はてなキーワード: フリーターとは
前に同じようなエントリーがあったな。ちょっと状況は違うけど、俺も似たような事で悩んでる。
http://anond.hatelabo.jp/20080816045217
やっぱり、来る時はきた。
結婚のこと。
毎月お金を貯めていたけど、どっかで不安だった。「この収入で?この仕事で?」という考えがいつもあった。
前の仕事よりも収入は上がって、一度別れた彼女に「もう一度付き合ってくれ」と言った。答えはYESだった。
俺は今度こそやっていけると思ったけど、そんな簡単なもんじゃないんだな。前別れた原因も俺の収入が主な原因だった。以前の仕事は今よりももっと低い収入で契約社員。さすがに俺もそんなんでは結婚は出来ないと認識していた。
契約が終わる何ヶ月か前に別れを切り出され俺もしぶしぶ納得した。そして転職活動をして今の会社に入った。その結果収入は上がった。でもそこまで大きな金額ではないが。
そして働くうちに今の会社の変なトコも見え始め、それを彼女に伝えていた。でもすぐに辞めようなんて考えはなく、とりあえず何年かは仕事をしていくつもりだった。
今の会社に在籍して1年。結婚のために貯金をしてきた。毎月7万くらい出してた。彼女も同じ金額だしてたから約150万ぐらいは現時点でたまってると思う。
そんな時、この前ちょっとしたことから喧嘩をした。すぐに仲直りできるもんだと思っていた。しかし彼女のたまっていた感情が吹き出して、これから将来についてどうするか?という話しになった。
彼女の言い分としては、
といったようなものだった。わからなくもない。俺は確かに自分でも収入が少ないと思う。出来ることならもっと給与が欲しい。だけどそんな簡単に給与が上がるわけじゃない。
結婚だって考えている。そのために、毎月貯金もしてきた。少ない金額だけどこのまま貯金していけば結婚資金になるなと考えていた。
ただ結婚は初めてのことだしそりゃ不安もある。だからお金のことについては彼女も働いてくれたらいいと願っていた。でも話しを聞く限りでは結婚後は働くつもりはないらしい。はっきりと聞いたわけではないが、それに近い発言を以前していた。
自分の職についてだが、現在の業種でもう4年ちかくやってきた。フリーターからなんとかこの業種に入って、契約社員を経て、現在正社員までなった。(まぁ、ボーナスはないが)
だから、簡単に職を変えてみては?という発言がちょっと俺にはひっかかった。そうなった場合俺はまたゼロからスタート。俺だってもう29歳で若くない。確かに零細企業で、ワンマンな社長ではあるがとりあえず給与はもらえている。
俺も将来的には同じ業種かスキルを行かせる職場での転職は必要と考えている。今の会社では不安に思うところもあるし。でもそれを今すぐってのは難しい。
まあ、そんな感じで、俺も色々と言い分はある。今週の日曜日にまた話し合いをする。そのときに全てをぶつけてみる。たぶん俺はバッドエンディングになる可能性が大きい気がする。
こうしている間にも彼女の適齢期もすぎていく訳だしな。身を引くのが一番いいのかな。
入院中に恋した人3
5 :名無しさん@お大事に:2009/01/10(土) 00:58:39 ID:ayyXT8BN
文章ヘタクソですが、10年近く前の話です。
当時フリーターだった僕はバイト先の健康診断で肝機能を示す数値が
極端に悪くなっている事が解り、緊急入院する事になりました。
体はぴんぴんしてたので、何かの間違いと思っていましたが、検査の結果
B型肝炎だと解りました。そして3ヶ月にわたる入院生活が始まり、その新人看護婦さんと
出会います。
その子はパっと見、明るくて愛嬌のあるタイプですが、性格はシャイで
口数も少ない感じです。真面目で仕事は絶対に手を抜きません。他の新人看護婦は
要領良くポイントを押さえて仕事を消化していく中、患者さん一人一人に時間をかけ
時には悩み相談に乗り、優しい話し方で励まします。とにかく時間をかけ過ぎるので
先輩に注意されたりしていましたが、自分のやり方を変えようとしません。
そんな彼女に僕が好意を持つまで、たいした時間はかかりませでした。
続きます
6 :5:2009/01/10(土) 02:10:17 ID:ayyXT8BN
途中で別の病棟に移動するまでの一ヶ月半、いろんな事を話し、いろんな事があったのですが
全て書いたらキリが無いので重要な事だけ書きます。
最初の1〜2週間、彼女の優しさは仕事上の物であり、僕に対して特別な感情が
無かった事は理解していました。しかしある出来事を境に彼女に変化が現れます。
暇を持て余していた僕は、その子をちょっとからかってやろうと思い
「休みの日は何をしてるの?」と尋ねました。「趣味もないし、特に何もしていない」
と笑いながら答えたその子に対し「へ〜彼氏居ないんだ〜ニヤニヤ」と言いました。
すると、ちょっと怒って「彼氏いますよ!」と。
自分でからかっておきながら、僕は軽くショックを受けそれを明らかに表情に
出してしまいました。それを見た彼女は無言で立ち去ります。
翌日、彼女がやってきて「昨日、彼氏が居ると言ったけど最近は会ってないんです」
「なんか胸がズキズキする・・なんでだろう・・」こんな感じの事をため息をつきながら言ってきました。
この時点で、彼女は僕に特別な感情を持ち始めたのかな?と思ったのですが
いろんな理由があり、彼女に告白も何もせずに別の病棟に移動する事を決意をしていました。
続きます
7 :5:2009/01/10(土) 02:50:41 ID:ayyXT8BN
その理由とは
・B型肝炎は性感染する病気で、しかも慢性肝炎である事が濃厚になっていたので
