異性を愛する気持ちってのはまぁかなり普遍的だけど、(別に同性愛者の人を批判するのではないよ。集団の一定数のひとが異性愛者である状況が普遍的ってだけ。)そのあり方はわりと文化的。で、文化的ってことはさまざまな要因によって、決まっているわけね。
今の形で言う「恋愛」は西洋起源のものだから、(そもそもの起源についてはヴェルナー・ゾンバルトの『恋愛と贅沢と資本主義』がオススメ。)こうした概念が入ってくる経路として文学が大きいって言う意見は的確だと思う。ただ、はてな界隈でいわれている「恋愛資本主義の主犯」っていうコトバの意味は、「今」こうした見解を発生させ、維持している犯人は誰かってことだから、「電通が主犯」となるわけだよ。
ただ、個人的には「主犯」なんていないと思うけどね。スイーツ(笑)から様々な関連企業と広告会社、それに多くの女流作家とかの、この言説を支持し強化するさまざまな「共犯者たち」ならいっぱいいるけれども。
恋に恋するお年頃ってやつだねっ!
ずいぶん電通の影響って大きいんじゃないか。 もしも誰一人としてテレビをみなければ恋愛の形は大きく変わるに違いない。
電通より純文学の方が影響大なんじゃないかと思うよ。 恋愛小説を読んだ人が恋愛映画を作って、恋愛映画を見た人が恋愛ドラマを作って、恋愛ドラマを見た人が恋愛に憧れて…。
異性を愛する気持ちってのはまぁかなり普遍的だけど、(別に同性愛者の人を批判するのではないよ。集団の一定数のひとが異性愛者である状況が普遍的ってだけ。)そのあり方はわりと文...
恋愛より面白い日常のゲームってなんかあるの?
非日常は常に日常を超える。