はてなキーワード: 機会損失とは
>詳しいことは作業日当日にならないとわからない
移行手順書とか作ってないと死ねる気がするけど・・・
類似するな他社のケースを日経情報ストラテジーとかにないか調べて、そこに書いてある時間の200~300%とかかなー?
記事がないなら、見積もりできないので1日~3日とか超振れ幅大きい形で回答するしかない。
ま、横レスしてる増田の言うとおりやっぱりソフトの開発元に当たった方が良いと思うけどね。
ちなみにSAP関係なら、SCMとかの移行はシステム止めないように1日で済むように準備するのが基本。
「何日で移行する」ってのが前提で、それで移行できるように準備&移行テストしていくのが本来の姿かと。
リスキーさを金額で示すために、システム止まったときの1日辺り機会損失は、該当する年間売上とかを日数で割ってあげるとよろし。
Pixivでの無断転載禁止の話について思ったことを、他のイラスト系サイトもまとめて考えてみた。
会社で締め切りのある仕事やってて、ああ素材がない時間が無いとやっているとき、手軽に人のイラストやなんかを使いたくなる衝動に駆られる。しかしやらない。素材フリーで加工OK、ただし著作者の名前だけはいれてくれ、というやつでも駄目だ。
理由その一。名前を入れると広告の場合なにを広告しているのか分りにくい。ただでさえ少ないスペースで情報をつっこまなきゃならないのに、著作者の名前までいれていられない。
理由そのニ。上司を説得するのが難しい。
「こういう素材フリーで加工OKという素材がありますが名前だけ出せばOKです、使ってもいいですか」
「契約書あるの?」
「ないです、ついでに用意してる時間もないです」
「やめときなよ前例ないし。なんかあったときめんどうだよ」
理由その三。権利関係は対企業の場合とても大変。
理由その四。企業、及び無断使用者は、絵師を宣伝するために存在してるわけではない。特に金払って作ってる側からいえば、フリーだっていうのになんでわざわざ絵師の名前を宣伝してやる必要があるのか、ということになる。非常に身勝手な考え方なのだが、それくらいなら金払うだけで済む素材集や無断のほうがまし、と思ってる人は多いはずだ。
以上の理由から、人は無断使用か使用しないで泣きながら残業するかどっちかを選ぶわけだ。
機会損失の点からいえば実はどっちも損をしている。著作者側はその作品が自分のものであると証明したい、それだけなのに、それがあるために作品が多くの人の目に触れる機会をなくしていることもあるのだ。
そんなわけで、私は著作権フリーの場合には、一報入れた上で絵師のサイト上に使用された作品を掲載する、という方法を提案したい。
リンク形式だと非常に楽である。これならおそらく、簡単に自分の絵が使用されている一覧集を作成できる。
今のように禁止だけしても、たまに違反者が晒しあげられて炎上ネタになるていどで、現状なにも変わらなくなっていくだけだ。慣習法を自分たちだけで作ってもあまり意味が無い。
正直な話、無断で素材を使う奴というのは一報いれたり許可とりにいくほどアクティブな人間ではない。不愉快ではあろうが、絵師側で把握して管理していくほうが、おそらく手続きにのっとって使用してくれる人が増えると思う。
禁止したところで罰則もなければ運の悪いやつが炎上する程度と思ってる人間に対して理を説くより、絵師側にも使用側にも得になる方法を考えてみた。
でも、たぶんこの意見、総叩きだろうな。
何か色々ひどい内容だったので、ちょっと書いてみる。
「勝てないゲームなら、ルールを変えよう」という発想には大賛成なのだけど。
資本主義においては、資本を持った者が強い。そして、資本が多ければ多いほど有利に働くという構造のはずである。それでは、私たちはどのような資本を持っているのだろう?
