はてなキーワード: 疑似科学とは
http://anond.hatelabo.jp/20090123231723
>今回の件は日本のガン治療の遅れが疑似科学のつけいる隙を生んでるところが本質的な問題ではないのだろうか
ごく普通の人が受ける医療のレベルでいうと、日本の癌治療は別に遅れていないよ。むろん、もっと良い治療を受けたいという患者さんの希望は自然なものだが、さも「日本の癌治療は遅れている」かのように宣伝するのは、代替医療を売り込みたい業者の意図にはまっている。
http://anond.hatelabo.jp/20090122230347
科学と疑似科学の信憑性についてはここでは議論しないが、「放送が科学をスルーして疑似科学を取り上げる」理由は、視聴者がアホになればなるほどテレビ局(ひいては広告会社)が儲かるからだ。
言うまでもなく、テレビ局の収入源はCM料であるため、テレビ局は視聴率が上がり、広告効果が高くなることが収益に繋がる。それがなぜ前述の理由に繋がるかというと、端的に言って、
だからである。
また、放送で科学など確実性の高いものでなく、例えば「気」「奇跡」「感情」などと曖昧なものを前面に押し出すのは、それらがあたかも十分な確実性を持つものと錯覚させることで、これまた定量的な評価のしにくい商品のCMを効果的にするためである。そしてそれを古館のような一見インテリな芸能人が薦めることで、より視聴者に信憑性を持たせるという効果を狙っている。
こういうのに騙されない賢い人は、テレビ局から見れば全く金にならない人種なので、放っておいてテレビ放送から離れて行っても構わない。逆に、こういう疑似科学などを見て影響される人はいい収入源なので大事にしたい。
http://anond.hatelabo.jp/20090122133244
ここまで低脳を晒して、tittonは一体何が楽しいのだろうか。
tittonの中では『正しい自分がこれだけ批判されるのだから自分が絶対に正しい』という確信が膨らんでいるのだろうと想像はつくが。
>何故ならそれは科学者の態度ではないから。何故ならそれは科学者の態度ではないから。
titton『疑似科学を社会的に有害なものとして排除すべきだという主張は「科学の問題」ではない。「社会的な問題」であり、科学者の態度に束縛されない。宗教が「宗教者の態度」に基づいて科学を排除しようとしたのが中世だよね。一方が他方を社会から排除しようとするならば、一方の価値観内で正当性を主張するだけではダメだということ。』
上記のtittonの反論(?)が対象としている文:
『今までの経験から2をやる人間は大体無知である可能性が高いよなあという話はすれども、2の段階で相手を切り捨てるニセ科学批判者は今後も出てこないだろう。何故ならそれは科学者の態度ではないから』
対応が分かりやすいように「A:ニセ科学」、「B=科学者(ニセ科学批判者)」、「C=ニセ科学批判批判者」とした場合、
tittonの反論(?)対象文『Aを批判するBを批判するCは経験上無知である事ばかりでCと話をしても時間の無駄だとAが愚痴ったとしも、話をする前からCを無視する事をAしていないし今後もしないだろう』
tittonの反論(?)『BがAを社会から排除しようとするならば、科学の価値観内で正当性を主張するだけではダメ』
もう『反論(?)』と書かれている理由に、賢明な読者の方はお気づきだろう。
そう、tittonが何に向かって話をしているのかがさっぱり分からないのである。
titton『3)については、それが社会から排除されるに見合うほどの大罪なのか?という量刑が常に疑似科学批判者の一方的な判断で行われているのが問題。』
titton『そういう判断はそれなりの慎重さで行われるものだ。むやみに他人の思想や言動を制限することにつながらないように必要最小限に。そもそもそれが不十分だと感じるからあなたは警察に任せずに自分で疑似科学批判をしてるのではないのか。なぜ不十分だと感じるかといえば物事の一面しか重視していないからだろう。』
やはり対応が分かり易いように「A:ニセ科学」、「B=科学者(ニセ科学批判者)」、「D=科学」、とおくと
titton『Bの一方的な判断で、Aが社会的に排除されるのは問題だ。Aはそれほどの罪ではない』
反論文『Aは(裁判という場で疑似科学批判者とは異なる)裁判官の判断で犯罪(=罪)だとされている物もある(からAの一方的なではない)し、犯罪は社会から排除されるべきではないの?』
tittonの再反論(?)『そういう判断(犯罪が社会から排除されるべきかどうか)はそれなりの慎重さで行われる。むやみに他人の思想や言動を制限することにつならがないように必要最小限に。警察・司法による犯罪の抑制が不十分だと感じるからあなたは警察に任せずに自分でニセ科学批判をしているのではないのか。なぜ不十分だと感じるかと言えばニセ科学の犯罪的側面しか重視していないからだろう』
ニセ科学は人を騙している故に犯罪だと判断されたのだから、人を騙しているという犯罪的側面を重視するのは当然。
というか人を騙しているという実態があるからこそ批判されてるのがtittonには分からないらしい。
tittonの理屈を採用すると幸福の科学とかオウム真理教なども批判できなくなる。
>実証されていないものを実証されたとするニセ科学は、その意図が有ろうと無かろうと科学を否定するものだ。
titton『それは科学側の言い分。そんなことを認めたら、宗教にも「科学は宗教を否定するものだ」という言い分を認めなければならなくなる。このような判断は慎重かつ控えめに行われるべき物であって、あなたのように「そんなの決まってる!」みたいな単純かつ安直な判断で行われるべき物ではない。』
元文『実証されていないものを実証されたとするのは、科学ではない』
tittonの反論を読み解くと『それ(=実証されていないものを実証されたとする行為が科学ではないという事)は科学側の言い分。そんな事を認めたら宗教にも「科学は宗教を否定するものだ」という言い分を認めなければならなくなる。そんな判断は慎重に行え。あなたのように『実証されていないものを実証されたとする行為は科学ではない』みたいな単純かつ安直な判断で(科学かどうかの判定は)行われるべき物ではない』
