はてなキーワード: 法則とは
http://anond.hatelabo.jp/20090202064637
むしろ私は科学を学ぶ内に創造主としての神を信じてやっても良いような気持ちが生じて来た。
カオスとしてのこの宇宙の構造を生み出す見事な法則を定めた奴は誰だ。
重力定数や光速、各素粒子の質量や電荷その他パラメータを与え、
また宇宙の始まりにおける初期条件を与えたのは誰だ。
だがこの宇宙を支配する法則がどこまで解明されようとも絶対に解らないことが判っている、
それはこの世界への親愛の情を通して増幅され、
そいつは、私を極とした私が知り得る限りの私の球座標世界を r→1/r と裏返したような
知覚の埒外の世界の∞の果てに居る、矮小な私自身の荘厳な虚像にして、
金正日の生死が不明になった時に親書のクーリエとして六者協議代表に再任したが、本人に会えなかった。北鮮側の都合もあったのかもしれないが、会えるようになったのならば、真っ先に会わせて面子を保たせるという配慮が無く、金正日の復帰後の最初の面会者は中国の関係者だったという事で、完全に面子をつぶされた。
次官補から大使になるのだから、昇進であることは事実なのだが、よりによってイラクである。イラクの再建において、アメリカの権益を主張しなければならない地位であり、再度の軍事力の行使は避けなければならないという事で、かなりきついポジションと言える。
朝鮮にかかわると不幸になるのは、あの国の法則と言っても過言ではない。日本人だけの法則かと思っていたのだが、今回、アメリカ人にも法則が通用する事が確認できたわけである。
北鮮がミサイルの発射準備をしているという衛星画像による報告も出てきている。タイミング的に、膠着した六者協議を動かす為に、弾道ミサイルであるテポドンの打ち上げ実験をやるというのもあり得るが、中国代表と面会した金正日は影武者だったのではないかという問題に対する恫喝として、中南海に確実に届くスカッドC(ノドン)を準備している可能性もある。
中国が本人であったことを公式に認めるか、影武者であることがばれなくなるまで整形手術が進んで他の六者協議代表と面会させて公式に認めさせるか、あるいは、インフルエンザにでも罹った事にして急逝させて3代目を立てるかするまでは、緊張感を維持させる必要があると考えるのは、悲観的に過ぎるであろうか。
そういう時は働きアリの法則でも話してあげたら黙るんじゃ。
法則によって自然が説明できるという仮定の上に成り立ってることなのですよ
そうですよ。
ただその仮定が正しいなんて科学は言わない。「今のところその仮定がもっともらしい。」というのが科学であり、科学の限界です。
100%の証明がなされたり、信じたりしたものを仮定とは言いませんから。
個人的な趣味として、ゲームの面白さって何だろう?と、最近は色んなRPGのシステムを字面で見てみたり実際にプレイして研究してみたりしている。
その中でプレイした自由度の大きさを売りにしたジルオールは、大きく膨らんでるだけで中身や実が無いからすぐ飽きた。CGの背景と末弥純の絵だけあればいいんじゃね?
