた「トップクラス問題集」など高難易度の問題集を解き始めた。週末に時々テストも受けた。
週末は泣きながら問題集を解いていた記憶がある。映画に連れて行ってもらったある日、両親の想像していたよりも学習の進捗が悪かったようで、めちゃくちゃ怒られて泣いた。
小学生の頃は両親によく叩かれたり蹴られたりしていた。
鍵をなくした等仕方がない理由のときもある。でも、お母さんも鍵をなくして、家の鍵をすべて交換していた記憶があるけれども。
私は挨拶をしたのに、親がそれを見ていなくて挨拶をしていないと思い込んで「挨拶をしろ」とめちゃくちゃ叩かれたとか
工作教室で「AかBを作る」という指示で、私以外みんなBを作っていた中で私だけAを作っていたら「人の話を聞け」とめちゃくちゃ怒鳴られて叩かれたとか
中学受験のときのことは思い出したくない。小6の夏休みは1日中毎日家でも塾でも怒鳴られ続けて本当に辛かった。親が机を叩きながら怒鳴っているのに対して「ここのところ毎日こんな感じね」と離人症のような状態で思っていた。怒った親が机にバンバン叩きつけたせいでベコベコになった過去問で勉強するのは辛かった。
結局、1番難しい学校には入れなかった。お母さん、立体図形が分からなくてごめんなさい。
中学2年生の8月下旬に夏休みの宿題をやっていないことがバレてめちゃくちゃ殴られて蹴られたのが最後の「教育虐待ぎみ」エピソードである。
夏休みも残り2週間以上あったし、なぜそんなに怒られないといけないのか私には分からなかった。深夜にお父さんに部屋の隅まで追いかけられて顔を何発も叩かれたり殴られたりして、お腹も何度も蹴られた。
正直なところ、初潮が来るか来ないかという頃の子供のお腹を「宿題をしていない」という理由で何発も何発も蹴るのは、人間としておかしいのではないかと私は感じた。
お母さんも止めなかった。
お母さんはお父さんのことを「優しい」と言ったが、私には理解不能だった。気分にムラがあり「機嫌が良いときがある」というのが適切な表現である。
「お前はダメ人間だ」「中学校をやめさせるぞ」「お父さんはあなたのスポンサーなんだから言うことを聞きなさい」
いろいろ言われた気がする。せっかく中学受験をがんばって入った学校をやめさせられたくなかったから、そこからすぐに表面上は宿題を終わらせた気がする。
観察の課題があって、都会育ちの私は苔なんてどこに生えているのか分からなかったから、適当な苔の絵を描いて提出した。あとからネットで検索したら苔のすがたは私が描いたものとは全然違っていた。
その後、殴られたり蹴られたりすることはほとんどなかったけれども、最後まで両親は私が勉強以外のことをするのを嫌がった。私の勉強以外の側面には興味がないようだった。もし勉強が得意でなかったら両親の私への愛情はゼロだっただろう。私は両親にとって勉強以外価値のない人間なのに、中途半端な学歴でごめんなさい。
大人になってから、教育虐待をされた子供が親を殺した滋賀と佐賀の事件の話を両親にした。
「うちはそんなことがなくて、優しい両親で良かったね。」と言われた。自覚がないのかと愕然とした。
「私は自分の子供に中学受験をさせたくない。」と言った。「私たちがあなたに勉強を強いたっていうの!」と怒って、私のいないところで泣いていたらしい。
私の両親はおまけに過干渉だった。スキンケアをしたり髪を整えたりすると「色気づきやがって」と言われた。だから、今でもおしゃれができない。
親の目の前では自分の好きな娯楽いっさいを楽しむことができなかった。親の好きなワイドショーやらクイズ番組やらを見るだけの休日。
高校の初めまでは定期的に必ずケータイチェックがあり、親にLINEの友人1人1人を指さして「これは誰だ」と聞かれた。様々な閲覧履歴やファイルもすべて見られた。年賀状もすべて検閲されていた。
高校生まで私はほとんど自分の使えるお金がなく、バイトも禁止されていたので、スタバにいる高校生が理解できなかった。電車に乗る距離を徒歩で移動することでなんとかお金を浮かせてブックオフの100円の本を買ったりコンビニコーヒーを買ったりするのが楽しみだった。
未だに実家に帰ると誰とどこに行って何時に帰るかを報告しなければならない。
でも、お父さん、お母さん、そこまで干渉したのに、私は小5からFC2を見て、中2から金融商品を買っていた。意味なかったですね。
両親は私のことを育ててくれて、話していて楽しかったこともあった。教育にもたくさんお金をかけてくれた。
両親にはこれまでの人生で様々な苦労があったことも分かっている。苦労が多かったから子供への愛情の注ぎ方が分からなかったのかもしれない。それでも頑張って育ててくれたことは伝わっている。
でも、今は距離をおきたい。
今年の年初、親が能登半島地震の被災者に差別的な発言をしたときに、もう私の心は限界を迎えてしまった。これ以上、親の言うことは一切聞くことができない。理想の子供を演じることはできないし、親孝行もできない。今の私には親の価値観が歪んでいるように感じられる。歪んだ価値観が自分に伝播するのが怖いので、親とはもう一言も話したくない。お父さん、お母さん、親不孝な子供でごめんなさい。
最近、いくつかの作品・書籍を視聴したり読んだりして「自分らしくあれ」という助言があるのだけど、自分らしさってなんだろう?
