はてなキーワード: ゲーム理論とは
考えてなくもない。日本人ならせいぜい金子守くらいしか気に掛けてなさそうだけど、B Lipmanとか認識論とか論理学とかつながりっていうのを考えているのは、特にゲーム理論家では存在する。
まあ、みんながみんな、そんな方面に注力してるわけじゃないってことで。
たとえば元の話題だったようなマクロ経済に関しては、じゃあ認識論とかまで考えて、それで面白い話が出てくるかってところじゃないの。もしかしたら出てくるかもしれないけど、その分野に行くまでの努力と、じゃあどこまで直感的に説得力のあるロジックかってことを考えると、普通はそんなところまでは参入しないわけで。
でも、コモンナレッジを通貨危機とかに使えたってのはあるわけだし、もしかしたらば面白いのかもね。(っていうか、認識論的なことをやってるひとたちも、そういうマクロなり応用に使えるってのをどこかで言わないと、分野の将来はないよなあ。)
てめえのほうが文盲だろうが。
筋書きっていってる文脈は、いくら論理学的に同じ結論に至るからって、理屈が違ったら誰も信用しねえよ。それこそ経済学者同士だって、うさんくさいかギャグくらいにしかきかねえよ。
それと、なんだ言いたいのは「数理経済学者だからピュアなゲーム理論家じゃないってか」。100年ROMってな。統計の教科書書いてるからって統計学者にまとめるやろうと同じくらい鼻で笑われるわ。
あとさ、その「必ず」っていう命題を言いたいときにどういうふうに論理にするのか考えてみろよ。ほんとばっかだなあ。そうか、"for all"って「全部のxで」ってしか直訳できないし、それを実際に使ってモノを言ったこともないんだね。
んで、おめえはその学部一年で読むような論理さえもわかってないってわけよ。
っつうか、その最初の一段落だけしかわからないからってつっかかってくるなよ。
> だから、「数理経済学だからゲーム理論家じゃない」って思ってるお前が馬鹿ってことでしょ。
おいおい「ピュアな」を忘れんなよ。統計の著作なんて一個も無いはずだよなあ?
> あと、無税国家になるって経路かインフレが実現されるかってので、筋書き違うだろ。
ほんとに論理学わかって無いなあ。
・どちらでもうれしい結論
と言ってるのに、それに対する反論になってないだろ。
> 文献精読
どうでもいいから「国債を買い捲ればデフレ脱出必ずできる(のにやらない日銀は馬鹿)」っていう命題が「バーナンキの背理法」かどうかぐらいは確認しろよ。
> for-allで「必ず」ってのは入ってるじゃねえか。一意はよけいだけど、まあ背反はしない。(for allならたくさんあって、そのなかの全て、uniqueなら、ひとつしかなくて、そのなかの全て。)てめえこそ、論理構造をもう一回見て来い。
for-allは∀ですが、古典論理で「必ず」なんていう限量子があるんですかww どう書くんですかww
それとも、あなたのケイザイガク論文では様相論理でも使ってるんですかww
「論理構造」っていうタームがあるんですかww 定義は何ですかww
あれはいい本だけどさあ。ここで君が権威付けに持ち出すには初歩的過ぎるだろw
だから、「数理経済学だからゲーム理論家じゃない」って思ってるお前が馬鹿ってことでしょ。
あと、無税国家になるって経路かインフレが実現されるかってので、筋書き違うだろ。原文って所詮は啓蒙書だかpolicy paperだかの文章しか読まずに、元々のモデルを見ずに言うなよ。馬鹿が。っつうか、プロの経済学者なんて、たとえばDixit=Stiglitzモデルの展開とかするときに、元のやつなんてゴミクズなセクションもあるから精読なんかしないけど、でも引用するなんてざら。つまり、大事なのはモデルの構造だけで、文献精読なんて、マルクス経済学者みたいなことはしないんだよ。
for-allで「必ず」ってのは入ってるじゃねえか。一意はよけいだけど、まあ背反はしない。(for allならたくさんあって、そのなかの全て、uniqueなら、ひとつしかなくて、そのなかの全て。)てめえこそ、論理構造をもう一回見て来い。全てと必ずが違うって馬鹿なことを言うのなら、もう一回もとの命題を厳密に言い表して来い。リフレ派らしく教科書読みたいんだったら、野矢茂樹『論理学』とか楽しいんだから。
そんなのは書類上の話で、じゃあ「意思決定理論」の人が身を置くのは、あと投稿対象として見るのは、って考えればゲーム理論の一派だろう。で、そういうのがわからないのも、かわいそうってことでさあ。
> 児島
って誰だよw
数理経済学だろ
> existence,uniqueness(or for-all proposition)を含んでる
どこに一意性が入ってるんだよw
> リフレ派の言いたいことは出てこないかも
「経済学者なら経済全般知ってるはずだ/知ってなければおかしい」っていう
変な期待があるせいじゃない。で、勝手に期待して勝手にがっかりするっていうバカな大衆と、それを見越した売文家。
(というか、他の学問だってそうだとおもうんだけど。物理にしたって大槻教授がプラズマ超えて色々答えなければいけないとか。)
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そういうところを鑑みれば、本人の言ってるとおり、バーナンキの背理法で否定される命題は、
