はてなキーワード: はてな界隈とは
以上のことを理解した上でまだ好きな作家に批判をしたいのでしたら、ご自由にどうぞ。ただし、あなたが批判だと思っているそれは、作家にとっては往々にして無責任なヤジのひとつにすぎず、担当する編集者にとっては迷惑以外の何物でもないということは覚えておいてください。
(現在)
http://d.hatena.ne.jp/m_tamasaka/20080105/1199483357
(魚拓)
http://s03.megalodon.jp/2008-0105-1149-47/d.hatena.ne.jp/m_tamasaka/20080105/1199483357
いくら何でも責任感なさ過ぎじゃないの、この人。
せめて訂正線ひくべきじゃないのか、「編集者様」なら。
だいたいこの発言の部分を巡って色々なエントリーが上がっていたのに
このような記事が二つもそろってはてなダイアリーの注目記事に出現するはてなはくだらなすぎる。
はてなブックマーク - 東京に来ました。 - 月がでたでた月がでた
はてなブックマーク - 自宅にサーバーがある家の電気代の例 - Unix的なアレ
注目に値する記事には見えん。
3は本当に関心のない奴がそもそも南京事件にコミットするのはおかしいので
bluefoxやApemanあたりがいう「カジュアル否定論」者がそれに該当すると思う
はてブでそれっぽいコメントを書いている人に注目すれば分かると思うけど、3の人間はたいがい肯定派だよ。単純な話で、労力を割いて真実を探求しようなんて思っていないから、この問題に関してはとりあえず学校で習った通りの認識を持っておこう、と判断しているわけ。とはいえ、自分が消極的な立場だと知っているから、否定論者をことさら「啓蒙」しようとはしないけどね。
3の人間はこの問題にコミットしているわけじゃなくて、普段チェックしているはてブやRSSフィードに出てきた話題を受動的に一読して、「こういう話題もあるんだな」といつもの習慣ではてブやここに一言感想を書いているだけだろう(少なくとも俺はそんな感じ)。だから、コミットするのはおかしい
という前提がそもそも当てはまらない。
====(以下、蛇足)====
周知の通り、はてな界隈には(俺を含め)情報技術者とか理系大学生が結構いるのだけど(アーリーアダプタ(笑)だからね)、南京事件に関する議論に対して「どっちもどっちだ」という反応を顕著に見せているのは恐らくこの層だろう。自然科学的方法論に毒された人間がこの問題を眺めると、そういう結論にならざるを得ないんだよ。自然科学では手続きの妥当性によって客観的な正当性が担保されるから、相手の人格否定に重きを置くような論者同士の意見には優劣を付けられない。主張の内容レベル以前の問題で。だから、「どっちもどっち」は「主張の内容のレベルが同程度だ」という意味じゃなくて、単純に「手続きのレベルが同程度だ」という意味でしかない。
※例えば似非科学問題の場合、きちんとしたバックグラウンドを持つ似非科学批判論者は似非科学信者を「知識がない」と判断することはあるが、だからといって「人間として劣っている」というように扱うことは決してない(しばしばおかしなシンパが現われて話をかき回すから話がややこしくなるけど。。。まあ、今回の件だって、「きちんとした知識を持つ反歴史修正主義者(=はしげた氏)」の議論に便乗した「おかしなシンパ(=claw氏)」の出現が原因で混乱したんだろう。claw氏の偽悪的(?)なエントリがなければそもそも3の人間は反応したりしなかった)。
要は、否定論者vs肯定論者の構図が政治信条や歴史知識の衝突になるのに対して、無関心層vs肯定論者の構図は「手続きの妥当性」と「主張の内容」のどちらを最重要視するかという問題でしかないから、まったく議論のありようが違う(し、そもそも議論の必要がないと思う)。
