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はてなキーワード: 眼差しとは

2008-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20080221131438

増田です。

ブクマしてくれた人、スターを付けてくれた人、ありがとう

リアクションがあると思っていなかったので、驚きました。

増田ではなく自分のブログに、と言ってくれた人へ。

うれしい申し出だとは思ったけれど、

IDから解放されたこの場所でさえ、本音は書ききれない。これが精一杯です。

心の内にどうしてもしまっておくことができなかったことを、こうして表す場があることに感謝しています。

はてなをきっかけに、たくさんの人に出会ったことを思い出しました。

新しいおもしろそうなwebサービスを教えてくれた人

便利なものを勧めてくれた人

仕事終わりに「お疲れ様」と言ってくれた人

はっとする記事を紹介してくれた人

思わずにやりと笑ってしまう文章を書いてくれた人

以前、こんな話題もあったねと引っ張り出してくれた人

切ない過去の恋の話を聞かせてくれた人

思いもよらない価値観があることを丁寧に説明してくれた人

泣きながらも諦めない、まっすぐな姿勢を示してくれた人

出会いに向けて後押ししてくれた人

見たこともない景色を見せてくれた人

とりとめもない話に付き合ってくれた人

どうしようもなく落ち着かないときに声をかけてくれた人

昔見た星空の美しさを思い出させてくれた人

……

こんなにたくさんのものをもらってきて、

私も少しは返すことができていたのか、不安になるくらい。

みんな、ありがとう

最後に。

「そこにはてながあったから。」を書いてくれた増田の人へ。

そのタイトルを見て、はじめ笑ってしまったんだけど、

確かに、はてなのつながりやすさがあったからこそだと思う。

何度も、何度も何度も読み返しました。

読んでいたら、ちょっと涙が出てきて困っちゃった。うれしかった。

こういうことがあるから、

web上に気持ちのかけらをつづることを止められないんだなって思った。

増田のように、優しい眼差しをもって、私も自分のペースで大切なものを見失わずに歩いていけるようになりたい。

本当にありがとう

これからもいい出会いがたくさんありますように。

2008-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20080221035120

関係な他人のどうしようもないこういう系のゴタゴタって超楽しいねーーーー!!!!!グフ

なんか安全な位置にいながら闘犬ショーを見るような感じで

どっちに転んでもイバラの道ですなあ!

彼女を選べば出会ったばかりのあの子を思ってことあるごとに「俺の人生もっとよくなるはずだった」とずっと後悔!何かあればそのたびに妻となった彼女八つ当たり☆「あいつ(出会ったばかりの彼女)と一緒になってたらこんなことには」とずっと後悔☆既に恋愛感情などとうの昔に冷め切った彼女とこれからも妥当でした結婚を続けていかねばならぬ苦しさ☆俺の人生何なんだったんだろう?と死ぬ前に呟く自分の姿を容易に想像してしまい涙が出ちゃう、だって男の子だもん☆

かといって、出会ったばかりのあの子を選べば6年も付き合った現彼女を振った罪悪感が一生消えない!6年も付き合って、非の打ち所もなかった彼女という最良物件を振ったワリには、付き合ってみると案外あの情熱は消えうせてフッツーのしみったれたカップルになっちゃった☆「俺が求めてたのはこんなんじゃなかったのに」と後悔する日々☆ことあるごとに前の彼女と比べて「あいつならこんなことはなかった」と彼女八つ当たり☆気付けば、振ったときに傷ついて涙した彼女の顔が鮮明に思い起こされてその度に罪悪感と後悔に苛まされる毎日☆

思い切って二股をかけるも、二人ともにバレ、現彼女は目をはらして泣きまくり☆現彼女のご両親は君の両親まで呼び出して大騒ぎ☆うちの愚息が申し訳ないことをと両親涙を流して平謝りー☆出会った彼女からは見損なったといわれ軽蔑眼差し☆二人から縁を切られて会社でも「二股かけたんだってー」「うそー」「しかも、もうすぐ結婚する予定だったらしいよー」「マジで」「あいつひでーなー」の噂オンパレード☆ついには居た堪れなくなって退社しちゃう☆フリーターへの道☆

きゃー!超得盛りフルコースだね☆

人のゴタゴタってたんのしーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!

2008-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20080216003632

それは「お前がそういう人間に絶対ならない」なんて「思えない」から言うんだよ。

後は、この程度のノイズで考えを変えるような奴なら、吼えずに大人しくしてろっていう牽制だろう。

それに対して反応すること自体が、それに既に捉われている良い証拠になるだろう。

だから、本当に拒否したければ拒否をし続けろ。拒否をする心を忘れるな。

だが、俺らもノイズを撒き散らすし、邪魔もする。

羨望の眼差しで見つめながら、必要の無い事を吹き込んでやる。

それが壁だ。お前を試す壁になるんだ。

そのノイズに耐え抜き、壁を乗り越えたものだけが、価値観に捉われずに生きられるのだから。

そういうこと言う大人は、別に格好良いなんて思ってないぞ。

自分自身が格好悪いと言う事も、きっと知っている。

2008-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20080123234419

いやいや、まあ非モテというのは言い過ぎだと思うが。

一般に男は自分が性的な眼差しの対象になることに対する免疫が無いんだよね。

好きな女から向けられる眼差しなら嬉しい、という男もいるだろうけど、

その場合でさえ引いてしまう男も少なくないだろう。

裏返せば、男はいかに普段から「自分なら引いてしまう」ほどの眼差しを女に向けているかということなんだろう。

もちろん、誰が誰に向けるかによって受け止められ方は全く変わってしまうけどね。

2007-12-28

年末 冬厨 リア充

年末年始短期バイトの応募の電話は、仕事納めを直前に控えているであろう相手の、電話の前で生あくびしているようなぬるさの感じられる、「応募者多数で締め切らせてもらいました」というあっけない温度の低いもので、あえなく私の駆け込み熱は切り取られる……「応募者多数……」の前にせめて「申し訳ございません」でもあれば慰撫されるものがあったのかどうか、私に渡されることのなかった感情労働家族恋人に向けられるのだろうか、さして関心がなく……まったくこのふつふつとしたこれでは年を越せないという焦燥と、年末の振り返りモードに入るブログ主の一個一個の出来事の見事な忘却具合への苛立ちが混じりあっているのかどうなのか、直線の形をした記述による忘却、グラフを眺めて悦に入るものにはツリー状の、ツリーの先で腐乱していく出来事が見えてもいないし、それだけを大事に取って置くという方法しかとれないものに対する配慮はまったくなく、果実をもぎ取って行くだけ、「私には確かな収穫があるのです!」おめでとうおめでとうでっていう……祝祭に背を向けるしか方途のない仲間さえいてくれれば、家々から出た暖気に暖められた通りの空気を蹴散らすことも可能であるのに、やはりここは寒く、「どうしようもない」という現実原則の最終項が降りてくる。リア充がくる、リア充が来る、たわいもない雑談の中にリアルを持ち込みながら、リアルである強さを纏わせて、リア充が来る、冬厨が来る。年齢関係なく、話すことそれ自体が説教としかいいようのないリア充が、冬厨が、ネット空間に溢れ出し、「ここを作ったのは俺だ!」と言い始める。そう、世界はあなたのものであるかのような風采を呈している、とあなたには映っているのかもしれず、眼差し自身を脱臼する作法はいったいどこにあるのだろうかとわれわれ(!)は模索しはじめる。次に粉砕すべきは正月ではないのか、いやしかしわれわれにはコタツと甘酸っぱい蜜柑を自ら手放すなどということはできない、いやわれわれはコタツも甘酸っぱい蜜柑もはじめからないのではなかったか、ここにあるのは何だ、大掃除できない鬱陶しさの塊としての事物か、われわれはいったい……せめてわれわれという全人称が、空疎で破廉恥アジテーション市民国民や俺や僕や私の癒着をさらに溶かしますように。退屈な幼女を探している。分厚いコートを纏い呆けた振りをする肌でなく、寒さそれ自身としての肌を、退屈な幼女(ry

