はてなキーワード: 冬厨とは
年末年始短期バイトの応募の電話は、仕事納めを直前に控えているであろう相手の、電話の前で生あくびしているようなぬるさの感じられる、「応募者多数で締め切らせてもらいました」というあっけない温度の低いもので、あえなく私の駆け込み熱は切り取られる……「応募者多数……」の前にせめて「申し訳ございません」でもあれば慰撫されるものがあったのかどうか、私に渡されることのなかった感情労働は家族と恋人に向けられるのだろうか、さして関心がなく……まったくこのふつふつとしたこれでは年を越せないという焦燥と、年末の振り返りモードに入るブログ主の一個一個の出来事の見事な忘却具合への苛立ちが混じりあっているのかどうなのか、直線の形をした記述による忘却、グラフを眺めて悦に入るものにはツリー状の、ツリーの先で腐乱していく出来事が見えてもいないし、それだけを大事に取って置くという方法しかとれないものに対する配慮はまったくなく、果実をもぎ取って行くだけ、「私には確かな収穫があるのです!」おめでとうおめでとうでっていう……祝祭に背を向けるしか方途のない仲間さえいてくれれば、家々から出た暖気に暖められた通りの空気を蹴散らすことも可能であるのに、やはりここは寒く、「どうしようもない」という現実原則の最終項が降りてくる。リア充がくる、リア充が来る、たわいもない雑談の中にリアルを持ち込みながら、リアルである強さを纏わせて、リア充が来る、冬厨が来る。年齢関係なく、話すことそれ自体が説教としかいいようのないリア充が、冬厨が、ネット空間に溢れ出し、「ここを作ったのは俺だ!」と言い始める。そう、世界はあなたのものであるかのような風采を呈している、とあなたには映っているのかもしれず、眼差し自身を脱臼する作法はいったいどこにあるのだろうかとわれわれ(!)は模索しはじめる。次に粉砕すべきは正月ではないのか、いやしかしわれわれにはコタツと甘酸っぱい蜜柑を自ら手放すなどということはできない、いやわれわれはコタツも甘酸っぱい蜜柑もはじめからないのではなかったか、ここにあるのは何だ、大掃除できない鬱陶しさの塊としての事物か、われわれはいったい……せめてわれわれという全人称が、空疎で破廉恥なアジテーションが市民や国民や俺や僕や私の癒着をさらに溶かしますように。退屈な幼女を探している。分厚いコートを纏い呆けた振りをする肌でなく、寒さそれ自身としての肌を、退屈な幼女を(ry