長い闘病生活になる
・日々成長していく彼女に対して自分はフリーターなんかをやっていて
将来を悲観していた
仮に彼女と付き合っても、どう考えても上手くいくとは思えない。
10年経った今でもこれが正解だったと思っています。
荷物を台車に乗せその場を後にしました。それから何事もなく一ヶ月半が過ぎ
無事に退院しました。
これで話が終われば「入院中の良い思い出」で済んだのですが
約1年後、急病の母親をその病院の緊急外来に連れて行った深夜の病院で
彼女と再会してしまいます。
続きます
8 :5:2009/01/10(土) 06:06:32 ID:ayyXT8BN
そんな状況ではバイトもできません。しかし一人暮らしをしていたので
パチンコやスロットで生活費を稼ぎ、本当に生きるのが精一杯な感じでした。
実家は近いので、戻るのは簡単ですが、親に頼りたくなかったのです。
幸い母親はたいした病気じゃなく、とりあえず薬を処方してくれたので
それを受け取りに一人で夜間専用の窓口に向かいました。
そこで待っていました。そして彼女が近づいてきます。
痩せて綺麗になっていた彼女は長い廊下の途中で僕の存在に気づいたのでしょう。
明らかに緊張した様子で、しゃがんで窓口の下部に書類を入れていました。
僕が「もしかして○○さん??」と言うと彼女は体が固まったような状態になり
反応しません。もう一回「○○さんでしょ?」と言った瞬間、ゆっくりと立ち上がり
振り返って「あ、●●さん・・なんでこんな所に・・」とちょっと震えた声で言いました
少し歩いて距離をとりました。
彼女の緊張がこちらにも伝染して、ぎこちない会話が数分続き
「それじゃ仕事に戻ります・・お大事に」と言い、薄暗い廊下を歩いていきました。
そして親を家に送って自分の部屋に戻り、さっきの事を激しく後悔するのです
なんで何も言わなかったのか、と
もうちょっと続きます・・・
9 :5:2009/01/10(土) 08:24:07 ID:ayyXT8BN
もしかしたら、あの子は今でも僕の事を好きでいてくれて
あの瞬間を待ち続けていたのでは?
今思うと妄想に近いのですが、その時の僕はそう思いました。
このままでは一生後悔する事になる
しかし今の自分はそんな状況じゃない。迷い続けたあげく
『もしまた再会したら、運命だと思って玉砕しよう』という、消極的な作戦を立ててしまった
のです。病棟まで行って話せば済む話なのに・・
その再会がいつだったのか、正確に思い出せないのですが、
長い月日が流れ3年近く経っていたと思います
大きい病院ではそう簡単に再会できないものです。
月1の通院も日常生活の一部になり、諦めかけ油断していた時期に
その瞬間がやってきます。
受付からちょっと離れた位置の椅子に座り主治医に呼ばれるのを待っていました
その時、後方から彼女が歩いてきたのです。後姿を見てすぐ気づきました。
彼女が僕に気づくまで多少の時間がかかりましたが、その瞬間、前回と同じように
そのまま固まり、ずっとこちらを見つめています。
時間にして2〜3分見つめあう二人。異変に気づき周囲の人間もザワつきはじめる。
この展開・・・奇跡が起こるかも・・
もうすぐ終わります
10 :5:2009/01/10(土) 09:43:55 ID:ayyXT8BN
こちらに歩いてくる彼女に僕の方から話かけました
3年ぶりの会話です。もちろん僕の名前、前回の再会
全て覚えてくれてました。僕や母親の病状を尋ねる時の
優しい口調は昔と全く同じです。しかしのんびり話してる時間はありません。
いつ主治医に呼ばれるかわからない状況です。周囲の視線が凄かった事もあり
場所を変えてこう言いました
僕『えっと、話たい事がたくさんあるけど、時間が無いから連絡先教えてくれる?』
彼女『だめだめ。絶対にだめ』
僕『え?いや、友達として・・』
彼女『だめ。もういいですか?それじゃ』
頭が真っ白になった僕は彼女が立ち去ると同時に外来へと歩き始めていました。
そして角を曲がろうとした瞬間、彼女が大きな声で叫びます
『さようなら!』
僕が振り返るともう一度叫びました
『さようなら!』
僕は軽く手を振るのが精一杯でした。あっけなく全てが終わりました。
ぶざまなフラれ方をしたもんです。でも当然の結末だったのかもしれません。
出会ってから4年近くたって何かが始まるなんて事はそうそうあるもんじゃありません。
その夜は酷く落ち込んで禁止されてる酒を呑みながら、気持ちを整理しました。
そして再び長い月日が流れていきます。
次で終わります
11 :5:2009/01/10(土) 10:46:41 ID:ayyXT8BN
あれから恐らく5年以上経ち、今でもその病院に通っていますが
彼女と再会する事はありませんでした。もう自分の中で全てが思い出になりつつあります。
彼女も30代になってるはずです。もうその病院には居ないのか・・
主治医に聞いてみたら、やっぱり数年前に結婚して退職したとの事。
具体的に何年前かは解りませんでしたが、あの時すでに
彼女は運命の人と付き合っていたのでしょう。婚約してたかもしれません。
そう思うとあの時のあの対応は二人にとってベストだったのかも。
10年間のいろんな思いが込みあげてきて涙が出ました
そして僕は本当にあの看護婦さんの事が好きだったんだな
という事に気づきました
出会った時から最後まで立派な看護婦さんでした。
長い入院生活に耐えられたのも、10年の闘病に耐えたのも
これからも耐える自信があるのも、全てあの人のおかげです。
しれません。
Cさん、入院中は本当にお世話になりました。本当に救われました。
さようなら!