existence,uniqueness(or for-all proposition)を含んでるから、リフレ派の言いたいことは出てこないかもって、
いう程度で収めてあげるのがいいんじゃない。
本当は本人の矜持として、マクロなんて畑違いに口を出さないのがいいんだろうけど、マクロは既にぐちゃぐちゃだしさあ。
若手のホープっぽい先生もエネ庁の審議会とか早速、研究と畑違いなところに駆り出されてるし。
それを引っこ抜いてきた親分の先生だって純粋なゲーム理論家でしょ。
官庁からすると畑違いで、事務方の言うことを素直に聞く人のほうがいいってことだろうな。
ブログの文脈だと、やはり経済学の専門的教育を受けたわけでもない、
生半可な人たちが、自分たちの信念の補強のために経済学を使ってる。
サンプルバイアスのせいかわからないけど、リフレ派とかなんと言って分からないけど、ある種の強い命題を持った人たちが
アルファブロガーなりなんなりで存在していて、それが経済学界と別の判断基準を持って、
経済学者の言説を判断してる。自分の凝り固まった知識と価値観でもって。
っていうか、僕らの仕事として見たら、けっこうしょうもないところで叩かれてるよなあ。
たとえばJRの花形で働いていますっていったからって、その人がルミネとか駅ナカビジネスの担当なら、列車運行とかきちんと知らなくてもしょうがないでしょ。JR職員でない鉄オタに負けるってことも。(ただJRという全社的にどうしたらいいかっていう感覚はあるかもしれない。)
陰謀論とかくだらないと思うけど、アルファブロガーっぽいリフレ派の先生がその若手のホープと喧嘩したときの「ドキュソ化計画」とかも微妙だよな。あの人のパターン見てると、その若手とか児島とかマクロ専門でない人といったん仲良くしてから、
どこかで突き落とすみたいな。でも、マクロ専門の人は最初から眼中にも入れない。あと、仲良くした人と喧嘩するときって、
彼らの専門自体じゃないしさあ。メカニズムデザインとか、よくわかんない数理とか。
なんというか「経済学者と僕は知り合いだよ、しかもやつらの理論のおかしいところも指摘できるよ」って身振りじゃないかしら。
東工大系のゲーム理論家は気をつけたほうがいいね。彼らは本当に余計なこと言わないけど。
ともかく、ブログ界なんて有象無象のところで議論しても、収拾つかなくって、しかも(ろくに専門家の話を理解しようともせずに)「議論しようぜ」的な態度で絡み続けるから、うざいだけだってこと。本とか紙媒体でコミュニケーションをしていた頃には、噛み締める時間があったんだろうけどさ。ブログじゃなくて、ホームページでもそうか。(単にスタイルシートがあって編集が楽だからってことでmコメントなしのブログにすると文句言われる今日この頃。)
ケーザイガクシャを超える見識を持つ方々はほんと今すぐにでも、とりあえず宮廷とかの公共とかビジネスとかに入って推薦状とって、それで海外留学したらいいんじゃないの。そんなよほどの見識もってるんなら、あとは英語さえ頑張れば、初任給1000万円くる世界が待ってるんだしさ。見たところ、ダンコガイ以外で経済学周辺でごちゃごちゃ書いているブロガーってそんなに稼いでないっぽいし。でさ、社会人だったけど経済学に興味持ち始めたから、よっしゃといって大学院はいってるなんて、海外だとざらでしょ。中国人でさえもさあ。SEでルサンチマンしてるよりかはよっぽどいいんじゃないの。(っていうか、コンピューターエンジニアなんて、社会人経験大学院生の一番の出身じゃないの。)
で、いずれにせよ、生半可な知識を持ったちょっと頭いい子たちが、専攻とか関係なく、自分の価値観に合う「経済学者」さんに会えば、それが経済学界の絶対の見識だと思って、歩兵のように従順に動き始めるってわけだ。でもちょっとしか頭はよくないから、学者にはならないわけで。(あと、そもそも面と向かって議論できる学者が近場にいない。友人とか同期とかさあ。)そういうのを見ると、尚更、経済学を学ぶのは「経済学者に騙されないため」ってのも至言。
で、さ、そんくらいのことなんて、別に経済学者じゃなくても、長くネットで経済学談義を見てれば見えてくるのにね。あと、学者が輩出されるような大学にいればさ。(ナントカ先生がナントカ学なんて世間でキャッチーなことを言い始めてるけど、それは科研費取るためだろうね、とかそういうことがわからない。)とてもかわいそう。
>今、「期限までに目標のインフレを達成できなかったら、中央銀行の総裁は死刑になる」というえげつないルールを作ろう。そして、期限はあと一回の売買にかかっているとする。このとき国債を持っている国民はどうするだろうか。中央銀行は総裁の命がかかっているのだから、いくら高くても国債を買うはずだ。だとすれば国債の価格は無限大になってしまう。価格が無限大になる、ということは、ぼくの理解では、資産にハイパーインフレが起きたことではなく、モデルが破綻している、ということだ。つまり、均衡動学経路が存在しない、ということになる。
たぶん「モデルが破綻してる」という背景にあるのは、横断性条件。でも横断性条件が動学的最適化を解くときに必要かというと、必ずしもそうでもない。
