はてなキーワード: 等価とは
シカト即ちいじめ、って考え方には「ちょっと待ってよ」と思う。
誰にだってさ、関わる相手を選ぶ権利はあると思うんだよ。
すぐ暴力を振るう奴とか借りたもの返さない奴とかとはできるだけ接点を減らしたい。
逆に屈託無くおしゃべりできたり冗談を言い合える相手とは接点を増やしたい。
これって、そんなに贅沢な権利ではないでしょ?
そこまで極端でないとしても、
興味の無い対象にはそんなに手間ヒマかけたくないってのは「いじめだ!」と言われるほどのことなんだろうか。
みんな、それぞれの幸せを追い求めて日々暮らしていて、ぶつかり合ったり譲り合ったり裏をかきあったりしてる。
残念ながら我々人類は千手観音じゃないから、すべてを見て、すべてを救うことなんかできない。
大事にしたいと思った相手にさえ、そうできないことの方が多いのに。
昔読んだあるカウンセラー(外国の人だったと思う)の書いた本に、友達ができないって相談に来る人に
「逆にお伺いしますが、他人から見て、あなたに友達になりたいと思わせるだけの価値はあるんですか?」
って返事をする一節があって、そんな無茶な!と思う一方、妙に納得させられた。
この言い方は流石に極端だと思うけど、確かに観察してみると多くの友人関係ってのは、広い意味での価値や利益ってのがどこかに絡んでいるように見える。それがかみ合ってるかどうかは別にして。
だからと言って、「さびしいから友達が欲しいなぁ」という気持ちは否定しない。
そりゃそうだろ、と思う。自分だってそう思うし。
ただ、「自分を孤独にしている連中は自分をいじめている。だから先生何とかしてください」って物言いはどうなのかなあ、と思う。いや、後半は書かれてないけど。
強権発動してもらって無理矢理友達になったって、次にやってくるのは虚しさだよ。
「友達が欲しい」って気持ちと「友達は選びたい」って気持ちは、優劣無しの等価値。
自分の中で優先順位をつけたとしても、それは他人に強制できないことだよ。
どうすりゃいいのかは、他の人がたくさん書いてるので省略。
というのも、わたしは少しだけ専門的かつ絶えざる需要のあるスキルをもっているので
いわゆる「派遣」ないしは「アルバイト」で週に三日働けば年収250~300万円を維持出来るのです。
ヨメもやはり同様の仕事でわたしよりちょっと多く働き年収400万。。家事はわたしがやり、子どもは作る予定も全くないので
将来への不安はほとんどゼロ。どちらかが元気ならなんとでもなるよねー、と思いながら暮らしています。
そのついでに、十年来の友人夫婦と共同で家を買いました。
三階建ての二世帯住宅をお金を出し合って購入し、かなりいいとこにいいかんじの家が買えました。
ちょっと間取りをいじっただけでお互いのパーソナルスペースは確保出来たし生活上の不便はほとんどありません。
22からつとめた某企業の腐れ激務で大分砂漠化が進行していた頭皮も少しずつ回復して来ました。
友人たちも家を手に入れるとともに仕事を減らし、悠々自適モードに入っています。
そんなわけで、我々はお金のかからない旅行をしたりお酒を飲んだりしてとても楽しく暮らしています。
思うに、子どもを作ろうと思わなければ我々の生活は年収700万辺りから大いに豊かなのです。
少々生活レベルを落とせば子どもだっていけるでしょう。(ただしこの先奨学金制度がどうなっていくのかは不透明ですが)
そう考えた時、まず「結婚」というのは非常に効率の良い手段です。生活者が二人になったところで支出の増大が
さほどあるわけではありません。予想外に変わらないものです。もちろん、どちらかが贅沢好きなら成り立ちませんけどね。
わたしたち夫婦と友人夫婦の好きなものは、読書と料理とお酒と会話。毎日を楽しく過ごしても、まだ収入が余ります。
わたしは昔、年収が1400万くらいあり、年棒制で働いてました。
そのおかげですっかりハゲた上に肝臓を壊したわけですが、それはともかくとして。
そういうところにいると、確かにお金はいいです。でも、出て行くお金も半端じゃありません。
しかも、「年収」がそれだけあってもかなり笑えない額を税金で持っていかれます。
身なりも、食事も、酒も、付き合いも、遊びも、なにもかもが望まないもので満たされます。
わたしもヨメも服なんてユニクロでかまわないし(むしろ好きです)車でフラっと海に行ったり