http://anond.hatelabo.jp/20090510053204
これ読んで色々な不安が押し寄せてなんだかいろいろ考えたので、せっかくだからまとめてみる。
今月末、現在の住居から100mも行かないところにあるアパートへ引越しをする。一昨年の秋にそれまで住んでいたマイホームから賃貸の一軒家に引っ越した。
それでもこのご時世で家賃が厳しくなったので家賃3.5万の2LDKに引っ越すことになった。家賃はおよそ半分になる。
父は大学を中退して建築関係の株式会社に就職して、俺が小学4年生の頃には部長になり、中学にあがる頃には地方支部長になっていた。
実家から離れるので単身赴任になったけど、順調な昇進にどことなく誇らしげな顔をしていたのを覚えている。その頃、父はト○タのマー○IIに乗っていた。
ただ、俺が中学にあがってすぐ、父は退職した。このままだと東京の本社へ転属されることは間違いなく、(俺から見た)祖母のこともあるので地元は出たくなかったことと、
営業でお偉方の接待に明け暮れる毎日に辟易したらしい。
そして間もなく、母と共に自営業の飲食店をはじめた。これは数年で辞めることになる。1日に16時間近く店舗で配達から調理、経理をやっていた。
全く軌道に乗る事もなく、従業員のひとりに経営を委ねて我が家はこの飲食店から身を引いた。最近、店舗があったところに行ったけど、跡形もなかった。
父は年齢が年齢なので、派遣でインターネットのセットアップのスタッフをやっていたが、半年ほどで契約期間が切れる。
母の高校時代の知り合いがやっている、コーヒーの卸売りを一緒にやっている。自営業。
母は時を同じくして、某有名保険会社で働きはじめる。母の兄弟が勤めており、紹介ではじめたらしい。
もう50を目前に控えている母だが、新人として全国でトップ20に入る業績をあげ、東京の本社へ招待された。意見交換会と食事会のようなものらしい。
そして、来月にも母はマネージャーへ昇格する見込みらしい。
しかし、不景気の煽りと40代後半での転職なので、2人併せて年収350万ほどだそうだ。
俺は「最低限の生活」は送れていると思うが、それもギリギリのラインを保っているというのが実情だと思っている。
電気はよくとまるし、今月は親戚に借金しないと家賃も払えなかった。
そんな家の長男である俺はフリーター。別の言い方をすると浪人生。
全落ちは免れたものの結果的には大学受験に失敗し、1年間浪人させていただくことになった。
志望は関西の某有名私大。授業料(免除/減免)制度がある(のと、学びたい分野で評価が高い)ので、狙うことになった。ちなみに津軽海峡以北在住。
親と話して国公立の学費は安いが、授業料免除制度(特待生制度)がある私立の方が結果的に安くなるんじゃないか、という結論に拠る。一応、国立も受けるつもりではいる。
ただ、浪人生としてスタートを切って1ヶ月ちょっとが経とうとしている今、本当に大学へ行っていいのだろうか、という気持ちが再燃してきた。
親は「大学に行きたいのならなんとしてでも行かせてやる」と言ってくれているが、はっきりいってそんな余裕もなくなっている。
父は元々、子供っぽい性格だったが、最近は明らかに異常と思える事で声を荒げたりする。事あるたびに「そっか、俺はいない方がいいのか」ともいう。
子供っぽい父の扱いに困ることはあっても、そんなことを俺も妹も母も思ったことなんてないのに。
お金が全てだとは思わないが、愛(気持ち)で生活できるわけじゃない。
親は俺と妹に飛び切りの愛を注いでくれているが、今の家計で俺を大学に行かせるには(授業料減免制度を利用しても)負担が大きすぎると思う。
大学を諦めて就職することも真剣に考えた。しかし、自分の住んでいる地方は全国でも有数の就職率の低さを誇っており、高卒とまともに取り合ってくれるところなんてない。
もちろん、収入は少なくても無いよりはましだ。
決して大学への進学は親の意思ではない。親は「自分自身がやりたいことをやればいい」という。俺の意思で大学への進学を希望した。
俺が大学へ行ったら妹の進学は更に厳しいものとなるだろう。それは絶対にあってはならない。
妹は不登校を乗り越えて全寮制の公立高校へ進学して、介護方面を志している。就職もありだろうが、進学することも間違いないではないと思う。
自分を卑下するつもりはないが、俺の想像の及ばない困難を乗り越えた妹はそれなりの報いを(俺よりも)受けるべきだと思っている。
妹が不自然なまでに頑なに進学を拒むのは、こういった家庭の事情を汲み取っているというのも一因だろう。気の利きすぎるというか、考えすぎる節がある。
高校の頃はわざわざ(順調な昇進の兆しを見せていた)定職を捨てて、収入もままならない時期があった父を侮蔑していた。
だけど、今はもう責められない。誰も責められない。父の判断は正しかったのかもしれないし、間違っていたのかもしれない。
少なくとも高校受験を放棄し(「全入」と化している私立高校へ進学した)、私立大学を目指した挙句、失敗してフリーターとなりながらもまだ私立大学に執着する自分には父も、誰を責める権利はない。
これだけ長々と書いても気持ちは定まらない。
憎悪していた数学が楽しくなってきて(文系だけど)、他の受験科目の勉強も楽しくて仕方が無い。結局、責任なぞを持ち出しても、自分の欲に未練たらたらだ。
専門的な技能といっても偏差値が低い生徒に教えれることはたかが知れてるわけで結局派遣とかフリーター的な仕事しかないんだよな。偏差値の低い生徒が工業とか簿記とかで企業が評価できるレベルまで習得できるかって言うとそんなわけないんだし。だから偏差値低い普通科は意味ないといっても専門科なら意味あるともいえないんだよな。フリーターしながら一生夢を追いかける的なことをすれば一生モラトリアムともいえるわけで進路選択という点からはいくらでも先送りできる。もともと良い待遇のところにつける見込みほぼないんだし。
人生を誤った無数の受験生が職歴も無く歳を重ね酷い事になっている。
25 名前: 氏名黙秘 [sage] 投稿日: 2009/05/10(日) 04:34:18 ID:???