横断性条件で目覚しい業績を上げている日本人が、明治学院大学の上東隆志。彼の"Simple Proof of Necessity of Transversality Condition"は動学的最適化を用いるマクロ理論家にとっては、一応読んでは置かないといけないリストに数えられる。まあ、証明自体がとても読みやすい。というかこれが読めない人はマクロ理論を理解する数学的能力に欠ける。リフレ派がほんとうにRBCだのSDGEだのを理解できるかはこれを踏み絵にすればよい。まあ、マニアックなんで、マクロについてきちんとした教育を受けてなければ知らなくても仕方ないが。日本語でも西村・福田編『非線形均衡動学』(東大出版会)に収められている。
ともかく、邦訳版で上東がまとめるところによると、横断性条件が必要になる十分条件としては
1)最適経路(*)全体を比例的に押し下げたときに、目的函数が-∞にならない
というのが挙げられるという。あくまで、上東自身の研究で分かってる十分条件に過ぎない。(つまり、横断性条件の必要性にとって必ずしも必要とも限らない。ややこしいな。)
しかし、少なくとも、児島さんの考えている「期限までに目標のインフレを達成できなかったら、中央銀行の総裁は死刑になる」というルールは1)を満たしていない。(実際、目的函数が-∞になるからこそ、中銀がいくらでも国債を買うのだろうし。)2)はまあモデルによるのだろうけど、大概利益函数が1次同次なら、簡単に静学的な均衡stationary eqm(つまり最適動学下でのrest point)までは明示的に求められそうな気がする。あとはそのrest pointの安定性くらいが問題か。
どうでもいいのだけど、ハリ・セルダンが「その乖離した地点から、均衡へ収束する経路」のことなら、通常それはsaddle pathと呼ばれており、日本では多くの場合「鞍点経路」という訳語を割り当てると思います。」というのは情報操作が過ぎるのじゃないか。たしかに数学的には「鞍点経路」が定訳で、またsaddle pathが決まった用語だけど、必ずしもそのsaddle pathが動学的最大化を満たす経路とは限らないので、別に「最適成長経路」だのなんだの言うときも十分にある。(場合によっては発散するような経路でも最適経路になることはある。資産の量kや価格\lambdaが無限大に発散しても、それが割引率で抑えられる限りは標準的な横断性条件exp(-\beta t) k_t \lambda_t =0を満たす。)
そして、「成長論」でなければ「最適成長経路」なんていうのは気持ち悪いから、他の用語、そう動学的な均衡ということで、「均衡動学経路」って言ったっていいだろう。(ハリ・セルダンのいう「均衡というのは通常、無時間だと矢野は理解している」というのもSDGEの文脈では意味がわからない。stationary equilibriumに絞るという意味か?よく物理屋がstationary eqmでないと「均衡」でないと経済学を非難するけど、経済学での均衡はrest pointというよりも、モデルの全式(需要=供給とか)がconsistentである、つまりモデルに出てくる方程式の解になっているという意味で使われる。だから、その方程式が動学的なもので、「未知数」が経路(時間tの函数)であるなら、「均衡」は当然に時間を含むものだが。stationaryだって、経路が時間tに対して一定というだけだし。えーと、マルコフにしたって同じように範囲を狭めてるだけだし。)
児島さんの最初の指摘である、バーナンキの背理法ではリフレ派の言いたい「国債買う⇒どっかで物価上がるさ」という命題を証明できない、というかそういうのに気づかないあいつらは馬鹿というのは賛同する。(つまり背理法で出てくる、「仮定された命題が偽である」っていったときに、「仮定された命題」をcompletely graspできないやつ。)
ただ、その「仮定された命題」としては、「均衡の存在」よりも、quantifierに重きを置いたほうが反証しやすいし、彼のひきつけたかったゲーム理論(複数均衡)に持っていけたんじゃないだろうか。つまり、こういうふうに言えばよかったと思う:
あたかもリフレ派はすべての解(均衡)で「国債買う⇒どっかで物価上がるさ」という命題が言えるとしてる。しかし、横断性条件も必要でないかもしれず、(経済学的には非現実的だけど)「物価上がらず無税国家が存在する」というのが均衡として否定できない。つまり矛盾は導けない。なので、国債を買い続けても物価が上がらないことだってあるかもしれない。
唯一の均衡が横断性条件を満たさない(つまり「すげえ」発散する解)なら、それはモデルがまずすぎるけど、複数均衡でならそういうのがあっても認められるだろう。
いずれにせよ、今回の「騒動」とやら(所詮はリフレ派ブログと崩れいちごで騒いでいるだけだと思うけど)は、背理法の論理もわからない馬鹿を挑発しすぎて、彼らの土壌に引っ張り込まれて、結果として自分の言いたいところと違うところで勝負させられて墓穴を掘ったように思える。そもそも児島自身もマクロ経済学者じゃないから、日本の現状がどうかなんていわれても困るだろうな。すげえマニアックなゲーム理論家というイメージがする。(どこかのSE崩れのブログで、「確率・統計」ではすごいなんて言ってたけど、それは教科書しか本当に知らないかわいそうな子。)今回言いたかったのはそれ以前の論理構造のことだろう。
まあ、マクロ経済学者が誰も出てこないあたりでこの議論は先が見えているのではないかと。ってか、加藤涼くらいしかいちごとかブロガーリフレ派にかまってるやつなんていないし。
