はてなキーワード: 広辞苑とは
んー、高校のときはいろんなジャンルの本読んでいた気がするな。ということで思い出して書いてみよう。
【読んだもの】
漫画:ブラックジャック、三国志、水滸伝などなど、あるの全部読んだ。
小説:『黄泉がえり』(何となく手にとって読んだ)だけ。ライトノベルは手にとれなかった。ハリーポッターも無理。
それ以外:パズル系の本10冊以上、数学オリンピック(予選問題だけ)、大学への数学(理解できん)、ペンギンの本、家庭の医学、ブルーバックス、睡眠に関する本、折り紙、色、タバコ、歯、絵本20冊以上、護身術、宇宙(の絵がメイン)、心理学(病例とか? 頭がいい人は目が大きい人が多いとか)、その他いろいろ。。
あと、化学や物理の分厚い辞書開いたことあったけど誰も使わないだろうなって思ったかな。文学とか歴史とかは読まなかったけど、本を身近に触れる環境があるだけでだいぶ違うと思う。ライトノベルなんて絵がダメで手に取らなかったし(5ページぐらい読めたら読んでたと思うけど)。
ああ、中学生が投稿したのか。中学の頃なんて昼休みしか開いてなかったし、ろくに選択できなかったような。
・ゲームクリエーターになるには、ゲーム業界に就職したいあなたへ、五体不満足、FFの画集、広辞苑、、、
高校の頃は教室に居辛くて昼休みに図書室に行ってただけ。そしてパズルに興味を持ってたからそれを関連に読んで、読み尽くしたら興味のある本を読んだ。当然、放課後にはろくに図書室に行ってない。部活行ってたし。頭(学校の成績)も悪い方で、今も偏差値50以下の大学。。まあ、こんな普通(以下)の人でも機会があったから本を読んでいたんだし。それに図書館の本を1割も読めないんだから、そういう本があってもいいでしょ。
とにかく、恣意的に「いらない本」って決めてしまったら触れる機会がなくなってしまう。題名だけでも触れる機会があることが重要。そもそも図書室(図書館)に行く人自体少数だし、視野が広がる程度に本はあったほうがいいと思う。
* 「秋茄子は嫁に食わすな」
この言葉は「秋茄子わささの糟に漬けまぜて 嫁には呉れじ棚に置くとも(夫木和歌抄)」という歌が元になっており、嫁を憎む姑の心境を示しているという説がある。
また、「茄子は性寒利、多食すれば必ず腹痛下痢す。女人はよく子宮を傷ふ(養生訓)」などから、嫁の体を案じた言葉だという説もある。
さらに、そもそも「嫁には呉れじ」の「嫁」とは「嫁が君(ネズミのこと)」の略であり、それを嫁・姑の「嫁」と解するのは後世に生じた誤解であるとする説がある(『広辞苑』第三版、「あきなすび」の項)。しかし「嫁が君」は正月三が日に出てくるネズミを忌んで言う言葉であり、「秋茄子わささの??」の解としては(季節が合わず)やや疑問ではある。
近年にわかに、非常に注目を浴びている研究がある。それはクローンである。この研究が近年になって注目を浴びた原因が存在する。一九九七年二月二七日に「ネイチャー」誌が掲載した「核移植」という技術により作製されたクローン羊によって、多くの議題があがったのである。この研究によってさまざまな問題点が指摘され、そして多くの批判なども挙がり、現在では討論なども世界各国で行われている。本稿では、まずクローン、核移植とは何かを提唱し、その研究によりどのような利点、問題点が存在するのかという点について述べてみたい。
まずはクローンという言葉の意味について検証してみたい。今井(1997)によると、細胞を大概で培養し、それらがある特殊な性質を獲得した場合、たとえば遺伝子組換を行っている場合、それらはクローンと呼ばれる。さらに広辞苑によると「遺伝子組成が完全に等しい細胞または生物の集団。一個の細胞または生物を共通の祖先として、それから無姓生殖的に、かつ突然変異なしに増殖することによって生ずる。」いわゆる同じ物のコピーのようなものなのである。すなわち、今存在する人物のクローンも作ることの可能性はあると考えられているのである。一九九七年に発表されたクローン羊もこの無性生殖的に誕生した生物なのである。クローン羊は一九九六年夏に政府特殊法人のロスリン研究所のイアン・ウィルムット博士とキース・キャンベル博士によって無性生殖的に作り出された生物である。このクローン羊が誕生して7ヶ月たった後にウィルムット博士とキャンベル博士によって発表された。