山に行ったりするだけで十分楽しいのです。なにもない日は本を読んでネットをすれば退屈する暇なんてありません。
旅行がしたくなれば4万円くらいのチケットを取ってタイでも行けばいいんです。沖縄より安くて楽しい。
二週間遊びほうけても8万円でお釣りが来ますよ。
要するに、我々の時代というのは「お金がある」ことが物質的幸福と等価でなくなってきてるんです。
読書が出来て、ネットが出来て、遊びに行けて、デザイン性には欠けるものの良質な衣服があって、美味しい食事を作ることが出来て。
本来、それ以上何を望むべきなんでしょうか。もちろん、社会的身分というものはあります。
そういったものが欲しい人はそれを追い求めればいい。しかしですね、それそんなに重要でしょうか。
わたしは実際、古巣で幹部になるまで出世するメリットは見出せなかったです。クオリティオブライフ、とかそういう観点で。
では、そういった生活を得ようと思ったらどうすればいいかといえば。
話はカンタンで、寄り集まればいいんです。結婚もそのための一つの大変有益な方法論。
昔、わたしは極貧生活をしていた頃がありました。貧乏学生だったんですね。
その当時、まだルームシェアという言葉はなかったですが、友人たちと3LDKアパートに三人で暮らしていました。
この生活が、存外に良かったんです。家賃は十万円ほどでしたが三人で割れば大した数字ではありません。
その時得た教訓はこういうものです。月収6万円で一人暮らしは無理です。でも、月収六万円が三人集まれば最低限は暮らせる。
月収十二万円が3人集まれば、それはもう「最低限の文化的生活」を大きく上回る水準になるんです。
そういう生活は、楽しいです。
わたしは元来が非常に孤独に弱い人間なので、誰かが一緒にいないと死にます。
会社にいた頃は全ての人間が敵に見えて、大変に心を蝕まれました。ふとワインのボトルを一本持って
階下に下りていけば親友のいる今の暮らしは、わたしにとって最高のものです。
もちろん、こういう生活にはリスクもそれなりにあって
誰かのミスや裏切りを全員がこうむることになります。ルームシェアが瓦解するのはそういった事例も多いでしょう。
そこの部分は人と人のつながりに加えて、ある種の契約の論理でヘッジしていかなきゃならない。
でも、それさえ出来れば人生は最低限の労力で、けっこうたのしいのです。
最近、すごく希望のある書き込みを2chで見ました。詳細は忘れましたが
「貧乏人が結婚できない時代はもう終わった。これから貧民同士寄り集まって生きる時代だ」
といった内容で、ああそこまで時代が来たんだなぁと感慨深かった覚えがあります。
わたしは「貧民」と名乗ることは流石に出来ませんが、それでもそういうことだと思ってます。
世帯収入が500万円あればそれなりに楽しいのです。分かち合えば、豊かなんです。
最近の「結婚する相手は年収1000万円ないと…」みたいな風潮や、それに反抗する女性たたき。
それを見てると、「そりゃ貧しいよ」と思ってしまう。そこを巧いこと分業すれば、この貧しくなる一方の日本でも
けっこうたのしく生きられるんじゃないかなーと思うんですね。
ケンカしても碌なことがない、生きるために仲良くする時代が来たとわたしは思うんですよ。
みんな、仲良く出来たらいいんですけどね。わたしとヨメも含めて。
ケンカ別れになったらわたしもヨメも友人夫婦も終わりですからね、そこだけは怖い。
でも、さみしくないっていいものですよ。
そうやってゆっくりみんなでダラダラ滅んでいく時代なんじゃないかな、って。悪くないですよね。
可読性が悪いにもほどがある・・・と思った1関数
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51490675.html
inline U64 powmod(U64 base, U64 power, U64 mod){
return base >= UINT_MAX ? powmod_gmp(base, power, mod)
: power >= UINT_MAX ? powmod_gmp(base, power, mod)
: mod >= UINT_MAX ? powmod_gmp(base, power, mod)
: powmod_64(base, power, mod);
}
3項演算子を連打とか・・・
