シカト即ちいじめ、って考え方には「ちょっと待ってよ」と思う。
誰にだってさ、関わる相手を選ぶ権利はあると思うんだよ。
すぐ暴力を振るう奴とか借りたもの返さない奴とかとはできるだけ接点を減らしたい。
逆に屈託無くおしゃべりできたり冗談を言い合える相手とは接点を増やしたい。
これって、そんなに贅沢な権利ではないでしょ?
そこまで極端でないとしても、
興味の無い対象にはそんなに手間ヒマかけたくないってのは「いじめだ!」と言われるほどのことなんだろうか。
みんな、それぞれの幸せを追い求めて日々暮らしていて、ぶつかり合ったり譲り合ったり裏をかきあったりしてる。
残念ながら我々人類は千手観音じゃないから、すべてを見て、すべてを救うことなんかできない。
大事にしたいと思った相手にさえ、そうできないことの方が多いのに。
昔読んだあるカウンセラー(外国の人だったと思う)の書いた本に、友達ができないって相談に来る人に
「逆にお伺いしますが、他人から見て、あなたに友達になりたいと思わせるだけの価値はあるんですか?」
って返事をする一節があって、そんな無茶な!と思う一方、妙に納得させられた。
この言い方は流石に極端だと思うけど、確かに観察してみると多くの友人関係ってのは、広い意味での価値や利益ってのがどこかに絡んでいるように見える。それがかみ合ってるかどうかは別にして。
だからと言って、「さびしいから友達が欲しいなぁ」という気持ちは否定しない。
そりゃそうだろ、と思う。自分だってそう思うし。
ただ、「自分を孤独にしている連中は自分をいじめている。だから先生何とかしてください」って物言いはどうなのかなあ、と思う。いや、後半は書かれてないけど。
強権発動してもらって無理矢理友達になったって、次にやってくるのは虚しさだよ。
「友達が欲しい」って気持ちと「友達は選びたい」って気持ちは、優劣無しの等価値。
自分の中で優先順位をつけたとしても、それは他人に強制できないことだよ。
どうすりゃいいのかは、他の人がたくさん書いてるので省略。
要するにシカトしてるんでしょ? いじめじゃん。正当化するな。
いじめは良くないって大前提には賛成なんだけどさ。 シカト即ちいじめ、って考え方には「ちょっと待ってよ」と思う。 誰にだってさ、関わる相手を選ぶ権利はあると思うんだよ。...
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