歴史問題に自然科学の視点を持ち込む愚とか、日本人でありながら過去の大戦のことを真摯に考察しない愚かさとか、3の人間にもツッコミどころは多いと思うけど、少なくとも否定論者ではない(≠肯定論者である)以上、1や2の人間と同じ方法で「啓蒙」を図っても無益だということは理解してもらえると思う。まして、「良く知らないなら発言するな」のような難癖が登場してしまうと「ああ、自分に賛同しない人間は《敵》だと感じる、世の中に白か黒しかないナイーブな人種なんだな」と考えざるを得なくなってしまうよ。。。
上では、肯定/否定の意見を主張する人々を「―論者」、肯定/否定の考えを持っている人(主張しない人を含む)を「―派」と表現しました。肯定論者と肯定派の区別がちょっと伝わりにくいと思ったので補足。
http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20080103/p1
このエントリとか、手続きの妥当性を最重要視するタイプの人物の存在に無自覚なせいでぐだぐだになっている論説の典型だな。。。と思った。
いろいろな反応ありがとう。↑で「理系」と表現した部分は「アカデミズム」のほうがより相応しいかな、と思った。あるいは、潔癖なおたく(ギーク)。いや、それだと格好つけすぎかも。身も蓋もない言い方をしてしまえばd:id:Apeman:20080104:p3で指摘されたように単に他人事としてながめてるから
で済むんだから。興味を持った事象(の興味を持った側面)の分析・探究には力を注ぐけど、それ以外の部分、特に価値判断に類する事柄にはまるで無頓着な態度。そうした姿勢がときに不適切な結果を利してしまうということは原子爆弾の製造に関するアインシュタインの功績を考えるまでもなく明らかだけど、興味がないんだから仕方がない。
……とか書くと「お前みたいに知性のないヤツがアカデミズムを名乗るなど片腹痛い」なんて言われそうだけど。そりゃあんたにとっての「知性」と俺にとっての「知性」の意味が違うだけだよ(笑)
perlで提供されてるサービスにphpユーザーはつかないのかもしれないね。
はてな界隈だとrubyは話題になっててもそれを扱う人をちゃんと評価できているとも見うけられないし。
いや、居るんだよ。php使いもruby使いもPython使いも。
だって増田にだってたまに湧くじゃない。
はてなダイアリーのユーザーだって、おーと思うようなruby使いとかもいるんだけどね、
でも発言権のあるユーザーにはなりえてない。
http://rails.drecom.jp/award2007
例えば、ここで受賞しているユーザーでaspブログサービスを利用しているユーザーの殆どがhatenaユーザー。
だけど、ここにでてくるような人達がホットエントリーに並ぶことはない。
あと1年ぐらいはdankogaiの天下だし、perl使いの天下なんじゃないかな。
でもperlの案件なんて最近(というかずっと昔しから)殆ど無いとおもうんだけどね…。
IT業界の12兆円の市場規模からしたらon webのコンシューマーなんてほんと微々たるもののはず、
でもそこだけしか注目が集まらない。
つまりはそういうことなんじゃないかな。
スイーツ側の人は業務内容が密接にプロジェクトや会社の中の話と結びつくことが多いので、はてな界隈ではなかなかスイーツ側の人はスイーツ側の濃ゆい話を書くことが出来ないことが多いようだ。圧倒的にスイーツ側の人間がはてなを始めとしたブロゴスフィア全体で少ないなぁとつくづく思う。QAも少ないけど。この辺をアツく語るブロガー出てこないかなー。
私は200X年に今の会社に入社して、数年間WEBアプリケーションの開発をやった。多くはJavaの案件だった。最後の案件は去年の夏ごろだ。前任のPMが逃げるように辞めていってしまい、非常に複雑なロジックを自分が担当することになった。1500行越えktkr。それを参考にして(これが大間違いだったんだよセニョールorz)2週間かけて作ってみたはいいものの、テストを繰り返しているうちにどんどんボロがでて、結局その当時のPMとパートナーさんに相談して設計からやり直した。パートナーさんの英知を借りて結果としてコード数が半分以下になり相当イケてるコードになった。今となっては英断だったと思うがその代償でほとんど土日を使い潰してしまった。コードの怖さを思い知った夏でした。
