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はてなキーワード: 島原とは

2013-02-26

ミリオンライブ声優さん

http://news.dengeki.com/elem/000/000/605/605010/

からいる人は省くよ

天海春香中村繪里子
如月千早今井麻美
星井美希長谷川明子
萩原雪歩浅倉杏美
高槻やよい仁後真耶子
菊地真平田宏美
水瀬伊織釘宮理恵
四条貴音原由実
秋月律子若林直美
三浦あずさたかはし智秋
双海亜美下田麻美
双海真美下田麻美
我那覇響沼倉愛美

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田中琴葉種田梨沙
島原エレナ元明日香
佐竹美奈子大関英里
所恵美藤井ゆきよ
徳川まつり諏訪彩花
箱崎梨花麻倉もも
伴田路子中村温姫
北沢志保雨宮天
野々原茜小笠原早紀
望月杏奈夏川椎菜
木下ひなた田村奈央窓辺あい
舞浜戸田めぐみさくらさん(おしりかじり虫
矢吹可奈木戸衣吹
横山奈虬渡部優衣
二階堂千鶴野村香菜子松下夏鈴(こえぷら)
馬場このみ高橋未奈美卯月花音スタプラ!
エミリースチュアート郁原ゆう
松田亜利沙村川梨衣
大神稲川絵里
天空橋朋花小岩井ことり
七尾百合伊藤美来
豊川風花末柄里恵
宮尾美也桐谷蝶々
福田のり子浜崎奈々
真壁瑞希阿部里果望月歌帆(こえぷら)
篠宮可憐近藤唯
高坂海美上田麗奈
百瀬莉緒山口立花子
中谷原嶋あかり
高山紗代子駒形友梨
永吉昴斉藤佑圭
北上麗花平山笑美
周防桃子渡部恵子
ジュリア寺川愛美
春日未来山崎はるか
最上静香田所あずさ
伊吹翼Machico

2011-03-12

IAEA事故評価尺度(参考資料)

別冊宝島 これから起こる 原発事故 より抜粋

7~4 事故

3~1 異常な事象

0   安全上問題がない

7 深刻な事故 チェルノブイリ原発事故

6 大事故   クイシトゥイム核燃料再処理工場事故

5 所外へのリスクを伴う事故 スリマイル島原事故

4       東海村JCOの臨界事故

3 重大な異常現象 旧動燃東海事業所火災・爆発

2 異常現象    美浜原発2号機細管破断

1 逸脱      もんじゅナトリウム漏れ

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今回の数値はまだ出てない様ですが、現状でおそらく4以上と判断されるのではないでしょうか

とにかく小さな規模で事が収まる事を祈ります

2010-12-07

アラサーにして初めて京都へいった

修学旅行前日にインフルエンザになり、アラサーになるまで京都にも新幹線にも無縁だった人間京都へ行ってきたよ!

東山から四条三条北上後、大宮壬生を回り、島原へ南下し、西本願寺から京都タワー~豊国神社という徒歩旅。

所感

  • 細い裏路地あるけば寺社仏閣にあたる

どこもそうだったけど、四条大宮から壬生へ抜ける細い路地を歩いていたら1kmない距離なのに6、7軒は寺があった

  • 町のいたる場所に社や祠

路地を歩いているとそこらじゅうに小さな社があった

ごく自然にそういう文化根付いてるなと感じる都市だった

条例高層ビルが建てられない為とは知っていても、京都タワーから一望できる眺めが凄い

京都タワー以外高いものがない凄さ

  • 町並みが当然古い!

都内と違って空襲で焼き払われていない分だけ古くからの家をそのまま使っている感じ

金沢で見た武家屋敷の通りよりも広範囲

あらゆる人種が居る

マナー観念が違うので注意(普通に足踏まれてスルーされた)

交差点クラクション音に驚いて顔を上げたが、酷い時は数分に3、4度クラクション音がなっていた

首都圏ではどんなに渋滞していようとクラクション音をそうそう聞く事はなかったのでびっくり

それから交差点を観察しながら歩いてみたら、赤信号なのに3、4台右折していく感じだった

そして対向車が切れず右折出来ないで居るとクラクションを鳴らす感じ

車の流れがあって多少無理でも曲がる事はあれど、完全に赤信号なのに数台は堂々と右折していったのでびっくり

都内でトイレットペーパーが無い駅はほぼ見かけないのに対し、京都駅普通にトイレットペーパー無かった

金閣寺もなかった(流石に旅館にはあったが)