if(base >= UINT_MAX){ return powmod_gmp(base, power, mod); }else if(base >= UINT_MAX){ return powmod_gmp(base, power, mod); }else if(mod >= UINT_MAX ){ return powmod_gmp(base, power, mod) }else{ return powmod_64(base, power, mod); }
って事で、要するに
if(base < UINT_MAX && power < UINT_MAX && mod < UINT_MAX){ return powmod_64(base, power, mod); } else { return powmod_gmp(base, power, mod) }
って事じゃないのか?実際Cは左辺優先評価で1つ目がFALSEの場合2つめ以後は評価されない(してはいけない)でelseにジャンプ だからif演算の回数だけなら等価
まぁ、確かに、パイプラインを考えればthen節とelse節は等価ではないので、データによって真ん中の書き方のほうが下より早いとか遅いという差はでるけど・・・
なくても、真ん中か、下の書き方でいいよなぁ。
まかり間違って
if(base >= UINT_MAX || base >= UINT_MAX || mod >= UINT_MAX){ return powmod_gmp(base, power, mod) }else{ return powmod_64(base, power, mod); }
と書いても、おそらく、コンパイラ先生がただしく最適化してくれればおなじになるだろう。正しく最適化しないと、コレは遅い可能性もあるが、そんなことはまず無いだろう。
いや?演算子が悪いとは言わないけど、チーム組んで初級の若いプログラマがこういうコードを読めるとは思わないし、読む必要があるとも思わないんだが・・・
ジェネリックに、みんなに分かりやすく。
トリッキーに書くのもいいけど、それは、速度かメモリかで恩恵が受けられる場合で、メリットがないなら、初心者でも読みやすく、メンテしやすくする。って間違ってるのかなぁ?
?連打の方が世の中読みやすいのか?
どうでもいいけど・・・UINT_MAX って、最大値+1じゃなくて、最大値だよなぁ・・・。確か>=の=の有り無し逆じゃね?
もっと、どうでもいいけど、mmレジスタとxmmレジスタのmod演算ってクロック数違うんだっけ?だれか、教えて。ifでパイプライン崩すのとどっちがいいんだろう。
そも何故親が云々が出てくるんだろう、それが不思議でならん。みんな若くて実家住まいだったから?家に帰ったら親が生活しているような環境で性的な事柄に近づくなんて自分は無理だったから、ようわからん。
あと別に手術後に痛くて目が覚めたりなんかしなかったから、読んでてむしろほんとかよって思った。なんとも言えない喪失感と倦怠感があったことしか覚えてない。あと半日入院だったからお昼が出たんだけど、さっぱり味がしなくてまずかったことと。体の苦痛のことなんてさっぱり忘れた。
喪失感て別に子どもに対してじゃなくて、思わぬ重荷をいきなり背負わされて逃げられてその相手に対して責任を取らせるすべもないことに対してだとか、それで台無しになってしまったその夏の自分とか、そういうものへの喪失感。相手のことは生涯許さない。そいつになる運命であった受精卵こそぷちって潰したい。お前の遺伝子はこの世界に必要ない。鎮静剤で意識を失う前に顔にタオルかけられた状態で涙があふれて顔の端に流れていって、それが見えてのことなのかわからないけど、看護婦さんが手を握っていてくれたのを覚えている。
そんなわけで、子どもに対して世の皆様が期待するほどは何にも思わなかったなーってとこに対してだけは共感持てるんだけど、あとは全然共感できなかったし。私は母になる資格が生涯自分にはないなんて別に思ってないし。共感しなくてもいいか。こんな経験は個人個人で抱えていればいい。共感を得ようが得られまいが、当人にとってのこの経験の重みだけが等価値だ。
つまり、「YouTubeで著作権者に許可を得ていない動画を見るリスク」は「交通量の少ない道路で、車が通っていなければ赤信号を無視するリスク」と
等価ってことですよね?