……中略……基本的には「労働資本」に頼るしかない。自分自身が「原資」になって、毎月の給与が「利回り」になるというわけだ。
もし、あなたが年収600万円を稼ぐ労働者だとすると、年利5%で計算すると、1億2000万円の資本を回転させていることになる。こうして考えると自分自身ってすごい資産価値なのだな、と関心するだろう。
貧乏人の気休めによく使われる詭弁。「働ける」ということは生きていて生活しているということなのだから、それだけで金がかかる。一年の衣食住にかかる経費を計算して、それは死ぬまで続く返済だと考えてみたらどうだろう。僕は死にたくなる。
気持ちの面だけではなくて、そういう毎月の支払いがあるので、労働資本を投資する際にはリスクも利回りも高い選択を取ることが難しいはず。大きな数字を見て気分が良くなっても、現実は何も変わっていない。
次にゲーム理論の話が出てくる。囚人のジレンマについて丁寧に解説してくれているので原文をよく読んでほしい。かなり恣意的な数字だが、こういうケースもあるだろうと仮定して進める。(説明が無いが、表の中の数字は、左側が労働者の利得、右側が雇用者の利得。「利得」とはこの場合「利益」と言い換えてもいいだろう)
しかし、ここで「あれ?」と思った人は多いだろう。表を見れば明らかだが、お互いに利得が大きい(5.5)「がんばる」×「高く雇う」という組み合わせがあるのに、わざわざお互いに利得の少ない組み合わせを選んでしまっている。これがゲーム理論で言うところの「囚人のジレンマ」と呼ばれる現象だ。
その通り。
「囚人のジレンマ」は2者間の選択肢の均衡が、必ずしも最適解にならないという現象である。なぜ、こうした事が起きるのかと言えば、お互いの利益だけを最優先にするために起こる矛盾なのだ。つまり、「自分の利益」を追求するあまり、「木を見て森を見ず」状態になってしまい、みすみす得られたはずの利益を逃してしまうということだ。これは大きな機会損失である。
だんだんおかしくなってきた。
この“機会損失”をなくすには、全体にとっての最適解つまり「会社にとって何がベストか?」を関係者全員のルールとすることである。つまり、このゲームのルールを変更しなければ、いつまでもこの機会損失は続くことになるのだ。
労働者にとっては「雇用者側に立つ」ということだ。これは「雇用者になる」ということではない。「経営者の視点で働く」ということである。そうすることで、自分にとって、ではなく、会社にとってベストな働き方になる。……以下略
そしてお決まりの、「利己主義を止めて全体主義になれ」だ。こういう論には、ゲーム理論をもってくる意味が無い。小さな「知の欺瞞」みたいなものだ。ここでは「囚人のジレンマ」は説教臭い寓話にしかなっておらず、この理論から得られる知見は捨てられている。
ここで、原文の筆者は表を書き換え、
10 8
8 6
という単純な構造にした。労働者と雇用者の利得を一体のものとして扱う、という意味で。しかし、読者にこの表を見せることはない。読者はこの表を見たら当然、「どう分配するの」という疑問を抱くだろう。元々は分かれていて、自分の利得はいくらなのかはっきりしていたのだから。つまり最初の表には大して意味が無かったのだ。
それに「雇用者と労働者でどう利益を分配するか」何て歴史的な難問に足を突っ込んだら、マルクスから復習しなければならなくなる。そんなのネットのコラムの原稿料には多分見合わないだろうし。
この単純なバージョンの表は、ただルールを曖昧にしただけで、利益が増えるとはどういうことか、という問題に全然触れていない。それもそのはず、このルールは最初から一つの企業の中だけで完結しているので、経費節減以外に利益を増やす方法が出てくるわけが無い。
そこで、ちょっと複雑な数字パズルを導入し、新しいことを覚えたような気にさせ、「協力は尊い」と説教する。でも、「2の利得を諦める」というのは、ビジネスの否定だよ。(5. 5)の答えはwin-winになっているよう見えるけど、なっていない。「目の前にある2の利得を諦めなければ、2の利得を得られる可能性は無い」と言っているんだから。ビジネスじゃなくて胴元が勝つようになっているギャンブル。