そういう話は放っておいて。
そんな中で、『聖剣伝説4』というゲームの存在を思い出した。よく知らないのだけど、この素人レビューサイトにも見られるように、当時から絵と音以外全否定とばかりに糞みそに嫌われ、完膚なきほどにコテンパンにクソゲー呼ばわりされることだけは知っている。そういえば、昔の知り合いにも自称被害者がいた。
ファミコンからプレイステーションの時代に散見された無名メーカーと違って、JRPGのいろはを熟知し、それを実際のゲームで示してきたスクウェア・エニックスが作っているのだから、RPGの体裁が保たれていればRPG好きなユーザーであればそこそこに遊べるはず・・・なのになぜ?と思って調べてみたら、そもそもRPGじゃなかったということを初めて知った。
はっきり言って、システムを見る限りはかなり面白そうだと思った。自分はあまりゲームを知らないのだけど、ムチを使って物理法則によって動くMONOというオブジェクトを駆使しながら進んでいく、というゲームは日本にはあまり無いものだと思うし、ビリヤードみたいにオブジェクトをうまく動かしてアクションが決まれば爽快なものだと思う。
ただ、自分はプレイをしてないから糞だとは断定できないけど、「これはクソゲーだろ」と思える部分はこの素人レビュー群の中できちんと示されている。「自分の思っていたものと違う」という疑念を実際のアクションで晴らせた様子は見られない。そもそものゲームデザインが悪いのか、または優れたゲームデザインだったとしても操作性の悪さやカメラワークの悪さが帳消しにしてしまっているのではと思った。自分は3D酔いをしやすい体質(あの酔わないように工夫されてるスーパーマリオギャラクシーでもちょっと酔った、特に水中面)なので、自分から酔って苦しい思いをするためにこのゲームをプレイしようとは思えない。そういう意味でこのゲームのレビューは役に立った。
でも、先のレビューにしても、プレイアビリティの批判以外のほとんどは、ジャンルやシステムの設計や構造を無視したものばかり。
街がない、フィールドがない、仲間がいない、アイテムが少ないとかはゲーム性を考えたら当然。レベルリセットにしても、だって動かせるMONOがレベルによって変わるから、レベルを任意で上げられたらゲームが開発者の思うとおりに成り立たなくなってしまう。そもそもレベル上げはこのゲームの本質じゃない。
(それでも、一度上げたものを下げるというシステムはRPGユーザーにはかなりヘコませるものがあるらしいけれど)
ここにある与えられたものを楽しむという自然な心構えでゲームはプレイできないのだろうか。そういう自分も昔はあまりそういう気分でプレイできなかったのだけど。
それどころか「(俺の中で)聖剣伝説はかくあるべき」ということを併せて書いてるレビューが多すぎる。そういうの信者同士の共感しかもたらさないからいらないから。まるで去年一時期のサンダーフォースVIみたいで、気持ち悪い。信者の私情を挟んで批判なんかしなくても「前作とは全く違うシステム」の一言があればレビューとしては十分だから。余計なこと挟まなくていいから、その前提で「操作性が悪い」「カメラワークが悪い」とかあれば良レビューだから惜しい。
それでも腹の虫が収まらなかったらかくあるべきものを作っちまえよと言いたいけれど、それは許されないだろう。
聖剣伝説の過去のシリーズ作品に一切肩入れをしていない傍観者としては、せめて『ギルティギア2』と、良か糞かの違いはあるにせよ、同質の扱いを受けてもいいのではないか、と思った。具体的には「惜作クソゲー」というぐらいには。
日本では、というか人間の心理として、ドラスティックなシステムの変化を遂げた続編というのはあまり受け入れられないのかもしれない。個人的には、同じことを続けても楽しくないと思うのだけどね。『ギルティギア2』の関連作の『GGXX』は自分もそこそこやったけど最新作のACが一番好きだし、これだけでももっと遊べると思う。