子供の頃の素の状態が自分らしさだとするとキチガイだし、かといって今の自分らしさと言ってもわからないし。
ただ自分の癖としてすぐに誰かを真似してしまうというのがあるかもしれない。ヤングシェルドンのシーンを借りるなら「偉大な科学者の真似をして、ユダヤ教に入信しようとする」みたいなこと。
自分自身の精神や人格の根源はなにか。あるいは祖父母や両親が教えてくれた事を覚えているだろうか。
「楽しいことを考えて生きる」が最近の母の口癖だ。母が俺に言ったことの中で最も印象に残っているのは「あんたの身の回りに起こる出来事はあんた自身が起こしているんだよ」と。
この母の助言は、俺が学生の時覚醒状態にあって眠れず、その状態で友人のBBQパーティに行って錯乱して喧嘩したときのことだ。
グッドオーメンズでアダムがその強大なオーラを纏っていることを自覚せず、でたらめな陰謀論を単に実在すると信じるだけで現実にしたようなものだろうか。
なぜ世界は、精神薄弱や錯乱状態を俺の中に生み出しておいて、その中で「自己」について助言するのだろう。
覚醒して全く睡眠ができずてんかん発作で気絶したとき、一体誰が俺の苦しみについて理解できたというのだろう。
リーナス・トーバルズが「Just For Fun」といってLinuxを開発していたように、俺も楽しむことを人生の中心にしたほうがいいだろうか。
時々、本当にマトリックスの世界があるのではないかと疑ってしまうことがある。たくさんエネルギーを使わせて、電池として消耗しているわけだ。
しかしエネルギーを使わなければ楽しむことはできない。自分を変えなければ、怠け者から抜け出すことはできない。
「努力」に対する俺のトラウマは「教育」「習い事」などに対する発狂的なヒステリーとして記憶されている。それは邪悪な悪霊のごとく、子どもたちの笑顔を奪ってきた。
だから俺は成長してから、ストールマンの言うようなハッカー観、好きなことに熱中して習熟するという価値観を大切にしてきた。
しかし肝心の「好きなこと」が好きではなくなる感覚が最近は感じられる。
プログラミングが好きだ。しかし仕事としてそれをやり続けると義務感に押しつぶされそうになり、趣味からは遠い存在になっていくのを感じる。
結局、物事はシンプルに説明がつく。つまり自分を見失っているのは、仕事で疲れているからだ。強制労働させられていた歴史上の奴隷は生きていく上で「自分らしさ」を感じただろうか。
旅に行く勇気はないが、ちょっとした散歩をして、その範囲を広げてみるといいかもしれないな。そのぐらいの気晴らしが俺には必要だ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4752008517527522144/comment/gasagasamind
gasagasamind 俺の祖父母と父親は早くに死んでしまっていて、俺が若い頃ずっと払っていた年金はどこぞの老人に吸収されていたのだけど、どうして年金を受け取るべきでないのか説明がほしい。もらえないなら払いたくなかったわ
お前が知らないだけで一人親家庭での虐待は社会問題になってるんだよ
https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/sh17020105.pdf
子ども虐待が日本において社会問題化してすでに久しいが,子ども虐待に関する統計調査において,ほかの世帯,特に父母がそろっている世帯と比較し,ひとり親世帯は虐待の発生率が高いことが繰り返し指摘されている。
例えば,5県27児童相談所において1992年1月から1994年末までに扱われ「社会福祉業務報告」に報告された419事例を分析した萩原・岩井(1998)によると,父のみの世帯は12.1%(実父のみと継父のみの合計),母のみの世帯は23.7%(実母のみと継母のみの合計)となり,合わせると35.8%に及んでいる(ともに祖父母の同居は不明)〔p.30〕。
また,全国規模の調査としても,2008年に実施された全国児童相談所長会による「全国児童相談所における虐待の実態調査」のデータによれば,実父のみの世帯は5.0%(祖父母同居を含めると6.3%であり,実母のみの世帯は 27.0%(同31.3%)と把握されている。あわせて32.0%(祖父母同居を含めると,37.6%)となる〔丸山(2009),p.142〕。一方,一般人口では子どものいる世帯(約1,215万)のうち,ひとり親と未婚の子のみ世帯(核家族世帯)は,約82万(7.4%)でしかなく(平成20年国民生活基礎調査),祖父母同居を含めても約146万世帯(平成23年全国母子世帯等実態調査。異なる調査,年度なので注意が必要であるが),約11.2%でしかない。子ども虐待の問題を抱える世帯におけるひとり親世帯の多さが目立つ。