はてなキーワード: 個展とは
作品を販売して得たお金のみで生活してる人をいうんじゃないの?
違うの?
でも本当のオリジナルって何?
自分でもおかしいと思わないか?
収入の%で認定するのはありだろ。
それとも知名度で決まるのか?
なけなしの金を叩いて個展して手の届く範囲の知り合いしか来なくて
一つまみの人間だけが実家に寄生したり、主婦として夫に養ってもらいながら
だから兼業してるやつは今すぐ辞めろ。
さもなくば創作活動をやめろ。
才能なんか、10代でなければ一生無い。
コネはコミュニケーション能力ないと無理。
女だったらそれなりに股開かなきゃ無理。
引きこもって作品だけ作ってりゃいいわけない。
それすら知らなかったヤツは可能性はひとかけらも無い。
死後、作品が有名になったやつは正直負け組。
生きてなきゃ意味ないだろ。
生きて、作品を評価されなきゃ活動している意味なんてない。
とても好きな彼ができた。
母のいきつけでたまたま母に連れられて行った時にたまたま隣にいたことから。。。でした。
とても家柄の良い彼。
ご両親に愛され育ってきたことを、
しぐさや身なり口調などなどからひしひしと感じられる。
お付き合いすることになったのが今週のこと
私が彼にとってはじめての彼女でした。
おととい彼から別れを告げられた。
彼の育った立派なお家の家系から、現在の彼の置かれている状況まで
とても丁寧に詳しく教えて頂いた後のこと
私のことを大好きで、幸せにしたいけれど
いまのままでは幸せにすることはできないから・・・
という理由でした。
なんで?どうして?そんな事は関係なく私は好きなのに!
とわがままを言いまくったけれど
結局は彼が泣きながらお願いだから終わりにしてと・・・
私も泣く泣く了承。
納得いかない頭の中でこんなことを思い出しました。
写真を撮ることが趣味で、個展なんかも精力的にひらいている様な男性でした。
彼と付き合うことになった夜
こんなやりとりだったと思います。
私「はじめての彼氏ができたよ!」
友「どこで知り合ったの?」
彼とは、とあるサイトで知り合いました、
あっという間に意気投合、オフ会など経て付き合うことになったのです。
当時、インターネットなどで知り合った男女の問題が大きくマスコミなどで取り上げられている時期で
親友は私を心配するあまり母に通報をしてしまったのです。
もちろん危険な方では決してなかったのですが。
我が家では大問題となり
「学業に専念する立場なのに、彼を作るなんてありえない」
「インターネットで知り合った男と付き合ったら危ない。」
「そんな男とつきあうのはやめろ。」
「これ以上付き合うなら大学はやめろ」
それはそれはひどく怒られたものです。
私は彼の事を大好きでしたが、彼と付き合うことを続けて家族から見放される事のほうがもっとこわい。
彼の気持ちよりも当時の自分を守るために、私は泣く泣く「お別れをする」決断をしました。
その決断は、父が彼を家に呼び家族のいる前で彼に伝える事となりました。
たくさん泣きました。
彼をたくさん傷つけてしまいました。
自分の気持ちにフタをして気持ちに嘘をついて忘れようと努力をしました。
このことは今になってもなかなか忘れられない事だったのでした。
彼は大きなバイクに乗っていました。黄色いダウンジャケットを着ていました。
冬に黄色いダウンジャケットを着た男性を見かけると彼なのではないかと未だに目で追ってしまいます。
かといってもうだいぶ昔のこと、今の彼には奥さんも子供もいることでしょうけど。
とあるスナックで知り合った
そんな得体の知れないやつと手塩にかけて育てた大事な息子が付き合っている。
そんな事を親御さんが知ったら
昔私の両親が取った様な行動を親御さんも起こすことでしょう。
彼は学生。ご両親の支えがないと彼の生活や彼のやりたいことの存続はきっと難しくなってしまう。
そんなことを考えたら昔私がした様な決断を彼も下すことでしょう。
なんという因果応報!
すこしは状況が違っていたのかとか考えちゃいますが。
こんなことってあるものなのだなと。
人生とか、運命なんかの「あや」を感じてしまってしょうがない。
その時その時自分の気持ちに責任の持てる判断をしてかなきゃならないとおもった。
たとえば我をわすれてしまう恋愛なんかにおいても。
今日、YouTubeでとんねるずの番組を見ていたら「AI」という女の子が「Story」と言う歌を歌っていた。
小さな体なのに凄いパワフルな歌声で、ちょっと感動してしまった。
才能が有るって素晴らしいな。
自分もあっち側に行きたかったがな。どこにも相手にされなかった。才能が無くって悔しいな。
子供の頃からなりたくなかった月給取りをもう何年やっているんだろう?