ゲーム理論だの囚人のジレンマだの持ち出さないで、そのまま書けば良かったのに。「あなたの利益を最大化するため、立場の違う人とも金銭的な面を含め協力し合いましょう。その際は、組織の外部を意識することで最適な妥協点が見いだされるでしょう」とか。原稿料は貰えないかもしれないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090730193814
私の場合は、待ち合わせの時間と場所をきちんと決めて、時間通りに集合することが多いので、携帯電話を持っていなくてもとくに問題は生じない。
誤解される書き方だったかもしれません。あやまります。
待ち合わせにおいては、友人のように携帯電話を持っていなくても不都合は生じないし、私自身も待ち合わせに関して携帯電話はまったくといっていいほど使ったことがないという趣旨です。
いや、あなたが携帯を持っていないってことを前提として機会損失って言葉を使ったわけでね。
携帯を所持していない友人は機会を損失しているんですかね? 近くで見ている限り、ほぼ私と同じ労働環境、人間関係にありますが。違う点は友人には配偶者がいて、私は独身ということぐらいでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20090730174242
http://anond.hatelabo.jp/20090730174814
http://anond.hatelabo.jp/20090730171813
まず、誤解されてるようですが、私自身は携帯電話を持っています。友人の中に携帯電話を所持していない人がいるという話です。
それから、私もその携帯電話を所持していない友人も、裁量労働が認められる職種なので、仕事が理由で遅刻するということはほぼゼロなので、仕事で遅れるという感覚がありませんでした。失礼しました。
職場の同僚はすべて裁量労働なので、仕事の後(あるいは途中)になりゆきで食事や飲みに行くこともありますが、職場が違う友人とは、店を予約した上できちんと待ち合わせられる日時にでかけます。店が決まっていれば、遅刻する場合にも対応が可能ですよ。
その「科学的」の扱いをめぐってゴタゴタしてるという話ではないのか…?
この二つの問題は、少なくとも科学の側からは明確に分けられるし、科学者は自覚して、そこを分けて振舞うべきなんだけどな。
こういう態度じゃもうダメだよね、科学者も社会的責任果たさなきゃっていうのが現代の科学技術社会論とかの主張で、それに対する支持はどちらかというと大きくなりつつある。もちろん事実として、見向きもしない科学者は多いけどね。
他の人も言ってるけど、菊池誠さん(阪大教授)とか、最近科学者もけっこう発言するようになってきている。日本物理学会でニセ科学問題にどう対処するかってセッションも開かれたぐらいだし。
多分以下のようないくつかの問題がからみあっているのでややこしくなっている。
まあ、それを解きほぐすのが倫理学の仕事だといえば、その通りなんだけどね。
元増田の言ってることは「戦線を限定すべき」という意味では大賛成なんだけど、「倫理」とか「知的誠実さ」とか言わない方がいい。話が拡散するので(実際スレッドを追うと拡散してる)。
単に「科学的手続きを踏まえていないものを科学と呼ぶな」って言えばいい。
「科学的手続きとは何か」というのはある程度わかりやすく説明できる。>その手の本はいろいろ出てるので興味のある方は読んでください
ややこしいのは、「科学的手続きを踏まえていないものを科学と呼ぶな」というパフォーマティブな言明は何を意味するのか、ということ(誰が言うべきか、そもそもなぜ言うべきなのか、言ったら効果があるのか)。
で、さらにややこしいのは「じゃあ科学とは呼ばないよ。科学的手続きを踏まえていないものを「世界の根本原理」と呼んで広めることにするよ」となったときにはもう、「科学的手続きを踏まえていないものを科学と呼ぶな」という言明は無効化されちゃう。そこでさらに深追いして「科学的手続きを踏まえていないものを口にするな」なんて言っちゃったら我々の日常的コミュニケーションのほとんど全てがひっかかっちゃうからね。
法律に触れるようなことはもちろん法律で裁けばいい。でも、そうでないもの、グレーゾーンなものは難しいよね。「ある人を救うためにナイフで刺すことがベストな方法」って思ってる人が本当に刺しちゃったら犯罪ってことで処理されるし、ある種の代替医療とかはそれに近いところまできちゃってるのかもしれないけど、水伝なんかはそうとは言えないからね。
