いや別所でtittonがしっかり主張してるだろ。
tittonさんが言いたかっただろうこと
ということは「科学を使って」言える。
しかし、
ということは「科学を使って」言うことはできない。
『科学は水伝が科学を装っている点だけ批判している』という実態が見えないtittonが持論を繰り返しているだけだな。
疑似科学批判は『水伝の実験はダメダメなんだぜ』までで留めるべきで、『だから水伝の思想はダメダメなんだぜ』までは、「科学を使って」言うべきではない。
『科学を使って思想まで批判している水伝批判者』っているの? 誰?
tittonやあんたの脳内にはいるのかもしれないが。
実態が無い物に対する批判的主張は真っ当どころかの無用の長物だって分かるか?
聖杯グッズの科学的な効用を信じて買った人は疑似科学信者になるでしょう。
しかし、科学的な効用とは関係なく「信仰心から」聖杯グッズを買った人も居れば、聖杯グッズに関係なくキリスト教を信仰してる人も居るわけで、そういう人たちに『聖杯グッズの科学的効用の批判をしても信者には効果無い』っていう事は容易に想像出来るじゃないですか。
キリスト教が疑似科学的側面を有するようになれば、キリスト教信者も疑似科学信者と看做されるだろうねというのが、聖杯グッズの例えだろうに。
ところで科学面の批判で信者を説得しようなんて誰がやってるの?
の三種類の人が居る状況で、aにしか通用しない『水伝の実験は科学的じゃない』っていう主張に意味は有るのか?ってことですよ。(ましてやその主張が再三されてaはほぼ絶滅してる状況で)
そして水伝が残り続ける限り、規模や影響度に合わせて批判も残らざるを得ない。
終わりはまあ無いわな。ご苦労な話だが。
対するtittonの主張は、水伝は悪影響があるか分からないとか、将来的に良い物になるかもしれないなんてシロモノだ。
トンデモ以外の何者でもないだろ。
tittonさんの疑似科学批判批判の根本はここかなあ。bやcに対して、したり顔で「水伝の実験は科学的じゃないんだぜぇ」って言ってどうすんの?ってことかな。
『bやcに対して、したり顔で「水伝の実験は科学的じゃないんだぜぇ」って言ってるのって誰だよ言ってみな?』って言われて答えないのがtittonだ。
あんたも同類になりたいってんなら止めないが。
それを踏まえて今回の根本に戻る
で、TAKESANさんに↑みたいなヤツだなあって言ったのが今回の根本かな。
でも、少なくとも今回に関してはTAKESANさんが悪いのは確定的に明らか。
横から口出すならちゃんと状況把握してからにしような。
あんたが間抜けなのが確定的に明らかになるだけだぞ。
みんなもっとちゃんと読もうね!