10年以上いる会社がいまだ馴染めずにいる。
学校卒業してすぐに会社に入ってソコしか知らない人は、当然だけれど自分とは価値観が全然違う。
この人達は、バイトが無く、家賃が払えず大家さんに謝る惨めさも知らなければ、偶然見上げた夕焼けの美しさに、
暗くなるまで路上に立尽くした事も無いだろうな。
別に自分が正しいと言うつもりは無いよ。仲間がいなくてつまらないというだけさ。
東京にいた頃、魚河岸で働きながら油絵を描いている仲の良い友人がいた。
夕焼けに感動した日、彼のアパートに飛んでいって、夕焼けが綺麗だったと言ったら、良いものを見れて良かったと喜んでくれたな。
彼は同性愛者で、一度酒盛りをして泊めてもらったら、朝方大事な所をまさぐられてビックリして飛び起きたことが有ったけ。
自分は女好きで、そちらのほうのお付き合いは出来ませんでしたが、それからも仲良く遊びにゆきました。
彼はとても優しくて、いい人でした。
夢破れて静岡に帰るとき、惨めになるから見送りには来ないでくれと仲間に言って回りました。
でも彼だけが来てくれました。12月の寒い日、一年中履いているゴム草履をペタペタ鳴らして来てくれました。
彼の笑顔を見て、「やっぱり帰らない」とどんなに言いたかった事か。
魚河岸で一番筋肉質の人を頼んで、かれのアパートで、裸夫デッサンをした事も有りました。
強暴とも呼べそうな凄い筋肉マンでしたけど静岡に帰った自分が3年ほどして彼の所に遊びに行くと、2人で同棲してたのには驚きましたね。
彼も間違い無く、サラリーマンにはなれない素敵な人です。
はるか昔の事とか思い出してしまいました。
電車で知り合いに会った。けど無視した。だってキモイし、友達がいないって言う噂だ。
駅を降りて歩いていくと、画廊で個展が行われてる。安いし、いいと思うけど買わない。なんか面倒くさいし。
そのまま歩くとコーヒーが飲みたくなった。ちょうど喫茶店があったけれど、小汚いからいいや、マックで飲もう。
デブがハンバーガー食っていたので、共食いだと笑ってしまった。コーヒーを飲んで気分がよくなってしまったのだろうか。
メールが来た。メル友からだ。彼女の好きなバンドのボーカルが自殺したらしい。
キモイ。少し変なやつだと思っていたけれど、こんなメールを送って俺にどうしてほしいんだろうか。
どうして自殺なんてするのだろう、がんばったらチャンスはやってくるだろうに。
今日、YouTubeでとんねるずの番組を見ていたら「AI」という女の子が「Story」と言う歌を歌っていた。
小さな体なのに凄いパワフルな歌声で、ちょっと感動してしまった。
才能が有るって素晴らしいな。
自分もあっち側に行きたかったがな。どこにも相手にされなかった。才能が無くって悔しいな。
子供の頃からなりたくなかった月給取りをもう何年やっているんだろう?
10年以上いる会社がいまだ馴染めずにいる。
学校卒業してすぐに会社に入ってソコしか知らない人は、当然だけれど自分とは価値観が全然違う。
この人達は、バイトが無く、家賃が払えず大家さんに謝る惨めさも知らなければ、偶然見上げた夕焼けの美しさに、
暗くなるまで路上に立尽くした事も無いだろうな。
別に自分が正しいと言うつもりは無いよ。仲間がいなくてつまらないというだけさ。
東京にいた頃、魚河岸で働きながら油絵を描いている仲の良い友人がいた。
夕焼けに感動した日、彼のアパートに飛んでいって、夕焼けが綺麗だったと言ったら、良いものを見れて良かったと喜んでくれたな。
彼は同性愛者で、一度酒盛りをして泊めてもらったら、朝方大事な所をまさぐられてビックリして飛び起きたことが有ったけ。
自分は女好きで、そちらのほうのお付き合いは出来ませんでしたが、それからも仲良く遊びにゆきました。
彼はとても優しくて、いい人でした。
夢破れて静岡に帰るとき、惨めになるから見送りには来ないでくれと仲間に言って回りました。
でも彼だけが来てくれました。12月の寒い日、一年中履いているゴム草履をペタペタ鳴らして来てくれました。
彼の笑顔を見て、「やっぱり帰らない」とどんなに言いたかった事か。
魚河岸で一番筋肉質の人を頼んで、かれのアパートで、裸夫デッサンをした事も有りました。
強暴とも呼べそうな凄い筋肉マンでしたけど静岡に帰った自分が3年ほどして彼の所に遊びに行くと、2人で同棲してたのには驚きましたね。
彼も間違い無く、サラリーマンにはなれない素敵な人です。
夢叶ってよかったね。本当によかった。お二人でいつまでも幸せにね。静岡の片隅から今も応援してます。
はるか昔の事とか思い出してしまいました。
彼女との関係がぷっつりと途切れたのは、秋の連休のまっただ中で、それも告白をして欲しいという要望に応えた直後だった。告白に失敗したのだろうと言われれば、まったくのところその通りで、彼女のなにかに達していなかったことを突きつけられて、愕然とした。
