はてなキーワード: ゲーム理論とは
ゲーム理論的には参加してるんだけどね。
カーボン様への感謝は、お布施の行為によって表される。これをカーボンオフセットと呼ぶ。たとえば、石油ストーブで部屋を暖めたら、カーボン様の力を借りたことになるので、そのかわりに、日頃スーパーへ買い物に行くのに自動車で行っているのを徒歩で行く。あるいは、庭に木を植えるのもよいだろう。
これらはカーボン様に借りた「電子」を返す行為であると説明されている。
命の杯たる植物体の中で起こる還元反応は神聖にして玄妙であり、光が物質を聖とし、カーボン様のみもとへと還すともいわれる。
あまり知られていない例としては、製鉄もまたカーボン様の力で行われている。
カーボン様は人類の感謝がたりない場合、地上を灼熱地獄、海を大洪水とするドゥームズデーを惹起すると信じられている。そのためカーボン様を崇敬するカルトは全世界で知的上流階級を中心に広まっており、その典礼を決定する公会議はCOPと呼ばれ、教理はキョウトプロトコルという書物にまとめられている。
なおカーボン信仰における贖宥状については、CDSを開発したブライス・マスターズ女史をはじめとした金融業界の重鎮たちによって市場での売買が検討されており、そう遠くない未来にシカゴ商品取引所で売買できるようになることだろう。まさしく、地獄の沙汰も金次第である。その売買ルールの設計はゲーム理論という精妙煩瑣な学を修めた者たちが行っている。オフセットの本質と形相をめぐる議論は部外者にはピンの上の天使の数の評価のごとくに受け取られているが、現実への影響は小さくない。
なぜカーボン様だけが崇敬の対象となり、金属アルミニウム(テルミット)やアスコルビン酸(ビタミンC)はそうでないのか、と論じた異端者ラボアジェは火刑となったと当時の書物に記されている。
ゲーム理論で「しっぺ返し戦略が最適」とされるのは、同じ相手と永久に付き合う場合であり
一回きりの付き合いであれば、攻撃が最適となる。
有限回の付き合いであれば、最終の対応は攻撃がベストとなる。
最期に攻撃されるのであれば、先手を打たなければならない。
他者は全て潜在的な敵となり、社会は崩壊してしまう。
という合理主義の行き着く結末を回避し、社会を維持してきたものが宗教である。
「死んだ後も魂はまだまだ続くよ!」と皆で信じることによって、
ライフゲームの「最後の手」を出させないようにするキリスト教やヒンズー教。
現世の人間関係の絶対性を徹底的に脳に刻ませる儒教、日本教、共産主義。
一神教vs多神教という差よりも、未来主義か現世主義かという差のほうが大きい。
そして危険性/安全性という観点や、タブーの多さという観点においては
どちらが優れているとも言えない。
考えてなくもない。日本人ならせいぜい金子守くらいしか気に掛けてなさそうだけど、B Lipmanとか認識論とか論理学とかつながりっていうのを考えているのは、特にゲーム理論家では存在する。
まあ、みんながみんな、そんな方面に注力してるわけじゃないってことで。
たとえば元の話題だったようなマクロ経済に関しては、じゃあ認識論とかまで考えて、それで面白い話が出てくるかってところじゃないの。もしかしたら出てくるかもしれないけど、その分野に行くまでの努力と、じゃあどこまで直感的に説得力のあるロジックかってことを考えると、普通はそんなところまでは参入しないわけで。
でも、コモンナレッジを通貨危機とかに使えたってのはあるわけだし、もしかしたらば面白いのかもね。(っていうか、認識論的なことをやってるひとたちも、そういうマクロなり応用に使えるってのをどこかで言わないと、分野の将来はないよなあ。)
てめえのほうが文盲だろうが。
筋書きっていってる文脈は、いくら論理学的に同じ結論に至るからって、理屈が違ったら誰も信用しねえよ。それこそ経済学者同士だって、うさんくさいかギャグくらいにしかきかねえよ。
それと、なんだ言いたいのは「数理経済学者だからピュアなゲーム理論家じゃないってか」。100年ROMってな。統計の教科書書いてるからって統計学者にまとめるやろうと同じくらい鼻で笑われるわ。
あとさ、その「必ず」っていう命題を言いたいときにどういうふうに論理にするのか考えてみろよ。ほんとばっかだなあ。そうか、"for all"って「全部のxで」ってしか直訳できないし、それを実際に使ってモノを言ったこともないんだね。
んで、おめえはその学部一年で読むような論理さえもわかってないってわけよ。
っつうか、その最初の一段落だけしかわからないからってつっかかってくるなよ。
> だから、「数理経済学だからゲーム理論家じゃない」って思ってるお前が馬鹿ってことでしょ。
おいおい「ピュアな」を忘れんなよ。統計の著作なんて一個も無いはずだよなあ?