cf.) http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の数学オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らない数学の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、数学のことを紹介するために覚えるべき10の事柄を選んでみたいのだけれど。(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に数学を布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、思考的に過大な負担を伴う21世紀の数学七大難問は避けたい。できれば学部レベル、難しくてもマスターレベルにとどめたい。あと、いくら数学的に基礎といっても義務教育を感じすぎるものは避けたい。数学好きが『三平方の定理』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。そういう感じ。
彼女の設定は
数学知識はいわゆる「高校数学」的なものを除けば、テイラー展開程度は使える
理系度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ブルバキ以前」を濃縮しきっていて、「ブルバキ以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。ページも7000以上だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な原論について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな証明(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「数学オタとしてはこの二つは“検証”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の難問数学オタが持ってる公理への憧憬と、ヒルベルト教授の数学オタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもヒルベルト的な
「証明できないことを証明するカッコよさ」を体現する連続体仮説
の二つをはじめとして、数学オタ好きのする問題をちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「ドーナツだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の学問がその後生み出されていないこと、これが近代では大人気になったこと、欧州なら定理ラッシュになって、それが日本で花開いてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのが生み出されないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりゲーム理論は役に立つものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「囚人のジレンマ」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この概念にかけるナッシュの思いが好きだから。
断腸の思いで選びに選んでそれでもパレート効率的ではない、っていうあたりが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「部分最適戦略」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
ナッシュ均衡による戦略を俺自身はダメとは思わないし、もう選択しようがないだろうとは思うけれど、一方でこれがアメリカや旧ソ連だったらきっちり冷戦にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて部分最適戦略を選んでしまう、というあたり、どうしても「自分の利得を最大化してきたものが捨てられないオタク」としては、たとえナッシュ均衡がそういう概念でなかったとしても、親近感を禁じ得ない。概念自体の一般性と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でエウクレイデス(ユークリッド)見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
キリスト生誕よりも前の段階で、数論とか初等幾何とかはこの原論で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの数学書がエジプトで紀元前に書かれていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく数学好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるマス北野を数学者と思ってる彼女には見せてあげたいなと思う。