ぼくの告白が、彼女ではない部分に対してされているのだといい、電話を一方的に切り、電源を切り、それから逃げるように電話番号まで変えてしまう。それは疾風のようなはやわざで、のんきなぼくがあっと口を開けている間にすべてが済んでいた。
嵐のような撤退劇。
無音になった携帯電話をにぎった右手をあわてて放す。
あちっ。
社会人になってもう何年も経つのに、ついさっきまで高校生だった子を口説くなんて犯罪じゃないかと、友人は笑って言う。
「うるさいな、仕方ないだろ、なりゆきでこうなっちゃったんだから」
「惚れてるの?」
「うっさい」
「じゃあ、あれだ、きっとどこか問題がある子なんだ」
問題じゃない、心の傷。
そうぼくは反論するが、仲間内ではぼくはメンへラーハンターということになっていて、そういう子を見つけるとつい手を出してしまうことになっている。手を出すといってもなにか対価を求めるわけではなく、ただ単に話を聞いたり、問題を解決したり、足りないものを足したり、そういうことをする。
さとしたり、なだめたり、たのしませたり、いっしょに哀しんだり。
そうやって元気になっていく姿を見るのが、ぼくは好きなだけなのだと思う。
だけど、その心の傷の周りには、地雷のようななにかが埋まっていることが多く、うっかりそれに触ると、大やけどをすることになる。
「それで、どんなの子なの? その短大生」
興味半分に聞く友人に、ぴったりの言葉を探す。
「テロリストかな、ひとことで言うと」
彼女と出会ったのは叔父のささやかな個展で、芸術短大生だとなのる彼女は、叔父の作品を見て端的に批評した。
その剣幕に叔父もぼくもあぜんとしていたが、なにか切羽詰まったように批判する姿はそれでも心に残った。
「うーん、まあ、そういう見方もできるね、でも、あまり変わってないよ」
叔父はぼろくそに言われたにもかかわらず平然と答える。
あとで分かったことだが、彼女は自分に主導権がないと極度に怯えるらしく、そのときもしきりにマシンガンのようにだめなところを語って帰って行った。
彼女が帰ると、またもとの閑散とした個展に戻り、ぼくはほっと息をついて聞く。
「つらくないの? あんなに言われて」
叔父はああとつぶやき、まばたきをして、答える。
「でたらめなんだ、あれ。たぶん彼女、真剣に絵を描いたことがないんだよ」
叔父の話を総合すると、彼女の話はたしかにうなずけるところもあるが、話の80%ぐらいが憶測で話されており、それを指摘しようにもあのマシンガントークの中では、それを断念せざる終えないとのことだった。
「きっと批評に熱中するあまり、絵と向き合うことを忘れているんだ。どんな絵にもいいところはあるのに」
彼女のその批評は、周辺の個展でも繰り広げられたらしく、知り合いにそれとなく尋ねると、ああ、来たねと話が弾む。
「なんでも短大の有志であちこちの個展を批評して回っているらしいね」
「まるで、ゲリラ活動というか、絵を見に来ているのか、相手をけなしたいだけなのか、ほんとさっぱり」
そんな彼女の航跡を追い、話の断片を集めているうちに、次第に彼女の全貌が見え始める。
まあ、よくある話。
ぼくが追いかけてきた心の傷たちには、つらすぎることが多すぎる。
そんなものたちに囲まれていると、自分の周りのいいところが見えなくなる。
なにもかも世界がまるっきりだめなものに見えて、いっそ破壊してしまった方がいいのではないかと思えてくる。
それは分かる。
ぼくもテロリストだったことがあるから。
ぼくのテロリストとしての最盛期はたぶん彼女と同じぐらいの時で、なんでも世界中を破壊して回った。そうやって破壊していく自分がなにかかっこういい気がして、まるで、不良高校生のようにいきがって見せた。
といってもそれは実際に破壊したわけではなくて、その世界の本質を知りたくて、なにもかもをぶっ壊してみたという感じに近い。
たとえて言うなら、ウェディングケーキ。
幸せな結婚式場に乗り込んで、その甘ったるいクリームに両手を突っ込んで、中になにがあるのかを掴んでみようとする。クリームだらけになって、気持ち悪さに眉をひそめ、それでもその真ん中に、鉄の心棒が入っているのを掴んで、ゲラゲラ笑う。
しかしそれは醜悪なテロリストであるにすぎず、他の人が踏み込まないタブーを侵しているから他の人にできないことができていたにすぎない。
たとえばプラスチック爆弾を使う、カラシニコフを使う、火炎瓶を使う。
なぜ他の人が使わないかは明白で、それを使うことが、本来であればたいせつな守るべきものを破壊してしまうからだと、ぼくは気付かなかった。
颯爽とした自由を感じていたつもりが、それは単なる自損行為だった。
そうやって鋭さをむき出しにして、なにもかもを破壊して回って、悦に入っているうちに、自分を包み込んでいたすべてを破壊してしまったことに気付く。鋭い刃のほとんどは自分の心に向かって突き刺さり、自分で自分の息の根を止めてしまうに至る。
それがテロリストの末路。
だから、彼女を止めたくて仕方なかったのだ。
彼らは自分たちのやり方で、自分たちの幸せを作り上げ、作り方を知っているから、破壊されてもまたすぐに作り直してしまうよ?
