はてなキーワード: 機会損失とは
東芝がHD DVDの事業からの撤退を決めたようです。本日発表があるようですが、先週末からメディアでは大きなニュースとして報道されています。この決定でハイビジョンメディアを流通させるメディアとしてBlu-rayが主流となっていくことはほぼ確定的となりました。PS3を買い、Blu-rayのソフトを揃えつつある私としては一消費者として胸をほっとなでおろすニュースでした。
ところで、このニュースについて現在いろいろなメディアで分析・論評が行われていますが、ネット上のBlogなどでは、
今回のできごとはBlu-rayの勝利を意味しない。まだパッケージメディアの売り上げとしてDVDには遠く及んでいないし、今後のコンテンツの流通は Apple TV や iTS などのネットワーク配信に移行していくことは自明だ。パッケージメディアの終わりの始まりだ。
といった論調の意見を散見します。(上記意見はどこかのBlogの特定の記事の引用ではなく、私が読んだ意見を私なりにまとめたものです)
確かに、現在はまだパッケージメディアを置き換えるほどにネットワークインフラがリッチでない(地域差が大きい)ために即座にそうなるということではありませんが、将来の予測としては生産・設備・流通・在庫のコストを削減でき、消費者にとってもレンタルの返却待ち(24とかLOSTとかHEROESとか1巻だけ常に無い)のような機会損失がなくなるメリットを考えれば可能で、そうなって欲しい未来のような気がします。
これに対する反論としては、現在パッケージメディアを楽しんでいる消費者が、ことごとく配信のメリットを享受可能なネットワークにアクセスできる環境を構築するコスト(インフラ構築コスト)は現実的ではない、とか、パッケージメディアには配信メディアには無い「所有感」があり、ネットワーク配信は消費者に対して「所有感」と、いつでもアクセスできる「安心感」を提供できない、といった意見があります。
私はここで別の観点から「ネットワーク配信はパッケージメディアを駆逐できない」という主張をしようと思うのです。
これは、私がこれまでさまざまなネットワーク配信サービス(Youtube、ニコニコ動画、Stage6、iTS、でじゃ、その他もろもろ)の現在のユーザー(新し物好きのコンピュータ技術者としてフツーよりはヘビーなユーザーだと思っています)であり、その立場からの意見ということでお聞きいただきたいのですが、私がユーザーとしてこれらのサービスに日常的に触れて常に感じている不満(というか不安)は、私が今見られるものがどのくらいあって、今私が選択しているコンテンツはこれでよかったのか?というものなのです。
私は書店が好きです。特にお目当ての本があるわけでもなく、店内をぶらぶらして店頭に並んでいる本を眺め、興味を引かれた本があれば手にとって眺め、読みたい本なら購入します。レンタルショップやDVDショップでも同じ感じです。棚に並んだパッケージを眺め、手にとって眺め、欲しくなったら購入します。
これが、現在のネットワークではできないんです。ネットワーク配信サイトはもちろん、Amazonなどのネットショップでも同じことができません。もちろん、各サイトには「今の人気のもの」とか「最新のもの」とか「レコメンド」とか「偶然の出会い」を演出する仕組みや、Amazonは最近本の中身をちょっとその場で見ることができる仕組みなどがありますが、私にはどうにも不満(不安)なのです。「今、ここで私が接することのできる全てを視界に入れたい」という欲求がネットワークでは満たされません。書店やレンタルショップでつらつら棚を眺めながら歩く行為に私が価値を見出している以上、私の中でパッケージ(というかリアル店舗)がネットワークに置き換わることはありません。(ネットワークはもちろん利用しますが、ほとんど目的のものが決まっている場合です)
というわけで、私が考える「ネットワークがパッケージを駆逐しない理由」でしたが、もし何かブレイクスルーがあったとしたら、そのときが私にとってのパッケージの終焉を意味するのかもしれません。
マクドナルドの定款に無線LANスポットを提供することによるリベート収入が業務としてはいってると思うか??