その代わり備え付けのトイレットペーパー販売機があった

盗難はあれどトイレットペーパーを備え付けない店は無いという勢いの首都圏に対して

京都はただ単にトイレットペーパーすら売りつける商魂逞しい土地なのかどうか・・・

総武線内で席に座った全く無関係の隣あった男女3人全員iPhone弄ってて吹いた位なのに

阪急では携帯弄り率が低かった(弄ってる人いたかいないかレベル

コンビニ歩道で何度かぶつかりかけた

はい京都駅は左によって右を空けていたり、観光客が多いとそうでもない模様

京都駅だったらごめんなさい、と前置きして三条川原町等三条通りかなと

阪急や他の地下鉄が乗り入れていて、京都駅伊勢丹だけなら、ここは大丸阪急高島屋に色んなブランドの店が有

病院へ入った時に喋っていると周囲からの目線が軽く刺さるような雰囲気になった

これが噂の・・・と思った

しか観光地を周っていると観光客慣れしているのか色々親切に教えてくれた

昔の話をしてくれたり、資料を貸してくれたり、いい人たちだなと感じた

新宿とは違ったでかさ、東京駅と比べてはいけないが、番線数やダンジョン度は東京の方が数倍上

都内の景観を無視しきったカオスな立て方のでかさではなく、なんでこんなオブジェクト作った?的な

恐らく普通の人が混雑した清水寺金閣寺銀閣寺を周っても、人の山過ぎて綺麗という観念が薄くなると思う

なんだただの普通の寺か~で終わる可能性大

ヲタ的には金閣銀閣触手に触れず、広隆寺だの東寺だののがクるだろうし、

歴史ヲタなら平安鎌倉江戸末期とおいしすぎる上、ヲタスポットは断然人が少ない

勿論景色は綺麗だし料理は美味しいけれども、一般人リピーターになるレベルまでは行かない気がした


勝手におススメな歩き方

  • 細い路地はどんどん入れ

本当に碁盤の目、ここは行き止まりだろ・・・という道こそどんどん突っ込んでいくと古い町なみが拝める

道が行き止まりにならない事を容易に悟れるはず

そのうちいつの間に寺の裏門へ出たりして、この界隈の人しか知らないルートを発掘出来る楽しさ有

殆どの人は一日バスフリー利用券(500円)で回っている模様だがバスは平日でもかなり混雑している

観光案内通りにバスに乗ると混みまくるので、自分適当接続ルートを探して乗るとかなり空いていた

例えば金閣寺行き、駅と接続しない祇園から乗るとスカスカで座れたり・・・みたい

ただ基本、街中の観光名所がかなり歩ける距離なので、ちい散歩ブラタモリするのがおススメ

湯島から上野までとか表参道から渋谷までとか、遠くて秋葉原から上野まで、みたいな距離

壬生寺に幕末京都の古地図が売っていたので、かなりブラタモリが出来る

寺は拝観料を取られるので(200~1000円程度目安)多く回る人は寺一つ頭千円で持っておいたほうがいいか

高い見積もりかもしれないが、絵馬や御朱印、お守り収集や国宝観覧をするなら足りない位

カメラ撮影禁止の場所も多いが、撮影可の場所もあるのでカメっこは必須

  • 土日祝日は有名どころを外す

親の付き添いで金閣寺へ行ったら浅草並みの混雑で泣いた

しか弥勒菩薩が居る広隆寺平清盛像のある六波羅蜜寺や風塵雷神屏風の建仁寺スムーズに入れた

ツアーコースに入らない寺は国宝があるとはいえ案外空いてる

どうしても土日なら土曜日に有名所へ

  • 行動は朝9時から18時に

寺社仏閣の参拝時間が長くなっているとはいえ、夜間拝観除いてこの時間内に周らないと見れない

2010-10-27

どうなんだろ

機械と手延べとどういうとこが違うんだろうね?

今はオーストラリア産のそうめんなんてのもあるそうだけど

デュラムセモリナみたいに、そうめんに適さないやっすい粉使ってるのかな

三輪のはたしかに何もしないでもうまい

つるつるっとしてのどごしがいい

実はほとんど島原産だそうだけど

http://anond.hatelabo.jp/20101027144555

http://anond.hatelabo.jp/20101027135943

2009-02-13

書評: 中村彰彦・山内昌之黒船以降 政治家官僚の条件』(中公文庫

 あまりに面白いので休日に半日を費やして読了した。

単に幕末維新の歴史の知識だけなら、百科事典講釈師のような物知りも沢山いるが、この対談は人物評が現代的で、政治家として官僚としての力量を問う通信簿的な作業でもあり、ことごとくがリアリスティックなのである。

 しかも幕末維新を、本筋を外さないで不思議な逸話で溢れさせ、しかし歴史観の骨髄をしっかり守っている。

 経済視野から薩長会津を比較してみると、京都守護職を越前松平春嶽から押しつけられた会津松平容保は、財政的艱難辛苦に耐えなければならず、藩士1000名の京と駐留経費の捻出は並大抵ではなかった。京都島原遊郭で遊ぶカネがなく、だから会津武士京都人から嫌われ、薩長はすかれた。

なぜか。長州竹島経由で、薩摩沖縄を梃子に「密輸」をやっていて資金が潤沢、最新鋭の軍艦鉄砲も買えた。中村彰彦によれば加賀前田藩も日本海の北と密貿易を展開した銭屋五兵衛を黙認した形跡があるという。