結局壊れるのは自分だけだし、そのネガティブだけに染まって生きるのは危険だよ?
ぼくはもう耐性ができてしまったから、なにをしても心配がないのだよ?
しかし、ぼくは思うのだ。
あのテロリストだった頃のぼくにそれを言っても聞いただろうか、と。
彼女とふたたび出会ったのは半年もたった後のことで、叔父が個展を開くというので、開口一番に手伝いに名乗りを上げた。
案の定、彼女は個展が開くなりやって来て、例のマシンガントークをはじめようとしたので、ぼくは止めた。
「ねえ、こうしませんか? その批評に、他の人の批評も加えませんか? 叔父の絵を、個展に来る人はどう見ているのかを聞いてみませんか? ここで静かにそれを見ませんか? 礼金は払うので」
叔父を見ると、にやっと笑う。
「はがきは二百枚は出したかな」
「じゃあ、来るのは五十人ぐらい」
それは取るに足らないと彼女が考えているのは明らかだったが、そのたこつぼの正体を見ることには同意してくれた。
それからというもの個展開催中の1週間は毎日のように顔を出し、そして普段の激しい様子は出すことなく、猫をかぶったようにその成り行きを彼女は見つめた。
個展と言っても1日に数人来ればよいような閑散としたありさまで、叔父はそれをのほほんと受け止め、コーヒーを入れて、陽光を気持ちよさそうに浴びていた。3人に会話はほとんどなく、あってもちょっとした細々とした用事に必要な会話だけで、静かに漂うような時間だけが過ぎていった。
たまに来るお客には叔父は丁寧に接し、一時間も二時間も親しげに話した。
「これじゃあ、たこつぼどころか、単なる仲良しサークルじゃない」
珍しく彼女が言うので、ぼくはあきれて言う。
「まあ、そんなもん。ずっとそうだよ」
「え? でも、上手いよね? 少なくともいま売り出し中の××よりは」
ぼくはぎょっとして彼女を見る。
その純粋な瞳がぼくを射る。
(この子はいったいなにが分かってなくて、なにを知らないのだろう?)
叔父がのんきに言った。
「上手い下手ぐらいはさすがに分かります、本業ではなくても、画家ですし」
「じゃあなんで?」
叔父はのんびりとコーヒーをすすり、言う。
「これが気に入っているのです」
結局のところ叔父の個展で売れたのは20万の絵がひとつで、老人ホームに入るおばあちゃんが冥土の土産にと買っていった。
「夢に出てきちゃってねえ」
などという。
叔父はそれを快く譲り渡し、お金を貰って、ほっと息をついた。
彼女がどのような感想を持って帰って行ったのかは、実のところいまでもぼくは知らない。しかし、叔父は彼女が携帯電話を忘れていったことに気付いて、それをぼくに渡す。
叔父は言う。
「それが目的だったんだろう?」
正直そういうところをずばずばついてくる叔父は、苦手な部類に入った。
「うっさい」
今日、夜もヒッパレと言う番組を見ていたら「小柳ゆき」という少女が「愛情」と言う歌を歌っていた。
小さな体なのに凄いパワフルな歌声で、ちょっと感動してしまった。
才能が有るって素晴らしいな。
自分もあっち側に行きたかったがな。どこにも相手にされなかった。才能が無くって悔しいな。
子供の頃からなりたくなかった月給取りをもう何年やっているんだろう?