フェルマーの最終定理の「設問の単純さ」あるいは「投げっぱなし感」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「この余白はそれを書くには狭すぎる」的な感覚が数学オタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそアンドリュー・ワイルズの行き着く先はフェルマーの最終定理以外ではあり得なかったとも思う。
「一般化された予想問題を解く」という数学オタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源はフェルマーの最終定理にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういういかにも簡単に解けそうな作図をこういうかたちで問題にして、その証明が非オタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9個まではあっさり決まったんだけど10個目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に数学ガールを選んだ。
ブルバキから始まって結城浩で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、ネット時代以降の数学萌えの先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10個目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
http://anond.hatelabo.jp/20080705000517
「抜け駆け理論」と「社会主義がダメな理由」をつなげているけど、これはちょっと違う。ここの問題を解決しようとするモチベーションがゲーム理論につながる。社会主義が崩壊する理由は「抜け駆け」にあるわけではなくて、その大きなシステムを維持する際のコストがあまりに大きいために崩壊する。(ただ、現代や近未来的なコンピュータシステムで司法や行政を置き換えることが出来るようなら社会主義システムを実現できるかもしれない)
巨大資本と零細企業の競争に関しては、飛躍があり過ぎて話にならない。流通を担っている部分の競争についても考察できないでいるとまずい。
色んなものをすっ飛ばして、妄想の世界だけで理想化して考えていては、自分勝手な理論から脱出できない。それこそが、別次元同士での不毛な議論を生み出してしまう原因です。(と、思うよ)
横だけど。ゲーム理論よく知らないけど、四象限?ってのは関係ないんじゃないだろうか?
たぶん2×2の利得行列のことを言ってるんだろうと思うんだけど、ゲーム理論はそんな限定的な状況にしか適用できない話じゃないだろう多分。
n人のプレイヤーがそれぞれm個の戦略を持っている場合の利得行列a_{i_1, i_2, … , i_n}について解析できるはずだ。多分ね。
今みたいな問題だと、各戦略の損失と相関をどう入れるかで解析するまでもなくある程度わかっちゃいそうな気もする。
短期的な利益・素質、長期的な利益・損失をどう定義して、チームプレイの効用をどう考えるか、とかいった面倒な話にカタをつければ、それがそもそも答えのような気がするなあ。
そっか、ゲーム理論でうまく表現できそうですね。
4象限でうまくかけるかどうかわかりませんが、ちょと考えてみます。
もやもやが解決するといいなぁ。
そういう問題好きならゲーム理論の本を読むといい。
http://www.amazon.co.jp/図解雑学-ゲーム理論-図解雑学シリーズ-渡辺-隆裕/dp/4816337458
この辺とか。
い…いや…体験したというよりは全く理解を超えていたのだが… あ…ありのまま 今起こった事を話すぜ!
『職務質問を拒否したら柔の技を駆使され、45分足止めされた』
な…何を言っているのかわからねーと思うがおれも何をされたのかわからなかった…
頭がどうにかなりそうだった…治安維持だとか善き市民の隣人だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
と、いうわけで
半年前に秋葉銃刀法のウソで書いたとおり新宿でひどい目にあった増田ですがね。こんどは渋谷でひどい目にあってきましたよっと。サマリーは上の通りなので、ディティールを多少。
時間は、遅めのランチだか夕食だか分からないごはんを食べて、職場へ戻る16:30。場所は道玄坂小路から円山町を抜けてシネアミューズ裏へ出る小道。Google マップの「2丁目」の字の右下あたりの坂を上ってる途中で声をかけられた。服装はデザイン迷彩のジャケット(おそらくこの服装の第一印象がまずかった)。
正面から降りてくる3人の巡査の一番若いやつが「すいません。ちょっといいですか」とにこやかかつ慇懃無礼に言ってくるので、こちらも応じて「いやです(にっこり)」。新宿であんなことを体験してて、しかも食事休みが終わるギリギリかつ帰ったら業務が待ってる。そんな状況でハイハイと機嫌良く職質に応じるヤツがいたら、そいつはよほどの聖人君子か論理的思考のできないバカだ。とか思いつつ横を通り過ぎようとするおれ。「そうですかー」とか言いながら苦笑の警察官。
次の瞬間、全く信じられないことが起こった。
は? な ん で お れ の 袖 口 は 掴 ま れ て ま す か ?