1.どうやら実証されていないものを実証されたとする行為が科学となる世界がtittonの中には存在するらしいが、そんな世界は少なくとも現実には存在しない。あるとしたらtittonやtittonに類するニセ科学ビリーバーor擁護者or批判批判者の中ぐらいだろう。
2.実証されていないものを実証されたとする行為が科学を否定する行為だと認めるならば、科学は宗教を否定する物になるらしいがどういう理屈だろうか? tittonがそれを説明できるとは思えないが。
3.もしかしたら単にtittonの読解力と日本語表現力がないから話が伝じないだけで、tittonは何か別の意味の事を言っているのかもしれない。だがそれをtittonが主張しても日本語表現力がないので第三者どころか対話者にさえ分かって貰える可能性は低い。
titton『どんなに価値のある思想であっても、ちょっとでも抵触すれば断罪され社会から排除されなければならないのかどうかという点について、説得力のある説明を用意していない点が疑似科学批判の問題。その説明をしないと疑似科学批判批判が世間から信頼を失う』
titton『それは「疑似科学批判が科学の進歩を妨げない」という主張だよね。それはそれで疑問があるが、今はそういう話をしているのではなく、思想や宗教を排除しようというのに「科学の進歩を妨げない」だけしか考慮しない点が、科学の面だけしか見ていないと批判される。つまりすべて「科学の一方的な都合」でしか物事を判断していないのが問題だと言っている。』
ここはtittonにしては珍しくまともに読めている。上段の反論文だけを読んで行った、反論文だけに対する再反論としては間違っていない。
だが、『ニセ科学批判の批判対象は科学を装う物だ。思想や宗教を排除しようとしている例など存在しない』という、他所でなされた事実の指摘はtittonの脳には残っていない。
詭弁を用いて為にする反論に終始し、何も学んでいない証である。
たとえば終末医療。医学とは基本的には人の命を助けることが目的だ。しかしそれだけが目的ではない。だから様々な側面から終末医療はどうあるべきかが論じられるわけだ。「一日でも長く生き延びさせることこそ正しい」という価値観だけで終末医療を論じて、世間が納得するのか。人の感情や心理、その時代の価値観、様々なものを勘案して判断すべきものだ。それを疑似科学批判は「科学にとって○○だ」という一面だけで正当化しているから批判される。
1.終末医療がニセ科学ではない事はtitton以外には自明な事である。
2.「一日でも長く生き延びさせることこそ正しい」という価値観だけで終末医療を論じる事とニセ科学批判が何故対応するのか不明。だがtittonからの説明は期待していない。破綻した説明が出てくるだけだからである。
3.ニセ科学批判は「科学にとって○○だ」という一面だけで行われているものではないという事実はtittonには見えない。
4.ニセ科学批判はニセ科学批判の正当化を目的としていないという事実もtittonには見えない。
5.「一日でも長く生き延びさせる事が正しいかどうか」は科学の範疇では無いので、それに対して科学が何かを判断する事がそもそもない。科学が何か判断しているように見えるのは、人による科学以外の側面の判断であるが、科学を理解していないtittonはそれを区別できない。
6.『関係がありそうで関係が無い事を話し始める』という詭弁の典型である。
読解と日本語表現と論理が破綻しており、さらに自覚がしているかは知らないが詭弁を用いる。
終始、一顧だに値しないゴミ主張の典型例だと言って良い。
本人はユニークだと思っているらしいことが可笑しさを通り越して涙を誘う。
http://anond.hatelabo.jp/20090122023102
疑似科学を社会的に有害なものとして排除すべきだという主張は「科学の問題」ではない。「社会的な問題」であり、科学者の態度に束縛されない。宗教が「宗教者の態度」に基づいて科学を排除しようとしたのが中世だよね。一方が他方を社会から排除しようとするならば、一方の価値観内で正当性を主張するだけではダメだということ。
そういう判断はそれなりの慎重さで行われるものだ。むやみに他人の思想や言動を制限することにつながらないように必要最小限に。そもそもそれが不十分だと感じるからあなたは警察に任せずに自分で疑似科学批判をしてるのではないのか。なぜ不十分だと感じるかといえば物事の一面しか重視していないからだろう。
それは科学側の言い分。そんなことを認めたら、宗教にも「科学は宗教を否定するものだ」という言い分を認めなければならなくなる。このような判断は慎重かつ控えめに行われるべき物であって、あなたのように「そんなの決まってる!」みたいな単純かつ安直な判断で行われるべき物ではない。
それは「疑似科学批判が科学の進歩を妨げない」という主張だよね。それはそれで疑問があるが、今はそういう話をしているのではなく、思想や宗教を排除しようというのに「科学の進歩を妨げない」だけしか考慮しない点が、科学の面だけしか見ていないと批判される。つまりすべて「科学の一方的な都合」でしか物事を判断していないのが問題だと言っている。
たとえば終末医療。医学とは基本的には人の命を助けることが目的だ。しかしそれだけが目的ではない。だから様々な側面から終末医療はどうあるべきかが論じられるわけだ。「一日でも長く生き延びさせることこそ正しい」という価値観だけで終末医療を論じて、世間が納得するのか。人の感情や心理、その時代の価値観、様々なものを勘案して判断すべきものだ。それを疑似科学批判は「科学にとって○○だ」という一面だけで正当化しているから批判される。
投稿ミスったら変な事になった(汗
http://anond.hatelabo.jp/20090121235603
に対して。