10年以上いる会社がいまだ馴染めずにいる。
学校卒業してすぐに会社に入ってソコしか知らない人は、当然だけれど自分とは価値観が全然違う。
この人達は、バイトが無く、家賃が払えず大家さんに謝る惨めさも知らなければ、偶然見上げた夕焼けの美しさに、
暗くなるまで路上に立尽くした事も無いだろうな。
別に自分が正しいと言うつもりは無いよ。仲間がいなくてつまらないというだけさ。
東京にいた頃、魚河岸で働きながら油絵を描いている仲の良い友人がいた。
夕焼けに感動した日、彼のアパートに飛んでいって、夕焼けが綺麗だったと言ったら、良いものを見れて良かったと喜んでくれたな。
彼は同性愛者で、一度酒盛りをして泊めてもらったら、朝方大事な所をまさぐられてビックリして飛び起きたことが有ったけ。
自分は女好きで、そちらのほうのお付き合いは出来ませんでしたが、それからも仲良く遊びにゆきました。
彼はとても優しくて、いい人でした。
夢破れて静岡に帰るとき、惨めになるから見送りには来ないでくれと仲間に言って回りました。
でも彼だけが来てくれました。12月の寒い日、一年中履いているゴム草履をペタペタ鳴らして来てくれました。
彼の笑顔を見て、「やっぱり帰らない」とどんなに言いたかった事か。
魚河岸で一番筋肉質の人を頼んで、かれのアパートで、裸夫デッサンをした事も有りました。
強暴とも呼べそうな凄い筋肉マンでしたけど静岡に帰った自分が3年ほどして彼の所に遊びに行くと、2人で同棲してたのには驚きましたね。
彼も間違い無く、サラリーマンにはなれない素敵な人です。
はるか昔の事とか思い出してしまいました。
今日、夜もヒッパレと言う番組を見ていたら「小柳ゆき」という少女が「愛情」と言う歌を歌っていた。
小さな体なのに凄いパワフルな歌声で、ちょっと感動してしまった。
才能が有るって素晴らしいな。
自分もあっち側に行きたかったがな。どこにも相手にされなかった。才能が無くって悔しいな。
子供の頃からなりたくなかった月給取りをもう何年やっているんだろう?
10年以上いる会社がいまだ馴染めずにいる。
学校卒業してすぐに会社に入ってソコしか知らない人は、当然だけれど自分とは価値観が全然違う。
この人達は、バイトが無く、家賃が払えず大家さんに謝る惨めさも知らなければ、偶然見上げた夕焼けの美しさに、
暗くなるまで路上に立尽くした事も無いだろうな。
別に自分が正しいと言うつもりは無いよ。仲間がいなくてつまらないというだけさ。
東京にいた頃、魚河岸で働きながら油絵を描いている仲の良い友人がいた。
夕焼けに感動した日、彼のアパートに飛んでいって、夕焼けが綺麗だったと言ったら、良いものを見れて良かったと喜んでくれたな。
彼は同性愛者で、一度酒盛りをして泊めてもらったら、朝方大事な所をまさぐられてビックリして飛び起きたことが有ったけ。
自分は女好きで、そちらのほうのお付き合いは出来ませんでしたが、それからも仲良く遊びにゆきました。
彼はとても優しくて、いい人でした。
夢破れて静岡に帰るとき、惨めになるから見送りには来ないでくれと仲間に言って回りました。
でも彼だけが来てくれました。12月の寒い日、一年中履いているゴム草履をペタペタ鳴らして来てくれました。
彼の笑顔を見て、「やっぱり帰らない」とどんなに言いたかった事か。
魚河岸で一番筋肉質の人を頼んで、かれのアパートで、裸夫デッサンをした事も有りました。
強暴とも呼べそうな凄い筋肉マンでしたけど静岡に帰った自分が3年ほどして彼の所に遊びに行くと、2人で同棲してたのには驚きましたね。
彼も間違い無く、サラリーマンにはなれない素敵な人です。
はるか昔の事とか思い出してしまいました。
Google以外なら、YRPの研究所だろうなぁ、おれがオススメできるのは。
いずれにしろ、メジャーなところは全部一流企業の研究所になるとおもうよ。
大学で目を付けられて、そのまま推薦受けて、ヒモ付きで研究所にエリートコースで進んじゃうから、そういう人たちって。
なので、いわゆる理系で頭がよいってのは、Googleが無理なら全部無理にかなり近いと思う。
で、理系の頭の良さは捨てて、美術系なら個展を周ってみたら?。
1つ行けそうな所でパブリックな所を上げれば
オススメできるところでは六本木の国立新美術館で開かれるARTIST FILEあれはスゴイ。
少なくとも世の中には頭の良い奴がいるという事はわかる。
作家本人に出会いたい?それは努力だな。いることがわかればあとは努力だ。つか、スゴイやつが増田と出会うモチベーションが何か?という事になるわけで、無いなら運に頼るしかないなw
たとえば「場」という要素がある。
はてな匿名ダイアリーという場に、「人の作品を勝手に自己満足と決めるほど貴方は偉いんでしょうか?」なんて戯言を書くのは間違いなく自己満足だ。
それは自分の作品を自己満足と言われることに問題を感じない芸術家先生やワナビーなどの「一部の人」の集まりの中で酒の上の愚痴にでもするしかないものだ。
「場」の属性を無視して、自分と「一部の人」にしか通じないような芸術作品や主張を「公共の場」を持ち出してくるような神経が、たいてい「自己満足」といわれる。
「自己満足」の「芸術作品」が作りたかったら個展でもやってろ。画廊や映画館や出版社は芸術家と「一部の人」の方だけ向いてるわけにはいかない。もちろん「一部の人」だけ相手にして食えちゃう芸術家もいるんだろうが。
そういうのって本人が気づくしかないからなあ。
元増田自身が自分をみせてやるのがいいんじゃないかな。自分の作品とかね。画塾に放り込む?そんな職務放棄するより自分の家にでも招待してやれ。
俺の場合は、先生たちの「俺は芸術家になれなかった」「俺は学者になれなかった」「定年間近でまだ諦めてない個展開いてるけどやっぱり芽が出ない」ってのを目の当たりにして、彼らは背中で語ってくれたよ。高校生ぐらいならそういうのが一番効くんじゃない?こういう先生は変に教育熱心な人より好きだったね。**くずれは教師に向いてると思うんだ。ガラガラの個展に自分の生徒を招待するなんて最高の人生教育だよ。
今日、夜もヒッパレと言う番組を見ていたら「小柳ゆき」という少女が「愛情」と言う歌を歌っていた。
小さな体なのに凄いパワフルな歌声で、ちょっと感動してしまった。
才能が有るって素晴らしいな。
自分もあっち側に行きたかったがな。どこにも相手にされなかった。才能が無くって悔しいな。
子供の頃からなりたくなかった月給取りをもう何年やっているんだろう?