昔話はこれぐらいにしておいて、と。
でもって今は仕事ではコードを書かずにひたすらPowerpointに魂を込めるプレゼンの日々を過ごしているのですが、これはこれで意味のある仕事なんだなと思っている。この業界においてスイーツの人はやっぱり必要なはずなんだと思う。全員が全員エンジニアだったらビジネスにならないと思うのです。技術それだけでは1円も生み出さないのだから。私はずっと内製回帰すべきであると言い続けているけれど、誰かがスイーツを着なくてはならないと思っている。マネージャは必要なはずだと思ってる。誰かが顧客と向き合わねばならない。誰かがチームをまとめあげなくてはならない。できれば、その人は技術も業務も語れるハイブリットな人材が望ましい。このあたりの議論はSIerの中では絶対出てくるはず。
ただ回りを見渡してみれば、はてな界隈でフルボッコされている「スイーツなおやぢ」がマジョリティなのも事実。技術のこと、実装のことを肌で感じることができないし、感じようともしない。大規模になれば細かい所なんて見れるわけが無いので僕の仕事は工数を管理するだけなのでーす、という立ち位置の人間が多いのも認めざるを得ないし*1、そういうスキームになっている部分も否定できない。ごくまれにコードが好きだけど年齢的に管理職になってボヤいているなんて人もいるんだけどね。それにひたすらプログラマー現役続行状態でリスペクトされている方もいるのも事実。今あなたが立っている場所によって全然見え方が違う。
以前エジケンがニッポンIT業界絶望論の中で受託開発にはイノベーションなんてねぇよと切り捨てたけど、本当に革新的なものを生み出すことが全てでは無いだろうとも同時に思う。イノベーションは結果であって目的では無いだろうという見方もあるんじゃねーの、と。これは賛否両論だろうね。コードでなければ世界を変えられないとはてなおやは言うけれど、コードよりも何よりも人間を動かせばすぐに世界は変わるだろうとも同時に思うのです。
スイーツ寄りの人間が最もやらねばならないのは、人を動かすことだと思うのです。顧客を動かす、チームを動かす。プロジェクトが成功する方向に。人を動かすために必要なスキルと、システムを動かすために必要なスキルは全く別物です。Powerpoint1つとっても、結構ディープだよ。言いたい事を正確に伝えるのはスイーツでもエンジニアでも必要だと思うけど、そこで真剣勝負をする人は少ないのが残念。また、スイーツとエンジニアの間にはお互いリスペクトがあればそれだけでいいはずなのですが、上流から下流にお金が流れていってしまうため立場的に下流側にしわ寄せが来る。職業に貴賎は無い。技術神経が死んでいるおやぢほど技術者を十把一絡に捉える傾向が強い。これはガチだと思う。
スイーツにも新陳代謝が必要なんです。むしろ、スイーツにこそ新陳代謝が必要なはずなんです。政治家・似非管理者としてのスイーツが全てではないだろう、と。「ウェブ・リテラシー」を持っているスイーツが色々と面白い企画を立ち上げていく。会社を、回りをよりよい方向に持っていく。そういうスイーツがこの業界にはもっともっと必要なんじゃないでしょうか、と。そういうスイーツにはこれから色んな「けものみち」があるんじゃないだろうか、と。私はずっとエンタープライズにいる人間ですが、技術リテラシーが死んでいる人間が立ち上げたプロジェクトが砂上の楼閣のように崩れ落ちていくプロジェクトをそれなりに見てきたし経験してきました。だからこそ、そういうスイーツが要るんじゃないか、と。エンジニアがスイーツになってもいいと思う。エンジニア寄りのスイーツってめっちゃ希少価値高い気がするけどなぁ。いざとなれば自分でコード書ける自分でありたい。そこは失いたくない。
全然考えがまとまってないんだけど、スイーツはスイーツで結構奥深く多面的に色々なことを求められるのが本筋であり、スイーツにはスイーツのロールモデルがあって然るべきだってことが言いたいのです。スイーツ着たら負けだと思いたくないのです。そういうことを語り合いたい!!