> あと、無税国家になるって経路かインフレが実現されるかってので、筋書き違うだろ。
ほんとに論理学わかって無いなあ。
・どちらでもうれしい結論
と言ってるのに、それに対する反論になってないだろ。
> 文献精読
どうでもいいから「国債を買い捲ればデフレ脱出必ずできる(のにやらない日銀は馬鹿)」っていう命題が「バーナンキの背理法」かどうかぐらいは確認しろよ。
> for-allで「必ず」ってのは入ってるじゃねえか。一意はよけいだけど、まあ背反はしない。(for allならたくさんあって、そのなかの全て、uniqueなら、ひとつしかなくて、そのなかの全て。)てめえこそ、論理構造をもう一回見て来い。
for-allは∀ですが、古典論理で「必ず」なんていう限量子があるんですかww どう書くんですかww
それとも、あなたのケイザイガク論文では様相論理でも使ってるんですかww
「論理構造」っていうタームがあるんですかww 定義は何ですかww
あれはいい本だけどさあ。ここで君が権威付けに持ち出すには初歩的過ぎるだろw
だから、「数理経済学だからゲーム理論家じゃない」って思ってるお前が馬鹿ってことでしょ。
あと、無税国家になるって経路かインフレが実現されるかってので、筋書き違うだろ。原文って所詮は啓蒙書だかpolicy paperだかの文章しか読まずに、元々のモデルを見ずに言うなよ。馬鹿が。っつうか、プロの経済学者なんて、たとえばDixit=Stiglitzモデルの展開とかするときに、元のやつなんてゴミクズなセクションもあるから精読なんかしないけど、でも引用するなんてざら。つまり、大事なのはモデルの構造だけで、文献精読なんて、マルクス経済学者みたいなことはしないんだよ。
for-allで「必ず」ってのは入ってるじゃねえか。一意はよけいだけど、まあ背反はしない。(for allならたくさんあって、そのなかの全て、uniqueなら、ひとつしかなくて、そのなかの全て。)てめえこそ、論理構造をもう一回見て来い。全てと必ずが違うって馬鹿なことを言うのなら、もう一回もとの命題を厳密に言い表して来い。リフレ派らしく教科書読みたいんだったら、野矢茂樹『論理学』とか楽しいんだから。
そんなのは書類上の話で、じゃあ「意思決定理論」の人が身を置くのは、あと投稿対象として見るのは、って考えればゲーム理論の一派だろう。で、そういうのがわからないのも、かわいそうってことでさあ。
> 児島
って誰だよw
数理経済学だろ
> existence,uniqueness(or for-all proposition)を含んでる
どこに一意性が入ってるんだよw
> リフレ派の言いたいことは出てこないかも
「経済学者なら経済全般知ってるはずだ/知ってなければおかしい」っていう
変な期待があるせいじゃない。で、勝手に期待して勝手にがっかりするっていうバカな大衆と、それを見越した売文家。
(というか、他の学問だってそうだとおもうんだけど。物理にしたって大槻教授がプラズマ超えて色々答えなければいけないとか。)
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そういうところを鑑みれば、本人の言ってるとおり、バーナンキの背理法で否定される命題は、
existence,uniqueness(or for-all proposition)を含んでるから、リフレ派の言いたいことは出てこないかもって、
いう程度で収めてあげるのがいいんじゃない。
本当は本人の矜持として、マクロなんて畑違いに口を出さないのがいいんだろうけど、マクロは既にぐちゃぐちゃだしさあ。
若手のホープっぽい先生もエネ庁の審議会とか早速、研究と畑違いなところに駆り出されてるし。
それを引っこ抜いてきた親分の先生だって純粋なゲーム理論家でしょ。
官庁からすると畑違いで、事務方の言うことを素直に聞く人のほうがいいってことだろうな。
ブログの文脈だと、やはり経済学の専門的教育を受けたわけでもない、
生半可な人たちが、自分たちの信念の補強のために経済学を使ってる。
サンプルバイアスのせいかわからないけど、リフレ派とかなんと言って分からないけど、ある種の強い命題を持った人たちが
アルファブロガーなりなんなりで存在していて、それが経済学界と別の判断基準を持って、
経済学者の言説を判断してる。自分の凝り固まった知識と価値観でもって。
っていうか、僕らの仕事として見たら、けっこうしょうもないところで叩かれてるよなあ。
たとえばJRの花形で働いていますっていったからって、その人がルミネとか駅ナカビジネスの担当なら、列車運行とかきちんと知らなくてもしょうがないでしょ。JR職員でない鉄オタに負けるってことも。(ただJRという全社的にどうしたらいいかっていう感覚はあるかもしれない。)
陰謀論とかくだらないと思うけど、アルファブロガーっぽいリフレ派の先生がその若手のホープと喧嘩したときの「ドキュソ化計画」とかも微妙だよな。あの人のパターン見てると、その若手とか児島とかマクロ専門でない人といったん仲良くしてから、
どこかで突き落とすみたいな。でも、マクロ専門の人は最初から眼中にも入れない。あと、仲良くした人と喧嘩するときって、
彼らの専門自体じゃないしさあ。メカニズムデザインとか、よくわかんない数理とか。