2007-12-26

メリークリスマス

まずは次のデータを覚えておいてください。

1、  1355万円

2、  1570万円

3、  1427万円

4、  1572万円

5、  1112万円

6、   574万円

世の中は金がすべてだろうか。

答えはイエス。100%イエス

金がなければ、電車に乗って会社に向かうこと自体できないし

タネ銭がなければ金儲け自体を進行することが出来ない。

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「カネ」がそんなに悪いのだろうか?といつも思う。

北朝鮮マスゲームを見ていると

もったいないよな。これを企業に売り込んで

例えば広告として使ったり、大金持ち結婚式イベントとして売り込めば

結構儲かるのに」と思ったり、レバノンとかイスラエルなんかで

見る地中海の美しさを観光客用に整備すれば

紛争地域ももっと豊かになるだろうにと思ったりする。

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カネまみれで生きることは確かに美しくしくはないし、

近寄りがたい印象が強い。

しかし、金儲けのことを考えるだけで北朝鮮レバノン

平和な社会が見えてくると言う矛盾。

「カネ」という道具は使い方によっては争いにもなるし、

平和の道を作ることができる。

誰もが欲しいくせに、「カネ」というトーンは、

どこかネガティブイメージを抱える。

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例えば金持ちは手にしたカネを贅沢に使い、

ビジネスを大きくするためにさらに投資する。

一般の感情からはそんなに儲けたいのか、と思ったりする。

しかし、ある程度の富を手にしたらその富を回転させて

再生産を繰り返すのが理想の姿。

金儲けに人生を掛けている人間というのは、近づき難い、

嫌なやつといったイメージ

ところが資本主義ルールだと、金を世の中に

送り込む作業をする人間というのは

社会のために生きていることになる。

金儲けがいいとか悪いとかを真剣に考え抜いたとしても、

明日になって買っておいた宝くじがあたったりすれば

嬉しくてしょうがないのが人間の感情。

お金に羨望の眼差しを向け続けるのに、

世の中のほんの一握りの人間にしか微笑んでくれない現実が

金持ち」に対する嫉妬心を増幅させる。

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今年ももう終わり。

クリスマスイルミネーション

あと1週間もすれば門松に変わる。

ここ何年かで経済面で大きな事件といえば

ライブドアショックを忘れることができないでしょう。

同じ頃に起こったマンション耐震偽装問題も

当事者にとってはまだ終わっていない問題です。

ライブドア堀江社長ヒューザーの小嶋社長も、つい2??3年前までは

成功者」として「格差社会」の頂点に君臨していたわけですが、

気まぐれなマスコミからは今は忘れ去られようとしています。

奢れる者は久しからず。

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こう見てみるとここのところメディアを騒がせている

格差社会」という仕組みも、

実は勝者がずっと勝ちつづけるわけでも

ないことが見えてきます。

これまでの安定した人生が保証されなくなったのは事実で、

格差に怒りを感じてしまうことも事実

しかし、格差社会というものが今一つピンと

来ないところがあるのも事実

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この言葉自体や、振りまいている人達に抵抗感を感じてしまうのは、

どうもうまく仕掛けられている、といった感覚。

今は本当に格差社会なのか、という疑問がふつふつと沸いてしまう

のです。

このあたりの分析は「新平等社会」(山田昌弘著)で詳しく解説されていて、

格差社会」と言うキーワードを引っさげて、

なんでもかんでも小泉改革のせいにしてしまう短絡ぶりに

疑問を投げかけている。

「希望とは努力が報われると思う時に生じる、

絶望は努力してもしなくても同じだと思う時に生じる」

?? ランドルフ・ネッセ(社会心理学者) ??

この言葉が紹介されていて

1990年頃まではほとんどの人が希望を持てる条件が揃っていた」

と書かれていたが実際には努力が報われないことも結構多かった。

とくに企業が安定していた頃は実力よりも

「社内政治」??会社で生き残ることだけしか頭にない人間

結構威張っていて、それを思えば能力がないくせに権力だけは

持っている人間がいなくなるだけでも格差社会も悪くはないか。

昔はよかったというけれど、安定していた昔はそんなに良かったか、

とも思う。

自分の力で生きるという選択肢が少なく、ほとんどの人が、

企業奴隷として生きることを強いられた時代。

私も初めて就職した会社を辞めるとき、周囲から「この世の終わり」と

いうような脅しを受けたけれど、今思えばあのまま奴隷人生

生涯の価値基準にならなくて良かったと思っています。

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一方では相変わらず「成功者」たちがメディアに顔を覗かせる。

「格差」の一つの正体には他人の成功に対するねたみもある

のかもしれません。

テレビを見れば自称「セレブ」が信じられないような生活を送り、

自分もいつか、と夢を膨らませる。

勝ち組」という虚像に対する憧れや絶望感を感じながら日々を

生きさせられている嫌な感じ。

羨ましくも「うまくやりやがって」という、モヤモヤした感情。

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ところで最初に見てもらった金額は

ある企業に勤める社員の平均年収。

会社名は何かと言うと

1、テレビ朝日

2、TBS

3、日本テレビ

4、フジテレビ

5、テレビ東京

6、三菱UFJフィナンシャルグループ

7、永谷園

(MSNマネー企業概要より)

格差社会を憂いている人達が、社会の最も頂点に存在している皮肉。

普段給料が高いと批判をされている銀行でさえテレビ局には勝てない。

お茶づけ”の永谷園がこの中では最も一般社会の感覚として

納得できる企業。

こういったレベル人間が弱者の味方の振りをしたり

格差社会に怒る振りをして、スポンサーからお金をもらい、

そのスポンサー商品を我々が買う。

バカ高い広告料は販売コストとして商品価格に添加され、

それを消費者が支払い、デフレで賃金が押さえられている今でも、

テレビ局には大量のカネが流れ込む。

結局は「格差社会」という言葉事態が、

勝者で居続ける大手マスコミの商売道具であるという一面。

テレビ局なんていうのは、ほぼ独占ビジネスで、

彼らは競争相手が少なく勝ち組の代表。

郵政省からの天下りと談合に守られ、生涯が保障されている人たち。

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しかし、彼らを支援しているのは結局は我々で、

たとえば亀田兄弟。

亀田を持ち上げ、批判し、また持ち上げ

何をやっても思考回路停止のままついてきてくれる

視聴者の皆様のおかげでTV局員の高額報酬が

永遠に約束されております。

職員に代わりまして、わたくしが御礼申し上げます。

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格差社会」に限らず、テレビ、新聞の大企業マスコミ

何か言い出したらロクなことはない。

「地方の時代」と言う言葉が使われた時代があって、

そう言っている割には自分の会社は東京のど真ん中にあって、

地方の実態なんかにはこれっぽっちも興味のない連中が発信をしていた。

「女の時代」と言う言葉が使われた時代もあって、

そう言っている割にはマスコミ各社の役員に女はどれくらいいたのか。

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格差社会」は多分真実でしょう。

また、「格差」は仕方がないという言葉を、

今の時点で一応成功している企業の経営者なんかが

語っているのを見るとカチンとくるけれど、まあ真実の声でもある。

しかし、メディアが喜んで使うキーワード

いちいち振り回されるのもまた腹が立つ。

大手メディア学歴社会やコネ社会の

勝利者が集まる空っぽの洞窟。

彼らの持つ価値観は、大企業生きること以外

は敗北者という「勝者の視点」。

物凄く狭い価値観の中で、勝った負けたと騒いでいる状態。

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格差社会」というキーワードも、観測地点を変えればその通りだったり、

そうじゃなかったりするわけです。

例えば障害者に対する援助の打ち切りは格差の助長だと思うけれど、

都会に住む中産階級の子供が大学に行けるとか行けない、

というレベルの問題に関しては格差でもなんでもない。

そんなもん知るか。

メディアは一方では「格差社会」への不安を警告し、

一方では消費社会をひたすら煽る。

消費だけが幸福バロメーター

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格差社会」とか「閉塞感」という言葉が出てきた理由は、

人間味を殺ぎ落としてまでも効率よく収益を上げることが正しい経営、

という価値観に影響を受けた経営者が増えたからかもしれません。

メディアの振りまく「成功イデオロギー」だけしか選択肢が無くなった不幸。

これが格差社会の正体。

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フリーライターの宮島理さんのブログにあった記事。

―「弱者」というものが、常に「エリート」によって「発見」されるという、

これまた古典的な構図による。

 ネットカフェ難民ニート年金生活者、在日コリアン……というように、「エリート」同士の

政治闘争に利用できる、明白な「弱者」だけが「発見」されていく。

エリート」は「弱者」を利用して政治的なライバルを攻撃し、「エリート」内の階段をのぼる。

「弱者」のなかにも、それを見透かして、政治的な「利権」を手にする圧力団体

ようなものが出てくる。両者は共犯関係にある。―

http://miyajima.ne.jp/index.php?mode=res_view&no=56#nmjp57

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弱者の味方として商売を続けるエリートインテリ達は

彼らの将来を間接的に奪ってるんじゃないか。

「かわいそうなあなたたち」という視線は絶対に救いにはならない。

「自分は不幸だ」「悪いのは世の中だ」と彼らに煽られても

誰もチャンスも仕事も金も持って来てくれないぜ。

特にあいつらは。

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下流社会 第2章」の新聞広告コピーライティング。

□2005年9月の衆議院選挙で初めて自民党投票した。

石原慎太郎に心ひかれる自分がある。

オリンピックサッカーワールドカップでは心から日本を応援する。

□中国や韓国はいやだと思うことがある。

これらのコピーの上に「以上の項目が半分以上当てはまる人は下流的である“!」

と書かれていて、「格差社会」「下流社会」という言葉が、

ある種のバイアスのかかった人達の『商材』であることがなんとなく見えてしまう。

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問題は、以前ほど未来に対しての安心感

ないまま日々を送らないといけないこと。

もう一つは、一度企業社会のコースを外れてしまうと

落伍者として見られる価値観がいまだに残っていること。

フリーターや職歴の多さ、履歴書での空白を企業は嫌う。

なぜ嫌うかというと、そういう決まりだから。

なぜそういう決まりかというと、そういう決まりという決まりだから……………

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リトル・ミス・サンシャイン」という映画を今年見ました。

7歳のオリーブという少女美少女コンテスト

出場するために車でニューメキシコから

カリフォルニアに向かう旅を描いたストーリー。

アメリカ映画と言うとアクション、CGやパニック物で

エンターテイメント」としての役割を背負った作品が

圧倒的に多い。

そういったファンタジーものとは別に、

現実のつらさを描いたのがこの作品。

おもしろいのはこの映画に出てくるオリーブちゃんの父親は

金持ちになる方法を教える成功コンサルタント

人間には2種類しかいない。勝ち組と敗け組だ」が口癖。

しかし生徒は集まらず本人はビンボー。

2種類のうちでは敗け組の方。

成功コンサルタントの裏面を皮肉的に取り上げていて

この映画を見ると「ギクッ!」とする人も多いのでは?