米国で著名な経済学者はマクドナルドは不動産屋だと論じたが、それはあくまで経営戦略の話しで商売としては飲食店だ。
滞在する時間をより快適に過ごしてもらおうという付随するサービスに他ならない。
よって、マクドナルドにとって注文をしない客というのは、もはや客ではない。
何某かが毎月500円で買った権利というのは無線LANを利用する権利だ。
もし無線LANを利用する為に何も注文しない人が席を占領しつづけたとしよう。
そこには本来得られるであろう席数×客単価の機会損失を発生させることになる。
込み合ってる時間ならなおさらだ。
それはもはや威力業務妨害以外の何ものでもない。
というより、この権利を主張する人たちは
500円で買い取った権利のなかにマクドナルドの顧客単価を下げるほどの権利が含まれていると考えるのだろうか?
そもそも、マクドナルドにヤフーからリベートがいっているのか?
むしろ逆に電気代やLANスポットの設置のために設備投資を強いられているのではないか?
マクドナルドは無線LANを置いたところで儲からないと大方のひとは直感的に理解している。
「常識的に考えて」とみなが言うのはそのためだと思う。
毎月500円で場所を占有できると思っている人はもはや客じゃない。
たのむから帰れ。
商売をしているお店は自分のところに来る客も選べないというのだろうか?
機会損失しか生み出さない人はすくなくとも客じゃない。
このような人を「お客」として許してしまったら会社の利益率が落ちる。
だってそうだろ?
ヤフーに払った500円でいったいマクドナルドはどうやって儲ければいいんだよ?
儲からないということはマクドナルドは損をするということだ。
損をしたらどうなる?
そこで損をした分は他のひとから回収しないとならない。
つまり、
「500円払ってるんだから使い放題じゃないのおかしいじゃない!!」
を許すと、最終的にそこで発生した損益は、他の客が負担することになる。
マックみたいに一人当たりの依存度が低いお店だと実感しにくいかもしれないけどね。
だから、お客の立場として言う。
食わないなら。出てけ!
おまえのせいでまともな客へのサービスが低下するのはやってられん!!
ったく。
金を払えばいいとおもったら大間違いだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070512141856の補足。
10000ハテナpt.を購入するのに10250円、買った10000ハテナpt.をamazonギフト券に交換するのには5%手数料。千円単位なので本来は全部交換できないが、できたとして9523アマゾンpt.。アマゾンでは1%還元してるが、ギフト券は還元されない。これを機会損失として-1%すると9427円分
何もしない流れでも10250円→9427円 最終的におよそ92%にまで落ちる。
それなら3250円→3000pt.→2800amazonPt.ー28amazonPt.(機会損失分)=2772円分 当初から85%に下落。
コレは全てお金の話。すこしずつ磨り減っていくのはどうしようもない話。
ところで「日本国の日本円」に対して「ハテナ国のはてなpt.」の価値が上昇する可能性、なんて考えたことあるだろか?
最初は日本円でのポイント購入するしかないんだから固定されてる。買うときは固定相場。
売るとき(楽天などへのポイント交換)も現時点では固定相場。(売るときについては考察の余地があるけれど考察省略)
はてなpt.はひとつの「企業通貨」でしかない。スイカはポイントを買って、コンビニでおにぎりも買える。マイルは飛行機乗ればポイントもらえて、タダ航空券をもらえる。はてなと同じ「企業通貨」だ。
ちがうよ。はてなポイントはありがちな「企業通貨」じゃあない。全然ちがうよ。
スイカやマイルはは貯まってもなにか遊べるわけじゃない。でもはてなポイントはポイント自体を「遊ぶ」ことができる。この違いは大きい。ものすごい可能性を秘めてる。
では、はてなポイント自体に高い価値を持たせることができたら?
みんな日本円からはてなポイントにしたまま留保する人が増えてくのでは?
入り口は固定だけど、みんな出て行かない。これができたらすごくないか?
それができるには「はてなポイントに独自の価値をもたせること」だけど、どうすれば、、、なんてのは書きません。一私企業にボランテxアめいたことするのはばかげてるので。(心の中:ストックオプションの権利くれれば年収659万でも我慢しますので履歴書送付先教えて下さいませ。)
ポイントゲッターさん達はマイラーと同じ心理で動いている。数年前から流行のマイラー、熱狂的なマイラーはいろんな努力をしてこまめにマイルを貯めている、そんなマイラーが周囲に何人もいるし金持ちなのにはまってる人も多い。つまりポイントを貯めること自体に面白みを感じてる。費やす時間と結果を考えれば損してるのに気付かない。ポイントゲッターさんたちにこの行動パターンを当てはめれば、回答の質を下げてることなんぞ無頓着になるのも無理は無い。
では、良心的な回答者はどう位置づける?どこにあてはまる?