このクローン羊は「ドリー」と呼ばれた。この研究に使われた方法が、核移植であった。熊谷(1997)によると核を提供する細胞は、六才の雌羊の乳腺細胞、羊の胎児から取った繊維芽細胞、受精9日後に当たる羊の胚からとったED細胞の三種類をクローン羊の作成に使われたと述べている。核移植とは精子の代わりに他の細胞の核を卵子に移植したのである。熊谷(1997)によると、ドリーの以前の方法では人間のクローンを作成できはしなかったが、ドリーの方法では細胞さえあれば、クローン人間が生まれる可能性はあると述べている。以前の方法だと一卵性双生児とにたようなもにしかならなかったが、新しい方法を使用すればほぼ同じようなコピーを作り出すことができると考えられている。
クローン人間が与える利益は多様にある。不妊症対策がそのひとつである。軽部(1997)は、男性に精子がない場合、クローン技術によって子供を作ることができると述べている。もちろんみずからのクローンを作ることですらできると考えられる。映画、「ジュラシックパーク」のなかで行われていた、恐竜を作り出すことも可能であると思われる。すなわち、すでに絶滅している生物を作成することもできるのではないのだろうか。今井(1997)は、クローン羊の報道があった後、一部の人々がヒトラーなどの危険な人物がよみがえるのではないかという不満があったと述べている。しかも非常に屈強な兵士を何人も同じような兵士を作り出すこともできるのではないだろうか。
クローンが作られる過程のなかで、問題が指摘されている。それは無性生殖的に増殖するということである。すなわち、性行為がこの過程の中で行われないのである。自然界の法則の中にも提唱されているように、雌雄間の性行為がない限り、子孫は残せないという理論がある。特に人間のクローンを作成すると、さまざまな理論を覆してしまう恐れがあり、多くの議論が出されることになる。
一つは宗教の理論を全面的に否定することである。宗教の考え方の中には、人間は神から生命を授かった生物であるという理論がある。そして同じ生物が二人存在しかねない時代もまじかに迫ってきている。その生物は人間の手で作り出されたものであり、宗教家から考えれば、それは禁断の科学ではないのかという議題があがるのは、明らかである。だが実際にこのような議題は時代とともに承認されている。たとえばダーウィンの進化論なども否定され続けられていたが、近日ローマの法王が進化論の一部を認めたことは記憶に新しい。一九九八年一月には人間へのクローン技術応用禁止令が欧州19カ国で調印された。この調印もクローン研究は神への冒涜とおもわれているゆえに発展した調印ではないかと考えられる。軽部氏(1998)によると、人間が神の変わりになってはいけないかという考えがある。
クローン人間が大部分の人口を占めたとき、非常な危険な状態になると考えられている。軽部(1998)によると、人間の遺伝的多様性が減少し、主としてヒトの長期的存在にかかわる問題となると述べている。すなわち、強力な伝染病などが流行すると、すべての人口がまとめて死滅しかねないのである。太古の時代から生物は少しずつ進化しており、このクローン人間の出現により進化が止まってしまうと考えられるのである。
前述でも述べたように、クローンは無性生殖的に行われるものである。結婚という概念すら必要なくなってしまうのである。さらに、筆者は性別という概念すらもなくなってしまうのではないかという問題が考えられた。女性は子供を産むために必要であるが、男性は不要になってしまうのではないだろうか。男性がいなくなるということではないが、彼らが不必要となったとき、少しずつ減少していく可能性も否定できない。
最相(1998)によると、「クローン人間が生まれてきた場合その子供は差別を受ける可能性が非常に高い、と述べている。子供とは親との家族関係、すなわち子供と親というものによって確立されるものである。これは特に女性のみで、クローンが作られた場合による。」養子などは子供の権利が象徴されるがクローンの場合親の権利によって生み出される可能性がある。子供の権利は完全に無視した状態になり兼ねないのである。