「オレたちはみんな、敗者だ!」

映画の中で誰かが叫ぶ。

アメリカ人がみんな勝っているわけじゃない。

アメリカ人自身が「成功を追いかけ続ける敗者」で

あることをうすうす解っている。

アメリカ型成功には無数の敗者が存在することを知っている。

その成功をありがたがる「いいお客サン」である日本人

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アメリカ型を追いかけるのが難しい理由としては、

日本アメリカとのマーケットの大きさの違いがあると思います。

人口が日本の2.5倍の3億人という巨大なマーケット

抱えるのに加えて、英語圏全ての地球規模で

ビジネスの勝負ができる条件。

例えば映画ビジネスを取り上げると、作品が映画館で上映され

その後DVDキャラクターグッズが販売される。

このマーケットの大きさはアメリカ日本の5倍。

日本国内でビジネスがほぼ終わってしまう

日本との環境の差は無視できない。

もしあれだけ大きな市場があれば一発くらい狙ってみたくなるし、

多少のリスクは背負ってもいいかなと思う。

しかし、一発でかく儲ける戦略を取るには

日本ではリスクが大きすぎる。

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億万長者を生み出すベンチャービジネスからくりの一つを見てみると、

株式を上場して上場益の恩恵に浴するという戦略があります。

強引な売り込みを仕掛け、訴訟をいくつか抱えて裁判沙汰に

なってたとしても、株式上場で金が手に入れば

それでOKとする考え。

もちろんその戦略があたればバンバンザイだけれど、

上場できなければ会社は破綻。

メディアに出てくるこういった成功者達の極端な考え方が、

いつのまにか今の世の中基準になってしまった。

多くの人が抱えていることは、こんなことをしてまで

金儲けをしなきゃいけないのかよという感情。

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ビジネス成功者として華やかな世界の人達がよく取り上げられる。

しかし例えば、スナックの経営で儲けている人とか、

好きな仕事でそこそこ生きている人達なんかは

絶対にメディアでは取り上げられない。

彼らは「成功の法則」からは外れたところにいる透明人間

結局のところ、巷に言われている「成功」とはメディア

流通させるための包装紙に包まれた商品であって、

成功にも本当は色々あることは知っておいて損はない。

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成功するというのはすばらしいし、

誰もが「勝ち組」になりたいのは正直な気持ち。

しかし、「勝ち」とか「負け」とかはどっちでもいい

というベクトルも世の中には存在している。

勝つこともあれば、負けることもある。

勝ち組企業の社員になれば幸福なのか?

「勝利」を維持するためのノルマと無理な目標設定。

どんなに給料を貰っても、心を開く友人のいない職場や、

責任だけは日々大きくなるくせに何も決定権を

持たしてもらえない状態が幸福とはいえない。

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この先、我々はもう一つの成功者

生み出す必要があるんじゃないかと思います。

金とはさっぱり縁がない。だけれど成功者という存在を。

多分「格差社会」ということに関しては

我々が試されているんでしょう。

たった漢字四文字にうろたえて人生を振り回されてしまうのか、

冷静でいられるのか。

この世は金が全てか?

ノー。100%ノー。

「カネが全て」だけでは人の感情や行動にも

限界があるという事実

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格差と言う割には日本社会はかなり「のし上る自由」のある国で、

世襲制度がイギリスとかフランスよりも強くないという現実もあります。

エスタブリッシュメントは『永続性のある権力と威光の階層』を

意味するのですが、イギリスなんかは貴族社会ですから綿々と

この手の権威が継承されてきています。

しかし日本エスタブリッシュメントと言われる存在はほとんどなくて、

歴史的に見ても「下流の人間」がのし上れる社会でもあります。

豊臣秀吉は百姓出身、伊藤博文大久保利通

岩崎弥太郎は下級武士の出身。

本田宗一郎坂本竜馬も権威とは無縁の人達

ということは弱者が強者にだってなれるということ。

しかし「欧米的なもの」が進んでいて自由である、

という、でたらめばかりを言ってきた連中は、

この手のことには触れようとしない。

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別にカザフスタン型成功でもポルトガル型成功でも

カンボジア型成功でも好きなのを選べばいいのです。

ごく一部の人達が、人生ゲームでの

「あがり」を生み出す思想からの脱出を。

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アントニオ猪木の逸話の中で、こんなのがあります。

どうしても敵わない相手に押さえ込まれて、

全く体が動かない状態になった時、

小指の一本でも動かせないかともがいてみた、

という話。

とにかくもがいてみる。

すると小指の先から徐々に動かせるようになっていく。

そして小指が動くようになったら今度は手が動かせないか。

手の次は腕。

そして足、という風に少しずつでも抵抗をしていく。

うまく行かないときは絶望感に襲われてしまうけれど、

小指の先から暴れてみることを考える。

誰もが出来る小さなレジスタンス運動

結局「勝者」とはこういうことを少しでも考え、

実行できる人だと思う。

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冒頭に見てもらった年収を稼ぐ人達がつくる「社会の常識」が

いつのまにか社会を支配してしまいました。

彼らの生活基準がいつのまにかこの世の幸福になり、

そこから外れたら敗北者。

東京のごく狭い範囲で起こっていることが

日本社会の価値観として定着する。

しかし、絶望ばかりでもなくて今までよりも

時代が変わっているのも事実

例えばセレブ人達としてあこがれの的だったのは歯科医

親が金持ちで、格差の頂点にいる勝者。

絶対に負けない人達

ところがこんな事実がある。

現在コンビニが全国で4万店。

歯医者が7万店。

そして今は歯科医が開業をして初年度で25%が倒産

つまりスタートして四分の一は消えてなくなる。

今までの金持ち勝ち組が永遠ではないという証拠。

社会環境が完全に変わり、今までのやり方が通用しなくなったのも事実

これまでアウトサイダーだった「オタク」が巨大なマーケットを作り、

マンガアニメゲームが外貨を大量に獲得する。

今はかつての「負け組」が勝つ時代でもあるというのは本当でしょう。

つまり今年までの負け組来年には勝ち組にもなれるということ。

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今年の終わり。

この日記を読んでいる方は残りの数日間、

ふと一人になった時、こんなことを考えてみてはどうでしょう

自分にとって金より大事なことは何なのか。

これがこれから先のあなたを成功に導く。

金より大事なもの。

      自分の子供。

      レスポールギター

      古本屋でやっと見つけた本。

      仕事仲間とのクリスマスパーティ

      家族。

      ヒップホップダンス仲間。

      大枚をはたいて買った骨董品

      一人になる時間。

      いつも通う喫茶店の窓際の席。

      成功。

      愛車。

      ロックンロール

クリスマスのこの日。

世界中幸福を感じる人間がいて、

その何倍も不幸を感じる人間がいる。

元々クリスマスなんて家族と静かに過ごす日なのに、

いつのまにか孤独や不幸が通常よりも

増幅してしまう日になってしまった。

今、日本を覆っている「閉塞感」(マスコミだけで通用する

つまらない言葉)の正体は結構こんなことじゃないでしょうか?

他の突出した人間と比べて勝手に不幸を感じたり、

負け組」を探し出して、勝手に見下しているだけだったりする。

カネ以外のものに対する情熱を持っていれば、

この先の時代はあなたは有望。

今の時代の「成功」はまもなく消え去る。

時代は変わる。

「オレだって」「私だって」という野望が

結構受け入れられるのが、日本社会です。

そのためにはカネよりもまず「情熱」という

革命用の武器を手にする必要がある。

美しい人生を手に入れるために、心に情熱を!

そして、メリークリスマス

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      コーヒーブレイク

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Gladys Knight and the pips - Neither one of us

http://jp.youtube.com/watch?v=1p57xtVXEAM&feature=related

この曲はサンボーンバージョンが好きでよく聴いていました。

デヴィッド・サンボーンバージョンも好きだけれど

ボーカルものもやっぱいい。

ドラマチックな盛り上げ方に時代を感じるものの、

いまこれがやれたら結構かっこいい

安室奈美恵チャンも、アメリカブラックミュージック

トレンドばっかり追いかけないで、この路線で勝負すればいいのに。

Dean Martin, Gladys Knight & The Pips

http://jp.youtube.com/watch?v=3thV0XGJlEE&feature=related

グラディスが太った安室ちゃんだった頃の映像 

アメリカシャボン玉ホリデー

"Memphis Soul Stew" King Curtis & The Kingpins (Live)

http://jp.youtube.com/watch?v=6WHcWu-1iUg&feature=related

フィラデルフィアからメンフィスヘ移動。

ギターコーネル・デュプリー

ドラムバーナード・パーディ

ファンク系は司会までラップノリでグルーブしまくっているところが

超かっちょいい。

Jaco Pastorius- Soul Intro- The Chicken (Live 1982)

http://jp.youtube.com/watch?v=RJfiYdQcQtc

メンフィスからお次はニューヨーク

ソウルつながりでジャコ。

82年のオーレックスジャズフェス日本でのライブ

ドラムピーター・アースキンの髪の毛が健在な頃で

このバンド自体は当時のジャズ界ではかなり異端な扱いでした。

どっちかというとオーケストラロックバンド

やってしまった例。

Smile by David Sanborn

http://jp.youtube.com/watch?v=9wQKl2P7Ql0

最後は東京に戻って

さんまの番組でのデイヴィッド・サンボーン

Smile 」はポール・サイモンの曲(サンボーンのライブ盤での曲)

じゃない方のスマイル。(ナット・キング・コールが歌っていた。)

この映像は以前ユーチューブで削除されていたので、

もしかしたらもうなくなっているかも。

さんま。お前は判って聴いてんのか?)