今年27になる男なんだけど、結婚を考えている人がいる。
すぐにでも撤退すべきなのか、今年1年頑張ってみて来年の受験後撤退すべきか悩んでいる…
今景気が悪いし、それが本当に不安。
26 名前: 氏名黙秘 [sage] 投稿日: 2009/05/10(日) 07:55:47 ID:???
20代なら転進。生涯賃金は軒弁よりも高くなる。
30代、じたばたするなよ。
30代後半になると、
無い無い無い職がない。
しがみつけー。
29 名前: 氏名黙秘 [sage] 投稿日: 2009/05/10(日) 11:19:55 ID:???
気になるのは皆年齢、世間体たよなあ
親に受け続けるというときは、「受かっても就職難、合格後1年間の
借金背負わされる」ということは宣告しておくべき。そうでもしないと
嘘になっちゃうし。
そして働くべし。気分転換にそうしないと心が折れるよ
70 名前: 氏名黙秘 [sage] 投稿日: 2009/05/10(日) 15:05:19 ID:???
197×年生まれ 3×歳
1998年?4月~2004年3月までの6年間、フリーター(塾講師)しながら不動産鑑定士の受験
・・・ この間、行政書士、宅建、マンション管理士など使えない資格を取得
2007年5月 司法試験不受験(精神疾患や対人恐怖症悪化のため)
2008年5月 司法試験不受験(上位合格し有力事務所に就職しなければ、受かっても意味がないため)
73 名前: 氏名黙秘 [sage] 投稿日: 2009/05/10(日) 15:22:47 ID:???
うあああああああああああああああああ
クズとかまで言われた。世間でこんな年齢で何もやってこなかった
人はいないって。勉強にお前は逃げてるだけだろ、働けよと。
お前は不幸だとかめちゃくちゃ言われた。社会の正規ルートからはずれて
いって自業自得だよとかも。ホント辛い。涙出てきた。
大学生がホームレスを指差して「同じ人類と思いたくないね」と嘲笑している。
そこに通りかかったフリーターが
「言いすぎだろ、ホームレスだって人間なんだ。あんただってホームレスにならない保証はないんだぞ」としかりつける。
しかられた大学生は
「フリーターに説教されたくない。俺はちゃんとした会社の内定をもらっているから心配してもらわなくて結構。
だいたい、フリーターのお前のほうがホームレス予備軍だろ」と逆切れする。
さらには、フリーターがどれだけダメ人間で貧乏かを調べ上げてあざ笑う。
ものすごく醜悪だけど、やってる連中はぜんぜん気付いてないらしい。
ブクマでも突っ込まれてるが、コンビニの店員くらい日本語が非母語の中国人でもできる。
低学歴フリーター層、リストラ中高年層と彼らがちょうどコンビニ・ファーストフード業界のバイト人員労働市場で競合関係にあるってこと。
それから、製造業下請けは中国やベトナムに移って、町工場はさびれてしまったのは周知のとおり。技術力では同等とまでは行かなくても、コストを考えればものづくりも中国に向かうわな。
それから、オフィスワークでもコールセンターはどんどん中国にアウトソーシングされてる。これからは人事や総務も中国にアウトソーシングするビジネスモデルも確立されつつある。
日本のヒューマンリソースなんて、それほどアドバンテージにならないよ。
別れてからもう4年くらいになる元彼の近況を
共通の知人から聞いた。
ニートになっているらしい。
初めて付き合った人。大学の半分くらい一緒に居た。
私の中では今でも最長記録の人だ。
別れたのは、元彼が就職活動をせず
そもそも働くとか、将来とかに対して
インターネットの深みにはまっていく過程、
間近で見ているのも辛かった。
留年しそうなのに、そんなことしているのも良く分からなかった。
目をそらされるばかりなのも悲しかった。
就職活動をして欲しいと何度も言った。
でも、元彼にはなぜかそれができなかった。
忙しいけど毎日がんばってる。
大きな休みに一緒に飲むと、
そういう姿を見ると私もはやく合格して、
社会人としてがんばりたい、早く一人前にならないとって
思わせてくれる。私はこういう緊張感が好き。
人として、働くことが当たり前だと思ってたけれど
元彼には通じなかった。
なんで就職活動をしないのか、理解ができなかった。
直接聞いてもはぐらかされるばかりだった。
心身ともに健康な人なのに。
本当に今でもわからない。
この価値観の不一致について、解消することができなかった。
別れ話を切り出したときに「泣いた」といわれた。
「別れないでくれ」って。
それまで私が「お願いわかって」って泣いてたのに、
いまさらそんなことを言われても、という気持ちしか
残ってなかった。胸が痛かった。
とは聞いていたけど
久しぶりに聞いた近況にショックを受けた。
何でニート…。
こんな悲しい気持ちになったのは久しぶり。
相変わらず、ネット漬けなんだろうなって思った。
結局、彼女一人が隣で何かを言ったくらいじゃ、
どうしようもない何かが
理由はなに?