ってうっかりすぐ納得してしまいがちで危ねー!って思った
いや、「何を当たり前の事を?」って思うかもしれんけど
というのも、今までさ。
さして自分が詳しくないジャンルで且つブクマが多数ついて注目エントリーかなにかになってるような記事を見るとさ、大抵それなりに論が展開されてるから、まあ、大体納得しちゃうわけよ。「フンフン。確かにそうだな!なるほど!」とか思って、そんでブクマコメとか見ると「納得」とか「なるほどね」とか言っちゃなんだけど「分かったような」コメントがついてるわけよ。だから余計なんつーのかな、そういう「玄人的空気」に飲まれてというか、なんとなくやっぱりこれは正しいんだとおぼろげに思ってしまうわけ。そういう傾向が今まで結構あったことに、さっき気付いたんだよ。
別にブログで仰々しく論をぶっていても、納得コメントが多数ついてても、注目エントリーになっていても、
「別に正しい訳じゃない」
「ていうか寧ろ、全然間違ってる事がある」
ってことに、いやほんと今更お前何いってんの?って感じだろうけど、気付いたわけよ。
勿論注目されたエントリー=正しい!とか思ってたとかいう話じゃなくてな。
俺の中で、無意識的に、「なんとなくブログで(しかも結構はてな界隈で有名ぽい人が書いてりゃ倍率ドン)「○○が何々な理由」とかいうかんじで、新書っぽいタイトルで仰々しく論をぶって、納得コメントが多数ついてるとそれはなんとなく正しい」とか繰り返すけど無意識的に思っちゃってたわけ。なんつーの、中学生の時思ってた、新聞に書いてあることはなんとなくほとんど正しいみたいなそういう感覚。
でも、先日、俺のそこそこ詳しいジャンルで、注目されてた記事をふっと読んで、気付いちゃったわけ。
「正しいとは全く限らない」
「ていうか寧ろ全然見当違いで、何これ??みたいな論も結構含まれてる」
ってことに。
でもなんとなく、体裁整った文章ってのは、俺が思うに人って信じやすいんだろね。新聞でも本でもさ。だからネットでも、ブログとかみたいにちゃんと記事っぽく整えられた文章ってそれだけで何となく信じてしまいそうになる感じがある。言ってることわけわかんないかも。ごめん。なんていえばいいのかよくわからんのだが。
でも、「別にブログできちっと書かれていてコメント集まってるからって全然間違ってる論も普通にある」んだよね。うん。当たり前なんだけど。俺も分かってるつもりでいたんだけど。でもいま真にそれに気付けたような気がする。「そんなのわかってるよ」とか想いつついままではちっとも分かってなかった気がする。
はてなで注目集めてる記事だからって、全然間違ってたり、滅茶苦茶古臭い論だったり、知ってる奴から見たら「はぁ?」ってな論もフツーにあるんだよな、ああ、あるんだよ。なんで俺そこに気付けなかったのか。なんとなく正しいように思ってたけどそうじゃないんだ。ブクマコメで知ったように「納得」「その通り」「これは正論」とか偉そうにぶっててもそれらは全然素人が勘違いしてコメントしてるだけってのは普通に有り得ることなんだよ、ああ、俺のバカ。普通に有り得るのに、なんか偉そうに「これは正論」とか言ってる人がいるとどことなく「え?そ……そうか……な?」くらいは思ってしまうっつーか、なんつーか、あぁーーーーーー怖え、無意識怖え
俺は非モテである。年齢=彼女いない歴。魔法使いまであと僅か。俺よりモテない人間をリアルで目にしたことなどない。
そんな俺から見てのことだが、はてな界隈での非モテに関する言われようは偏りすぎだと思う。「ママを求めているだけだ」だの「処女オタ」だの「ミソジニー」だの「自分こそが恋愛至上主義者」だの。「喪男道」の「覚悟」というあまりにもわかりやすいキャラクターが存在したためにこの評価は定着してしまったような気がするが、現実には非モテはそこまで屈折したものではないと思う。むしろ、屈折しなさ過ぎたために、青臭いともいえるやり場のない思いを抱え込んでしまっているのが非モテなのではないだろうか。少なくとも、俺の場合はそうだった。そのことを、俺個人の心理描写として少し書いてみたい。
俺は兄弟含め親戚中男ばかり、そして中高は男子校で大学は工学部、職業も同様に男ばかりの環境。そのような俺にとって同年代の女性とは、学生時代のバイトやサークルなどの、彩りのない「日常」を離れた「非日常」的環境以外には接点がなかった。いきおい、頭の中の「女性」像はいっときの楽しい思い出と結びついてやたらと美化された。
