2009-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20080316210124

少し違う気がする。

明確に2つ、違和感を感じる所があった。

一つ目は、論理理論の違いについて。

二つ目は、論理理論の違いを分かっていない人への対応。

といっても、論理理論の違いの解釈は、大まかにあってると思う。

それに、オレ自身、論理理論の違いについて厳密に言い表せる自信はないんだが・・・。

論理理論の違いを調べてて分かった解釈と、この言い分がちょっと違うと思ったので、それを書いておく。

とりあえずオレは辞書意味の違いを調べたので、それを引用

ろん‐り【論理

1 考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。「―に飛躍がある」

り‐ろん【理論

個々の現象を法則的、統一的に説明できるように筋道を立てて組み立てられた知識の体系。また、実践に対応する純粋論理的知識。「―を組み立てる」「―どおりにはいかない」

オレの解釈がドコまであってるのか、まだ突き詰めてないから自信はないが。

単純に、論理理論の決定的な違いは「理屈がまとまったものか、そうではないか?」の違いだと思う。

論理は考えや議論の筋道の事や、思考や論証を組み立てる事そのもの、思考の妥当性を保障する法則や形式(考えている事がいかに正しいかという事の説明)を指し示す。

理論筋道を立てて組み立てられた知識の体系のこと。つまり、既にまとまったものを指し示す。

まとまっているものであれば、それは行き渡った理論ではなく、実践に対応するためだけの簡易的な論理も、ひとまとまりとして理論と呼べる。

おそらく、論理理論の最も分かりやすいシンプルな違いは「まとまっているかどうか」

この違い。

なので、論理理論において、事実と結果は、関係性がないに等しいと考えていいと思う。

検証になるかどうかわからないけど、現にYahoo辞書で、こんな調べ方をすると・・・

り‐くつ【理屈/理×窟】

1 物事の筋道。道理。「―に合わない」「―どおりに物事が運ぶ」

2 無理につじつまを合わせた論理こじつけ理論。へりくつ。「―をこねる」

「2 無理につじつまを合わせた論理こじつけ理論。」の論理理論を逆にすると、意味が適さないのがわかる。

「無理につじつまを合わせた理論」はありえない。何故なら理論とは、すでにまとまっているものだから。すでにまとまっているもののつじつまを合わせることは不可能。

こじつけ論理ってのは意味を成すけどw

もしかしたら、簡単に説明するために出した例えで、ここらへん承知してるかもしれないけど。

事実と結果は論理理論に必ずしも必要ではないという事を強調したかった。

事実や結果に縛られて、自由な論理理論を展開できなくなるのは、あまりにも惜しい。

ただ、理論においては、現象を説明しきる事において、実証が必要な場合が多いだろうけど。それでも筋道が正しければ、明確な実証がなくても、ほぼ実用的な効果が期待できるだろうと見込める理論はあるだろう。

  • 論理理論の違いを分かっていない人への対応。

論理理論言葉も似ていて、意味も似ている。

なので調べても理解に苦しむ(と思う)し、ゴッチャになってても無理はないと正直思う。

オレ自身、論理理論の違いを意識して使い分けた事は全然なかった。

というか、論理的なこともすべて「そういう理論だ」っていう言い回しでまとめあげてた。

論理じゃなくて、理論って言葉のほうばっかり使ってました、語感でw

論理理論の違いをゴッチャにしてる人でも、言いたい事はほぼ同じだと思う。

論理理論言葉の違いは「理屈がまとまっているかどうか」にあるけど、

この二つの言葉を使う人で、言いたい事をあらわす場合、殆どにおいて「理屈が組みあがったものか?それとも理屈を組上げているものか?」っていう、この違いが重要になってくるとは、とても思えない。

論理って言葉を使ってる人も、理論って言葉を使ってる人も、言い表したい事は、自分の思っている事を筋道たてて、いかに妥当性があるか説明したい、という事であって

その説明をする”はこび”を論理とか理論って言葉で表すんだと思う。

その言い回し一つの違いを取り上げて、「まとまったものではないから”理論”というのはおかしい!」って言うようなツッコミを思って、相手の言い分をすべて疑ってしまうのは、重爆の隅をつつくようで、もったいないと思う。

この言葉の違い一が、検算ができるかどうかという例えとは繋がらないし、適さない。

論理理論ゴッチャにして使ってる人は、言葉選びの中で、この二つの言葉が似たような言葉で、さらに厳密に使い分ける必要性が大きくない事を感じてるから、ないがしろにして、ごちゃごちゃにして使っちゃうんだと思う。

やっぱり、議論の比重を考えても、論理理論って言葉の違いを使い分ける比重ってかなり小さいと思う。

それよりも、相手の言いたい事を相対的に理解する事の方が大切だ。

発言者は相手に意味が通じるだけの最低限の言葉選びをする必要はあるけど、おそらくそこで論理理論言葉の違いが話題に重大なダメージをあたえる状況は、そうそうないだろう。

言葉尻よりも、相手の言い分の本質言葉という器の中に入っている、本当にあらわしたい感覚に耳を傾けるべき。

  • 最後に。

もし論理理論の違いが「理屈がまとまっているかどうか」って違いじゃない!という違う解釈があったら

それはどういうものか聞いてみたい。

記事への反応 -
  • はてなは、理屈っぽくて、議論大好きな人が多いところが好きだ。 でも、論理と理論をごっちゃにして使っている人がいると、がっかりする。 がっかりは言いすぎだけど、せっかくの...

    • 少し違う気がする。 明確に2つ、違和感を感じる所があった。 一つ目は、論理と理論の違いについて。 二つ目は、論理と理論の違いを分かっていない人への対応。 といっても、論理...

    • とんでも理論は論理的ではないw しかし、理論と名をつけてもいい。

    • http://anond.hatelabo.jp/20080316210124 ブクマありがとう。どんなものでも反応をもらえるのは、やっぱりうれしい。 読み返してみると、たしかに省略が多いかもしれないと思う。 かといって...

    •  チベット問題に対する中国への抗議で、増田として出来ることってなんだろう? ・チラシを作って電車の広告のところに貼っていくとか? ・チベットの動画ファイルをエロいタイト...

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