10年以上いる会社がいまだ馴染めずにいる。
学校卒業してすぐに会社に入ってソコしか知らない人は、当然だけれど自分とは価値観が全然違う。
この人達は、バイトが無く、家賃が払えず大家さんに謝る惨めさも知らなければ、偶然見上げた夕焼けの美しさに、
暗くなるまで路上に立尽くした事も無いだろうな。
別に自分が正しいと言うつもりは無いよ。仲間がいなくてつまらないというだけさ。
自分は、10年間ここでは異邦人だ。
東京にいた頃、魚河岸で働きながら油絵を描いている仲の良い友人がいた。
夕焼けに感動した日、彼のアパートに飛んでいって、夕焼けが綺麗だったと言ったら、良いものを見れて良かったと喜んでくれたな。
彼は同性愛者で、一度酒盛りをして泊めてもらったら、朝方大事な所をまさぐられてビックリして飛び起きたことが有ったけ。
自分は女好きで、そちらのほうのお付き合いは出来ませんでしたが、それからも仲良く遊びにゆきました。
彼はとても優しくて、いい人でした。
夢破れて静岡に帰るとき、惨めになるから見送りには来ないでくれと仲間に言って回りました。
でも彼だけが来てくれました。12月の寒い日、一年中履いているゴム草履をペタペタ鳴らして来てくれました。
彼の笑顔を見て、「やっぱり帰らない」とどんなに言いたかった事か。
魚河岸で一番筋肉質の人を頼んで、かれのアパートで、裸夫デッサンをした事も有りました。
強暴とも呼べそうな凄い筋肉マンでしたけど静岡に帰った自分が3年ほどして彼の所に遊びに行くと、2人で同棲してたのには驚きましたね。
彼も間違い無く、サラリーマンにはなれない素敵な人です。
はるか昔の事とか思い出してしまいました。
だいぶ前にあるテレビ番組で取り上げられていた女性画家について思ったことを書いてみる。
以前民放でも取材されており、それを見たときは、「暗い絵だな。」「タイトルが思わせぶりだな。」という程度であった。たださらに前に、週刊誌で注目の美女とかいうテーマの各界で活躍している若い女性を取り上げている中に、女優然とした雰囲気でたたずむ女性がひときわ印象的で名前は知っていた。
一般に容姿が重要視される職業以外に就く女性が、通常レベルと思われているものよりやや上だと途端に「美人何々」と評されることがよくある。これは、褒め言葉というより、女性を貶めているように感じるのだが、それはひとまずおいておく。
この「美人画家」は、そこそこ売れているらしい。女性画家といえば、片岡珠子、小倉遊亀、マリー・ローランサンなどが浮かぶし、彫刻家ではカミーユ・クロディーユが浮かぶのだから、まあ絶対的な数は少ないが存在しないわけではない。特に絵画、彫刻について学んだことがあるわけでもないごくごく素人なので、今回取り上げられていた画家の作品についての良し悪しについて語る資格はない。
驚いたのは、彼女の衣装である。
どれもファッション誌から抜け出たようなのである。上背もある方らしく、着こなせるということもあるのだろうが、どれもが一枚の写真に収められることを考えていることが見て取れる。ああ、洋服とは身体で着るものなのだと思わせるにはあまりある。
番組全般で見られることを完全に前提とした洋服選びと言っても過言ではないだろう。生活感を感じさせない。当然、テレビカメラが入っているのだから、万人に見られるという意識はあるだろうから、当然と言えば当然だ。
最初にのトリエでの姿は、ヴォリュームのある濃いグレーのローゲージニットに黒のハイソックスに黒のミニスカート。髪はポニーテール?というのだろうか、トップでまとめている。
自分について語るときは、長い髪をおろし、巻いているのだろうか、タレントとして活動している某姉妹の姉のように、ゴージャスでアイメイクが強い。
教授の研究室を訪れる際は、髪はまとめているが、くっきりと濃いメイクに、黒いミニスカート。
この時、気になったのは、入室にあたり、随分とへりくだるのだなということ。何度も小さくお辞儀をするのはエレガントには見えない。緊張していたのだろうか。
またアトリエでは、チャコールグレーとベージュの中間のようなミニスカートに太めの網タイツ、シルバーのパーカ。
彼女が学生時代から感銘を受けているという絵を観にいくときは、訪問着。とても素敵でよく似合っているのだが、勿論、年齢もあるのだろうが迫力がある。お嬢さんという雰囲気でも若奥様という雰囲気でもなく、銀座のクラブ(行ったことないけど)のママのような貫禄がある。