もっとも、ゲーム性が良かったら、「これはこれで面白いけど、次はかくあるべき聖剣伝説を出してね(はぁと」という感想がもらえるはずなので、責められるべきなのはもちろん、別ゲーかつクソゲーに仕立てた開発者なのだけれど。
聖剣4がこういう作品になってしまった背景は今になっていくつか思い当たる。
このゲームを企画したスクウェアの古参スタッフ石井浩一が独立して立てたグレッゾという会社がWii専用の新作ゲームとして製作しているのが、線を振り回して攻撃するというアクションゲーム「ラインアタックヒーローズ」(仮)で、これも聖剣4と同じく物理計算を利用したゲームと分かる。らしい聖剣伝説な『レジェンドオブマナ』のスタッフが独立して設立したブラウニーブラウンは「マジカルバケーション」ってレジェンドオブマナの二番煎じを製作してるのとは対照的。
たぶん、石井氏は近年、こうした「物理法則」を取り入れたアクションゲーム(自分の中ではパッと思いつくのが『マーブルマッドネス』)に傾倒していたのではなかろうか。結果として生まれたのが『聖剣伝説4』だったわけだ。クソゲーになってしまった理由としては、スクウェアがRPGに注力してきた反面、アクションRPGは多く作ったけれども、アクションゲームを作った数はPS時代のヘッドハンティング期ですら少なかった(もしくは無かった)し、ノウハウ不足だった、早すぎたのではないだろうか。
まあ前作の存在するシリーズもので全く別ジャンルで冒険することもないだろうに、という話だが。スクウェア・エニックスの企業体質としてシリーズもの以外では売り出しにくかったのであろう。
まあとにかく、ゲームの一つ一つには、娯楽のための売り物である以上に製作者の魂が込められているわけで、そういうのを無視して一面的に糞糞糞とされるのは個人的に不憫だと思うのでここに書いてみたわけだけど。
そんなこと、多くのプレイヤーは知ったこっちゃないのだが。
http://anond.hatelabo.jp/20090130004004
よく言われるのは自然淘汰だよね。女は浮気を許さない戦略が有利で、男は浮気する戦略が有利。代償などで調整して交渉するったって、仮に破ったもの勝ちなほど遺伝の生存率に及ぼす影響が強いなら、交渉材料がほとんどなくてどうしようもない。かくて浮気しない男の遺伝子はとても滅び易く、浮気する男の遺伝子は蔓延りやすい。
根本的には、現世の物理法則ごと憎悪するしかないんじゃない?じゃなきゃ男女戦争でもやって片方はバイオテクノロジーで代用。
人類とか文化で以って遺伝子交配つまり性交を社会がいろいろコントロールしようとして成功だの失敗だの色々ゴタゴタやってきてるけど、遺伝子的にはノールールが淘汰にはめっぽう強そうだからなあ…。日本とか一夫一妻浮気禁止(建前)文化だけど、遺伝的には維持してよい文化なのか?遺伝的なコストやダメージは無いのか?と考えると、なんかやりきれない気分になる。つくづく物理法則自体の罪は重い。
作成日は一昨年のクリスマス。
ファイル名は「doutei」
どうやら童貞についてまとめたものらしい。
以下
童貞の語源
「童貞」 の本来の意味ですが、「童貞」の「童」は子供のこと、「貞」は、貞節、貞操などというように、
つまり子供の頃の状態を守る、性的に清潔で「生まれたままである」「清らかな体である」 というような意味になります。
日本語の「童貞」という言葉が成立したのが正確にいつなのかは不明なようですが、「野球」「資本主義」などと同様、
外来語由来の新しく作られた日本語であるのははっきりしていて、「Virgin」の日本語化だったようです。
日本での初出としては、1678年、捨て子などを保護し教育に勤めたニコラ・バレ神父による、
パリのサン・モール街の修道女の養成所を出発点とした「幼きイエス会」が源流となるフランスのカトリック教サン・モール修道会が、
外国人の子女のために1874年、日本の横浜に設置したフランス語の学校の名称が「ダーム・ド・サン・モール」 であり、