確かに両者の法からの逸脱度合いは一緒くらいでしょうね。他の方も言う通り、トラフィック数も関係してきそうな気もするので正確には何とも言えませんが。
ただ私は違法かどうかよりも「制作者に還元されるかどうか(=損害が起きずに済むか)」で話をしたつもりです。
法律にどれくらいの量そむいたかは、実損害がどれだけ起きたかと比例しません
(法律にそむいた量に比例して実損害が起こるわけでは必ずしもない)。
「交通量の少ない道路で、車が通っていなければ赤信号を無視した」場合、実損害が起きるのはたまたまそこに車が通っていて事故が起きたときだけですが、
「YouTubeで著作権者に許可を得ていない動画を見た」場合、実損害はフリーライドされたPVに比例して拡大します。
だからちょっと違う気がします。
論理学にはあまり詳しくないのでなんなのですが、以下のあたりをどうぞ。
->ある事実が真理であることはそのシステム内部では証明できない
ある意味究極の定理です。厳密に証明されていますので数学として「定理」と呼ばれます。まずは「ゲーデルの不完全性定理」で調べて頂ければ資料は大量に出てきます。数学すら穴があることを証明してしまった恐ろしい定理です。
->記号論からイデオロギーが固定された意味を持たない無意味なものと論証
まずは「(ポスト)構造主義」「ソシュール」なんかを調べてから「バルト」を引いてください。「正義」の体系とも言えるイデオロギーが記号論的には無意味な戯言と等価になってしまいました。
「ファイヤーベント」の方法論虚無主義
->合理主義と非合理主義に差異はない、など「何でもあり」を唱えています。証明とは言えませんが、現代思想がどんなものか知るにはいいでしょう。科学の方法論すら恣意性の塊で何ら特権的な方法ではないことになってしまいました。
http://anond.hatelabo.jp/20100603200325
http://anond.hatelabo.jp/20100604004052
http://anond.hatelabo.jp/20100610084458
http://anond.hatelabo.jp/20100611083455
http://anond.hatelabo.jp/20100615082939
夜が僕の部屋にやってきた
部屋は暗くてマックブックが僕を照らしている。the tuss『Rushup I Bank 12 』が流れている。外は群青色。
僕の耳元でギーガーが囁き出す。僕は狂っているフリをしている。
NO NO NO. 僕は狂っているフリをしているフリをしている。
「セクシャルな意味の言葉を教えてくれよ」って声が聞こえる気がする。腹が減っている。ジャングルから何かが抜け出して僕にまとわりついている。俺の言葉きこえるか?あーあーあー。
夕方から夜への変化は高速だ。青が黒になっていく。バイバイ。
ジャングルジムみたいな都市を這い回るbitとそれにまつわる僕たちの幻想。社会という幻想。言葉を打ち出せば新しい幻想を君の頭が君の頭自信に幻想を見せる。タイプ→bit化→イーサネット→表示→視覚がキャッチ→脳内変換→幻覚
真っ暗な部屋が好きだ。肉体に意味がなくなるみたいに。感覚を研ぎ澄ませ。生活の雑音を音楽に置き換えてセックスをしろ。オセロの決着みたいに本能で意識を埋めろ。
群青は今や黒に限りなく近い。自動筆記をする亡霊を作る機械仕掛けのbotの群れ。
お前の意識はお前のものかって、Gigerが室内冷蔵庫の唸りを隅のほうで齧りながら言っている。君はたぶんズールー族の洗練を受ける必要があるぜギーガー。
言葉は何度もパイプされて行き着く果てで奇形の言葉が夢をもたらす。2ホップで邪悪な存在に触れることだってできる。キマった目の映像をリアルタイムで放映していた綺麗な女の子。いくつもの視線は決して孤独を埋めない。
気づかないうちに青色は消えた。灰色だ。都市の光を反射して黒であることできない空だ。あらゆるルートを探索するうちに幻想は消えてしまった。012345678909876543210
SFみたいに俺の記憶を全部レーザービームでずっと向こうに打ち放ってくれよって、鳥が鳴いてる泣いてる。ずっと先のあの向こうに行きたいんだって。そうしたらこの都市を燃やしてくれよ。
パチンコの台に機械を仕込んで店長とグルになって儲けた金を大型草食動物を殺した肉食動物みたいに分け前を食い散らかしていると、向こうから見たこともないような綺麗な羽を持った鳥がやってきて、その鳥を金で買った。その鳥はアイドルになって沢山の視線を集めたいって言っていた。