若い巡査はそのまま苦笑いでおれを通す気らしかったのだが、どうも後ろに控えていた35くらいの巡査はそうじゃなかった。がっつり袖口つかんでぐいと引っ張りつつ「まあまあそういわずに、お話だけでも」相変わらずにこやか風ではある。が、「面倒ごと」イベントのフラグが立ったのは死ぬほどよく分かった。
とりあえずおれは当然の権利を口にしてみる。
「いや、この職質は任意ですよね?」
「はい」
「じゃあ僕には拒否する権利がありますよね?」
「いやいやそういわずにお時間は取らせませんのでお話を」
とか言いつつ、ぐんぐん歩いて職場に帰ろうとするおれを必死で邪魔しやがる。フォーメーションとしては
ーーーーラブホの壁ーーーーーーー
俺 35 →進行方向
若 荒
という感じで35歳は手を広げての後ろ歩き&サイドステップをしつつ、折を見ては胸や二の腕、手の甲で押し、俺をラブホの壁へ追い込もうとする。若い巡査はおれと併走(?)しつつ35のサポート。荒(荒川良々にそっくりだったのでいま命名)は35に1.5mほど先行し、不意の飛び出しに備える。
ってこれ俺の愛するフットボールで言うところの「ライン際で時間を使わせるゾーンディフェンス」まんまじゃないですか!
そんな感じで円山町を登り切るまでにまんまと15分ほど使わされました。ほんの50mですよ? その間おれは手を組み、決して肩より上にあげないようにしつつ無駄な会話を楽しみ。スキット風に抜粋するとこんな感じ。
-
35「ああそうなんだ。じゃあ早く協力してくれれば早く解放されるよ。ところでオフィスの住所は?」
露骨に個人情報の開示を要求。
-
俺「『転び公妨』とかないですよねw」
35「ないよーw(肩で俺を押しつつ」
あ、知ってるんだ転び公妨。
-
俺「いや、だから新宿でこれこれこういうことがあって、職質は受けないことに決めたんです」
若「それは大変だったねー。でもここは渋谷だから」
すげーセクショナリズム。
-
35「そんなに拒否するってことは何か持ってるのかなー、と思っちゃうでしょ」
俺「何も持ってないですよ。だから個人の信条として『職務質問は拒否する』って決めてるんです」
若「何も持ってないなら受けても大丈夫じゃない」
俺「だから個人の信条として……」
以下ループ
そんなことしてるうちに、荒川良々似が35の支持を受けて応援を要請。4人目が登場。
またコイツが最初の3人に輪をかけて官憲の論理でムンムンなヤツで。もう話を聞かない聞かない。プレッシャーのかけ方も、35とかは肩や胸でじゃまする程度だった(それでも充分ひどい)のに、こいつは露骨に両腕を使ってゴリゴリ押してくる。Jリーグのゾーンディフェンスが、プレミアのマンマークに変わった感じ。もしくは競技自体がカバディに変わった感じ。最終的にはシネアミューズ裏の壁のくぼみに追い込まれて、全く逃げられない状況(「4」が4人目の応援巡査)。
|_
荒 4 俺|カ
若 |ベ
35 |
4は左手を壁の角につけて、右手でおれの左腕を押し、絶対に動かさない。えっと、これって警察官職務執行法で禁じられている「身柄を拘束」じゃないんですかね? しかも態度が明らかに対不審者に硬化。
さらに不毛になる会話はこんな感じ。
-
4「僕は○○と言います。あなたの名前は?」
俺「いや、教えたくもないです」
4「僕は自分の名前を言ったでしょう。なんで言ってくれないんですか」
俺「個人情報だから当然じゃないですか」
4「わからないなぁ。僕は自分の名前言ったじゃないですか。何か名前を言えない理由があるんじゃないかと疑っちゃいますよ」
俺「ありますよ。でも残念ながらあんたらが思ってるような怪しい理由じゃなくて、プライバシーっつー正当な理由で」
4「でも僕は名前言ったじゃないですか」
以下ループ。
-
俺「職務質問は拒否できるんですよね? 天下の往来を自由に通行する権利は、誰にも犯せませんよね?」
4「権利権利と言うがね、我々にも渋谷の治安を維持する義務があるし、市民もそれに協力するべきなんじゃないのかな」
出たよ。権利は義務とトレード厨。法を執行する人たちの認識がこんなでいいんスかね。
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俺「あの、こんな人目につかないところに追い込んで恫喝して、卑怯じゃないですか? 人通りの多いところ行きましょうよ。東急本店前とか」
4「じゃあ行こう。行ったら話してくれるんだよね?」
なんで交換条件なんだよ。成立するわけねーだろ。
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4「なんでそんなに拒否するの」
俺「いやだからさっきこの3人には説明したんだけど、また言うの? 新宿でこれこれこういうことがあって」
4「また持ってるの? そのキーホルダー」
俺「持ってねーよ!」
4「わかった。もし君がそのキーホルダー持ってても何も言わないから。身体検査させてよ」
もうなんかいろいろ破綻してて意味が分からない。整理してみよう
もうね、ここまで言われて誰が協力するかと。そもそもそれまで俺が、警官による軽犯罪法の私物化(「正当な理由」の現場判断)に対する疑義をずっと呈しているにもかかわらず、ですよ。
-
4「あなたも渋谷で暮らしてるんでしょ? 職務質問で凶悪犯人が捕まったケースもあるんだよ。渋谷の治安が良くなったらあなたも嬉しいでしょ?」
俺「ふーん。で、何人に声かけて、何人の凶悪犯がつかまったの? 何%くらいなの?」
4「そんなこと、正確な数字は知らないよ」
俺「いや、ボリューム感でいいから。何千人に何人とか、1年に何人とか。統計あるんでしょ」
え? 自分の仕事のおおまかな効率も知らないでやってるの?