それでは皆さん、よいクリスマスを。

2007-11-17

サプライズ・ド・アタック

 わたしが道を歩いていると、死神が現れた。

「しにば……死神だ!」

 しばし時が止まり、三秒ほどして動き出した。わたしはため息をついてこういった。

「かんだ。減点百七十二。マイナス七十二点で終わり」

「先輩、そんな殺生なっ。かんだだけじゃないですか」

 腕をばさばさして抗議する後輩死神に対し、わたしの声は冷淡だった。

「登場でレゾンテートルである所の名前をヘマる。これは緊張感の欠如に他ならない。そんなのでは最初っからなめられるのよ。というかむしろなめてるでしょ、わたしを。いちいちあんたの練習に付き合ってるわたしを。いやいややってるわたしを。よって大減点。マイナス。もう帰る」

「か、帰らんといてくださいー。本当に帰らんといてください。次は、次こそはー」

「次はない。どんな出会いも一度目が肝心なの。それを……」

「うわーん。すんませんすんません。あたしが悪かったです。だからもう一度今一度!」

 後輩死神は頭を地に伏してずりずりし始めた。流石にほんのり不憫に思えてきたので、許してやる事にした。

「一度だけよ。それ以上はなし。今度マイナスだと晩御飯おごってもらうわ。それも肉を」

「う……。わ、わかりました! 次こそ見せに見せつけますよ!」

 

 

 わたしが道を歩いていると、死神が現れた。

死神だ! お前の命もここまでだ。おとなしく魂を寄こせ!」、

「……へ?」

「いやと言おうが何をしようが、お前の命はもうここ……、ま、で?」

 時間が止まる。わたしは、死神、と名乗った黒ずくめを目の前に固まってしまった。

 し、死神

 マジで? そんなの、想像の産物じゃないの? というかこの人、おかしい人?

 わたしが逡巡している間、死神(?)はしまった、という顔で固まり続けていたが、じわりじわりと顔が横を向き、横を越えて後ろを向いて、そこで何故か半笑いになるや、こちららを向き、一つ頭を下げてから悲しさの含まれた笑いをして、

「な、なんちゃって!」

「はあ?」

なんちゃって!! どっきりでしたー! なんちゃってー! 死神? 何の事? というか言いましたっけそんな事? そう、言ってない。言ってないー」

 と、哀しいくらいにおどけた調子で喋り始めた。余りの痛々しさにわたしが何もフォローできずに呆けていると、その顔が更に死神(?)を傷つけたのか、

「言ってないーーーーーッッ!!」

 と、半ばやけっぱちで叫んで、高速バックダッシュで死神(?)は視界から消えていった。

 

 

 わたしが道を歩いていると、死神がバックダッシュしながら現れた。

「せ、先輩の馬鹿―! 馬鹿―! 馬鹿――ッッ!」

「いきなり罵倒。減点千飛んで十二。十回失敗に相当。落第」

「んな殺生なー! というかなんで違う人がいるんですか! なんで先輩じゃないんですかー! もうー! 馬鹿??!」

 バックダッシュのまま併走してくる後輩を、わたしは自慢の冷酷無比な眼差しで見つめた。効果はすぐに、後輩がバックダッシュをやめ、普通に歩き出すと言う形で表れた。

 とぼとぼ、という失意に満ちた足取りでわたしの横を歩く後輩。まだ小さく「先輩の馬鹿先輩の馬鹿」と呟いている。少しうるさいので、ここは黙らす事にした。

「黙りなさい。大体ね、こういう突発時の処置がいまいちだから、再研修を課せられるのよ。それなのに失敗したからって、わたしを馬鹿扱いはないんじゃない?」

「それは後ろで笑いをかみ殺してた人の言うことじゃないですよ! なんですかあれ! 初めてみた顔でしたよ!?」

 口角泡とばしてくってかかる後輩に、わたしは冷静に諭した。

「よかったわね、レアなもの見れて」

「こんな場面で見たくないですよ! それに落第って!? これ、いつから降格試験になってたんです!? その前の練習でしょ!?」

「こんな事で取り乱してたら、本番でも落第確実よ。まあ、試験官はここまで悪質なことはしないだろうけど」

「ならそんな事しないでくださいよ!?」

「さて、戯言はこれくらいにして。覚えてるわよね? 肉のこと」

「こ、これのためかっ……」

「分かってるんなら、さっさと着替えてきなさい」

 戦慄する後輩を尻目に、わたしは道を歩き続きけた。

http://neo.g.hatena.ne.jp/hanhans/20071130/p1

2007-11-10

漫画イラストサイトお話

ネットから商業デビューしたので、

「あなたのようになりたい」「あなたが目標です」みたいな羨望の眼差しに溢れたメールが届いたりする。

そんなメールを送ってくる人のサイトを覗いてみると、

下描きレベルイラストが数枚しかなかったり

描きかけの漫画しかなかったり

工事中のページばっかりだったり

そういう状態なのに更新停止状態だったりで

ダメだこりゃ。この人の夢は絶対叶わないな、とため息をつきながらブラウザを閉じる羽目になるのだ。

お目目をキラキラさせてるだけじゃ、夢は叶わないんだよ。

もしかしたらこの人は目を輝かせているだけじゃないかもしれないと思いながら見に行き、いつも裏切られている。

切ないなー。

2007-11-05

彼女が「宇宙人写真を撮った」と少し興奮した面持ちで携帯電話差し出したのは去年の11月のことだった。

普段から少し変わった、良く言えば個性的な言動が目立つ彼女差し出した携帯の待ち受け画面に佇んでいたのは妖しいミドリの瞳をもつ、野良猫だった。写真は全体的に暗く、フラッシュがいい角度で入っただろう目だけが爛々と輝いていた。ネコにとっては眩しかったろうなと少し同情して、携帯彼女に返す。

画面の中のネコと同じように目を輝かせた彼女がこちらを窺っている。まあ感想の一つでも言わなきゃいかんのだろう。僕は思わずにやつきながら、こういった。

「名前はエルバッキー、でしょ?アンドロメダ星雲からきたんだよね」

これで笑いの一つでも取れれば儲け物だけど、今度はなんだか、心底感心しきったようなそんな顔をしている。尊敬眼差しを受けるのは吝かではないけれど、ちょっとやばいなとそう思った。そこから彼女地球環境破壊宇宙人関係を堰を切ったように話し始めた。そのほとんどは矢追さんフォロワーの焼き直しにすぎなかったけど、唯一彼女オリジナリティーが発揮されているのは彼女自身がスペシャルでないことを自ら認識していることだった。

この一件以来、僕は彼女と距離を置くようになり、春になったあたりでどこか仕事関係引っ越したのだという話を、友達経由できいた。その後一度だけ僕宛のメールが届き、アンドロメダでの近況が綴られていた。まあ、メールアドレスdocomo.ne.jpで終わっていたけれど。アンドロメダ暖かいらしく、メールの文中に地元に似ているという表現が何度も、形を変えて入っていた。そういえば彼女実家は西の方だったっけ。とそんなことを思い出した。

2007-11-01

都産貿同人誌即売会騒動に際して

 同人誌に関心をある方なら10月中旬以降にこの話を聞かなかった人は少ないでしょう。要約しますと、「なんらかの理由」により都の会場運営側が特定の成人向け同人誌即売会の内容について問題を感じて、それ以降会場を提供するのを取り止めました。しかしその後、事の顛末が新聞で「都施設」「ポルノ漫画即売会」「過去6回開催」などという見出しで公表されてしまい、問題は一気に悪化。それまでは特定の同人誌即売会を廻る問題だったのですが、「ポルノ」等と言った表現が振りまわれた結果「不謹慎な都の公共設備の運用は不適当」というような考え方を匂わせるような基準で各種の成人向けイベントへの風当たりが一気に悪くなり、いくつかのイベント即売会主催者側の判断の元でサークル側に自粛を促がすかの如くの語調やイベント自体の形態を変化させたり、はたまた開催を取り止める例まで発生してしまいました。

 基本的にはどのイベントも「法令に準じた出版物以外を禁止」や「未成年者に対する配慮を気をつけて下さい」と予めに注意事項に書き記していましたが、「ポルノ」とかの単語が軽はずみに振り回せれた結果、特定のイベントに対して非常に厳しい眼差しが内外から向けられ、これが多大な影響を起こしたと言えるのではないでしょうか。

 法令に準じているかどうこうではなく、同人誌の中に社会悪と結び付けられる「ポルノ」があるというのが一人歩きしたが為にさらに状況は悪化したといえるのでしょう。事実その後に都の会場運営側も「成人向けの作品の販売自体を禁止するわけではないが、主催者側に法令順守の徹底を求めていく」と談話を新聞に載せているわけですから、同人誌の内容がどうこうというより「世論意識した反射神経的行動」が色々目立った事の顛末という印象がぬぐいきれません。