確かにあれで授業を受けた子どもは、色々な意味で「機会損失」があるわけだけど、それは法には触れないし、「科学」というラベルを外せば先の批判は無効化されるから、あとは「議論」していくしかないんだよね。科学に対する価値観の違う者同士で。
突然、先週の水曜日の帰り際に発した僕の一言がここまで周りからの反響があるとは思ってもいませんでした。
男性ばかりの芸能事務所で働いている僕は、アイドルグループ所属ということもあり、
人前で裸になることはまったくありません。テレビの収録や部ステージでは着衣であり、テレビの前で脱ぐことはありません。
年齢が年齢なので、年下グループのような胸元がはだけた半裸になることも滅多になく、
ましてや全裸は皆無に等しい状況でした。(シンゴと2人で酒を飲んだ夜などは除く。)
しかし、「ぷっ」すまを始めてダンスの万能さを見せつけたり、「画伯」の名で呼ばれるようになってからは、
いろいろな方々と会うことが増えました。
特に江頭さんは、いつもどこかしら肌を露出させています。
首/肩/おなか/腰/男性器
などなど。
「露出」と聞くと「え~。」と引く人も多いですが、江頭さんの露出は周りの人をも裸にする、楽しい露出なのです。
それまで実際には脱いだことがなくてもテレビでは見たことがあるのですぐに「自分も!」となったり、
江頭さんとの露出で開眼し、オフタイムにも露出するようになったりと、江頭さんとの露出にはさまざまな相乗効果があります。
ところが、男性ばかりで女性の全裸―(全裸になる人・造語です)は少ないように思います。
つまり、現状では男女一緒に全裸になるのは難しいということです。
これはもったいないというか、出会いの少ない女性にとっても機会損失を招いており、
全裸は未開拓な分野なのではないでしょうか。
最近では、初めて会う男女がバーベキューやゴルフ、旅行といったイベントを通じて「婚活」するように、
全裸でゆるいコミュニケーションを交わす中で男女の仲が深まることもありえると思うんです。
全裸になることからその人の性格や好み、自分との性格の一致・不一致がわかるので、
初対面でいきなり会うよりもずっと恋愛に入りやすそうです。
特に、気に入った人と肩を組み、一緒に酒を飲み、
共に流ちょうな韓国語で歌など歌うことによって積極的に互いを知ることができます。
「シンゴー!」等、親友の名を叫ぶのも有効。それによってコミュニケーションがより一層深まります。
すでに全裸になってしまっている人は婚活用のパンツをサブパンツとして履きなおすのも良いのではないでしょうかw
(あまりオススメではありませんが。。。)
同じグループの仲間、どこかの芸能事務所社長、違う事務所の人、別のグループのメンバー、
10歳以上離れてる大物女優、一発屋、大御所、一流芸能会社の社員、離婚したての芸能人、など。
自分が絶対に出会わないであろう人と気軽に話せるのも全裸の魅力です。
一流芸能会社の社長と全裸友達になったりしたら、友達に自慢できるのではないでしょうか。
むしろ、一緒に番組をはじめたり、ビジネスライクな会話にも発展するかもしれません。
全裸はまだまだ発展途上で、Twitter自身も露出する側もその可能性の限界が見えていません。
その都度、我々全裸―が全裸の活用方法を見出して楽しく元気に脱いでいけばいいのです。
きっと、全裸の楽しさや開放感はこれからもたくさんの人に受け入れられていくでしょうし、
女の子だってどんどん増えていくと思います。
もし、すでに気になる女の子が近くにいてなかなか声を掛けられないでいるなら、
まず「僕、君に似てるお椀型のおっぱいの子とテレビ局ですれ違っているんだけど、まさか○○さん?」と
声を掛けてみるのもいいかも。似てる似てないは別として、声を掛けるきっかけにはなります。
違うと言われても全裸の話題に持っていけば、その子に全裸を教えつつ、
最初のともだちんこになることは可能でしょう。
いきなりジャニーズだらけの裸体で埋め尽くされた公園の芝生を見て、
全裸ってそういう趣味なのかな?というファーストインプレッションを与えてしまうのはもはや仕方ないことなのかもしれませんが、
全裸は脱いでもらうことがまず第一に大切だと思うので、みんなでこの全裸をどんどん広めようではありませんか!!