それの日本語表記が 「仏語童貞学校」 であることから、これを起源とするのが定説となっているようです。
この 「仏語童貞学校」、前身は 1872年 (明治5年) に来日したフランス人宣教修道女メール・セント・マチルダほか4名の修道女(シスター) により設立された、子女の教育と貧困にあえぐ子供たちの救済を行う施設 (孤児院、施療院/ 仁慈堂)が基になっていて、
しかし当初は男性の性行為未経験者を指す言葉ではなく、性別を問わず生まれたままの者、
この場合は清らかな乙女、「主のために操を守り続けるカトリック教の尼僧」のことを指していたようです。
男も女もみんな童貞だった訳ですね。
セカンド童貞について
童貞を捨ててしまった後になることがあるもの
セカンド童貞の影響
今後の展開
「童貞は一度捨ててしまうと再び持つことは出来ない。」との主張や
これまで自らをセカンド童貞だと公言する者も、積極的に研究しようとする者もほとんどいなかった。
しかし21世紀に入り、価値観の多様化が進展したことで童貞であることの利点(というより、童貞非童貞の差異の無さ)が再認識され、
なんかセカンドインパクトみたい
童貞質量保存の法則
読んで字のごとく。「童貞」の「質量」が「保存される」という法則。
近年その存在が証明された。
実例1
B君は童貞を捨てました。でもまだB君は童貞を1つもっています。
実例2
B君は童貞を2つ持っています。
ある所でC君が生まれました。
B君の童貞は1つになりました。
影響
これによって童貞は「童貞である」「童貞でない」という0か1かのデジタルなものではなく、
また、童貞は持てば持つほど捨てにくくなる性質を持っているため、
近年の理論的発展
日本では少子化の進行により新規童貞受け入れ枠が減少し、童貞の一極集中化現象が起きていると言われている。
しかし地球規模で見るとむしろ人口爆発が起こっているため、現実の現象に対して研究者によって考え方が異なる。
以下にその例をいくつか挙げる。
まだあったけど今日はこの辺で勘弁。
一昨年のクリスマスなにやってんだよ、俺。
日曜の朝っぱらからなにやってんだよ、俺。
electromagnetic anthropic principle
《物理》電磁人間原理{にんげん げんり}◆物理法則がなぜ現在のようになっているのかに対する答えの一つ。こうなっているからこそ、この問いを発する人間が電荷を持つようになったという原理
gravity anthropic principle
《物理》重力人間原理{にんげん げんり}◆物理法則がなぜ現在のようになっているのかに対する答えの一つ。こうなっているからこそ、この問いを発する人間が質量に応じた力を受けるようになったという原理
strong anthropic principle
《物理》強い人間原理{にんげん げんり}◆物理法則がなぜ現在のようになっているのかに対する答えの一つ。こうなっているからこそ、この問いを発する人間が必然として生まれたという原理
weak anthropic principle
《物理》弱い人間原理{にんげん げんり}◆物理法則がなぜ現在のようになっているのかに対する答えの一つ。こうなっているからこそ、この問いを発する人間が生まれる可能性があったという原理
私たちが真実と考えている事が、理論によって規定されているとすれば、どのようにして真実を哲学の基礎に据えることができるのでしょうか。探求され理解されるのを待っている宇宙が存在すると考えているという意味で、私は実在論者であるといえるかもしれません。すべてが想像の産物であるとする唯我論者の立場は時間の無駄であると考えています。そのような原理に基づいて行動する人はいません。しかし、理論がなければ、宇宙について何が真実であるのか理解できないのです。
そこで今まで単純すぎるとか幼稚であると書かれてきましたが、私は、物理理論とは観測結果を記述するための数学的なモデルに過ぎないという立場をとります。ある理論がよい理論であるのは、すっきりしたモデルであり、広い範囲の観測を記述し、新しい観測結果を予言できる場合です。