テレビや雑誌の類を一切見ない俺にとって「恋愛」というものは「ロミオとジュリエット」「若きウェルテルの悩み」などの文学作品などを通してしか知らないものだった。俺にとって恋愛とは極端に純化されたもので、命を賭けてさえ惜しくないものであり幸福の極致であり、そして何人たりとも冒涜することあたわざるものだった。まして、体の関係を持つなどということは想像を絶することだった。そんなことは、相手に一生を誓い合っていなければできないこととしか思えなかった。なぜって、それは心にも体にも不可逆的な変化をもたらすことなのだし、これ以上ない秘密を他人に知られてしまうことなのだ。
だから、恋愛なんて自分の身近な世界では起こるはずのない、奇蹟にも等しいものだと思っていた。まして自分の身に起こるはずがないとも。一生に一度そのような機会があれば良い方だとも。現在もこの感覚は変わっていない。だからこそ、仲睦まじいカップルを見ると心底羨ましかった。こいつらは、誰もが一生嫉むような幸せを、俺と同い年にして既に手に入れているのだなあと。二人だけの間にしか存在しない一つの文化をこれから一生かけて紡ぎ上げていくのだから、それ以上の稀有な体験があろうはずもない、と。
あるとき、そんな俺も誰かに恋心を抱いてしまうということがあった。既に二十歳を過ぎていたかもしれない。本当の恋などというものは一生に一度しかできないものだと思っていたから、一夜にして起こった身辺状況の急展開に戦慄した。ここでどうするかが俺の一生の幸福と不幸を分ける、と!
だがその後どうすればいいかまるでわからなかった。女性というのはあまりにも未知の存在だったから、表面的な会話以上となるとどうしてよいかまるでわからなかったのだ。一方で、世間では「ストーカー」や「セクハラ」が問題になっている。フェミニストに言わせると「性的関心を表面化することは性暴力」なのだそうだ。だとすると、どうして接近すればよいのかわからない。表面的な会話を積み重ねているうちに、向こうが俺に惚れてくれるのを待つべきなのか?この、不器用で不細工で口下手な俺に?そんなの、奇蹟を期待するに等しいことじゃないか!
結局、俺にはどうすることもできなかったのだ。言うまでもなく、その子は他の男がかっさらっていった。こともあろうにそいつは俺の親友だった。そいつはいい奴なのだが、舞い上がると周りが見えなくなるのが欠点だった。そいつは俺の恋心を知っていてものろけ話をやめられなかった。ご丁寧に、その子を家に連れ込んだだのなんだのかんだのという話まで大声で話しまくった。
俺はもはや、自分より不幸な人間がいるとは考えられなかった。周囲を気遣う余地もなく、悲鳴を上げながらその場から外に飛び出していった。そしてその後、たっぷり一年間引きこもった。その間は、大学にもほとんど行かず、ほとんどネットばかりやっていた。「非モテ」という同類がいることに喜びを覚えたのだ。「はてな」に書き込んだりしたこともあったかもしれない。だが、非モテは甘えだのミソジニーだのと罵倒されて各個撃破されていくのを見ると、ネットにも救いの場はないのだということがよくわかった。
その後紆余曲折あって、やっと落ち着きを取り戻した。俺がどうにか落ち着くことができたのは、恋愛とか世の中というのは俺が思い描いていたほど美しくはなく、もっと身も蓋もないものだということをどうにかうかがい知ったからだ。いつまでも純粋でなどいられないのだし、純粋さというのはよいことばかりではないのだ。そういうことを普通は、恋愛という関係を実際に作り上げながら知っていくものなのかもしれないが、残念ながら俺は「恋愛をできなかったこと」によって知ることになってしまった。それを知ってしまった俺はもはや、恋愛に夢中になるという機会を永久に失ってしまったのだろう。今となってはあきらめはついているが、ときどき思い返すと空しくなることもある。
今年一年、増田を賑わせた流行語は一体なんだったのでしょうか。
寄せられた意見を踏まえ、まったくの個人的意見で決定したいと思います。
はてな村の出来事なんかが割とあがっていましたが、あくまで「増田での出来事」といえるか、を判断しました。
増田にはてな村の出来事を持ち込むなという意見もありますしね。まあ要望あればまとめますが。