疑似科学批判者が二言目には「疑似科学擁護者や疑似科学批判批判者はおそらく無知」というのはどうなんだろうね。確かに確率的にはその方が多数だろうから、そう思うのも無理はない(実は俺も内心そう思ってるし)。しかしそれを公然とおおっぴらに認めてしまったら、「こいつらとは話し合う価値もない」で終わってしまうわけで、それならその通りなにも話す必要はない。
そもそもニセ科学批判批判者がニセ科学批判を批判しなければ話し合いが発生する余地は無い。
なぜならニセ科学批判の目的はニセ科学批判であってニセ科学批判批判への応答では無いから。
1.ニセ科学を批判したら
2.擁護or批判批判をして来たので
3.話し合ってみたら
5.話を終える
最終的に無知と判断されるニセ科学擁護者やニセ科学批判批判者と、ニセ科学批判者とのやりとりって大体こんな順番。
で、tittonさんが言ってるのは『4、5をやるならなら、そもそも3をやるなよ』って事なんだが、3をやってみないと相手が無知かどうか何て判断出来る訳が無い。
今までの経験から2をやる人間は大体無知である可能性が高いよなあという話はすれども、2の段階で相手を切り捨てるニセ科学批判者は今後も出てこないだろう。
何故ならそれは科学者の態度ではないから。
疑似科学批判はある意味「馬鹿を相手にする作業」だ(学校の教師とか新米社員を指導する上司とかも同じ)。逆に言えばそれに耐えきれず「こんな馬鹿とはまともに話したくない」とサジを投げてしまうような人には疑似科学批判は向かないと思うよ。
ここで突然に疑似科学批判者が相手にしている物が『疑似科学擁護者・擬似科学批判批判者』から『疑似科学』と入れ替わった話になっているのは何故だろうか。
また「科学を根拠に水伝をダメだとは批判していない」については、「適切な根拠を用意できていないまま批判している」から問題だと言っている。
『馬鹿は騙されるぐらいが良い』って詐欺を容認するような事を言ってのける人間が判断する『適切』は、一体誰が許容する『適切』なんだろうか。
疑似科学批判のパターンはだいたい次のようなものが多い。○○が批判される立場の疑似科学だとすると、
1)○○の科学的な誤りを列挙。それゆえ○○は科学的に誤っていると結論。
2)にもかかわらず○○は科学と自称していると主張。
2)で『にもかかわらず』を使いたいならば、1)に『○○は科学を自称していない』が必須。日本語と論理的に言って。
つまりは日本語が破綻しているか、論理が破綻しているかのどちらか。すなわち『駄目』って事。
疑似科学批判の中にはほとんど言いがかりやこじつけのような安易なものが少なくない。これはいわば魔女裁判と同じで「魔女だ!」と言われてしまえば、疑似科学側から反証することは難しい。またそのような「暴走」に疑似科学批判者側が自主的に歯止めをもうけようという動きもない。
破綻した物を前提に話を進めているので、それだけでも意味が無い話だと結論できる部分。
ついでに現実に存在する疑似科学批判は『実証されていないものを実証されたと強弁している物』を対象にしている物ばかり(水伝とかゲーム脳とか血液型性格判断とか)なので、
というのは事実に反する言いがかりやこじつけに類する物だと言える。
破綻に言いがかりを重ねた上で発せられる『暴走の懸念』は、徴候さえ存在しない事実も踏まえれば、ほとんど考慮に値しない。
3)については、それが社会から排除されるに見合うほどの大罪なのか?という量刑が常に疑似科学批判者の一方的な判断で行われているのが問題。
法的にも犯罪だという判断が行われてるが、犯罪は社会から排除されるべきではないとでも?
現実に被害者が出ているというのに『一方的な判断』とは、無知もここに極まれり。
かつて科学が神を冒涜する気などないのに神への冒涜だと一方的に断罪されたことの裏返し。どんなに価値のある思想であっても、ちょっとでも抵触すれば断罪され社会から排除されなければならないのか。
実証されていないものを実証されたとするニセ科学は、その意図が有ろうと無かろうと科学を否定するものだ。
かつて、神の存在を確かめようとしていたのに神への冒涜だとされた科学とは明確に違う。
それについて疑似科学批判側は説得力のある説明を用意していない。そういう点が問題であり、疑似科学批判側が何らかの自浄作用を見せないと、疑似科学批判そのものが世間から信頼を失うだろう、と警鐘を鳴らしている。
色々な場所で、幾度も、ニセ科学批判の批判対象に『将来科学になり得る物は入らない』と説明されている。
これに説得力を認めないのは『科学が何を対象としているかを理解できない人間』の個人的資質に帰結する問題だ。
警鐘を鳴らすのは勝手だが、それが考慮に値する者として受け入れられないのは、疑似科学批判批判の場合は往々にして警鐘を鳴らされた側の問題ではない。
titton です
http://anond.hatelabo.jp/20090121090548
疑似科学批判者が二言目には「疑似科学擁護者や疑似科学批判批判者はおそらく無知」というのはどうなんだろうね。確かに確率的にはその方が多数だろうから、そう思うのも無理はない(実は俺も内心そう思ってるし)。しかしそれを公然とおおっぴらに認めてしまったら、「こいつらとは話し合う価値もない」で終わってしまうわけで、それならその通りなにも話す必要はない。
疑似科学批判はある意味「馬鹿を相手にする作業」だ(学校の教師とか新米社員を指導する上司とかも同じ)。逆に言えばそれに耐えきれず「こんな馬鹿とはまともに話したくない」とサジを投げてしまうような人には疑似科学批判は向かないと思うよ。そんなんじゃ結局は「いかに沢山相手を馬鹿にした方が勝ち」って勝負だ。
また「科学を根拠に水伝をダメだとは批判していない」については、「適切な根拠を用意できていないまま批判している」から問題だと言っている。疑似科学批判のパターンはだいたい次のようなものが多い。○○が批判される立場の疑似科学だとすると、
1)○○の科学的な誤りを列挙。それゆえ○○は科学的に誤っていると結論。
2)にもかかわらず○○は科学と自称していると主張。
3)科学でないものを科学と喧伝する○○はけしからん。そんなものは社会から排除しよう!