さて、ここであたらしい位置づけができる可能性は無いかい?
「はてなポイントに独自の価値を持たせること」のヒントはここに無いかい?
結論は書くつもりは無い。うまい具合にこのことを考えてもらって、その結果、人力検索をどんどん魅力的にしてほしい。そう思ってるだけだ。
[これはululun]を書いた者ですが(騙りの可能性も考慮せよ)。
いろいろな反応があって面白い。考えをまとめるためにまとめる。あとid:pal-9999が補足記事書いてるようだ。
生物学的には、ヘテロであるid:pal-9999=セフレ関係持った人>>>>>>>>>>>>>>>>ゲイ・レズ=人食い人種
その公理だとレイプ魔最強。あるいは、いい歳した童貞処女は生きる価値のないクズ生物。
そもそも生物学的な優劣は問題にしてないので取り上げる意味もないのだが、思考の対象を明確にするためにもピックアップした。Googleでわざわざ「-送料」とか付けるようなものだろうか。
「それなんてエロゲ?」
自分の部屋に女性があがってきて友達だよね信じてるとか言われて泊まっていくというのは
なるほど。無理に挑発して悪かったと思ってます。ごめんなさい。気にしないでもらえると嬉しい。
O-Lab +Ossan Laboratory+ - はてな匿名ダイアリーで他人をdisるのは正直どうなんかね。
卑怯さ加減が正直どうなんだろうと。
それを卑怯というなら、ウェブ上に限らず芸名や実名で活動してる個人や、名前のついた団体相手に、実名出さずにネット上で批判するのも卑怯という論法になる。オフラインの個人いわく「(ネット上の)あいつらは、使い捨て可能な名前があるだけで、顔も名前も経歴も曝してる我々と互角のつもりで居やがる」。
匿名論争に関してはこういう考えなので、はてなIDでしかidentifiedされてない人間が、はてなIDすら出さない人間を卑怯だというのは目くそ鼻くそかと。
はてな使ってるってことは、
はてダも使えるんだろうと思うんだがねぇ。
それくらいは好きにさせてくれ。あと言及するときはトラックバックしてくれるといいと思うんだがねぇ。
2007年01月18日 cubed-l セキュリティ 危機管理としてはid:pal-9999の方がまとも/色恋沙汰の面倒さも含めれば1対1は避ける方が楽と思う
ああ、1対1に思考が縛られすぎてた。なるほど。「危機管理としてはid:pal-9999の方がまとも」というのも同意だが、主に機会損失のほうを考えてるので。
2007年01月18日 betelgeuse 危機管理, 男と女 「私の知人であり友人であるその男は、私を絶対に押し倒さず、無力な状態でも性的なイタズラ行動はしない」と断言できるのなら、それはそれでいいんじゃないの。そう断言できる材料がどこにあるのかは知らない。
なんで1と0で考えるのかわからない。相手、状況、関係、気分などによっていくらでも判断は変わる。どっちかひとつ選んだら恒久的にそれしか選ばせないのはなぜ?
2007年01月18日 Lhankor_Mhy 恋愛, 考え中 なんつーか、揚げ足取りに見える。言葉の端を捉えすぎてるのか?まあ、id:pal-9999が高く足を挙げすぎたのかもしれんが。
揚げ足取りに見えるのは、小刻みに引用し小刻みに反論してるからじゃないかな。あと茶化してるところとか。どう見えるかは知らないけど、それなりの主張はしたつもりですよ。
2007年01月18日 Masao_hate 男と女 何コレ?あなたのユートピア的妄想を押し付けないでくれる?あなたの性別はなにか知らんけど(文体から想像するに女性だけど)、これは酷い男性差別ですね。
その発言をid:pal-9999へリダイレクトしたい。
というかid:pal-9999へならまだしも、当該記事が男性差別といわれる意味がわからない。「男性を誤解してる」ならまだわかるんだけどそうでもないし。
2007年01月18日 Marco11 うるるんとは別種だろ。チンコ頭はガキなだけだろ。ガキなだけじゃなかったら友達と一緒に潰しに行くよ。ガキなだけだろ?