夏頃に一世を風靡した日刊増田さん風に、関連するエントリについても振り返ってみましょう。
本家の「新語・流行語大賞」にあわせて発表します。
言わずと知れた、「はてな匿名ダイアリー」の略語。ここに居着く人や、元記事書いた人のことも指します。
元増田か増田か論争なんてのもありました。
初出は2006年11月11日ということで、実はぎりぎり今年の流行語ではないみたいです。
まあ今、増田が熱いらしいですし、秋川も二年連続で紅白出ますし、気にしない気にしない。
以上の通り、大賞にふさわしいと考えました。
ネット全体で大流行したスイーツ(笑)。2ch関係の未来検索ブラジルによるとネット流行語大賞の銀賞に取り上げられてます。
んで、そのスイーツ(笑)に対抗して、増田に爆誕したのがライフハック(笑)。
ライフハック大好きなはてな界隈の人々の心を捕らえたのか、ブクマ256、TBは47という大反響。
余所でも「CLANNADは人生(笑)」とかの亜流が考案されてるけれども、その中でもかなりのヒットかと。
なにかと2chと比較される増田ですから、2chでスイーツ(笑)なら増田ではライフハック(笑)と考えていいでしょう。
スイーツ(笑)が出てきたついでに、「ケータイ小説」についてもご紹介。
2chのコピペのせいでスイーツ(笑)とセットで扱われることが多くなったケータイ小説。
ドラッグとレイプとホストが出てくればなんとか形になるとあって、ケータイ小説と紙一重なラノベ読者もこぞって叩いていました。
小説なのかどうかについては実際に読んだ人の意見も。
なかにはあまりの叩きっぷりに揺り戻しっぽい議論もありましたね。
以下、ベストテン。
982というのは増田関係では今年一番のブクマ数ではないでしょうか。
ポジティブで、何でも吸収するのが楽しいという、東大生になった秀才。
その読み方についてもあちこちで議論がありました。
物議を醸した人気エントリといえば、他にも「お嬢さんが亡くなったそうで」や先週、はてなーが面接にきたや、エレベーターには裏技があるらしいなんてのもありました。
初出はこちら。
説明不要。増田に時たま現れる増田ねこ。殺伐とした増田の癒し系。
こういう、多人数(?)があれこれ書くシリーズには、ドラえもん のび太のや勝手にホトトギスなんてのがありました。
今年の増田は、非モテとセックスの話ばっかりしていたようにも思えます。
非モテってのは説明するまでもないですね。毎日のように喧々囂々の議論が巻き起こりました。
今年の一番は彼氏が非モテで困っています ですかね。彼氏がティモテで困っているという人も発生。
来年以降も非モテのネガティブ垂れ流しを生暖かく観察することが出来そうです。
(萌え+オタ文化ネタ)×サザエさんな、いわゆる萌え4コママンガ、今年アニメ化。
聖地巡礼で一騒動あったり。
それについて行けない人やアンチも大量に発生して、アンチに対する考察なんかもにぎわっていました。
はてなではてなスターというサービスが開始されたのも今年。らき☆すたをもじって「はて☆すた」と呼ばれることもありました。
はてなスター大喜利(β)なんてのが催されたりして、賛否両論でした。
萌えパッケージされたボーカロイドが今年発売され、リアルネットを問わずあちこちで話題に。
TBSオタ差別報道やGoogle八分疑惑なんてのもありましたね。
双子の妹弟が出来るみたいですが、個人的にはお姉さんのことも忘れてあげないで欲しいなと思いました。
主人公の誠が複数の女性と次々と交際していくアニメ、『School Days』。
あまりに衝撃的な結末に、放送中止騒動なんかで議論が紛糾していました。
でも結局、仮放送でも本放送でもかっこいい船が出てきたっていう。
初音ミク差別報道騒動の際には、俺の嫁という発言がクローズアップされました。
評判のよくなってきたニコニコ動画を中心に今年大流行。
俺の嫁という表現が嫌いな人もいれば、好きな人や大好きという人もいました。
俺の嫁と○○かわいいよ○○との関連性を指摘する人も。
一言で言えば、「インディーズ時代から応援してるバンドがメジャーに出た時に、トーシロどもに感じる感覚」みたいなもんです。
そこそこTBやブクマが付き、外部でも言及されていたので、提案者としては喜ばしい限りです。