 主催者側も会場運営側もより多くの話し合いを進め、相互理解を深めることで必要以上に状況を悪化させないようにする必要があると思います。信頼関係がしっかりしていれば、外因性の迷惑や干渉が発生しても適時に冷静にそれに対応できるのではないでしょうか。一夜にしてこれが成り立つとは思っていませんし、このようなノウハウは簡単に取得できるものではないのも充分わかりますが、今回の事件の悲劇を繰り返させない為にも念頭に入れないと駄目ではないかと思います。

 * * *

 自分は20年近く同人誌を見てきているのですが、とにかく悲しかったのが、こういった隙間的イベントに作品の発表と交流の場を依存していたサークル活動へのひどい逆風となってしまったことです。

 大きな同人誌即売会でも様々な活動は可能ですし、ネットでの交流も現在のところ可能です。しかし隙間的イベントにはそれ自体に大きな魅力もあるのです。大きなイベントではやりとりが難しくなりますし、なによりもまったりとした交流はほぼ不可能です。物理的同じ場所にいることで成り立つ対話や新たな作品との偶発的な出会いネットでの交流とは異なります。どちらが良いという話ではなく、オンライン・オフライン、両方の交流が大事なのです。

 そもそもこう言った隙間的イベントにおける創作活動はその他の表現の発表の場ではどうにも目立ちにくく、埋もれがちになりやすい側面があります。同人誌委託販売書店において先鋭的な作品は取扱にくいこともある現状がありますから、小規模オンリーイベントには他では日の目を見ない作品の為に発表の場を提供すると言うはっきりとした意義があります。

 「少女に対する性行為や猟奇的な描写などを売り物にしたコミック」が販売されていると新聞で書き叩かれた件のイベントでも女性サークルさんも結構の数が参加していて、やおいとかショタとかの区分けとは別の個性的な女性らしい作品が見れる数少ない場所の一つでした。「過激すぎたから叩かれたのだ」と言うのは簡単ですが、その乱暴な思考の元で様々な貴重な芽が潰されていくのも事実だと私は信じて止みません。

 * * *

 しかし今回の一件を振り返って思うことの一つは現在同人誌に携わっている方々はどこまで「ニッチ(少数派・特殊趣向)である事の覚悟」の必要性を自覚しているのだろうかという事です。

 今回は美少女男性向け創作が槍玉に挙げられましたが、実際には「パロディ」も「やおい」も「同人誌と言う概念」自体もまだまだ世間一般では広く認知されているわけではなく、非寛容な意見の元で吊るし上げが行なわれないという可能性は否定できません。『電車男』やアキバ系という単語がマスコミの間でもてはやされる最中において、なかなか気付きにくいかもしれません。しかしマスコミを通して焦点を当てられている「萌え」の概念とその取扱については日本国内の中でかなりの隔たりがあるということです。要は明日は我が身にも、と言う可能性があると言う事です。

 しかし同時にもし自分たちの趣向が特殊でありことを認識し、それをより確実に守る姿勢を打ち出せれば、今回の事態もこれほど悪化しなかったのではないかと頭を傾げます。内容がどうこうではなく、その内容はどうすればより拒絶反応を避けられるような形態で守るのかを可能にする姿勢です。

 そもそも16年前、1991年2月25日新聞見出しに「大手含む書店摘発:わいせつ漫画の販売容疑」や「正規のルートに乗っていない本」と書き立てられ、日本の成年向け同人誌は非常に苛烈な冬の時代を味わった過去があります。その時にもはっきりした事は、規模が大きくなるにつれ少数の間で楽しんでいた物事がより厳密に公然と精査されるようになり、異なる基準が衝突する時、重大トラブルが発生しやすいという事ではないでしょうか。

 あの時の教訓や同人誌立ち位置を廻る議論が現在おざなりになっているのではないか、と感じて禁じ得ません。

 古来同人誌は私的領域の延長線上にあり、同じ趣向の人間同士でやりとりするのが基礎でした。だから「同人誌」だったのです。しかし同人誌書店の台頭とインターネットの登場によって私的領域と公的領域の交叉が激しくなり、棲み分けが以前のように機能しなくなったのではないでしょうか。そもそも現在において同人誌商業誌棲み分け概念意識の議論が希薄になっているのではないかと危惧します。これはこの両者間の問題だけではなく、同人誌創作者やそれに携わる方々の「覚悟」に影響することと思います。

 なぜその作品を同人誌で送り出すのか。何のために同人誌活動を続けるのか。これらはそれぞれ自分で答えを見つけなければいけないと思います。一番怖いことは周りの流れに身を任せるままに居るといつのまにか自分では対処できない状況になりかねないと言う事を意識する必要があると思います。

 * * *

 最後に自分にとってもっとも大事なことは、規制の対象だからといってそれを「悪」とは限らない事です。創作物を「害悪」と決め付けるのは人間です。人間主観によって成り立つ価値判断であり、絶対ではないのです。これから先、何があろうともそれだけは忘れずにいたいものです。

http://www.translativearts.com/log.html

2007-10-01

食人賞<http://neo.g.hatena.ne.jp/hachi_gzk/20070926

僕は西方諸侯領の出身だ。だからここに連れてこられたとしても今更どうということはない。彼らに供されるということは、とても名誉なことだ。僕は彼らの一部となり、彼らが大いなること成すその僅かな手伝いになるのだから。食するに値すると認められたのだから。父も母も、泣きそうになりながらも僕の名誉を喜んで、笑顔で僕を送り出してくれた。母は今頃泣いているかもしれないけれど、僕は笑顔で送り出してくれたことに感謝している。誰だって、記憶に残る愛しい人には笑っていて欲しいものだ。僕はきちんと笑顔で別れを告げることができたんだろうか。急に色んなことが起こりすぎて、記憶がうまく残っていない。

顔を上げると、茶色いふわふわした頭が上下に揺れるのが目に見えた。その動きに合わせて小さな嗚咽が聞こえる。ここに入ってから半日ほどの間、彼は途切れることなく泣き続けている。僕はいささか憂鬱な気持ちになりながら、その丸まった少年の小さな背中を眺めた。彼は僕よりも少し幼い感じだった。幼い上に東の辺境から連れてこられたから、彼にはこの名誉が理解できていないのだ。

僕は気鬱を吹き飛ばすように彼らを讃える詩を小さく唱えた。

泣いている少年を見ていると、まるでこれから彼らの糧となることがまるで嘆くべき悲劇のように思えてしまう。僕は自らの気弱さを諌めた。名誉を疑うなんて、それはしてはならないことだ。けれど少年の嗚咽は収まるどころかどこまでも続くようだった。広くて綺麗な部屋に彼の泣き声が絶えず響く。

彼が一際大きく鼻を鳴らした時、窓際に座っていた最も年長に見える少年が荒々しい動作で立ち上がった。

「いい加減泣くのを止めろよ、鬱陶しい」

彼は鋭い眼で小さくなった少年を睨んだ。嗚咽が止まる。彼はそのまま僕にもそのきつい眼差しを向けると、茶色い髪の少年に向けるよりももっと棘のある口調で、馬鹿らしい、と吐き捨てた。

「くだらねえ詩を読むのをやめろ。西の人間は頭がおかしいんじゃないか。あいつらを有難がるなんて」

「くだらないだと」僕は思わず立ち上がって同じように声を荒げた。「名誉を理解しない東の蛮族ごときが彼らを貶して許されると思うのか。何故君がこの名誉に預かれたのか、僕にはそれこそ理解できないな」

「名誉だと?本気で言ってるのか?」彼は僕につかつかと近寄ると僕を見下ろして言った。

「西の人間馬鹿ばっかりか。あいつらを有難がって、あいつらに食われるのを喜んで!」

「君にこの名誉が理解できないのは分った」僕は強いて冷静を装った。

「東の人間に理解できるわけがないんだ。あの汚い土地で犬のように暮らしている君たちにはね。四足には人間言葉を話せても意味は理解できな、」

最もありふれた東の人間への侮辱を僕が口にした瞬間、彼の髪が逆立つのが分った。僕の言葉は容易く彼の逆鱗に触れたらしい。鍛えられた腕が、全く反応できていない僕の顔に振り下ろされる。衝撃に、僕は後ろに倒れた。間髪入れずに彼は僕の上に飛び乗る。咄嗟に顔を庇うように僕が腕を上げた瞬間、鞭のような鋭い声が室内に響いた。

「やめろ!」

それは命令し慣れた声だった。僕は手を止めた少年を下から恐る恐る眺め、やがて声の主に視線を移した。美しい少女だった。色の薄い金髪を顎の下で切り揃え、僕らと同じ服装だというのにまるで豪華な衣装を身にまとっているかのような気品がある。彼女は冴え冴えとした眼を僕ら二人に向けた。

「神々の家畜を傷つけることは許されない。手を控えよ」

その言葉で、彼女が西方諸侯領、それも北の出であることが分った。かの地方には貴族制度が残っているというから、きっと彼女はどこか名のある家の令嬢なのだろう。僕は呆然としている少年押しやると、立ち上がって元の椅子よりも少し、彼女に近いところに腰を下ろした。彼は力なく床に腰を下ろして、先ほどまでの激昂が嘘のように項垂れている。