1)はいいとして、2)は解釈によって様々だ。疑似科学批判の中にはほとんど言いがかりやこじつけのような安易なものが少なくない。これはいわば魔女裁判と同じで「魔女だ!」と言われてしまえば、疑似科学側から反証することは難しい。またそのような「暴走」に疑似科学批判者側が自主的に歯止めをもうけようという動きもない。
3)については、それが社会から排除されるに見合うほどの大罪なのか?という量刑が常に疑似科学批判者の一方的な判断で行われているのが問題。かつて科学が神を冒涜する気などないのに神への冒涜だと一方的に断罪されたことの裏返し。どんなに価値のある思想であっても、ちょっとでも抵触すれば断罪され社会から排除されなければならないのか。それについて疑似科学批判側は説得力のある説明を用意していない。
そういう点が問題であり、疑似科学批判側が何らかの自浄作用を見せないと、疑似科学批判そのものが世間から信頼を失うだろう、と警鐘を鳴らしている。正直最近の疑似科学批判の暴走は目に余る。
ふとおもったんだが、ニューサイエンス(ニューエイジサイエンス)ってのがなければ、水伝ってのもここまで疑似科学として批判される事はなかった気がする。ニューサイエンスが作り出した幻想、つまり東洋思想っぽい何かを混ぜたら科学を何やら神秘的な領域にまで拡張しうるというイメージ、これがバックにあってはじめて水伝は「意識が直接物質を変えるなんてことも将来的には科学の範疇になりうるかもしれない、というか既にそれは科学的事実」という幻想をふりまくことができたんじゃないか…ニューサイエンスの"拡張された科学"幻想が無けりゃ、水伝なんてそれこそ疑似科学とすら思われはしなかったんじゃないかなあ。
http://anond.hatelabo.jp/20090121023411
にお返事。NATROMです。他の方のコメントとかぶりますが。
http://b.hatena.ne.jp/titton/20081229#bookmark-11467052
「半年ロムれ」とまでは言いませんが、「みんなもっとちゃんと読もうね!」などと上から目線で仰るのであれば、該当者の過去の発言ぐらいは読んでからにしてはいかがか?kozimaさんの過去の発言も調べてみましたが、はてなブックマークもはてなダイアリーもご利用されていないようなので、わかりませんでした。
疑似科学批判は『水伝の実験はダメダメなんだぜ』までで留めるべきで、『だから水伝の思想はダメダメなんだぜ』までは、「科学を使って」言うべきではない。
もちろん、その通り。まっとうな主張です。で、どなたか、「科学を使って」「水伝の思想はダメダメなんだ」と言っています?(いるなら個別に例を挙げて批判してくださいな)。「水伝の思想はダメダメなんだ」と言っている人はいます。でもそれは、科学の文脈から外れて言っているものと私は認識しています。「偽装はよくない」というのは一般的な社会通念ですが、科学的な主張ではないです。
の三種類の人が居る状況で、aにしか通用しない『水伝の実験は科学的じゃない』っていう主張に意味は有るのか?ってことですよ。(ましてやその主張が再三されてaはほぼ絶滅してる状況で)
「水伝の実験は科学的じゃない」という主張が再三されてaはほぼ絶滅してるんですね?すごいぞ!ニセ科学批判の意味は本当にあったんだ!科学的じゃなくても信じる人はご自由に。それはそれとして、ウソ宣伝は絶滅していないんだから、ニセ科学批判としての水伝批判はまだ必要ですね。
いや別所でtittonがしっかり主張してるだろ。
tittonさんが言いたかっただろうこと
ということは「科学を使って」言える。
しかし、
ということは「科学を使って」言うことはできない。
『科学は水伝が科学を装っている点だけ批判している』という実態が見えないtittonが持論を繰り返しているだけだな。
疑似科学批判は『水伝の実験はダメダメなんだぜ』までで留めるべきで、『だから水伝の思想はダメダメなんだぜ』までは、「科学を使って」言うべきではない。
『科学を使って思想まで批判している水伝批判者』っているの? 誰?
tittonやあんたの脳内にはいるのかもしれないが。
実態が無い物に対する批判的主張は真っ当どころかの無用の長物だって分かるか?
聖杯グッズの科学的な効用を信じて買った人は疑似科学信者になるでしょう。
しかし、科学的な効用とは関係なく「信仰心から」聖杯グッズを買った人も居れば、聖杯グッズに関係なくキリスト教を信仰してる人も居るわけで、そういう人たちに『聖杯グッズの科学的効用の批判をしても信者には効果無い』っていう事は容易に想像出来るじゃないですか。
キリスト教が疑似科学的側面を有するようになれば、キリスト教信者も疑似科学信者と看做されるだろうねというのが、聖杯グッズの例えだろうに。
ところで科学面の批判で信者を説得しようなんて誰がやってるの?
の三種類の人が居る状況で、aにしか通用しない『水伝の実験は科学的じゃない』っていう主張に意味は有るのか?ってことですよ。(ましてやその主張が再三されてaはほぼ絶滅してる状況で)
そして水伝が残り続ける限り、規模や影響度に合わせて批判も残らざるを得ない。
終わりはまあ無いわな。ご苦労な話だが。
対するtittonの主張は、水伝は悪影響があるか分からないとか、将来的に良い物になるかもしれないなんてシロモノだ。
トンデモ以外の何者でもないだろ。
tittonさんの疑似科学批判批判の根本はここかなあ。bやcに対して、したり顔で「水伝の実験は科学的じゃないんだぜぇ」って言ってどうすんの?ってことかな。
『bやcに対して、したり顔で「水伝の実験は科学的じゃないんだぜぇ」って言ってるのって誰だよ言ってみな?』って言われて答えないのがtittonだ。
あんたも同類になりたいってんなら止めないが。
それを踏まえて今回の根本に戻る
で、TAKESANさんに↑みたいなヤツだなあって言ったのが今回の根本かな。
でも、少なくとも今回に関してはTAKESANさんが悪いのは確定的に明らか。
横から口出すならちゃんと状況把握してからにしような。
あんたが間抜けなのが確定的に明らかになるだけだぞ。
みんなもっとちゃんと読もうね!