だが、実際に内面まで類似しているクローンを作り出せるとは考えにくい。その一つの原因は、人間の性格は生まれたときに決まっているのではなく、育つその過程によって性格が変わっていくものなのである。重要なことは、外見、そして根本的なものの類似しているものは作成できるだろう。筆者としては、実際に完全に一致したクローンを作り出すことは難しいと思われる。それゆえに前述でも述べた新しい第二のヒットラーが産まれかねない可能性はないと考えられる。元の人間とまったく同じような人生を歩まない限り、酷似するとは考えられない。
最後にクローン問題が世界各国に与えた影響を述べたい。軽部(1997)によるとアメリカではヒトクローン研究の一時的停止を議会に提出したと述べている。だが実際はいまだ審議中であり規制が実施されるのはまだ先と考えられている。他の国でも、いまだ完全な規制は敷かれてはいない。特にクローン技術を悪用する国家が現われることが無いよう監視をするべきではある。
クローン人間問題に対する議題は特に本稿でも述べた宗教関連によるものである。そして、クローンを研究している科学者はさまざまな批判によって研究が進められていない。実際にはクローン技術によって利益もあるが不利益も存在する。だがこの研究は今までの人間の理論を完全に覆すことのできる研究の一つである。人間はさまざまなものを今まで開発してきた。原子力なども以前は革命的と考えられてきたテクノロジーも第二次世界大戦では殺戮兵器としてつかわれてしまった。どのように新しい技術を使っていくのかという点を考慮しない限りクローンも原子力のような過ちを繰り返しかねないと思われる。
近年にわかに、非常に注目を浴びている研究がある。それはクローンである。この研究が近年になって注目を浴びた原因が存在する。一九九七年二月二七日に「ネイチャー」誌が掲載した「核移植」という技術により作製されたクローン羊によって、多くの議題があがったのである。この研究によってさまざまな問題点が指摘され、そして多くの批判なども挙がり、現在では討論なども世界各国で行われている。本稿では、まずクローン、核移植とは何かを提唱し、その研究によりどのような利点、問題点が存在するのかという点について述べてみたい。
まずはクローンという言葉の意味について検証してみたい。今井(1997)によると、細胞を大概で培養し、それらがある特殊な性質を獲得した場合、たとえば遺伝子組換を行っている場合、それらはクローンと呼ばれる。さらに広辞苑によると「遺伝子組成が完全に等しい細胞または生物の集団。一個の細胞または生物を共通の祖先として、それから無姓生殖的に、かつ突然変異なしに増殖することによって生ずる。」いわゆる同じ物のコピーのようなものなのである。すなわち、今存在する人物のクローンも作ることの可能性はあると考えられているのである。一九九七年に発表されたクローン羊もこの無性生殖的に誕生した生物なのである。クローン羊は一九九六年夏に政府特殊法人のロスリン研究所のイアン・ウィルムット博士とキース・キャンベル博士によって無性生殖的に作り出された生物である。このクローン羊が誕生して7ヶ月たった後にウィルムット博士とキャンベル博士によって発表された。
このクローン羊は「ドリー」と呼ばれた。この研究に使われた方法が、核移植であった。熊谷(1997)によると核を提供する細胞は、六才の雌羊の乳腺細胞、羊の胎児から取った繊維芽細胞、受精9日後に当たる羊の胚からとったED細胞の三種類をクローン羊の作成に使われたと述べている。核移植とは精子の代わりに他の細胞の核を卵子に移植したのである。熊谷(1997)によると、ドリーの以前の方法では人間のクローンを作成できはしなかったが、ドリーの方法では細胞さえあれば、クローン人間が生まれる可能性はあると述べている。以前の方法だと一卵性双生児とにたようなもにしかならなかったが、新しい方法を使用すればほぼ同じようなコピーを作り出すことができると考えられている。
クローン人間が与える利益は多様にある。不妊症対策がそのひとつである。軽部(1997)は、男性に精子がない場合、クローン技術によって子供を作ることができると述べている。もちろんみずからのクローンを作ることですらできると考えられる。映画、「ジュラシックパーク」のなかで行われていた、恐竜を作り出すことも可能であると思われる。すなわち、すでに絶滅している生物を作成することもできるのではないのだろうか。今井(1997)は、クローン羊の報道があった後、一部の人々がヒトラーなどの危険な人物がよみがえるのではないかという不満があったと述べている。しかも非常に屈強な兵士を何人も同じような兵士を作り出すこともできるのではないだろうか。