それって勤務態度としてどうなの。それとも、あまりにも数値が低くて言えないの?
-
4「だから職務質問によって治安が良くなるから、協力してよ」
俺「いや、『この職務質問』に関しては良くはならないよ。だって俺は『俺が凶悪犯じゃない』ってこと知ってるし。ああ。そうか。わかった。メタで見ればこういうことだ。あなたたちは『マスの職務質問の中の1件』としてこの職質をとらえてるから、あなたたちの立場から見ればこの職質は治安向上につながるかもしれないけど、俺の立場からすりゃこの職質は『1の1』だから、この職質は治安向上に貢献しないって分かり切ってる。なら協力するいわれはないじゃん」
4「うん。酔ってるところ悪いんだけどさ。職務質問で治安が良くなったら、あなたもうれしいでしょ? 協力してよ」
酔ってNEEEEEEEEEEE!!!!!! 「仕事中」って言ったろうが!
そしてその論理は通用しねぇっておれが懇切丁寧に説明したところだろうが!
-
4「だから協力してよ(言いつつ強引にポケットに手を突っ込もうとする)」
俺「だーかーらー。新宿であんな目にあって、協力するわけ無いじゃん! そりゃ以前は『警察官は体張って市民の安全を守って、大変な仕事だなぁ』って協力してたよ! でもひどいことされて、その後協力するわけないじゃん。ゲーム理論でも『しっぺ返し』がいちばんの戦略って基本じゃん!」
いや、やりますよ。ヴィデオゲーム全般やりまくりですよ。でもそれ今関係無いっつーか、数学の話なんですけど? いままあ要するに『ゲーム脳の恐怖』! 『ゲーム=不良』! って言いたいんだろ? お生憎様。どんだけ時代錯誤やねん。
-
いちばんひどいと思ったのがコレ
4「いやだと言われて『ハイそうですか』と通しちゃ、自分たち仕事にならないんだよねぇ〜」
そんなこんなで2〜30分薄暗い壁のくぼみに、ゴツい成人男性4人で押し込められて、こんな不毛な会話。会話ッつーかもっと暴力的な何かだと思うが。最終的には同意を得ずに強引にボディチェック。それってセクハラなんじゃね?
で「うん、何も持ってないようだね。ご協力ありがとうございました」
冗談じゃねーよ。
そこで必要なのは感謝の言葉じゃなくて、謝罪だろーが。おれがすぐオフィスに帰ってするはずだった業務が、45分遅滞した損害に対する。
てな感じ
職質拒否、ってけっこうスローガンとしてあるけど、社会人が実行するのはマジたいへんですわ。その後が内勤だったからできたようなものの、打ち合わせとか入ってたら拒否しきるのは厳しかったと思う。
ここでも結論は新宿のときと同じ。
教訓:時間はいつでも警察の味方だ。奴らは自分たちに分別可能な動機が出るまで粘り続ける。
もうね、何がつらい、と言うかひどいって。ヤツらは自分が理解不能なことがあると、それらは全て「劣っている」と見なすことによって、自分の精神的優位を保とうとするんですよ。
ゲーム理論の件しかり、「酔っぱらってる」発言しかり。
まぁね、おれも怒りのあまりハイになりすぎて、しなくていい発言をした、とは思ってるけど。それにしたって人としてあんまりだ、と思った。「自分たちは目的遂行のため優位でいなければならない」って思い続けた結果、「自分たちは優位だ」にみごとに置き換わってる。
ほんとうに反吐が出る体験だったよ。
あと、これを機にオタクがナイフを持ち歩く心理が理解できない - 神聖マルチ王国とかを読み返した結果、おれはもう一度ビクトリノックスのキーホルダーを持ち歩くことにしたよ。古典的自由主義者の姿勢の表明として。マルチツールキーホルダーを、グルーミングキットとして持ち歩くことを「正当な理由ではない」と恣意的に判断する警察は、やはりどう考えても、間違ってる。それに対するささやかな抗議だ。
【是非見とくべきURL】
白川さん。あなたの勇気ある行動から、まる3年。事態は何も変わってないようですよ。必読!