「……馬鹿馬鹿しい……泣いてるそこの坊やの方がよほど人間的だぜ」泣いているような、声だった。

「東の人間には理解できないだろうが、私は家畜であることを誇りに思っている。彼は言い過ぎたが、彼の誇りを損なうのはやめてくれ」

彼女の声に顔を上げると、彼は眉毛を下げたまま、悪かったな、とやけくそのように言った。僕は慌てて、僕も悪かった、と声を出した。

「すまない。言い過ぎだった」

「……まあ、理解し合えるわけがねえしな」彼は顔を上げて彼女と僕を交互に眺めた。

「しっかし、名誉か。これが名誉ね……俺はあのいとたかき方々に石を投げつけたおかげでその名誉の死を賜るわけか。ぞっとしねえ話だぜ」

「石?」僕は彼を思わず見やった。僕の目線の先で、彼が苦笑するように唇を歪める。

「そやって、言葉を喋る猿でも見るような顔をするのはやめてくれねえかな」

「いや、そんなつもりは……」慌てる僕に構わぬように、彼女が呆れたように口を開いた。

「東の人間が無謀だというのは聞いていたが、投石とはな。そなたらは我らのように、死を意味あるものにしようとは思わないのか」

「おもわねえな。少なくとも俺らの土地にはそう思うやつはいねえ。そう思うやつは西にいくからな。死を意味あるものにするといえば聞こえはいいが、実際は仲間の命で自分たちの生活を購ってるだけだろ。他人の命を代償にした恵みを受け入れて、自分の番が来ないことを祈るのか?……いや、あんたらには名誉なのか」

「例え名誉の死でも、死は死だ。怖くないわけではないがな。しかし私の死は無駄ではない」

「誤魔化しだろう」

「誤魔化しだろうと何だろうと、見返りはある。比べてそなたの死は?」

「まあ無駄だな。結局、あいつらに抵抗するたって甚振られてるだけなんだから。俺の死は無駄だし、何も購うことはねえ」彼はちょっと笑うと、僕と彼女を見た。

「けど死ってのは無駄なもんだろ」

「まあ、そうだね」僕は小さく同意して、言った。「扉が開くよ」

僕の視線の先で、重厚な扉が開こうとしている。先ほど彼がこじ開けようとして手も足も出なかったドアだ。完全に開くと、銀色の滑らかな肌をした彼らが入ってくる。不敬だけど鳥と蜥蜴を混ぜたような姿を彼らはしている。彼女がかるく息を呑むのが分った。

彼らは彼女の神で、僕の尊い存在で、彼の憎むべき敵で、おそらく茶色い頭の少年の恐れる何かなのだ。

甲高い声がひとつ聞こえ、彼らの一人が僕らに近寄ると、美しい光沢の刃を取り出した。剣というよりももっと別の何かに見えるもの。僕はゆっくりと彼らに祈った。彼らを目の前にしながら、彼らに祈った。僕の住む町の平穏を。彼らが僕の大切な人々を、冬の寒さや日照、狼や熊、病から守り、保護してくれることを。僕が彼らの糧となり、彼らが僕らを守ることを。

名誉の死でも死は怖い。その通りだ。僕は母さんと父さんに笑顔で別れを告げることができなかった。でも願うことならば、母さんと父さんの記憶には、笑顔の僕が残っていればいい。

ただ、そう願う。

振り上げられた刃が最も扉に近い位置にいた茶色い少年の首の後ろにつき立てられる。次は彼。そして僕。

剣ではない、これは、そうだ、母さんがいつも使っていた大降りの包丁に似ている。

2007-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20070925131351

浜口京子萌え

>あれで父親さえいなければ。

 

ナニ言ってんの!

あの、父親を向いて「この人困ったなー」と迷惑そうにしている眼差しが、京子ちゃんの最大萌えポイントじゃん!

2007-09-19

底辺のプログラマの話

ちょいと前にちっちゃなSIerプログラマが入社しました。

その会社はあまり技術力が無かったので、2年も過ぎた頃にはプログラマは周りからエースと目されるようになってました。

会社で一番偉い人からも信頼を勝ち取ったプログラマは、次のプロジェクト責任者に任命されることになりました。

大きい仕事を任され、喜びもあったのですが、不安なこともありました。

一つは開発環境を一新して、新しい言語で開発することが決定してることでした。

その新しい言語での開発実績が無かったのです。

もう一つは、今までプログラマの上にいた人が、今度は下につくということでした。

しかも残念なことに、上にいた人の技術力が嘆かわしいレベルなのです。

プログラマは困りました。

自分ひとりなら納期内に満足のいく品質で仕上げられる。

しかし、それだと社内にノウハウが蓄積しない上、中途半端に人材を遊ばせることになってしまう。

悩んだ末、プログラマは現状を偉い人に報告しました。

偉い人は元々プログラマをやっていたので、きっとわかってくれるだろうと期待を込めて・・・

しかし世の中そんなに上手い事転ぶはずも無く、偉い人はプログラマの話を聞き入れてくれませんでした。

「開発環境が変わろうと、どうということはないじゃないか」というのが偉い人の言い分でした。

しかしプログラマは、その新しい環境でやっている別のプロジェクトが危機に瀕している状況を耳にしていました。

現状は開発環境の変化に対応出来ていないのです。

それを根拠に現状認識を改めてもらおうと試みましたが、驚くことに偉い人は、そのプロジェクトの進捗は順調と言い張るのでした。

ヘルプ要員を2人も追加投入しているプロジェクトが順調であるはずがありません。

それを知っているプログラマは、現在技術力では、新しい言語を使ったシステムを高品質で提供するのは困難であると再三主張しますが、一切取り合ってくれません。

どうやらプログラマと偉い人で、品質意識にズレがあるようです。

噛み合わない会話にすっかり消耗したプログラマは、説得を諦め引き下がりました。

次の日、デスマーチの旋律を阻止する策を練っていたプログラマは、偉い人に呼び出されました。

何事かと慌てて偉い人のところに行くと、「君は周りの人間を見下してないか?」と詰問されました。

技術力不足であると指摘した点が不快だったのか、不信の眼差しでロープ際まで一気に追い込まれるプログラマ

そんなことは一切ありませんと必死で抗弁すると、表面上は納得した様子の偉い人。

プログラマ会社の現状と顧客への責任、そしてシステム品質を考えた末に発言しましたが、結果的には偉い人の不興と不信を獲得してしまいましたとさ。

2007-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20070815182309

男はどう逆立ちしたって妊娠中絶もできやしない → 精子様は誰が提供するんだよ?

やや真面目な男が、主体的な性生活を謳歌している女性に対して羨望の眼差しを向けている → 羨望じゃねーし。「種巻きが性の男のまねしてバカな尻軽女」と思ってるだけ

それで主体的な性生活を謳歌している女性を非難するのはナンセンスだと思うけどね。 → 羨望じゃねーから、ナンセンスでもない。尻軽女を尻軽女といって何が悪いんじゃボケ

淫乱な女って好きだなー」という男と「淫乱な女は嫌いだ」という男がいれば、後者に対して不快感を感じていた。

女は複数の男に身体を開いても、自らの身体で最終的な責任をとることになる。

責任をとれる者が責任を持って主体的に行っている行動に対して、責任をとれない者が非難がましいことを言う姿が理不尽に見えていた。(男はどう逆立ちしたって妊娠中絶もできやしない)

しかし最近は、そういう自分の立場を自覚して、自分が節操のない性生活を送りたくても責任を取りえないので立場的に送ることができないと考えるやや真面目な男が、主体的な性生活を謳歌している女性に対して羨望の眼差しを向けているのかもしれないと考えるようになり、どちらかというと哀れみを感じるようになった。

いや、でもだからといってそれで主体的な性生活を謳歌している女性を非難するのはナンセンスだと思うけどね。

2007-07-22

思い浮かんだこと

定義1:非モテとは、他者からの肯定を殆ど得たことのない存在である。

定義2:非モテとは、他者からの肯定を求める存在である。

(反論あるかもだけど、この記事内のみの定義と見て下さい)

定義1から、非モテが無精であることが結論される。彼らは肯定されたことがないために、自己を演出することのメリット見出し得ずに育ってしまった。或いは見出し得なかったからこそ肯定されなかった。いずれにせよ肯定されることのない非モテにとっては演出は重荷と見えるであろう。彼らはそれを、自らには背負うことの出来ぬ重荷として、疲れた眼差しで呆然と見つめることしか出来ぬであろう。

定義2から、非モテが無精であり続けることが結論される。演出による肯定は可能であるかもしれないが、それでは彼らには意味がない。騙して肯定され、正体を見せたら否定されるなどということは、彼らにはきっと耐えられない。故に彼らはありのまま、無精であり続けるだろう。彼らはそれによってありのままの自己を受け入れる他者を、殆ど絶望しているとはいえ心の奥底では求めてもいるのであるが、しかし一般的に、人は演出に魅了され、魅了されたが故に素顔を肯定する。演出無き者は魅了せぬ故に、肯定もされ得ない。

2007-03-20

yuki_19762被差別陰謀論

はてブ界隈を「差別イクナイ」発言が賑わしているわけですが、私の目にはあれはyuki_19762の陰謀だとしか思えません。

yuki_19762は「社会弱者たる売春婦」という立ち位置を利用し、自らが撒いた餌にひっかかった可哀想な主婦を嬲り者にし「差別イクナイ!私は被害者!」と言いまくっているようにしか見えない。