http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20090116/p2
というのが話題にあがっていた。
実は、昨日行った某企業の説明会のグループディスカッションでも、同じような話が出てきた。
ある婚約者(L美とB男)、その妻に思いを寄せる男性(S郎)、資産家(M夫)、そして関係の無い若者(H男)。
L美とB男は川の向かい側にそれぞれ住んでいて、彼らは普段橋を渡って会っていた。
二人は将来結婚するはずの幸せな婚約者同士だったのだが・・・ある日突然台風が川を襲い、橋を壊してしまった。
橋が修復するのにどれくらい時間がかかるのかは分からない。数週間後かもしれないし、数か月後かもしれない。
橋が壊れてしまったので、L美がB男に会いに行くには船を出して捜索するしかないが、L美には船をつくる能力もなければ、船を所持していない。
そこで二人が助け舟を出した。一人はM夫だった。
M夫「船ならすぐに出せるよ。ただ、100万円を渡してくれなければそれは無理だね」
彼は資産家だったのだが、渋チン野郎でもあったのだ。L美はそれを断った。
L美はもう一人の男性、S郎に頼んだ。「船を出してください。B男に会いたいのです」と。
S郎は直すと言った。だが、条件をつけた。その条件とはS夫と一夜限りの関係を持つこと。
「あなたのことがずっと好きでした。あなたに婚約者がいることも知っています。一夜だけでもいいんです」
L美は結局、S郎と関係を持った。S郎は約束を守り、船を出した。
向こう岸についたB男は驚いた。「何で君がここにいるんだ」と。
L美は夫に、B男に会うため、船を出してもらうために男性と関係を持ってしまったことを告白した。
B男はL美を許さなかった。不貞であると。B男はL美との婚約を破棄した。
すべてを見守っていたH男はL美にこう言った。
「あなたはとても正直な方です。B男に嘘をつくことができたのに、それをしなかった。そんな正直なあなたのことが好きです」
本筋はだいちょっと違う部分もあるが
・最後の人がおじいさんではなかった
・無人島ではなく、川が出てくる
他はだいたい同じだろう。
・船が出てくる
・船を出すために、女が関係を持つ
・すべてを見守る人(関係ない人)が出てくる
さて、誰が一番悪いのか?
…というのはどうでもよくて、「何を重視するかによって、物事の価値は変わってくる」
ということを言いたかったらしい。
・L美-LOVE 企業愛、会社愛とかそういう愛なんだろうか?
・M夫-MONEY 金はやっぱり重要ですよねー。金がないと企業が成り立たない
・S郎-SEX 不倫愛とかセクハラ的な要素は会社にとってもマイナスなんじゃないんですかね
・H男-HUMANITY 「人間を大切にする」「お客様第一」的な要素なのだろう
・B男-BUSINESS 合理的判断をするのがビジネス、という意味合いなんだろうか
多少こじつけっぽい感じもするし、何だか「疑似科学的」なそういう気持ち悪さすら感じた。
さらに、はてブのコメントでも書いたが、キャラクターの名前がM夫だったから
「こいつ、マゾ野郎なのか?」という事が気になっていて質問やディスカッションに全然集中出来なかった。
以上、とりとめも無い話でしたとさ。チャンチャン。
http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20090116/p2
というのが話題にあがっていた。
実は、昨日行った某企業の説明会のグループディスカッションでも、同じような話が出てきた。
ある婚約者(L美とB男)、その妻に思いを寄せる男性(S郎)、資産家(M夫)、そして関係の無い若者(H男)。
L美とB男は川の向かい側にそれぞれ住んでいて、彼らは普段橋を渡って会っていた。
二人は将来結婚するはずの幸せな婚約者同士だったのだが・・・ある日突然台風が川を襲い、橋を壊してしまった。
橋が修復するのにどれくらい時間がかかるのかは分からない。数週間後かもしれないし、数か月後かもしれない。
橋が壊れてしまったので、L美がB男に会いに行くには船を出して捜索するしかないが、L美には船をつくる能力もなければ、船を所持していない。
そこで二人が助け舟を出した。一人はM夫だった。
M夫「船ならすぐに出せるよ。ただ、100万円を渡してくれなければそれは無理だね」
彼は資産家だったのだが、渋チン野郎でもあったのだ。L美はそれを断った。
L美はもう一人の男性、S郎に頼んだ。「船を出してください。B男に会いたいのです」と。
S郎は直すと言った。だが、条件をつけた。その条件とはS夫と一夜限りの関係を持つこと。
「あなたのことがずっと好きでした。あなたに婚約者がいることも知っています。一夜だけでもいいんです」
L美は結局、S郎と関係を持った。S郎は約束を守り、船を出した。
向こう岸についたB男は驚いた。「何で君がここにいるんだ」と。
L美は夫に、B男に会うため、船を出してもらうために男性と関係を持ってしまったことを告白した。
B男はL美を許さなかった。不貞であると。B男はL美との婚約を破棄した。
すべてを見守っていたH男はL美にこう言った。
「あなたはとても正直な方です。B男に嘘をつくことができたのに、それをしなかった。そんな正直なあなたのことが好きです」
本筋はだいちょっと違う部分もあるが
・最後の人がおじいさんではなかった
・無人島ではなく、川が出てくる
他はだいたい同じだろう。
・船が出てくる
・船を出すために、女が関係を持つ
・すべてを見守る人(関係ない人)が出てくる
さて、誰が一番悪いのか?
…というのはどうでもよくて、「何を重視するかによって、物事の価値は変わってくる」
ということを言いたかったらしい。
・L美-LOVE 企業愛、会社愛とかそういう愛なんだろうか?
・M夫-MONEY 金はやっぱり重要ですよねー。金がないと企業が成り立たない
・S郎-SEX 不倫愛とかセクハラ的な要素は会社にとってもマイナスなんじゃないんですかね
・H男-HUMANITY 「人間を大切にする」「お客様第一」的な要素なのだろう
・B男-BUSINESS 合理的判断をするのがビジネス、という意味合いなんだろうか
多少こじつけっぽい感じもするし、何だか「疑似科学的」なそういう気持ち悪さすら感じた。
さらに、はてブのコメントでも書いたが、キャラクターの名前がM夫だったから
「こいつ、マゾ野郎なのか?」という事が気になっていて質問やディスカッションに全然集中出来なかった。
以上、とりとめも無い話でしたとさ。チャンチャン。
サンデー時評:今年は思いきりアホになるか
とにかく、私は懸命にメモをとった。一昨年夏、船旅をしていて、船中で村上和雄筑波大名誉教授の講演を聴いた時である。話に意外性があって面白いということもあったが、メモをとらずにはおれなかった。
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岩見 隆夫(いわみ・たかお)
毎日新聞東京本社編集局顧問(政治担当)1935年旧満州大連に生まれる。58年京都大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。論説委員、サンデー毎日編集長、編集局次長を歴任。
http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/news/20090105org00m010013000c.html
村上和雄ってそんなんだったのか。「サムシング・グレート」なあ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/news/20090105org00m010013000c.html
上の記事にトンデモとか疑似科学とかタグつけられてるのに驚いた。
どうやらはてな民の一部の皆様にとっては、科学と非科学が同じ文章で語られているとなんでもトンデモ科学らしい。
脊髄反射も甚だしいね。
科学的実験の証明に宗教を持ち込むことはないし、宗教の教えを科学で証明しようとしているわけでもない。
ただ研究の成果に神の姿を見ているだけであって、科学者が無宗教でないといけない理由もあるかね。
それが伝わらなかったとしたら、まぁ確かに記者が悪いといえばそうだが。
いくつか読んだ事はあるけど、もっと氏の本を読んでみようと思う。
そもそも自分の価値観を正しいと主張する人に対して疑似科学だと指摘するのは何の反論にもなってないと思うんだが。自分が書いていることは科学的な学説ですといってる人に対してなら反論になるだろうけど。
この手の社会ダーウィニズム的言説が疑似科学だという反論は増田でも何度もなされているのに
なぜ性懲りもなくこういう主張を行う奴が現れるのだろう?