クローンが作られる過程のなかで、問題が指摘されている。それは無性生殖的に増殖するということである。すなわち、性行為がこの過程の中で行われないのである。自然界の法則の中にも提唱されているように、雌雄間の性行為がない限り、子孫は残せないという理論がある。特に人間のクローンを作成すると、さまざまな理論を覆してしまう恐れがあり、多くの議論が出されることになる。
一つは宗教の理論を全面的に否定することである。宗教の考え方の中には、人間は神から生命を授かった生物であるという理論がある。そして同じ生物が二人存在しかねない時代もまじかに迫ってきている。その生物は人間の手で作り出されたものであり、宗教家から考えれば、それは禁断の科学ではないのかという議題があがるのは、明らかである。だが実際にこのような議題は時代とともに承認されている。たとえばダーウィンの進化論なども否定され続けられていたが、近日ローマの法王が進化論の一部を認めたことは記憶に新しい。一九九八年一月には人間へのクローン技術応用禁止令が欧州19カ国で調印された。この調印もクローン研究は神への冒涜とおもわれているゆえに発展した調印ではないかと考えられる。軽部氏(1998)によると、人間が神の変わりになってはいけないかという考えがある。
クローン人間が大部分の人口を占めたとき、非常な危険な状態になると考えられている。軽部(1998)によると、人間の遺伝的多様性が減少し、主としてヒトの長期的存在にかかわる問題となると述べている。すなわち、強力な伝染病などが流行すると、すべての人口がまとめて死滅しかねないのである。太古の時代から生物は少しずつ進化しており、このクローン人間の出現により進化が止まってしまうと考えられるのである。
前述でも述べたように、クローンは無性生殖的に行われるものである。結婚という概念すら必要なくなってしまうのである。さらに、筆者は性別という概念すらもなくなってしまうのではないかという問題が考えられた。女性は子供を産むために必要であるが、男性は不要になってしまうのではないだろうか。男性がいなくなるということではないが、彼らが不必要となったとき、少しずつ減少していく可能性も否定できない。
最相(1998)によると、「クローン人間が生まれてきた場合その子供は差別を受ける可能性が非常に高い、と述べている。子供とは親との家族関係、すなわち子供と親というものによって確立されるものである。これは特に女性のみで、クローンが作られた場合による。」養子などは子供の権利が象徴されるがクローンの場合親の権利によって生み出される可能性がある。子供の権利は完全に無視した状態になり兼ねないのである。
だが、実際に内面まで類似しているクローンを作り出せるとは考えにくい。その一つの原因は、人間の性格は生まれたときに決まっているのではなく、育つその過程によって性格が変わっていくものなのである。重要なことは、外見、そして根本的なものの類似しているものは作成できるだろう。筆者としては、実際に完全に一致したクローンを作り出すことは難しいと思われる。それゆえに前述でも述べた新しい第二のヒットラーが産まれかねない可能性はないと考えられる。元の人間とまったく同じような人生を歩まない限り、酷似するとは考えられない。
最後にクローン問題が世界各国に与えた影響を述べたい。軽部(1997)によるとアメリカではヒトクローン研究の一時的停止を議会に提出したと述べている。だが実際はいまだ審議中であり規制が実施されるのはまだ先と考えられている。他の国でも、いまだ完全な規制は敷かれてはいない。特にクローン技術を悪用する国家が現われることが無いよう監視をするべきではある。
クローン人間問題に対する議題は特に本稿でも述べた宗教関連によるものである。そして、クローンを研究している科学者はさまざまな批判によって研究が進められていない。実際にはクローン技術によって利益もあるが不利益も存在する。だがこの研究は今までの人間の理論を完全に覆すことのできる研究の一つである。人間はさまざまなものを今まで開発してきた。原子力なども以前は革命的と考えられてきたテクノロジーも第二次世界大戦では殺戮兵器としてつかわれてしまった。どのように新しい技術を使っていくのかという点を考慮しない限りクローンも原子力のような過ちを繰り返しかねないと思われる。