それを越えて、その理論が真実に対応しているのかと尋ねることは意味がありません。なぜなら、私たちは真実とは何かを知らないからです。
科学理論をこのようにとらえると、私は概念道具主義者、あるいは実証主義者になるかもしれません。実際その両方で呼ばれてきました。私を実証主義者と呼んだ人たちは、実証主義は時代遅れであると付け加えました。これも軽蔑する事で反論するということのもうひとつの例です。過去の知的流行であったという点では、私は時代遅れかもしれません。
しかし今まで簡単に述べた実証主義的な立場だけが、宇宙を記述して新しい法則と手法を探している人がとりうる立場だと思います。
モデルに依存しない真実の概念が存在しない以上、真実に訴えかけても駄目なのです。
私の意見では、科学哲学者が量子力学や、不確定性原理に対して抱いている困難の根本的な理由は、未だに明らかにされたことのない、モデルに依存しない真実があると信じていることだと思います。
少し違う気がする。
明確に2つ、違和感を感じる所があった。
といっても、論理と理論の違いの解釈は、大まかにあってると思う。
それに、オレ自身、論理と理論の違いについて厳密に言い表せる自信はないんだが・・・。
論理と理論の違いを調べてて分かった解釈と、この言い分がちょっと違うと思ったので、それを書いておく。
ろん‐り【論理】
1 考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。「―に飛躍がある」
り‐ろん【理論】
個々の現象を法則的、統一的に説明できるように筋道を立てて組み立てられた知識の体系。また、実践に対応する純粋な論理的知識。「―を組み立てる」「―どおりにはいかない」
オレの解釈がドコまであってるのか、まだ突き詰めてないから自信はないが。
単純に、論理と理論の決定的な違いは「理屈がまとまったものか、そうではないか?」の違いだと思う。
論理は考えや議論の筋道の事や、思考や論証を組み立てる事そのもの、思考の妥当性を保障する法則や形式(考えている事がいかに正しいかという事の説明)を指し示す。
理論は筋道を立てて組み立てられた知識の体系のこと。つまり、既にまとまったものを指し示す。
まとまっているものであれば、それは行き渡った理論ではなく、実践に対応するためだけの簡易的な論理も、ひとまとまりとして理論と呼べる。
おそらく、論理と理論の最も分かりやすいシンプルな違いは「まとまっているかどうか」
この違い。
なので、論理や理論において、事実と結果は、関係性がないに等しいと考えていいと思う。
検証になるかどうかわからないけど、現にYahoo辞書で、こんな調べ方をすると・・・
り‐くつ【理屈/理×窟】
1 物事の筋道。道理。「―に合わない」「―どおりに物事が運ぶ」
「2 無理につじつまを合わせた論理。こじつけの理論。」の論理と理論を逆にすると、意味が適さないのがわかる。
「無理につじつまを合わせた理論」はありえない。何故なら理論とは、すでにまとまっているものだから。すでにまとまっているもののつじつまを合わせることは不可能。
もしかしたら、簡単に説明するために出した例えで、ここらへん承知してるかもしれないけど。
事実と結果は論理や理論に必ずしも必要ではないという事を強調したかった。
事実や結果に縛られて、自由な論理や理論を展開できなくなるのは、あまりにも惜しい。
ただ、理論においては、現象を説明しきる事において、実証が必要な場合が多いだろうけど。それでも筋道が正しければ、明確な実証がなくても、ほぼ実用的な効果が期待できるだろうと見込める理論はあるだろう。
なので調べても理解に苦しむ(と思う)し、ゴッチャになってても無理はないと正直思う。
オレ自身、論理と理論の違いを意識して使い分けた事は全然なかった。
というか、論理的なこともすべて「そういう理論だ」っていう言い回しでまとめあげてた。