参考:http://anond.hatelabo.jp/20080327221759
生きるために食べること、寝ること。交尾をして子孫を残すこと。これらは生き物として最低限の活動であって
その「最低限の活動」を全うできない個体が「劣っている」と評価されるのは至極当然のことだと思う。
とっくに学問的には否定されてる社会ダーウィニズムを信じている馬鹿がいつまでも淘汰されないのはなんでなんだろうね。
その、進化論的文脈でいう「劣っている」とか「優れている」は「繁殖」という一面に着目しての評価だから、あんたの言ってる「繁殖力の優れた個体は(繁殖力に)優れている」ってのは単なるトートロジーなの。そんなことぐらいちょっと考えればわかるだろ。
さの対策。
平穏なブログ運営。だから増田で。気づかれても目をそらさず否定できる。
<中立ごっこ、未熟者と失笑されようが、物言えば唇寒しの状況は気持ちが悪い>意欲は買うが、長年の南京論争を眺めてきた増田には、新参者が手首足首を縛り氷河に飛び込む軽業師に見える。酷な言い方だが、あがいて浮上を繰り返しても、ガスが腹の中で膨らんでいるとしか思えない。如才ない奇術師はパンツに剃刀を縫いこんでいる。南京論争には初心者が陥りやすいトラップがあり、反論もルーチンワークの仕掛けになっている。情熱も知識もない増田だから助言。長文も対応策のひとつ。ひるまないでいただきたい。
三項目の問題点、最後に可能性を探る。
(1)数字
<それでおたくは何人と考えてる訳?>南京事件に触れ、まず数を考える者は多いらしく、頭に浮かんだ疑問をそのまま論争に持ち込む初学が後を絶たない。四万に留意する事。四万以下の数字を主張するのは、はてサに<虐殺三十万人説を証明しろ>と迫るのと変わらない。一蹴されるのが落ちだ。数字は慰安婦強制性では虚偽説の代表的論客である秦郁彦が、廃棄処分を免れた現存する日本側文書を軸にし、明らかに不当な、不法なケースを取り上げて最低限の数を順次加算したもの。覆すには秦の著書を購入し、関連書を参照しなければならない。本末転倒で、不本意な作業を強いられる。四万以上の数を扱う場合は当然資料も増え、最終的に中国側の農村部での人口推移の調査報告まで視野に入れなければならなくなる。
<証明できるのか? 二十、二百かも知れないではないか>見出しの百の文字に惑わされてはならない。元中尉の名誉回復裁判は人数が焦点ではない(数にこだわるなら政治屋弁護士と心中する覚悟がいる)。増田の知る中ではてサに「百人も殺したのだから処刑されて当然」と主張する論者はなかった。「国を挙げての士気高揚、その象徴的人物が戦後に個人の責任を問われた」事件と認識され、同情的な見方もある。産経の「捏造」、「真っ赤な嘘」が指すのは、言論統制、検閲を断行した政府、それに唯々諾々と従った当時の報道人と国民に対する侮蔑だと把握しておけば足元をすくわれない。
(2)検証
テンプレがネット上に大量に転がり、手軽さも手伝うのか、初心者がもっともはまりやすく、もっとも論立てが煩雑なのが細部の検証だ。手軽な詰問に対しては反論も数通りのテンプレが用意されている事に気づかないといけない。相手は気分に応じて資料を選ぶ。複数あるのは遺物の集積と相互依存で史実が成り立っているからだ。独自の疑問点を設定するには書籍の購入が必要であり、新書一冊ではまかなえない。たとえば(1)の不当、不法に言及する場合は法学に踏み込むことになる。質問者をよそおって相手の出方を研究する手口も使えない。また万一資料に不信を植えつける事に成功しても、一人の証言者、一枚の写真に疑問符を付けただけで終わってしまう。労多く功無し。
(ただし「功無し」は学術上に限って。目ざましい功労者にポストを提示する教育機関が現れても増田は驚かない)
(3)政治
<謝罪を繰り返させられ、外交で押し切られる隙を残すのは国益を損なう。否定派には存在意義があるのではないか>メタ視線は悪くないが、楽な筋道ではないのは胆に銘じる。最初に日中間に「南京問題」は存在しない事を確認してほしい。政府は「肯定派」であり、中国は賠償も新たな謝罪も要求していない(調査のために遺骨を発掘しろと主張する者がいたが、ビルや田畑を取り壊す政治力や膨大な費用を日本政府が負う事はない。有志による個人負担となる訳だ)。決議に反した閣僚の発言が、政治問題化しないための「強い遺憾」と「村山談話」の応酬が謝罪の内実。また外交問題ではなく国内問題とする誘導に抵抗するのは並大抵でない。はてサに<中国が怒ってる、問題だ>と、一時期の朝日の影を思い描くのは悪手だ。富田メモによって、靖国親拝中断が中国の干渉によるものとしてきた右派は、靖国を国内問題に渡らせないために「天皇」と靖国の距離を広げざるをえなくなった。辞任問題に踏み込めば、閣僚らの特権的地位について逆に問い返される覚悟が必要。初歩の問答を想定しよう。
「旧軍はバターン半島で捕虜らに最大限配慮した。非難は不当」が持論の司令が、「A区調整、全住民を安全に配慮しつつ速やかにB区へ避難させよ」と命じられたら?
「日本は資産を持ち出してまで朝鮮に富をもたらした。利他的で手本となる施策であった」と講演する政治家が、経済相か雇用対策の特命相に任命されたら?