トラバどうもです。
おっしゃるように、元増田さんの言いたいことは、
「一度も反対しなかった人が、反対してもだれも支持してくれない」
だろうと思います。
そこのところを私は疑問に思ってて、一度も反対しなかった人が反対する時に、だれも支持してくれないのは、なぜだろうかと思ったのです。
その理由を考えて、
「だれも支持してくれない」→「支持してくれる人がいない」→「でも他の人がユダヤ人のように処刑されたわけでもないし」→「別の件で一度反対した人は二度と反対しないという前提がないと、だれも支持してくれないという事態にならないだろう」
と、頭を回転させて、
「ニーメラーの話を敷衍した論理って、些細な問題又は自分が無関心な問題に一度反対した人は、重大な問題や自分が関心のある問題には二度と反対しない、反対できない、というのが前提になっていると思う。」
と、書きました。
そして、政府が優良と認定した書籍以外焚書されると決まったとき、
私がそれを保存しようとしても、所持しようとしても、反対活動をしようとしてもそれは既に違法行為だった。
決まる前に、猛烈に反対されると思うし、そのような法律は国会で可決されないんじゃないかな。
誰も気付かないうちに、身動き取れないように外堀を埋められているって、実際にあるんでしょうかね。
で、敷衍の話。
電子辞書で串刺し検索したら、「しきげた」という読みの、別の意味があるそうです。
広辞苑によれば、「壁の上部に柱の上部を連結しておく桁で、小屋梁または根太などの端をうけるもの。」
これは私も知らんかったです。
白雪(@シスター・プリンセス)が使ってたような気がする。
リアルじゃない。
あと、手元の広辞苑だと
となっているので、
という点から、デザート=スイーツにはならないかと。
思い出した!
http://kokoron.madoka.org/mirror/studio-ring.html これの一番下
22秒のところで「甘いスイーツで」と言っている。
※一応注記。
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 2nd G.I.G. 第9話のパロディです。
草薙と合田一人のシーンと見比べながらどうぞ。動画とかはムリ。
の人じゃないけど。
さっきウィキペ長者ゲームやり終わってふらふら見てたのね。オギノ式、とか。PIって言葉知ってひとつ賢くなったり。膣外射精って確率的にはコンドームとそんな変わんないんだー(もちろん性病とかの危険性のぞく)、っていうかコンドームそんな確率高いんだーあははー。とか。
そんで流れで。まぁ。フェラチオのページとか見るわけですよ。リンク貼らないけど。心はいつも15歳!だから。ま、そんなに過激なことは書いてない。っつーか一応は百科事典で通ってるんだからそういう文体と内容です。やたら性病感染の危険性やら「女性は苦しいんだ」やら書いてあるけどな。とか。
そんな思いながらページ終わりまで読んだときに、ちょっとぶっ飛んだ。
どん。
リンクを開けてさらに倍。
みたいな。
写真が1枚あるじゃないですか。
モロ竿が写ってる。
そーかー。最近の子供は広辞苑で1発抜く、という体験はくぐってきてないのんかなー。とか感慨深げ。
……ちなみに
ってのもあった。
http://anond.hatelabo.jp/20070228025617
ゲーム脳とは言わないけれど、ゲームはゲームであるために適性という仕様があるだけでそれを現実に当てはめるのはどうかと思うよ。例えをつつくのもあんまり良くないと思うけど、現実における適性の定義があやふやすぎるよ。花咲か天使テンテン君みたいにみんなサイダネでも持ってるのかよ。
これは、僕の書き方にも問題があったけれど、適性は生まれながらのものじゃない。(生まれながらの遺伝による才能は確かに存在するだろうけど、それは議論しても仕方がないので考えないことにする。)ある年齢に達するまでの成長の過程で構築されるものだ。(もちろんいつまでかは個人差がある。小学生?中学生?それとも?)