[これはひどい]がもっともよく似合うものなんだろう、と考えたときid:ululunが浮かんだだけで他意はないです。
2007年01月18日 isnotit あ??あ!palさんあんなエントリー書くからバカフェミとゲイにたかられる(はてな的)仕事以外でゲイと二人っきりは勘弁。自意識過剰でなくてマナー。レイプするゲイもいるだろうしな(こう書くとまたバカが騒ぐかなw
あまりにも中身のない独り言なのでどうしようか迷ったけど挙げておく。自意識過剰でなくてマナーで。
えー、バカフェミとわざわざ接頭辞バカを付けてるとこ見ると、まともに話ができない人なのは一目瞭然なので要点だけ抽出するとたぶんこう。「id:pal-9999さんの発言はそれほど異端でもないが馬鹿を寄せ付ける何らかの魅力は具えている」あるいは「id:pal-9999さんの発言に反駁する輩はバカフェミかゲイだろう。そうでない普通の人なら自然と納得する。誰だって納得する。俺もそうする」といったところか。目の前に具体的な事象があってもわざわざその大枠を考えないと何も言えない人なんだろうか。安全側の人というか。
これを読み解くには暗黙の文脈が必要だと思ったのでid:isnotitの過去のブックマーク見たら、どうやらレッテル遊びが好きなだけの人畜無害な妖精さんっぽい。ネット右翼でもid:dasmでもなんでもいいけど。なんだ。
さて、冒頭にも書いたid:pal-9999の補足記事について。
立件される強姦では、通り魔的な犯罪(引用者注:被害者の知人ではない男性による犯罪)が多いのだが、それでも、日本全体では、年に1400件程度起こっているにすぎない。
これは法的に強姦と認められた件数。ただ、何年度のデータかはわからない。それほど古いデータではないだろうと思う。
福島氏は、山岡一信氏の「犯罪行動形態IV-性犯罪」(1965.1966)のデータから、性犯罪の被害者の三分の二が未成年者である事と小西調査のデータ、性被害者の年齢分布を考え合わせて、日本の女性が生涯で強姦の被害にあう確率を2.5%と算出している。
40年前は「性犯罪の被害者の三分の二が未成年者」だったのかもしれないが、じゃあ今はどうなんだろうと疑問に思った。40年前なら、田舎だとまだ夜這いも残ってただろうし(要確認)。
山岡一信のデータと小西調査のデータがよく相関してるので、そこから現代の値を推測しているようだが、詳細不明なので2.5%の妥当性は判断できない。
こうした数値から考えた場合、デートレイプを含めた場合には、日本で、強姦被害にあっている女性は、年に2万人程度となるわけである。
犯罪白書では、年に2000件しか強姦が起こってないとするが、レイプの定義を広げた場合に(デートレイプなどに含まれる「女性との合意のない不快なセックス」という所まで、強姦の定義を広げた場合に)は、年に2万件の強姦が起こっているになるため、日本の女性は、実際に考えられているほどには安全ではないのである。
なんで2万人なんて数字が出てきたのかわからない。
「強姦未遂」に関しては、おそらく年20万件程度発生しているのではないかという現状を考えれば
だんだん数字の信憑性が低くなってきた。まあ、数値は枕なのでこれくらいで。
僕以外の日本男性の名誉のために言っておくと、昨今の日本男性というのは、ものすごくおとなしくて、非攻撃的なのが現状だ。
犯罪発生率、強姦件数ともに、諸外国に比べて、極めて低く、女性にとっては、日本男性というのは非常に、安全だといえる部類である。
ただし、それでも、上記の小西調査の調査結果は、女性が未だに性被害の危険性に、かなりの割合でさらされていることを意味している。生涯でレイプされる確率2.5%という数値は、かなり危険な数値と言わざるをえない。
2.5%かどうかはともかく、絶対安全とは言えないのは同意。
これらのデータと合わせて、自分の経験かも言わせてもらうが、女性が見知らぬ人にレイプされたという事は、自分の周りではほとんどない。
ただ、いわゆる「デートレイプ」であったり、「親しい友人だと思って安心して家にあげたらヤられちゃいました/ヤられそうになった」なんて話は、それなりに聞く。珍しい話というわけではない。
この、感覚というか、周囲から聞こえる話もだいたい同じ。