私が受けたような職務質問が公然と許されるようになれば、わが国は早晩警察国家となるでしょう。犯罪は現在よりも摘発が楽になるでしょう。治安も多少は良くなるでしょう。だが、私たちの人権は確実に侵され、私たちは国家に対して従順に生きていかなければなりません。テロとの戦争ということで、イラク国民を十数万人も殺したアメリカを公然と支持する小泉首相が率いる国家に、私たちはどうして従順に従わなければならないのでしょうか。私に対してあのような石頭的対応しかできなかった警察官のやることを、私たちはどうして素直に受け入れなければならないのでしょうか。少なくとも私はそういう社会には住みたくありません。日本をそんな国にはしたくないのです。
あと転び公妨の映像資料。「ちょw近いwww」なカバディーからセクハラ(抱きつき)、小外掛けのコンボで戦闘不能! ほんとに中盤はおれの職質もこういう状態だった。
最後に。職質の根拠となる警察官職務執行法。
第1条第2項 この法律に規定する手段は、前項の目的のため必要な最少の限度において用いるべきものであつて、いやしくもその濫用にわたるようなことがあつてはならない。
第2条第3項 前2項に規定する者(引用者注:職務質問を受ける者)は、刑事訴訟に関する法律の規定によらない限り、身柄を拘束され、又はその意に反して警察署、派出所もしくは駐在所に連行され、若しくは答弁を強要されることはない。
ケネス・アローとかアマルティア・センとかの研究の多くはゲーム理論的現代ミクロ経済学とも厚生経済学とも倫理学とも言えるものだと思います。
まず。
経済学というのはばっさり整理すると社会学・政治学・倫理学と最適化理論とゲーム理論のハイブリッドした学問です。
最適化理論は、工学部(とくに電気系、化学系かな‥)の勉強をきっちり極めた人なら基本はすぐ理解できます(計算だけなら今はExcelがやってくれるし)。実際、現代数理経済学の大成者であるポール・サミュエルソンは学部学生時代にはMITでエレクトロニクスをやってました。ゲーム理論はそれよりはちょっと純粋数学かもしれない。要するに理論系は数学・工学系有利で、すごく勉強が好きなら後からでもなんとでもなります。
問題は最初の文系三科目で、要するに「主張」と「事実」の区別をつけづらい、つけても意味のないことの多い世界です。マックス・ウェーバーの『職業としての学問』とか『プロテスタンティズムの精神と資本主義の倫理』あたり、あとはアマルティア・センとか小室直樹(ただし『ソビエト帝国の崩壊』までね)とかかじってみると、経済論争の原動力になっているそういうどろどろした世界の様子が少しわかるかもしれません。
ゲーム理論は、プレイヤー同士が利他的な行動を取った結果として誰も幸せにならない事態になるケースについても教えている。
まず、アダムスミス的な利己による全体効用の向上という理解を前提とした上で、必ずしも利己(あるいは利他)が効用を増加させない例があることをゲーム理論から読み取ることができる。
みんなが幸せになることを目標とするのであれば、利己のエネルギーを善用するにはどうすべきかという立場に立つべきであろう。残念ながら利他主義はエネルギー不足だ。
社会は互恵的利他主義で成り立ってる。ちょっと考えれば誰でもこういう結論に辿り着くだろうけど、普段は誰も考えもしないし、意識もしない。道徳による利他主義を教えず、利益至上主義を教え込めば、頭のいいやつは互恵的利他主義を考慮して行動するだろうけれど、頭の悪いやつは目先の利益に囚われて(最終的には損になることにも考え及ばずに)他者を踏み躙るような形で利己主義的に行動しかねない。頭のいいやつがそんなに多いとは思えないし、将来は堅実な行動を取るにしても、頭が良くなるまで野放しっていうのもマズい。だから、なぜそう行動すべきかなんて理由は度外視してでも、宗教的だろうと何だろうと道徳を教え込むのは重要だと思う。
それも一回限りではなく連続したやつ。