なんというか「経済学者と僕は知り合いだよ、しかもやつらの理論のおかしいところも指摘できるよ」って身振りじゃないかしら。
東工大系のゲーム理論家は気をつけたほうがいいね。彼らは本当に余計なこと言わないけど。
ともかく、ブログ界なんて有象無象のところで議論しても、収拾つかなくって、しかも(ろくに専門家の話を理解しようともせずに)「議論しようぜ」的な態度で絡み続けるから、うざいだけだってこと。本とか紙媒体でコミュニケーションをしていた頃には、噛み締める時間があったんだろうけどさ。ブログじゃなくて、ホームページでもそうか。(単にスタイルシートがあって編集が楽だからってことでmコメントなしのブログにすると文句言われる今日この頃。)
ケーザイガクシャを超える見識を持つ方々はほんと今すぐにでも、とりあえず宮廷とかの公共とかビジネスとかに入って推薦状とって、それで海外留学したらいいんじゃないの。そんなよほどの見識もってるんなら、あとは英語さえ頑張れば、初任給1000万円くる世界が待ってるんだしさ。見たところ、ダンコガイ以外で経済学周辺でごちゃごちゃ書いているブロガーってそんなに稼いでないっぽいし。でさ、社会人だったけど経済学に興味持ち始めたから、よっしゃといって大学院はいってるなんて、海外だとざらでしょ。中国人でさえもさあ。SEでルサンチマンしてるよりかはよっぽどいいんじゃないの。(っていうか、コンピューターエンジニアなんて、社会人経験大学院生の一番の出身じゃないの。)
で、いずれにせよ、生半可な知識を持ったちょっと頭いい子たちが、専攻とか関係なく、自分の価値観に合う「経済学者」さんに会えば、それが経済学界の絶対の見識だと思って、歩兵のように従順に動き始めるってわけだ。でもちょっとしか頭はよくないから、学者にはならないわけで。(あと、そもそも面と向かって議論できる学者が近場にいない。友人とか同期とかさあ。)そういうのを見ると、尚更、経済学を学ぶのは「経済学者に騙されないため」ってのも至言。
で、さ、そんくらいのことなんて、別に経済学者じゃなくても、長くネットで経済学談義を見てれば見えてくるのにね。あと、学者が輩出されるような大学にいればさ。(ナントカ先生がナントカ学なんて世間でキャッチーなことを言い始めてるけど、それは科研費取るためだろうね、とかそういうことがわからない。)とてもかわいそう。
>今、「期限までに目標のインフレを達成できなかったら、中央銀行の総裁は死刑になる」というえげつないルールを作ろう。そして、期限はあと一回の売買にかかっているとする。このとき国債を持っている国民はどうするだろうか。中央銀行は総裁の命がかかっているのだから、いくら高くても国債を買うはずだ。だとすれば国債の価格は無限大になってしまう。価格が無限大になる、ということは、ぼくの理解では、資産にハイパーインフレが起きたことではなく、モデルが破綻している、ということだ。つまり、均衡動学経路が存在しない、ということになる。
たぶん「モデルが破綻してる」という背景にあるのは、横断性条件。でも横断性条件が動学的最適化を解くときに必要かというと、必ずしもそうでもない。
横断性条件で目覚しい業績を上げている日本人が、明治学院大学の上東隆志。彼の"Simple Proof of Necessity of Transversality Condition"は動学的最適化を用いるマクロ理論家にとっては、一応読んでは置かないといけないリストに数えられる。まあ、証明自体がとても読みやすい。というかこれが読めない人はマクロ理論を理解する数学的能力に欠ける。リフレ派がほんとうにRBCだのSDGEだのを理解できるかはこれを踏み絵にすればよい。まあ、マニアックなんで、マクロについてきちんとした教育を受けてなければ知らなくても仕方ないが。日本語でも西村・福田編『非線形均衡動学』(東大出版会)に収められている。
ともかく、邦訳版で上東がまとめるところによると、横断性条件が必要になる十分条件としては
1)最適経路(*)全体を比例的に押し下げたときに、目的函数が-∞にならない
というのが挙げられるという。あくまで、上東自身の研究で分かってる十分条件に過ぎない。(つまり、横断性条件の必要性にとって必ずしも必要とも限らない。ややこしいな。)
しかし、少なくとも、児島さんの考えている「期限までに目標のインフレを達成できなかったら、中央銀行の総裁は死刑になる」というルールは1)を満たしていない。(実際、目的函数が-∞になるからこそ、中銀がいくらでも国債を買うのだろうし。)2)はまあモデルによるのだろうけど、大概利益函数が1次同次なら、簡単に静学的な均衡stationary eqm(つまり最適動学下でのrest point)までは明示的に求められそうな気がする。あとはそのrest pointの安定性くらいが問題か。
どうでもいいのだけど、ハリ・セルダンが「その乖離した地点から、均衡へ収束する経路」のことなら、通常それはsaddle pathと呼ばれており、日本では多くの場合「鞍点経路」という訳語を割り当てると思います。」というのは情報操作が過ぎるのじゃないか。たしかに数学的には「鞍点経路」が定訳で、またsaddle pathが決まった用語だけど、必ずしもそのsaddle pathが動学的最大化を満たす経路とは限らないので、別に「最適成長経路」だのなんだの言うときも十分にある。(場合によっては発散するような経路でも最適経路になることはある。資産の量kや価格\lambdaが無限大に発散しても、それが割引率で抑えられる限りは標準的な横断性条件exp(-\beta t) k_t \lambda_t =0を満たす。)