密輸で設けた諸藩の志士らは、経費をちょろまかして島原で遊興もできた。

 本書で両人からコテンパンな酷評を受ける一つは御三家のなかでもイデオロギーの強い水戸藩、天下の副将軍勝手に僭称した水戸光圀は、伝説では「名君」だが、じつはとんでもない御仁だった。

水戸学が、やがて水戸藩を分裂させ、悲惨な内訌が天狗党の悲劇を生んだが、じつはその後も明治三年まで復讐劇が続き、難を逃れて群馬栃木あたりに逃げ、その末裔現在もいるという後日談も、なんだか、西南戦争に負けた西郷軍のうちの1500名ほどが台湾へ逃れ、現地民に同化したという歴史の裏面の話に通じる。

結局、水戸藩の“正義”の史観徳川幕府を毀した。

 

本書は、薩摩長州歴史意識政治構造科学天文学への心構え、軍事思想など似ているようで全く異なることを、これまた目から鱗のように別の視点からえぐり出している。

たとえば坂本龍馬が斡旋した薩長同盟の基軸の発想は公武合体の実現だった。

山内教授は「オーストリアハンガリー二重帝国」の例があるように、天皇を頂き、徳川薩長が二分するアイディア存在を告げる。

イギリスオールコックなどの歴史観世界の情勢から、倒幕に踏み切っていくプロセス西郷大久保坂本邪魔になったという闇の部分にも光を当てる。これは中村がまだ直木賞受賞前にかいた『龍馬伝説を追う』(世界文化社)にも詳しい。

また榎本武陽の「蝦夷共和国」構想も、じつはハプスブルグ家の「オーストリアハンガリー二重帝国」が発想にあった、と示唆する。

 脱線ながら、評者(宮崎)が鹿児島指宿の「伝承館」でみたパリ万博記録展示の或る部分に驚いた。パリ万博薩摩徳川幕府が出展した。薩摩焼など、パリジャンの度肝を抜いた。ともにそれぞれの勲章をつくった。

 薩摩は「薩摩琉球国」として勲章をだした。つまり独立国として、国際社会にアピールしていたわけである。

 もう一人、こっぴどく批判されているのは福沢諭吉だ。

福沢が欧米派遣のおりに経費を誤魔化して図書を買いあげたが、それは小学生程度の英語の本が多く、小栗上野介は「あの男の選択眼は節穴、語学能力はその程度だ」と評した逸話は有名だろう。

福沢は本来なら切腹ものだが、ばれて詮議にかかろうとしたとき徳川幕府が瓦解した。

他方では講釈やら近年の小説の裁き方や世評はともかくも、食えなくなった旧幕臣らの面倒をよくみた勝海舟と榎本武陽への評価が高い。

 

 さて表題も示唆する「黒船来航以後」の話であるが、アメリカロシア日本にとって最初の接触だったのは、幕末の混乱期における日本にとって僥倖であり、もし英仏のような『ならず者国家』が日本に先に乗り込んできたらどうなっていたか。

 シナにしかけたアヘン戦争のような略奪と、国内分裂は防げなかったのではないか。幕府フランス薩摩英国に頼ったが、本気で内戦にのめり込んでいったら、日本は良いように利用されたあげくに英仏の植民地化されていた恐れがあった。

 しかし幕末徳川幕府をさしおいて薩長が最新鋭の武器を大量に買えたのも、その先見性や薩英戦争、馬関戦争敗北の体験から軍事知識と実践があり、おりしも南北戦争が終わって大量の武器をもてあましたアメリカから大量に買い付ける。

 市場開拓を狙うドイツ人武器商人だったスネル兄弟は河井継之助長岡藩にガットリング銃を売りつけたが、会津に強力にテコ入れし、最後は榎本軍に従って函館戦争をともに戦った。

 ドイツはむろん、英仏米露の隙間を狙って日本での武器外交が主眼だった。

 しかし幕府敗戦により、スネルは代金を回収できず、兄はやがて会津武士団の食い詰め組を率いてカリフォルニアに移住したり、弟は御維新後、浅草落語を聞いていたとか。脱線する逸話もまた本質に付随した、人間の描写なのである。

 それにしても幕末維新を縦横に語る中村彰彦は歴史作家だから回天の内幕に詳しいのは当然にしても、なぜイスラム中世専門家である山内昌之が、ときに中村を唸らせるほど幕末日本精通しているのだろう。

 もう一つ不思議に思ってきたことがある。山内昌之教授は、『世界』と『諸君』の両方に論文を書く器用な論客でもあり、保守なのか旧左翼なのか、いまもよく分からないところがある。

 山内がいみじくも「後書き」に書いている。

国際会議で、オスマントルコ帝国解体過程やイスラム政治歴史と、日本近世近代との比較をよく問われる。国際的要請でもある。まして日本史を知らずして世界史を語れる筈があろうか、と。

 最後節あたりの日露戦争から大東亜戦争に至る山内の歴史講釈には、ちょっと首肯できない史観部分があるが、山内教授主観だから、その部分は聞かないことにする。

2007-03-04

島原の子守唄

なんでこんなにくらいんだ…

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