最近感じた古参チマンは、いまいち売れなかったMEIKOのときに「革新的な技術だ」と思っていたところ、みんなが初音ミクを「画期的な技術だ」ともてはやしていることですね。
以上、今年増田で流行した言葉とそれにまつわる四方山話を、自分が書いたエントリを織り交ぜながら振り返りましたがいかがだったでしょうか。
大賞を獲得された増田を提供してくださったwanparkさんとライフハック(笑)を提案した増田さんを表彰したいと思います。
ではまた来年にお会いしましょう。
※ひっそり追記
「ネットの最良部分」は、「異なる意見の出しっぱなし」に尽きるのでは。
はしごたんに向けた意見は、その多くは、それぞれの判断に基づいて、その先にある解決を目指して提案がなされる。
それはいいと思うんだけど、それらをまとめるかして、はしごたんにとって最良の結論を導けると考えるのは、
多くのものに対して余りにも傲慢であるというか、僭越すぎると思うんだ。
「はしごたんにとって何が最良であるか」は、少なくともネット上においては、あくまでブラックボックスのままでいい。
つうかブラックボックスにならざるをえない。ネット上の「はしごたん問題」は、はしごたんを通してしか分からない。
だから、(はてな界隈における)彼女以外の者の意見は、その意見の全体としての相貌をもって結論とす、でいいじゃん?
あとははしごたん次第。
何でこんなことにこだわるかというと、議論が進む中で、ある程度の結論が見えたような気になってくるじゃん?
そのときに、その「結論が見えたかのような空気」に反するような提案をすると、フルボッコにあったりする。
まあコメントやブクマのフルボッコなんてたかが知れてるけど、その空気の醜悪さたるや、見るに耐えないんだわ。
「彼女にとって何が最良であるか」が実は保留されていることがもう少し意識されていれば、
どんな提案に対してもそんなに口汚いことは言えないはずなのに…。
異性を愛する気持ちってのはまぁかなり普遍的だけど、(別に同性愛者の人を批判するのではないよ。集団の一定数のひとが異性愛者である状況が普遍的ってだけ。)そのあり方はわりと文化的。で、文化的ってことはさまざまな要因によって、決まっているわけね。
今の形で言う「恋愛」は西洋起源のものだから、(そもそもの起源についてはヴェルナー・ゾンバルトの『恋愛と贅沢と資本主義』がオススメ。)こうした概念が入ってくる経路として文学が大きいって言う意見は的確だと思う。ただ、はてな界隈でいわれている「恋愛資本主義の主犯」っていうコトバの意味は、「今」こうした見解を発生させ、維持している犯人は誰かってことだから、「電通が主犯」となるわけだよ。
ただ、個人的には「主犯」なんていないと思うけどね。スイーツ(笑)から様々な関連企業と広告会社、それに多くの女流作家とかの、この言説を支持し強化するさまざまな「共犯者たち」ならいっぱいいるけれども。
ここにMarco11の記事がある。
大好きなブログが閉鎖するらしい。
http://marcon.g.hatena.ne.jp/Marco11/20071119/1195444420
これ自体はどうでもいい。
取り上げたいのはこの記事そのものではなく、この記事へのブクマコメントだ。
最近はてな界隈で話題沸騰の痛い子id:hashigotanがこんなコメントを残している。
彼女(?)の言う「誰かスゴイ人」とは誰を指すのか。
おそらく「そのブログを更新停止に追いやった誰か」を、id:hashigotanは指しているのだろう。
彼女は「ブログを更新停止に追いやる人」=「スゴイ」と認識しているように読める。
もしかしたら、彼女は「after game over」が閉鎖したとき、悦楽に浸っていたのかもしれない。
もし、そうだとしたら、私はひとつだけ言いたい
きみは じつに ばかだな
一言言っておく
一般人として生きている人間が一般人にラノベを薦めるのは、それは
「ぼくちんオタッキーで??す☆エヘ!」と告白するに等しいのだ。
一般人からみるとラノベは「オタクのもの」という認識がされている。
はてな界隈ではラノベの区分がどうのこうの議論がされていたりするが、
あくまでそれは内容での区切りの話。
一般人からみるとラノベのアニメ挿絵を見るだけで「きんも??☆」と
なるわけなんですよ、わかりましたか?