そして、「成長論」でなければ「最適成長経路」なんていうのは気持ち悪いから、他の用語、そう動学的な均衡ということで、「均衡動学経路」って言ったっていいだろう。(ハリ・セルダンのいう「均衡というのは通常、無時間だと矢野は理解している」というのもSDGEの文脈では意味がわからない。stationary equilibriumに絞るという意味か?よく物理屋がstationary eqmでないと「均衡」でないと経済学を非難するけど、経済学での均衡はrest pointというよりも、モデルの全式(需要=供給とか)がconsistentである、つまりモデルに出てくる方程式の解になっているという意味で使われる。だから、その方程式が動学的なもので、「未知数」が経路(時間tの函数)であるなら、「均衡」は当然に時間を含むものだが。stationaryだって、経路が時間tに対して一定というだけだし。えーと、マルコフにしたって同じように範囲を狭めてるだけだし。)
児島さんの最初の指摘である、バーナンキの背理法ではリフレ派の言いたい「国債買う⇒どっかで物価上がるさ」という命題を証明できない、というかそういうのに気づかないあいつらは馬鹿というのは賛同する。(つまり背理法で出てくる、「仮定された命題が偽である」っていったときに、「仮定された命題」をcompletely graspできないやつ。)
ただ、その「仮定された命題」としては、「均衡の存在」よりも、quantifierに重きを置いたほうが反証しやすいし、彼のひきつけたかったゲーム理論(複数均衡)に持っていけたんじゃないだろうか。つまり、こういうふうに言えばよかったと思う:
あたかもリフレ派はすべての解(均衡)で「国債買う⇒どっかで物価上がるさ」という命題が言えるとしてる。しかし、横断性条件も必要でないかもしれず、(経済学的には非現実的だけど)「物価上がらず無税国家が存在する」というのが均衡として否定できない。つまり矛盾は導けない。なので、国債を買い続けても物価が上がらないことだってあるかもしれない。
唯一の均衡が横断性条件を満たさない(つまり「すげえ」発散する解)なら、それはモデルがまずすぎるけど、複数均衡でならそういうのがあっても認められるだろう。
いずれにせよ、今回の「騒動」とやら(所詮はリフレ派ブログと崩れいちごで騒いでいるだけだと思うけど)は、背理法の論理もわからない馬鹿を挑発しすぎて、彼らの土壌に引っ張り込まれて、結果として自分の言いたいところと違うところで勝負させられて墓穴を掘ったように思える。そもそも児島自身もマクロ経済学者じゃないから、日本の現状がどうかなんていわれても困るだろうな。すげえマニアックなゲーム理論家というイメージがする。(どこかのSE崩れのブログで、「確率・統計」ではすごいなんて言ってたけど、それは教科書しか本当に知らないかわいそうな子。)今回言いたかったのはそれ以前の論理構造のことだろう。
まあ、マクロ経済学者が誰も出てこないあたりでこの議論は先が見えているのではないかと。ってか、加藤涼くらいしかいちごとかブロガーリフレ派にかまってるやつなんていないし。
cf.) http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の数学オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らない数学の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、数学のことを紹介するために覚えるべき10の事柄を選んでみたいのだけれど。(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に数学を布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、思考的に過大な負担を伴う21世紀の数学七大難問は避けたい。できれば学部レベル、難しくてもマスターレベルにとどめたい。あと、いくら数学的に基礎といっても義務教育を感じすぎるものは避けたい。数学好きが『三平方の定理』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。そういう感じ。
彼女の設定は
数学知識はいわゆる「高校数学」的なものを除けば、テイラー展開程度は使える