高校は人の倍ほど通った。
専門学校に行くかも知れないなら余計。高校卒業してないと入れない専門もある。
(飲食やスーパーでは中卒でもなんでもオッケーなとこ多いけど)
身分証は必要だ。
高校中退でフリーター。まあ社会から見たらその時は低く見られることは間違いない。
でも、後々専門学校に進むこともできるし、大検取って大学に行くことだって出来る。
まあ1つの選択でしかないだろう。その程度のことだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20090415074829
これの続きようなモノ。
大学を「学校に行けない病気」で退学した私は学校で学んだことを生かせる仕事を探していた。ただ、学んだ分野が環境化学というあまりメジャーじゃなく仕事も少なそうな分野だったので探すのにかなり苦労した。
それでも農薬を作っている会社の研究所に潜り込む事に成功した。
仕事は元々興味ある分野だったし、残業も殆ど無いような負荷も少ないもので学校で学んだ知識と新しく学んだ事でのびのびと仕事することができた。幸いなことに評価も良く順風満帆な日々を過ごすことができた。
しかし、半年ほどして異変が訪れる。
「学校に行けない病気」が再発したのだ。いや、増悪したとも言うべきだろうか。
当時、通勤は電車とバスを利用していたのだが、バスから降りられなくなったのだ。
降りるべき停留所が近づくと段々呼吸は速くなる。動悸もして息苦しく頭が真っ白になる。それは停留所に近づけば近づくほど強くなり、停留所を超えると段々収まり今度は自責の念が私を責め立てる。
「死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ…(以下延々繰り返される)」
と云う言葉で頭の中が支配される。
始めのうちは先の停留所から引き返して遅刻、ということで処理はできていたのだけど、それも数が増えると話は少しややこしくなった。程なく上長から注意を受けた。怖いタイプの人ではなかったので大したことは言われなかったとは思うけど、それが自責の念を増長させた。
注意後は引き返すことすらできなくなり、途中の停留所で降りて、音のしない場所を必死になって探して勤務開始ぎりぎりくらいに休む旨の電話を携帯からした。なぜか解らないけど「音のしない場所」というのを必死になって探していたのを覚えている。
そんなのが一週間くらい続いて、また上長から注意を受けた。今度は上長の上長もやってきて注意を受けた。
いわゆる厳重注意に当たるものだと思う。同時に何か精神的に何か問題は無いか、とも聞かれ初めて精神科を受けることになる。
薬を飲むようになってからは少し落ち着き二ヶ月くらいは普通に出社できた。
このまま何事もなければ今頃私はその研究所で正社員として活躍していたかもしれない。
だけど現実はそんな風にはさせてくれなかった。
年が明けてすぐ再び「病気」は再発した。また一週間くらい行けなくなった。
二度目はなかった。
程なく無理矢理呼び出され、所長と上長の上長と上長の3人と面談となりその場で「今日付で自己都合で辞めてくれ」と言われた。
当たり前と言えば当たり前。でも当時の私には裏切られた思いでいっぱいだった。あんなに評価してくれて良くしてくれたのにあっさり辞めさせられるんだ…って。
「病気」とは別の形で頭が真っ白になりつつその場で辞表を書かされた。
その後、ふと思い立って辞めた大学に復学したけれどこんな状態じゃ学業もできるわけもなく、元々辞めた理由の「学校に行けない病」も再発し半年で再び辞めた。
入学金諸々200万をドブに捨てた。
大学復帰の道も閉ざされた私は仕事を探しては何とかどこかの会社に潜り込み
朝起きる→朝食食べる→着替えて外出る→電車乗る→漠然とした恐怖・不安→目的地駅で降りられない→どこかで降りて休みの連絡を入れる→休み多くなる→呼び出しの電話→クビ
と言うプロセスを面白いように繰り返していた。
そこに休養という文字はなかった。なぜなら家族が「病気」に対しての理解がなかったから。
父曰く「サボってるだけじゃないのか?」
とナチュラルに言うのだから休養なんてできるわけがなかった。
この辺で「社会は、会社は誰も私を救ってくれない。絶望した!」みたいなことを思うようになっていた。
派遣で潜り込んだ会社で宇都宮の世界の誰もが知っているメーカーの研究所に派遣された。
派遣先に上長が私をえらく気に入ってくれたらしく「5年以上の長いスパンで働いて欲しい」とまで言われ、場合によっては正社員雇用も…みたいなことまで言われた。
仕事は化学とはあまり関係のない分析評価の仕事だったけど、仮に在籍していた5流大学を新卒してでも入れなさそうなメーカーで正社員も夢じゃない…みたいな話だったので殆ど二つ返事でその仕事を受けた。
宇都宮はさすがに通勤できないので転居して一人暮らしをすることになった。
初めての一人暮らしは不安だったけど、恐怖の対象であった父や口うるさい母もいないのでむしろ好都合だったし、住環境も周辺環境も恵まれていたし、仕事場まで車で10分。車がないと不便な場所ではあったけど日用雑貨からPCパーツまで車で20分も走らない場所で揃えられたので今思っても最高の環境だった。
そんな中で最近(2009年現在)世に出た製品のさらに次の製品に向けての技術の研究という最先端中の最先端の仕事ができた。職場環境も居室が機械だらけで動作音がうるさい以外はまさに最高。言うことがなかった。
そんな最高の環境の中で多少の休みはあったけれど半年くらい仕事をすることができた。
しかし、そんな最高の環境の中でも異変は起きた。
トリガーはなんてことのない物だった。簡単に言うと部署間での私の取り合い。
私がいた居室は3つの部署が共有していた。
一つは私がいたところ、もう一つは私たちの一つ前、最近世に出た製品の技術関係を手がけていた部署。もう一つは良くわかんないけど別の事していた。
その最近世に出た製品の技術関係を手がけていた部署の係長が「ちょっと最近忙しいから一月くらい手伝ってくれないか?」と言ってきたのだ。今所属している部署の係長もOKしているみたいなことを言われたが、正直行きたくなかった。
と言うのもその係長が生理的に受け付けられないタイプでその部署もあまりいい空気ではなかったからだ。それでも「一ヶ月くらいなら」と、言うことで異動することに了承した。
そこで話が終わればもうちょっとそこでの仕事が長続きしたかもしれない。
いざ異動してみるとその係長から「ここに来たからにはもうずっとここにいてもらうからね♪」みたいなことをナチュラルに言われた。
話が違う!