またアトリエでは、ロイヤルブルーを薄くした色の膝上ワンピースに黒いタイツ。
髪は緩く巻いている。しかし、なんというか体格がでかい。決して太ってはいないが、肉感的にみえるのはテレビだからだろうか。
またアトリエに教授が来訪した際に身につけているのはドレス・・・・・?ワンピース・・・?ラベンダー色のノースリーブ。昼だか夜だかはわからないが、何故またネグリジェみたいな服なんだろうと思った。大変失礼ながら、それでは高級娼婦に見えてしまわないだろうか。しかも何故アトリエで・・・。緩く巻いた髪に、濃いメイク。お顔立ちがくっきりした方。
最後は、某大学院教授との対談。白いワンピースに黒いベルト。髪はストレート、昼間の外だからかメイクは若干薄め。この教授の話し方は、さすが対話慣れしており聞きやすいスピードと明確な言葉を用いており、なるほど頭の良い方なのだろうと伝わってきた。著作を何冊か読んだことがあるが、いつも『強者の理論』の方。教授は、昼間の外には、残念ながら不釣り合いな光沢のあるジャケット。夜に演奏会にでも出かけるのだろうか。もう少し軽めのニットなどにしておけば洗練さをアピールできたのに。
画家にはちょっとがっかりした。自分の言葉で語るには充分な年齢のはずなのに上っ面をなぞっているかのようで、響いてこない。使う言葉が、下品にもとられるものだから、どうなんだろう。
画家なのだから、センスが悪かったりすればファンをがっかりさせるのだろうし、存在をアートにしたいのだろうか、番組全体を通して、いつでも寸分の隙も見せてはいけないかのような印象を受けた。
一枚の絵があって、それが世に出るには様々な方法があるのだろう。
絵はそれを鑑賞する者に言葉以上の力で迫ってくることが出来る。
しかしそれを生み出す側にどのような苦悩があるのかは鑑賞者には関係のないことだ。
なので、生み出す側が自らの作品について語る姿を見ると、私は少々げんなりしてしまう。
言葉を介在しない表現方法を以て世に出ているのだから、必要ないのではないだろうかと思うのだ。
けれど、ファンならば私生活が垣間見られるような語り口に興味を持つだろうし、より人気がある人ならば番組も作られるだろう。大衆の欲望には限りがない。
おそろしいのは、話し方や身のこなし、仕草すべてがカメラを通して、見られてしまうことだ。
人間とは、こうも無防備に己をさらしてしまうのだ。
低い声と落ち着きがなさそうな口調。カメラを前にして平静を保つことは難しいだろうが、何か少し腺病質なのかなと思わせる。また暴力的な体験もあるらしく、平坦な生活ではなかったのかもしれない。
この番組を観て、彼女の個展に行ってみようとは皮肉なことに思わなくなった。書店の画集で良いかなと。
それより彼女が影響を受けたと公言していた作品群を今後は観ていきたい。
ひとりの人間が世に出るにはさまざまな方法があるのだろう。凡人ですら日々のあれこれに思い悩みまどうのだから才あって生きる人の苦悩たるやいかに。
このたびはわたしの個展にお越しいただきましてありがとうございます。お忙しい中すみませんね本当。みんな忙しいよね? 授業とか就職活動とか美術展とかそういうの。この上さらにバイトやってる人はすごいと思うよ実際。うんうん。
で、個展やるからには作品解説!あと、私友達が本当にぜんぜんいないので、自己紹介を兼ねてなんか文章でも書こうかなと思います。暇だったら読んでみてください。
そういうわけで私の作品って何なんだろうって考えてみたんですけど、何なんでしょうね本当。テーマとか意味とか必然性とかないですよそういうの。楽しければいいじゃん。私が。というまあご覧のとおりのゴミ野郎です。排泄物です。カスです。オヴィリヨンダストです。そんなゴミ野郎がなぜ個展なんて開きやがったのかとお思いになるかと思いますが、要するに露出趣味です。私を見て!というやつです。こういういわゆる非コミュ・非モテ属性の人間というのは、人一倍自分を見てほしいと思うものなのです。でも傷つくのがいやだから直接見てください、どう思いますかって聞けないんです。