======= 楽屋での周りからの反響 =================
# NA_kai @tsuyo_Pon読者モデルとかが「わたし週1回代々木で全裸になってジョギングしてるんですよー。
周りの人たちの目が気になるので体系維持にも効果ばっちり☆」とか書けば人気出るんじゃないかなー
# ega_ch @tsuyo_Pon ちくびとわかめ酒の味方に直したほうが、しっくりきますw
# NA_kai@tsuyo_Pon mixiとかは「プロフィールを充実させましょう!」とか「次は日記を書いて近況を友人に知らせましょう!」みたいな
うざいほどのガイドがライトユーザーを引き上げてるんだけどついったーでもそれをやるかっていうと・・・
# goro56 @tsuyo_Pon 全裸の素晴らしさを知らない人が大半だと思う。
# NA_kai@tsuyo_Pon 初めても面白みを感じるまでが遠い気がするなー
# ega_ch @tsuyo_Pon あ、なんていうか邪念にかられたキャンペーンじゃないんですね!
# Takya @tsuyo_Pon 婚活、人生、ストレス発散もウマく行く!!あいのり系人生道場「NextStage」。
たぶん、こんな趣味は今まで無いからカテゴリーリーダーになれる(ブランディングの法則・カテゴリーの法則より)
# Takya @tsuyo_Pon 違う。こうだ>輝いた人生を送りたいと希望する若者を集める→
我が道を行くには全裸が必要と説明し露出を促す→裸の付き合いを促す
#ega_ch@tsuyo_Pon でも多分、女性が脱いでも前を隠してそう・・・。
# Takya @tsuyo_Pon 大丈夫、口説き落とすから。
# Okuma @tsuyo_Pon 「自称 女子大生」でも可ですか?
# shin5 @tsuyo_Pon バーンと新聞の一面に載るようなことをしたほうがいいんだろうな~。一人一人誘い込むより…
# goro56@tsuyo_Pon ハード系ですね~
# Yousuke@tsuyo_Pon 期待しています。その際には「女子が全裸になる時に選ぶべき公園」というまとめを作って
# shin5 @tsuyo_Pon 僕にできることがあればwwwww
# Okuma @tsuyo_Pon 「若い女性に大人気」と宣伝すれば全裸ー増えるから、
「TwitterはSMAPのすくつ」とか宣伝したら女性ユーザ増えるかな?
# shin5 @tsuyo_Pon そんなことが可能なんですか?
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60代70代の人が考えるほど今の結婚は気楽じゃないので、いくら晩婚化非婚化少子化で国が滅びるとか大きな事をいわれても、世間体が悪いとか結婚しないと一人前じゃないとか小さいところで攻められても、私は結婚できませんから。放っておいて欲しい。
家事の自動化、外部化、女性の大幅な社会進出によって、結婚することの経済的合理性は少なくなりました。強いて言うなら怪我や病気の際の相互ケアと収入源の2重化によるリスクヘッジだけは魅力を感じます。
また、子供にかかる費用の増大と、必ずしも親を子が面倒を見るわけではない社会風潮によって子供を作ることの経済的合理性はなくなりました。女性にとっては出産で職業人生に5年から10年穴が開いてしまうことにもなり、実際にかかる費用以上に機会損失としての収入源も痛いこととなります。
じゃあ残るのは何か。
こころの問題と、何かあったきの備え。
備えのためだけに何か他人を巻き込んだ行動を起こせるほど私は賢明ではありませんし、いざというときのために結婚しようと言われても先方も面食らうでしょう。私だってそんなことを言われるのは嫌です。
それでは、こころ、なんでしょうけれども。
燃えるような恋、というのでしょうか、そういうものがあれば私も多分結婚するでしょうけれども。
30年生きてきて、浮いた話の一つもなかった私にそれをいまさら期待されましても。
まじめにまじめに暮らしていたらうっかり一人になっていた私に、それを期待されましても。
そうとはいえないと思うが。
せっかく訓練したんだから使わないとということになりがち。
逆に使わないならそれこそ労働力奪い取りという機会損失があるわけで。
激減するということはないと思うが。
そもそもそれらのメリットは公共事業減らせば済む話だし、実際毎年のように減らしてるんだけどね。
失業者に関しては土建業界だけ特別扱いせず業種関係なく手当増やすか生活保護受けやすくすればいい。そのほうが公平。
無理矢理受発注することもないからワイロも発生しない。
政治家が我田引水で発注したがるとか収容先の土地の地主とか材料売ってる民間企業は工事やってほしがるのでは?