論理じゃなくて、理論って言葉のほうばっかり使ってました、語感でw
論理と理論の違いをゴッチャにしてる人でも、言いたい事はほぼ同じだと思う。
論理と理論の言葉の違いは「理屈がまとまっているかどうか」にあるけど、
この二つの言葉を使う人で、言いたい事をあらわす場合、殆どにおいて「理屈が組みあがったものか?それとも理屈を組上げているものか?」っていう、この違いが重要になってくるとは、とても思えない。
論理って言葉を使ってる人も、理論って言葉を使ってる人も、言い表したい事は、自分の思っている事を筋道たてて、いかに妥当性があるか説明したい、という事であって
その説明をする”はこび”を論理とか理論って言葉で表すんだと思う。
その言い回し一つの違いを取り上げて、「まとまったものではないから”理論”というのはおかしい!」って言うようなツッコミを思って、相手の言い分をすべて疑ってしまうのは、重爆の隅をつつくようで、もったいないと思う。
この言葉の違い一が、検算ができるかどうかという例えとは繋がらないし、適さない。
論理と理論をゴッチャにして使ってる人は、言葉選びの中で、この二つの言葉が似たような言葉で、さらに厳密に使い分ける必要性が大きくない事を感じてるから、ないがしろにして、ごちゃごちゃにして使っちゃうんだと思う。
やっぱり、議論の比重を考えても、論理と理論って言葉の違いを使い分ける比重ってかなり小さいと思う。
それよりも、相手の言いたい事を相対的に理解する事の方が大切だ。
発言者は相手に意味が通じるだけの最低限の言葉選びをする必要はあるけど、おそらくそこで論理と理論の言葉の違いが話題に重大なダメージをあたえる状況は、そうそうないだろう。
言葉尻よりも、相手の言い分の本質、言葉という器の中に入っている、本当にあらわしたい感覚に耳を傾けるべき。
もし論理と理論の違いが「理屈がまとまっているかどうか」って違いじゃない!という違う解釈があったら
それはどういうものか聞いてみたい。
ネットでビジネスやってる従業員100人未満の規模の会社を3社渡り歩いてきた。
3社ともポータルとかECとかのB2Cをやってて、エンドユーザーの個人情報を預かることも多いんだけれど、
きっとどの会社でも状況は似たり寄ったりだろうと思って書いてみる。
この話は、野球と異性選択の話だけしか書いてないが、今流行の職業の選択の問題について考えてみたい。
5社、自分の入れそうな会社(入社試験に落ちない)があって、できるだけ相性のいい会社に入りたい時、
1社目…とにかく退社。
2社目…1社目よりも条件がよい会社であれば継続。そうでなければ退社。
3社目…今までで一番よい会社であれば継続。そうでなければ退社。
4社目…今までで一番よい会社か、二番目によい会社であれば継続。そうでなければ退社。
5社目…とにかく継続する(しかない)。
となるわけだ。そしてほとんどの人は2.05社目の会社を継続することになる。
実際、相性度数をそれぞれ1点から5点として、ランダムな順序で出会う時、「4」「2」「5」「1」「3」という順序で出会えば、法則に従って、3番目の「5」を継続するのが最上となる。
しかし、「1」「2」「3」「4」「5」と並んでいた場合には「2」を選択してしまうし、「5」「4」「3」「2」「1」となっていた場合には「1」を選択してしまうことになる。しかしこの両者の並び方になるパターンは確率的に少ないので、やはり全体的には法則通りにした方が好結果が得られる可能性が高い。
問題はだ! こういう「交換選択」しかないために「1」を選択せざるを得ない可能性が残り、「5」を選択できない可能性が大きくあることだ。
もしも「同時選択」、つまり5社全ての入社の可能性を同時に保持できるやり方があれば、5社全てを経験し、結果的にもっとも相性のいい「5」を確実に選択できるのだ!
「職業選択の自由」を憲法がもし完全に保証するならば、「同時選択」が可能な求職システムを早急に作ることが求められているのではないか?