抗議した、猛烈に抗議した。その抗議は部長を引っ張り出す騒ぎになったが、その決定を覆すにはさらに上の役員を引っ張り出さないといけないらしく、覆すのは事実上不可能だった。
元いた部署で一番お世話になった主任は「あの人はそういう人なんだよ。」と自嘲的に言っていた。結局決定は覆らず、「なんか語弊があったけどこういう事だから頑張ってね♪」みたいな係長二人のサイン入り書面を差し出された私はその日早退した。
そして一週間休んだ。
「ちょっと精神科行こうか」
当時、すでに近所のメンタルクリニックで投薬治療を受けていたけど、それは会社には隠していたので通っている病院とは別の精神科になんとか行くことになった。
そこで「鬱状態」と診断された。
翌日、派遣元の支店長から「支店にちょっと来いやと」いう連絡を受け、宇都宮駅前の支店事務所に向かった。そこで支店長から言われたのは「派遣先から撤退する。お前会社辞めろ」と言う事実上の解雇通知だった。
は?
なんで?
確かに「病気」の事は隠していたけど、事情が事情だし…というかなんで休養とかそういうのもすっ飛ばして辞めろとかになる訳?
抗議した。そんなのおかしい、何で辞めなきゃいけないんだ?
猛烈な言い合いは4時間を超えた。
で、痺れを切らしたのか支店長はこう言った。
「精神障害者は使えないんだよ!!!」
あぁ…。
何かが崩れ落ちた気がした。
支店長がどういう意味でそういったのかは知らない。でも、その言葉はあまりにも無情で残酷で…世間の正論過ぎた。
程なく辞める旨を伝え、それから数日で宇都宮から実家へと帰還となった。
それから仕事を探しては数日でいけなくなってクビになると言うのを何年も繰り返した。
一番行くところまで逝ったところだと、静岡の某宇都宮で居たメーカーの同業他社で、そこはお世辞にもいい職場環境ではなく仕事をした時は2週間くらいで会社に行けなくなった。
で、また数日会社に行けなくなって派遣元から「これ以上休んだらクビにします」と言う最後通告の電話を受けた直後殆ど自動的にアルコールで抗うつ剤その他100錠近くを一気に飲み込んだ。
結果は…今ここに私が居るわけで未遂に終わった。
友人と家族は…多分許してくれたと思う。そう思いたい。
46万円。
退職金という名目だったけど、書面を見ると事実上の手切れ金だった。
「46万円やるからさっさとここから消え失せろ」
コンプライアンス事業部のえらい人が放った言葉は穏やかだったけど実質そんなものだった。
労基とかそんなの以前に服薬の影響で記憶も曖昧な状態でろくな判断能力もあるわけが無く46万円押しつけられて派遣元会社をクビになり、再び実家へと戻ってきた。
その後も会社は行ってはクビになるを何回も何回も繰り返していた。
「休養しろ」とか言われると思うけど、当時金銭的な問題で月に10万以上金を稼がなくてはならない状況で何が何でも仕事をしなければならなく、その上家族も多少の理解は得られたとはいえ病気に関してはまだ「怠けだ、甘えだ」と思っている節があるらしく家にいても正直休まらなかった。
そんな感じでこじれにこじれて今に至り、前述の「会社に行けない 」のエントリーに繋がるわけです。
ちなみにこの会社もクビになりました。
熱意はWebエントリーで落とされても社長に直訴の手紙を出すほどにあった。
技術も気がつけば新入りではずば抜けてあったらしく、赴任先事務所でも即戦力になるほどだった。
でも、会社に行けない、と言う社会人として当たり前のことができなくてクビになった。
結局何やっても、どんな事しても「会社に行けない病」をどうにかしない限り私は社会生活を送ることができないらしい。そもそも社会が私を受け入れてくれないようなのだ。
最近になって金銭的な面が法的にどうになるようになり、少し休養する時間ができるようになった。精神科に通院投薬治療は続いているし、障害者手帳も取得することができた(ただしあまり役に立ってない)
ただ、家庭経済面で休養、はできないらしく、父母からは「最低アルバイトはしろ」と言われてしまった。そんなわけで今アルバイトを探している。なるべく負荷の少ないコンビニとかそんな仕事をいくつか面接入れている。
三十路過ぎて大学中退、しかも職歴むちゃくちゃな私をどこが雇ってくれるだろうか?
しかもフリーターという身分。結婚以前に恋愛もできやしない。そして何より、この先這い上がるチャンスという物が事実上ゼロだという現実に直視しなければならない。
この状況で社会という物に希望を見いだすことができるだろうか?