とかいうと材料売ってる会社も国営にしちゃえとかいいそうだけども。
元増田は判っているかも知れないけど、誤解されていそうな所について。
メイン・フレームも馬鹿高いのですが、UNIXベースのサーバもやたら高いのです。耐用年数が到来して、買いなおしとなるとハード代だけでなく、OS、ミドルウェア等々も全部買いなおしになってしまいます。
http://anond.hatelabo.jp/20080720205422より
それは、ベンダお任せで安定な(HAな)システム更新を行うときには、常識です。「何を言っているんだ、この化石反動め!」という声も聞こえてきそうですが、まあ落ち着いて読んでください。
そのように、上から下まで1社で揃えるのは、垂直統合と言われます。そのメリットは、あらゆるトラブルについて、そのベンダにワンストップでクレームを入れて調査対応させる事が出来る事です。コンシューマでは考えられないかも知れませんが、何らかの原因でシステムが動かないときに、「ありゃ、ダメだ」では済まないシステムでは、トラブルを迅速に解決できることが極めて重要であり、重要性に応じて必要なコストは払わねばならないものなのです。安定性の重要性を無視して目先のコストに囚われても、利益機会損失などで安物買いの銭失いと言う事になります。
この垂直統合のメリットですが、その中にサポート期間か切れてしまう物や組み合わせが((OSの対応ハードとか、ミドルウェアの対応OSバージョンとか))サポート外の物があると半減してしまいます。ベンダ側も、保守コストを抑制しなければ商売出来ませんから、サポート期間も組み合わせも有限に設定せざるを得ないのです。
ですから、そのような一斉リプレースは常識と言えます。
その一方で、そこまでの安定性(可用性)が求められない場合、安い物を組み合わせた方が、コストダウン出来るのは当然です。また、トラブルが起きても、ベンダ任せではなく、自力でトラブルシュート出来る場合も、勿体ない出費といえます。しかし、自前でそんな高スキルのエンジニアを抱えていなければ、適切なトラブルシュートは出来ません。さらに、OSやミドルウェアのソースで確認しなければ((OSSを使っていてもちゃんと自前ビルドして自前でソース管理していなければなりません。単純にバージョンアップすると非互換によりシステムが動かなくなる場合があります))、そのトラブルシュートが正しい保証がありません。目の前の問題は回避出来ても、実は不十分だったり、下手したらもっと深刻な問題を発生させてるかも知れません。
垂直統合はやはり高コストになりやすいので随分割合が少なくなってはいるのは確かだと思いますが、それは、トラブルのリスクを負う事でコストダウンを図っていると言う事なのです。
http://anond.hatelabo.jp/20080721002901より
確かに、これらはメインフレームの特徴であり、オープン系からすると奇妙であり、そしてオープン系に比べてベンダ側の利益率が高い(それでも、世の中もっとボッタクリ商売はいくらでもあるけどね)もの。
この辺は、実際の所、明確な根拠は存在し得ないはず。というのは、「なんかあったら何でもやります」という料金だから。何でもやります、というのは大袈裟に聞こえるかも知れないけど、オープン系なら諦めるような事まで徹底してやるのは事実。そして、その作業の安定性への拘りも、オープンより明らかに饑えだし、安売り専門PCサーバ屋とは桁が違う。そこまで出来るのは、やはり沢山お金を貰ってるから。コストでストップ掛けずに徹底してやれる。とはいえ、今のITの世界の中では、ボッタクリと言われるような利益率なのはその通り(繰り返すけど、IT業界の中では)。
以上、元増田は判ってるかも知れないけど、万一のためと、読者の誤解を招かぬよう。戦った結果「こんなはずじゃ」というオチにならないように。
若い役人が、こう頑張るのは素晴らしい。ぜひ、その心を終生忘れずにいて頂きたい。
http://anond.hatelabo.jp/20080522102132
まずアマゾンは一種の市場であり、市場で一番大切なのは流動性だ。そういう意味でテンバイヤーの存在は必要悪だと思う。そもそも、オークションって、市場って意味だろ?
