2009-12-17

全員を愛するということは誰も愛していないということ

誰かを愛するとは自分資源を投入してその人の人生責任を負うことである。

資源には限りがあるので全員を愛することはできない。

誰か一人を選んで愛するしかない。

すべての人を愛するとは、そのうち誰か一人に責任を問われたときに

「他の恋人資源を割いているので君に割く余裕がない」という言い訳が成り立つということであり、

全員に対してその言い訳を成立させる状況をつくっているという点で、

誰も愛していないと等価なのである。

誰か一人を選んで付き合うから、責任が担保される。

というのは、一人だけであればその人を守るだけの資源が担保されているからである。

すべての人に資源を割くという実行不可能な義務を履行することにはもはや責任を要求できない。

そして責任が発生するところに愛情も担保される。

責任を伴わない愛情愛情とはもはや言わない。

そして伴侶とは世間への人質でもある。

変なことをしたらこの人を失うという足かせ。

そして伴侶を得るだけの実力があるということの世間に対する品質保証

他人に自分品質保証をしてもらうには、やはり専属的に付き合ってもらう方が、

すべての人と適当に浅く付き合うより、かえって効率が良いのである。

  • 担保されるって言いたいだけちゃうんか。しかも使い方が微妙にずれてるような気がしないでもないし。保証とかそういうことだよな?担保って。

  • 愛に資源は必要ないと思う。 愛するが故に資源が必要なことはあるとしても。 ほかに色々思うことはありますが、最初の行から意見の相違があるのでこれ以上は言いません。

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