それというのもyuki_19762が売春婦だったからではなく、yuki_19762がyuki_19762だからである。

売春をやってる人間にだって友情を結べる人間も信頼出来る人間も幾らでもいる。

yuki_19762は売春をやっていようといなかろうと信頼出来る発言の出来る人間だとは思えない。

yuki_19762が発した瞬間にどんな正論も綺麗事にしか見えない。


事の発端は薄っぺらな記事でしかなかった

事の発端は、私が書くまでもなく"被害者"のyuki_19762が以下のように述べている。

まず上の「USJの思い出」というエントリブックマークが発端だ。『2007年03月09日 arisia 空いた時間をそれ程好きでもない相手とデート代を払ってもらってする面倒なセックス売春のようだと元風俗嬢が言うのは興味深い。好きな相手と金銭が介在しない気がのらない身体貸します的なセックスも相似形?』このコメントに対してわたしが『2007年03月09日 yuki_19762 yuki 同じじゃない?つうか何が興味深いのかわかんね。なにその「興味深い」って上から目線は。おれに言わせれば売春婦じゃない女なんてこの世にいるの?って感じだし。おまえも所詮メスブタ』と、こう返したのが始まりである。

念のためにWEB魚拓も残しておく。

http://megalodon.jp/?url=http://yuki19762.seesaa.net/article/35637000.html&date=20070320064010

yuki_19762という人間はしょっちゅう自分の文章を改変したり削除したりする事でも有名だからだ。

その癖、他人の書き込みに対しては陰湿な程に過去の記事や態度に言及してくるという素敵な態度を見せてくれる。

今回も「何度もブックマークコメントを変更」するなどの悪癖が随所に見られる。


で。事の発端たる『USJの思い出』なんだが、記事の内容自体はyuki_19762が売春婦だったという過去およびそれに纏わるエピソードの部分を取り除いたら「好きでもなんでも無い男と行ったUSJより、妹と行ったUSJのほうが面白かった」というチラシの裏にでも書いておけ、としか言いようのないペラエントリでしかない。

この記事に特筆すべき点があるとすればUSJに行った相手が好きでもなんでも無い男が風俗店の店長であり、yuki_19762自身が売春婦であったという過去が書かれている点でしかないだろう。

そういった部分は本来的には書く必要が無い、というか書かなくてもあのエントリ成立するくらいの事は頭が「おまえら」より良くてフリーライターをしていると自称するyuki_19762になら十二分に理解している筈であるにも拘わらず、敢えて入れ込んだ。

本来入れる必要のない自分の過去を入れたのには何らかの意図があったと思えてならない。


yuki_19762が仕掛ける狡猾なる罠

引用するのも面倒いんだがyuki_19762は「自分が含まれてたら見下してるわけじゃないじゃん。自分と同じだと言ってるんだから。差別じゃないでしょ。」という意識でモノを言っている。((http://yuki19762.seesaa.net/article/36273452.htmlコメント欄))

つまり自分がそのカテゴリに含まれていれば差別的な発言をしても良いと明言しているように受け止められる。つまりyuki_19762が「売春婦そのもの」と発言するのは良くても、コメントを書く人がyuki_19762の書いた文章に対して売春婦であったからこそ体験出来たエピソードに興味関心を示した「だけ」で差別だ!となってしまう。


今回の一連の揉め事の発端はarisiaが『空いた時間をそれ程好きでもない相手とデート代を払ってもらってする面倒なセックス売春のようだと元風俗嬢が言うのは興味深い。好きな相手と金銭が介在しない気がのらない身体貸します的なセックスも相似形?』とブックマークコメント感想を寄せた事に起因するわけだが、arisiaでなくとも以下の一文には興味を示しはしないだろうか。

まず食事の際、あれもこれもと注文して結局食べ切れず、持て余した分をしつこく勧めてくるのが嫌だった。泊まりがけだから当然セックスを求められたが、それもものすごくめんどうくさかった。というか、自分から誘って好奇心でやった最初の一回以外は、彼とのセックスは全部めんどうくさかった。お金を貰ってやるセックスと同じだった。苦痛だった。それでもそれをしていたのは、未練たらたらの男と連絡を断っているせいで、空いてしまった巨大な時間の穴を埋めるため。それから彼がわたしとつきあううえで、負担している金銭の代償のつもりだった。どっちみち売春みたいなものだった。みたいなものどころか売春そのものだった。

好きな相手と金銭が介在しない気がのらない身体貸します的なセックスが相似形なのかどうかは知らないが、yuki_19762が売春婦であったという過去を打ち明けながら「売春そのもの」と書く事が興味深くないわけがないだろう。

yuki_19762は自らの手によって自分の職業過去およびその職業を通して体験した事を書いただけの筈だ。体験していない人間にとって興味深いのはその職業がキャビンアテンダントだろうと着ぐるみ中の人だろうと売春婦だろうと同一である筈なのに売春婦であるという「だけ」でことさらに差別的であるというのはyuki_19762自身が売春婦という職業に対して差別的な眼差しを所有しているからではないだろうか。

これに関しては

わたしは売春婦への侮蔑についてもちろんその地位の低さから差別だと主張したんですよ。それは言うまでもないことだと思ってた。地位の高低は重要

http://b.hatena.ne.jp/yuki_19762/20070319#bookmark-4250176

魚拓http://megalodon.jp/?url=http://b.hatena.ne.jp/yuki_19762/20070319%23bookmark-4250176&date=20070320071851

というブックマークコメントからもyuki_19762の売春婦に対する考え方が推し量れる。

yuki_19762程の頭の良さをもってすれば当然のようにUSJの事を書く前から売春婦に対する地位の低さに対しての意識は存在する筈であって、売春婦ではない「おまえら」が興味関心を示した瞬間にアウト-差別-という罠を仕掛けたとしか言いようがない。

yuki_19762自身の中にこそ「売春婦は地位が低い」という意識が存在するから「差別である」と感じ取った、もしくは誰かが売春婦であったというエピソード部分に興味を示す事によって自らを地位の低い、差別された人間としての立ち位置を確保しようとしたのではないか、とすら思える。


はっきり言おう。この文章はyuki_19762が売春婦という体験をしていなければ書けなかった文章である。売春婦でない人間が「売春のようだ」と書いたなら、それこそyuki_19762の手によって「差別的表現!」と断罪されるべき文章であり、yuki_19762は過去売春婦であったという免罪符をもってしてかろうじてこの文章を掲載する事を自分自身に許しているに過ぎない。


私の目にはyuki_19762は「売春婦の事に言及したり感想を書いたり興味関心を持って良いのは売春を経験した人だけ!それ以外の人が言及したり感想を書いたり興味関心を持ったら差別ですからね!」と言っているように読めてしまうわけだ。しかしながら冒頭にも書いたようにyuki_19762が売春婦であったが為に体験し感じ取った部分を取り除いてしまえば糞つまらない駄文でしかないわけで、yuki_19762が売春婦であったという過去に興味関心を示す人間がいるであろう事はプロのモノカキたるyuki_19762であれば十分に事前に予測が出来た筈である。にもかかわらずyuki_19762は自分が売春婦であったというエピソードを織り交ぜにしてエントリを書いた。それは何故か。


私がyuki_19762の一連の行動を陰謀であり狡猾なる罠だと思うもう一つの理由は『差別心と差別行為』にある。((魚拓http://megalodon.jp/?url=http://yuki19762.seesaa.net/article/35891252.html&date=20070320072859))

私が一連の揉め事を知った一番最初の記事はこれであり、"界隈"が賑わったのもこのエントリがきっかけであったと記憶する。これ以前はyuki_19762とarisiaの揉め事であったのが、此処に来て一気に「差別イクナイ」という正論にすり替わり、それに呼応するように尻馬野郎どもが正義の味方な糞つまらんエントリを立てた記念碑的エントリと言っても過言ではない。

これ以降yuki_19762の言説に登場するのは

私は、売春婦を心の底から軽蔑している。差別している。見下している。お金を取って身体を売る女と一般人を一緒にするなとも思っている。

に対して傷付けられた可哀想な売春婦という立ち位置である。USJの話は何処に行ったんだ。


私はUSJからarisiaが強烈な差別発言を掲載する迄の間にあったであろう-というのもその幾つかはyuki_19762の手によって改変されているので確認する事が出来ない-様々なやりとりこそが今回の問題を解き明かす重要な手がかりであると考えているのだが、yuki_19762自身がそこに言及する気配は見られない。

私の目には例によって例の如くの人格攻撃罵倒語オンパレードで"罠に嵌った"主婦をなぶり者にし、キレた主婦から差別表現を書かせるように仕向けたように見えてならない。どんな事があっても差別表現はしてはならないという一点のみに集中していえばそのとおりなのだが、yuki_19762が過去にしてきた様々な行状を知っている身としてはarisiaだけを一方的に責める事がしにくい。

というよりyuki_19762が仕掛けた罠にしか見えない。


補足

念の為に言っておくけど釣りだから。

「そう見える」ってだけの事で事実は違う可能性だってあるから。

私はyuki_19762の事が心底嫌いで仕方がないが差別的な表現は可能な限り行うべきではないというyuki_19762の主張自体には同意する。

でも、それが伝わらにくい、というか伝わらない。

フリーでモノカキやってるんだったら、もっと「伝える」事に腐心した文章を書こうよ。マジで勿体ないからさ。


yuki_19762の発言は所謂罵倒語が多く、読みにくいというかより読み手を嫌な気分にさせる事が多い。

頭は良いようだし文章のキレだって悪いほうじゃないんだから所謂罵倒語を使うのやめるべき。

道徳や倫理や社会秩序を重んじるのならば、本来なにより憎むべきは差別ではないのか』というエントリを書いているけれど正直いって「あんたに言われたくない」でしかない。あれだけの罵倒語を遣い、散々人を馬鹿にし、中傷し、なぶり者にしてきたyuki_19762が何を言っても綺麗事にしか聞こえないという構造がある事に気付いたほうが良い。