高校生のとき「このまえ好きでもない男とやったよ。すげえ気持ち悪かった」とか「自動車教習所でナンパ?されて、最初はごはんだけって言ってたのに、ドライブして夜景見に行こうって言われて、危うくレイプされかけた」とかも聞いた。
それでも、
男性に友情を求める女性にとっては、日本男性というのは、諸外国の男性に比べれば、ずっと、やりやすいとは、言えるだろう。
ただ、現状、まだ、性被害の件数を考えれば、まだ、そういうのは早いと僕は考えているのである。
とは思わない。無条件にそうするのは、たしかに危険だ。それでも、本人が承知した上で、そういう行動を取るのは勝手にすればいいだろう。
「あの人はたしかに男だけど、あの人だけは例外だから」なんて無垢なあるいは考えなしの考えを述べるなら、先述の本でも見せて、正しい知識を与えればいい。同様の理由で、「男は絶対危険だ!」なんて説くのなら、やっぱり、絶対と言い切ってしまうには抵抗があるので、否定したくなる。
「私はあの人を友達だと思ってる」なんて言うなら、そして、にも拘わらず相手からコクられたりレイプされかけたりしたんなら、友達だと思ってたのはその子だけだった、という話に過ぎない。小学校では友達だったのに、中学に上がったとたん僕をいじめ始めた、なんていう話と構造的には大差ないように思う。小学校での友達なんて信用するな、と小学生に対して言えるだろうか。人間関係なんだから、常にある程度のリスクは負わなきゃならないと思う。あとは許容できるのはどれくらいか、という閾値の話だろうか。
最後に。
そのリスクとベネフィットの計算は、たぶん、誰もが自分基準で考えるんだと思う。性欲強い人は「女相手に友情なんて無理」と考えるだろうし、バイセクシャルなら「性欲があろうがなかろうが友情は可能だよ」と考えるだろう(そうでも考えないと原理的に友達できないんじゃないだろうか)。女は男に比べて異性に欲情することが少ないので「男女の友情もあるだろう」と漠然と考え、男性恐怖の気がある女は「男には近寄りたくもない」と考える。
対象を男に限っても、「自分の性欲をコントロールできない」とまで考えてる人も居れば、きちんと抑制できると思う人も居て、そもそも女に性的興味を持たないゲイも居る。じゃあ、男女間の友情というのも、マッチング次第で充分発生しうるんじゃないだろうか。
残された問題は、女から見て、その男は、男女(というか自分と相手)間の友情を成立させうるのかどうか、どれくらい危険か、それらをどうやって判断するかか。これは暇なときにでも考えよう。
これが今回の自分なりの結論。自分はまったくそう思っていないのに、性欲強い人が声高に「男女の友情なんて無理」なんて言うもんだから反発したのかなと自己分析。ということはつまり「男女の友情なんて不可能」派の人は、基本的になんと言われようとid:pal-9999のほうを信用してしまうんだろう。
男女はともかく、私とid:pal-9999とのあいだに友情は成立しうるんだろうか。
>リンク禁止のお願いを当然のマナーとして広められると不快感を持つのですが、それは問題と捉えないのですか?
>http://anond.hatelabo.jp/20070106170548
リンクされて不快だ!というのと、リンクを制限されて不快だ!というのは違うしなぁ。ごっちゃにしてる人もいるけど。
リンクを制限されて不快だ!ってのは損失じゃないし。いや正確には、リンク出来なくなるという意味で機会損失みたいなもんなんだろうけど、被リンク側がリンクする側の機会のためになる必要はないので、これを問題だとは捉えられないと思います。
>「リンクを許諾制にしている事が元々の原因」だよ。
リンクを許諾制にしてるかしてないかに関わらず、悪質な業者に利用される可能性はあるだろうし、その可能性を考えてリンク許諾制にしたのでは。脆弱かどうかは別にして、悪質な業者に利用されるのを防ごう→リンクを許諾制にしよう!というのは、割とストレートな流れじゃ。感覚の問題か?これ。どちらかと言えば想像力の問題かと。
そのうえでリンクを許諾制にしてる事を逆利用される可能性もあるのは分かるけど、始点はリンクを許諾制にしたことにあるわけじゃないだろ。それを、始点はリンクを許諾制にしたことだみたいに言うのはおかしいんじゃないですか。化かしあいが目的なら上手い事言ってるなと思うけど。