孤独な鳥は鳴いていたけれど、僕たちは尻尾を振って怯えたままそれを眺めていました。決して唱えてはならない秘密の呪文を唱えると缶詰から亡霊が這い出てきて僕に本当のことを教えてくれたけれど。夢から醒めて鳥のヴァギナに色とりどりのポスカを差し込むうちに忘れてしまった。
遠く遠くで真っ赤な隕石が通り過ぎている。ポスカを抜き取ってそれを描写しようとすると鳥は嫌がっていたし、向精神薬がなくなればカフカは落ち込んでひたすら押韻のチートコード集を集めていた。
箱男達が工場で夢の製造に従事していて、箱男の王の中身はベンガル虎だって噂がある。ベンガルトラに喰われかけている箱男の中身かもしれない。座席を回転するSUSHIバーでポスカを突き刺したまま鳥は「そこで夢はつくられているの」と言った。
「宇宙に行きたいなら今そこに座っているそこがそうさ」と相対的に近づく箱男が言って、彼女は泣いた。素数の順に爆発する地雷を踏んで15色と共に炸裂して消えて、僕はバーを出た。うつむいたまま。
undoして箱男にバールのようなものを投げつけて彼女を連れ出した。漏斗から昔の記憶が流れ出したのはヤクザがヤクザ映画の花形俳優に挨拶した話だ。
ジャングルから抜け出した野生の箱男は薄暗い目で人工ではない夢をみていた。ゾウオヲアタエルコトバマザリアッテクレ。踊りは無意識を掻き立て無規則のなかから創発性の地獄が運動を始めてベンガルトラは亡霊を求め始めた。ピンク色の乗用サイがテールランプで1万km遠くの仲間たちに危険を伝える。
夜が歌い始める。僕たちは踊り出す。ティム・バーナーズ=リーは笑い出す。感情が全身から溢れ出して路上に数多の星が雨みたいに空から落ちてくる。「ただの黒い石だったみたい」と彼女はほほ笑んだ。ズールー族達は合成麻薬を注射してak-47を振り回す。01234567899999999...
温めた牛乳にパンを浸しながら乳牛を捌く彼らと量子コンピュータと交換で新しい踊りの教則ビデオを手に入れた僕たちは、借入を超えてレイクで現金を3億円引き出して真っ黄色の85年型のデロリアンインドサイを買ってBTFした。僕たち現在の僕たち自身を書き換えるために。
BTFに失敗した僕たちは記号の世界に移動してしまった。'機能'をいじくり回して本能と妄想を書き換えた。現在に戻ると無限マズロー状態。死と性・秩序だった無秩序が保存が破壊を食って内蔵がキーボードに切り替わっていた。
箱男たちの中身と箱は裏返って剥き出しの彼らとベンガルトラと箱男達の比率は逆転して植えたトラとトラの共食いと皇帝と臣民の比率が逆転して、むしろ逆に臣民が皇帝っぽくなってすらいたし、ピカピカ光る非同期の夢を同期させようとする電池を食う機械にしゃべりかけるとやつは答えた。
「踊ってくれよ」と言われて僕たちは新型のダンスを踊り始めた。
踊りのマクロが何度もとプレーヤーピアノ達と連動して奪うことと奪われることが等価になって実在しないヒーロー達が現れて偶像に規則と予定調和を与えた。物語の時だ。
ヒーロー達が生み出したベイジアンネットワークを貪るパックマンみたいにお話の快楽を貪る彼女が超常現象的な動きでスピーカーの振動と同じ周波数で爆裂する音楽を発する。まとめあげられた集団はリズムの原則に奪われて暴動みたいに時速2kmの速度で遠心形状で彼女に巻き込まれていく。
月に反射した腐った陽光がベンツに載ったカミュをバターみたいに溶かしてる。笑えない冗談で笑うコメディアンの悲しみがギアの悲しみを包み込んで目隠しされたノード形状の同調する協力者を通してP2P的に愛を送っている。波状に飛び散ったハッシュが変形して別の夢になる。
衛星軌道上でジョージ・ワシントン級のブラシが振られて百万色のインクが降り落ちてアクション・ペインティングで灰色の建物はサイケデリックに変色してる。
マグニチュード6000の地割れから羊が大量発生した。鉄格子に守られた僕たちは数えて眠ることのできない羊に食べられた。
放物の賜物がいくつも刺さった養殖のアサヒスーパードライが波のように揺れて聞いたことのない言葉を喋っている。
朝が避けることのできない恋や運命みたいな感じで夜を引きずり込んでいる。
二つの約束が浮き上がって実体のない情報生命体みたいに自らをbitに変換して飛んでいった。
終わったことを始まりが喋っている。あなたは夢をみていたのですと夢が喋っている。