テンバイヤーは商品代金を払わないことで、流通を妨げています。
オークションって「競売, せり売り」って意味です。辞書で調べてみてください。
市場は「market」です。
テンバイヤーを叩いている人たちに、実害があったのだろうか?多分なかっただろう。
在庫管理のコストと、商品が正常に売れないことでの機会損失があります。
では、なぜ彼らは叩くのだろうか?それは、きっと「儲けている」ことに対する妬みからだと思う。これは、資本主義の全否定だ。
儲けている事を僻むだけで資本主義の全否定は極端過ぎませんか?
アマゾンだって資本主義の経済原理で動いている。そして儲けている。なぜ、テンバイヤーの経済原理だけが、否定されようとしているのだろうか?
自分が持ってしかるべき管理コストを他人に押し付けているからです。
amazonに巣食うテンバイヤーにとってはそうなるかもしれませんが、それは当然の結果では。
なんか前提が激しく違ってるような。
「なんで手を出さないのよもー!」ていう状況になりうるっていうことは、まだ付き合ってない状態じゃん。
そもそも元の問題設定が、よく知らない相手とでも寝る女はいるよ!てケースで、その中に特に合意はなかったけど拒絶されなかったらそのままやっちゃうのは問題ないよねという話も含まれてるから出てきてる話なんだから。
妊娠とかした時に責任をとってくれるかどうかも分かんないような状況で無理矢理やられちゃってそのままやり逃げされて妊娠発覚とかしちゃったらそれこそ被害甚大でしょうが。
「なんで手を出さないのよもー!」はセックスもせず付き合わないことになるっていうだけの話でしょ。
数理論理学、というかさ、AND, OR, NOT, THEN とかの論理演算を高校で教えてないことはありえない機会損失を招いてる気がする。
それぐらいは高校で教えてますけど。というか THEN なんて論理演算はないと思うが。ちなみに勘違いしてるかも知れないが論理学でいうA⇒Bとプログラミングの世界でいうif A then Bは別物だぞ?
ときどきこういう勘違いをする奴がいるから指摘しておくが、別に西欧語が論理的な表現力に優れているわけでもなければその他の言語が劣っているわけでもない。実際、西欧語で書かれたあらゆる数理論理学や数学の本を日本語に訳すことができる。
1億が2億になったのを借りかえるとはいわんだろ・・・。
影響がでないようにするためには新規借り入れが必要になるよね。
いま40兆円の発行だけどこれが早晩80兆円、160兆、320兆とどんどんばいばいに増えていくよな。
いった誰が買い受けるの??
そこに海外からは評価が低い国債がだぶつけば国債の値崩れがおきちゃうぞ?
税金で無駄遣いした場合だって本来手元に残っててたはずの金の利息の分の機会損失がある。国債発行した場合だけ利息が損というのはおかしい。
無駄遣いがまず悪であって、その上で借金してまで無駄遣いはもっと悪だってことが言いたい。
その悪さ具合が、ただつかっただけというだけじゃなくて、利息分被害が広がるといいたい。
まさに失敗のレバレッジ。
原油だけをみれば一過性のものだろうけど、トータルの環境でいえば以前の状態に戻ることはないとおもうよ。
中東への依存を辞めるいいだしたのは。そこらへんからもう市場が以前とは違う。
中国、インド。合わせて20億以上の人間が日本と同じステージにあがろうという時代。
資源高はとまらないでしょ。
資源高がとまらないというよりは、日本の調達力の相対的下落は避け得ない。
大量生産品の流通という点で工業製品価格や人権費はあげどまるだろうけど、
食料、天然資源とかは逆に上がりつづけるとおもうよ。
じゃなかったらこの需要を上回る供給が必要だけど。
供給が増える要素ってなんかある?