えーと私の作品ってだからアートじゃないと思うしむしろ「作品」ですらないんじゃないのかっていうのはありましたね去年くらいから。誰にも何も問うてないし社会?時代?なんですかそれはという感じなんですよね。どうにか意味づけをしようとしても無理でした。まさにゴミ野郎。でもそんなゴミカスでも一応人間だからいろいろと思ったり考えたりするんです。最近やっと東さんの本読みました。僕エロゲ大好き!YU-NOってマジ最高じゃね?って言ってるあの本ね。んなことブログにでも書いてろよ!!!!!!!たちまちはてなブックマークでホッテントリになれますよ。てめーなんか狭い村社会でせいぜいはしゃいでろよ。というような感想を抱きました。肝心の内容は理解できたようなできてないような感じです。ここ一年くらいで特に印象に残った本は「戦闘美少女の精神分析」(全部読んでないけど)「電波男」「1000の小説とバックベアード」の三つでしょうか。とまあこういう風に印象に残った本とかにかなり影響は受けてるつもりですが、どこがどう印象を受けているのかと聞かれるとさっぱりわかりませんのでやはり私の作品は「作品」たりえないのだろうしそもそもアート(笑)に思い入れなんぞないのです。私はアニメとか漫画とかが好きなんです。好きな小説家は舞城王太郎と江戸川乱歩と佐藤友哉です。じゃあなんで芸術学科に入ったの?って聞かれたけど、絵を描くのは好きなんです。いやーほんとまじめにアート勉強したいって方からすると邪魔でしょうがない人種だとは思います。なんで京都精華大学を受験しなかったんでしょうかね。富野とか竹宮先生とかいるのに。いや、高校生のときは今ほどオタk……漫画やアニメに熱心ではなかったので、ちょっとまじめに絵をやりたいかなーと思っていたんです。でも所詮「かなー」程度で大学受験してんじゃねえよって感じですよね。ハイハイすみませんね私みたいなやつが存在してて!!!!!!!!!!中学生のときギャル入った子が前の席にいてその子に「どうしたの?暗いよ?」と聞かれて「いやもともと暗いから」と答えたらあやうくシメられかけたことがあります。ほんとこれだからリア充はいやだよ。例えば教室で私が一人で座ってて後ろにギャル数人がいるとしますね。で、後ろでギャルとかが笑うたびに「私、笑われてるんだ……」と思うわけです。そうです、被害妄想です。わかってます。でもそう思ってしまうんです。私という人間の根本的な問題ってそういうところにあるんじゃないかなと思っています。こういう思考回路が理解できない、という方のために説明すると、こういう人は社会に一定数います。さっきの中学時代の話も「どうしたの?暗いよ?」のあとに(笑)がついているような気がしてならなかったんですよね。というかそうじゃなくても超普通にしてんのにそんなこと言われたら誰だっていやな気分になるだろ……でも一応心配してくれたわけだから、やっぱり「ありがとう、でも大丈夫」とか言っとけば良かったんだよね。普通にしてて暗いって言われるとかどんだけ根暗なんだよって話ですよね。友達にも真顔が怖いといわれたり話しかけづらいと言われたり、普通にしてるのに……と思います。でも友達にすらそう言ってもらえないよりはまだマシだし、一応友達と呼べる人たちはいるので(でもすんげー少ない)幸せなほうなのだと思います。
あと私が自分のことを最低だなと思うのは、誰かのために怒ったり泣いたり喜んだりできないという点です。舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる。」で登場人物が「メタ化された友人関係」について言及するシーンがありますが、私のそういう他人に共感するというプロセスがまさにそういった感じで「ここはこうするべきなんだろうな」というのはわかるんですが感情としてついてこないんですよね。これは本当に最悪だと思います。友達とか家族とか私のために何かしてくれたりするのに、私は本質的な意味で何も返せないんです。こういったことを書くと今後の友人関係が気まずくなりそうな気もしますけど。
とまあそんな感じで私個人の抱える問題というのをとりあえず書いてみました。こういうのも絵に少なからず反映されていると思います。というか、私がそういう人間だからこそ、文章や絵の中ではとても饒舌になれているのだろう、と思います。だからつまり、私が要するに根暗な人間でなかったら、絵を描くのも文章を書くのも苦手だったのではないかなと思うわけです。私の描く絵は、自分の気持ちのなかでかなり過激な部分が反映されてるような気がしています。言葉に出来ない分、がーっといけるのかもしれません。
というわけでここまで読んでくれた皆さんありがとうございました。これからも最下層なりに真剣に生きていけたらいいなと思います。