踊りのマクロが何度もとプレーヤーピアノ達と連動して奪うことと奪われることが等価になって実在しないヒーロー達が現れて偶像に規則と予定調和を与えた。物語の時だ。
ヒーロー達が生み出したベイジアンネットワークを貪るパックマンみたいにお話の快楽を貪る彼女が超常現象的な動きでスピーカーの振動と同じ周波数で爆裂する音楽を発する。まとめあげられた集団はリズムの原則に奪われて暴動みたいに時速2kmの速度で遠心形状で彼女に巻き込まれていく。
月に反射した腐った陽光がベンツに載ったカミュをバターみたいに溶かしてる。笑えない冗談で笑うコメディアンの悲しみがギアの悲しみを包み込んで目隠しされたノード形状の同調する協力者を通してP2P的に愛を送っている。波状に飛び散ったハッシュが変形して別の夢になる。
衛星軌道上でジョージ・ワシントン級のブラシが振られて百万色のインクが降り落ちてアクション・ペインティングで灰色の建物はサイケデリックに変色してる。
「半身不随でも構わない」ならOKで
「子供が産めなくても構わない」だと「バカにされてる」と感じるらしい。
そもそもこれが誤読だろ。
原文は全体として
「ハンデがあって誰にも相手にされないだろうけど
っていう思考を叩いている。そこでは「ハンデがあって誰にも相手にされない」っていう前提が肯定されている。その前提が、障碍者をバカにしてるわけだ。そこでは「歩けな」い・「立てな」い・「子どもが産めな」いは等価。
ユイには「俺」がいるから大丈夫らしい。でも私はユイじゃないぞ?
ってことは、私は「誰にも相手にされない」と、このアニメの制作者は言ってるのではないか?
とかアニメキャラが言ってたら、俺は2次元の国に行くしかないじゃないか!
あと、「無精子症でも構わない」とアニメキャラが言い、そこに「本来なら無精子症の男は不要」という前提を読み取ったならば、「俺は(男は)産ませる機械じゃねぇ!バカにすんな!」って思う奴がいても不思議ではない。
無茶な営業でクライアントから金をむしり取る広告代理店の営業マンの立場としては、
流行りの言葉が並んだだけの、空虚な、そしてイカ臭い制作物で自社が潤い、ひいては
自分が潤うという事実があるだけでも今のWebには大満足だな。
モノやサービスを作る側とただ売る側のスタンスの違い、それは往々にして作る側から見れば
志の低さを感じてしまうのかも知れないが、売る側の俺としては売れれば何でもいいんだ。
そのへんに転がってる石ころだろうが何だろうが、買う人がいるならそれを売るのが営業の仕事だからな。
そして何を売って得た稼ぎでも、金額が同じなら等価値の稼ぎだ。
一体君は何が言いたいのだ?
「「国連常任理事国のうち、中国以外は国連に加盟している」という自然言語表現は論理学的には真だ」というのは間違い。かかる自然言語表現は、論理学的には偽。
元文章は、まさにそれを言っている。「単純に言葉通りに解釈したものとは等価でない」とは、そういうことだ。
それを分かった上で、自然言語表現と等価な論理学表現に変換するのは「それは相当に複雑なものになると思われ」ると述べている。
俺もそう思うけど、元の文章では「一般の会話/議論を論理学的に解釈する人たち」のことを「ウザい人」と表現しているわけではない。
誰かが吐いた言葉を論理学的に見たときに矛盾や誤謬が生じるならそれは詭弁だけど。自然言語を、言葉の意味通りに解釈して、論理学に当てはめて考えるというのもそれはそれで詭弁なんだ。
例えば「国連常任理事国のうち、中国以外は国連に加盟している」という文章は明らかに変に思える。
けど、論理学的には真だ。確かに中国以外の国は国連に加盟しているし、この文章では中国については言及していないので、論理学的にはこの文章は、中国が国連に加盟しているともいないとも言っていない。
でも一般の会話や議論でそういう意図で話す/受け取る人がどれくらいいるだろうか? 普通は、その文章だと「国連常任理事国のうち、中国だけは国連に加盟していない」とも述べているように取るだろう。もちろん論理学ではその解釈は間違いなわけだけど、普通はそう取って当然。もちろん、自分がそういう解釈をされてしまう表現を回避することはよい心掛けだけど、人にそれを強要するのは単なるウザい人だ。
自然言語を厳密に論理学に当てはめることができない、とは思っていない。けれど、それができたとしても、それは相当に複雑なものになると思われて、単純に言葉通りに解釈したものとは等価でない表現となるだろう。