例えば言語。誰だって、英語を母語にできる適性を持っている。ただ、ここ日本で普通に育っている限り、母語は日本語となり、“日本語という適性”を持つことになる。そして英語を母語とできる適性は消える。
もう一つ例をあげると、パソコンを扱うことが苦手なおじさん達。彼らはパソコンに対する適性を持っていなかった。しかし、この文章を読んでいる人たちは、そのおじさん達くらいの年齢になってもパソコンをなに不自由なく扱うことができるだろう。それはパソコンに対する適性がつくのに間に合ったと言えるかもしれない。
わかりやすい例はこれくらいか。僕らは成長の過程でなにかしらの取捨選択をしている。その仕組みは良くわからない。それは、おままごとの中だったり、鬼ごっこの最中だったり、似顔絵を書いている瞬間だとかで発生しているような気がする。何が得意になって、何が不得意になるかなんて、誰にもわからない。
はっきり言うと、適性の定義がはっきりしているわけがない。それをことばで定義できてしまうと、世の中には頭の良い人間なんて存在しなくなる。世界は、そんなに簡単な構造をしているわけではないと思う。ことばで語れない部分が大半をしめている。サイダネみたいに一元化して語れるものでは決してない。
確かに、剣士だとか魔法使いだとかはゲームの中の話でしかないかもしれない。ただ、そのゲームの中で、剣士と魔法使いがまったく同じグラフィックで、“剣士”・“魔法使い”とラベルが貼られていなかったらどうだろう。あるキャラクターは剣士という適性があるのに、魔法使いのように育ててしまったら、それは確実に使い物にならないだろう。
僕が言いたいのは、ゲームは現実よりはるかに簡単でわかりやすい例だということだ。
こう言ってしまうとゲーム脳だなんだとまた言われそうだ。僕ら人間に、“剣士”だとか“魔法使い”というラベルが貼られていて、一目でわかるようにできていないのは分かりきっている。ただ、もし、人にラベルをつけることが可能だとするなら、たぶんそれは広辞苑なんて目じゃないくらい一生かかっても読みきることができない分厚い本のようなものになるんじゃないかと思う。それほど難しいことだ。
適性というより能力と志向性の問題の気がするよ。
それをあわせて、僕は適性と呼んでいるつもりなのですが。
幼い子どもにはいろいろな体験をさせろとか、若いうちにたくさんの経験をしろとかよく言うけれど、前者は適性をつくる、後者は適性をつくると共に見つける作業なんじゃないだろうか。早く気付いたやつは得をするんじゃないか?
き-かい【機械・器械】
??しかけのある器具。からくり。
??〔機〕(machine)外力に抵抗しうる物体の結合からなり、一定の相対運動をなし、外部から与えられたエネルギーを有用な仕事に変形するもの。原動機・作業機械など。
◇「機械」は、主に人力以外の動力による複雑で大規模なものをいい、「器械」は、道具や人力による単純で小規模なものをいうことが多い。
き‐かい【機械】??名??
動力によって作動し、一定の運動・仕事を行う装置。「工作─」「精密─」◇一般に「機械」はそれ自体に動力源を備えた規模の大きな装置をさし、「器械」は比較的小規模な装置や道具をさす。「機器(器機)」は両者をあわせた総称。
きかい 2 【機械/器械】
(1)動力源から動力を受けて一定の運動を繰り返し、一定の仕事をする装置。主に、きっかけを与えると人力を借りずに自動的に作動するものをいう。からくり。
(2)精密な作動をする実験・測定用の装置。
「観測―」
〔規模の大きいものを「機械」、小さいものを「器械」と書いて区別することがある〕
(3)(器械)うつわもの。器具。道具。
(4)書名(別項参照)。
きかい-ろん 2 【機械論】
〔哲〕〔mechanism〕あらゆる現象を機械の運動になぞらえ、因果法則によって解明しようとする説。一七世紀の科学革命を通じて広く流布した世界観。目的に向かっての現象の生成・完成を認めない点で目的論に、また、生命特有の現象を認めない点で生気論に対立する。
「げしゅ」じゃなくて「げす」ですね。「げすのかんぐり」のげす。いや、語源かもしれないけど。
広辞苑を引くと
げ-す【下種・下衆・下司】
(1)身分の低い者。使用人。(2)心のいやしいこと。また、その者。
って出てる。