不用意に無償の政治カードを世界に乱発する人物が、通商代表として使節団を率いるとしたら?
(バターンに関してはネット情報でカバーできる。植民地事情に関しては英国と植民地印度の貿易収支が英側の赤字であった事、双子の赤字を抱えた米国が二つの戦争を始めるほど好景気だった事、当時の日本政府と国民が、兵士の生命と財産を供出しても特アの隆盛を切望したと夢想するだけで間に合うだろう)
(4)トウハセイ
<嘲笑と罵倒では相手は聞く耳を持たない。壁に大声でがなりたて、言い返してこないとふんぞり返るようなものだ>読者を無視さえすれば、論争で宗旨替えした否定派が皆無という事実がこの主張の説得力を後押しする。ここで唯一のトラップは、はてサの多くが自身の党派性を否定していない現実だ。質問に質問を重ねるのを逃亡とみては失敗する。彼らは論争に通じ、経験から言質を取られ議論が拡散する事を嫌う(「黙らせるための問答で満足している」と左派から非難された左の論客もいたが)。<イデオロギーで記事を選る、コメ欄に同調者が群れる>といった非難は想定内なので、泥仕合に持ち込むつもりがなければ控える(泥試合が有効な左派も存在するが、医療、疑似科学がテーマ)。党派性で彼らの選択ではなく論理が歪んでいると考えるならば、事の検証が欠かせず、(2)へと戻る。膨大な過去ログを読む必要も。しかし、増田が提案できるのはこの(4)だけ。遠回りで時間は取られるが、非専門家でも順次対応可能で、一点突破も目指せる。
それだけにもったいない気がしてなりません。以下、順を追ってご説明します。
「思われてならない」「思う」のように主観的な記述に終始しており、事実に基づいた客観性を充分に有していません。すでにブックマークコメントでも指摘があるとおり、
と主張するのであれば、「増田内での何月何日のどの記事にこのような記述があるが……」と引用することで、記述された内容に基づいた、より客観的な記述が可能になります。逆にこれを怠ると、「この人は自分の主観――悪く言えば思い込み――でものを言っている」と看做され、あなたの主張の「通じやすさ」を著しく損なう恐れがあります(事実と意見の区別がついていないよりは、ずっとよいのですが)
この言説が、
「ニセ化学批判者は現代科学こそがすべてであると思っているが、現代科学は万能ではない」
という言説に酷似しているように思います。特に、ならばどのようなものが妥当であるのか、を具体的に示していないという点で。「数学的論理性のみが論理性ではない」という命題は、数学的論理性以外の論理性が一つでも例証されれば真となりますから、論証それ自体にかかるコストは大きくないはずです。それさえも行っていないことが、あなたの主張の根拠を弱めてしまっています。
立派な科学者先生がトンデモを堂々と主張できるんだから、トンデモを信じることと論理性になじみがあるかは、あまり関係がないんだろう。
記号論理学がお好きだそうですから、ここで一つ三段論法を使ってみましょう。先の引用を前提と結論に分けますと、
……あ、あれ? もう一回やってみますね。
うーん、やっぱり欠けているような気がします。そもそも前提が一つでは三段論法になりません。つまり、明示されなかった前提(アサンプション)があるわけですね。こういうことです。
さて、ではこのアサンプション、真と言えるでしょうか?
実は反証があります。
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20081127/p1
この記事曰く、
たぶん、科学者は科学者というぐらいなんだから、科学的思考を扱う能力は必須だろうと考える人が多いと思う。でも、現実はそうでもない*2。
研究にはある程度の決まりきった手順がある*3。それに従うと、科学的思考なんてのをあまり意識しないでまともな結果を出せたりする。
この「科学的思考」の中に論理性も包含されるとすれば、「立派な科学者は(全員)論理性になじみがある」というアサンプションは、かなり怪しくなります。平たく言うと、
「立派な科学者がトンデモを信じてるって、そりゃその科学者が論理性ないだけなんじゃないの?」
と指摘することができる、というわけです。
確かに、自分が論理に慣れていると過信するのは危険なことです。これは自分が文系であるか理系であるかオイラー系であるかなどという自己認識とは無関係です。であるからこそ、自らの主張の論理性を常に疑い、兜の緒を締めてゆくことが必要なのではないでしょうか。これは、自らが疑似科学的な誤謬に陥らないためでもあるはずです。
A.違います。
社会の時間に「言論の自由」について習って、んでもってそれ以上の勉強はしてないふつーの人には、相対主義批判は「言論の自由」に反しているように見えたりします。意見の多様性を認めない、ということだからですね。でもそもそも、「多用な意見を認めない」の「認めない」ってどういう意味だ。
さらに言えば、「馬鹿は口を出すな」は、「非国民は黙っていろ」と被って見える。ほんとは大きく違います。「学」と「愛国心」がまず違う。迫害の有無が違う。ただ、時勢によってこれらは見分けがつかない物になるかもしれません。戦時においては「無知ゆえに非国民」という考え方もあったでしょう。
いろんな文化を認めましょう、というのも相対主義。文化相対主義。宗教だったり食文化だったりに偏見を持つのはやめましょう、っていう考え方。捕鯨だったり、食用犬だったり。どうですか。どう思うよ。どうだ。文化相対主義の理論自体を否定する人はあまりいないけど、テロ、奴隷、虐殺なんかを文化と居直った物を認めるべきか、っていう問題がある。んで、倫理と文化は密接に関わっている物の、そこは別問題だろ、ということになってるらしい。倫理相対主義とか言っちゃったり。
でもね、そもそも相対主義は何かを擁護するためのものではなくて、単に偏見を持たないようにするためのものなわけだ。だから原則論としては、相対主義そのものより、歴史修正主義や疑似科学が相対主義を利用することをこそ、批判するべき。するべきなんだけど、相対主義が歴史修正主義や疑似科学の温床になってるから相対主義そのものを否定しておきたい。ええい、もう相対主義はうんざりだ! 諸悪の根源め! うんざりうんざり! うるさいうるさいうるちゃい!という思いを抱いてる識者や学者は多い。もうピリピリしてる。