理系度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ブルバキ以前」を濃縮しきっていて、「ブルバキ以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。ページも7000以上だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な原論について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな証明(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「数学オタとしてはこの二つは“検証”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の難問数学オタが持ってる公理への憧憬と、ヒルベルト教授の数学オタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもヒルベルト的な
「証明できないことを証明するカッコよさ」を体現する連続体仮説
の二つをはじめとして、数学オタ好きのする問題をちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「ドーナツだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の学問がその後生み出されていないこと、これが近代では大人気になったこと、欧州なら定理ラッシュになって、それが日本で花開いてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのが生み出されないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりゲーム理論は役に立つものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「囚人のジレンマ」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この概念にかけるナッシュの思いが好きだから。
断腸の思いで選びに選んでそれでもパレート効率的ではない、っていうあたりが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「部分最適戦略」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
ナッシュ均衡による戦略を俺自身はダメとは思わないし、もう選択しようがないだろうとは思うけれど、一方でこれがアメリカや旧ソ連だったらきっちり冷戦にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて部分最適戦略を選んでしまう、というあたり、どうしても「自分の利得を最大化してきたものが捨てられないオタク」としては、たとえナッシュ均衡がそういう概念でなかったとしても、親近感を禁じ得ない。概念自体の一般性と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でエウクレイデス(ユークリッド)見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
キリスト生誕よりも前の段階で、数論とか初等幾何とかはこの原論で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの数学書がエジプトで紀元前に書かれていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく数学好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるマス北野を数学者と思ってる彼女には見せてあげたいなと思う。
フェルマーの最終定理の「設問の単純さ」あるいは「投げっぱなし感」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「この余白はそれを書くには狭すぎる」的な感覚が数学オタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそアンドリュー・ワイルズの行き着く先はフェルマーの最終定理以外ではあり得なかったとも思う。
「一般化された予想問題を解く」という数学オタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源はフェルマーの最終定理にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういういかにも簡単に解けそうな作図をこういうかたちで問題にして、その証明が非オタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9個まではあっさり決まったんだけど10個目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に数学ガールを選んだ。
ブルバキから始まって結城浩で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、ネット時代以降の数学萌えの先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10個目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。