正直今の私には無理だ…。
傑作だったんだね、これ。
ぶっちゃけ、エヴァンゲリオンに対してそんなに強い思い入れは持ってなかった。
磯光雄! とか、吉成! なんていう、普通一般とはちょっと違う視点から眺めてた。
だから、テレビ版は全話みてないし、見た話についても、そんな細部まで覚えてなかった。
読んでる人には引かれるかもしんないけど、俺はフリーターでさ。
パチンコ屋で働いてんの。で、働いてる店にもエヴァの新作が入ってきてさ。
今までのパチンコのエヴァは旧世紀版の映像だけだったんだけど、
働きながら横目でそれを眺めたりなんかしてたら、いつのまにかDVD借りてた。
最初10分は正直期待はずれっつーか。サクサク進むんだけど、早すぎて
逆にテンポが悪くなってるのが目について。あー、期待はずれだった、なんて。
けどトウジにぶん殴られる辺りから、原作との変わりぶりに目がいくんだよね。
いやストーリーはあんま変わってないんだけどさ。
絵作りが大きく違うなーって。修正なんかも全編に行き届いてて、
別に原作のキャラの作画が悪いなんてあんま思わんけど、すごく端整に描かれてるなと。
それと撮影? なのかわかんないけど。ここ2,3年のアニメ特に劇場作品なんかは、
すごくライティングが意識されてるよね。雰囲気が出てるっていうか。
この作品も例に漏れず、加えて、もともとのレイアウトの良さとが相まって、
緊張感がずっと途切れないすごい良い映像になってると思う。
俺は本当に、この映画はすごいと思った。
ヤシマ作戦を通じて、初めてシンジは他人からの期待を知るじゃないですか。
トウジと、ケンスケと、ネルフの人たち全員の期待を知るじゃん。
自分の非常時に、わざわざ留守電入れてくれる友達なんて、シンジ君にはいなかったわけですよ。
四方八方走り回って色々調達して、まあそれは彼ら自身が死にたくないからなんですけど、
けど結果的に、代表としてシンジ君が仕事するわけじゃないですか。
彼らは結果的にはシンジ君の為に働いて、そしてシンジ君に全てを預けるわけじゃないですか。
シンジ君自身もセントラルドグマを見せられて、よりその期待を感じて、乗ることを決めるじゃないですか。
気になる女の子に関しては「私が守るからあなたは死にませんよ」、なんて言いだす始末ですよ。
それこそどういう表情していいかわからなくなりませんか?
そんな期待の大きさに耐え切れず、彼は失敗してしまうんですよ。
恐怖と痛みで震えあがるシンジ。原作の彼ならここでこのまま死んでたと思う。
奮い立ったのです。
「今一度、日本中のエネルギーと一緒に、私たちの願い、人類の未来、
生き残った生物の命。あなたに預けるわ……。がんばってね」
そして彼は背負うのです。期待を。もう周りの人間、
友人たちやネルフの期待だけでは済まないのです。画面にいやというほど出てくる、
常人だったら投げ出したくなるような重圧。
それをですよ!? たった、たった14歳の子供が!
そういうもの全部背中にしょって、また立ち上がるんですよ!?
14歳って。まだ子供じゃないですか。
俺はリアルに「まだ子供じゃないか」とかつぶやいてた。ほんとに。
めっちゃ泣いてた。ていうか今も泣いてるわ。
そして14歳の少年は、見事その期待にこたえるわけです。
任務成功。
俺は少年のとてつもない成長を作品内に見てしまった。ボロ泣き。
でも、見終わった後気づくんですよね。
きっとこれ、エヴァンゲリオンだからここまで泣いてしまったと思うんです。
他の人はどう考えてるのかしらないけど、シンジ君はこの作品でようやく、
足掛け10年以上。作品内だけでなく、もっと共通のイメージとしての、
キャラクターとしての碇シンジが、他人の期待に応えられなかった碇シンジが、
10年かけて成長したんですよ。
僕、原作では劇場版だけは10回くらい見てるんです。彼の煮え切らなさに何度も腹を立てました。
シンジ君に期待していたのは、僕も一緒だったのです。
その彼が。やってくれたのです。
5年くらい前(旧劇場版見たのそのくらい)の思いが今かなえられるとは、全然思ってなかったんですよ。
残りの3作で、再びこの期待を裏切らないで欲しいなー。
辞めちゃったら不憫なので1企業の人事担当者としてコメントを。
需要と供給のミスマッチ、心中お察しします。つらいのは判るんですが辞めたら駄目です。
転職先が見つかってから辞めるのでない限り、1年以上は在籍した方が良いです。
1年以上勤めたら、働きながら転職先を探すことをお薦めします。
中小以上の企業の場合、直ぐ辞めちゃう人は採れません。
それに「その人に見合った職を提供できる自信」が企業側に無かったりします。
1年未満で辞めて来ちゃう人は「自分に合ってないと思ったら直ぐ辞めちゃうんだ」と判断します。
(うちだと前職を辞めてフリーターしてから応募してくる人も「フリーターになるしかなかった」という事情のある人以外はハネます)
1年以上勤めてみて、それでもなお自分の居場所がない・活かせる場所が無いと感じて初めて転職活動をしてみるのが良いと思います。
(その際も「今の職場ではこんな事を得ることが出来たが、
前職を肯定的に捉える説明を心がけてみて下さい。
「合わないから辞めました」だと「うちも合わないかもね」で終わってしまいます)
一回就職してしまったら1年未満で辞めるのは「仕事をしない人」だと見なされてしまいます。
こればっかりは日本の社会が悪いとか実体はそうじゃないのに企業がクソ過ぎるとか嘆いてもしょうがないので諦めましょう。
日本の就職事情だと、一旦落ちるとはい上がるのは想像以上に大変です。
食事と睡眠をしっかり取るようにして、しがみついてください。
この時期に大学に行くと勧誘の奴らでマジうざい。
大学は学問をする場所何だからああいう遊びで来てる奴らは排除してほしい。
あんなのに学費の一部が使われてるのかと思うとゾッとする。
さっそく憂鬱になってしまったのでここで少し愚痴をこぼさせてください。