「あの文章」が何を指すかもわからない俺の方が勝ち組。
"インターネット"といわれるものとの付き合いは結構長くて、始めた当時は、あちゃらNAVI(懐かしい)とかのディレクトリを辿ってゲームの攻略サイトやテキストサイトを閲覧していた。それからいくらか時間は流れ、ネットの世界ではweb2.0だの何だのといわれているのに、自分のやっていることはほとんど様変わりしていなかった。そう、ひきこもっていたのだった。アクセスするのはポータルサイトや大手のニュースサイトばかり。あとはちょっとした調べものをしたり、買い物をしたりするくらいで、入口としてはGoogleだけあればほとんどの用は足りていた。コミュニティ的なものからは限りなく縁遠く、リアルでの知り合い以外のメールアドレスなんて1人も知らないし、メッセもやらない。2chなんて半年ROMるどころの話ではない(そもそもめったに見ない)し、mixiは初めてログインした瞬間、足あとやマイミク数表示に震え上がった。
リアルとは正反対にネットでは攻撃的な性格になるというような、リアルとネットの人格解離はよくいわれるところだが、自分に限ってはむしろ逆で、ネットのほうがよりひきこもっている。何というかネットの世界のほうがより生々しいからだ。リアルではある程度オブラートに包んでお世辞なんかを言ったりもするが、ネットでは人々の感情がすべてむき出しになっているようで、とてもこわい。下手なことをいえば容赦のない罵声が浴びせられ、ともするとブログ炎上のような形で祭り上げられることはよくある話だ。最近の報道の体質をみれば、そういうネットでの慣習がマスメディアにまで浸透してきているように思える。しかしこれからの長い間、様々な形でネットと関わっていくことを避けられないのは自明であり、ネットとの接し方を大きく狭めてしまうのは、もったいないことだと思うようになった。
そこで最近では、なるべくネット上に自分なりの考えた形跡を残すように努めている。その取り組みの一環として先日、はてなIDを取得してみた。以前からはてな界隈のトピックには触れる機会が多かったのでそれほど抵抗はなく、たまにダイアリーを更新したり、気になった記事をブクマしたりしている。しばらくして思ったのは、コメントやトラバはほとんどなくても、少なからずダイアリーを見てくれている人がいることや、ブクマコメントにスターをつけてもらったりすることは、とてもうれしいということだ。こちらが望みさえすれば、誰でも容易にリアクションを得られるのはネットの強みだと思った(一方では危険だが)。ただ結局は反応ありきというか、誰かが反応してくれないだろうかということに、必要以上の労力を払ってしまう。これはいわゆる"mixi疲れ"なんかと通じるところかもしれない。まあしばらくやっていればそこまで敏感になることもなく、だんだんと自分のペースでやれるようになると思って、気長にやっていくことにしたい。また、得られた反応をどのようにフィードバックしていくかということも、考えていく必要がありそうだ。