論理学的解釈と、言葉通りの意味を論理学に当てはめたときの解釈は異なるのだから、言葉通りの意味を論理学に当てはめて考えるのは、詭弁だ。
1 そこそこ良い企業に就職し、仕事は大変なこともあるけど家族や友人からは「大手企業に入れて優秀だね!」と言われ、そのうち結婚してそこそこ幸せな家庭を築く。
2 ある日突然、とある海外の小国の王様になる。もちろん小国内ではちやほやされる。現地の女性にはモテモテ(ただし黒髪の日本美人はいない)。現地のうまいもん食い放題(ただし和食屋はない)。年に1度くらいは日本に帰れるけど、小国の知名度は日本ではものすごく低く、友人の間では「あいつ海外のなんとかって部族で偉くなってるらしいんだけど」「なにそれ聞いたことなーいwww」という反応しか得られない。
どちらが幸せかって話。もちろん正解はない。価値観は人それぞれ。
2のほうが幸せだと思うなら、海外就職も良いかもしれなし。だが、俺は日本大好き、日本の友人大好き、日本の女の子大好き、日本食大好きなので、1のほうが幸せに感じる。
海外経験がないわけではない。学生の時、交換留学に行ったことあるし、就職してからも出張で合計数ヶ月海外に滞在したことがある。海外旅行なら20回近く行っている。
でも、俺にとってそれらの海外経験は、あくまで日本で成功するための手段だ。海外旅行に行くのは、帰国してから日本の友人たちと土産話に花を咲かせたり、日本の女の子に「増田さんって海外に詳しくて凄いですねー」と言われたりしたいがためだ。全ては、最終的に日本の友人に、日本社会に認められないと嬉しくない。いくら海外で評価されたとしても、日本において「尻尾巻いて逃げ出した奴」という評価だったら負け組のままなのだ。
不合理な感情であることは分かっている。日本で評価されることと、海外の現地で評価されることは客観的には等価のはずだ。でも、俺にとっては違う。なぜなら俺は日本人なのだ。郷里を愛することに合理的な理由なんてない。
恐らく、ニートの海外就職日記を読んでもピンとこない人は、俺みたいな考え方の人間が多いんじゃないだろうか。「へー、海外で就職できて良かったね。で、その後日本に帰ってきたらどうするの?」と。
俺が海外の小国の王様になるとしたら、現地でちやほやされるだけでなく、来日して、天皇陛下との夕食会に招かれて、その様子がテレビで放映されて、日本の友人たちに「へー、あいつ、偉くなったんだな」と言われなかったら意味がない。
また、仮に海外でミュージシャンとしてデビューして大ブレイクしたとしても、その後日本に逆輸入されて日本でもブレイクしなかったら、デビューしなかったのと同じなのだ。
そして、そのような気持ちでは、実際に海外で成功することは不可能だろう。だから俺は、海外に「出張」や「旅行」をすることはあっても、骨を埋めるのは日本以外にあり得ないと思っている。
誰かを愛するとは自分の資源を投入してその人の人生に責任を負うことである。
資源には限りがあるので全員を愛することはできない。
誰か一人を選んで愛するしかない。
すべての人を愛するとは、そのうち誰か一人に責任を問われたときに
「他の恋人に資源を割いているので君に割く余裕がない」という言い訳が成り立つということであり、
全員に対してその言い訳を成立させる状況をつくっているという点で、
誰も愛していないと等価なのである。
誰か一人を選んで付き合うから、責任が担保される。
というのは、一人だけであればその人を守るだけの資源が担保されているからである。
すべての人に資源を割くという実行不可能な義務を履行することにはもはや責任を要求できない。
そして伴侶とは世間への人質でもある。
変なことをしたらこの人を失うという足かせ。
そして伴侶を得るだけの実力があるということの世間に対する品質保証。
他人に自分の品質保証をしてもらうには、やはり専属的に付き合ってもらう方が、
すべての人と適当に浅く付き合うより、かえって効率が良いのである。
全ての医療行為が命に関わるかのような言い方は明らかにミスリードだし、仮に命に関わるとしても、採算を度外視してよいということにはならない。
3.>国民的な議論・慎重な検討が必要。方向性もまだまだこれから(方向性すら決定ではない)
と言いながら、最終的には
>仕分け人15名中11名の同意が得られているので方向性としては保険外にする方向で。
つまり、やはり最初から結果ありき
仕分け人たちの間で大方のコンセンサスが取れた事項について、WGとしての結論を出すのが結論ありき?