それを言うなら納税者だって一律に日本人と断じていいものでもない。
だから断じていいもんじゃないんだってば。
いやいや結局財政赤字が子孫の負担になるというのがおかしいことに変わりないでしょ。
日本人の一部が得するために日本人の一部に損をさせるというのが本質なのにあたかも子孫全部が一方的に損であるかのように言う財政再建主義者が多いから気をつけないと。
国債を一億円もってる人に償還する場合普通は預金に一億円振り込むことになるが
・・・
なんかおかしくないか??
利払い忘れてない!?
利息も国債発行で借り換え続けるだけのこと。2億返すなら2億借りたらいいだけ。
利払いを税金でしないといけないなんてことはない。
預金現金とかのマネーというのは貸せば貸すほど増えるもの。
お金の量は永遠に一定なんてことはなくて多くの先進国ではふやし続けてるのが現実。
それに利払いが増えても貸してるのは日本人だから日本人の利息収入が増えることになるわけで、これもどう考えたって子孫全体の負担ではないということは確認しておかないと。
将来にわたって無益な支出先ができてしまうこと、処分にもお金がかかること、
いいことなし尽くめだ。
税金で無駄遣いした場合だって本来手元に残っててたはずの金の利息の分の機会損失がある。国債発行した場合だけ利息が損というのはおかしい。
自分の意見は無駄遣い減らして国債発行ふやして減税しろということ。
30年前みたいな単純なインフレだったら手放しでもいいのかもしれないけど、
これからの日本が向かえようとしている時代というのはさ、
サービスや製品の利益率、そこからだせる賃金なんかはあがる見込みがないのに、
原材料費やら最終製品価格なんかはインフレしちゃうみたいな時代なわけじゃない。
後回しにすればするほど瓦解の範囲がひろがるぜよ。
いや自分はこれからの日本はまたデフレに突入して賃金も物価も伸び悩むと思う。
賃金があがる見込みないのは輸入品以外の物価が上がらない(と予想されてる)から。
世間は入学・入社・転勤の時期。
自分の職場にバイトに来ていた人の中からも、企業へと巣立っていった人たちがいる。
彼(女)らが「社会人化」していく過程を見ていて、いろいろ興味深く思っていた。
みんな優秀で性格も真っ直ぐな、素晴らしい人たちなので、
就職活動の成否については全く心配していなかったのだけど、
唯一気になるのは、やはり入ってからのこと。
一流と言われるような企業に内定を貰って、中の人との交流が始まって、
最初に言われたと口々に言っていた言葉が今でもすごく気になっている。
みんな、「死ぬ気で働け」と言われるのだそうだ。
これって特攻隊と同じじゃん、と思う。
「死ぬ気で働け」と上司や先輩が言うということは、
そういうシチュエーションがあるということを許容していて、
なおかつ、死ぬ気にならなければならないような働き方をするのが当然だと強要しているということだ。
それはマネジメントの責任と義務を放棄していることに他ならない。
しかも、そのことを部下・後輩に偉そうに宣言しているのだ。
確かに仕事ではそうそう命までは取られないけど、
仕事で潰れて一度性格や人生が捻じ曲がったら、回復するのにどれだけのサポートが必要で、
彼ら・彼女らの人生にとってどれだけの機会損失があるかなんて誰も気にしていないのだ。
「死ぬ気で働け」と言うのは簡単だ。
だけど、それに従った人間のケツを持てる企業や人間がどれだけいるというのか。
自分の美意識から言うと、
こういうセリフを言うことを恥と思わない人間はどうかしていると思うのだけど、
この話をしても「そんなの普通じゃん」とあまり周囲には同意してもらえないのが、
自分にはとても不思議であったりもする。
要は何も変わっていない、ということなのだろうか。
まぁ少なくとも自分は何があろうとこういうことを平気で言える人間にはならないでおこうと思う。
それに、みんな優秀なので、そんなことはとっくに見透かして、この先もスイスイと人生を泳いでいってくれると思うし。
とりあえず、卒業生のみんなに幸あれ。