なかなか就職先が決まらずこのまま卒業してしまうのか、と思っていた矢先にツテで現在の会社を紹介してもらいました。
そこは所謂イベント関連の下請けで、ブースに飾る看板等を主に扱う業務でした。
人手が足りてないようで声がかかり、画像編集には自信があったので是非にと面接を受けに行きました。
「オフィス」とはだいぶイメージが違い、町工場のようなところでした。
オペレーターの部門だったら関係ないかと思い、しばらくして内定の連絡を頂いたのちにそのまま入社という流れです。
そして、とりあえずは試用期間として仕事がはじまったのですが(2月末日頃からです。)
その日の仕事量によっては別の部門の手伝いもするらしく、まだPC作業を知らない私は別部門の手伝いばかりやらされています。
トンカチ持って、ヘラ持って、ペンキ塗って、角材運んで……、
今まで自分がやりたかったこと・将来こんな仕事をするんだろうなという想像などとはあまりにも違いすぎる内容でした。(PC部門の上司を見る限り、普段からこっちも肉体労働が結構頻繁にあるようです)
もちろん元々苦手だった肉体労働はとてつもなく能率が悪く全然捗らずミスも連発。
まわりの社員さんからは嫌な視線。あまりにも時間がかかるので別の仕事をふられ、そっちの仕事も結局は手伝ってもらってようやく完了。
身体が慣れてなさすぎて筋肉痛だらけです。
さらに社員さんたちは仕事の話がやはり多いので、内容が理解できない私はほとんど会話にも入れず一人ぼっち状態です。小さい会社なので同期も居ません。
そして私が内定を頂く少し前に中途で別の新人さんが入っていたようで、経験者ということもあり人手不足はすでに解消されているようでした。
ですが社長の計らいで私も採用して頂いたのですが、そのおかげで完全に「お荷物状態」になってしまいました。
まだ社会人になったばかりなので仕事できないのは当然だし、会社に溶け込むのはこれから、
PC作業を振られるのもまだまだこれからだとわかってはいるのですが…
今まで就職のために学んだことは役に立たず、苦手とする仕事ばかりのこの会社を今後何年も続けるのが正直苦痛に感じました。
休みも月に4~5日しか無いっぽいです。毎晩残業で通勤時間も長く、帰宅するのは真夜中です。
もしかしたら会社の方から切ってくるかもしれませんが、試用期間が終わったら素直にやめて
本が大好きなので地元の本屋でバイトしながらフリーター、なんて妄想を今日帰りの電車で延々としていました。
本屋もPC作業ないし肉体労働あるんですけどね…。本屋勤務って昔から憧れてたので週4くらいでのんびり暮らす妄想。
保障・保険や30歳以降の人生を考えるとフリーターなんてアホのすることだというのはわかってるので
せっかくの正社員雇用を反故にしたら親が泣きそうでなかなかできません。
それでもやっぱり好きなを仕事しつつ休みもとれそうな生活が羨ましくて、何度もバイト生活を考えてしまいます…。
社会人って死ぬほど大変ですね
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ただ愚痴って発散させたかっただけなのにブクマが思ったよりも伸びてしまってかなり恥ずかしいです。
disってくれた方・励ましてくれた方、本当にありがとうございます。
試用期間が終わってもそのまま採用してもらえるように奮闘したいと思います。
あと、書店勤務の方すいませんでした。
なるほど!
論理的に考えていてもダメって事ですかね。どうも頭でっかちな性分で('A`)
元益田だけど。追記。
どこまで信じていいか解からないけど、
大学生や主婦、サラリーマンが株やFXで数億円の資産を作ったりもしているし、
アンパンマンの作者みたく60過ぎてから花開く人もいるし、
漫画家になってヒットすれば、やっぱり億万長者になれる。
絵がヘタでもヒットになったりするし、
文章能力が無くたって、
『なにこの小学生並みの文章、、、、』
って本でも100万部を超えるベストセラーになったりする。
不細工だってデブだって、そういうキャラとして役者や芸人にもなれる。
手段は無数に用意されている。
実際に金持ちになるのは大変なのは大変なんだろうけど、、、
年収1000万のサラリーマンと、年収300万のフリーターで、仕事のキツさが変わらないのと一緒で
(方向性というか種類が違うだけで、別にリーマンがフリーターの3倍働いているわけでもない。工場のラインに並ばせたら全然役に立たない上場企業の役員なんて五万と居る。)
必要な努力の量って、年収一千万と年収数億円でも変わらないハズなんだ。
だって一日は24時間しかないんだから。
で、アタマのよさもあまり関係がない。
そりゃ東大卒は金持ち率が高いけど、じゃあ億万長者はみんな勉強できるか?っていったらそうでもない。
たぶん「一人暮らししたことないの?」(てか同棲しようぜw)「ずっと実家だしね、苦労してないように見える?」「ん~なんとなくね」「苦労してるよ~人間関係とかすごく頑張ったし」「人間関係頑張った?」「うん、前の彼氏とか職場とかね。すごく努力してる」て流れだったような気がする。
自分の中で努力・頑張るっていうのは目標や壁となるものを決めてそれを達成すること・超えることだという価値観があるから、部活・受験勉強・仕事かなと考えていたんだけど、人間関係とはお互いの答えのずれを寄り合わせて妥協点を探すものであって頑張る・努力するというものではないと思っていた。
正確にはまだ終わっていないけれど(修了は来年3月だし)、一次面接すら進めない事ばかり。
最近は朝起きたばかりの時と食事をしようとしている時に気持ち悪くなる。今も胃かどこかがムカムカしてて気持ち悪い。
正直、履歴書とか書ける状況じゃない。
さらに、最後の頼みにしていた大学推薦が使えないかもしれない。
使えるならまだしも、使えなければ・・・。
学部生の時から、勉強にしろ、バイトにしろ、部活にしろ頑張ってきたつもりなのに、こんな人生の終わり方になるとは・・・