「わたしは自分が差別発言をしない、とかしたことがないとか一度も言ってないですよ。わたしもしますよ。うかつに無意識にしてることも多々あります。でもそれは忌むべきものだし、差別はいくない。しないようにしなければならない」と言っているようにyuki_19762自身が差別を意識無意識的にしてしまっていて、その上で「差別イクナイ」と書いている事もコメント欄ではなく明確な形エントリとして起こすべき。

2007-03-12

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/arisia/20070312

yuki_19762 断絶 悪いけどそういうあなたに私の母はそっくりなんだってば。そして私は母親のそのある種の人間を見下し差別軽蔑する眼差しとそれを隠しもしない恥知らずな魂を心底憎んでいる。

2007-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20070217220031

もう一つ、話題とするものに周囲からの圧力がないのかどうかを見るといいんじゃなかろか。

例えば・・・

あまり関心を持っていなかったものが突然ブームになっていて、「これいいよ」「あれいいよ」と勧められる。当然最初は聞き流しているけれど、あまりにも多いと、「で、あんたらの勧めるそれが何の徳をもたらすのさ」と問いたくなる。さらに周囲からの圧力が高くなってくると、段々不安になってきて、「自分はちょっとおかしいんじゃないだろうか」「あれに関心を持たなくちゃいけない」と感じてくる。それで、次第に「『あれ』は実はとってもいいものなんじゃないだろうか」「『あれ』を今まで無視していた自分は間違っていた」と思うようになる。「あれ」に対する期待はいや増す。「あれ」は至上の目的だと感じる。それで、たいてい、ことは非常に大きな影響をもたらすから、まずは観察から始める。すぐにでも観察を放棄して行動に移りたいと感じるけれど、不安も大きくて、期待に満ちた眼差しを「あれ」に向ける。

けれど、「あれ」に対する理想と、観察できる実際の「あれ」とが全然違うんじゃないかと、そのうち感じるようになってくる。それはまるで、一人っ子オタクが妹持ちを羨望するけれども、妹持ちのオタクがむしろ嫌悪感情を示すように、それはまるで、写真で気に入って通販で買った商品が、手元で見ると実にショボいモノだったときのように、理想と現実とが全く異なっていて、一種の落胆さえ感じる。それで、「目を覚ませ、お前らは騙されている」と喧伝し出す。或いは、「自分が騙されずに済んで良かった」と安堵する。しかし、周囲からの圧力は変わらない。再び不安が首をもたげる。「自分の観察は間違っていたんじゃないだろうか」「真の魅力はそこには無いんじゃないか」と。しかし観察の結果は厳密に「不要」だった。なにかがおかしい。だから焦燥に駆られて問う、「何のメリットがあるのか?」と。もちろん行動したい。行動してさっさと不安を解消してしまいたいのだ。けれど、発見されたデメリットを超えるメリットが見つからない。だから行動さえ出来ない。だから余計に焦燥に駆られる。「教えて欲しい、何のメリットがあるのか。無いのなら自分は正しかった。この焦燥は解消できる。見逃していたもの凄いメリットがあるのなら、状況が絶望的でも行動しなければならない。少しでも早く、0.001%でも成功可能性の高いうちに教えて欲しい」そう願う。けれど、相手が示すメリットは、観察で得た結果の域を出るものじゃない。だから余計に焦る。

結局のところ、個人によってはデメリットの方がメリットよりも大きくなるということは普通にある。いくら周囲が稼いでいようが、麻雀知らずに賭け麻雀をやる馬鹿はいない。麻雀を知らないなら、「やらない」という選択は正当で、責める余地は何処にもないし、むしろそうあるべきだ。けれど、もしも知っていて、相当の確率で勝利できるのならと仮定すれば、やりたかったと感じることは不当ではないし、むしろそうあるべきかもしれない。当然知らないのだから、やるべきではないと結論する。それは自分には不幸しか招かない。けれど、麻雀を知っている奴らは決まって言うのだ、「お前もやれ」と。だから、勘違いをして破滅を招きそうな自分の立場を守るためには、あくまで自分の立場での「メリットは何処にあるか」を問うしかない。正当化と言われようとも、提供されない足場は自分で作るしかない。

そっとして関わらないのが吉っていうのは同意だけれども。

2007-01-29

しっかり受け止めています。

文中にもあるように私が不快感を表明しなければ、つまり「オトナでいれば」問題は何も起きなかったばかりか、km37さんがくだんのイラスト削除したり、私に非難の眼差しが向けられる事も無かっただろうと今では思っているけれど、不快発言をする前に現在の状況を予見する必要もあったのではないか、とも思っています。

私は私のした事をしっかりと受け止めています。この件についてどんな批判も受ける覚悟でいます。

それだけの事をしたのだと。

2007-01-20

羨望

http://anond.hatelabo.jp/20070119230616 (と、其れに対する反応)を拝見して羨ましくなった。

素直に、羨ましい、と思う。

きっとこの方は、増田でこのようなエントリを上げていらっしゃるけれど、現実でも上手く寂しさを消失させる手腕に長けているのだろう、と想像した。そうでなければそこまでの流れを踏まえた上であの文章でこの内容は書けないだろう。そう考えた故の想像だ。

私には無理だ。

「さびしい。メール電話をしてくれる異性の相手が欲しい」と考えているのは同じだが、其れを上手に表に出して、結果を出す方法が判らない。

現実でも電気の網の上でも、全くそういうスキルのない私は、ただただ羨望の眼差しモニタを見つめ、二匹目の泥鰌豆腐に滑り込ませる様をイメージしているだけだ。

「さびしい。メール電話をしてくれる異性の相手が欲しい。」

嗚呼やはり、どう書いても二匹目だ。先に作った泥鰌豆腐を泣きながら食べる自分を想像し、涙しながら眠ることにする。

一応書いておくが泥鰌豆腐現実には作られないのだとか。

追記:

丑三つ時のエントリだったというのに反応をいただいた。涙が出るほど嬉しく思った。ありがとう

http://anond.hatelabo.jp/20070120014619

とりあえず性別書いてみろYO。

当ててみろYO、と返すべきなのだろうか、と考えてしまう。もちろん素直に「男」「女」「その他」等正答にて返すのが筋なのだろうが、増田で素直に、というのも何だか面白味に欠ける…と捻れた思考が巡るから寂しい毎日なのだろう。

個人的には「文面で判ると思ったYO!」、なのだが…。

http://anond.hatelabo.jp/20070120014842

でも俺はあんたみたいな人の方が好きだよ

ありがとう。人から好きだと言われることなど久しく無かった、嬉しかった。貴方みたいな人がもっと現実に沢山居れば好いのに。

http://anond.hatelabo.jp/20070120014520

いいじゃないっすか、それもまた生き方

とりあえず、そういう気持ちを書いてみたらちょっと反応あったでしょ?少しはさびしさ紛れませんか。

いっしょに想像上の泥鰌豆腐でもつついてましょうよ。

確かに紛れた、仰るとおりである。ありがとう

「いいじゃないっすか」については微妙なのだが(良しとしているのなら相手募集などとは書かないだろう)、拗らせた出会い願望を抱えたまま生きて行く人生もありなのか、と一考するきっかけをいただけたのは有り難く思う。

泥鰌養殖物でお願いしたい。天然物は高い上余程上手く処理しないとすぐ泥臭くなり、とても食べられない故。

そういえば書かなかったが、泥鰌豆腐地獄鍋とも称する。出会い欲求を拗らせ悩みに苦しむ地獄でつつく鍋としては出来過ぎの呼称。この日記に反応してくださった優しい貴方がたに食べさせたい類の料理ではない。泥鰌に拘るならせめて柳川にした方が良いかも知れない。

2006-12-10

とあるはてな貴族の密談

http://anond.hatelabo.jp/20061207210127

娼婦A「雨上がりの晴天は心地良いですわね。空中の埃という埃が洗い流されて。」

娼婦B「そうですね。冬の散歩って、なかなかに気持ちいいですわ。」

紳士C「精神的安定をもたらす太陽の光…、最近になってネットリアルの障壁が無存在になったというか、ネットリアルという双方の世界を仮に認めるとしても、その差異が狭まったというか…」

娼婦B「確実に梅田さんの業績はそのネット社会の肯定ではあったわけですけれども、ネットリアルも主体は人間という知性であるわけでして、何が本質的に違うのか、もう少し吟味してみる必要がありますわ。」

娼婦A「そろそろ情報思想家といいますか、情報哲学者といいますか、情報に対して真摯な眼差しを向ける人材が、必要になるのかしら?」

紳士C「確かあのパーカッショニストは、『そういった哲学的語りが実社会生きるのに足るような経済活動に結びつくような、そんな着地点があるのなら、私はそれを目指したい。』と、即興後に語ってたな。彼は、『情報』に対して、かなりの審美眼を持っているように見える。彼の名前、思い出したか?」

娼婦B「えっと、その、教養人、という意味アイデンティティでしたわ。」

娼婦A「今時、教養なんて、ますます面白い方ですわね。またお呼びして、即興をお聞かせ願いたいわね。」

土曜日本番な、噂のパーカッショニスト。だが副業の休暇が取れず、てんやわんや、とも伝えられる。

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