彼らにとって、隙あらばこちらに身をねじ込もうとしてくる歴史修正主義や疑似科学(或いは、歴史修正主義を含む疑似科学)に対抗する手段は、「そうは言っても、実際のところはわからないよなー」という意見をも、認めないことなのです。ようするに、「わからないなら、わざわざわからないってことも言うなよ!」なのです。そうすると、議論が混乱しない。理想的ですね。
ところで、この対抗策は現実的ではないですね。馬鹿に「馬鹿は黙っていろ。口を出したきゃ勉強しろ」と言うことはできるけど、でも言うことができるだけ。これは言論の自由の否定でも、言論統制でもない。説教でしかないんです。言論統制なんてできるわきゃないんです。
で、逆に言うと。言論の自由が認められている以上、誰が何を許さなくても、誰が馬鹿を糞の如く罵ったとしても、結局、あらゆる意見が世の中に出回るってことは、容認されてしまう。最近やり玉にあがってる東氏の考えは、それでも暴走しない社会作りをどうすればいいか、というものですね。
で、表現に気を使わない東さん、「勉強不足」や「誤認識」を持つ人間が出ることは避けられないし、彼らを黙らせる有効な手段はないですよねー、どうしましょう、という例に「南京大虐殺」を使ったことで、歴史修正主義者どもにぴりぴりしてる歴史学者さんとかに総叩きにあってるわけですね。「僕も実感がない」とか言っちゃって、「わからないなら勉強しろ、勉強しないなら口を出すな」と言われてるわけです。傍目から見てたら「過剰反応じゃないの……?」って思う人もいるかも知れないけど、さっきも言ったように学者や識者はぴりぴりうんざりだ。
ところでどうすりゃいいんだ。そうだ。そもそも、全ての人間に、正しい歴史認識をちゃーんと教育してやればいいんです。そうすれば、無知な民衆を味方につけようとしている、故意犯的な歴史修正主義者達を孤立させることができます。理想的ですね。
ところで、この案は現実的ではない。たとえば歴史学だけならば、それほど多くの問題はない。いや、歴史学が簡単という意味ではないけど。でも歴史学でよく問題になる重要なことだけを抑える、というなら不可能とは言えないかもしれない。極端な話をすれば、まともな学者とそうでない学者を見分けることができるようになるだけでもだいぶ違う。
でもこれは歴史学だけに絞った話で、全ての馬鹿が、全ての分野において正しい見識を持つのは無理ですね。持つのが理想だけど、無理なわけです。無理なんだよ、よく覚えとけ天才ども。
とすると、無知そのものを批判するわけにはいかなくなる。全ての分野において正しい見識を持つことが不可能である、と論ずる人を批判するのもおかしくなります。そう、全ての分野において正しい見識を持つことが不可能である、という事実を言い訳に、勉強しようともせず好き勝手言う人を批判するべきです。勉強していない分野のことは黙っていろ、という話になります。あ、戻ってしまいましたね。
実際あの手の議論は、この単純な二つの議論を行ったり来たりしてるだけですよね。ねこ大好き。
(河村官房長官は)誘拐や事故などに巻き込まれた際に携帯電話が必要という意見については「携帯電話でなくても、衛星などを使って絶えずどこに行ったかわかる時代」と反論。
http://www.asahi.com/national/update/1204/TKY200812040305.html
大阪府知事が率先して言い出すことかなぁ、もっと、他にやることあるんじゃ?とは思うけどさ。
それよりも、この官房長官の発言の方が、よっぽど怖い。
「携帯電話でなくても、衛星などを使って絶えずどこに行ったかわかる時代」
って何?衛星写真から人物が特定できるってこと?SFや映画の世界の話じゃん?そんなこと、官房長官ともあろう人が、本当に信じているの?
NSAが衛星を使って無実の人を追跡して陥れる映画:「エネミー・オブ・アメリカ」
http://www.simpson-bruckheimer.com/enemyofthestate/enemyofthestatestory.htm
現時点では、はっきりいって、誘拐事件に警察が衛星使っていなくなった子供を捜すなんて技術的にも経済的にも無理。
ものすごく簡単に言えば、衛星は「曇っていれば終わり」「夜は無理」「室内・地下は無理」。
衛星の解像度は、アメリカが軍用に使っているもので10cm四方だといわれている。
10cm四方じゃ、個人の特定は非常に難しい。頭頂部しか映らないのだから、顔写真と照合するのは無理だろう。ただ、身長・体の幅・手足の長さ・頭の大きさぐらいはわかるだろうから、これらの比率で照合すれば、大人と子供の判別ぐらいは楽に出来ると思うけど。
そもそも、それぐらいの解像度があったとしても、日本全国の全範囲をずっと撮っているわけじゃない。一度に非常に限られた範囲にしか焦点をあわせられない。いつどこで起きるか分からない誘拐事件に、どうやって対応するんですか?
衛星を使って、誘拐事件が起こっても子供がどこにいるかわかる、なんて、SFもいいところです。
小中学生の携帯は禁止してもいいけど、こういう非現実的な反論はしないで欲しいし、そういうSFまがいのことを官房長官が信じているのだとしたら、これは非常に怖い。有事の時も、楽勝に考えているんじゃぁ・・・例えば、某国から日本海をわたって侵入しようとするスパイとかも、衛星ですぐにわかると思っているのでは、と思ってしまう。
そんなことはない。曇りの日の夜に小さい船で渡ってこられたら、少なくとも衛星では絶対にわからん。
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20081130/p1
わたしはほうれん草や小松菜みたいなアクが多そうな物はどうしてもゆでちゃうんですよねえ。
水菜なんかはたまにレンジだけでポン酢でさっと頂いたりするんですが。
なんだか疑似科学ぽくて怒られちゃうかもしれませんが、昔永田農法の本を読んで、栄養過多の野菜に含まれる
なんとかチッソがどうにかすると発がん物質に変化すると書いてあって(すみません図書館で借りた本で手元に無く記憶があいまい)、
なんとなくうっすら恐怖を感じてるだけなんですが。
たぶん独特のエグみが自分の中で体に悪いイメージと結びついちゃってるんだろうなぁ。
まあ記事に書いてらっしゃるシュウ酸と同じでよほど大量に取らなければ問題ないんでしょうけどね。