【降臨賞】空から女の子が降ってくるオリジナルの創作小説・漫画を募集します。
http://q.hatena.ne.jp/1231366704
条件は「空から女の子が降ってくること」です。要約すると「空から女の子が降ってくる」としか言いようのない話であれば、それ以外の点は自由です。
字数制限 : 200??1000 字程度
あー、もう期末テストの出来は最悪だったと思って空を見上げたら、なんか黒い物体が空に浮かんでた。飛行機かと思って見ていたらだんだん大きくなってくる。微妙に落ちてくる感じだ。世界史は他の科目との兼ね合いで、一夜漬けで勉強しなければならなかったから徹夜になってしまって、目が疲れてるのかもしれない。下を向き、目頭を二、三度両手で揉むようにして、もう一度、空を見上げた。やはりどうみても何かゆっくりと落ちてきている。しかも、はっきりと視認できたが、人間のような形をして、水着っぽい何かを着ている女の子にように見える。
待て。落ち着け。常識的に考えろ。こんなにゆっくり落ちてくるなんて自由落下の法則を無視してるだろ。ニュートンが困るだろ。ニュートンの身にもなれ。そんなことを考えているうちに、スク水である事が判明し、しかもどうやらこっちに目がけて両手を広げるような姿勢のまま、目をつぶって落ちて来てる。自由落下の法則を打ち破っている事が一番の問題のような気がしていたが、本当に大事なことはそれで良かったのかわからなくなってきた。
第一、なんで空から降ってきてるんだ? 昔何かの本で、空から魚が降って来たという話を読んだ事がある。その話によれば、何でも竜巻とかで空に巻き上げられた魚が降ってきたことがどこかの国であったそうだ。竜巻って牛も空に浮かべる力があるらしいから、案外学校のプールの時間に水泳していた女の子が竜巻に飛ばされて今落ちてきているのかもしれない。問題は、今、季節が冬という事くらいで、竜巻に飛ばされたにしては随分長い間空に浮いてたんだなあという事くらい。この説はありえるかもしれない。
いや、待て落ち着け。ここはベタに宇宙人説だろう。今空から降ってきてる女の子は、やっぱり宇宙人だよ。そうしないとゆっくり落ちてきている説明がつかない。たぶん地球では開発されていない反重力エネルギーか何かの力を込めたペンダントをしてるというありがちな設定だろう。そのまんまラピュタじゃん、あれ、シータは宇宙人だっけか? もう何年も見ていないから忘れてるだけかな? シータが海賊のオバサマの若い頃とそっくりというのは、アニメの中で最もきついトラウマの一つだ。
などと考えていたら、どきりとするくらい近い距離まで女の子は落ちてきてる。黒いツヤツヤの髪は肩のあたりまでありそうな長さだ。反重力が効いているのか、黒髪は緩やかに広がっている。目は閉じているけど顔は、かなり可愛くて、色白って感じ。日本人っぽい宇宙人なのだろうか。えーっと、ペンダントは・・・してない。これはラピュタではないみたいだなと思いながら、胸元の白い肌を見ていた事を再認識して顔がかあっと赤くなった気がした。
このまま行くと、恐らくこのスク水で可愛い女の子を持って返らないといけない流れになるのでないだろうか。突然現れた女の子と繰り広げるどたばたラブコメディ。もうベタすぎて困るくらいだが、一生に一度はそういうベタな展開があってもいいだろう。許す。
まず、ゆっくりと女の子を着地前に抱きとめて、しっかりとお姫様抱っこするだろ、すると女の子が目覚めて、「ここどこ?」と言うんだろうな、日本語だな、当然。「大丈夫。心配ないよ」と言いながら学生服の上着を着せるだろ。しかし、スク水に学生服。これは想像しただけで凄まじい破壊力。
とりあえず、家までつれて帰って部屋に入れるだろ。待て、飯はどうしよう。着替えもないぞ。それよりもまず、親にはなんて言えばいいんだ? 「ごめん、降って来たから拾って来ちゃった」とここは正直に行くべきか。「自分でちゃんと世話するのよ」という話の流れになるのだろう、ベタに。まあ、最初からベタだからそこはベタでも問題無さそうだ。
うわ、もう2メートル上空。
緊張で喉がカラカラに渇いて、思わず、唾を飲み込んだ。落下速度はますますゆっくりになっている。
そして1メートル上空。手を伸ばして、女の子に指が触れるのを待つ。いやらしくないところをキャッチしないと、いやいや、安全が第一。いやらしいとか考えていること自体がいやらしいわけでこの場合、下に落として怪我させたりしない事が何よりも優先されるから多少アブナイ場所をさわってしまう事は不可抗力であり、「どこ触ってんのよ!」という言葉を引き出すことこそがラブコメの王道であり、使命であり、ファンの総意であり、正義であるはずだ、うわわ、あと30センチ、10センチ、3センチ・・・
これ以上ないというくらい女の子のおっぱい体に伸ばした右手が、まさに体に触れようかという刹那・・・
ぎゅおおおおおおおおおんんんんんんんん・・・・・・・・・
音が『あと』だった。女の子の体が、音速を超えて空の彼方に消えていくのが先だった。
女の子は右手が触れるほんの一瞬前、空に向かって信じられないような速度でバックしたのだ。
まるで、右手に触れて、バウンドしたボールのようにどこまでも青い空に吸い込まれるように飛んで行った。触れてないけど。
虚空をむなしく彷徨う右手をズボンのポケットに入れた。無意識に一言だけ口から漏れた。
「なんだったんだよ、全く・・・」
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「m9(^Д^)プギャー 、なんだったんだよ、全く・・・来た!」
「いやーベタですねー」
「ベタだねー」
「途中、微妙に勘がよくてあせった(^^;」
「俺もオバサマ、トラウマだよ」
「このベタさがいいよねー」
「和むわー」
掲示板に書き込みが相次ぐ。
ここは、銀河第2ちゃんねるの『バウンドガール』スレッド。バウンドガールという女の子を降らせるおもちゃを使って、地球人の反応を見て宇宙人が喜ぶスレッドだ。降ってくる女の子を見た地球人が色々な妄想をするのをモニターしつつ、掲示板に書き込みする。
もちろん、最後に女の子が飛んでいったあとの反応を見て楽しむのが、最後の山場だ。
地味に宇宙人の間でブームになっている。
そして今日も、どこかの地球人の所に女の子が降り、宇宙人が喜んでいる。
http://d.hatena.ne.jp/g616blackheart/20090108/1231398885
http://anond.hatelabo.jp/20090108151602
で、「ザ・シークレット」が平積みされてて、立ち読みした感想。
ザ・シークレットってようは引き寄せの法則。
「自分に起きた出来事は、すべて自分の意思や思考が原因で引き寄せたものだ」という法則のこと。
引き寄せの法則は、物事の捉え方、あるいは考え方のひとつの方法に過ぎないが、理にかなっていると思う。
ただし、さすがに「すべて」ではなく「ほとんど」であると思うが(例えば、人の死は思考でなく寿命、運命が原因でしょ)
もっとも、引き寄せの法則を語る連中は、法則をさらにスピリチュアルに発展させ、「ただ強く願う(言う、紙に書く)だけで、現実化する」というが、これは甘い期待だ。
やりたかったり、やらなきゃいけないとずっと思っていても、「けじめ」や「規律」が欠けているため、できないときがある。
実業家とかで、願ったら叶ったという人は確かにいるが、それは周囲がお膳立てしてくれる金持ちのボンボンやエスタブリッシュメントがあるからに過ぎない。
引き寄せの法則関連によく出てくる、「一部のエリートのみが」云々は、引き寄せの法則が秘密だったからではなく、願っただけで叶う温室育ちの環境は一部の上流階級でしかありえないからじゃないか。
また、思考は現実化するため、ネガティブなことは決して考えてはならないとも書かれている。
精神衛生とか、メンタル的にはネガティブなことをくよくよ考えるべきではないし、ポジティブで明るいことを想像すると、安定した心理状態を得られるのは事実だ。
しかしだからといって、否定的なこと、起きて欲しくないリスクについて考えを巡らすこと自体を禁止してしまうのは、飛躍し過ぎだし、恐ろしい思想統制だ。
メンタル、あるいはメンタル状態が大きくパフォーマンスを左右するスポーツの競技中は、ネガティブな感情は消しさるべきだ。
しかし、将来に向けてロードマップを計画しようとするとき、あるいはビジネスの世界では、常にリスクを意識し、対処することが不可欠だ。
最後に、やや話は脱線するが、光があれば影があるように、ネガティブな思考を完全に除去することはできない。だからあえて目をそらさずに、その存在を認めた考え方のほうが、より現実を表しているのではないか。